カテゴリー「コミュニティ関係」の投稿

2016/09/03

夏の仕事の打ち上げ(三蔵呑み歩き)

Img_4685 今日は、打ち上げの日だ。前月から学期中に溜まっていた教材執筆および原稿執筆の仕事を片付けるために、山ごもりを行っていたのだ。通信が届かない山奥なので、ときどきは届くところまで出て行っていたのだが、やはりメールがままならないというのは、すこぶる不便であり、同時に原稿作成のためには、すこぶる便利なのだ。Img_4717 約1カ月間で400字詰め原稿用紙300枚分の仕事だと宣言してしまったので、今日でひとまず打ち止めとして、成果をまとめる日となった。ほぼ目標は達成したのだ。

これはほんとうに「おかげさまで」という状態で、枚数だけは上回る成果を上げることができ、むしろ削らなければならないという事態になったのは、上々の成績だと思われる。Img_4695 例年、この9月の第1週には、自己中心的な事態ではあるのだが、わたしの仕事達成に合わせて、信濃大町で「三蔵呑み歩き」という催しが行われる。呑み歩きを楽しみとして、仕事を打ち上げるということだが、原稿のせいで自己中になっているのだ。

Img_4720 街には古くから営業している造り酒屋が北と真ん中と南に三軒あってそれぞれ特色ある清酒造りを行っている。辛口を特色としていたり、甘口を売りにしていたりする。この時期少し暇になるのだろうか、仕込みの前の時期に合わせて、6~10種類平均の蔵出し試飲会を三蔵共同で行うのだ。参加証となるお猪口を買った人は飲み放題なのだ。Img_4725 お猪口1杯に50ミリリットル(昨年は20ミリリットルと書いてしまったが)入るとして、20数種類のお酒を飲むのだから、やはり1リットルくらいは飲んでいると思われる。昨年は、6000の参加お猪口が完売したようだから、今年は8000くらいの人数が出るものと考えられている。

Img_4722 季節の仕込みで「秋あがり」という名称の清酒が、フルーティな味で出される。これが共通項だ。各蔵それぞれで提供されるが、それ以上に他の種類にも、特色のあるものが多い。Img_4791 たとえば、今年旨いと感じたのが、ドブロク系のものだ。完全に濁っている、というよりも、酒粕が液状化したもの、というくらい濃密なドブロクが売られていて、これはすぐに腐敗するので、このイベントでしか手に入らないのだそうだ。そういえば、瓶も通常の一升瓶や720ml瓶には入っておらず、はちみつ瓶のようなものに入っていて、どろっと出てくる。Img_4785 というようなものもあるし、同じにごり酒でも、ほんの少し濁っているだけのものもあるのだ。いずれにしても、にごり酒系のホンモノは、その場でしか置いてなく、これで打ち上げをすれば、気分も違ってくるのだ。

Img_4735 さて、大盤振る舞いだと感じさせるのが、これらの試飲の中でも、大吟醸が数種類含まれていて、これらはコクがあるし、フルーティだし、確かに美味しいのだ。でも、呑んべえたちはこぞって大吟醸へ殺到するのかといえば、必ずしもそうではない。Img_4747 消費テストで、目隠ししてどれが美味しいですか、というテストがあって、通常価格の高い商品が美味しいものだ、と認識されやすいという結果が出ることが一般の消費テストでは知られている。けれども、本物の呑んべえは、価格ではないのだ。Img_4751 それを示しているのが、この三蔵の中のH酒造の社長が行っている、お燗の酒のコーナーだ。ここでは、口の中で強いと感ずる酒が好まれる。「とどろき」と言っていたかな。時には、この社長はお酒を振ってから、提供して、空気にさらすと美味しいですよ、と勧めるのだ。

Img_4730 このような呑み歩きのコミュニケーションの手段は、酒であって、決して言葉ではないというところが、「酒中心である」という意味では納得もするが、ワインの試飲のように言葉で確認するという機会が、清酒の場合には、あまり用意されていないのは、ちょっと寂しい気もしないでもない。作り手の話をもう少し聞きたい気がするのだ。Img_4768 でも、わたしとしては、閉じこもっていて、内向的な生活が続いた後に、このような青空のもとで清酒をエンジンに歩き回るのは、気分を外向的にしてくれて素晴らしい。最高の打ち上げとなったのだ。

Img_4705 今日の椅子は、三蔵呑み歩きの前にランチを食べに寄った、「麻倉」でY氏の椅子に久しぶりに腰掛けた。相変わらず座りやすい椅子で、どうやらこの展示場とレストランに常設されているらしい。O氏とY氏の合作だという椅子も置かれていた。こちらも綺麗な椅子だ。Img_4699

2013/04/12

妻から伝染したこと

Img_7596 妻から伝染したことは、たくさんあるが、中でも気に入っている伝染病は、海辺を眺めることだ。五島列島での海辺眺望は、いまでも瞼に浮かんでくるほどだ。島の中まで食い込んでくる海が流れていき、色彩が時間によって変わっていく。それを眺めて、ぼうっとする。海が世界との関係を媒介していると思うこともあるくらいだ。

Img_7598 とりわけ、海を観ながら仕事をする、という贅沢な趣味に浸ったのは、門司港だった。跳ね橋が窓の下にあって、運河に流れ込む海を観ていた。風の強い日はグレイかかった風景が海を覆い、晴れた空の真下の日には、海も真っ青で仕事につかれた身体を散歩に誘うのだった。

Img_7605 けれども、日常のなかで、ちょっとうちを出て、仕事の帰りに寄るところがあるとなると、そのような都市はなかなかない。海岸の海辺に文化的な集積の進んでいるのは、神戸と、この横浜くらいだろう。海辺に出てぼうっとするところが常に準備されているところが、横浜の良いところだ。山国育ちのわたしにとって、海は想像力を運んでくる流動物なのだ。地方都市に出ると、もちろんホテルなどは海辺にたっていることはあるのだが、横浜では、それほどお金を掛けずに、海辺に展開する喫茶店を確保すれば、そのことが簡単に可能なのである。

Img_7613 大学の講義もスタートから二日目を迎え、ようやく身体が動いてきた。この感触は大事だ。それで、K大からの帰り道、根岸線に乗って、桜木町に出て、海岸通を目指すことにする。駅の広場を横切って、弁天橋をわたる頃には、大岡川の上から、海方向へ向かって、みなとみらい地区のビル群が見えてくる。この辺は、大規模開発地域なので、まだまだ街に馴染んでいない。あと百年もしたら、もうちょっとこのよそよそしさが消えてくれるのかもしれない。

海岸に沿ったビルには、赤煉瓦の昔からのビルが残されている。これらが今も使われていれば、この地域ももっと違う展開を示していただろう。都市計画が往々にして陥りがちな欠陥をさらけ出している。手を入れすぎてしまって、機能が単調であるのだ。したがって、人が集まらないことになってしまっている。

Img_7610 それで、ここから、もっと昔のビルがそのまま使われている地区へ入っていくことにする。典型的なのは、日本郵船ビルだ。現役としてビジネスに使われ続けてきた重みが残っていて、近代ビル以前の良い建物だと思う。

Img_7620 その隣に、戦後すぐに建てられたビルがあり、その奥が今日の目指す喫茶店というのか、スタジオというのか、本屋というのか、何れにしても多面的で面白い場所になっていることは確かだ。この倉庫を改造した、いくつもの働きを集積した場所は、魅力にあふれている。ほんとうに採算に合っているのか、心配なくらいだ。二階、三階もあって、きょうは、ライブも計画されているとのことだった。カフェ「BA」だったが、途中からパブにかわって、パブ「BA」となった。

Img_7624 ここの大テーブルを一人で独占して、午後の仕事を始めた。コーヒーは苦み系の味だ。海辺が見えるのだが、ドアを通してなので、直接観たいと思う客は、 外のテーブルに座って、仕事をしている。ゆらゆらと小波が動いて、このリズム感が仕事に良い影響を与えてくれる。

天井が高く、場所がゆったりしているので、遠目に座っている客たちの動静も気にならない。間を埋めている商品の本たちが、音を吸収してくれているようだ。使われていない倉庫がたくさんあって、これらを再利用できるというのも、横浜の魅力だと思われる。

Img_7630 二時間ほど、海辺の仕事をせっせとこなし、肩こりがしてきたところで、コーヒーをあきらめて、ビールに転換する。この店には、横浜の幕末に流行った、赤い三角のトレードマークが鮮やかな、バス・ペール・エールがおいてある。甘みのあるエールで、日本人好みだと思う。Img_7632 このころには、演劇を見に来たような、中年の女性客や、近くの芸大の大学生たちが集まってきて、客層の多様性を見せることになる。酔いが回ってくる頃、そろそろ今日は店じまいだ。海岸通、本町通、相生町を抜けて、伊勢佐木町から電車に乗った。

2013/03/10

学習センターの「多様性」はいかに可能か

0310k 神奈川学習センターの年次例会となったK-サポート発表会と、歓送迎会が行われた。新旧の学習センター所長と、新旧の事務長が同時に変わるというので、学習センターにとっては、大転換の季節となった。本部所属となった、わたしの出席するのもおかしなものだが、開所以来の付き合いということで、特別に呼ばれていると勝手に思っている。学生の方々には、また神奈川学習センターへ戻ってくるのですか、などとお世辞?に言ってくださる方もいて、実際のところ、呼ばれてたいへんうれしい限りだ。

0310k_2 今日感じたのは、学習センターの「多様性」ということだ。ここ数年にわたって、このサポート参加者は、最初はかなり限られた学生の方々と一緒に行い、つぎにそれを上回る人数の方々が加わり、そして最後はすべての学生の方々へ向かって、この多様性が広がってきたのだ。その最初の限られた学生というのは、どこの学習センターにもある同好会を母体としていた、だから今でも同好会の協議会というのと、0310k_3 このK-サポートとの関係は不分明ではないかと思われるのだが、そんなことはどちらでも良いだろう。実質的な活動がどんどん成立していけば、問題はない。いずれにしても、学生たちの活動の幅が広がったことは間違いないし、この「多様性」のあり方がたいへん良いものであったということも間違いないだろう。

0310k_4 たとえば、今日報告されたなかに、小さな組織というものの多様性のあり方が示唆的だった。それはわたしも属していた、K-サポートの「地域貢献グループ」のあり方だった。このグループは、Fさんを中心に活動を続けてきて成功した例の一つだ。それは、とくに11月に催されるウォーキング会に特徴がある。昨年には、100名規模の参加者を数えた。これに対して、今回このグループは、参加者の数を5分の1程度に制限したいと提案したのだった。それはもともと地域中心の小さなコミュニケーションを成り立たせようと活動を計画してきたのであり、規模が大きくなることが目的ではないからだ。たくさんの人が参加するから成功しているのではない、という主張には観るべきものがあると、思ったのだ。

0310k_5

実質的に、道路を歩いていくのに、10人くらいの10グループが列をなしていくのは、安全面や管理面から無理があるらしいのだが、それ以上に、少人数で行うことに意味があると、わたしは思う。実質的に3~5人のグループで、相互の意思疎通が可能になるだろう。この対話の規模を考えるならば、やはり100人という数字は大きすぎると思われる。結局のところ、人々のコミュニケーションを成立させることが、ウォーキングでは最終目標なのだから。

というように、何が成功の目安になるのかは、現場の判断がものを言うということであり、さらに人々の重なりを増すような「多様性」のあり方が問われていると思われる。

0310k_6 発表会が終わってから、歓送迎会は関内の立派なパーティ会場に場所を移した。ステージがあって、そこにあがると、照明がとてもきついのだが、何かしゃべらなければならないという気にさせる場所を保証している。そして、何かこれまで小さいことは良いことだ、と話していたのに、急に大きな場所に連れてこられてしまった、とちょっと思ってしまった。それにしても、K-サポートのKさん、同窓会のKさんをはじめ、数十名の方々に感謝したい。それから、こんなに大勢の写真を取ってくださった、いつもカメラマンに徹しているKさんにもお礼申し上げたい。米粒ほどの顔になってしまって失礼かもしれないが、かえって肖像権が消えてよいのかもしれない。全員の写真を掲載させていただくが、大方の許しを乞う次第である。

2012/04/24

車で追いかけられ、兵士に銃を突きつけられたら、どうするか

Photo_5世の中で最も行きたい場所と、最も行きたくないところを挙げなさい、と聞かれたならば、前者はたくさん挙げることができるが、後者については、わたしには想像力が欠如していて、そうたくさんは挙げることができない。けれども、この映画をみたら、一つ追加することができるだろう。

ほぼ確実に死ぬかもしれない場所は、最も避けたいところだ。「ルート・アイリッシュ」という道路は、世界でも珍しくテロが多発する場所として知られているらしい。この道路は、米軍区域とバグダッド空港を結ぶ道路で、アルカイダをはじめとして、現地の戦闘ゲリラ隊が目を光らせ、常に襲おうと手をこまねいているところだ。もしここを任務で、一日何回も往復させられたとしたら、それは他殺に近い行為だということになるということだ。

映画「ルート・アイリッシュ」(ケン・ローチ監督)を、千葉劇場で観る。物語は、このルート・アイリッシュ道路で車が炎上し、友人のフランキーを亡くした元民間兵のファーガスが、この友人の死に疑念を抱き、預かった携帯から事件を解明して行くことが始まりとなる。イラク戦争での民間兵、英国へ帰った民間兵の喪失感、残された遺族、妻レイチェルとの違和感、組織の硬直性など、社会問題とサスペンスの中間を狙った映画だと思う。

問題は、国の軍隊ならば、その軍隊の行動は最終的にはその国に帰属するものだと言えるけれども、民間兵の場合には、国が雇ったからと言って、その国の責任になるのか、という点である。おそらく、民間兵の行動は、国の軍隊よりは自主的な判断で行動することが許されていると思われる。命令が気に食わなかったら、最終的には、民兵を辞めれば良いからである。

そうすると、民間兵の責任は誰が取るのだろうか、という疑問が湧いてくる。イラク戦争では、戦後のイラク議会で「民間兵の責任を問わない」という法案が可決されてしまった、とこの映画は伝えている。戦争が何らかの合理的な説明で解決できるものではないことは知っているとしても、このようなルールのない命のやり取りが行われていることが、実際のところ真実なのである。

最後は、戦争の連鎖は報復を以って閉じており、戦うことがコミュニケーションの元にはならないことを、苦々しく伝えている。それにしても、銃や爆弾の使い方が、これほど日常化しているのは、常に戦争状態であることを、彼らは認識しているからに違いない。わたしたち日本においても、このような戦争状態を想定した日常生活を暮らすことができるだろうか、実際には、このような戦争状態が日本にも存在することを想像できるだろうか、ということをこの映画は突きつけている。

2010/12/31

「南天」の生態ネットワーク

Photo 実家へ向かっている途中で、電話をすると、母がお供えの仏花を忘れてしまったので、買ってきて欲しいという。駅前の花屋さん、あれここはコロッケ屋さんだったのじゃなかったっけ、に寄って、花束を買った。白い紙に包まれた束を見ていくと、ちょっとずつ中身が違っていて、どれを選んだらよいのか迷って面白い。この店は、保存用の液を付けてくれるので、向かいの花屋よりも客が入っている。

近頃は温室栽培が中心を占めているので、どんな花でも包みの中に入っているが、冬の仏花の定番は、やはり松と、それからこの「南天」(この写真の実は、母が言うには「千両」か「万両」らしい)である。これがヒイラギでも一応許せるが、やはり南天でないと寂しい。

Photo_2 と言っていたら、ヒイラギだらけの塀があって、ちょうど正月用に刈り込まれて、赤い実だけが露出していた。これを見ていると、正月というより、クリスマスになってしまう。やはり、正月は南天でなければならないかな。

わたしが南天になったつもりで、ちょっと想像してみた。なぜこの「赤い実」を付けなければならないのだろうか。目立ちたがり屋なのだろうか。そんなことはない。赤い実は人を惹きつけると同時に、遠ざける効果を持っているのではないだろうか。

Photo_3 南天は、とくに赤い実が目立つから、格好の鳥の標的になるはずである。赤い実が目立って、鳥を惹き付ければ、体内に取り込まれ、運ばれ、種が遠方まで運ばれる効用があるだろう。そこで、食べられた実は、体内から出るときに、種となってその土地に芽を出すことになる。それで、南天の「種の保存」が広い地域にわたって可能になる。ここに南天と鳥による自然生態系がひとつのネットワークを形成することになる。

この話には、じつはいくつかの留保が必要だ。じつは南天には毒素が含まれているというのだ。ほんとうのところはわからないが、もしほんとうならば、薔薇の花と同様に、美しいものには棘がある、ということになって、南天の実は食べられずに、鑑賞用として枝にそのまま保たれ、その土地にしか実を結ばない植物、つまり場所に依存する植物であるということになるだろう。

さて、どちらがほんとうだろうか。赤い実で鳥を惹き付け、遠くに実を飛ばしているのか、それとも、毒の実をつけて、赤い実は観賞用として付けているに過ぎないのか。どちらがほんとうなのだろうか。再び、南天の身になって考えてみよう。わたしが南天なら、遠くへも行きたいし、永く赤い実を付けてもいたい、と考えるだろうな。どうも文献によると、南天の毒素はたいへん緩いらしい。だから、食べたとしても、緩い下痢を起こす程度ではないかと想像する。ということは、ある程度食べられもするが、かといって、すべて食べられてしまうほど美味しいものではない、ということだ。消化されることなく、体内をスムーズに通過したほうが、実のためにもよいかもしれない。

2 南天に生きる戦略というものがもしあったと仮定するならば、それはかなり高級な「赤い実」大作戦だったのではなかろうか。それで思い出したのだが、わたしが小学校時代を過ごした松本市は、水が豊富で、その水が流れる敷地沿いには、かならず生垣があって、その生垣に多かったのが、松なのか低木の松状の葉が付いて、やはり赤い実がなる生垣だった。それで、その赤い実は食べることができて、甘いのだ。友達と道草をしながら、摘んだものだ。

小学生が食べられるのだから、当然動物たち、とくに鳥たちは啄ばむことができる。それは柿と同じで、甘柿は食べられるが、渋柿は残るという自然法則が存在する。柿のネットワークはこれでできていると聞いた。つまり、もし近くで柿の木が増えたならば、それは渋柿であり、もし遠くにあって柿の木が増えるのであれば、それは甘柿になるのだ。

2008/02/18

旧さの承認

080218_112802 大阪滞在は、淀屋橋近くの宿だったが、ここから本町にかけては、K大のKさんが博士論文で取り上げた道修町、平野町が続いていることに気がついた。老舗があって、Kさんからも推薦を受けていた。

そこで、文献収集、取材は午後に回して、この街の様子を観て歩くことにした。 080218_112801 先日は夜になってしまったが、日本銀行の建物は、遠くから見ても、また近代ビルのなかに埋もれていても、決して負けてはいない。(でも、写真ではちょっと負けているかもしれない。)威厳は守っていると思われる。おそらく、威厳という権威付けの点では、当初からの目論見だったのだろう。

他方、180度目を転じると、70数年前に都市整備されたときの御堂筋の広い通りが、直線的な美しさを誇示している。

080218_104302_2080218_104401今橋からすこし入ったところに、大正時代の建築「大阪倶楽部」を見つけた。スペイン、アラビア風といってよいのだろうか。洒落た煉瓦の壁が、周りの画一的な白い建物のなかで、たいへんよく映える。近くによって良く見ると、柱には彫刻が見られ、窓枠も飾りが凝っていて、ステンドグラスが一段と良く見える。倶楽部の方がたの社交心は、このような中核となるような建物という表現を得て、はじめて具現するのであることを認識した。したがって、これは建物という物的なものを越えて、いわばシンボルとして働いているようにも見える。

080218_104901_2伏見町の角に、日本家屋(たぶん、商家)が残されていて、錢高組の管理下にあるらしい。建物の前へ、美味しそうなお弁当の屋台を出していた女性の方に聴いたけれども、何の建物だったのかは知らないという。

すきのない建て方をしているところから察するに、質屋さんか金融業の家、という感じがしてくる。

旧いものを残す、ということは、たいへん難しいことだな、とこの家を見て感じた。つまり、現代に活かすことに手を焼いているのである。そのままの形で生かすことができるなら、このように門を閉めて、誰も住んでいない状態を放置することはないだろう。

周りの環境から、如何に遊離してきているのかということが、如実にわかる。つまり、問題は、素材があってそれ自体をただ単に、残せばよいと言う時代は終わって、いかに全体や環境の中で残るかということに変わってきているのだ。

昼食の場所を探したが、老舗ともなると、開店にたいへん時間がかかるらしい。Kさんからは、ガスビルの食堂、スエヒロ、美々卯本店、などの推薦を受けていたのだが、11時半にならないと開かないといわれたので、11時から営業している店を探す。

幸い、美々卯の系列店だろうと思われる、コンクリート打ちっぱなしの建物の店があり、天ぷらご飯とうどんがセットで、安いランチとなっている。本店に近いだけあって競争原理が働くのだろうか、粘り強く腰の強いうどんは、たいへん美味しかった。たれも薄味だが、とてもだしが効いている。

お腹の一杯になったところで、午後の資料収集に出かけることにした。

2008/01/07

チラシ・ビラ・ポスターを配る

先日この欄で宣伝した神奈川学習センターで行う「沖縄料理の栄養調査」に参加するボランティアを募るために、久しぶりにポスター貼りとビラ・チラシ配りを行う。

4年ほど前までは、神奈川学習センターで機関紙を発行していたので、その宣伝活動でたびたびポスターつくりを行ったり、ビラ配りをしたりしていたので、経験がないわけではない。

けれども、このところ数年間は、まったく行っていなかったので、なんとなく勝手がうまくいかない。きょうは、近くの区役所へいって、ポスターを貼らせていただく。内容については、かなり知っているつもりなので、説明を求められればそれにお答えするのだが、なんとなく気が乗らない。

なぜかと言えば、ちょっと勝手過ぎると思われるかもしれないが、自分の作ったポスターを貼るのか、それとも他人の作ったものを貼るのかで、やはり違うことがわかった。ポスターやチラシには、その宣伝する人の個性や特色が如実に現れるのだ。したがって、貼り出すことをお願いするときの押しの強さがそこで出てしまうのだ。

ポスターのデザインが悪いわけではない。むしろユーモアがあって、好ましいポスターである。それにもかかわらず、それを宣伝する上で、気分が出ない。もちろん、わたしの性格がこのような事に向いていないわけではない。区役所の担当者にも宣伝して、興味を持ってもらうことにも成功した。だから、気が乗らないというのは、単にチラシ・ポスターが自前のものでない、ということに起因している。

じつは、わたしの研究室には、ある無名のピアニストのチラシが貼ってある。これが素晴らしいのだ。さぞかしピアノの音も良かったに違いないのだと期待を持たせるようなチラシがありうるのだ。

それから思い出したが、英国のケンブリッジに行ったときに、泊まったB&Bにおいてあったトリニティ・カレッジの聖歌コーラスのチラシ(Fliers)も、シンプルで素敵だった。単に黄色の厚紙に、トリニティのシンボルが掲げられて、その下に日時などの必要事項が記されているだけだったが、きわめて単純に宣伝効果をあげているチラシだったのだ。

もしこのようなチラシ・ポスターだったら、本当に身を入れて宣伝活動を行うところだ。やはり、デザインというのは、大切だと思う。その宣伝にぴったりあうようなチラシやポスターがあれば、自ずと説明にも身が入るのだ。宣伝は、かなりの程度、その本体を反映する、と言ってもいい、と考えている。

2007/06/20

幕張の快晴

070620_125902 今日も快晴だ。日差しが厳しく、気温が30度を超える日中となった。けれども、 流れる風は涼しく、意外なほど街を歩くとすがすがしい。

海浜幕張の駅から、CMでよく使われるNTTビル、住友ビル、エプソンビル、キャノンビルなどの立ち並ぶ幕張のビジネス街を抜けて、IBMビルとカルフールの間を通るころには、汗が吹き出てくる。

070620_125901_1 昼に、研究室の扉を開いて外に出ると、久しぶりにS先生とばったり会った。昔は、こんなに30度を越えませんでしたよね、とおっしゃる。

たしかに、その通りで、わたしの小学校時代に夏休みの宿題で、毎日の気温を測ったことがある。信州の松本だったこともあって、ほんとうに数えるほどしか、真夏日はなかったのを覚えている。

当時は、気象庁の情報がかんたんに手に入るわけではなかった。毎日自分で気温を測り、NHKラジオを聴いて確認をしていた。

そういえば、雷に打たれて亡くなってしまった友人T君がいて、お母さんと一緒に毎日ラジオを聞いて、気圧を日本地図に記入し等圧線を見事に描いていた。気象に憑かれていたかれが、まさか気象現象の雷で死亡するとは、なんということだろうか、と当時はその不条理がわからなかった。

こんなことが起こるのも、夏の暑さのせいなのだ。それにしても、コンクリートの街、幕張の街は、やはり暑いのだ。

2006/06/26

「アイボリーの財布」をめぐる関係

事件(こと)の始まりは、娘の好意(行為でなかったところが問題だ)にある。

父の日だから財布をプレゼントするという、百年に一度もおそらく無いような言葉に乗ってしまったことが発端だった。

060626_205001 ところが、当日になって、妻が白い財布を出してきて、これで十分よ、と言う。(白ではなく、アイボリーだと主張するので、そのとおり言うことにするが、真偽のほどは写真で確かめて欲しい。)

いただく方としては、十分よと言われてしまえば、返す言葉もない。有り難く押しいただくほかないだろう。

結果だけからみると、わたしは娘からの財布をもらい損ね、代わりに妻のお下がりのアイボリーの財布をもらうことになった。

さて、ここで話を面白くするために、ひとつのテーマを導き入れてみよう。互酬制(ここでは三者間の一方的な関係が連鎖として起こり、最後に連環の輪が閉じる制度としておく)の成立する可能性はあったのだろうか、ということを考えてみたい。

第一に、現実を直視するならば、じっさい互酬制は成り立たなかった、ということになる。娘の申し出を断って、妻からの贈与を受け入れたことになる。したがって、この時点で、互酬制は諦められたことになる。一方的な贈与関係とするか、あとで、妻に反対給付を送り、交換関係に持ち込むのかは、プライベートなことなので、秘密としておきたい。

第二に、アイボリーの財布は、じっさい女物であるのだから、まず妻から娘に贈与されるべきものである。そして、娘が使わないのであれば、仕方がないので、わたしが使おうということになれば、立派な互酬制を形成する。この方式は、三人を交換関係に巻き込んで、みんなの所属する輪が大きくなるので、家族の結束を強めるためにも、有効な手段となりうるだろう。

第三の可能性については、第二と出だしは同じである。まず、妻から娘に、この財布が贈与されるべきである、と考えられる。ここで、娘が機転を利かせて、自分はその財布を保有し、父に対してはこの財布と異なる財布を購入し贈ったとすれば、完璧な互酬制を形成することになるだろう。

さて、どの可能性が良いのだろうか。効率よい無駄のない方法が好みであるならば、第一の可能性ということになるだろう。けれども、三人の結束を強めるという観点を重視するならば、第三の可能性ということになるだろう。

三者がそれぞれ異なるものを贈与し、すべてが義務感を持ったという点では、この第三の可能性が互酬制として最も美しいと思われる。経済学を学ぶ者の一家を認識するならば、この方式がお勧めであることは分かるだろうに。

さて、最後の問題としては、このアイボリーの財布がとても大きくて、さも万札がたくさん挟み込まれているような印象を与えてしまう点である。中身が貧弱なので、もうすこし地味な財布が欲しかったな、とわたしは謙虚に反省しているところである。

最後の最後に、互酬制を導くどんでん返しの方法がないわけではない。つまり、回りめぐったアイボリーの財布を妻のところに改めて届けるという方法である。これで目出度く、連環の輪は完結する。けれども、この最後の手段は、せっかく成立させた互酬制を結果として崩壊させることでもある。さて、わたしにその根性があるのかといえば、・・・・・・・。

2006/06/23

「恋するトマト」あるいはトマトな関係

今日で終わりだというので、Aさんに薦められていた映画「恋するトマト」大地康雄主演・制作を見てきた。http://theres.co.jp/tomato/

この「トマト」の寓意は素晴らしい。トマトを理解すれば、おおよそこの映画を理解できる。(ほんとかな!)

トマトは地域性のある野菜である。熟れ立ての美味しい状態で出荷するには、遠距離は駄目で、近くのところにしか届けられない。それに熟れたトマトは、柔らかく、ちょっと押しただけで崩れてしまう。手厚く、やさしく育まないと、トマトという野菜は成立しない、などという常識的なトマト観がどう変わるかが見ものである。

もちろん、映画の後半では、トマト作りが主題として登場して、いかに大切に育てないと実を結ばないかと問いかけている。この点でドラマを盛り立てていることは間違いないが、しかしもっと深いところで、このトマトという比喩は効いている。

言うなれば、トマトは、主人公の「結婚」そのものを現わしている。主人公の結婚は、本来親密な関係をもとめている。農家での結婚というものは地域性のあるものだから、都会からふらっとやってきた女性にはあわないし、フィリッピンの女性にはだまされる。簡単に、強い絆を結ぼうとしても直ちに失敗する。トマトのように、手をかけ、時間をかけないと、強い信頼関係は結べない。

けれども、トマトを種にして運べば、地域を越えて、フィリッピンの大地にも芽を出させることができる。ときどき、このような弱い関係が人と人とを結びつけることがある。人間の結婚は、むしろ身の回りの親しい人とするよりは、遠くの見ず知らずの人と結びついたほうが、実多い。

トマトがこの映画の題名になっているのも、このような大きな理由があるのだ。それにしても、映画の始まりはあまり良くないと思う。やはり、この映画を成立させようと思うならば、レンコン農家ではなく、トマト農家を描くべきではないか。わたしだったら、絶対トマトから始めるけれど。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。