カテゴリー「風景と風土」の投稿

2017/09/03

急勾配の坂道を自転車で飛ばす

レンタル自転車を借りることができるというので、観光協会へ行く。保険には入っていないので、自己責任でお願いいたしますというのだが、それは借りたわたしのことを案じていってくださったのか、自転車のことを心配していったのか、つい聞くのをためらってしまった。

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山の中の道路なので、一直線に続いている。それがなだらかに数百メートル続くので、下から見上げると、大した坂ではないように思えた。それが間違いだった。電動付きの自転車があったらと、途中で振り返ってみたが、すでに坂道をだいぶ上がってきていた。Img_8399

ちょっと休憩。山籠りして、すでに数週間経つ。この間の稲の成長ぶりは大したもので、すでに頭を垂れ始めている。そして、これだけの高地になると、稲よりも蕎麦畑が目立つ。稲穂よりも高く育ち、一面白い花を咲かせている。ずっと向こうの山までも達するかのように、白い絨毯が敷き詰められている。

 

Img_8360 最近では、スズメ除けの様々な機械が発達したので、案山子の姿をすっかり見ることがなくなったのだが、たまたま休憩した近くの田んぼには、それなりの表現力を持った立派な案山子が立てられていた。Img_8362 こっちの田んぼはダメだよ、あっちの田んぼもダメだよと聞こえるようだった。シェーの姿勢が標準形で外向的なものが多いのかと思ったら、意外に内向的な案山子もいることに気づく。

 

Img_8388 さらに目的地は遠い。老人ホームがゆったりと現れる。そして、高級ホテルに配給車が次々に入って行く。この辺も、坂道で猿たちが戯れている。Img_8369 ボスザルともなると、自動車も避けない。今日は、クマが木に登っていました。と木工工房につく早々、椅子作家のY氏がおっしゃった。

 

Img_8371 じつは訪問の理由があるのだ。7月に訪れた時に、当地に忘れ物をしてしまい、それをいただきに来たのだ。ということにあるのだが、もちろんそれ以上に、再びお話を伺いたかったのだった。Img_8372_2 Y氏の椅子に囲まれて、1時間ほどおしゃべりを楽しんだ。5月にヒアリングを受けていただいてから、7月にはテープ起こしした原稿を見てもらっていたのだ。それで、いくつかのさらに聞いておきたいことがわかってきて、このことが気になっていた。

 

Img_8373 ヒアリングのときに、「作っていて楽しい」、という話をされていて、この「楽しい」という意味は、椅子を鑑賞したり座ったりする利用者の楽しさとは、明らかに違って、制作者としての楽しみということになるだろうことはわかっているのだが、それでは実際にどうなのだろうか、という質問をおそるおそる行ってみた。

 

Img_8416 制作者としての楽しみは、制作者それぞれで異なるのだろうが、と慎重に前置きして、Y氏の場合には、「形に現れてくる」ことだとおっしゃるのだ。これは聞くものにとっては意外な展開だ。制作者は自分の図面をひいて、その通りに椅子を作るから、形はすでに椅子ができる前には図面の中に、あるいは図面を作らない人でも、頭の中にあるはずである。だから、むしろ図面通りいかなかったり、自分の頭に描いた通りに行かなかったりすることは、制作者にとってはストレスになるはずだとわたしたちは思いがちである。Img_8409 ところが、そうではないと、Y氏はいうのだ。じつに、まさにここを聞きたかったというところに直ちに突き当たったのだ。ここで、楽しめるという境地がありうるということは、たいへん興味深かったのだった。

 

Img_8423 ヒントは、機械でできることなら、予想通りの製品ができないとストレスになるかも知れないが、けれども、ここが手作りの違うところだ、という確信にあるのだ。予想通りの製品ができないことの方が、楽しいのだ。近代がスベスベで、均質でなおかつ規格品を求めて来たという歴史をひっくり返す言葉だったと思う。

 

Img_8418 Y氏の作り出す椅子に座っていて、最近気のついたことがあった。山籠りのここ数週間、ずっと彼の椅子に座っていたのだ。それで、座り心地はぴったりで申し分ない。けれども、もう一つの面白い現象を発見したのだ。話は入り組んでいるので、わからないと感じた方は飛ばして読んでいただければと思う。

 

Img_8417 それは、Y氏の椅子の脚が八角形で作られているというところにある。じつは、椅子の脚には、貫(ぬき)が通っている。ふつう、直角に縦横二本の貫が一本の脚から出ている。これで、脚の二面が取られる。そして、縦横の貫に挟まれた一面があるので、椅子の構造では、合計三面がそれらに取られている。八角形の残りは五面ということになる。

 

Img_8420 ここで、わたしの癖なのだが、仕事をしていて、椅子の脚に触ることを絶えず行っているのだ。そして、いずれ頭に神経が集中して来て、疲れが溜まってくるのだが、そのときに、手で脚を上から下まで触ると気分が落ち着くのだ。おそらく、木に触っていることで、手へ血液が回るからかもしれない。最初、人差し指と中指で、脚の面をなぞっていた。そのうち、薬指、親指、小指とそれぞれの面があることに気づいたのだ。つまり、椅子の構造に使われている三面と、5本の指に割り当てられた五面とで、ちょうど八角形に当てはまるのだ。

 

Img_8421 それがどうしたと言われるとじつに困るのだが、限りなく緩やかな何らかの法則性がそこに存在しているかのような気になって来て、仕合せな気分になったのだった。もちろん、Y氏の側から、なぜ八角形にしたのか、という理由はあるのだ。それは、手で握るというときに、丸だと滑ってしまうが、八角形だと握りやすいということなのだ。何らかの引っ掛かりが必要なのだということだった。たぶん、手で触る感覚の問題であることは共通しているのだ。

 

Img_8394 すっかり話し込んでしまった。自転車のレンタル時間が迫って来たので、超スピードで坂道を飛ばす。すでに9月の風だ。風除けのヤッケを通して、寒さを感じさせる空気が染み込んでくる。道端の猿たちも、そろそろ冬仕度に入ろうかという早めの算段をしているようだった。

途中、「わっぱらんど」という、子供たちが水遊びをし、樹上の家を楽しむ場所を通ったが、当然のように閑散としていて、清冽な水だけが変わらずに流れていた。いよいよ、田舎の生活を切り上げて、都会の生活へ戻らなければならないのだ。

2015/08/21

もし田舎でずっと勉強できるなら

Img_1223 O市で研修生活を送っている。研修とは何か、というのは難しい質問で、わたしの生活はすべて、日々研修じゃないかと言われれば、その通りであるし、研修ではなく、遊びだろう、と言われれば、なるほどその通りなのだ。大学の生活のもっとも良いところは、遊びがあるところだといつも思っているくらいだ。

Img_1263 それで、もしO市で暮らし、松本市の図書館へ通うという生活ができるならばと考えないでもなかった。これはいつも、目指したい老後生活のパターンなのだ。今回、少しながらそれが可能になりつつある。来年度の放送教材の取材地に、松本市を選んで、昨年辺りから取材の計画を立てているのだ。もっとも全体で5年間くらいかかりそうな壮大な計画なので、ちょっとずつ進めている。今回も、取材の準備で、松本市の郷土資料が必要になり、1日かけて、O市から出てくることにした。

Img_1260 朝8時のコミュニティバスに乗り、さらに大糸線で南下した。歴史上、アズミ族、遅くなってニシナ家が支配した地域らしく、ビャクヤチョウ、ホタカ、トヨシナ、ヒトイチバ、アズサなど、異郷と見紛う地名が並ぶ。松本駅から北市内西回りバスに乗って、城山公園下につく。道なりに2、3分で旧開智小学校、神父館などが集まり、北には深志高校もある文教住宅地区へ入る。ここに、目的の松本市中央図書館がある。

Img_1228 その昔、わたしが小学校時代には、図書館は現在の松本城門横の市立博物館のところにあって、20インチの小さな自転車で通ったものだ。小学校には、学習用の図書はあったが、それ以上のものになると、やはり市立図書館へ出向かなくてはならなかった。30万人くらいの小都市だったので、市内の隅から隅まで、ほぼ自転車で行くことができ、なんでも調達できた。

Img_1236 今日の図書館では、テーマは木工の松本民藝家具を創業した「池田三四郎」だ。彼の著書20冊くらいが、郷土資料コーナーに固まっている。検索で調べたところ、東京圏では、「池田三四郎」はそれほど公共図書館では知られていない。たとえば、大学図書館検索でみると、あの東大には、1冊しか所蔵されていない。もっとも多く所蔵しているのが、早稲田大学で堂々4冊所蔵なのだ。この郷土資料コーナーの恩恵は明らかだ。

Img_1273 読んでいてとくに面白かったのは、民藝の「経営」部分だった。美しい椅子やテーブルを作ろうとすると、割高くなる。けれども、民藝だから庶民に用いられなければ意味がない。この葛藤が、民藝の本質なのがわかって、たいへん参考になったのだ。

Img_1233 著書を端から読んで、写真を眺め、気がつくと、三時間が経っていた。小腹が空いてきたので、3階にある喫茶店Pの窓側の席を占める。えびピラフを注文する。もちろん、コーヒーは自分のポットに淹れてきたものを飲む。喫茶店「パノラマ」というくらい、景色は素晴らしい。最近は老人性の目になってしまって、すぐに疲れる。遠くをみれば、目に良いという言い伝えを信じて、ピラフを食べながら、遠くをずっと見ていた。

Img_1239 読書していると時間の経つのは早く、あっという間に夕方になってしまった。ここから歩いて、20分ほど登ったところに、城山公園があるのだが、そこに隣接しているギャラリー喫茶店「I」へ向かう。途中、工事している人に、この辺に喫茶店がないか、と聞くと、こんなところに喫茶店はないべ、という答えが返ってきた。Img_1242 城山一帯は、以前からピクニック地帯で、遠足などによく使われた思い出がある。公園から地続きに、喫茶店のアーチが見える。緑いっぱいの喫茶店だ。森の喫茶店が目の前に出現した。

Img_1244 コーヒー茶碗がたっぷりしていて、ケーキ皿も葉っぱ模様が素晴らしい。塩アイスとガトーショコラを堪能し、肩の疲れをほぐしながら、大糸線へ戻る算段をゆったりとしたのだった。Img_1249 帰りは下りで、バスを使わず、30分くらいで松本駅に着いた。

じつは途中、一箇所だけ寄り道をしてしまった。洋菓子店Tを通りかかると、目の端にアップルパイの姿が止まった。Img_1256 ふつうならば、そんな女性のような目の状態ではないのだが(女性がそんな目をしているというのは全くの偏見なのだが、いつも菓子店のショウウインドウを見るたびに、男性の視線と女性の視線は違うことを意識していたのだ)、Img_1257 図書館で20冊あまりの本を読んだ後なので、ちょっと位置がずれていたのだろう。つられて、店へそのまま入ってしまった。さらに悪いことに、アップルパイのはずが、ショウウインドウの中央を占めている「まるごとピーチ」に目がいってしまった。Img_1283 でも、これは当たりだった。中はこのように甘さ控えめのカスタードが入っていて、桃の慎ましさとクリームの優しさが、今日の研修作業を慰めてくれたのだった。

Img_1219_2 今日の椅子は、O駅に設置されていた木製のベンチだ。この特色は、横の荷物置きが箱になっているところだ。通常、このようなアイディアは、肘当てから発達するものだが、明らかにこの荷物置きは、肘当てではない。それにしても、手間がかかっている荷物置きなのだ。たぶん、素材の間伐材をたっぷり使うというところに、このベンチの大きな意味があったのではないかと、ちょっと穿った考えがちらついた。Img_1221 けれども、こうして写真に撮ってみると、それは邪推にすぎないことがわかる。全体のバランスとして、坐るところと荷物をおくところがぴったり合っているのだった。

2014/11/29

横浜へ来たイチゴ

Img_8377 朝から強い雨が降っている。風も出てきた。東日本大震災以来、インタビューなどでお世話になっているM氏が、復興の催しに参加するために、横浜の山下公園にきているのだが、この風雨の中で、テントは大丈夫だろうか。

Img_8355 午後から所用があったので、午前中にご挨拶にうかがいますと、告げてあった。テントが50以上あって、イベント参加者も大勢集まっていた。M氏はM苺農園を経営していて、震災が起こったのち、いち早くビニールハウスを立て直し、自宅農園を復活させた一番手だった方だ。共同でテントを張っているらしく、なかなかテントの場所がわからなかった。

Img_8358 尋ねていると、ステージに出演していることがわかって駆けつけると、ちょうど終わったところで、自分のテントへ帰ったところだった。社長である奥さんが手作りしたジャム(苺ジャムと葡萄ジャム)が売りだされていたので、早速購入した。ガラス瓶を通して、香りが突き抜けてくる。Img_8383 一緒に頂いた苺のふた粒も、ポケットにそのまま入れて、地下鉄の中でちょっと取り出してみたら、淀んでいる空気に対して、苺の香りが鮮烈に広がったのだった。

Img_8393 それから、ご本人は謙遜して、評判が悪いのですが、おっしゃっていたが、大きなサツマイモと、つるっとしたジャガイモの付けてくださった。雨の中だったので、Img_8389 あまり話はできなかったけれども、ボランティアの方々と一緒に働く姿をみていると、何歳も若返っているように思えた。Img_8396 実際には、震災があって苦労が重なっていて、年配に見えていたのだが、実際の年齢は今日の姿が本来の姿のような気がしてきた。

Img_8382 帰りに、開港記念館での「団地」を特集した展覧会にちょっと寄って、毎年必ず訪れる日本大通りのイチョウ並木を拝見しながら、次の目的地を目指したのだった。雨の黄葉をそれなりに、色鮮やかなことを確認したのだった。

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2014/05/23

都市の多様性とは

Img_5983 地下鉄の駅で、走った。大都市の地下鉄の欠点は、大深部に作られるようになって、ホームまでかなりの階段を降り、そして登らなければならないという点にある。朝の運動になるという問題ではなく、毎日この階段を昇り降りしている人のことを想像すると、やはりシュジポス的な感覚は人間にとって必須になっているのだと思わざるをえなくなっている。不条理だというだけでは済まされない問題を、大深部の地下鉄は、現代に突きつけている。この中間に存在する時間が、問題なのかもしれない。

数日前に、放送大学の「自然と環境」研究会で、新しく放送大学へ赴任なさったK先生の「都市の鳥と緑地」という研究発表を聞いて、先日も書いたが「下層植被率」という言葉が頭から離れない。都市の公園では、下草や低木が刈られてしまう傾向があり、公園の植物をみると、これらの下層における植生のカバーが低率を示すことが知られている。K先生の発表は、この現象と鳥類の公園における残存種類との関係を指摘したものだったのだが、このことは社会の形成にも応用できるのではないかと、想像力を逞しくしている。もうすでに考えられているかもしれないのだが、植生という「自然の指標」だけでなく、下草刈りという「人間の指標」も組み合わせて使われている点が面白い。

ならば、いろいろなことを考えられるのではないだろうか。ぴったりした事例は、いずれ論文へ取り入れようとしているので、取っておくこととして、乗りかかった船で、前述の大深部地下鉄の例はどうだろうか。大都市生活の多様性は、地下鉄駅の深度と相関関係にある、というのはいかがだろうか。地下鉄網が発達し、都市住民の交流の密度が濃くなるのではと思う。けれども、大深部地下鉄の発達は近隣の都市生活に取ってはマイナス要因と働き、近くの疎遠と遠くの近接という多様性をもたらせている、ともいえるかもしれない。この例はかえって直接的過ぎて、面白くないといわれるかもしれない。ならば、地下鉄の交差の頻度と関係で、大都市の多様性を考えることはできないだろうか、などなど。

Img_5985 と考えながら、地下鉄の大深部から表通りへ出て、明日からの旅行へ持参する浅煎りコーヒーを買い求めた。ここ何回かはここの浅煎りを試している。今回はコロンビアのごく浅煎りだ。携帯ポットを持ち歩くのだが、こんな小さなポットでも、数時間は熱いままのコーヒーを楽しめる。近くの表通りに面して、この珈琲店の焙煎室が作られていて、視覚的な効果もあるように思える。

Img_5987 横断歩道を渡ろうと待っていて、信号が変わりゆっくりと道路に踏み出すと、わたしの名が呼ばれた。振り向くと、にこにこしながら、高校生時代の同級生S君がいた。彼は医学系の出版社に勤めていて、Img_5996 大学院生時代にはそのビルが近くだったので、ばったりとよく会ったものだ。それで今回、その出版社とは違う方向から、来たので見逃してしまっていたらしい。話によると、出版社の土地を統合して、異なる場所に一緒になったので、違う方向から現れた、とのことだった。彼は近年、大病を煩っていたのだが、元気そうな話し振りだったので、一安心だ。この次のクラス会にも出席するそうだ。まだまだ、「ばったり効果」が続いているらしい。

 

Img_5997 今日は娘と食事をすることにしていて、本郷菊坂のMというイタリアンの店へいった。菊坂には、その昔本妙寺という寺があり、明暦の大火の火元であったらしい。振り袖がその原因になったことから、有名である。Img_6002 けれども考えてみるに、ここが火元であるということは、丘のうえから始まり、神田・上野からさらに下町へ燃え広がったことになる。そのような風の季節が定期的にあったものと思われる。Img_6003 料理の方は、それほど劇的なものではないが、特色あるラインアップがなされていて、貧食のわたしでも何とか話についていくことのできるものだった。まずサラダをとったが、観てのとおり色鮮やかであり、さらにそこに、ピザを揚げたころものようなものが入っていて、もちもちしていて特徴があった。Img_6006 それから、熟成されたと思われる鳥のレバーバテも料理に合っていた。今日は、トリッパ料理がお勧めだというので、鳥トリッパのグラタンをとることにする。菊坂には、明治時代から文士たちの仕事場として利用された下宿屋や、ホテルがあった。Img_6009 その1つに、大杉栄や伊藤野枝が逗留していたことで有名な菊富士ホテル跡がある。食事後の文学散歩に事欠かないのが、文京区の特徴だ。茗荷谷の帰りには、もうすこし時間をとってこれからも探索したい街である。

2014/02/08

二十年ぶりのビュウビュウ大雪

0205 昨日、幕張から都内を経由して、横浜に帰って来た。JRでは、何ともなかったのだが、私鉄各社は「明日の雪で、間引き・電車編成の変更があります」とかなり確信を持った車内放送を行っていた。

0205_2 それで、急遽大学院ゼミの方々へメールを出して、中止があり得るとの知らせを行った。返信の反応は良かったのだが、何人かからは返事がなかった。とりわけ、遠隔地からの方々はすでに都内入りしていて、メールを受け取れない可能性がある、ということもあったので、結局は完全な中止はできないとは思ったのだった。

0205_3 朝の7時のメールでゼミナールの中止か否かを通知することにしていた。朝にはすでにみぞれ風の雪が降り始めていた。これならば、大した被害にはならない、とは思ったのだけれど、一日中降り続くという予報が出ていて、帰路の確保が不確実だった。それで、結局はゼミ中止(これはゼミの歴史では、震災の時以来の出来事だった)のメールを朝出したのだ。0205_4 この時点では、このあとあれほどの大雪になるとは、誰が予想したであろうか。とはいえ、今回は予報した気象庁に感謝しなければならないだろう。各社の電車運行状態も、朝の7時には正常状態だったのだから、中止というには勇気が要ることだった。

0205_5 7時の時点で、九州から参加のKさんなどからの返事がなかったので、これは何人かはゼミに出席してくると思い、こちらも早めに東京文京学習センターへ出かけることにしたのだ。途中から、雪が本格的になって来ていて、肌をさすような、ひりひりした雪の感触を楽しむ。電車から見る屋根にも、さらさらとした雪が降り積んでいた。苦労している線路の脇の保安員の方々を横目で見ながら、何となく気分は高揚してくるから、まだまだ子どもの頃の雪の感性をもっているのだと確認した。

0205_6 着いてみると、ふたりの方がいて、さらに修了生のH氏も出席して、ウェブ会議でひとりが参加したから、いつもの10名を超えるゼミが、今日は4人ではじめることになった。ゼミは、そろそろ自分の発想を鍛える段階に達していて、ユニークなアイディアが次から次からサクサクと出てくるが、まだまだ磨かれていないので、どこまで使い物になるのかは、未知数だ。不思議なことに、未知数のときの方が、どういうわけか、気分には楽しみが残っている。

0205_8 ゼミ室の気温は、省エネで24度に集中的に管理されているとのことで、エアコンから吐き出されてくる空気は、冷房の風かと思われるほど冷たい。思わず、オーバーコートを着込んで、手をさすりながらのゼミナールとなった。以前にも、このような体験があったな、とH氏と話しながら、ゼミを進めた。

0205_9 午後1時頃には、3人の発表が済んだ。事務室へ報告にいくと、札幌からいらっしゃったD先生と先生のゼミナールに会う。「都会の雪には、やわですな」と言われてしまった。札幌と比べられたら、たしかに東京の施設は脆弱だと思われる。家0205_11 の中も、札幌のほうが暖かいのではないですか、というと、ぼくは厚着して省エネしています、というお答えで、さすがに慣れていらっしゃると感心したのだった。

0205_10 じつは帰り道が遠かった。とくに、京急電車が蒲田あたりで、止まってしまった。前の電車が詰まっているそうで、後ろからも後続電車が迫って0205_12 来たのだった。窓の外の斑模様の景色が、自然が泣き出したように思えて、ガード上に残された白い世界をしばし楽しんだのだった。

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2012/07/10

茗荷谷から本郷の迷路へ散歩した

10きょうは、茗荷谷で学生と会ったり、放送大学の教材作成部会が開かれたりした。だが、それらもそれほど時間がかからなかった。夕方になって、太陽も傾いてきたので、後楽園方面への散歩に出る。さらに、その先の坂を登って、本郷三丁目へ出た。

10_2本郷当たりで、ちょっと一本道を入ってしまうと、旧い道筋が交差していて、すぐに迷ってしまう。木村伊兵衛の本郷森川町のイメージの街が続く。5交叉点、というほどのところは少なく、むしろこの道がほんとうに通り抜けることができるのかわからないというくらいの道が続くのだ。

10_3さらに深くはいると、また、後楽園あるいは白山へ逆戻りしてしまいかねない道が連なっている。それで、東大へ向かって左に折れて、数本目をちょっと下ると、今日はなぜか、金魚屋さんに当たった。夏だからかもしれない。

10_4金魚には、粘り強さを感じた思い出がある。小学校時代に松本に住んでいた家に、粘土で池を作ろうということで、水を満たしてみたが、どうも最後は排水がうまくいかなかった。それで、すでに金魚を買ってしまっていたので、それをコンクリートで囲まれた台所水の受水槽へいれて置いた。かなりの深さがあったので、猫の被害からは免れる、と考えたのだ。

10_5それで、金魚には悪いことをしたと思っているが、なんと忘れてしまったのだ。大きな石が入っていて、その影にずっと潜んでいたらしい。一年経って、石をどけてみると、まだそこにいるではないか。山椒魚のような目して、こちらを睨んでいた。これには、感動したのだ。よく頑張ったと思う。もちろん、済まないことは承知だったが、それでもこの金魚の思いは、今でも自分の中に移植されている、と考えている。

10_6この本郷の金魚屋さんは、数百年続いている老舗らしい。喫茶店が併設されていて、隠れ家的構造になっている。水槽が並ぶ店の横から、狭く入っていくと、中がわっと拡がっていて、空間全体が広く感ずるようになっている。昔は、大きな水槽そのものだったのだろうか、という作りだ。ここに座って、じっと世の中を睨んでいると、件の金魚の気持ちがわかってくるような気がする。

10_7歩いて、疲れをいやすに十分な甘味をとって、これから数日間続く忙しさの算段を行って見た。しかし、到底、何処かでバテるのではないか、と思われるので、倒れた時の算段に切り替えて、当面の心の準備を行うことにした。ここのアップルパイとコーヒーは、これさえあれば、何とかなるだろう、と思わせてくれる美味しさだった。

2011/08/14

控え目の問いかけ

Photo_15川の土手を散歩した。娘が川の水辺に降りる階段を見つけたのだ。これまで、漆の木をすり抜け、脚を笹に切られながら、川原におりていたのは何だったんだろう。Photo_14このところ、天候が不順で、街では35度を超える天気が続いているが、こちらでは夕方には、雷雲が発達し、適度なお湿りがあり、朝晩はかなり涼しい。遠雷を聴きながら、夜を惜しんで鳴く蝉たちと一緒に、人生を振り返るのはまだまだ早いのかもしれないが、確実に近づいていることは確かだ。

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夕べの雨もこの激しい流れとなって、下って来るのかと思うと、ぐるり回りの自然連鎖に改めて驚きの感を持ってしまう。高い山並みを背景に持つ川の流れは、いつまでも心を捉えて離さない。

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また、川底が見通せる透明感は、社会の透明感に似ていて、底には色とりどりの石を抱きながら、表面は流れて行くのだ。

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流れの筋を読みながら、ちょうど社会の流れと同じだなと思いつつ、川の音の複雑な伴奏を楽しんだ。

今夏の散歩で目を愉しませてくれた花々。どうしても、派手な花には目が行ってしまうのは仕方ないとしても、派手な花は派手なりに、意匠を考えていて、毎年同じだというわけではない。

Photo_19たとえば、ノウゼンカズラ(凌霄花)については、ここ数年来、スカイツリーに匹敵するくらいの、他を圧倒的に凌駕する本物のツリーが一本あって、これで決まり状態を続けて来たのだが、それが崩れたらしい。いつもの庭には見られなかった。定点観察の一つにもなっていたのに残念だが、しかし、同時に新たなノウゼンカズラの戦いを見ることになった。高さで争っていたが、今年は花の色で争っている。薄い紅色なのか、あざやかな紅色なのか、この勝敗は来年見ることにしよう。写真はバスから撮ったが、あざやかな方は残念ながら、映像が流れてしまった。

Photo_20大きな背景を持つと、花自体も大きくなるらしい。ムクゲの白い花びらがこれ以上広げることは重力に逆らうことになるかもしれないと思えるほど、広げている。ユリの花は、こちらでは毒々しい色を示す。これも野生である証拠であり、全体の野原のなかでは、このくらいの毒々しさはかえって、周囲環境を際立たせる役割を持っている。Photo_21もちろん、マキャベリが権謀術数を駆使しても、その毒々しさは、かえってドンキホーテのように、社会のなかではそよ風の吹くが如くであったと同じで、影響の度合いは考えていた程でないのだ。それと同じように、野のユリの原色はワンポイントですらない。野原の一つの背景として働くことでしかないのだ。

これに比べると、ムラサキツユクサの目立ちは際立っている。よく目を凝らさないと気づかないかもしれないが、緑のなかのブルーの威力は、驚くべき効果をあげている。もし写真に写っているなかで、全部が緑の葉っぱだけであったら、どうあろうか。これに象徴される自然界の多様性はかなり失われてしまうことであろう。Photo_22このブルーがチョコチョコはいっていることで、わたしが散歩して、目をあちこちに配る意味が出て来るのだ。ユリのように、有るだけで存在感を誇示するものの必要だが、ムラサキツユクサ的な環境依存の、いわばハマっている存在感も必要なのだ。遠くから見てもわからないのだが、しかし全体の中にあって、確実に彩りを与えている存在が重要なのだと思う。

緑のトンネルはいつ見ても、調和の一つのモデルだ。上を見上げると、空がチラホラと見えるのだが、ポッカリと穴が空いていることは稀だ。Photo_23同様にして、高いところから下をみれば、地上の広がりのなかでも、地面が露出しているところはほとんどない。むしろ全体はスカスカであっても、ほぼ万遍なく覆っている。けれども、混雑していない状況を作り出すと同時に、すべてを網羅している。調和という言葉が当てはまる状況があるとすれば、これを除いてはない、とも言える状況だ。

Photo_8 そして、その緑のトンネルのしたには、そのトンネルに保護されているかのような低木の雑林や、底層の植物群が生えている。そのなかにあって、今年も、写真にあるようなフシグロ仙翁は、底層の草ぐさが単調に陥りがちになることを何とかくい止めるために、そっとした配慮としての控え目の問いかけ(humble inquiry)を林の中でも見せている。

2011/05/23

海抜1メートル

42今日のなかで最も印象として焼きついたのは、被災した小学校の壁に残された「雨ニモマケズ、風ニモマケズ」「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という言葉だ。逆説とでも言えるような、言葉だけが残されていたところだ。

41小学校という制度が、津波という災害・事件によって、単なるコンクリートの塊に化してしまった。この現場では、ほんとうに言葉を失くす思いだ。この事態をどのように受け止めたらよいのか、ほんとうに戸惑ってしまった。海抜1メートルで、急斜面の裏山を負った地形であるという地理的な条件、津波の方向などの力学的な条件などから推測できることはかなりあるにもかかわらず、現場ではもっと圧倒的な何かが足らないという空気が流れていた。

20裏山の削られた急斜面に、津波の到達上限を示す立て札が立っていた。それは身長の3倍を超えるようなところだった。近くのフェンスは押し倒されていた。ガラス類は小学校ホールのステンドグラスをはじめとして、すべて跡かたもなかった。校歌を載せた瀬戸物の文字板は、ところどころの文字を残して、流された。柱を削り、鉄筋がむき出しになり、倒れかかったコンクリートの橋が力学的な限界を示していた。まわりの住宅地は根こそぎ土台から無くなっていた。

25_246瓦礫は取り除けば無くなるが、そもそも生徒と教師、学校と住民など人間関係が、どうだったのか。それを示すものはすべて流されてしまってわからない。推測や、憶測が飛び交う中で、現場だけが残された。

37あっという間に、夕暮れになってしまった。次々に、住民の方々が仕事帰りに訪れ、慰霊の祈りを捧げていた。言葉にはできないものの支配する時があるのだ。線香の煙だけが揺らいでいた。

17今朝5時に横浜の家を出て、宮城へ向かった。同僚のN先生がTK大学のK先生と始められたプロジェクトに参加するためである。すこし背伸びして、飛び乗った次第である。午前から午後にかけて、W町のイチゴ農家でお話を聞いた。

36津波の被害は甚大で塩害などが追い打ちをかけて、見通しが立たない中で、いくつかの方向性を探っている最中とのことだった。この辺には、イチゴ農家が固まって栽培していたのだが、多くの方が離農を考えていて、続けるためには、相当の努力が必要であることが理解できた。近くのハウス栽培の畑には、壊れて流されたパイプが積み重ねられていた。波をかぶった竹林が茶色く枯れているのが目立った。

7お話の中に、なぜイチゴ栽培を続けるのか、ということが再三出てきて、そうなのか、と気持ちを新たにした。協力できることは限られてはいるが、共感できるものがあった。昨年のイチゴで作ったジャムをいただき、途中親戚のイチゴ農家のものが使われているというイチゴ羊羹を購入した。再び、この味のイチゴを食べる価値があると思った。

2008/03/10

「ゆんたく」会

沖縄も3日目になる。昼食に、T先生が来て、西原町にあるYというイタリアンレストランへ連れて行ってくださった。住宅地からちょっと離れているにもかかわらず、すでに満員。

ここでも、女性客が90%を占めている。女性客がどのくらいいるかで、どの程度の美味しさなのかがわかる。ここは、余程評判を取っているらしい。

いかと野菜のトマトソース・パスタのランチを頼んだが、サラダとデザートとコーヒーがつく。それに、とても美味しかったので、お代わりを頼みそうになったパンもついてくる。これならば、車を使ってでも、来てしまう。シェフが帰りに挨拶にできてきたが、意外に若い方だった。

今回の沖縄訪問では、「ゆんたく」会というナイトセミナーを開催することになっていて、何か喋らなければならない。健康消費についての考えを述べることを要請されていたが、それに加えて、沖縄の食についての消費パターンについても報告して欲しい、とT先生から伝えられていた。

ゆんたく、という言葉の意味は、井戸端会議風のおしゃべりのことらしい。報告には、最初のところからコメントが寄せられて、たいへん気の置けない「おしゃべり」ができた。ゆんたくのテーマとしては、ちょっと硬かったかもしれないが、沖縄の食料消費のパターンについては、昨日から一日掛けて苦労したので、かなりクリアに出来たのではないかと思う。

出席者は、医学部から、T先生、O先生、Ta先生、それから、米国のO大学から、D先生、それに厚生労働省のS氏、コープ沖縄のK氏、そして先日コザでお世話になったO氏である。社会科学系の方が少ないので、考え方をあわせるのに苦労したが、多少の齟齬は致し方ないところだろう。むしろ、齟齬を楽しむ余裕があったことを喜びたい。

最後に、医学部近くの居酒屋Iで、泡盛ををいただく。先日から、「菊之露」という銘柄がよく出てくる。

O先生の話が興味深かった。島ということの意味が良くわかるエピソードだ。現代にあっては、沖縄の島を渡ることは造作はないことだと思いがちなのだが、じつはさにあらず、ほかの島へ行ったことのある人はあまりいないのだそうだ。沖縄本島の方だと、東京へはみんな行ったことはあっても、宮古島や石垣島への行ったことのない人が多いのだそうだ。

じつは沖縄の消費パターンを調べていて、この結果は如実に出ていたのだ。沖縄の人の旅行消費は極端に他の地方の比べて低い水準なのだ。これは、比率をとっても、消費のなかに占める旅行費の割合は少ないのだから、やはり低い水準であることは間違いないのだ。

わたしたちも、地元の観光地へはあまり行かないのが常であるが、それでも沖縄ではさらにそれを上回って、移動しないのだ。

お開きの前に、O氏の予告があった。それはみんな健康について考えるのに真面目過ぎるから、今度はコザで、「メタボ・ツアー」を開催しよう、という提案だった。米国式の、メタボたっぷりのステーキ食べ歩きツアーなのだ。タイミングが合えばよいが、ぜひ参加したいものだ。

最後のコーヒーは、宿舎に帰ってから、カセット式のドリップで淹れて飲む。

2008/02/05

Land's End

英国のコーンウェル地方にランズ・エンドと呼ばれている名所がある。最西端であることで、ひとつの観光地になっている。NHKの番組で、ある俳優がそこにある自然の地形を利用した劇場を紹介していて、印象に残ったことがある。

きょうの講義が終わると、H先生が現れて、素敵なところに連れて行ってくださる、という。ちょうど陽が落ちて、太平洋に向かって車を走らせると、ランズ・エンドという雰囲気がひしひしと迫ってくる。

連れて行かれた場所は、かの有名な犬吠埼の灯台であったのだが、昼の観光客が集まってみるようなところは宵闇に消えて、灯台の周りを一周すると、スケールの大きな夜の太平洋の姿を感じることができた。

こちらは、ほぼ360度海なのだ。断崖絶壁から見る夜の太平洋は、荒々しさも通り越して、荘厳さを醸し出している。押し寄せる波の壮大なことは、かつてトンガに行ったときに、秘境という感じで見て以来のものだった。

意外だったのは、灯台のサーチライトだった。沖を通る船は、光の種類から観て豪華客船のようだが、転々といくつかが黒い海に広がっており、灯台のライトはそれを通り越して、地上の果てから、海の果てまでも映し出すかのように、信じられないほど遠くまでも、閃光を届かせているのだ。

昔、小さな劇場でアルバイトの照明係をしていたことがあり、遠くを照らす快感というか、すべてをひとつの劇場宇宙のなかに映し出したいという欲望というか、これらの思い出が出てきて、大自然が一挙に暗い大劇場に変身してしまったのを見た。

波の音とリズムが心地よく、黒くなった青空に突き刺すサーチライトが綺麗で、いつまでも、このランズ・エンドを楽しみたい気分だった。時間が許せば、もう2時間ほど、海を眺めて居たかった。

英国のランズ・エンドは、「地の果て」であるという不便さを逆手にとって、観光の拠点にのし上がった。銚子も東京から程よく離れていることで、地方ということを程よく実現している。ランズ・エンドとしての利点というものが実際にあるのだと思う。これからも、このことは銚子の位置を有利に導く可能性を秘めていると思われる。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。