カテゴリー「モノと欲望」の投稿

2007/12/12

古い場所の効用

古い場所というのは、時代の証言として残しておくべきである、ということに賛成である。けれども、言うは易いが、行うは難しである。

きょうも、古い場所に寄ることになった。渋谷の南平台で寮生活を送っていたときに、都会の暑さに閉口し、また冬の寒さに手足を凍らせ、生きる場所の確保に迫られた。やはり、山手通り沿いでは、交通量が多く、一日中いるには厳しかった。そのときに、丘を下って、渋谷に出るしかなかった。

先日は、百軒棚の「ブラックホーク」について書いたが、もうひとつ駅の近くで、食事も近くにある場所としては、メアリー・ジェーンが最適な場所だった。この近くの豆腐屋さんが地下の工場から出来立ての豆腐を素材にした定食を出していて行きつけだった。

「ブラックホーク」のほうは、主であった松平氏がなくなると廃れて、今ではビルになってしまって跡形もないが、「メアリー・ジェーン」は現在でも開いている。二階に上る階段でちょっと曲がっているので、そこを回らないと音楽は聞こえてこない。

典型的なジャズ喫茶で、夕方行くと仕事が帰りのサラリーマンが、ちょっとコーヒーを引っ掛けて、一日の瞑想にふけっている。かつては若者が出入りしていたが、最近は歳が確実に上がってきている。

また、わたしが一番最初にきたときから、すでに30年は経過しているから、当然経営者も何代か変わっているに違いない。方向があって、こちらは馴染みという感じではなかったので、詳細はわからない。けれども、掛ける音楽の趣味はたいへん良い。

きょうのなかでは、Bob Stewartのブラス・アンサンブルが素敵だった。重層的な多リズムのなかで、チューバの刻みがノッていた。

きょう最後の濃い目のコーヒーをいただきながら、朝から続いた四つの会議を思い出していた。とくに、社会と経済の専攻部会で、H先生から全員の先生方に対して締切を言い渡された問題提出のことを思い出してしまい、このような時にも仕事が頭にあるとは、とノートを取り出し、さっそく取り掛かる。

じつは、ちょうど現在、この問題の元となっている授業科目『市民と社会を知るために―名著に触れよう』の最終校正ゲラが手元に送られてきていた。校正を行うついでに、問題作成を行ってしまう。

学生の方がたが問題を解いているときに、ジャズが聞こえてきたら、それはわたしがここで作成した問題である。いい問題が出来たので、大いに楽しんで解答していただきたいと考えている。

さて以前にも書いたように、このような隠れ家的な場所を、都内でいくつか持っていることが、わたしのような商売の場合には、かなり必要である。けれども、わたしの方で都合が良いと言っても、やはり維持しているのは喫茶店のほうであるから、このように何代にわたって、古い場所がまったく変わらずに続けられているのはたいへん稀有なことになろう。

変わらないのは店屋のほうで、じつはわたし自身が変わっていることに気づいた。当時は、たぶんいたずらにタバコを吸っていたと思う。だから、他のひとの紫煙も気にならなかった。ところが、ここは喫煙が当たり前のジャズ喫茶である。気になるどころではない。久しぶりにタバコの煙のシャワーを浴びて、自分の変化を認識したしだいである。

変わらないということは、周りが変わったということなのだ。

2007/12/03

奨励賞

このところ、娘が盛んに小さなメモを書いているので聞くと、これを大学生協へ持っていき、10枚提出すると、500円貰えるのだと言う。一冊読んで、感想文を提出する。「読書マラソン」といって、大学生協書籍部の呼び物なのだそうだ。

それはいいな。けれども、考えてみれば、1枚の感想文を書くためには、必ず一冊の本を読まなければならないから、結構、それなりに生産性は低い作業であり、お金のためだったら、その時間分だけアルバイトに出たほうが、よほど生産的ではないかと思わないではなかった。けれども、時間がたっぷりある大学生には勉強にもなるし、素敵な作業ではないかとも思った。

お金の問題だけではないだろう、と見ていたら、案の定新聞に名前が出た、と言って、自慢している。なんだ、やっぱりそうか。どれどれ。金賞でもないし、銀賞でもないし、さらに銅賞にもないな。なるほど、奨励賞か、この次に期待するということだな。

応募総数が7271通というのは、すごい。10通で500円ならば、35万円ほどの補助金を投入しているのか。でも、それで7271冊の本が読まれるのならば、わずかな金額でプロモーションの効果があったというべきであろう。やはり、大学生協ならではの企画だろうと思う。

できることなら、放送大学でも、このような企画を出していただきたいところである。機関紙に投稿すると、ポイントがついて、放送大学の教科書が無料になる、などはどうだろうか。

けれど、奨励賞であっても、わが娘としてはよくやったと思う。昔、大学院生時代にアルバイトで、わたしはこのような賞の選考を手伝ったことがある。審査委員の先生方が選ぶ前に、あらかじめ候補をそろえておく作業である。これが結構楽しいのだ。それなりに基準を定めて、いくつかに絞っていく。最後は、かなり客観的に、だれが選んでも同じになるだろうという境地に達するから、面白い。

さらに、戴くほうにとってもたとえ奨励賞であっても、それなりに嬉しいものである。もう一度、機会があったら書いてみようかという気に必ずなるから不思議だ。わたしの場合は、小学校時代に絵画を描いて、賞をいただいた。そのあと、二、三度同じようなことが続いた。やはり、そうして動機付けられていくのだと思う。一度たまたま、金賞をいただくよりも、何度か奨励賞をもらったほうがうれしい。

この意味で奨励賞というのは、なかなか良い賞だと思う。残念ながら、放送大学には生協はないのだが、わたしもいくつかの大学で教えているので、他大学の生協書籍にはいつもお世話になっている。毎年、数十万円の書籍は購入しているので、ちらっと頭のなかを邪悪な考えがよぎった。

この際だから、娘には、ぜひがんばってもらって、卒業までにあと90通は書いてもらおうと思っている。親ばかも、この程度まで到達すれば、許されるかもしれない。

2007/08/21

シュルレアリスムについて

消費文化論のために見ておきたかったが、時間がなくて見逃していた「シュルレアリスム」展が宮崎に来ていた。(至る所で、研究取材が成り立つというところが、わたしの商売の利点だと勝手に思っている。)

Musium展覧会を行っている宮崎県立美術館自体に、そのような超現実的な空間を作り出そうとしている意欲を感じた。

今日では、芸術の方法ばかりでなく、広告・宣伝のなかに取り入れられている。日常の手法として、身近なシュルレアリスムを確かめておきたかった。わたしたちの現実には、隠れた部分がたくさんあって、「超現実」という現実もある。

ふたつの手法について、わかりやすい展示が行われていた。

「自動記述」手法を使った作品はたくさん集められていた。表現を行うときに、ものを考えずに、描くスピードを上げていくと、それまでにない超現実の表現が現れる。このような作品のなかでは、イヴ・タンギー「棒占い」が良かった。ひとつひとつは、それぞれ意味があって、濃厚な物語が存在するのかもしれないが、集積され積み重ねられると、それらの濃厚な物語とは異なる超現実がそこに現れてくる。背景のブルーとクリームの取り合わせも素敵だった。

もうひとつの手法は、「デペイズマン」で、本来あるべきところのものを別のところへ置き換えることで、別の出会いが起こる。このとき超現実がありうるとする。あまり好きではない、といつもは通りすぎてしまうのだが、今回に限っては、ルネ・マグリットの「白紙委任状」が、この手法の例としてよくわかった。馬上の女性像が、樹木の前に描かれていたり、後ろに描かれていたりしていて、「ほんとう」の像はどちらなのかわからない状況を作り出している。じつは、現実というものはこのように、分断された像を持っているのだ。

ふつうはマックス・エルンストの「手術台のうえのこうもり傘とミシン」がデペイズマンの例として有名であるが、今回は別の形で理解できたことが収穫だった。

Live美術館の隣には、県立図書館があって、そこのポスターもシンプルで見栄えのするものだったので、写真を撮らせてもらった。

Uruwashi 宮崎で最後の珈琲は、地元の老舗として知られている喫茶「ウルワシ」でいただいた。市内のほんとうの中心部にあって、チェーン展開しているTのすぐとなりにあるにもかかわらず健闘している。談話のしやすい場所を確保していることで、優勢を保っていると見た。もちろん、珈琲も美味しかった。

2007/02/28

真実の困難さ

ゴアの映画「不都合な真実」をみてきた。

真実であることを人に信じさせることが、たいへん難しい時代なのだな、という印象が先にたった。地球温暖化をテーマとしたまじめな内容と、政治的な要素の多い映画だった。

内容の真実さを科学的な根拠で明らかにしようと、ゴアはこの映画のなかで再三述べている。けれども、このことを言えば言うほど、この映画はいわゆるプロパガンダ(意図を持った宣伝)映画になる。

映像で真実を描くことには、限界があるのは否めないだろう。もっとも、言葉が真実を伝達できる程度には伝えることはできるかもしれないが。

たとえば、昨年起こったハリケーン「カトリーナ」の悲惨な現場を映像で映しながら、これが地球温暖化の証拠です、と言われても、それは直接的な気象現象とどこが違うのだろうか。これらが頻繁に起こることがおかしいということだろうか。

この映画で説明されていることが、真実か否かということを疑い出したら、この映画の守備範囲からかなり離れなければならなくなる。この映画内容の真偽論争については喧しいが、ここではあまり立ち入らない。

むしろ、製作者はプロパガンダを意識的に行っている映画に仕立てている。地球温暖化を主題とした映画であるより、むしろプロパガンダを主題とした映画を意識しているのだと思われる位だ。

それが証拠に、「ゴア」の映像中心の映画になっており、彼に語らせることでこの映画は成り立っているのだ。延々と、彼が何千回も世界中で行ってきた「スライド講座」を映す。このゴアのしゃべり自体を映像にしたい、と製作者は考えたに違いないのだ。

科学的な説明を真剣に行いたいのであれば、その内容に相応しい講演者や説明が可能であったはずである。そうではなく、ゴアという、ひとつの「ブランド」を使う意味は、やはりプロパガンダにあるのではないかと思われる。

今回注目したのは、「プロパガンダの商品化」という点である。本来、環境の考え方というのは、商品社会の外部にあるために、倫理的な観点を入れたり、社会的な責任を継ぎ足さなければ、商品社会への参入はできない。

けれども、この映画が強靭だと思われるのは、このような「商品足り得ないこと」を映画という「商品」に仕立ててしまっているという点である。

本来商品化できないものを商品として成り立たせるにはどうしたらよいか、というヒントが詰まった映画であると思う。なぜ商品化が可能だったのだろうか。

その理由としては、第一に、ゴアというブランドを採用したこと。第二に、地球温暖化という知識群(真偽両方が含まれている複雑群であることが大切)が、わたしたちの生活の中に浸透してきているという事実を挙げることができよう。

そして、やはり抜かすことができないのは、そろそろ米大統領選挙ということが話題になってきており、あのときのゴアは今何をしているのか、とみんな考えていたということもあるだろう。

米大統領選挙というタイミングを利用したことは大きいと思われる。(映画のなかの、「一瞬、米大統領になった男」です、という台詞は効いていた。)

商品化という視点から見ると、この映画はアメリカ文化批判という内容とは違って、きわめてアメリカ的な手法を大胆に取り入れた映画であるといえる。グローバリゼーションの尖兵を逆手にとって、商品化できないものを商品化して、世界中に「輸出」し、グローバリゼーションの最先端を築いている映画であると評することも可能だと思った。アメリカ映画産業は、商品化というシステムを極限まで利用しつくしている点で、スゴイと思う。

2006/12/08

緊急のお知らせ

いよいよ明日、公開講演会が千葉学習センターで行われる。

今回のお話は、暮らしのなかのデザインについてで、身近なデザインが目白押しで出てきます。講演会のなかでは、写真が100枚以上使われて、これまでにないビジュアルな構成です。講師は、宮崎紀郎(千葉大学グランドフェロー)。

じつは、今年千葉美術館で、千葉大学の工業デザインの歴史についての展覧会が開催されたが、そのときに観る機会があり、「生活のなかのデザイン」にたいへん興味を持った。この展覧会を見逃した方にも、また続編をお聴きしたい方にもお勧めです。

ぜひお出でください。すこし席に余裕がありますので、当日受付も大丈夫です。

デザインの話
―暮らしを変えるデザイン
                   宮崎紀郎
日時:平成18年12月9日 
   14時~15時30分
   (開場13時30分)
会場:千葉市美浜区若葉2-11
    放送大学附属図書館
    3階AVホール
参加費:無料

問い合わせ:
放送大学千葉学習センター
  (電話:043-298-4367)

Design_2

2006/05/08

プロ仕様とは?

プロフェッショナルとは?という番組が流行っているが、わたしの印象からすれば、プロとはやはりそれらしいモノを持っていて、それに考え方が染みついているような人だな。

プロ仕様というといかにもプロが標準化されているようで安っぽく聞えてしまうが、実際のところ、プロ仕様のモノというのは手作りが基本だと思う。

自分で工夫して使っているというモノがなければ始まらない。

さて、前置きが長くなってしまったが、大学で講義をしていて、黒板がいつもきれいなのには驚かされる。

大学には、黒板拭き専門の職人がはたらいていて、大学の中でもっとも忙しい部門なのだ。

何しろ、5分から10分しかない休み時間のうちに、大学にあるすべての講義室の黒板を、毎時間ごとにきれいにして回らなければならないからである。

その数を考えただけで気が遠くなるほどである。

そこで登場するのが、それぞれの人が工夫したお手製の「黒板拭き」なのである。それは異常に長く作られていて、一度黒板を往復するだけで、すべての白墨の痕跡をぬぐい取ってしまうという代物なのだ。

このようなプロ仕様の「黒板拭き」のことを知らなかったときに、これが欲しくてどこで売っているんですか、と尋ねたことがあったが、笑われてしまった。

今日、プレゼンテーションソフト流行りで、黒板が使われない傾向もあるが、やはりその場で白墨をたたきつけて字を書いていく快感にはかなわない。学生を真に惹きつけたかったならば、たとえ字が下手でも、黒板を使うべし。

そして、プロの黒板拭き職人のご厄介になろう。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。