カテゴリー「学問の関係」の投稿

2016/12/03

ユリイカ現象が起こると研究者本能が疼く

「ユリイカ現象」とよんでいる現象がある。二年前にエッセイに書いた時に、名付けたものだ。本当のところ、この現象が起こるから、わたしがこの職業を続けているとも言えるものなのだ。古代ギリシアのアルキメデスが風呂に入った時に、有名な原理を発見して、興奮のあまりこの言葉「ウーレイカ!」を叫んで飛び出したと言われている。そしてじつは、今日もこのユリイカ現象が起こったのだ。

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放送大学の生活健康科学プログラム博士後期課程の報告会へ招かれた。博士課程では、集団指導体制をとっていて、複数領域の先生が学生に対応する。今回、N先生に依頼されて、わたしが副指導教員を担当しているKさんの報告会に立ち合わせてもらった。内容については、報告会が非公開なので、ここで述べることはできないのだが、そこで生じた「ユリイカ現象」という外部要因であれば、構わないだろう。

 

Kさんの報告を聴いていて、すでに議論は数ヶ月前から重ねて来ているので、当然と言えば当然なのだが、これまで行って来た議論がより深められたのであった。ただ、議論が深められたからといって、このユリイカ現象は生じないから不思議なものなのだ。でも、今回に限ってはこの累積された効果が出て来て、まさに「ユリイカ」現象となったのだったのだが、本当のところ瞬時に出てくる場合もあって、まことに奇々怪々の現象なのだ。

 

どのようなときに、ユリイカ現象が出てくるのだろうか。「やった」と叫びたくなる状態が現れるのだろうか。一般化はできないのであるが、いくつかの傾向がありそうだ。ユリイカ現象の第1段階として現れるのは、極めて個人的なものだ。個人的な発想の時に起こる場合が多い。自分の中で、「ああ、そうか」という思いが浮かぶ。それは妄想の類かもしれないし、単なる幻視なのかもしれないのだ。でも、わたしの卑近な現象を考えてみても、確実に何か研究について考えている時に、驚きをもって個人的な思いつきが生ずるから、おそらくこのような傾向もたしかにユリイカ現象の一部だろうと思われる。人間の本能的なものだと言っても良いし、個人的趣味だと言っても良いだろう。しかし、このことを他者へ漏らすと極めて高い確率で、変人とみなされる恐れがあるから、ふつうの人は口にしない。けれども、天才と呼ばれるような人びとは、個人段階のユリイカを大声で叫んでしまうものらしい。何度か、見聞したことがあるのだ。

 

ユリイカ現象の第2段階は、二者関係的なものだ。親密な関係にある人とだけと、その考えや妄想を共有できるのだ。自分の言ったことと、相手との関係が密接に結びついて、緊密な議論が成立することが期待できる。友人や夫婦の間で生ずるものだ。片方がその発想を自分のものだ、と思い込むし、さらに相手もその発想を自分のものだ、というところまで、思い入れが激しく出てくることになる場合があるのだ。逆に、この考えを共有しているからこそ、その友情が確からしく思えてくる。ユリイカ現象の相乗効果が現れてくる端緒となる状態が現れるのだ。Kさんとの、1対1の授業では、この形態のものだったと考えられるかもしれない。

 

ところが、ユリイカ現象には、第3段階があるのだ。それは、三者以上関係的なものだ。もちろん、ここで二者や三者と使った数字は、相対的なものであり、確実に2や3である必要はない。相互の複雑性の度合いの違いである。いわば、個人的ユリイカ現象や、二者関係的ユリイカ現象の発展型であり、集団的ユリイカ現象と言えるものである。もちろん、今回とくに言いたいのは、この第3段階であり、報告会や懇親会でのユリイカ現象なのだ。これは思い込みなのであるのだが、なぜ同じ思い込みが他者にも生ずるのか、ということなのだ。博士課程を造ってよかったな、と感ずる一瞬だった。

 

集団のユリイカ現象は、社交性の極みだと思っている。論文を媒介として、人びとが議論しあい、ユリイカ状態に集団に達するのだから。これは体験した者にしかわからないもので、研究ということを続けていて良かったと思わせるものだといえる。このようにして、研究者本能というものが、もし好奇心の行き着く果てにあって、それを通じて複数の人の間にユリイカ現象を共有できるならば、やはり社会人のための博士課程を造った意義があったと言えるだろう。Kさんの博士論文が来年には発表されるだろうから、みんなが感じたことの一端が、それでわかってもらえるだろうと期待して待っている。

2016/08/03

「生活科学」という学問分野はいかにして可能か(III)

Img_1211 歳を取り、自分の身の回りのことを一切できなくなって、他者に自分の裸までも見せなければならなくなったとき、いったい誰に頼むのだろうか。このような状況の認識については、どのように映像化できるのだろうか。映画「或る終焉(原題:Chronic)」を観る。原題のクロニックというのは、「絶え間なく不断に続くこと」という意味だ。病気で言えば、慢性的ということらしいが、日常生活では習慣的ということだ。映画のテーマは明らかに、自分の領域に他者が入ってくる日常の関係を描いている。日常的に裸を見せる他者とは誰なのか。ここで、患者と看護人との間の「親密性」ということが問題となる。この親密な二者関係というものは、クロニックなものであるのだ。他方、その関係が続かなくなり関係が無くなるときには、どちらかの死を意味することになる。

Img_4408 この映画の中心となっている「親密性」とは何か。俳優のティム・ロスが演じる主人公の看護人デヴィッドと患者との関係を、3~5ケースにわたって、オムニバスに描いているところに現れてくる。そして、それにもう一つの親密な関係である、デヴィットの娘や息子、さらに離婚した妻との家族関係が絡んでくる。果たしてこの映画の取り上げている、親密な関係とはいったい何だろうか。家族関係との対比において、患者と看護人との親密関係が明らかにされている。

Img_4409 映画冒頭のケースで、典型的な「患者・看護人関係」が描かれている。エイズで終末を迎えている患者サラを、看護人デヴィッドが引き受ける。患者サラがもし健康であるならば、決して他者の世話にならないような、プライベートな身の回りの世話の領域に、看護人デヴィッドは「侵入」することになる。ここには、家族でさえ、入り込めない領域なのだ。家族がサラと歓談していると、デヴィッドはそろそろ帰宅時間であることを告げるほど、親密性の強い関係を見せつけるシーンが織り込まれている。この関係は擬似的な夫婦関係に近い状態まで進むことになる。数日後サラが亡くなって、デヴィッドはサラの葬式に出る。そこで姪からサラの話を聞かせてほしいと頼まれるのだが、それを拒否する。だが、他方見ず知らずの人には自分の「妻」として、サラのことを話して聞かせるのだった。患者・看護人という関係はそこまで親密性を発揮するところまで行くのだ。

Img_1230 もう一つの建築家ジョンという終末期患者のケースでは、もっと印象的な親密関係が描かれることになる。デヴィッドは、本屋へ行って建築書を購入したり、ジョンの設計した家を訪れたりして、ジョンとの親密な関係を強めようとするのだ。この企ては、家族が二人の関係に嫉妬することで挫折することになるのだ。ここまで、侵入するのかと思えるほどだ。ほんとうなら他者を拒否するようなところにまで、本人の親密圏内に入ろうとする。ここでは、家族からデヴィッドがセクハラで訴えられるという誤解が生ずるということも、親密な領域に他者が侵入するからこそ起こることだと考えられる。まさに、患者・看護人関係の本質が現れると同時に、この親密性の限界も示していることになるのだ。

Img_4403 映画の最後のシーンは衝撃的だ。映像技術的にすごいと同時に、親密の二者関係というものの宿命を教えることになっている。二者関係には、片方が崩壊すると継続性のないことを教える。ここが三者以上の社会関係と異なる点だと思われるのだ。

Img_4413_2 さて、今日は朝早く、横浜の家を出て、午前中に千葉幕張で会議に出て、加えて午後からは東京文京学習センターで修士課程の方の研究指導を行い、さらに東京駅から北陸新幹線で長野市へ向かったのだ。泊まったホテルが、善光寺に一番近いホテルという売りのところなのだ。Img_4404_2 それで一番近くの駅である、長野電鉄二つ目の権堂駅で降り、七夕の飾りが連なる「権堂アーケード」を通って、途中の長野市の名画座である、木造造りの古い映画館、相生座「銀座ロキシー」に着く。ここで、「出張先で映画」と相成ったのである。仕事の1日だったが、最後に遊びも加えた充実した1日だったのだ。

2016/07/24

「生活科学」という学問分野はいかにして可能か(II)

Img_1194 放送大学の期末試験は、今が真っ最中である。朝、幕張地区のビル群を横目で見て、青空だらけの道をつき抜けると、千葉学習センターの駐車場が見えてくる。いつも、おはようございますと、玄関で挨拶する守衛さんたちは、自動車の整理に追われて、外に出ている。すでに、駐車場は満杯だ。

Img_1196 最近の関心事の一つに、「生活科学」という学問分野の本質とは何だろうということがある。じつは先月になってしまったが、放送大学博士課程の「生活健康科学」プログラムの報告会という催しが非公開で行われて、オブザーバーとして出させていただいた。わたしの所属する「社会経営科学」プログラムは社会科学で、このプログラムは、「生活科学」を基本的な方法として考えているという違いがある。

Img_1195 報告会の内容については、非公開の場なので、ここで言うことはできないのだが、わたし自身の感想として、「生活科学」と「社会科学」とはどこが異なるのか、という当然の疑問が湧いてきたのだった。それで止せば良いのに、つい口が滑ってしまって、「生活科学」などという学問が成立するのでしょうか、などと素人発言をしたものだから、その場にいた「生活健康科学」プログラムの先生方から随分と顰蹙を買ってしまったのだった。

Img_1191 「生活科学」の源流には、幾つかの流れが存在することがわかっている。社会学では家族社会学やライフコース論などの系譜が存在することはよく知られているのだが、彼らは社会学の流れの中に収まっていて、「生活科学」という形で外へ出ることはあまりない。やはり「家政学」という分野の系譜との関係は深いと見ることができる。個人化の影響を受けて、家庭生活を中心に衣食住を考察してきた家政学が成り立たなくなって、個人が衣食住の活動の中心的な役割を担うようになったという認識が広がったのだ。家政学がその名の通り、家庭生活の中での人間と環境との関係を見ることにあるが、この観点が家庭の中での個人化の進展や、個人と社会とのダイレクトな関係が発展するにしたがって、家庭という視点が次第に失われるようになったと、これはやや早計だと思われる面もあるが、家政学会が積極的に認定してきたことを示している。ここには、社会福祉の進展が社会の側にあったし、さらに「生活者」という個人化の象徴が発達したことが作用しているのだが、果たしてその通りに、生活科学は発達してきているのだろうかという疑問が未だに存在するのだ。

Img_1193 このような事情は知っていたのだが、今回じつは、タイミングの良いことに、生活健康科学プログラムの博士課程のKさんと、二日間にわたって議論する機会を得たのは、幸せなことだったと思う。「経済学研究法」という授業を15回分、つまりは約22時間ぶっ通しで授業を行う、という過酷なカリキュラムだ。けれども、研究法の方は、ほどほどに済ませて、Kさんのテーマに沿って話し合いを進めたところ、この議論が盛り上ったのだった。Kさんはたいへん意欲的で、前の晩から本部に泊まり込んで、レポートを仕上げてメールで送ってきていて、準備万端で臨んできたのだった。

Kさんの博士論文のテーマは、患者と歯科医との関係を扱ったもので、まさに「生活科学」なのか、「社会科学」なのかが凝縮されて、問題状況として出てくる面白い対象だと言える。このテーマに沿ってでさえ、「生活科学」と「社会科学」との違いについて、おおよそ5点から6点の中心的な問題が明らかになったのだ。久しぶりに、議論から練り上げていく論文作成の醍醐味を味わうことができたのは、喜ばしい限りだ。いずれ、博士論文として現れてくるだろうから、暖かく見守っていきたい。詳しいことを知りたい方は、来年には成就されるであろうKさんの博士論文をぜひ読むことをお勧めしたい。

2016/07/23

「生活科学」という学問分野はいかにして可能か(I)

昨年書いた文献紹介の文章が1年あまりが経って、

ネットで公開することが解禁となった。遅ればせ

ながら、再掲させてもらう。

(季刊家計経済研究 2015 AUTUMN No.108

掲載)

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なぜ家計経済研究の方法は転換されたのか? 

・・・『御船美智子論文集』(2015)を読んで

 『御船美智子論文集』が光正館から発刊された。

御船氏が6年前に他界して、かつての仲間たち・

後継者たちが彼女の代表的な著作を集めて編んだ

書物である。御船氏個人の著作活動全体がわかる

だけでなく、彼女が1977年に24歳で一橋大学の

大学院生として著作活動を始め、2009年に55

で「家計経済研究」の中枢のひとつたるお茶の水

女子大学生活科学部教授として研究を終えるに至

る「時代の変化」を感じることができる論文集に

なっている。今日興隆してきている「生活科学研究」

の源流のひとつがここにあることのわかる書物だ。

 「刊行によせて」の中で、岩田正美氏(日本女

子大学)が「(彼女の研究は)家計構造だけでなく、

家計管理組織、生活主体論にまで広げた野心的な

ものに高まっていた。その狙いとするところは、

従来の家計構造の限界を超え、家族社会学やジェ

ンダー研究とも異なった意味での、経済を基礎と

した生活関係の総合的研究であった」と的確に述

べているように、彼女が生き、また研究対象とし

た時代はちょうど旧来からの近代経済学的な消費

経済学や家政学的な家計管理論から脱して、生活

者を中心とした「生活科学研究」が求められる時

代に到達していた。

 全体の章は、御船氏が取り上げた家計経済の

キー概念である「生活経済の体系」「生活経営」

「消費者教育」「家計の長期研究」「家計組織研究」

「生活政策」の順に、全6章が構成され7つの解題が

付され並んでいる。この章の中に、それぞれ2

から5本の論文、全体で18本の主要な御船論文が

収められている。

 これらの論文の魅力は、各章の解題を書いた彼

女の仲間たちによって余すところなく伝えられて

いる。解題を読んで察するに、御船氏の論文は大

きく二つに分類される。ひとつは、色川卓男氏(静

岡大学)、上村協子氏(東京家政学院大学)、磯村

浩子氏(日本消費生活アドバイザー)の解題で代

表されるような、ざっくり言うならば、生活者概

念の「主体性」「自律性」を強調する論文群の存

在である。第2章の解題で、上村氏は「(御船氏は) 

生活の自立と消費者の自立を図るキー概念として、

自律的アイデンティティに注目した。役割を超え

て、統合して生き生きとした生活を営むことを志

向した」という、いわゆる生活創造論を構築した

と指摘する。また、磯村氏は第3章での消費者教

育のあり方として、「消費者自身が主体的な意思

決定を行うためには、学習すべき内容を体系的に

組織する必要がある」と御船氏が述べていたこと

を取り上げている。

 もうひとつの御船論文の方向性は、同じく解題

を担当した中川英子氏(宇都宮短期大学)、重川

純子氏(埼玉大学)、李秀眞氏(弘前大学)によっ

て指摘されている。御船氏が従来の家計簿分析や

家計管理論の限界を認識し、新たな「家計組織研

究」を行ったとする論文群が存在すると考えられ

ている。第4章の解題で中川氏は「狭い意味での

家計では対処できず、家庭生活の経済としての視

点を進め、さらには経済全体を生活の視点で再構

築することも視野に入れ、課題の達成方法を探る」

という家計経済研究に踏み込むべき時代を、御船

氏が感じていたことを指摘する。さらに、第5

の解題で重川氏や李氏が指摘するように、御船氏

は夫婦間における財産形成の不平等性を指摘し、

「ブラックボックス化していた家計の内実を可視化

し、世帯内経済関係のジェンダー不平等を示し、

それを踏まえた社会の仕組みへの提案」をすべき

とする。

 これらの二つの傾向で真に注目すべきは、この

傾向が御船氏の論文特性にとどまらずに、時代を

反映したものになっている点である。色川氏が「は

じめに」の中で、御船氏の「分野別業績数の推移表」

を掲げている。これによると、御船氏の著作は前期、

中期、後期の三つに分かれる。第1に、彼女は前

期の1970年代後半から1980年代前半にかけて、「家

計の現状」分野に力を注いでいたことがわかる。

ここでは、家計の個別化を指摘し、「個計化」と

いう言葉をはやらせている。第2に、中期の1980

年代後半から1990年代前半には、「生活経営」と

「家計組織」分野に重点があり、「家計組織化」研

究をリードした。そして第3に、早すぎた後期の

1990年代後半から2000年代前半には、「生活経済」

に関する業績が最も多いという結果が示され、そ

のなかでは「生活者」概念を家計経済へ持ち込ん

だ研究を集中させている。これらの研究は、時代

の趨勢を反映していた。

 ここで御船氏にとっておそらく最大の問題だっ

たのは、なぜ家計組織研究から生活者の経済研

究へ転換しなければならなかったのか、という点

である。中期において実りある家計組織研究を成

功させていて、家計組織の内部構造タイプを次々

に実証研究で明らかにさせていたにもかかわらず、

なぜ後期においては、組織研究をあえて諦めて、

生活者の経済研究への転向を行う必要があったの

か、という疑問がある。組織研究の実証実績があ

りながら、あえて理念的な生活者概念にこだわっ

たのか、という点が御船氏の示している事実であ

り、かつわたしが疑問とするところでもある。組

織から個人へ方法的関心を移したのは、きわめて

不思議な転換であると思われる。

 推測であることを留保して述べることが許され

るならば、第1に、前期に御船氏が明らかにした「個

計化」という家計の傾向は、彼女の頭のなかでは

意外に大きな位置を占め続けたのではないかと推

測される。共働き所得増大や財産所有の個別化な

どの家計組織に与える影響を予知しており、家計

システムはいずれ崩壊するとみて、これに対処す

る個人概念の考え方を立てる必要を感じていたの

だと思える。第2に、ジェンダー研究からの影響

は大きかった。家計の内部組織研究で、「ジェン

ダー格差」が依然として続いていることを明らか

にしたために、この状況からの理論的脱却を必要

としていた。これは時代の要請でもあった。第3に、

「生活者」という理念に対して、かなりの理論的肩

入れを行っていた。近代市場社会で断片化された

消費者・労働者という概念に対して、役割分業を

超えたもっと包括的な生活者像を御船氏は求めて

いたのである。

 じつは、ちょうど彼女が中期から後期への転換

を終えてしばらく経ったころ、『季刊家計経済研

究』43号(1999)が御船氏とわたしとの対談を

設けてくださった。多くは御船氏の動向をお聴き

して和やかに進んだのだが、唯一かなり鋭く対立

した点があった。それは家計の共通資源・共同資

産などの「家計のプーリング」というシステムを

めぐってだった。御船氏は生活者が存在して、個

人的ネットワークを形成すれば、家計というシス

テムは存在しなくてもよいと主張した。他方、わ

たしは個人的ネットワークが形成されたとしても、

家計システムは存在するし、また保たれるべきだ

と主張した。今になって振り返るならば、その後

の時代は確実に御船氏がおっしゃった方向へ進ん

でいる。けれども、依然として家計システムのプー

リングは存在することも確かである。今となって

は昔懐かしい対立であり、いまだに帰趨は明らか

でないのだが、この点はじつは御船氏が「結節点

としての家庭概念」を捨象する方向へ進んでいた

とする、本書32頁の色川氏解題の中での証言とも

符合することなのである。

 わたしが思うに、この点がなぜ今日でもなお曖

昧なまま残されているのかといえば、「生活者」と

いう考え方が、古い考え方にもかかわらず、「生

活科学研究」の中でいまだに定着できないでいる

からだと思われる。消費者や労働者などのバラバ

ラな役割を統合するとする理想的な「生活者」像

は理念的には素晴らしい考え方であっても、現実

の世界でこの概念が実際に受け入れられるところ

は、消費者概念に比較すればそれほど多いとは言

えない。そのことは今日の消費者庁や消費者基本

法の名称選択においても、残念ながら明らかであ

る。「生活の視点」が重要なことは多くの人が認

めるところであるにもかかわらず、「生活者」とい

う概念が、いつの間にか手垢にまみれて姿を消し

てしまうのではないかと危惧している。

 他方、そうは言っても、じつは最後に申し上げ

たいのは、今回論文集という形で、御船氏の仲間

たち・後継者たちが予想以上の頑張りをみせてい

ることを知ることができたことで、わたしは僭越

ながらこの数年間の彼らの努力に対して敬意を表

し、率直に喜び、同時に最高のエールを送りたい

気分になったのも事実だということである。

『御船美智子論文集』(2015

光生館、2015年、328ページ、3,000円(税別)

 

(季刊家計経済研究 2015 AUTUMN No.108

掲載)

2016/01/11

京都合宿の3日目

Img_2595_2 今日から二日間は、博士後期課程の合宿だ。ところが、今日は成人の日と重なり、放送大学の京都学習センターは休館であり、公共の施設は大方お休みである。それで、奥の手を使って、京都大学医学部の付属施設であるS会館を借りることを大学に認めてもらったのだ。宿を取っている四条から、京阪に乗って、終点の出町柳から、徒歩で百万遍に出て、会館に至る。


Img_2597 島根から出てきているF氏も、程なく到着した。会議室はいくつかあるのだが、一番小さな部屋である和室の会議室を取った。障子を引くと、狭いながらも庭があって、寒椿が咲いている。到着すると、すでに暖房が効いていて、庭へ向かって、眺めの良いところに座椅子を据えて、早速講義を開始する。

Img_2598 講義内容は、経済学研究法ということになっているのだが、ほぼ1対1の講義なので、結局は研究内容に引きつけて、テキストはツマにして、論文作成の話にそれていくことになる。このような雑談がどのような効果を及ぼすのかは、よくわからないところがあるのだが、一括りにして言えば、経済学的な外部効果が働くことになるということになるだろう。Img_2600 ちょっと異なることを題材として、それにプラスして、雑談を加えるようなところで、外部効果のアマルガムを生成してくるというのは、自然科学ではよく見ることころだが、社会科学でも似たようなことが起こるのだろうと思っている。

Img_2604 午前が終わろうとするころには、玄関あたりで、話し声がしてきて、昨日同志社で合宿を行った修士学生のAさんとKさんが現れた。一緒にランチを食べようということなっていたのだ。京大の第2食堂みたいな、近くのレストランへ連れて行くと、ホームページでは「open」になっていたのだが、実際には閉まっていた。仕方ないので、後でコーヒーを飲むために連れて行こうとしていた京大北側にある喫茶店「進々堂」へ行き、カレーランチを食べる。Img_2612 4人くらいで腰掛けると、ここの黒田辰秋の大テーブルはほんとうにゆったりしていて、気持ちが落ち着くのだ。最初にこのテーブルと椅子に会った時には、なんと大袈裟なインテリアだと思ったのだが、このような数十年間変わらずに、しかもこの喫茶店の安定化機能を果たしているのを見るにつき、この木の厚みと温かな材質感が、学生喫茶店としてはどうしても必要だったのだと思い至った。

Img_2605 午後からは、東京からH先生も駆けつけてきてくださって、F氏の研究発表を検討することになった。F氏のテーマは消費者行政であるのだが、今日の「消費者像」の変化とともに、消費者基本法が成立し、消費者庁ができ、消費者教育法が発行されていて、その中で消費者概念をはじめとして、検討すべき課題が山積であり、発表を聞き議論をしていくほどに、問題点が明らかになっていったのだ。

Img_2607 とこのように書くと、表面をすらっと滑っているように聞こえてしまうのだが、今ではすでに当たり前と考えられている「消費者と生産者との分離」というすでに忘れられている近代問題が、現在でも根本的な問題として存在することが理解できるのだった。Img_2613_2 それを「情報の非対称性」と専門用語で読んでみても、また消費者ではなく「生活者」と捉えなければならないと言ったとしても、それで消費の現実を理解したことにはならないと、ということなどが、改めて問題として出てきた。内容については、まだまだ「企業秘密」なので、明らかにはできないのだが、そのうち彼が博士論文として、これらの考え方をしっかりと定着してくれるだろう。期待してじっくりと待ちたい。

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Img_2617 その後、窓の外が暗くなって、宵闇が迫ってくる時間まで、この居心地の良い場所でぬくぬくと、また、えんえんと議論を続けたのだった。この施設の借用が夕方までとなっていたので、京都中心部の隠れ家的な喫茶店に場所を移した。Img_2624 移動の途中、鴨川端に出て、亀を象った飛び石をポンポンと渡り、神々が導いてくれそうな風景の中を歩いていたのだが、突如としてF氏の家族から緊急電話があり、島根のお母様が腕を骨折なされ、手術を受けなければならないという衝撃的な連絡が入ったのだ。今晩はすでに鉄道の便がなく無理であるが、明日の講義をキャンセルしなければならない事態となった。忙しいときほど、このような事故に見舞われるのだ。Img_2642_2 残念ではあったのだが、明日の講義は次回に持ち越しすることにして、せめて今晩だけでも、時間を挽回しておかねば、と静かな場所の座席を占めたのだった。授業としての生産性にどれほど貢献したのかは疑問であるが、そもそも博士課程の授業というものは、このような性格のものであり、考えてみれば、わたしも大学院では、飲み屋さんで多くを学んだという記憶がある。Img_2636 H先生は、英国で博士号を取ったので、毎回論文や報告を持って、添削を受けたという経験をお持ちで、ところ変われば、また領域も変われば、自ずと研究会のあり方も変わってくるということに違いない。

Img_2635_2 喫茶店の名前は。「Kocsi」と言って、わたしの泊まっている宿から数分の距離にあるところだ。二階の窓が大きく開かれた、そして何よりも、長居のできる喫茶店であるところが素晴らしいのだ。これまでも、京都に来るたびに訪れている。その恩恵を十分に活用して、またこの写真に写っているような安楽椅子風のゆったりした椅子が良くて、またまた長く腰を据えたくなってくる場所なのだ。Img_2637 今風の隠れ家的な喫茶店と言ってしまえば、それまでだが、隠れ家的な嗜好が流行る前から、京都の中心部で観光客に毒されることなく、むしろ観光客を巻き込んで、この雰囲気を維持しているのは稀有な在り様だと言える。末長く続いて欲しい喫茶店だ。

Img_2620 今日の椅子は、やはりコチの椅子を取り上げないわけにはいかないだろう。骨太のボウを持つ、ウインザーの原型風の椅子だ。長くこしかけていても、腰を移動させ、背を預けても離しても、どちらでも自由度が効く椅子の作りをしている。どこで作られたのだろうか。この骨太さは、ヨーロッパではなく、やはりアメリカだろうか、などと想像掻き立てられる椅子である。最後におまけとして、先ほどのS会館に置かれていたマッキントッシュ型の椅子も掲げておこう。背板に、近代主義とアールデコ風が混ざっているという特徴がある。

2014/11/01

鳥取での講義第1日目

Img_8086 昨日は激しい雨が降っていて、この連休にはずっと雨が続くのかなと、昨夜の雨音を布団のなかで聞いていた。その場合には、授業の出だしで、「晴耕雨読」だと言うと受けるのだが。ところが、朝になると、陽こそ出なかったが、空模様を伺うと何とか持ちそうになってきた。ここは、「晴耕雨読」を使えなくて、良かったと思うことにしよう。朝、宿から歩いて、10分ほどのところにある、市立図書館の入っているビルの5階にある、鳥取学習センターを目指す。

Img_8090 「人びとはなぜ協力し合うのか」と題する面接授業の開始である。このテーマで、今年は愛知と長野を回ってきて、今回が最後の授業ということになる。準備に2年以上かかっていて、インタビューも豊富に話し合いの題材として使っているので、これで最後にしてしまうのは、なんとなく惜しい気はするものの、来年からの授業ではこれと異なるテーマがすでに出来上がってきているので、終了すべきものは終了しなければならない。今回は、少人数の9名の学生の方々が集まったので、最後に相応しい、こじんまりと、そしてじっくりと話し合う授業を心がけようと思った。

Img_8091 さっそく、教室のテーブルをぐるりと四角に並べていただき、全員の顔を見られるように座ってもらった。わたしが少し話をして、それに対して、続けて、学生の方々の話を聞くという対話形式の方法を今回は取った。少人数の利点を最大限活用することにする。話していると、これまでの放送授業や愛知、長野の授業が思い出されてきて、面接授業の良さがじんじんと伝わってきた。集まった方々は味のある話し方を持っていた。

Img_8093 最初に、自己紹介を兼ねて、自分の半生における「協力」経験を、全員に語ってもらった。若い頃のストライキ進行中の協力活動、小学校でのトーテムポール造りの協力経験、過疎の村での見守りボランティア、職業としての看護、贈り物をして誤解を受けた協力の失敗談、職場での成功体験が崩れ始めている経験、農業会社での協力、子育てにおける夫・家族の協力などなど、これらの話を聴く時が、放送大学に勤めていて良かったと思える時だ。この語り、経験の豊富さは、一般の大学では望むべくもない。

Img_8096 1日当たり6時間近くもある時間の長さを忘れるほど、授業に夢中になってしまった、ということが、信じられないかもしれないが、(もっとも歳のせいもあるのだが、)ほんとうにありうるのだ。それで、時間の経つのは早くて、予定の授業もさくさくと進んだのだった。

Img_8095 夕方になって授業を終えて、教室を出ると、昨年度放送大学を定年退官されたK先生が、待合室から出てきて、ニコニコなさっていた。K先生は、元鳥取大学の先生で、そのあと放送大学へ来たのだ。そして、また鳥取へ再び戻っているのだ。Img_8098 駅から北へちょっと行った、昨日の温泉近くの弥生町あたりに、飲み屋さん街が固まってあり、そのうちの「S」へ入る。K先生の数十年来の馴染みの店らしい。堀こたつ形式のカウンターにドッカと陣取って、さっそく飲み始める。Img_8099 酒は、地元のZSをお燗して出してもらった。また今は、様々な種類のイカが旬で、こりこりとした歯ごたえのあるイカや、肉厚のどてっとしたイカや、刺身のイカなど、どっと出てきたのだった。また、ヒラメの刺身も美味しかった。

Img_8100 積もる話もたくさんあって、酒も肴も美味しかったので、今回の授業では明日までの宿題を出していて、それに取り組んでいると推測できる学生たちには悪かったけれども、鳥取の味を堪能させていただいたのだった。K先生は身体も大きく、飲む方も達者で、最後はウィスキーをストレートでグイグイと飲んでいらっしゃった。夜の更けるのも忘れてしまうほどだった。

2014/09/21

修士OB研究会を茗荷谷にて開く

すっかりよい天気になってしまった。天気予報では、この連休中には、雨が降ることになっていて、いくつかの予定が鈍るのではないかと考えていたのだが、順調に進んでいく。

比較地域研究会の第9回の会合が、茗荷谷の東京文京学習センターで開かれ、OBの面々が集まった。テーマは、Y氏による「ピケッティ論」、S氏による「カントと原爆論」、そしてわたしの「賃金カーブ低下問題」といういつものように、多様な話題が並んだ。それぞれ1時間を超えて議論が続いたので、結局のところ、予定していた時間を大幅に超過してしまう。司会のH氏には、いつも負担を掛けてしまっている。あとの懇親会の準備で、もう一人の幹事M氏が先に会場へ向かったのだが、何時まで待っても、皆が到着しないので、すっかり痺れを切らしていた。

参加者のY氏から、わたしの主宰で「読書会」を行わないか、というお誘いがあり、それも良いな、と思ったのだが、じつは障害があって、現在東京渋谷で、授業としての読書会を行っているのだ。片方が有料で、もう片方は無料で行ったら、近くで開いているのだから、やはり無料のほうへ人は移ってしまい、有料のほうは立ち居か無くなるだろう。ここは、ちょっと考えなければならないだろう。全部無料にしてしまう、という手はあるし、むしろ今はわたしの負担がかなり多すぎるのだから、無料にすれば、参加者が活動してくれ、わたしも仕合せになるかもしれないのだ。

物事は、考え方次第かもしれない。もちろん、現在の東京渋谷の講義も、追加的に報酬が上乗せされているわけではないのだから、労働意欲を賃金が刺激する、という古典派的な経済学の論理で動いているわけではないのだが。

場所は、懇親会に移ってからもいろいろな議論が渦巻いた。M氏は重要な決断を行うそうだ。内容を言うわけにはいかないが、聞いていると、現在の日本の立っている位置が相当流動的になってきており、海外との結びつきが強くなりつつあることを実感する内容だった。そして、夜は更けていくのだが、まだまだ、コーヒーを飲んでいないことに気づき、駅前のコーナーを占めて、もうすこし話が進んだのだった。そのうち、M氏から報告が入るだろうと期待しているところだ。

2014/04/10

新しい研究誌の発行

Photo 歴史学のG先生が、先日の教授会の折、左の写真に掲げた「放送大学日本史学論叢」を持って来てくださった。白地が表紙の多くを占め、ワンポイントの赤の四角が映える、間の感覚が凄く素敵な装丁の雑誌だ。日本史学会は、放送大学大学院修士課程を修了した方で、放送大学大学院歴史研究会所属の方々を母体とした団体だ。G先生を中心とするこの研究会は昨年だけでも4回の会合を開いている。その結果がこの研究誌に反映されている。3本の論文と2本の研究ノートが載せられていて、燃えるような熱心さが表のデザインにそのまま現れているように思えた。

0407 赤が白い線で切り裂かれているのは、おそらく歴史という生のままのものを、研究会の執筆者が独自の切り口で切り取ってやろうという心意気ではないかと思われる。斜めにしかもちょっとずらした場所での切り込みが絶妙だ。また、その中からわずかちょっと頭を出している黒いものは、論文として、表に出したいという控えめな比喩ではないかと解釈した。これはお話を伺ったわけではないので、わたしの単なる推測である。でも、論文を読めば、この小さな黒い意思は相当堅いものであることがわかるのだ。

Hp さて、今度はこちらの研究誌についてである。昨年から制作を依頼していた、研究誌「社会経営研究」「社会経営ジャーナル」のホームページが出来上がってきたので、さっそく4月から刷新した。洋服を身体に合わせて造るように、ホームページの場合には、そのサイトの性格があって、それに合わせて造っていただくことが大切である。

この点では、最初に情熱があって、熱くこういうのが良い、と伝えるのが良い結果を招くと言われているようだが、そこには留保が必要であることを学んだ。自分で造ってしまうことの危険がいくつかあって、自分の思い通りに造ってしまうと狭隘な工夫しか盛り込めない。今回は、最大限デザイナーの方の可能性に依存した制作を心がけた。

ふつう研究誌というのは、科学的な権威というものがあって、一緒に造るというよりは、「掲載してやる」という発行者目線で造られている場合が多い。「査読」制度の存在は、その最たるものだ。今回のサイトでは、何とか一緒に作ろう、という点を出したかった。結局、執筆者と編集者と読者とが最終的に一体のものとして感じなければ、雑誌を出す意味が半減してしまうのではないか、と思っている。

テーブルや椅子の比喩を使おうとなったが、それは会合における会話というものが、それぞれの出席者と全体との合一の中で、形成されることがあって、この雰囲気を大切にしたかったのだ。

合同会社TOさんにお願いして、この点を工夫していただいた。年輪を重ねたテーブルは、木工の部門を持っている、Tでなければ登場しなかったに違いない。暖かさや丸さということをこのスクエアな空間の中に造り出すには、やはりデザイナーの力でないと可能ではない。ここが重要だと再認識した。

もう1つお願いしたのは、指示物の明確さである。どこに何があるのかを文章がずらずらと並んでいるとなかなかわかりづらい。それで、ウェブサイトの表示では、矢印風のデザインを特別に作っていただいて、研究誌の掲載されている場所をかなりはっきりと表示した。この点も、わたしたち素人では、ちょっとした操作でもなかなかできないものだが、きれいでバランスの取れた具合で制作してくださった。

これらの結果、昨年度作っていただいた電子書籍の定型で表示した研究誌と機関誌がたいへん見栄えする形で掲載することができた。ちょうど第2号目の募集時期にも間に合って、今年一年、この成果が発揮されるだろうときたいしているところだ。

現在、放送大学大学院も13年目に入り、修了生もちょうど10期生ということになった。この節目の時期に、新たな雑誌が次々に発行されるのはたいへん意義深いと思われる。内容がそれにともなるように、精進を続けたいと思う。「放送大学日本史学研究」の雑誌発行を張り合いにして、「社会経営研究」の論文内容もより充実していきたいと考えている。

http://u-air.net/SGJ/

一度、御覧ください。

2014/03/29

東京文京で比較地域研究会が開かれた

Ghrpp 東京文京学習センターに20名が集まって、恒例の比較地域研究センター研究会が開かれた。今回は第8回になる。放送大学大学院も修了生が10期になり、節目を迎えている。そのこともあり、今月には、経済学分野のこの研究会が開かれ、さらに天川ゼミのガバナンス研究会が、来月には神奈川学習センターで開かれる予定だ。

Rtnlq 今回、修士論文発表でM氏が、そして研究会発表として、U氏と、Kさん、Aさんが壇上に立った。コンビニの福祉サービス、銀行店舗の地域分析、障害者雇用、近江商人など、多彩なテーマが並んで、いつもながら問題意識の多様さに驚く。

Rrbp6 今回は発表の興味深さと同時に、質問や議論の活発さが目立った。これだけの多彩なテーマが並ぶと、誤解や認識不足も起こってくるのだが、それを「乗り越えようとする気分」が醸成されるのが、79ed1 放送大学大学院での議論の特徴だと言ってよいと思われる。後の懇親会でも、司会進行を行ったH氏が、感想としてこのことを述べていた。党派性をはじめから持った議論ではなく、柔軟な応対が特徴として出ていたと思う。

Rrbp6_2 この「乗り越えようとする気分」が、なぜこのような時に発揮されるのかといえば、やはり大学院でのゼミで議論を積み重ねてきた、累積された習慣の重みは大きいと思われる。議論が激しくなればなるほど、その激しさをどこまで追求し、どこで引くのかを心得ていなければならない。この辺の平衡感覚が必要とされている。Vel72 この基底にある理解が存在していることがわかっていないと、このような場外的な議論はできない。この激しい議論のあと、お互いにニコニコしながら、お酒を飲むことができるということが、「乗り越えようとする気分」には含まれているのだ。

Rsbpc 帰りに途中下車して、酔いを覚まし、少し腹の足しに食事をするために、本郷三丁目近辺を散策する。交差点を東大へ向かって二本目を左におりて行くと、菊坂へ出る。Img_5077 この道は不思議な道で、上通りと下通りがあって、並行して道が走っている。上のほうが10メートルほど高いところを通っていて、谷底の道が下を通っているのだ。

Img_5079 今は上通りが広い道なので、自動車道路となって、往来も多いのだが、徒歩が主だった頃には、おそらく下通りが栄えていたのではないかと推測される。ここは、明治期に樋口一葉の住んでいた長屋のあったところとして、文学者たちには有名な場所だ。知らないで通り過ぎてしまったのだが、後戻りして、石畳が綺麗に敷き詰められている路地を突き当たりまで行くと、一葉時代にも存在していたという、井戸がある。まだ、ほんの少しだけ、当時の感覚をなぞることができそうな、家並みがあるのだ。

Img_5085 それから、これは偶然だったのだが、宮沢賢治の東京宅というのも、このすぐ近くにあって、文京区の立看板がそれを教えてくれる。賢治の最晩年に病気を押して、東京でセールスマンとして、働き始めるのだが、その下宿先は神田駿河台であったはずだから、ここはその何年か前に本郷に勤めていた時の宿Img_5087 だったと思われる。東京に住んで、山手から転げ落ちる場合に、上野のほうへ転げ落ちれば、華やかで政治や経済へ向いたかもしれない。けれども、反対側に転げ落ちる人びともたくさんいて、生活はうまくいかなかったかもしれないが、文学へ向いたのだ。樋口一葉も、宮沢賢治も、こちらのほうに属していたのだと、改めて認識したのだった。

寝ざめせし よはの枕に 音たてて

    なみだもよおす 初時雨かな (一葉)

2013/01/01

元旦に、「ひとりで勉強する」

0101「ひとりで勉強する」ということは、どういうことなのでしょうか、と先日の面接授業で質問された。放送大学生らしい問いだと思った。その方は、午前中に放送大学のTVを視て勉強を行って、午後から家族や友人、地域の会へ出かけるそうだ。それで、午前中には何をやっているのか、といつも訊かれるそうだ。

0101_2さて、元日になったのだが、今年のテーマとしては、これはたいへん良い問いではないだろうか。「ひとりで勉強する」とは、いったいほんとうのところ、どういうことなのだろうか。先日、A先生と雑談していたら、やはり同じような質問を、学生から受けたそうだ。放送大学の学生は、周りの人びとから、ちょっと「変わったこと」をやっている人ではないかと、思われているのだが、その視線を跳ね返すだけの何らかの理由があるはずなのだ。

0101_3この問い自体に気づくことが、たいへん素晴らしいことなのではないか、と思っている。学生の方だけでなく、じつはわたし自身が思っていることでもあるのだ。もちろん、学問的な知識を蓄積するためには、読書などの孤独な作業が必要であることは、普遍的なことだと思われるが、それ以上に、周りからちょっと離れてみる時間を作ることは必要で、離れてみて初めてわかることもあるのだ。集団を知るには、凝集性を高めるばかりでなく、じつは孤独が必要なのだ。「ひとりで勉強する」過程で、勉強以外の外部的な効果が生ずるのだと、じつは言いたいのだが。

0101_5元日には、妹夫婦がきて、いつものガレットと、ケーキとクッキーを両手いっぱい溢れるほど持ってきてくれた。いつもながら、お菓子の国が誕生した。さっそく、ガレットを切ることにする。ここに仕組まれた、アーモンドの一粒を引き当てたのは、今年は娘だった。祝福あれ。0101_6もっとも、わたしのほうは幸運の祝福より、食欲の至福だ。アーモンドクリームと、外皮が程よく焼けていて、ほんとうに美味しかった。さらに、フルーツケーキはキッシュの味が濃厚に染みこんでいて、ひとかけらを口に入れただけで、大げさでなく天にも昇る思いだった。糖尿病になっても本望だ。スイーツへの欲望は、まだまだ発展途上だ。

0101_7夕方から、明日の箱根駅伝に影響を受けたわけではないが、マラソン陸上部の物語である映画「風が強く吹いている」をDVDで観る。三浦しをん原作のスポーツ小説だ。出だしが良かった。太陽に向かってただ走るフォームが、いかにも疾走している風をしていて、ほんとうに速そうなフォームに撮られていたのだ。それで、「走るとはどういうことか」という問い掛けが絶えず繰り返されることになるのだ。

0101_8何故走るのだろうか。道があるから、走るのだ、という個人的で即物的な理由も大事だろうが、「ひとりで走る」理由と、「集団みんなで走る」理由と、二つの理由が同時に存在するのが駅伝の良いところだろう。映画の中では、ランナーとして走っている間は「ひとりで走る」のだが、駅伝ではチームとして走ることもあると強調していた。

0101_9さらに加えて、走る「理由を見つけるために走るのだ」という自己撞着的な回答が最後には用意されていた。ひとりで走る理由と、みんなで走る理由のズレを、埋めてピッタリ合わせるために、走って答えを見つけることもあるのだ。

0101_10放送大学生の勉強も、似た面があるのかもしれない。なぜひとりで勉強するのだろうか。彫刻の制作はひとりで行うが、作品はみんなで鑑賞するものだということかもしれない。

社会経営研究配布中

  • 2015study

社会経営ジャーナル配布中

  • 2015journal

開いている講義    「社会的協力論」

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「音を追究する」第13回・第14回

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「多様なキャリアを考える」第2回・第3回・第4回

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「グローバル化と私たちの社会」第11回

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。