カテゴリー「絵画・展覧会」の投稿

2017/03/26

「正岡子規」展を観る

Img_6703 冷たい雨が降っている。関内駅で地下鉄を降り、横浜スタジオの横を通り抜け、フランス山の急な階段を駆け上って、いつもの風車の脇をすり抜けて、港の見える丘公園に出る。Img_6708 お花畑を横目で見ながら、霧笛橋を渡ってお話の世界へ入っていく。F氏と神奈川県立近代文学館で開かれている「正岡子規」展を観る。

 

Img_6713 先日、上野の「正岡子規球場」の話を書いたところだが、なぜ正岡子規が野球殿堂入りしているのかといえば、この「野球」という言葉を編み出したのが、子規だからだそうだ。幼名が「のぼる」というところから、「ノボール」という言葉になり、「野球」となったのだ。ほんとかなと思ってしまうほどのユーモアだ。ちなみに、ベースボールの中国訳は、F氏によれば「塁球」なので、直訳なのだが、日本では違うのだ。Img_6717_2 このような駄洒落めいたところが随所に正岡子規には見られる。とりわけ、夏目漱石との間で、笑いの掛け合いをしているところがたいへん面白かった。子規の批評を偽名で行っていて、その名前が「平凸凹(たいらのでこぼこ)」という名称を使っていたりする。このユーモア抜きに子規周辺を理解できないことを知る。

 

Img_6715 子規の若い頃の考え方で、ズバッと書いていて素晴らしいなと思えるのが、学問の中核にある「好奇心」についての記述であった。展覧会では、22歳の時の『水戸紀行』を引用していた。「好奇心といふことは強く遠く遊びて未だ知らざるの山水を見るは未だ知らざるの書物を讀むが如く面白く思ひしかば」と記されている。好奇心とは「強く遠く遊ぶ」ことである、というのは、素敵な言い方だと思う。Img_6711 好奇心では、「強く遊ぶ」ことと、「遠く遊ぶ」ことの両方が必要なのだ。強く遊ぶというのは、遊びに夢中になるという性質をよく捉えているが、さらに遠く遊ぶということがもっと重要なのだと思われる。日常から離れて、専門から離れて、中心から離れて、周辺から遊ぶ中で、好奇心は育まれることを説いていて、「うん、なるほど」と思ったのだった。経済学者ヴェブレンの言葉に、「怠惰なる好奇心」という言葉があるが、「遠く遊ぶ」というのは、この系列に属する考え方だと思った。

 

Img_6719 F氏は盛んに、子規と漱石との関係に興味を持っていた。展覧会には、第1高等学校時代の成績表が出展されていて、子規の同級生に漱石や南方熊楠や山田美妙が並んでいた。展覧会の解説者による説明文によると、漱石がアイディアを重視したのに対して、子規はレトリックを重視したと記していた。小説家は新しい話を作ることに秀でるのだが、俳句はレトリックの問題が重要であるというのはわかる話だ。Img_6720 もっとも、おそらくこれは相対的な話であって、それぞれ相互に影響を与えあっていたのだと思われる。漢文による書に対して、漢文による批評を返していて、当時の高等学校生の教養の深さを知った。また、有名な話では、子規の「柿くえば 鐘が鳴るなり 法隆寺」という句は、漱石の「鐘つけば 銀杏散るなり 建長寺」の影響を受けたということもあり、この証拠となる高浜虚子の手紙も公開されていた。

 

Img_6726 外は依然として寒空が広がっていて、雨が冷たい。山手111番館の横を通り抜けて、外人墓地へ出る。明治期の水道施設の樹々が鬱蒼とした公園を抜けて、元町商店街の裏通りへ出る。Img_6733 娘といつも行っていた喫茶店が移転していて、無くなっていたので、ランチは日本茶と豆腐料理の店「茶倉」へ入る。人気店らしくて、しばし待ってから、席に着いたが、ゆったりと食事できる店だったので、手足が冷たくなっていたのが、豆腐ハンバーグと抹茶とで、ようやく暖かくなったのだ。

 

Img_6745 日曜日なので、観光客の多い中華街は垂直に通り抜けて、本町通の裏街を歩く。ここには幕末期の居留地跡がいくつか残っている。もっとも、この地面の下には、レンガ遺構などが埋まっているので、地表に現れているほんの少しのものを見ることができる。Img_6739 西洋商事館の建物のレンガや、松代藩佐久間象山の大砲、さらに居留地での日本初の近代的消防団跡などを見ることができる。Img_6766 そして、最終的には、F氏がジャーナリストだったこととは無関係だとは思われるが、いくつかの候補の喫茶店の中から、フレンチ料理のアルテリーベが1階に入っているビルの新聞博物館二階のクラシックな喫茶店に腰を落ち着かせる。Img_6769Img_6772 窓はすっかり水滴で真っ白になっていて、当分の間外には出たく無いほどだったので、老人二人はおしゃべりに精を出したのだったのだ。Img_6774Img_6780

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2016/12/30

デトロイト美術館展で今年の見納め

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原稿の締め切りが迫っているのだが、毎年同じことを言っているので、家族のみんなは本気にしてくれない。それを幸いと見るのか不幸と見るのか、この歳になってくると自分でも判定できない。Img_5577_2 母が存命中は千葉へ行く必要があったので、ついでに幕張の研究室に大晦日までこもって原稿書きを行なっていて、守衛さんたちから「今日まで仕事ですか」と笑われていたのだが、大学には他にも大晦日まで仕事を行なっている先生方が毎年何人かいらっしゃるので、かなり変わり者であることは間違い無いのだが、唯一の変わり者では無いことを毎年確認してきたのだった。

 

Img_5572 ところが、母が亡くなって、幕張へ大晦日に泊まる口実がなくなり、大晦日を自宅で過ごすようになってくると、大掃除やら買い物やら、年の瀬に済ませなければならないことが目白押しで、研究室にこもっていた頃が懐かしいとさえ思えるのだった。

 

Img_5544 上野で開かれている「デトロイト美術館展」の切符があるよ、と娘が誘ってきたのを幸いと見て、程よい仕事の切れ目を潮時とし、朝には家を抜け出した。娘が以前本郷三丁目に住んでいた頃に、湯島近辺で美味しい料理店を開拓してあり、それを期待して、地下鉄の湯島駅で待ち合わせて、Img_5541 まずはフランス料理の店へランチ目指して行く。ところが、店には張り紙がしてあって、本日予約で満席だとのことだった。Img_5576 こんな調子だとイタリア料理のピッツアの店も同じ状態だろうということで、方針を変えて、近くの日本料理の店に早々に入ってしまう。金目鯛専門店だった。金目鯛丼膳を注文する。

 

Img_5552 湯島天神がその店を曲がった正面近くにあった。学業の神様なので、今年の商売繁昌を報告して、感謝のお参りをする。ここには、受験生たちの合格祈願が殺到していて、絵馬を掲げる立て看板がずらっと並んでいた。読んでみると、みんな欲張りで、T大、W大、K大、R大などとずらっと受験校を書いて、祈願していたのだ。Img_5556 でも中には、親御さんたちだけの絵馬が掲げられていて、息子や娘の合格祈願をそっと願っている絵馬があって、好ましかったのだ。それから泣かせたのは、教師の絵馬で教え子が目的の試験に受かったことを感謝していた。教え子のチカラは信じていても、あとは神頼みというところは、確かにあるのだ。

 

Img_5571 湯島から男坂、女坂を下って、枯れたハスの花が茫々と続く不忍池を迂回し、上野の「時の鐘」を遠望しながら、日本芸術院の隣にある「上野の森」美術館へ出る。Img_5562 印象派とドイツ表現主義を中心としたポピュラーな絵が目白押しだった。たとえば、代表となる作品は、何枚かある有名なゴッホの自画像の一枚がきていた。ゴーギャンやセザンヌなどもそれぞれ教科書に出てくるような作品の次に控えているようなものがそれぞれきていた。

 

Img_1817 今回の中で、長く眺めてしまったのは、オスカー・ココシュカの「エレサレム」と「エルベ川、ドレスデン」だ。近景と遠景が斜め上下に分けられていて、絶壁や川によって、中間が仕切られている。ココシュカの人生全体を表しているかのようだった。Koljerusalem けれども、この景色、とりわけ遠景部分は秀逸で、不思議な盛り上がりを見せている。ココシュカの絵画では、恋愛関係にあった有名なマーラー夫人を描いた「肖像画」や「風の花嫁」などの人物像をよく目にしていたので、これまであまり注目することがなかった。Img_5592 けれども、今回の二枚ともに風景画であり、なおかつ、近くと遠くを独特の世界観で描いていて、興味深いものだったのだ。娘は、マティスの「窓」が良かったらしい。この絵の中の椅子やテーブルや窓の一つ一つを見て行くと、何の変哲の無い普通のものが並んでいるに過ぎない。それぞれの絵だって、特別に素敵なわけでは無い。Img_1821 ところが、この絵の前に立つと全ての人びとに、これは「マティス」なのだとわかるのだ。この明確さは、なんなのだろうか。

 

Img_1839 正岡子規球場の前を通って、国立博物館前を横切り、芸大の喫茶店と赤煉瓦の建物群を横目で見ながら、突き当たりの和菓子屋さんで、抹茶と和菓子のセットをいただく。Img_1858 丹波の大納言のゼリーが美味しかった。そのまま根津まで散歩して、千代田線と副都心線、東横線と乗り継いで、横浜の帰路へついたのだ。年の瀬のギリギリの散歩だった。Img_1861 Img_1849 Img_5546 Img_1841 Img_1852 Img_1853

2016/12/08

横須賀美術館へ散歩

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冬の陽の落ちるのは早い。散歩に出ようとしても、まごまごしているとすぐ暗くなってしまう。先日の逗子・鎌倉へ行ってから、足の調子は良くないのは仕方ないとしても、呼吸器系の調子が良く、歩くことの効用については歳をとるほどに感じてしまっていたのだ。Img_5303_3 それで、今週も逗子と横須賀の美術館をはしごしようと妻と計画していた。電車の時間表など調べてもらっているうちに、両方は無理じゃないか、ということになり、さらに妻がどちらの企画展も見たくないと言い出して、結局のところ一人でトボトボと家を出て、横須賀美術館を目指すことになったのだ。

 

Img_5359_2 目的は二つあって、横須賀美術館の企画「新宮晋展」を観ることと、じつは3年前に開かれた企画展「日本の木のイス展」のカタログを購入することだ。当時、イス展をなぜか見逃していたのだ。それで、カタログだけでも手に入れておこうと思ったのだ。Img_5312_2 ここには、わたしの講義でも取り上げた、フランク・ロイド・ライトのイスや、柳宗理のイスなどが展示され、とりわけテーブルや部屋との調和の観点から取り上げられていて、今更ながらではあるのだが、見逃してしまっていて残念だったのだ。

 

Img_5321_2 それにしても、この美術館の海風の中を歩くのは、気持ちがよい。美術館に近づくにしたがって、今日の展覧会「新宮晋」のモチーフの一つである「風」のオブジェが芝生の傾斜した庭いっぱいに広がっているのが見えて、爽快な風模様を感じるだけでなく、観ることができるのだ。Img_5339_2 今日は小学生への美術館開放の日であったらしく、列をなして帽子をかぶった子どもたちが表坂道を降りてきた。Img_5330 前面のレストランには、犬を連れて、散歩途中の老人が風模様の黄色と、浦賀水道の青い海との対比を眺めていた。こうなると、体力がないからと言って、家に閉じこもっていられない。気分が晴れた分だけ、気力の問題だということになるだろう。

 

Img_5334_2 「新宮晋」の動くオブジェは、楽しいものだった。入ってすぐの部屋では、「水」を自然動力とした、二つの水車が展示されていた。「雨の光線」と「小さな惑星」と名付けられているオブジェだ。水車といっても、通常のものとは異なって、上から流れてきた水がオブジェに受け止められて、オブジェの内部で複雑な動きを見せ、それに合わせて、回る工夫が施されている。Img_5342 見ているだけで、いろいろな複雑な動きを見せるので、そのメカニズムがどうなっているのかを考えて見ているだけでも面白い物体なのだ。単純に水は上から下へ流れているだけなのに、溜められて横に向かうと、なぜこのように複雑な流れを見せるのだろうか。不思議な動きが生まれる遊具なのだ。

 

Img_5343_2 次の部屋では、今度は「風」がテーマになっている。天井に隠れて据え付けられた扇風機が風の流れを生み出して、それを受ける大きな風車と小さな風車が組み合わさって、これも大きな回り方と小さな回り方との複雑な組み合わせを見せている。Img_5337 あるいは、近くの風と遠くの風が、それぞれ大きな動きと小さな動きを連鎖的に生み出していく。ひとつとして、同じ動きはない。一つの風は、他の風とぶつかったり合流したりして、互いに弱く吹いたり強く吹いたりして、異なった風模様を作り出していく。

 

Img_5336 このように言葉で説明しても、隔靴掻痒でうまく伝わらないかもしれないが、それがオブジェというものの良いところなのかもしれない。特に注目したのは、「空のこだま(Echo of Sky)」だ。これを見たら、これまでの新宮の意図が、はっきりと見えた気がしたのだった。

 

Img_5355_2 水車にしても、風車にしても、なぜか新宮の作る今回の車には、支柱を挟んで、左右に二輪の車が付いているという共通点が見られた。そして、この二重の車を支える支柱が伸びて、地面に固定されたり天井に据え付けられたりして、何れにしても二輪を支える土台が存在するのだ。Img_5361_2 典型的には、「小さな花」と名付けられた三段に円柱が重ねられ、動きがグレデーションとなって現れる、回るオブジェなどは、最終的に三番目の円柱を支えるところで、土台が強調されている。いつも、土台との戦いの中で、車が回っているのが特徴なのだ。車は、しっかり固定するものがなければ、回らないのだ。これが展覧会の前半の答えだ。

 

Img_5341_3 ところが、「空のこだま(Echo of Sky)」では、初めて土台から、車の存在が自由になるのだ。車が上で転回するために、土台ではなく、重し(バラスト)が車の反対側に吊り下げられているのだ。バラスト効果がこんなところで目に見える形で出て来ようとは、到底想定していなかったのだ。Img_5366 驚いてしまったのだ。風車が宙に浮いて、それをバラストが左右に重心をとって、全体を安定させている。素晴らしい想像的オブジェだと思った。土台からバラストへ転換することが、こんなにオブジェ全体の自由を保障するとは本当に思わなかったのだ。Img_5365_2 おそらく、社会にもこのようなバラストがたくさんあるに違いないと類推を羽ばたかせてしまったのだった。

 

Img_5382_2 そんなこんなで、さらに常設展で、いつもの朝井閑右衛門の「パン」や三岸節子の「室内」や松本竣介の「お堀端」や国吉康雄の「毛皮の女」、さらに萬鐵五郎の「ガス灯」なども堪能して、Img_5376_2 3時間ほど心の散歩をして遊んでしまったのだ。Img_5378_2 夕闇迫る浦賀水道には、まだまだ常夜灯を掲げた船たちが行き来していた。ようやくにして、1時間ほどの家路に着いたのだった。遠くに、富士山が赤く染まっていた。

2016/05/22

砧公園の世田谷美術館へ行く

Img_0812 砧公園の世田谷美術館で開かれている、「竹中工務店400年」展へ行く。東急線用賀駅から遊歩道を15分ほどたどって、砧公園へ着く。歩道の石に、百人一首が刻み込まれていて、楽しい散歩コースだ。Img_0817 竹中工務店といえば、あべのハルカス(2014)や東京ドーム(1988)などの近代建築の会社であるというイメージが現代では定着しているのだが、関係者にとっては400年の歴史というものがあって、この400年のうち近代以前の最初の250年が重要な意味を持つことがわかった展覧会だった。

Img_0819 数多くのコンクリートの近代建築が展示されているのはこの展覧会ではまったくの事実であって、それらだけでもかなりのボリュームの写真や説明があるのだが、それらの中でもコンクリート以外の建築物、とりわけ目を引いた建築物は、やはりポスターに謳われていた「棟梁精神」が前面に出た、木造建築だった。先日神戸で訪れた大工道具館の展示を思い出した。

Img_0829 全体の展覧会では、必ずしもそのことは強調されていなかったのだが、見終わると心に残るのだ。記憶の底にズシンと沈殿してきて、重く思い出されてくる建物があるのだ。都市の建築物よりも、地域の建築物にそのような建物が多いのはなぜだろうか。それらは、神社仏閣もさることながら、それ以外の木造建築物だ。中でも、1935年落成の「雲仙観光ホテル」は今回の展覧会ポスターの下の方に、設計図が載っていて強調されていたし、この建物には窓が多く取ってあり、いかにも人間を向かい入れることを思い起こさせそうな建物なのだ。

Img_0834 さらに加えて、注目したのは、2013年に作られた「大阪木材仲買会館」だった。宇宙の果てまでもギューンと伸びていきそうな、木造の庇と外廊を持ったビルなのだが、素材として耐火性の木造であるという点が特色だ。木柱の芯に石が埋め込まれて、類焼しない工夫がなされている。

Img_0836 これは、都会では、心強い仕組みということになるだろう。なぜ都市の建築物がコンクリートと鉄鋼で作られ、味気ない街になってしまったのだろうか。やはり、都市の火事は、相当に恐れられていたことの一つだと考えられる。それは、江戸時代の火消しの活躍に象徴されている。この災害対策として、わたしたちは次第に、木造建築物を排斥してきてしまったのだと考えられる。けれども、この木材仲買会館のような木造が増えていけば、解決されるだろう。心配なのは、コンクリートと比べると、極端にコストがかかっている感じのところだ。木材にこだわった結果、費用が極端に高くなってしまったのだろう。けれども、長期的に見れば、木材を生かすことの事例として、かなり意味が出てくるのだろう。

Img_0841_2 昼をとうに過ぎてしまったので、美術館のカフェで軽い昼食をとる。公園から、一段下がった、中庭がテラスになっていて、水が流れている、今日のような夏日には、見た目で涼しい。

今日の椅子は、これまで何回も取り上げようとして、うまくいかなかったウェグナーのYチェアだ。柱と笠木の曲木が綺麗で、全体として、ぷっくりとまとまっているところが、自然さを示している。Img_0844 けれども、ほとんどの部材がかなりのロット生産で作られており、大量とまではいかないが、量産可能な椅子として、しかしながら、手作りの趣を残している木製椅子の代名詞的な椅子だ。

座ってみると、ペーパーコードの座面が心地よく、左右への身体の揺れに自由度があるところがたいへん良いのだ。Img_0845 今回の世田谷美術館のレストランの常備椅子として、数十のYチェアが使われていて、Yチェアがパレードを行っているようだ。待合の廊下にも、長椅子とともに使われており、ちょっと休憩というときに良いのだ。ガラスが大きく取ってある廊下でYチェアに座って、庭に置かれた不思議な彫刻を眺めながら、しばし展覧会を思い出していたのだった。Img_0842

2016/02/13

「恩地孝四郎」展へ行く

Img_2873 昨日は昼食の後、大学を早めに退散して、恩地孝四郎展を観に東西線の竹橋へ出た。国立近代美術館は、金曜日には夕方遅くまで開いているので、じっくりと鑑賞できる。Img_2913 わたしの原稿書きの調子からして、下旬になると予定が立て込んでくる予想があるので、これから迎える苦難の前に一条の救いを求めたのだ。

Img_2874 恩地孝四郎の名前は、かなり前から知っていた。記憶を辿ると、たぶん中学校時代にまでさかのぼることになるだろう。当時、池袋を通って、練馬区の大泉まで電車通学していたのだが、この池袋のいつも寄る書店の包み紙が、恩地孝四郎の装丁だった。どのような模様であったのか、見ればわかるだろうが、今ではあまりはっきりとは記憶していない。だが、この名前だけには記憶があるのだ。

Img_2876 展覧会場に入ってすぐに、油絵の自画像があった。途中にも幾つかの自画像が掲げられていた。それらを観て、これらは油彩であるのだが、いかにも版画的な絵画なのだと思った。ここでの版画的とは、色ごとに、刷りが異なり、それらが複合的にレイヤーを構成しているような描き方のことだ。それで他の恩地の絵画を見ていても、どうしても表現が版画的だと思ってしまうのだ。たぶん、これらの絵画をもし単体で見せられたら、きっと興味を示さなかったに相違ない。版画的に描かれているから、きっと表現上意味が出ているのだ、と思ったのだった。ということは、恩地孝四郎は最初から版画家だったのだと思う。

Img_2910 わたしが思うに、木版表現には絵画表現に勝る二つの版画的特徴がある。ひとつは、切り取ってきたような輪郭のはっきりした、エッジの切れた表現だ。浮世絵の多くは、輪郭のはっきりした表現でできている。もうひとつは、ベタ面の表現だ。木の持つ細胞の凸凹が刷られて反映される質感である。表面の示すザラザラ感がなんとも言えない。

Img_2906 恩地の初期の「月映(つくはえ)」時代には、黒と白とで、エッジの切れた木版表現を行っていた。これに対して、関東大震災以降辺りから、木面の豊かさを意識したような版画が多くなる。この時代で、好ましいなと思ったのは、眼鏡がなかったので、細かい字が見えなかったのだが、Img_2914 1922年の「卓上静物」(リンゴが素晴らしい)、1928年の「湖辺」、1930年の「朝」、1939年の「円波」などだ。後者の三つは、水色の使い方が木面を生かしたものになっている。「朝」は、その後何年か、同じモチーフで描かれている。

Img_2917 これらの後、恩地は戦後の「抽象画」時代に入っていくことになる。チケットの挿入画になっている1949年の「孤独」、詩集の表紙となった1950年の「雲は機械である」などに、興味を持った。

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さて、近美の楽しみは、常設展示だ。こちらは写真を撮っても良いことになっている。なぜか、今回はこれまで何度も見てきて、見飽きない逸品が数多く展示されている。上記の恩地孝四郎の企画展では、写真が禁止されているのだが、こちらの常設展での恩地作品は、撮影OKだった。

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Img_2883 企画展の間に挟んだ東京駅がその作品だ。藤田嗣治の2作品は、堂々とした大作だ。作風が正反対であるのだが、この作家の特徴をよく表していると思う。この小林古径のりんごは透き通るようで、見飽きることがない。

Img_2878Img_2894Img_2900 Img_2909 今日の椅子は、近美の実際の椅子を取り上げようととも考えたが、やはり作品の中の椅子を二つ上げておきたい。一つは駒井哲郎の「歪んだ室内」、もう一つは、山口蓬春の描いたウィンザーチェアだ。両方とも、すぐにでも座ってみたい椅子だ。Img_2904

2015/11/12

若林奮展を観に、葉山へいく

Img_2204 彫刻の「若林奮」展が、葉山の県立近代美術館で開催されているというので、午後2時頃には仕事を閉じて、雨が降り出しそうな中を歩いて、京浜急行電車へ乗る。逗子駅からのバスが、10秒も待たずに来たので、家から30分くらいで葉山海岸の三ヶ丘にある美術館へ着いた。Img_2164 横須賀美術館とこの葉山の美術館は、家からも近いし、さらにちょっと離れたところに来たという感覚を満足させてくれるので、最も多く来ている美術館だ。

Img_2172 若林奮の作品は、2年前に横須賀美術館で開かれていた「父、若林奮」展で知った。このときも娘のために、というよりは、娘との距離を測るために、といった方が適当かもしれないが、ドールハウスや、童話を題材にした親しみやすい作品が並んでいた。けれども、今回の展覧会とは、全く印象が異なった。

Img_2211 今回のテーマは、「飛葉と振動」ということになっていて、人と自然の中間にある「尺」というものを問題にする展覧会となっている。本来の鉄の彫刻を中心として、小さなものから大きなものまで、ざっと4部屋にわたって展開されていた。一つのテーマが設定されると、1、2から数年は同じテーマが追求されるらしい。それで、そのテーマをめぐって、様々な作品群が生み出されていくから、一つのテーマ全体を見るのもたいへんな量の作品を見なければならない。

Img_2183 中心となる「振動尺」シリーズ、社会を考える者には刺激的な「所有・雰囲気・振動」シリーズ、「大気の中の緑色に属するもの」シリーズ、「クロバエ」シリーズ、「100線」シリーズ、庭シリーズ、「緑の森の一角獣」シリーズ、「Daisy」シリーズ、「4個の鉄に囲まれた優雅な樹々」、「多すぎるか、少なすぎるか?」シリーズ、「飛葉と振動」シリーズなどなどが並ぶ。

Img_2180 見なければならない、とは言ったものの、じつは表に現れない事象を実際のテーマにしているから、見えないものの方を見なければならないという展覧会なのだ。入館して、最初に出会うのが、初期に有名になった「泳ぐ犬」である。木片から、顔だけを出した、埋もれた犬が見える。そして、その前には、なぜか窪みが作られている。この作品を見れば、この見えない部分が重要で、なぜ見えないのかを制作者も観覧者の意識してしまうことになる。同じような作品「犬から出る水蒸気」なども、蒸気となったものが、何と鉄で表現されているというイメージの逆転が生じている。制作者と相手との間にある中間のものが、鉄という、表現するには使いにくい素材で表現されているところが面白いのだ。若林にとって、鉄は、目には見えないものを表現出来る、重要な言葉なのだ。

Img_2209 ドローイングも数多く出品されていた。とりわけ、ブルーのぼんやりした、曖昧なもの、それは葉っぱであったり、ドアであったりなどの「Blue Daisy」シリーズは綺麗だった。水などの「ブルー」ということに、特別な感性を示す人なのだと思った。水を使った幾つかの庭などの野外彫刻が意外にシンプルなので、自然に対する作者の考え方が現れていた。自然は対立するものでなく、相手なのだ、というところが興味深かった。

Img_2192 後期の「雰囲気」が印象に残った。「所有・雰囲気・振動」シリーズですでに追求された「自分・相手・鉄」がより内面深く、表現されていた。振動部分が四角い囲いで覆われていて、相手の振動部分には黒い穴が描かれており、理解不能な部分として表わされていた。さらに、「振動する飛葉」が自分と相手を媒介するという、素敵な空間を表現していた。

Img_2182 展覧会を出て、正面玄関の脇にやはり野外彫刻の「地表面の耐久性について」が埋め込まれていた。これも「見えない」シリーズなのだろう。表面に現れているものだけからは、およそ想像できないものが、きっと埋められているのだろう、と想像させられる彫刻だ。

Img_2171 今日の椅子は、美術館のベンチだ。一つはガラスで覆われた部屋に置かれた白いソファーで、観覧者が展覧会をめぐって疲れ、ここですっぽりと包み込まれるように休息するものだ。Img_2184 もう一つは、野外に置かれていて、ここでずっと本でも読んでいたいと思わせるベンチだ。

 

Img_2189 このベンチの前を通って、いつもの小道を抜けると、目の前にもう冬に突入した白い海岸が現れた。マフラーを持ってこなかったことを後悔させるような風を、潮騒が運んできた。Img_2174_2

2015/10/31

ル・コルビュジェ展へ行く

Img_0532 湯島にある建築学資料館で、「ル・コルビュジェ」展が開催されていると、娘から誘いがあった。近くにランチの美味しい店もありそうだというので、いそいそと出かける。

Img_0527 「カツオのたたき」の前菜が出て、「シラスとねぎのトマトソース・パスタ」のランチだった。和風の食材を使っているが、味はかなりイタリアンであった。ワインを飲んで、ゆっくりとおしゃべりするような、店の雰囲気だったが、展覧会が待っている。

Img_0530 この資料館へは、コルビュジェの弟子である「坂倉準三」展覧会の時にも来ている。平日は無料で入れるのだが、土日は岩崎邸から回り込んで入るので、入場料を取られる。けれども、最近盛んに利用させてもらっているシニア料金なので、娘の半額だ。それに、この資料館は立派なカタログをいつも編んでいて、無料で配っていて、記憶を辿るのに便利なのだ。建築の設計図などは、覚えておく糸口がないので、このように写真の載ったカタログでいただけるとやはりたいへんありがたい。

Img_0529 展示の中で、目立ったのは国立西洋美術館の建築だ。日本における唯一のコルビュジェ作品だということになっている。そして、この建物をめぐるCG作品と組み合わせてみると、何度も通っている西洋美術館の成り立ちがよく理解できるようになっている。高床式の縦のラインと横のラインが直線になっていて、モダニズムの特徴を表している。さらに、ピロティがあって、それをめぐる回廊がコルビュジェの特徴となっている。ちょうど上から見ると、明り取りが四角を描いて綺麗に並んでいて、美術館の採光が効率よく考えられていることがわかる。冒頭に掲げた今回のポスターにもそれが描かれている。

Img_0540 湯島に出たついでに、千駄木まで散歩しようということになって、まずは根津神社に向かう。そこから、日本医科大のはずれにある旧夏目漱石邸(通称、猫の家)の前を通る。現在は明治村に移築されているが、ここで「吾輩は猫である」が書かれたらしい。Img_0543 そして、突き当たりの団子坂に出る。このなだらかな坂を山手から下町へ下る途中に、森鴎外の観潮楼があり、現在は文京区立の「鴎外記念館」になっている。コンクリートに薄い色のタイルを敷き詰めた、モダンで洒落た文学館だ。閉館時間までにまだ十分に見る余裕があったので、ちょうど開催されていた「ドクトル・リンタロウ 医学者としての鴎外」展を観る。これが予想外に面白かった。

Img_0544 たとえば、鴎外は軍医だったので、公衆衛生の本を書いていて、『衛生学大意』が展示されていた。脚気論争では残念ながら間違ってしまったらしいが、大掴みの原理的表現には見るべきものがある。最初のところに、衛生学とは「一言で言えば、人の健康を図る経済学のようなものである。體の外に在るものを體の中に入れ、又體の中にある物を外へ出すに當って、その釣合を取って健康と言う態度の損なわれないように努める法を研究するのである。Img_0545 たとえば、人が息をすると言うは清い空気を外から體へ入れ、その代りに汚れた空気を體から外へ出すことである」と言っており、のちの行動主義的な観点を先取りして面白い。また、『文芸の主義』も展覧会で取り上げられていて、「芸術に主義というものは本来ないと思う。芸術そのものが一の大なる主義である」と論じ始め、自由な芸術のあり方を説いている。そして、最後に「学問の自由研究と芸術の自由発展とを妨げる国は栄えるはずがない」と結んでいて、当時の時代を描写している。

Img_0546 ビデオコーナーでは、森まゆみ、加賀乙彦、安野光雅、平野啓一郎などの鴎外論も見られるのだ。夕暮れ時にもかかわらず、ノート片手にじっくりと鴎外を鑑賞する人びとで溢れていた。なぜか男性の来館者が目立ったのも、近年見ない風景だと感心したのだった。文学館と言うと、女性ばかりという印象を持っていたのだが、それを変えなければならないと思ったのだった。

Img_0547 娘が本郷に住んでいた時に、散歩でよく行った喫茶店があるというので、ちょっと早めの夕飯を食べようと連れて行ってもらう。千駄木のよみせ通りから裏道に入って、岡倉天心の旧日本美術院跡のすぐ前に出たところにある「H」荘という古民家を改装した喫茶店だ。野菜たっぷりのご飯とビールをとる。娘は休日になると、ここに陣取ってよく仕事をしたらしい。最近は、このように長居できる喫茶店が本当に少なくなってしまった。

Img_0549 という話をしていたら、それじゃ長居できる喫茶店をもう一軒行こうということになって、千駄木から千代田線に乗って、表参道に回ったのだった。今日最後の珈琲は、駅からほどない2階に、かなり昔からある喫茶店「L」にて、ガトーショコラと苦味の珈琲を一杯飲んで帰路に着いたのだった。今日の椅子として、この喫茶店の年季の入った木製の無骨な感じの椅子を写真に撮ろうとしたら、電池が消耗していて、残念ながら写真はなしだ。Img_0551 けれども、背板のバーがすり減って、いかにも使い込まれた木の肌を見せていて、テーブルの分厚い板とよく調合していたのだった。Img_0552 長居したいと思わせるモノというものがあるのだと思った。家庭の椅子が使い込まれていて、その家に付いているのと同じように。

2015/07/08

ルーシー・リー展が来ている

Img_0704 ルーシー・リー展が千葉美術館に来ている。何年か前にも、ルーシー・リーの展覧会はあったのだが、今回そのときと印象が違っていた。それは、代表作連発時代の色鮮やかに反転するスパイラルな陶磁器が、今回はそのときよりも少なくてちょっと物足りないと感じたからだ。

Img_0700 けれども、今回の展覧会は、それを補ってあまりあるほどの、以前の展覧会とは異なる作品群が来ている。それらは、初期の作品だ。彼女が学校を出て、その後のオーストリア時代の初期作品が来ている。1920年代の赤釉鉢などには、その後の痕跡がわずかに残っていて、面白いのだ。

以前から、不思議に思っていたことがある。ちゃんと調べれば、おそらく評論家の間では、解っていることだと思われるが、このような作品の場合には、他者に聞いてしまうよりは、自分で推理して楽しむことを行っても良いだろうと考え、あえて調べないことにした。

それはルーシー・リーを観れば誰もが感ずることであって、なぜこんなにも器が薄いのかということだ。みんなの感想をざっとウェブサイトを覗いてみても、「緊張感ある薄さ」「透けるほどの薄さ」「女性らしい薄さ」「極限を追求した薄さ」「実用的でない観賞用の薄さ」など独特の薄さを報告していて、この器の薄さが彼女の特色であることは誰もが認めるところだ。

問題は、なぜルーシー・リーの器は薄いのか、という点であって、これがたいへん興味深いと思うのだ。それで今回ひとつの疑問が解けた次第なので、「補ってもあまりある」と上で書いたのだ。つまり、彼女の器は、初期の英国へ渡る前から、一貫して「薄い」のだ。もちろん、デザインはかなり違っていた、英国で見せるようになる構成的な手法は見られないから、シンプルな薄さなのだ。

Img_0870 この薄さのひとつの理由は、技術的な問題かもしれない、と最初は思うかもしれない。たとえば、分かりやすくいえば、陶器で製造すればやや厚くなるし、磁器で作れば強く薄い加工が可能だ。それで類推されるのは、英国に渡って、温度を高くすることのできる磁器用の窯を手に入れたから、「薄さ」を追求できた、ということも考えられる。ところが、今回の初期作品をみると、ウィーン時代の陶器用窯でもこの特徴ある「薄さ」をすでに行っていたことがわかるのだ。また、英国に渡ってからも、磁器だけではなく、陶器でも薄さは追求していることがわかる。したがって、技術的な理由は、ほぼ否定されることになる。

Img_0699 もうひとつの「薄さ」の理由は、デザインの問題だと思われる。最初から、薄さをデザインの基本とした、ということが成り立つのだろうか。当時のウィーンでのデザイン事情との関係で「薄さ」を選んだ可能性は否定できない。初期からの趨勢をみれば、それは事実として存在するのだ。デザイン選択の何らかの理由があって、初期から晩年に至るまで、ずっとこの「薄さ」を採用する理由があったに違いないのだ。そのことは、時代をめぐるいくつかの「薄さ」をめぐる確執に現れている。たとえば、これは推測に過ぎないが、当時英国の陶器作家の第一人者であった、バーナード・リーチが英国に渡ったルーシー・リーの作品を当初は批判した、という事情はいかがだろうか。民藝運動や英国の伝統的な陶器制作の系譜から見れば、明らかに、薄すぎて実用的でないという評価が出てしまうのは想像できるところだ。けれども、ここで強調しておきたいのは、これらの中核からの批判にもめげず、この「薄さ」を続けたところに注目点があって、なぜこれほど「薄さ」のデザインに執着したのかが、かえって興味を引く点なのである。

Img_0702 後期になれば、「薄さ」にこだわった理由は、いくつか上げることができる。ひとつは、デフォルメだ。ろくろで形を整えたのちに、それを様々な方法でスパイラルに広げ曲げていく。このときに、この「薄さ」のために、デフォルメしやすいという利点がある。最後に、ぐにゃと形を崩すときに、全体のバランスが「薄さ」を要求しているのだ。英国に渡って、構成的な方法を獲得して、二つの部分に分けて制作が行われることも、「薄さ」に関係しているに違いない。Img_0218 けれども、初期からなぜこの「薄さ」なのか、もうすこし頭のなかで楽しんでも良いと思っている。

2015/05/26

M市美術館と「子どもの椅子」展を見て回る

526 M駅を出て、昔の電車通りをまっすぐ、突き当たりにある県の森へ向かって、歩く。市民芸術館(ここの設計も、今日見る展覧会で取り上げられている伊東豊雄の作品だ)の手前左側に、本屋・雑貨・喫茶店をかねたSがある。

526_2 体調を崩してから、コーヒーを控えているが、カフェオレならばよいだろう。残念なことには、まだコーヒーの味覚が戻ってこないのだ。このSの書棚には、全国の自主出版雑誌がずらっと並んでいて壮観である。526_3 ふつうの本屋さんでは手に入らないような、ということはあまり売れないような、しかし気になるような雑誌が置いてあるので拾い読みする。たとえば、吉本ばななが、父の隆明が亡くなったとき、海外にいたらしいのだが、そのときの様子を書いている。これも知らない雑誌だ。ここを出て、市民芸術館を通り過ぎ、少し行くと、元警察署のあったところに市美術館が立っている。草間彌生の「幻の華」が玄関横で迎えてくれる。

526_4 展覧会は見るためにあるのだが、このような当たり前のことを言いたいわけではない。結局は、見せている展示物は全体の中の一部分にすぎないのだから、ひとつのものだけで、全体を想像できるような展覧会こそ、良い展覧会だということになるだろう。とはいうものの、できそうで、できないことを展示できるということが、面白いところなのかも知れない。

526_5 M市美術館で開かれている「戦後日本住宅伝説」は、その一部を見せるだけで、全部がわかってしまうような、良い展覧会だった。それじゃ、住宅に取って「全体」とは何かということだと思われる。家族、そして社会との関係ということだろう。

526_6 住宅の動きをみると、戦後の家族形態がみえてくる。核家族との対比が見られるのだ。第1に、住宅の外形が近代化してくる。コンクリート住宅などに見られる点だ。第2に、住宅内部の近代化への反省が起こる。部分的に、内部での和風が強調されたりする。第3に、住宅内部への近代化の浸透が起こる。社会が住宅へ侵入してくる。さらに第4に、住宅の分離や、幻想化や、抽象化などの超近代化が現れてくる。

丹下健三、磯崎新、清家清、東孝光、増沢洵、白井晟一、伊東豊雄、坂本一成、篠原一男、黒川紀章、菊竹清則、原広司、安藤忠雄、宮脇檀、毛綱毅曠、石山修武などの行ってきた、住宅設計のなかに存在する家族の錚々たる考え方がよく現れていて、もしわたし自身が設計図を読めたならば、もっと時間のたっぷりかかる展覧会だったにちがいない。

このなかでも注目したのは、住宅の新時代が始まった後、都市に対して一度閉じるという、近代化特有の動きが住宅で明らかになるという点である。社会に対して、家族を守るものとして、住宅が現れてくる。一直線に近代化が外へ向かって開放されていくのでなく、住宅が外に対して閉じて、内に向かって開かれる時代が生ずるのをみることができる。この動きは、家族そのものでは指摘されてきているものの、住宅というところで、これほど典型的に現れているとは思わなかった。この意味で、わたしにとって、たいへん重要な展覧会であった。

526_7 共通にみられるように、コンクリート住宅は外に対しては、「打ちっ放し」の素っ気ない様相を示すが、ひとたび内に入ると、様々な意匠が行われているのをみることができる。東孝光の「塔の家(1966)」は、人口密度の高い都市にあって、狭い土地にいかに住空間を確保するのか、を考え、区画をはっきり上にとり、家族の住空間を保護している。

526_8 さらに、印象的なのが、伊東豊雄の「中野本町の家(1976)」で、完全に外に対して密閉されて、なかをまったく窺い知ることができない構造になっている。馬蹄状の外壁で、外と内とは遮断されている。けれども、内では曲線が使われ、光線によって、家族の多彩な動きが増幅されて映し出される工夫がなされている。家族の内の豊かさが、都市との遮断において、社交を断つことで、かえって内の社交を増している。けれども、これは特殊なあり方だったらしく、住んでいた家族が絶えた時点で、この住宅は家族の意思で取り壊されている。このことは様々な想像を掻き立てられるが、その家族の胸の内は窺い知ることはできない。

526_9 Gの木工職人Sさんから、松本クラフト推進協会の「工芸の五月」の一連の展示会で、「子どもの椅子」展のことを聞いていた。「工芸の五月」のなかで、木工作家が製作した子ども椅子が、M市の各地を回るのをみたいと思った。じつは、さきほどの雑誌の喫茶店Sの二階にも、3つの椅子が展示されていた。もちろん、Sさんの山桜を素材とする「コムバックチェア、3スピンドルズ」も展示されていた。526_10 なぜ子どもの椅子なのか、ということは、Sさんへのヒアリングを行うので、楽しみに残しておきたいが、鑑賞者から見るならば、子どもの椅子には「原型」のようなものが存在していて、坐るということの工夫のあり方が典型として現れるのではないかと、考えられる。526_11 それから、大人の椅子のミニチュアであるという利点は、それに付随して存在することは明らかだろう。

526_12 次に訪れたのは、中町通りにある洒落た洋服店C。ここでは、ショーウインドーでの「子どもの椅子」の展示もさることながら、様々の洋服と融合的に展示がなされていて興味深かった。椅子を商品棚あるいは飾りとして使われることはよくみられることだが、このような526_13 子どもの椅子は、モティーフとしても、また実際の棚としても有効なのだろう。526_14 子どもの椅子が、子どもの間を旅するだけでなく、商品の間を旅しているのだ。この効果も、潜在的なところで影響を与えていて、面白い。

526_15 もう一軒は、コンフィチュールの店Cだ。店のなかの厨房には、底が平の大鍋がコンロにかかっており、棚には見事なコンフィチュールが並んでいた。この店のコンフィチュールの特徴は、二種類の果実を融合させた味が特徴だということで、さっそくレモン味とバニラ味のものを、526_16 いただいた。話していると、サラリーマン風の若い男性が自転車をこいで現れ、バナナとイチゴのものを2瓶も買って行った。

526_17 この店の商品棚の下に、子どもの椅子が3脚置かれていた。Sさんの椅子がここにもあって、複数の椅子を製作したことを知る。色の異なる素材を使って、同じ形ながら、異なった雰囲気を出している。526_18 さて、気がつくと、新宿行きのあずさ号へあと10分しかないことがわかった。かつて知ったる場所なので、早足に女鳥羽川沿いの道を取り、どうやら間に合ったのだ。

526_19 課題をいくつも残した、M市訪問だったけれども、周辺から攻める方法が次第に結びつきを与え始めたのを実感した旅であった。また、機会を得て、訪問したいと思った。

2015/05/07

ピカソの「坐る女」

Photo ピカソのなかで、「坐る」ということがどのように描かれているのか、この点だけに絞って、東京駅のステーションギャラリーで開かれている「ピカソと20世紀絵画展」を見てきた。

坐るというのは、機能的にいえば、人間の「休息」なのだが、西洋では休息できるということは、「見せびらかし」の法則に則れば、権力や権威の象徴であるということで、椅子に坐るということの隠喩は、この点で明白であり続けた。ところが、近代に近づくにしたがって、椅子は休息だけのものではなく、労働の道具として、姿を表すようになった。わたしの好きなシューメーカーチェアは、この典型である。

Img59029016

つまり、近代になって、坐ることの多様性が明らかになってきたのだ。権力の見せびらかしだけが、椅子の機能ではなくなって、むしろ生活の実用的多様性を増したのだと考えられる。

ピカソの今回の絵のなかには、二種類の坐る像があって、楽しめた。ひとつは古典派時代の典型的な絵画で、灰色の色調をもつ、力強い線画の坐る女像だ。この存在感ある姿をただの線だけで表していて、ゆったりとした「坐る」ということがたっぷりと描かれている。とりわけ、絵の下半分の安定感は女性の日常的な感覚をすくい取っていて、保守的な雰囲気を見事に表している。

これに対して、もうひとつの典型は、キュビズム時代の坐る女像で、絵の下半分は、椅子に支えられていて、普遍的な安定感を表しているが、絵の上半分には上から見たり、右から左から見たりした多視点的な、現代の多様性を反映させている。きわめて、ピカソ的な絵となっている。

それで、ピカソにとって、坐るということがどのように描かれているのかが、この好対照で浮かび上がってくる。下半分は、二つの絵にとって共通に安定を表しているのに対して、上半分は片方の古典的な絵では明確は人格がひとつであることを描いていて、ひとつの椅子に腰掛けて、ひとりの人格は同一であることを描いていて、人物画として申し分ない。ところが、キュビズムの坐る女は、人格が複数化されていて、これが多重性、多面性を表していて、ひとつの椅子に座っていても、複数の他者や不確実な社会の姿を反映して、現代社会の複雑な様相を反映していて、真に迫ってくるのだ。

これら二つの絵画のどちらが良いか悪いかという対照ではなく、むしろ両方の絵画をかき分けて、現代社会のなかにある坐る人が多面的な人格を表す可能性を表していることがわかって、たいへん興味深いのだ。目には見えないかもしれないが、古典時代の同一化した坐る女は、背景にキュビズム時代の坐る女を内包していると考えても良いだろうし、さらに、キュビズム時代の坐る女を統合すると、古典時代の坐る女になるかもしれないのだ。このように、ちょっと視点を変えてやれば、ひとつの絵画がとんでもなく、広く多面的なものを抱え込んでいることを知らしめているのだ、と解釈することも可能なのかもしれないのだ。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。