別れの言葉
毎年経験することだが、別れの言葉ほど、別れる前のことを思い起こさせるものはない。きょうは年度末の教授会であり、その後の懇親会には、退任の先生方がそれぞれ別れの言葉を述べるのだが、このときに聴く言葉ほど、先生方を特徴付けるものはない。そして、それは鮮明であればあるほど、最後は自分に帰ってくる言葉となる。別れは普遍的なことであり、いずれは自分のことに関わってくるのだ。
Y先生、H先生、N先生、O先生、N先生それぞれ、個性あふれる挨拶だった。H先生の話のなかで、退任した後、どうするのですか、という質問にいかに答えるか、という話があった。新しい人生に踏み出す、ということにこだわる必要はない、という結論だったが、きわめて示唆的な答えだった。
何かを知ろう、知りたいということで、人生を歩んできたのだから、こんごもそれを続ければよいというものだ。そして、もしそれが出来なくなったら、それはそのとき考えればよい、という楽観主義に、それは聞こえた。自分は何者であり、自分は何者でないのかがわかった方のいえる言葉だ。まだまだ、その境地には立つことができないな、と反省したしだいである。
最後だからというので、N先生は、わたしのラジオ番組を聴いた感想を聞かせてくださった。かなり辛口の批評であったが、得がたい経験だ。放送大学の良いところは、このように異なる分野の先生がいつの日にか、講義を聞いてくださって意見を述べてくださる、という点にある。つまり、誰に対しても開かれているので、率直な意見を思いがけないときに聞くことになるのだ。
まだまだ、原理的な突き詰めが足りない、もっと根本的な思考に到達できるはずだ。簡単に要約すると、このようなことだったが、このような真っ向からの批判は、近い分野の方からは得られないものだ。
職員の方がたとも、別れの季節である。シュアな仕事ぶりで好感の持てるタイプのNさんは、東北地方にある大学の部長さんへ栄転のようだ。ほかにも、多くの世話になった方々と別れねばならない。
先日専攻内でのお別れ会を行ったとはいえ、「社会と経済」専攻のN先生が最後になってお見えにならなかったのは、本当に残念であった。けれども、Y先生の話もそうだったが、間合いや空白の部分で、わたしたちの想像力をかきたてる手法を使った別れの方法ということも許されるのだと思われる。N先生だったら、どのような別れの言葉をおっしゃるのだろうか、と想像しながら、会場を後にした。
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コメント
こんにちは。こちらには約一年ぶりの書き込みとなります。最近は政治学関係の科目をいくつか学びながら、電車の中の時間を使ってロシア語、アラビア語の勉強を楽しんでいます。坂井先生にはこの前期せずして神奈川センターでお目にかゝれて幸いでした(一緒にいらっしゃったのは、もしかしてF村先生だったのでしょうか)。
さて、この3月までで本学を退かれるN先生から放送授業についてご批評があったとのことで、さすが大学の英語表記を"THE OPEN UNIVERSITY OF JAPAN"としただけのことはあるなあと感じました。授業がラジオ、テレビですべて公開されているというのは、「有名人」になれる可能性もあるとはいえ、やはり大へんなことなのですね。そういえば印刷教材もまた公開でした。こちらについては前に、学校用の指導書で坂井先生の文章が使われることになったという良いお知らせがあったように記憶しております。
本学の原島先生が前に講演会用に支度されたチラシには、本学は「隠れた」名門大学であると書かれていました。しかしわたしには、本学を退かれる山田先生が「大学の窓」にておっしゃっていたように、これだけの先生方がいる大学は日本にほかに例がないように思われます(実際わたし自身、本学ですばらしい先生方の学問と出会った覚えがあります)。先のN先生によるご批評もきっと、本学がそうした水準の大学であることを意識してのことだったのでしょう。わたしはそうした大学で学んでいる一員であることを誇りにしつゝ、これからも勉強を進めてゆければと思っています。
投稿: 槙満信 | 2008/03/27 09:08