カテゴリー「日常生活の関係」の投稿

2017/01/01

今年もよろしくお願いいたします

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今年もよろしくお願いいたします。

 

12時を回る頃、思い立って初詣に行こうと家を出た。昨年は放送大学の授業科目「音を追究する」のラジオ放送で使う「除夜の鐘」を録音しようと、近くの弘法大師由来の弘明寺の鐘楼の下へ出かけて行って、10テイクほどの音を収集していた。それから、周辺の寺を回って、他の音も収録しようと、このS寺へも訪れたのだった。

 

今年は最初から、家から5分ほどのこのS寺を目指した。ちょうど近辺の家々から人びとが出てきて、この寺を目指して集まってきていた。玄関を入り、すでに満員の大広場を通り抜け、本堂に入り、左の縁側に設置された除夜の鐘をついてから、拝礼することになる。ここに至るまで、きわめて親密なコミュニティの世話があり、最後には極め付けの甘酒が振る舞われた。お汁粉もいかがかと尋ねられたのだった。

 

Img_1863 横浜の都会の真ん中にあるにもかかわらず、このようなコミュニティシップに満ちたお寺がまだまだ存在しているのを確認できたのだった。横浜の霧笛の音も良いけれども、除夜の鐘の響きも良いものだと思ったのだった。娘と一緒に甘酒をすすりながら、家へ戻った。

2016/12/12

触感の記憶について

 

Img_5467 五月に見てきた松本市美術館の子ども椅子展で、「座るのが好きなんです」という子どもを連れていた母親がいて、本源的な欲求として「座る」という趣味が存在することを改めて知った。寝ることと、立つことは人間の基本的な本能であることは、よく議論されるが「座ること」もやはり基本的な本能であると言えるのかもしれない。お尻が覚えている本能なのだ。

 

Img_5454 けれども、人間の姿勢の中でも、寝ることと立つことに比べると、動物たちとの対比ということになるのだが、座ることには何となく文化的な匂いがするような気がする。母親が椅子好きだから、また、いろいろな椅子を知っているから、座るという本能が開発されている子どもが存在するようにも思えるのだった。

 

Img_5463 じつは今日、ハンス・J・ウェグナーが北欧デンマークのPPモブラー社でデザインした椅子の展示が行われているというので、横浜から千葉への移動のときに、銀座で途中下車してアンティーク家具屋さんが並んでいる銀座の一角を訪ねた。「ダンスク・ムーベル・ギャラリー」という洒落た小さな展示室で、「クラフトマンシップの真髄」という展覧会だった。単なる見学のわたしにも、親切に解説してくださった。本来は、PPモブラー社の展示即売を目的としたものだっただろうけれども、このような催しは素人にとってありがたい。

 

Img_5469 エレベーターを降りて、展示室に入って、まず目立ったのは、主力とするラウンドチェアである「ザ・チェア」「ブルホーン・チェア」「カウホーン・チェア」だ。三脚並んで展示されていた。最初見たときに、真ん中の「ブルホーン・チェア」を食卓椅子の「エルボー・チェア」と間違えてしまっていて、なぜエルボー・チェアがこんなに大きいのか、質問してしまったのだ。Img_5473 素人のわたしに対して、鼻白む思いだっただろうけれど、顔色ひとつ変えない努力をしつつ応対してくださったのはありがたかった。もしかしたら、「ブルホーン・チェア」は鉄の足の食堂椅子の方をいうのかもしれないが、そうならばこちらは「ブル・チェア」というのだろうか。この角の肘木に特色があるのだ。

 

Img_5465 このような間違いを経て、かえってこの「ブルホーン・チェア」の素晴らしさをじっくりと見ることができたのだ。座ってみるとわかるのだが、食卓椅子と異なって、ラウンドチェア特有のゆったりした座り心地があって、とくに横の余裕が身体の自由度を保っていてちょうど良い。そして、何と言っても、肘木の部分がグッと前まで突き出ていて、同じくウェグナーがデザインした有名なYチェアのような中途半端さはないのだ。Img_5466 特に注目したのは、やはり「後脚」だ。以前にもこの欄でコメントし、さらにテレビ番組の中でも強調したことだが、Yチェアで有名になった、「斜め45度に柱が向いていて、二次元の素材を三次元的に見せる工夫」が施されている。しかも、Yチェアのように、細い木が使われているのでなく、たっぷりとした太い脚となっていて、さらに太い分だけ、木目が美しく現れていて、曲がった木がほんとうに綺麗だ。削りの手間に余念がないのだ。この椅子を見ただけでも、今日来た価値があったといえよう。

 

Img_5464 ザ・チェアは1964年のケネディ・ニクソンの大統領選挙時のテレビ討論のときに座っていた椅子で、その写真が有名である。わたしもテキストに取り上げさせてもらったくらいだ。脚に抜きを入れないでも、この堂々とした椅子のバランスを保っているという、北欧デザインの中核的な考え方が含まれている。

 

Img_5453 もちろん、他のウェグナー・デザインの事務椅子や食卓椅子も十分に素晴らしいのであるのだが、それにも増して存在感があるのだ。この三脚を一度に比較して座ることができたのはたいへんな収穫であった。さらに奥の部屋には、ウェグナーのデザインしたテーブルが置かれていて、Img_5455 その前には、独身者用の椅子として名を成した「バレット・チェア」が置かれていた。楽器のような、木の削りと組み合わせの精巧さを見せていて、その曲線に沿って思わず触って撫でて、それからそっと座ってしまったのだった。Img_5461 Img_5457

2016/11/10

青空と、落葉と、世界と

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青空と、落葉と、世界と

(オーデン詩へのオマージュ)

紅葉が風に耐えている。

秋の日の遠くまで見通すような青空の中に

萌えたつ葉たちが揺れているのを見ると、

つい足が進んでいくのを覚える。

きのうまでの頭にひびが入るような忙しさと

同じ空間の延長線上に

あっけらかんとした

こんな日常がある。

明治時代に作られた椅子にすわって

昔のことを空想しているようで

どこかで忘れられていた安逸どもが

秋風とともに

身体全体に染み込んでくる。

椅子が青空の中へ飛んでいく。

幼児のクレヨンが

青空に絵を描いていくように。

もし昔の仲間たちがみんな死んでいったとしても

青空に描かれた空想たちがそのまま残ってくれるならば

わたしの書いたことだって、

そんなに非難されることではない。

足腰が立たなくなって

この坂道を這いずり登ったとして

元気に並んで、ピクニックを楽しむ

子供達に反感を抱くこともないだろう。

青空に描かれた空想が子供達に見えないないだろうし、

それらが理解されることもない。

それでも、わたしはそっと足を出すだろう。

老人ホームを夜に抜け出し

時計屋のコチコチと鳴る時間を泳ぐよりは

江戸時代の畑の真ん中に石を見つけて

のぼり旗を立て、

日本中から人びとを呼び出し

踊り出す方が面白いだろう。

青空のもとでこそ

許される祝祭の幕開けだ。

さあ、泣いていても始まらない。

青空の椅子が飛び込んだのは、

百人の会議が繰り広げられている

図書館だ。ちょうど後ろの席では、

大統領選挙の開票ニュースが

告げられている。

共和党がわずかだった差を広げている。

けっしてストイックだとは言えない選挙戦が

終わったことにみんな共感している。

貧しい人も金持ちも

ただ結果を待っている。

公園の片隅の椅子は

青空に描かれた椅子とどこか違う。

世界の人びとを近づけようと

青空の椅子は言っている。

けれども、目の前の椅子は、人びとを

遠ざけている。

現実の椅子は、

すわることは拒否しなくても

すわる人びとを選んでいる。

それが証拠に、椅子と椅子の距離は

会話ができないほど離れてしまっている。

まさに公園を歩いているうちに、

予期せぬことが起こってしまったのだ。

同じ青空のもとで

紅葉は風に揺らいでいる。

先行きのわからない世界を

青空の下の向こう側とこちら側で

計りかねている人びとがいる。

震災の後にも同じように青空が

広がっていて、みんなあっけらかんとした状況を

理解できないでいた。

風が吹いている。

今日も一日が暮れようとしている。

家に帰って、妻と今日を語ろう。

どんな世界が待っていようとも

みんな同じ青空の下にいることだけは

確かなのだから。

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2015/12/31

今年の暮れ模様

Img_0626 暮れも押し迫ってきて、今年を振り返ってみた。空を見上げれば、この一年世界で起こった悲惨な出来事が暗雲のごとくに覆っていて、その隙間からちょっとの青空すら見えないほどだ。それで足元を見るしかないと思い、やはり今年は母の亡くなったことが、身近な出来事の中では大きなことだったと改めて思った。他のことを考える余裕を失っている、自分が見えた。

Img_0627 父が亡くなったのは、今からちょうど35年前の6月だった。ところが、それに続いて、父の母つまりわたしの祖母が同じ年の12月に亡くなった。歴史は繰り返すというから、今年の6月に母が亡くなり、12月頃にはわたしにも危機が訪れてもおかしくない状況にあるという、強迫観念に捉われていた。大袈裟なと思われもしようが、12月の風邪は2週間以上続いたし、そのため疲労は極度に達していた、と自分では思い込んでいて、ブラックホールへ吸い込まれるように、この年の瀬を迎えていた。

妻と話して、昨年の今頃を思い出した。母が風邪を拗らせて、28日には救急車を呼ばなければ移動できないほどに、病変を迎えた。病院に着くと、レントゲンなどで検査が行われ、心臓と肺に水が溜まっていて、すぐに危篤状態になるのではないかということだった。親しい範囲でみんなに集まってもらう騒ぎになっていた。そして、その後6ヶ月続く、母の病院生活が始まったのだった。

それにしても、年末の夜の病院には、いろんな患者が手当に来ていた。母の次に診察を待っていたのは、上半身から顔に傷を負っていて、血だらけで救急車で担ぎ込まれてきた老人の男性だった。付き添いの老妻が「いつものことなんですよ」と事も無げに言うのにびっくりしてしまったのだった。坂道を先に歩いていて、危ないと思った時には、すでに視界から消えていたそうだ。笑顔が素敵で、怪我をしても奥様のこの笑顔があれば、落ち込む事もないだろうというほどの素敵さだったのだ。

わたしも、いつものように難なく乗り切り、何とか今年の年末を迎えることができたのは、幸いだった。まだ生きよという恩寵が働いているからだと思いたい。外へ出かける気力もなかったせいか、毎年恒例の修士論文の読み込みも順調に終わり、原稿もそこそこ進んで、災い転じて福となす、という年末を迎えることになったのだ。夕方になって娘がワインやシャンパン、さらに中華料理を持ってくるというので、弘明寺駅へ迎えに出る。

Img_0624 駅から街へ向かう頃には、帰省へ向かう人と、荷物を持って帰ってくる人とが交錯していた。女性が一人でリュックを背負い、さらに、ペット籠をキャリーに乗せて、帰省へ向かう姿が目を引いた。そして、意外なことに、家族連れという姿がほとんどなかったことだった。弘明寺では毎年のことだが、初詣客が多すぎて、今晩から数日間は、境内へ立ち入ることができない。それで、まだまだ人影がまばらな弘明寺の本堂へ寄って、晦日詣を行ったのだった。

そして、数時間後には、再びここを訪れることになった。授業番組「音を探究する」で自分の音を持ち込むことになっていて、それに使うために、うまくいくのかは全くわからなかったけれども、とりあえず素人録音の「除夜の鐘」の音を取るためだ。「録り鉄」の方々もさもありなんという姿を寒空にさらして、少し先では、初詣客が何千人も押し寄せている熱い場所を尻目に、録音機を梵鐘へ向けて、しばし立っていたのだった。Img_0598 今年の最後の仕事は、毎年恒例だった本部の研究室での「通信問題の添削」ではなく、今年は録音納めということに相成ったのだ。ゴオーン、ポヨーヨン、ポヨーヨーン・・・・・・と今年も暮れたのだ。

さて、ほかの方々には、それほどの写真だとはけっして思われないだろうとは考えるが、わたしにとって、たいへん意味のある写真が今年最後に掲げる写真となった。今日の椅子は、いつもコーヒー豆を購入する店で坐る椅子だ。Img_0596 注目できるのは、椅子と椅子の間に大きな一枚板のガラス窓があることである。そして、内側の椅子は、ホーネットタイプの曲木椅子であり、外側の椅子はバウワータイプの鉄パイプの金属椅子である。椅子の素材と構造を決定している理由が、一枚の写真で明瞭に明らかになっている写真なのだ。

2015/07/06

精神安定剤としてのコーヒーの効用

Img_0776信州のO市へ来ている。昼食は駅近くにある蕎麦屋Kで、てんぷらおろし蕎麦だ。まだ、客がまばらで、常連の客がひとり啜っていただけだ。Img_0723 特急あずさ号で都市の喧騒を離れて、蕎麦湯でゆったりと今日の計画を練る。

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今日は3杯のコーヒーを、同じ一つの焙煎珈琲の喫茶店Uで、時間を違えて、それぞれ味わった。Img_0733_2 飲んだ銘柄は、「エルサルバドル パカマラ」、「ハイチ マールブランシュ」、「ドミニカ アロヨボニート」という、いずれも浅煎りで酸味の強い豆だ。このUでは、南千住の著名な喫茶店CBと同様に、カウンター奥の棚に深煎りから浅煎りに向かって、瓶が10以上並んでいて、味の多様性を確保している。わたしの頼んだのは、棚の右側に並んでいるものだ。

Img_0731 最初の「エルサルバドル」を飲んで向かったのは、一つ目のお寺だ。このお寺には、わたしの祖父がこの街へ移ってきてから、ずっとお世話になってきた歴史がある。このお寺の戦前の写真をみているとわかるのだが、お寺の格式と徳の高さ、そしてそれに付随したその規模の大きさとは、この街に対してたいへん影響力が大きなものだった。戦後、総本山が大火事に見舞われ、その立派だった本堂は焼け落ちてしまっていた。ご住職が現在の若い代に変わったときに、母は千葉に居たので、連絡が悪く関係が薄くなっていた。今回、母が他界した機会に、話し合いを行った次第だ。コーヒーで気分を落ち着けてきた効用が、十分に働いたのだった。

Img_0732 「ハイチ」と「ドミニカ」を飲んで伺ったのは、もう一つのお寺だ。実質的に、現在のお墓がこのお寺の境内に建っていて、毎年墓参りに出かけるお寺だ。四十九日の法要と納骨の相談を受けていただくために、出かけてきたのだ。祖父や父の法要では、ここの本堂をお借りして、大勢の人びとが集まり、親戚の結束をはかり、多くのお坊さんが経を読んで、参加しているものにとっても、見るからに壮大な葬儀が行われたものだった。

Img_0736 今回は、母の家族葬に引き続くものであって、やはりこちらに居住している親戚だけの小規模な納骨をお願いしたのだった。以前のことを重視する地域の慣習から、かなり逸脱することなので、直接お会いして、いろいろの話し合いを行っておきたかったのだ。幸いなことに、一つ目のお寺でも、二つ目のお寺でも、十分に話を聞いてくださり、この地へ来た甲斐があった。

Img_0739 さて、コーヒーについてだが、じつはこの珈琲屋Uには、この街ではかなり大きなお寺のご住職もたびたびいらっしゃるとのことだ。かなりコーヒー好きらしく、この店の豆を大量に買い付けていくそうだ。いらっしゃると、店の豆がなくなるほどだ、という表現をしていたのが、印象に残っている。

ということは、コーヒーというものの、人を落ち着かせる効用には絶大なるものがあると、わたしのような世俗の者だけでなく、お寺のような聖なる人びとも考えていることがわかるのだ。わたしがコーヒーで精神統一してから、お寺へ向かうということも、理由ないことではないと言えるかもしれない。

2014/01/02

いつもながらのお正月

0101 元日に妹夫婦と母の家に集まって、二日目に初詣に出る、という三ヶ日の生活パターンが定着している。

0101_2 今回も正月料理を楽しんだ後に、フランス菓子ガレットによる今年の運勢をみるのだが、そのガレットでの当たりを引き当てるまでが、大変だ。「Dobon」ゲームに勝たなければならない。このところ、わたしのゲーム成績は世相を反映して、長期低迷を続けていて、日本経済的な衰退様相を呈している。ビリやビリから二番目をここ数年保っていて、完全に駄目というわけではないが、比較すると明らかに低迷しているという具合だ。ひとつひとつのゲームは、それなりに駄目とはいえ、最低戦を保っているのは確かなのだが、全部をまとめてみると、停滞が目立ってくるという状態である。

0101_3 それで、結果として、ガレットの順番は後の方になる。ここでは、アベノミクス的な一発逆転を狙うこともあり得るのだが、じつはこちらもわたしに限っては、現実と同様低迷している。今年は母がガレットのフェーブを引き当てた。ゲームでは最下位だったから、0102_4 明らかに大逆転も良いところだ。現実の世界も、このようなことがあれば面白いのだが、ゲームの世界と現実の世界とは脈絡がないから、ゲームが成り立っているのだ。

0102 二日目の初詣は、母と娘と一緒に、近くのK神社へ行く。年々、参拝客がふえているらし。参道の整備は、昨年同様に、進んでおり、何やら定型のお参りを行っているような気分だ。今年も気になったのは、方位厄で、これによるとそろそろ、わたしの厄も最後の部分へ近づいているようだ。

0102_2 つまり、初詣の意味にどのようなものがあるのか、といえば、もちろん上記の方位厄などの宗教的な意味があるのだが、不信心なものにとっては、それ以外の目的がじつは大きい。ひとつは将来の問題であり、もう一つは過去の問題であり、それからさらに、日常の現在から離れて、ちょっと非日常を目指すのが、初詣の意味だと思われる。ちょっと大雑把なくくり方だが。

0102_3 今年も、ドラム缶の焚き火に当たりながら、前を行きかう人びとを眺め、自分のこの一年を考える。ここで甘酒が出てくるというのが、微妙なところだと思われる。好きなコーヒーでも良いと思われるのだが、そうも行かない。0102_5 甘酒か、清酒かというのが、たとえ信心が薄くても慣例にしたがうのが相場だ。という、いつもながらのお正月が過ぎていった。

2013/11/16

深川で、引っ越し祝いにおでんを食べる

1116 清澄白河というよりも、深川と言った方が親しみやすいかもしれない。ここに住んでいる娘の部屋が、先日の台風で浸水した。それで、大家さんが工事を行うことになり、急遽引っ越すことになった。ここに住み始めて3年間が経ち、何度か訪れる内に、わたしの方も愛着を感じる場所になりつつあったのだが。

1116_2 清澄白河の駅を出て、深川江戸資料館の前から、都立現代美術館に至る「資料館通り」には、レトロと今風とが混合作用を及ぼしていて、都市経済学者のジェイコブスがいう「二次的多様性」を醸し出していた。たとえば、江戸を売り物にするゴテゴテした土産物屋があるかと思えば、その向かいには、白磁だけをシンプルに飾っている陶器屋がある、と言った具合であり、とくに目立つ、昔風の服装・1116_3 寝具店の田巻屋があるかと思えば、今風の真っ白な木作りの古本屋がある。それから、田舎風に店は造っているが、中を覗くと、ちょっとお洒落な人びとが乙にすましてテーブルを囲んでいる料理と酒(勝沼ワインが置いてある)の美味しい店もある。まだまだ再開発は途上だが、二次や三次の多様性が発展する気配が十分あるのだ。1116_4 そして、そのちょっと先に、娘の借りていた部屋があったのだ。

きょうは、この街も最後だというので、コーヒー豆の焙煎所Cで待ち合わせて、夕食を一緒にということになった。1116csukaituri Cは、散歩道のある川沿い(橋の上からはスカイツリーが臨むことができる)の、この運河川から一本入ったところにある、町工場風の建物に入っている。入り口からは、焙煎機がどんと置いてあるのが見える。ゴーゴーと火を吹いている音が建物中に響いている。ところが、なぜかコーヒーの香りはまったくしないのだ。それはちょっと意外で、ちょっと残念だった。どこかで排気処理をおこなってしまっているのだろうか。

1116c 娘の到着が遅かったので、酸味のいちばん効いていると告げられたエチオピア豆を淹れてもらって、大きなカップで飲む。最初はそれほどではなかったけれども、空気に触れると次第に酸味が増していって、さわやかな味で美味しかった。薄茶色の革のソファがゆったりしていて、気持ちよかったので、1116c_2 読み直しのために持っていった岩波文庫版イソップ寓話集100話くらいを読み進んだ。もっとも、コーヒーを飲みながら、寓話集を読むなどとここでは言いたくはなかったのだ。1116ckohi なぜならば、両方とも暇人として現れる時に使われる代名詞のような意味を持っているからだ。このソファに座っていると、格好だけでなく、実際に暇人風になってくる。もっとも、現実はそのとおりで仕方ないのだけれど。

1116_5 この辺には、ちょっと路地を入ると、お稲荷さんや神社・仏閣がすぐ現れるのだが、だからといって、古い土地で高齢化が進んでいるわけではなく、これもまたちょっと歩くと、子ども図書館などが配置されていて、街に子どもが遊んでいるのをあちこちで見ることができる。下町の良い雰囲気をそのまま残しているところが、この街の期待感を盛り上げている。この写真の現代美術館が陰に陽に、見え隠れして影響力を行使しているのも、気になるところだ。

1116_6 小路を2、3本数えたところをまがって、中にはいったところにその目指す、おでん屋さんがあって、先日雨が降って、娘がひとりで淋しそうに入ったときに、これいるか、とおまけしてくれたのだそうだ。薄味だけど、味が染み込んでいる。とくにこの大根が美味しかった。大根をたくさんちょうだい、と言って大正解だった。バター風味の牡蠣も良かった。6時をすこし回ったところなの1116_7 に、すでに家族連れなどで、満員となっていて、地元の常連が通って来ている店という雰囲気だ。

駅に出て、顔を上げると、清澄庭園の木々が覗いていた。1116kaki そういえば、H先生が神奈川学習センター所長時代に、筑波へ移ってしまったK先生を呼んで、講師として、この清澄庭園で「松尾芭蕉」に関する講義を話してもらったことがあった。風流ということがよくわかった名講義だったと思う。1116_8 このバス旅行に引率して来て、芭蕉記念館を見た後、拝聴したのを思い出し懐かしかった。

さらに、じつは庭園の前には、N女子高校があって、わたしが2歳のころ、父がここの先生であった時期があるのだ。1116_10 当時は、子どもを職場へ連れて来てもとやかく言うひとはあまりなく、何度となく、父に連れられて、この高校で女子高生のあいだに入って、あやされていたことのあったのを思い出した。そして父がわたしの姿を見失うと、校内放送で呼び出しがあった。当時、父はバッハ音楽の愛好家だった。家には、シュバイツァーのオルガン集があったのだ。耳の奥にその記憶が残されていたから、バッハが好ましいと日頃感じるのだと自分自身で思っている。けれども、不思議なのは、その後父は田舎に帰るのだが、それで毎日聴いていたのはベートーベンだった。何らかの心境の変化があったのだと思っている。

1116_11 先日、娘が転出届けを出しに、深川江戸資料館の隣りにある区役所へ行ったところ、窓口のひとが、「イッテラッシャイ」と送り出してくれたとのことだった。1116_12 深川らしい、下町流の接触があったとのことだった。

2013/10/20

遠出の日曜日散歩

1020 日曜日の散歩というには、少々遠出だった。先週もぞくぞく送られてくる卒研と修士の論文を読んだり、自分の論文も造ったり(こちらはぞくぞくというわけに行かないが)していて、実際外に出たのは、試験採点のためと、ゼミのためだけで、あとは目をしょぼしょぼさせながら、小さな文字を追っていたのだ。当然のように運動不足は明らかで、最近は足がむくんで来ていて、夕方には体操をしなければ治まらない状態だ。身体のほうは、それでも何とかなるのだが、頭の酸欠状態は避けられない。

1020_24 この運動不足を解消すべく、朝あずさ号に乗って、松本散歩を目指した。あいにく、空は曇り模様から雨模様になってきてしまった。まだまだ、信州も涼しいという感覚だったので、雨の散歩も素敵だろうと楽観的に思うことにした。

1020_3 じつは、散歩ともうひとつ目的があった。今、松本の「あがたの森」公園で開催されている「クラフトピクニック」を見ておきたいと思っていたのだ。クラフトピクニックは、工芸中心のワークショップのお祭りだ。木工などの工芸家たちが説明をしながら、催しを行っているというのだ。1020_25 といっても、あまりイメージが湧かなかったので、5月に開かれている有名な「クラフトフェア松本」とどう違うのか、というところを知りたかったのだ。

1020_4 駅前で夏に入ったイタリアンの店で、今度はパスタランチで腹ごしらえ。信州産のキノコがたくさん使われていて、素材の味が活かされたパスタだった。前菜として出て来たインゲンもパリパリしていて、とても新鮮だったし、1020_5 タマネギとジャガイモのスープも野菜の国に来たという感覚を呼び起こしてくれて良かった。ランチを楽しみに来た訳ではなかったが、頭の中が洗われて、運動不足も野菜を食べれば、解消されるような気になったのだ。いつもの東回りミニバス乗って会場へ直行する。1020_6 バスの中には、草間弥生さんデザインの赤い水玉のポスターが貼ってあって、表に現れるもの(水玉の世界)と、裏で動いているもの(人間の世界)との相剋が描かれていた。ちょっとしたアイディアだが、いつもながら、人の気を誘う。

1020_7 バスに一緒に乗った年配の婦人が、バスのなかで、どのバス停で降りたら、クラフトピクニック会場へ一番近いのかと運転手に訊いていたが、1020_26 わからなかったらしく、 運転手が声を張り上げて、乗客に呼びかけていた。道を訊くというのも、ピクニックの一部だと思いたい。

1020_8 公園には、テントが何十張りも出ていて、それぞれ工芸の実演が行われていたり、参加者の体験実習が行われていたりして、一回りぐるっと回るだけでも数時間かかってしまう。雨の中でも、こんなに混んでいるのだから、晴れたらもとたいへんな人出になっていただろう。気がついたのは、子1020_27 ども連れが多いということだ。体験して交流するという学習方法は、学校で行っているので、今の若い世代の人びとをすぐに活気づける。木工のおもちゃ制作のワークショップでは、とくに子どもの姿が目立った。

1020_10 わたしも子ども時代に帰ったつもりで、すこし長時間のおしゃべりを楽しんだ。二つのテントに入って、話を聴いた。ひとつは、下諏訪にある織物のA工房のテントで、夫婦で来ていた方々だ。実物を見ていても、制作者本人が目の前にいて、その織物の説明をしてくれるだけで、その織物が急に親しみを帯びて、目の前に改めて表れるのだった。基本は、経糸と緯糸で、経糸は一貫したいわば背骨を構成して、緯糸でバリエーションを構成する、1020_11 と説明されただけで、目の前にある布が別物に見えてくるから不思議なものである。なぜ織物のグラデーションが構成できるのがわかって、目の前に織物に生命が吹き込まれていくのを見ることが出来る。1020_12 このかたは、会社にずっと所属して織っていたが、かなり年を取ってから独立したらしい。会社で覚えた織り方から、かなり自由に織ることができるのだそうだが、それでも、記憶の遺産の重要さを語ってくださった。1020_13 その方が特集された新聞記事の切り抜きをいただいた。

1020_15 二番目に入ったテントは、女性の革工芸の方のところだ。フクロウを30分で造ることができる、というので加えてもらった。道具の紹介から、使い方、手順と進むに連れて、1020_16 ぐっと集中力が増して来て、ハンマーを持つ手も力を抜いて軽やかに打てるようになった。短い時間だとはいえ、数分かの職人時間を体験した思いだ。毎日、数時間パソコンを打つのではなく、ハンマーを打つのも悪くない。小道具の名前をそれぞれ教えてもらったのだが、にわか勉強だったこともあって、ずっと記憶に止めておくことはできない。 刻印の工程、カスミの工程などそれぞれの工程を無事クリアして、写真のとおりの出来上がりとなった。1020_21 とうぶん、わたしの鞄のキーホールダーにぶら下がっていることだろう。

1020_19 この革職人のかたは、何と注文は取らないとのことだった。自分の造りたい物を造るには、それだけの時間が必要なのだそうだ。そうだとはいえ、それで生活ができるのだろうか、とは到底聴くことは出来なかったのだが。

1020_22 帰り道は、小学校時代に遊び回った小径を選んだ。その昔、きれいに揃って建っていた土蔵群が見る影もなく、朽ちているのを見るのは辛い。けれども、逆に見るならば、よくぞ、これまで残っていたな、というところだろうか。1020_23 すでに高校時代に雷事故で亡くなった友人の家の前を通って、さらに住んでいた家のまえを経由して、途中中町通りなどで道草を食いながら、ぶらぶらと駅へ出た。過去の記憶を辿るのも、立派な散歩のメニューなのだと思う。

2013/04/11

社交の感性と嗜好の感性について

Img_7585_2 久しぶりに、日常的なことを記す気がする。それというのも、今日から新学期だからだ。講義が開始され、他の授業に先駆けて、W大の演習授業を行った。そして同時に、O先生と会って会話を楽しんだのだ。大学近くの「五郎八」でいつもの田楽、卵焼き、枝豆をつまみながら、話をした。

大切なのは、「社交」だ、と彼は珍しく語気を強くした。いつもはもの静かに低音で話す彼が、ぐぐっと感情を込めてきたから、思わず聴き惚れてしまったのだった。喫茶店の話を始めた時だった。そこでなぜ喫茶店に行くのかが問題となっていた。話はもちろん論理的に進んだわけでなく、O先生は蒲田の喫茶店巡りの話をしていたし、こちらは京都の喫茶店事情を話したりして、ジグザグに行ったり来たり、会話を楽しんだつもりだったのだが、あとで思い出すと、そういうことなのか、と思い当たったのだった。

Img_7587_2 わたしが喫茶店に入るのは、コーヒーが美味しいからで、それ以外のことは付加的なのだ、とちょっと挑戦的にいうと、それは「社交」ではなく「嗜好」ですね、と混ぜっ返されてしまった。彼が言うには、喫茶店ではコーヒーをめぐっては、「マスターと自分」の関係があるのだが、最近になって、もう一つの関係に目覚めたのだそうだ。それは、「客同士」の関係で、常連客たちの会話にわりと自然に入っていく術を身につけたのだというのである。つまり、言葉を媒介とした、喫茶店の楽しみ方があるのだそうだ。

これは、ひとつの「開眼」に値するのではないか、と大げさでなく、思われたのだ。彼のブログには、これらの事実が連日載っていて、じつはこれは何んなのか、と不思議に思っていたところだったのだ。それとなく感じてはいたけれど、それほどのことだとは当初は思わなかったのだ。

Photo_2 勿体ぶっている訳ではないのだが、何が開眼したのかと言えば、わたしの解釈では、社交の「感性」のようなものではないかと思われるのだ。言葉に記してしまうと感じが失われてしまいそうな気がするのだが、共感とか感情移入とか、その類いのものだと思われる。

彼が言うには、現代の日本には忘れられようとしていて、本当に話を聞いてもらいたいと思っている人びとがたくさんいるのだと、いうのだ。その場に出くわすと、向こうから聞いてください、と言っている顔が見えてくるのだとおっしゃる。

Img_7593_2 彼のブログに、最近登場したシリーズに、「大衆食堂」シリーズがある。街を歩くと、シャッター街となっていたりして、そのような中には必ず、大衆食堂がショーウインドウを出している。ガラス棚を覗くと、干涸びたプラスチックのラーメン、カレーライス、そばとうどんが並んでいて、ホコリをかぶっている。子供たちを連れた若い女性たちならば、絶対に入らないような食堂だ。昔であれば、大衆食堂の定番は、カツ丼で、これならば、どんな店でもはずれがないと言われていたものだ。このような食堂には、たいがいカツ丼をはじめとする定食類が並んでいて、店のみすぼらしさとは異なって、じつはいずれの定食もかなり美味しいのだ。

問題は、なぜ彼が「大衆食堂」を連日のようにブログで取り上げるのか、という点である。これが「社交」なのだということだ。このような大衆食堂は、今現在はまだ、数多く営業しているのだが、ここ数年でおそらくほとんどの店がなくなる運命にあるのだということだ。原因は後継者不足と需要不足、そして牛丼屋、廉価の定食屋の繁盛なのだそうだ。それで疎外されていて、これらの店にいくと、「話を聞いてもらいたいと思っている場所」がそこにあり、そのような人がいるのだとのことだ。

この開眼ぶりは素晴らしいと思った。このような場所のあることが、社会学者的な論理性でわかるのではなく、直感的にわかるのだ、というのだ。このような感性を探り当てたことは、記念すべきことだと思われる。60歳近くになって、新たな感性を獲得することができること自体希有なことなのだと思う。


じつは今日は彼の誕生日であったと告げられていた。にもかかわらず、話にすっかり夢中になってしまって、店を出るころにはすっかり忘れてしまっていて、たいへん悪いことをした。改めて、今日の誕生日と新たな感性の獲得に、おめでとうと言いたい。

2013/03/20

紙一重の生活とゆとりと

0320 京都駅の新幹線ホームに並んで電車を待っていた。前の列車が今、まさに出発しようとしているのを見ていた。そこへ客が駆け込んできたのだが、目の前でドアが閉まってしまったのだ。紙一重の差だった。ところが、勝負はまだ着いていなかった。閉まりかけた新幹線のドアへ、ビニール傘を差し込んでいたのだった。見ていた皆はあっと叫んだが、その客はあたかも最初から計画されていたように、悪びれることなく、冷静沈着そのもので確信犯的だった。

案の定、「ドアを開けます」と駅員のアナウンスが入り、まんまとその客は、間に合ったのだ。外国であれば、きっと皆が「コングラチュレーション」と賞賛したことだろう。わたしもやったねと叫んでしまったくらい、手際が良かったのだ。入り口に入って、こちらを振り返った。二十歳くらいの、ぽちゃっとしたお嬢さんだった。これは、何回かやっているな。

たぶん、鉄道の専門家がいたならば、事故につながる危ない行為だ、とお叱りをもらったかもしれない。けれども、考えてみれば、新幹線は所詮機械の固まりであって、本来は乗客へのサービスが優先されるべきだ。また、日本の新幹線技術、とりわけ安全技術は素晴らしいもので、あの長い列車のどこかのドアで異常を感じたら、出発せずにもう一度ドアを開閉することになっているらしい。あと一歩の客を乗せずに出発したならば、きっと機械の本分にもとると新幹線自体が思っているのだろう。ということを考えるならば、ちょっとした機転を効かせた、このお嬢さんにやはり軍配をあげたいと思う。悪びれないところが、世代の差を感じる。

じつは上には上があるもので、このお嬢さんが乗り込んだあとに、すぐまた遅れてきた男性二人組が、あわてて一緒に飛び乗ったのである。つまり、三人が乗り遅れたであろうところ、皆が間に合ってしまったことになる。世の中は、このようなことがあるから、最後まであきらめてはいけないのだ。西部劇のように、汽車を追いかけて、階段から走りながら乗り込むくらいはあっても良いと思う。

わたしならどうしたかって? 年寄りなので、ドアの前までいく前に、あきらめてしまうだろうな。傘を差し込む勇気などはさらさらないだろう。皆が乗り遅れたのは、ひかり号だから、わたしだったら、次ののぞみ号で追いかけて、途中の名古屋辺りで追いつき、本来のひかり号へ乗り換えるだろうな。年は取りたくないものだ。

新幹線の中で、この二、三日に街を歩いて遭遇したことを反芻し、「京都的」とはなにか、と考えた。おばんざい、京野菜、町家、御所に、お寺、京習慣などかずかず上がってくるのだが、やはり人間の問題かな。複合的な人びとの接し方じゃないか、と思う。表面的には、町家がそうであるように、格子窓でよそよそしく装っているが、ひとたび中へ入っていくと、土間があり、中庭があって、奥が深い。これに合わせた人間関係が発達している。

0320_2 昼食に、老舗の喫茶店「I」でランチを頼む。ここは、表から見えるところは普通の近代的な喫茶店とかわりないのだが、奥に入ると丸くソファーが巡らせてあって、一人客であっても、居心地の良い作りになっている。すでに、足腰の覚束ないような年を取った方々が、皆ひとりで食事をしている。

なにしろ混んでいて、なかなか料理が出てこない、なんとか約束の時間までに食べ終えたのだが、コーヒーを食事のあとに頼んでいて間に合わなかった。それで、事情を言って、お金を払って出てきた。ところが、2百メートルくらい来たところで、追いかけてきたレジの人に呼び止められ、お金を返しますと言われてしまった。近くの歩いて見ていた人も、返してもらったら、と口を挟んでくる。

0320_3 この商習慣の感覚と、街の人びとの感覚は、やはり京都的だな、と思う。もっとも、大阪の言葉も京都の言葉も見分けがつかないものの言うことだから、寛容の精神で聞いてほしいのだが。食事をしたのだからその分をとるという合理主義的な考え方を取らずに、むしろ信用を大切にする、というのれんの使い分けを行っているところに特色があると思われる。0320_4 この感覚は、たとえ観光客に毒されても、残して欲しいと思う。というより、むしろ、わたしのような一見の客が来るからこそ、かえって京都感覚らしさも養われていると思いたいところだ。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。