カテゴリー「絵画・展覧会」の投稿

2017/07/26

海の多様性について

Img_7935 雨が降ってきて、冷たい日だ。亘理町のイチゴ農家M氏から、冷夏でイチゴの苗が育たないし、畑のぬかるみに足が取られるという知らせが届いた。メールの件名も、「寒さの夏はおろおろ歩き」となっていた。

 

Img_7927 わたしも午前中仕事をしていたのだが、手足が冷えてままならないのだ。妻の提案で、横須賀美術館に行くことにする。このような日ならば、展覧会もレストランも空いているだろうということだ。Img_7948 決めてしまえば、1時間で着くのだ。観る方が主なのか、食べる方が主なのかは、問わないことにする。途中、ヤシの木が雨に濡れて綺麗だ。バスに乗って、馬堀海岸から走水漁港を抜けて、美術館へ到達する。

 

Img_2567 今回の企画展は、「美術にみる日本の海」ということで、横須賀に似合った展覧会だ。古賀春江の「海岸」がポスターになっていて、京急線の中でも目立つ。一番最初の部屋に、展示されていた。三人がいて、家族らしいのだが、近代的家族のすれ違いが描かれている。Img_8025 それが、海の色の違いとなっているのが、一つの工夫だ。近代家族の中心は、やはり奥様で、中央にデンとして欲望の塊としての存在感がある。もう一方の中心は、やはりご主人ではなく、子供なのだ。これを媒介するものとして、ようやくご主人が中腰で現れている。海に行くと、家族の現実が現れるという「海」だ。

 

Img_7954 須田国太郎の「海」は、構成が行き届いている。海は上辺にほんの少しのぞいているだけなのだが、手前の河と街の様子が克明に描かれていて、かえって「海」まで考えが及ばないくらいの密な画面を構成している。灰色の色調の中に、濃い重なりが続いていて、見るものの心を捉える。人間の営みがあって、海があるという「海」だ。

 

Img_7966 途中から、絵画の世界から海で使われるモノの世界が展開していく。大漁旗や漁師のはっぴなどが、真新しい実物として展示されている。この着想は面白いのだが、このような雄大な旗が美術館へ展示された途端に、現実感が遠のいてしまうのはなぜだろうか。Img_7962 色鮮やかさは、海の青には映えるけれども、美術館の白壁には合わないということだろうか。使われるモノには、使われている現場の「海」が似合うということだろうか。

 

Img_7971 見終わる頃には、昼をかなり回っていたので、レストランは空いていた。中央の席、レストランからガラス越しに、芝生そして「海」を見下ろすところに腰掛ける。Img_7972 ランチは、今月のスペシャルメニューで海鮮パスタだ。展覧会に合わせたメニューになっている。

 

 

Img_7988 相変わらず、空は曇りで、ここからみる船たちも、難儀だなと言いながら、浦賀水道を通過していくように見えてしまう。この海も、イチゴ農家のある亘理町に通じているのだな、と「海」の映し出す多様さと感覚の差を思いながら、三浦半島の海を後にしたのだった。Img_7997 Img_7992

2017/07/23

椅子のコレクションを観る

Img_2500 昨日、夜遅くまで議論が続くのかと思っていたら、思わぬ豪雨が吹き荒れたこともあって、ペールエールを飲んで、次回の予定を立ててあっさりとお開きとなった。博士後期課程のみなさん、かなり忙しいらしい。

 

Img_2458 宿は京都駅に近いことを重視して選んだのだが、かといいながらも駅の喧騒を避けて、じつは京都五条にとっていた。地下道の七条へ出て、東本願寺を越えれば、五条の街へ入っていく。まだまだ路地のあちこちに長屋が残っていて、京都駅からの徒歩圏であるにもかかわらず、住宅地としての顔を残している。Img_2454 朝の食事は、宿から五条大橋へ向かい、その袂に鴨川と並行して、高瀬川が流れ込んでいる、その脇にある静かな喫茶店「Kano」へ入る。Img_2456 窓から、水量豊かな高瀬川の清流が見えて、五条大橋の交通量の多さを打ち消している。街の中のオアシスという雰囲気だ。

 

Img_2466 今日の目当ては、五条にある、陶芸の河井寛次郎記念館に置かれた椅子コレクションだ。とくにここが、椅子のコレクションで有名だというわけではない。けれども、京都で椅子を集めて展示しているところを思い出していたら、俄然この館が浮かんで来たのだった。Img_2471 河井寛次郎の作風に似た「異形」の椅子があったな、ということだ。河井寛次郎が生活の中で、生活具を選んでいく過程が見えるような気がするのだ。

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黒田辰秋に依頼した椅子もあるかもしれない、とも無い物ねだりの期待したのだった。黒田の制作になるものとしては、有名な棗(なつめ)や、綺麗な帯留が展示されていた。

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「異形」の椅子と呼んでしまうと、ちょっとおどろおどろしいのだが、1階においてあった、この椅子などは、背板に特徴があって、過剰に異形だと思われる。Img_2501 ゆったりと背中へ体重を預けるときには、座りやすい椅子だ。特別なことがない限り、このタイプの椅子が大量に作られることは考え難い。座る人の何かが、椅子の内部にまでずっと浸透している椅子だと思われる。

 

Img_2487 次に、普通の椅子に見えるが、座ってみると「異形」なことがわかるのが、この書斎椅子だ。まず、小さすぎる気がするのだが、がっしりとした丈夫そうな構造に、さらに鋲が打たれた過剰な姿をしている。河井寛次郎の座っている写真が残されているので見ると、この椅子はおそらく彼の身体にかなり適するように作られている。したがって、ちょっとお尻や腰回りの大きい(わたしがそうなのだが)人が座ると、肘木に引っかかるくらいなのだ。Img_2491 けれども、座板の曲線はよくフィットするし、一日中机と向かい合う椅子としては申し分ない。この椅子のもう一つの特徴は、ひっくり返すとわかるのだが、椅子の脚に木製のコロが取り付けられていて、事務椅子のように、座ったまま転がすことができるように工夫されている。もちろん、木製なので、ギャロギャロと軋んだ音を立てて、可愛いのだ。この椅子も、河井寛次郎の思いがかなり吹き込まれ、浸透した椅子といえる。

 

Img_2477 それから、あった、あった。ゴッホのスペイン椅子だ。椅子作家のYさんから教えられてから、あちこちで見るのだが、このオリジナルに近いものは意外に少ない。この脚のしなりはどうだろう。やはり、生木なので、時間が経つと、ホゾが緩んでくるのは仕方がない。ギシギシと座ってみて、この緩みの具合を感じるのは、楽しい。この椅子がたくさんあるのは、やはりスペインから当時仕入れていた店が京都にあったからに違いないだろう。Img_2480 現在では、その店で扱っているのは、このような手仕事のものではなく、機械で削ったもので、見劣りがするのだ。それにしても、塗装無しで外に置かれたこの椅子は、粗野そのもので素晴らしいのだ。

 

Img_2481 それから、見過ごされそうな椅子が、登り窯の前にあり、気になって、座ってみた。なるほど、という感じだ。ふつう、このような仕事場にある労働椅子は、前傾姿勢を基本としている。前へのめって、仕事に没頭するからだ。ところが、この椅子の背当てが、曲げ木で、ぐるっと後ろへかなり回っているのだ。だから、座ると、少し後傾姿勢となる。Img_2469 おそらく、登り窯を三日三晩焼いていて、薪をくべる合間に、休憩をとり、窯を眺める時には、ずっと後ろの高いところまで、眺めつつ、休むのだと思われる。したがって、後傾姿勢の椅子が必要とされたのだと思われるのだ。

 

Img_2505 これだけ集めれば、少し壊れかけた椅子もある。この椅子は座面が楕円で、位置が偏っている。それが三角形の貫に乗っている。異形ではあるのだが、座りやすいし、文句のないところだ。しかし、形に凝ると、思わぬところに皺寄せが出るのだ。貫のホゾがやはり抜けかかっていた。Img_2506 ちょうど三角形の頂点のところなので、力がかかってしまったのだと思われる。けれども、ゴッホの椅子と同様で、これも完全に壊れるまで、丁寧に使ってもらえば、多少の故障はかえって椅子の特色ともなるのだ。長く使ってもらいたい椅子だ。

 

Img_2512 この記念館は、手仕事の工房を兼ねていたので、当然冷房はない。したがって、今日のように家の中でも35度を超えるような時には、扇子やうちわが必需品だ。1階の広間に用意してあった。とはいえ、2時間ほど滞在すると、喉も渇いてくる。Img_2508 この横丁に入る角に、青磁の陶工が経営しているらしい、珍しい「市川屋珈琲店」があった。ちょうど、入口のカウンター席が空いたので、ここでコーヒーを1杯。帰宅の準備を行う。

2017/05/27

クラフトフェア松本でヒアリング調査を行う

Img_7798 526日、27日にかけて、松本市のクラフトフェアへ行く。今回のクラフトフェア松本はこれまでになく、混雑が激しかったような気がする。もちろん、出品応募する作家も増え、わたしを含めリピートする観客も増えていると思われるので、展示される作品の質は確実に高まっているし、見るだけでも楽しいという要素があることは確かだ。

 

Img_7898 だから、このあがたの森公園で行われるクラフトフェアの本体は今後も色々な意味で発展を続けることは間違い無いだろうし、今後もフェアというものの持つ周辺の消費者を惹きつける、フェスティバルとしての魅力は薄れないだろう。けれども、そうは言っても、何となくフェアそれ自体には熱気と同時に、ある種の冷たさも感ずるのだ。人があまりに集まりすぎるということに問題があることは間違いない。

 

Img_7900 経済学では、「集積効果」は素晴らしいということになっているのだが、これには二つの説が存在する。ひとつは「比較優位説」であって、フェアに他の地域に比較して、特別な優位が存在するから、行われるのだ、という意見と、もうひとつは伝統的「保護説」であって、フェアの地域に固有で昔から存在するものは保護していこう、という考え方だ。Img_7896 いずれにしても、長期的には「地域優位性」というものは他地域との接触が多ければ多いほど、薄れていく傾向にあることを前提としており、これからも優位性を保とうと考える点に特徴があるのだ。だから、人があまりに集まりすぎることは、この優位性を失ってしまう恐れがあるのだ。

 

Img_7778 人があまりに集まりすぎる問題に対して、クラフトフェア松本は、フェア・フリンジ(公式以外のフェスティバルの催し)という考え方を提示している点が注目される。具体的にみると、フェアは二日間しか行われないのだが、この周辺部では、5月中の長い期間にわたって、「工芸の五月」というフェア周辺部の催しが継続して行われている。こちらの方も、より余裕があって楽しめたのだった。Img_7781 中でも、昔の庄屋だった池上邸の蔵で行われていた、大曽根俊輔の乾漆による動物たちはリアルだった。蔵の前の小川には、写真のようなカバが浮かんでいたし、クジラも蔵に浮かんでいた。

 

Img_7760 先日紹介したように、今回のヒアリング相手の方々も、この「工芸の五月」催しの中での「はぐくむ工芸−子ども椅子展」に参加していた人が多い。また、前回「工芸の五月」のスタッフの方々へのヒアリングも行うことができて、親しみがぐっと増したのだった。フェアでは、いつも言っているように、観客と直角に交差して、歩くべしということにまさにフェア・フリンジは適合している。

 

Img_7763 それで、四人の椅子作家の方々のヒアリングを行ったのだったのだが、フェアの中だったので、なかなか集中して時間が取れなかった。結局は二日目の午後の最後の時間に集中することになってしまったのだ。それまでの二日間は余裕がありすぎたので、テントを回って、色々な方々と雑談をさせていただいた。中でも、女流の(というと、何となくイメージが湧くと思ったのだが)木工家で、Kさんのお話が面白かった。

 

Img_7804 テントを回っていて、Kさんのところに来たところ、ちらっと見て、中に並んでいる小物やテーブルの中で、一つの椅子に目が止まった。その一脚の座面が変わっていて、不思議な曲線を描いているのだ。このような曲線のことを木工家の方々は「R(アール)」と呼んでいる。わたしもようやく最近になって、日常用語の中で、この「R」という言葉を素直に使えるようになって来たところなのだ。この椅子の場合、写真を撮って来なかったので、言葉で説明することになるのだが、座面の「前が少し落としてある」ようなRの特徴を持っている。座面の先が直角に削ってあるのではなく、前が丸くかつ前のめりに座れるようになっているのだ。だから、座ると、ほんの少し前傾となる特徴を持った椅子なのだ。

 

Img_7922 さらに、椅子を横から見ると、座面がこちらからも緩やかなRを描いていて、お尻にフィットするように造られている。この横から全面にかけての曲面の素晴らしさが目立ったのだった。二度もこの椅子に座らせてもらったのだ。自分のお尻に感覚が残っていて、椅子ではいかに触感が大事であるのかが改めてわかったのだ。

 

なぜ前面が落としてあるのかという理由は、姿勢の問題であるとのことだった。わたしたちは、同じ椅子であっても、いろいろなところに重心を移して、様々な座り方をしている。深々とお尻を座面の後ろまで入れてしまう場合もあるし、横に足を投げ出して、背面を抱え込むような座り方をする場合もある。このような多様な座り方をする注文主に対して、椅子の作者はどのような対応を行うのだろうか。

 

前へ身体を倒すような姿勢で座る人は、働く人だ。仕事をするときに、ゆったりと座るより、多少前かがみになって、前方へ注意を集中できる方が良いだろう。前面を少し落とせば、座面へお尻を当てたときに、前の方で感ずることができる。仕事をする人にとっては、前面を少し落とした方が座りやすいと言える、とKさんはおっしゃるのだった。ここに、仕事を持って座る人と、椅子の作者との間に、何かが起こったのだ。ひとつの椅子には、それぞれのエピソードが貼り付いているのだ。

 

Img_7868 すっかりヒアリングの職人と化しているのだが、もうひと方、印象に残っている。番外篇でお話を伺うことができた。松本市の六区ストリートで、毎年「工芸の五月」催しが行われている。今回は、「素朴と洗練」と題して、目利きの方々が、生活の品々を出品し、言葉を寄せている。たとえば、デンマークのモーエンセンのモデルJ39が展示されていて、この椅子は「庶民のために、低価格で高品質な椅子を」と協同組合から依頼された椅子だと案内されていた。その中のM氏には昨年もこの場所で思わず喋りかけてしまった方なのだが、今年も幸運なことに偶然そうなり、質問を受けていただいた。

 

Img_7921 木工品の価格について聞いた。やはり、悩む問題だとしながらも、「最後はどこかで詰めなければならないですね」とおっしゃり、さらに少し考えたのちに、「その価格なら自分で買おうと考えるか」という価格ではないでしょうか、と教えてくださった。この答えは、これまでのヒアリンングでは無かった答えだった。意味深長な答えだと思う。たいへん参考になった次第で、感謝感激だ。

 

Img_7911 クラフトフェア二日目の午後には、各テントの中もだいぶ品が無くなり、終わりの近づいてきていることを知る。残した三人の方々の間を駆け抜けて、ヒアリングをこなした。テントを仕舞わなければならないところ、時間をとってくださった椅子作家の方々に御礼申し上げたい。

 

Img_7769 中町通りのグレインノートへ寄って、写真集をお返しして、ご夫婦に挨拶を行なった。少し休憩を取るために喫茶店「chiiann」へ行き、先日購入した木綿のトートバッグに書かれていたカステラをいただいた。右下に、Cの文字が見える。卵の種類がポイントなのだそうだ。Img_7772 Img_7770

2017/05/11

青空のもとで、デンマーク・デザイン展

Img_7647 なぜこれほど、わたしが観たいと思っている展覧会が次々に開かれるのか、不思議なのだ。逆に考えれば、みんなが観たいと思っている展覧会に、わたしの趣味が迎合しているということなのかもしれないのだが。けれども、それで訪れる展覧会が他の展覧会よりも空いているのも、もっと不思議なことなのだ。

 

Img_7699 青空の広がる横須賀の海を、貨物船や軍艦が通り過ぎていく。時折、小さな漁船もスピードを上げて横切る。5月の浦賀水道は、行き交う船でまんぱいだ。Img_7719 バスを降りて、真っ青な海を左手に、浦賀へ通じる道を右に横切ると、なだらかな丘の上に横須賀美術館の建物が広がっている。建物の前面には、レストランのテラス席が並んでいて、ランチ後の喫茶を楽しみながら、こちらを見ている客たちが見える。Img_7652 丘には、芝生が敷き詰められており、緑が青空に映える。ときどき、白く見えるまだら模様は、クローバーの花がかなり蔓延っているせいだ。

 

Img_7659_2 今回のデンマーク・デザイン展で特に見たいと思っているのは、もちろん椅子作家たちのデザインだ。ヤコプセンやウェグナーたちのものは、日本では公共の施設などで使われていて、よく目にする。また展示会も以前ここで紹介したように、銀座などのショールームで頻繁に開催されている。Img_7674 今回の最後の展示コーナーには、PPモブラー社の提供のものと思われる、ウェグナーのカウホーンチェア・ザチェア・アームチェアなどの笠木ができる過程を展示していて、どのくらいの原木から最後まで削り込むのかがわかるようになっている。Img_7685 そして、この灰色のカーペットの範囲内であれば、テディベアチェアやサークルチェア、さらにザチェアなどにも、実際に座ってみて、写真も自由にとって良いということだった。やはり、椅子では触感が重要で、お尻が椅子を覚えているということがあるのだ。

 

Photo 日本人の好きな椅子作家として挙げる一人に、デンマーク・デザイン作家のフィン・ユールがいる。部材を細く削って、独特で繊細な曲線を取り入れている、この椅子たちが素晴らしい。ところが、このフィン・ユールの椅子はパーソナルチェアが多いからなのだろうか、公共の場ではあまり見かけない。今回の展示でも、「個人蔵」という椅子が多かった。だから、今回の展覧会では、特別に注目していたのだ。展示室へ入ると、黄色い基調の有名なチーフテンチェアが現代貴族の椅子然と目立っている。後ろ足が三角形で上へ行くほどすぼまって行って、最後に雨だれのような小さな塊で終わっているところなどは、ほんとうに泣かせる。

 

Nv46 けれども、今回の目玉とわたしが目指してきたのは、モデルNV46で、1946年に造られたラウンドチェアだ。このモデルの2年前にモデル44が作られていて、これはおそらく試作という位置付けなのだ。12脚しか造られていないのだそうだ。フィン・ユールの特徴は、モデル44で止まらずに、モデルNV46へ展開したという、この展開そのものにある。おそらく、ウェグナーならば、逆でNV46が試作品で、それから発達させて、44へ行きついたのだろうと思われるのだが、この対比が比類ない面白さをもたらしている。

 

44 もし効率性を考えたら、完成度の高いモデル44を制作するのではないかと、企業であるならば考えたに違いないのだ。こちらの方が部品の数も少ないし、削りに大量生産方式を取り入れやすい構造を持っている。つまり、モデル44では、後脚は二次元で切り出されていて、45度に転ばせて、三次元に見せている。名作椅子の常套手段をかなり忠実に取り入れているのだ。写真で後脚の1本が斜めのこの方向から見て、まっすぐに伸びていることから切り出しは二次元であることがわかる。ところが、NV46では、後脚は完全に三次元で切り出され、なおかつ接合部分の形状は手作業で、手間をかなりかける構造をとっているのだ。これは写真だけ見てもわからない。実際の椅子を見て、触って見ないとわからない部分なのだ。なぜフィン・ユールはモデル44で満足せずに、モデルNV46を制作したのだろうか。それはまさに、このところに象徴的に現れている。機能的であっても、過剰というものがここに出ていることがわかる。フィン・ユールの椅子には、この過剰性が必要だったのだ。

 

Img_7703 先ほどのレストランで、遅ればせのランチを取る。海の青さと空の青さのもとでの食事は格別だ。パスタとピザを妻と二人でそれぞれ取って分けた。

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ピザのチーズは塩味が効いていて、ピリッとしまった昼食となったのだ。


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2017/05/07

はぐくむ工芸ー工芸の五月「子ども椅子展2017」ビデオ

これらの映像は、2017年5月2日から松本市美術館中庭で行われた、工芸の五月「子ども椅子展2017」を写したものである。少しずつ分けて、1〜4番目までの映像を載せた。時間がなかったので、音楽なしの無粋な映像で恐縮だが。この展覧会は、この後5月15日から6月25日まで、松本市中町通りの「グレインノート」へ移して開催される。子どもたちが座ってみることができる参加型の展示会となっている。「座ることが好きだ」という子どもたちが毎年集まってくるのが素晴らしい。主催は松本クラフト推進協会の中にある工芸の五月実行委員会で、松本市美術館が中庭会場などを提供するなどの協力を行なっている。広がりのある活動だと思う。


映像1
映像2
映像3
映像4

2017/03/26

「正岡子規」展を観る

Img_6703 冷たい雨が降っている。関内駅で地下鉄を降り、横浜スタジオの横を通り抜け、フランス山の急な階段を駆け上って、いつもの風車の脇をすり抜けて、港の見える丘公園に出る。Img_6708 お花畑を横目で見ながら、霧笛橋を渡ってお話の世界へ入っていく。F氏と神奈川県立近代文学館で開かれている「正岡子規」展を観る。

 

Img_6713 先日、上野の「正岡子規球場」の話を書いたところだが、なぜ正岡子規が野球殿堂入りしているのかといえば、この「野球」という言葉を編み出したのが、子規だからだそうだ。幼名が「のぼる」というところから、「ノボール」という言葉になり、「野球」となったのだ。ほんとかなと思ってしまうほどのユーモアだ。ちなみに、ベースボールの中国訳は、F氏によれば「塁球」なので、直訳なのだが、日本では違うのだ。Img_6717_2 このような駄洒落めいたところが随所に正岡子規には見られる。とりわけ、夏目漱石との間で、笑いの掛け合いをしているところがたいへん面白かった。子規の批評を偽名で行っていて、その名前が「平凸凹(たいらのでこぼこ)」という名称を使っていたりする。このユーモア抜きに子規周辺を理解できないことを知る。

 

Img_6715 子規の若い頃の考え方で、ズバッと書いていて素晴らしいなと思えるのが、学問の中核にある「好奇心」についての記述であった。展覧会では、22歳の時の『水戸紀行』を引用していた。「好奇心といふことは強く遠く遊びて未だ知らざるの山水を見るは未だ知らざるの書物を讀むが如く面白く思ひしかば」と記されている。好奇心とは「強く遠く遊ぶ」ことである、というのは、素敵な言い方だと思う。Img_6711 好奇心では、「強く遊ぶ」ことと、「遠く遊ぶ」ことの両方が必要なのだ。強く遊ぶというのは、遊びに夢中になるという性質をよく捉えているが、さらに遠く遊ぶということがもっと重要なのだと思われる。日常から離れて、専門から離れて、中心から離れて、周辺から遊ぶ中で、好奇心は育まれることを説いていて、「うん、なるほど」と思ったのだった。経済学者ヴェブレンの言葉に、「怠惰なる好奇心」という言葉があるが、「遠く遊ぶ」というのは、この系列に属する考え方だと思った。

 

Img_6719 F氏は盛んに、子規と漱石との関係に興味を持っていた。展覧会には、第1高等学校時代の成績表が出展されていて、子規の同級生に漱石や南方熊楠や山田美妙が並んでいた。展覧会の解説者による説明文によると、漱石がアイディアを重視したのに対して、子規はレトリックを重視したと記していた。小説家は新しい話を作ることに秀でるのだが、俳句はレトリックの問題が重要であるというのはわかる話だ。Img_6720 もっとも、おそらくこれは相対的な話であって、それぞれ相互に影響を与えあっていたのだと思われる。漢文による書に対して、漢文による批評を返していて、当時の高等学校生の教養の深さを知った。また、有名な話では、子規の「柿くえば 鐘が鳴るなり 法隆寺」という句は、漱石の「鐘つけば 銀杏散るなり 建長寺」の影響を受けたということもあり、この証拠となる高浜虚子の手紙も公開されていた。

 

Img_6726 外は依然として寒空が広がっていて、雨が冷たい。山手111番館の横を通り抜けて、外人墓地へ出る。明治期の水道施設の樹々が鬱蒼とした公園を抜けて、元町商店街の裏通りへ出る。Img_6733 娘といつも行っていた喫茶店が移転していて、無くなっていたので、ランチは日本茶と豆腐料理の店「茶倉」へ入る。人気店らしくて、しばし待ってから、席に着いたが、ゆったりと食事できる店だったので、手足が冷たくなっていたのが、豆腐ハンバーグと抹茶とで、ようやく暖かくなったのだ。

 

Img_6745 日曜日なので、観光客の多い中華街は垂直に通り抜けて、本町通の裏街を歩く。ここには幕末期の居留地跡がいくつか残っている。もっとも、この地面の下には、レンガ遺構などが埋まっているので、地表に現れているほんの少しのものを見ることができる。Img_6739 西洋商事館の建物のレンガや、松代藩佐久間象山の大砲、さらに居留地での日本初の近代的消防団跡などを見ることができる。Img_6766 そして、最終的には、F氏がジャーナリストだったこととは無関係だとは思われるが、いくつかの候補の喫茶店の中から、フレンチ料理のアルテリーベが1階に入っているビルの新聞博物館二階のクラシックな喫茶店に腰を落ち着かせる。Img_6769Img_6772 窓はすっかり水滴で真っ白になっていて、当分の間外には出たく無いほどだったので、老人二人はおしゃべりに精を出したのだったのだ。Img_6774Img_6780

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2016/12/30

デトロイト美術館展で今年の見納め

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原稿の締め切りが迫っているのだが、毎年同じことを言っているので、家族のみんなは本気にしてくれない。それを幸いと見るのか不幸と見るのか、この歳になってくると自分でも判定できない。Img_5577_2 母が存命中は千葉へ行く必要があったので、ついでに幕張の研究室に大晦日までこもって原稿書きを行なっていて、守衛さんたちから「今日まで仕事ですか」と笑われていたのだが、大学には他にも大晦日まで仕事を行なっている先生方が毎年何人かいらっしゃるので、かなり変わり者であることは間違い無いのだが、唯一の変わり者では無いことを毎年確認してきたのだった。

 

Img_5572 ところが、母が亡くなって、幕張へ大晦日に泊まる口実がなくなり、大晦日を自宅で過ごすようになってくると、大掃除やら買い物やら、年の瀬に済ませなければならないことが目白押しで、研究室にこもっていた頃が懐かしいとさえ思えるのだった。

 

Img_5544 上野で開かれている「デトロイト美術館展」の切符があるよ、と娘が誘ってきたのを幸いと見て、程よい仕事の切れ目を潮時とし、朝には家を抜け出した。娘が以前本郷三丁目に住んでいた頃に、湯島近辺で美味しい料理店を開拓してあり、それを期待して、地下鉄の湯島駅で待ち合わせて、Img_5541 まずはフランス料理の店へランチ目指して行く。ところが、店には張り紙がしてあって、本日予約で満席だとのことだった。Img_5576 こんな調子だとイタリア料理のピッツアの店も同じ状態だろうということで、方針を変えて、近くの日本料理の店に早々に入ってしまう。金目鯛専門店だった。金目鯛丼膳を注文する。

 

Img_5552 湯島天神がその店を曲がった正面近くにあった。学業の神様なので、今年の商売繁昌を報告して、感謝のお参りをする。ここには、受験生たちの合格祈願が殺到していて、絵馬を掲げる立て看板がずらっと並んでいた。読んでみると、みんな欲張りで、T大、W大、K大、R大などとずらっと受験校を書いて、祈願していたのだ。Img_5556 でも中には、親御さんたちだけの絵馬が掲げられていて、息子や娘の合格祈願をそっと願っている絵馬があって、好ましかったのだ。それから泣かせたのは、教師の絵馬で教え子が目的の試験に受かったことを感謝していた。教え子のチカラは信じていても、あとは神頼みというところは、確かにあるのだ。

 

Img_5571 湯島から男坂、女坂を下って、枯れたハスの花が茫々と続く不忍池を迂回し、上野の「時の鐘」を遠望しながら、日本芸術院の隣にある「上野の森」美術館へ出る。Img_5562 印象派とドイツ表現主義を中心としたポピュラーな絵が目白押しだった。たとえば、代表となる作品は、何枚かある有名なゴッホの自画像の一枚がきていた。ゴーギャンやセザンヌなどもそれぞれ教科書に出てくるような作品の次に控えているようなものがそれぞれきていた。

 

Img_1817 今回の中で、長く眺めてしまったのは、オスカー・ココシュカの「エレサレム」と「エルベ川、ドレスデン」だ。近景と遠景が斜め上下に分けられていて、絶壁や川によって、中間が仕切られている。ココシュカの人生全体を表しているかのようだった。Koljerusalem けれども、この景色、とりわけ遠景部分は秀逸で、不思議な盛り上がりを見せている。ココシュカの絵画では、恋愛関係にあった有名なマーラー夫人を描いた「肖像画」や「風の花嫁」などの人物像をよく目にしていたので、これまであまり注目することがなかった。Img_5592 けれども、今回の二枚ともに風景画であり、なおかつ、近くと遠くを独特の世界観で描いていて、興味深いものだったのだ。娘は、マティスの「窓」が良かったらしい。この絵の中の椅子やテーブルや窓の一つ一つを見て行くと、何の変哲の無い普通のものが並んでいるに過ぎない。それぞれの絵だって、特別に素敵なわけでは無い。Img_1821 ところが、この絵の前に立つと全ての人びとに、これは「マティス」なのだとわかるのだ。この明確さは、なんなのだろうか。

 

Img_1839 正岡子規球場の前を通って、国立博物館前を横切り、芸大の喫茶店と赤煉瓦の建物群を横目で見ながら、突き当たりの和菓子屋さんで、抹茶と和菓子のセットをいただく。Img_1858 丹波の大納言のゼリーが美味しかった。そのまま根津まで散歩して、千代田線と副都心線、東横線と乗り継いで、横浜の帰路へついたのだ。年の瀬のギリギリの散歩だった。Img_1861 Img_1849 Img_5546 Img_1841 Img_1852 Img_1853

2016/12/08

横須賀美術館へ散歩

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冬の陽の落ちるのは早い。散歩に出ようとしても、まごまごしているとすぐ暗くなってしまう。先日の逗子・鎌倉へ行ってから、足の調子は良くないのは仕方ないとしても、呼吸器系の調子が良く、歩くことの効用については歳をとるほどに感じてしまっていたのだ。Img_5303_3 それで、今週も逗子と横須賀の美術館をはしごしようと妻と計画していた。電車の時間表など調べてもらっているうちに、両方は無理じゃないか、ということになり、さらに妻がどちらの企画展も見たくないと言い出して、結局のところ一人でトボトボと家を出て、横須賀美術館を目指すことになったのだ。

 

Img_5359_2 目的は二つあって、横須賀美術館の企画「新宮晋展」を観ることと、じつは3年前に開かれた企画展「日本の木のイス展」のカタログを購入することだ。当時、イス展をなぜか見逃していたのだ。それで、カタログだけでも手に入れておこうと思ったのだ。Img_5312_2 ここには、わたしの講義でも取り上げた、フランク・ロイド・ライトのイスや、柳宗理のイスなどが展示され、とりわけテーブルや部屋との調和の観点から取り上げられていて、今更ながらではあるのだが、見逃してしまっていて残念だったのだ。

 

Img_5321_2 それにしても、この美術館の海風の中を歩くのは、気持ちがよい。美術館に近づくにしたがって、今日の展覧会「新宮晋」のモチーフの一つである「風」のオブジェが芝生の傾斜した庭いっぱいに広がっているのが見えて、爽快な風模様を感じるだけでなく、観ることができるのだ。Img_5339_2 今日は小学生への美術館開放の日であったらしく、列をなして帽子をかぶった子どもたちが表坂道を降りてきた。Img_5330 前面のレストランには、犬を連れて、散歩途中の老人が風模様の黄色と、浦賀水道の青い海との対比を眺めていた。こうなると、体力がないからと言って、家に閉じこもっていられない。気分が晴れた分だけ、気力の問題だということになるだろう。

 

Img_5334_2 「新宮晋」の動くオブジェは、楽しいものだった。入ってすぐの部屋では、「水」を自然動力とした、二つの水車が展示されていた。「雨の光線」と「小さな惑星」と名付けられているオブジェだ。水車といっても、通常のものとは異なって、上から流れてきた水がオブジェに受け止められて、オブジェの内部で複雑な動きを見せ、それに合わせて、回る工夫が施されている。Img_5342 見ているだけで、いろいろな複雑な動きを見せるので、そのメカニズムがどうなっているのかを考えて見ているだけでも面白い物体なのだ。単純に水は上から下へ流れているだけなのに、溜められて横に向かうと、なぜこのように複雑な流れを見せるのだろうか。不思議な動きが生まれる遊具なのだ。

 

Img_5343_2 次の部屋では、今度は「風」がテーマになっている。天井に隠れて据え付けられた扇風機が風の流れを生み出して、それを受ける大きな風車と小さな風車が組み合わさって、これも大きな回り方と小さな回り方との複雑な組み合わせを見せている。Img_5337 あるいは、近くの風と遠くの風が、それぞれ大きな動きと小さな動きを連鎖的に生み出していく。ひとつとして、同じ動きはない。一つの風は、他の風とぶつかったり合流したりして、互いに弱く吹いたり強く吹いたりして、異なった風模様を作り出していく。

 

Img_5336 このように言葉で説明しても、隔靴掻痒でうまく伝わらないかもしれないが、それがオブジェというものの良いところなのかもしれない。特に注目したのは、「空のこだま(Echo of Sky)」だ。これを見たら、これまでの新宮の意図が、はっきりと見えた気がしたのだった。

 

Img_5355_2 水車にしても、風車にしても、なぜか新宮の作る今回の車には、支柱を挟んで、左右に二輪の車が付いているという共通点が見られた。そして、この二重の車を支える支柱が伸びて、地面に固定されたり天井に据え付けられたりして、何れにしても二輪を支える土台が存在するのだ。Img_5361_2 典型的には、「小さな花」と名付けられた三段に円柱が重ねられ、動きがグレデーションとなって現れる、回るオブジェなどは、最終的に三番目の円柱を支えるところで、土台が強調されている。いつも、土台との戦いの中で、車が回っているのが特徴なのだ。車は、しっかり固定するものがなければ、回らないのだ。これが展覧会の前半の答えだ。

 

Img_5341_3 ところが、「空のこだま(Echo of Sky)」では、初めて土台から、車の存在が自由になるのだ。車が上で転回するために、土台ではなく、重し(バラスト)が車の反対側に吊り下げられているのだ。バラスト効果がこんなところで目に見える形で出て来ようとは、到底想定していなかったのだ。Img_5366 驚いてしまったのだ。風車が宙に浮いて、それをバラストが左右に重心をとって、全体を安定させている。素晴らしい想像的オブジェだと思った。土台からバラストへ転換することが、こんなにオブジェ全体の自由を保障するとは本当に思わなかったのだ。Img_5365_2 おそらく、社会にもこのようなバラストがたくさんあるに違いないと類推を羽ばたかせてしまったのだった。

 

Img_5382_2 そんなこんなで、さらに常設展で、いつもの朝井閑右衛門の「パン」や三岸節子の「室内」や松本竣介の「お堀端」や国吉康雄の「毛皮の女」、さらに萬鐵五郎の「ガス灯」なども堪能して、Img_5376_2 3時間ほど心の散歩をして遊んでしまったのだ。Img_5378_2 夕闇迫る浦賀水道には、まだまだ常夜灯を掲げた船たちが行き来していた。ようやくにして、1時間ほどの家路に着いたのだった。遠くに、富士山が赤く染まっていた。

2016/05/22

砧公園の世田谷美術館へ行く

Img_0812 砧公園の世田谷美術館で開かれている、「竹中工務店400年」展へ行く。東急線用賀駅から遊歩道を15分ほどたどって、砧公園へ着く。歩道の石に、百人一首が刻み込まれていて、楽しい散歩コースだ。Img_0817 竹中工務店といえば、あべのハルカス(2014)や東京ドーム(1988)などの近代建築の会社であるというイメージが現代では定着しているのだが、関係者にとっては400年の歴史というものがあって、この400年のうち近代以前の最初の250年が重要な意味を持つことがわかった展覧会だった。

Img_0819 数多くのコンクリートの近代建築が展示されているのはこの展覧会ではまったくの事実であって、それらだけでもかなりのボリュームの写真や説明があるのだが、それらの中でもコンクリート以外の建築物、とりわけ目を引いた建築物は、やはりポスターに謳われていた「棟梁精神」が前面に出た、木造建築だった。先日神戸で訪れた大工道具館の展示を思い出した。

Img_0829 全体の展覧会では、必ずしもそのことは強調されていなかったのだが、見終わると心に残るのだ。記憶の底にズシンと沈殿してきて、重く思い出されてくる建物があるのだ。都市の建築物よりも、地域の建築物にそのような建物が多いのはなぜだろうか。それらは、神社仏閣もさることながら、それ以外の木造建築物だ。中でも、1935年落成の「雲仙観光ホテル」は今回の展覧会ポスターの下の方に、設計図が載っていて強調されていたし、この建物には窓が多く取ってあり、いかにも人間を向かい入れることを思い起こさせそうな建物なのだ。

Img_0834 さらに加えて、注目したのは、2013年に作られた「大阪木材仲買会館」だった。宇宙の果てまでもギューンと伸びていきそうな、木造の庇と外廊を持ったビルなのだが、素材として耐火性の木造であるという点が特色だ。木柱の芯に石が埋め込まれて、類焼しない工夫がなされている。

Img_0836 これは、都会では、心強い仕組みということになるだろう。なぜ都市の建築物がコンクリートと鉄鋼で作られ、味気ない街になってしまったのだろうか。やはり、都市の火事は、相当に恐れられていたことの一つだと考えられる。それは、江戸時代の火消しの活躍に象徴されている。この災害対策として、わたしたちは次第に、木造建築物を排斥してきてしまったのだと考えられる。けれども、この木材仲買会館のような木造が増えていけば、解決されるだろう。心配なのは、コンクリートと比べると、極端にコストがかかっている感じのところだ。木材にこだわった結果、費用が極端に高くなってしまったのだろう。けれども、長期的に見れば、木材を生かすことの事例として、かなり意味が出てくるのだろう。

Img_0841_2 昼をとうに過ぎてしまったので、美術館のカフェで軽い昼食をとる。公園から、一段下がった、中庭がテラスになっていて、水が流れている、今日のような夏日には、見た目で涼しい。

今日の椅子は、これまで何回も取り上げようとして、うまくいかなかったウェグナーのYチェアだ。柱と笠木の曲木が綺麗で、全体として、ぷっくりとまとまっているところが、自然さを示している。Img_0844 けれども、ほとんどの部材がかなりのロット生産で作られており、大量とまではいかないが、量産可能な椅子として、しかしながら、手作りの趣を残している木製椅子の代名詞的な椅子だ。

座ってみると、ペーパーコードの座面が心地よく、左右への身体の揺れに自由度があるところがたいへん良いのだ。Img_0845 今回の世田谷美術館のレストランの常備椅子として、数十のYチェアが使われていて、Yチェアがパレードを行っているようだ。待合の廊下にも、長椅子とともに使われており、ちょっと休憩というときに良いのだ。ガラスが大きく取ってある廊下でYチェアに座って、庭に置かれた不思議な彫刻を眺めながら、しばし展覧会を思い出していたのだった。Img_0842

2016/02/13

「恩地孝四郎」展へ行く

Img_2873 昨日は昼食の後、大学を早めに退散して、恩地孝四郎展を観に東西線の竹橋へ出た。国立近代美術館は、金曜日には夕方遅くまで開いているので、じっくりと鑑賞できる。Img_2913 わたしの原稿書きの調子からして、下旬になると予定が立て込んでくる予想があるので、これから迎える苦難の前に一条の救いを求めたのだ。

Img_2874 恩地孝四郎の名前は、かなり前から知っていた。記憶を辿ると、たぶん中学校時代にまでさかのぼることになるだろう。当時、池袋を通って、練馬区の大泉まで電車通学していたのだが、この池袋のいつも寄る書店の包み紙が、恩地孝四郎の装丁だった。どのような模様であったのか、見ればわかるだろうが、今ではあまりはっきりとは記憶していない。だが、この名前だけには記憶があるのだ。

Img_2876 展覧会場に入ってすぐに、油絵の自画像があった。途中にも幾つかの自画像が掲げられていた。それらを観て、これらは油彩であるのだが、いかにも版画的な絵画なのだと思った。ここでの版画的とは、色ごとに、刷りが異なり、それらが複合的にレイヤーを構成しているような描き方のことだ。それで他の恩地の絵画を見ていても、どうしても表現が版画的だと思ってしまうのだ。たぶん、これらの絵画をもし単体で見せられたら、きっと興味を示さなかったに相違ない。版画的に描かれているから、きっと表現上意味が出ているのだ、と思ったのだった。ということは、恩地孝四郎は最初から版画家だったのだと思う。

Img_2910 わたしが思うに、木版表現には絵画表現に勝る二つの版画的特徴がある。ひとつは、切り取ってきたような輪郭のはっきりした、エッジの切れた表現だ。浮世絵の多くは、輪郭のはっきりした表現でできている。もうひとつは、ベタ面の表現だ。木の持つ細胞の凸凹が刷られて反映される質感である。表面の示すザラザラ感がなんとも言えない。

Img_2906 恩地の初期の「月映(つくはえ)」時代には、黒と白とで、エッジの切れた木版表現を行っていた。これに対して、関東大震災以降辺りから、木面の豊かさを意識したような版画が多くなる。この時代で、好ましいなと思ったのは、眼鏡がなかったので、細かい字が見えなかったのだが、Img_2914 1922年の「卓上静物」(リンゴが素晴らしい)、1928年の「湖辺」、1930年の「朝」、1939年の「円波」などだ。後者の三つは、水色の使い方が木面を生かしたものになっている。「朝」は、その後何年か、同じモチーフで描かれている。

Img_2917 これらの後、恩地は戦後の「抽象画」時代に入っていくことになる。チケットの挿入画になっている1949年の「孤独」、詩集の表紙となった1950年の「雲は機械である」などに、興味を持った。

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さて、近美の楽しみは、常設展示だ。こちらは写真を撮っても良いことになっている。なぜか、今回はこれまで何度も見てきて、見飽きない逸品が数多く展示されている。上記の恩地孝四郎の企画展では、写真が禁止されているのだが、こちらの常設展での恩地作品は、撮影OKだった。

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Img_2883 企画展の間に挟んだ東京駅がその作品だ。藤田嗣治の2作品は、堂々とした大作だ。作風が正反対であるのだが、この作家の特徴をよく表していると思う。この小林古径のりんごは透き通るようで、見飽きることがない。

Img_2878Img_2894Img_2900 Img_2909 今日の椅子は、近美の実際の椅子を取り上げようととも考えたが、やはり作品の中の椅子を二つ上げておきたい。一つは駒井哲郎の「歪んだ室内」、もう一つは、山口蓬春の描いたウィンザーチェアだ。両方とも、すぐにでも座ってみたい椅子だ。Img_2904

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。