カテゴリー「絵画・展覧会」の投稿

2017/10/23

台風の影響が心配なのだが、Tupera Tupera展を観に行く

Img_3337 横須賀美術館へ、Tupera Tupera展を観に行く。昨日の台風21号が日本を縦断して、近くの弘明寺公園には、樹々、葉っぱ、どんぐりの実などが所狭しと地面に散乱していた。Img_3323 午前中には、印刷教材の執筆と研究誌「社会経営研究」と「社会経営ジャーナル」の印刷を行なっていた。それで、理由はいくつかあるのだが、なぜか頭が詰まってしまっていたのだ。それを観た妻が、先週から行きそびれていた、この展覧会を勧めたのだった。

 

Img_3387_2 Tupera Tuperaとは、若手の絵本作家(だけではなく、多才能のデザイナー)亀川達矢氏と中川敦子氏の二人のユニットだ。展覧会の最後の方に、なぜ絵本を始めたのかという説明のコーナーがあって、当初は布の切り絵の画家だったそうだ。これにストーリーが付き始めて、絵本になったのだそうだ。じつは、見ていて、この初期のものに興味を思えたのだ。ストーリーよりも、形・色・素材などの楽しさに満ちている。言葉よりもモノの直感的な世界を重視しているように思えたのだ。

 

Img_3345 けれども、通常のモノの直感だけとは異なるところがあるようだ。絶えず、二つ以上のものの組み合わせで、制作を行なっているという特徴がある。たとえば、絵本の一つとなった、「しましまじま」は典型例だ。一本の筋だけではなく、色の異なる他の筋が数本組み合わさってリズムを作っている。Img_3388 ストライプと一言で言ってしまえば簡単なのだが、このストライプが島の人びとのあらゆるところに出現するのだ。まず、島全体がストライプだから、一本の線と2本目の線とは調和が必要になってくる。ということで、島に存在するもの全てが、一本では決まらないのだ。二色以上でデザインされるという意味がここにある。一つの考え方だけでは決定できないのがストライプの思想だ。

 

Img_3364 ふつうは、1人のデザイナーが二本のストライプの配色を調和させていくに違いないのだが、もしこの基礎的な段階から、2人のデザイナーが話し合いで配色を考えていたとしたら、どうなるだろうか。おそらく、意図するところはこのようなところではないかと思われる。Img_3334_2 あえて、2人に仕事を分けてみると、そこの見えてくることがあるのだ。縞模様自体が共同性を内包していると、Tupera Tuperaを見ていると思うのだった。ストーリーで共同性を描くのではなく、形・色・素材などで共同性を描いている。

 

Img_3348 結局のところ、この展覧会を見ていて、考えたのは「好奇心」という、絵本の世界の重要な要素だ。好奇心はどのようなときに浮かぶものなのだろうか。展覧会では、亀川氏が「思いつく」好奇心派を担当して、中川氏が思いついたことを「面白いと感じる」好奇心派を担当していた。Img_3360 会場には、ビデオが映写されていたのだが、制作のときに2人は、横に並んで机に対している。そして、2人の間にある画用紙に、まず亀川氏が思いついた、切り抜きの素材を置く。すると、その思いつきに反応して、次の切り抜きの素材が中川氏によって、画用紙に置かれるのだ。この対話的方法によって、作品が作られていく。

 

Img_3349 何か思いつくということは、最初の出発としてはたいへん重要な要素であることは間違いないのだが、じつはそれに連なる次の面白さが続かないと、作品は一方的な作者の独りよがりに陥ってしまう。だから、特に注目したのが、中川氏の役割だ。好奇心には、イニシャルなものだけでなく、作者の思いつきに対して、次の共感を準備することがとりわけ重要な好奇心となるのだ。以前、同僚の心理学者O先生と電車で一緒になったときに雑談した。Img_3352 やはり、心理臨床のあり方として、共感ということを多様に準備する(言葉は多少違っていたような気がする)必要があり、それが臨床の訓練ともなるという話を聞いたことを思い出した。好奇心の発揮には、単に思いつきの尊重だけでなく、思いつきへの共感が必要であることを、Tupera Tuperaの作品を見ながら想像したのだった。

 

Img_3372 いつものように、椰子の樹が並ぶ海岸通を、強い風にもかかわらず、満たされた気分でバスに揺られたのだった。Img_3375

 

2017/10/21

ウィンザーチェア展を観る

Img_3322 今年の卒業研究が追い込みに入っている。全員の参加者が下書きを届けてきた。卒業研究では、手いっぱいに広げていた知識は、いずれは妥当なところまで縮小して、無理のないところまで切り下げなければならないだろう。でも、無理したところは無理した過程で、そのぶんだけ苦労したので、なかなか捨ててしまうわけにはいかなくなっている方もいる。けれども、あえてこのようなところは、そのまま出すのではなく、すっぱりと切り、削る覚悟が必要なのであろうとあえて申し上げておきたい。カンナで仕上げを行うごとくに、最後は手触りの良いように、論文についてもそのような状態まで持っていきたいものである。

 

Img_3274 夏に長野市で開かれていた「ウィンザーチェア展」が東京に回ってきていた。長野市へ行きそびれてしまっていたのだ。現在は、この展覧会が駒場の日本民藝館で開かれている。Img_3267 井の頭線で先頭車両に乗って、改札を出てすぐの駅前の蕎麦屋「満留賀」で久しぶりのケンチンうどんを食べる。洒落た街並みが続く住宅地の中を日本民藝館へ向かう。

 

Img_3393 4分の1ほどの展示物は、松本民藝生活館からの出品だったので、すでにみたり触ったり、座ったりしたものが多かったのだが、椅子の場合には、やはり個人蔵というのが見逃せないのだ。なかなか個人蔵になってしまうと、見ることが難しくなるので、このような機会は得がたいのだ。どのような座り方をしたら、このようになるのか、そのことを想像するだけでも、展覧会を楽しむことができる。

 

Img_3394 修理の形跡などは、とりわけじっくりと見させてもらった。どうしても、木製製品では年季が立つと、もっとも弱点のところに無理が出る。ウインザーチェアの場合には、まずは「貫」部分だ。脚に来るのは、人間と同じで、椅子を斜めにして座ったり、負担がかからないと思われているところに、必要以上の力を加えてしまったりということが、故障の原因となっている。もう一つは、木という素材の問題だ。数百年経ったときにどのようになるのか、たいへん興味を覚えるところだ。

 

Img_3392 二つの椅子に注目した。一つは、他の椅子からあり合わせの貫を持ってきて、自分のウィンザーチェアの補強に使っているものだ。この場合、本来であれば、部品を持ってきてしまう、そちらの椅子も修理に出さなければならないのだろうが、それはかなり融通性の効く「貫」の採用を行っていたのだった。それも、職人に任せれば、もっと上手く修理するだろうが、いかにも素人が行なったと直ちにわかるような形跡が残っているのだ。これも難しいところだ。自分で直したくなるほどに、愛着を持っていたのだろうか。

 

Img_3391 もう一つは座面の板の歪みだ。この椅子を眺めれば眺めるほど、この歪みが「自然」のものに見えて来るのだ。実際、自然の成せる技なのだ。歪んでいても、座っても大丈夫そうだ。むしろ、お尻の曲がった人や、曲がって座る人には、むしろ座りやすい椅子なのだと言えるかもしれない。この持ち主は、おそらくあまりに少しずつ変わっていったであろうから、この歪みを意識したことはなかったのではないかと思われる。歪みが輝きを持って、存在する椅子だと言えよう。この歪みがあったからこそ、持ち主の愛着を勝ち得たのではないかとさえ、思ってしまうほどなのだ。

 

Img_3282 民藝館の向かいの屋敷が、柳宗悦の邸宅だ。くぐり戸を入って、廊下を経て、階段を登る。小さな部屋がたくさんある。おそらく、客人たちを泊めるために、多くの部屋を作ったに相違ないだろう。真ん中に、書斎があった。壁は本で埋められているのだが、目立つのは、机と椅子だ。

 

2017 注目したのは、異形な動物の顔の彫刻が前脚から肘木にかけて刻まれている、大きな椅子の方だ。晩年、机に向かうことができなくなったときには、この頑丈そうな肘木に板が渡されて、そこで書き物が行われていたらしい。Img_3320 なんとなく、民藝に似合わないと感じたのは、椅子に取り付けられていた金属製のキャスターだ。床にくっきりとキャスターで傷つけた跡が認められた。そういえば、京都の河井寛次郎も書斎でキャスター付きの椅子を使っていたのを思い出したのだ。けれども、河井の方は、木製のユニークなキャスターだったのだが。

 

Img_3270 この椅子は、どこで作られたものだろうか。野生動物の彫刻の模様を見ていると、日本でもないし、欧米でもないことがわかる。それで、係りの方に聞くと、アフリカではないかという方もいらっしゃるとか。Img_3291 答えに慣れているところから、この部屋に入って来る一定比率の客で、この椅子はどこで作られたものですか、と聞く人びとがいるということだろう。

 

Img_3295 雨はなかなか止みそうにない。渋谷へそのまま出ずに、途中の神泉駅で降り、Bunkamuraシネマで上映されている、映画「ル・コルビュジエとアイリーン」をみる。アイリーンはデザイナーとして有名で、コルビュジエの一つの系統の椅子のデザインも行なっている。今回の映画は、「E.1027」邸を巡る問題を扱ったものだったが、シャルロット・ペリアン同様に、当時の著作権問題はかなりゆるく、後で問題となって来るのだとわかる映画なのだ。Img_3314 考えてみれば、使っている人には使用権が存在しており、あまりにその対象作品に愛着があるならば、著作権の一部をその使用者が持ったとしても、法律的にはありえないとしても、現実の世界ではありえてしまうような気になって来るのだから、不思議なのだ。

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Img_3306 アイリーンのデザインした椅子とサイドテーブルが映画館の入り口に置かれていて、観客たちは座って、写真に収まっていたのだ。

2017/10/12

フィンランド・デザイン展を府中市美術館で観る

Img_3143 「フィンランド・デザイン」のシンプルさを楽しんだ展覧会だった。けれども、ただのシンプルさではないところが観られたし、面白い考え方に満ちていた。来て良かったと思わせる展示だったのだ。Img_3147

 

Img_3088 久しぶりに、府中へでた。駅全体が京王のショピングセンターみたいになっている。府中美術館へいくバスがどこにあるのか、さっぱりわからない。駅員に聞くと、下へ降りて、スターバックスの前だというのだ。Img_3146 つまり、駅全体が二階に浮いていて、下の1階がバス乗り場になっているのだが、どこから降りれば良いのかが初めての人にはなかなかわからないという駅の構造なのだ。「ちゅうバス」という、マイクロバスが市内を循環していて便利だ。百円で乗れるのは良いとしても、乗り場がわかりにくいのが、玉に瑕だ。

 

Img_3153 府中市を歩くと、昔から並木道が本街道の脇道に発達して居て、緑の多い街だという印象がある。ちょっとした並木が年を経て、このようなこんもりとした森と化している。しかも材木屋さんが途中にあったりして、たくさんの輸入木材がこんこんと眠らされていた。その延長線上の森の公園の中に、府中市美術館がある。Img_3151

 

フィンランド・デザインと言われても、いろいろな素材のデザインがあるのだから、焦点を作るのが大変だったろうが、「シンプル」という共通点を前面に出していて、まとまりのある展覧会になっていた。Img_3092 とくに、展示の最初の部屋の最初の展示が、1870年に作られた薄い土色の、薄手のカップ&ソーサーで、モダンで機能的ながらも、フィンランド的な複雑性を含んでいて、素敵ですごい。展示会の最初の印象が大切であることを教えている。画像がないのが残念なぐらいだ。

 

Photo わたしの今回の目的は、何と言っても、Artekのアルヴァ・アアルトの椅子だ。会場の写真は禁止されていたので、HK氏がネットに載せている写真を引用することにしよう。10脚あまりの椅子と、設計イラスト図面などの全体を見ることができた。とりわけ、その傍に掲げられて居たレリーフ作品がアアルトの基本的な考え方を表していて興味深かった。「成形合板」という、これもモダンで機能的な素材の中枢にある考え方の中に、アアルトだけは機能だけでなく、フィンランド的な「美」を持っていたことがわかる。Photo_2 スライスした薄板は無機的な素材なのだが、それを無限に変化する合板に成形することで有機的な「美」となるのだ。そしてさらに、ここには、薄板をさらに細いひも状の板にして、それを捻って、椅子の脚にまで仕上げる手法があり、観ていて泣けてくるほどだ。シンプルでありつつ、過剰なのだ。近代主義のシンプルさが、近代以後のシンプルさの多様へ転換する瞬間の一つがここにある。

 

Img_3106 アアルトの典型例は、スツール60にも表れている。美術館では、「名作椅子に座ろう」というので、アアルトやイルマリ・タピオヴァーラなどの椅子が入り口ホールに並べられていて、自由に座ることができる。椅子は視覚で味わうのではなく、やはりお尻からの触感を味わうものなのだ。スツール60は、最もたくさん用意されていて、このスタッキングできる多さが特色だ。なぜかといえば、椅子の多さの中で、色彩の多様性を座面の変化で味わうことができるのだ。これを眺めていて、アアルトのシンプルさの秘密がようやくにしてわかってきたのだった。Img_3093 単純なシンプルさではなく、「多様なシンプルさ」をアアルトは追究していたのだと思ったのだった。シンプルなのだが、多様性に特色があるのが、アアルトの椅子たちだ。


スツール60は部品がわずか4つである。座面が一つと、脚が3本だけなのだ。この大量生産を可能にした部品の少なさが、シンプルを表現している。Photo_3 けれども、壁面にスツール60のバリエーションが並べられていたが、木という素材の多様性、座面の色の多様性など、シンプルではあるが、多様でもあるのだ。「多様な単純」とよべるような状況がアアルトの椅子には観られるのだ。

 

Img_3100 展覧会の効用は、今まで知らなかったものを発見するところにある。イルマリ・タピオヴァーラが寄宿生たちのために作ったといわれる「ドムスチェア」が、それだ。まず、座面の位置が高く、46センチに作られている。通常は高くても43センチで、わたしの特注の椅子でも45センチだ。いかに高いかがわかる。勉強椅子では、脚の高さが時間が経つに連れて効いてくるのだ。46センチは良い線だ。それから、何と言っても、座面のこのRだ。この前へ行くほどに傾斜した独特のラインが勉強の前傾姿勢では良いのだ。数ヶ月前に女性の椅子作家の方を紹介したが、このR面はその系統にあると思われる。Img_3136 最後に、後脚の独特の形が特色になっている。アームを半分にして、そのアームを前で支えて、後ろへ傾斜を伸ばしている。この後脚からアーム、そして背板にかけての連続した部分は、前傾姿勢の後ろを支える装置になる。ちょっと勉強に疲れた時に、この装置が役立つ。シンプルかつ優美な形をしていると思う。昨年、デザイナーのM氏が宣伝して、特注のドムスチェアがロット生産され販売された。その時のポスター・カレンダーが評判になったのだ。Img_3139 ドムスチェアの欠点は、結合部分でかなりビス留めが使われているところだが、それをも多様性の一端にしてしまうほどのデザインだとも言えるところが、また強みなのだ。

 

Img_3148 隣接する喫茶店「Café Longtenos」で、ソフトクリームを食べ、今日座った椅子たちを省みて、再び楽しんでしまった。しかし、帰り道が遠いのだ。Img_3141 Img_3103 Img_3140 Img_3134 Img_3115 Img_3114 Img_3104 Img_3127 Img_3125 Img_3118 Img_3149

2017/09/24

グレインノート椅子展の最終日

Img_8615 今日は昼からずっと、グレインノート椅子展展示の最終日にお付き合いさせてもらった。ご主人のS氏と一緒にギャラリーの展示と訪れる人びととの歓談を楽しんだ。ギャラリー(gallery)の語源は、「回廊」ということで、本来は人びとが行き来するような空間だったのだ。だから、単に美術館の部屋のような閉ざされた場所ではなく、今回のように、松本市の中町通りから歩いて、ちょっと入ってくるような感覚が、この言葉にはあるのだと思われる。この場所は、窓からは道を通る人びとがよく見え、回廊的な要素があるのだ。

 

Img_8498 仙台から来たという、女性2人の旅行客は、まずは「異様」な形をしたT氏の「骨盤椅子」を見つけ、腰の締め付けを試していた。展示というものを考えさせられる行動だった。椅子なので、最後は座って見てもらい、お尻の感覚を試してもらうのが主眼なのだが、その主目的に到達するには、まずは視覚的な要素も大切なのだと実感させられたのだった。

 

Img_8488 名古屋から来た中年の女性は、ざっとほとんど全部に座ってみた後、自分のお尻にぴったりする椅子の感想を述べてくださった。パソコンを使用する関係の仕事を持っているようだったので、仕事椅子のイメージで座って回ったようだった。Y氏の編み椅子、A氏の健康椅子など、横から見ていると、背筋がぴっと立ち、お尻がすっぽり入って、見るからに身体にぴったりの椅子だ、という感触が周りに伝わってくるようだった。お尻モデルになると良いのではと思うくらいだった。これらの椅子の販促のために写真を撮っておくべきだったと後悔している。つまり逆に、椅子向きのお尻というものがあることを知ったのだ。

 

Img_8485 椅子展の中でF氏の椅子は、センスの良さが目立つ。F氏の大工仕事のファンだという、男性が現れて、コタツに使うようなF氏の和風椅子を写真に収めていた。おそらく、F氏に以前、改装を依頼したことがあり、その仕事振りに魅せられた方のひとりだと思われる。そういえば、先ほど、キッシュプレート・ランチを近くの喫茶店Chiiannで取った。まだF氏にはお会いしたことはないのだが、じつはChiiannの店全体のデザインをF氏は引き受けていて、その大工仕事の一端を見せていただいた。

 

Img_8730 F氏は最近、店の入口近くに据付ける小さな棚を持って来たのだそうだ。この写真ではよくわからないかもしれないのだが、遠目に見ると、3段の棚で、一番下の棚と二番目の棚の間の縦幅が、ずいぶんゆったりと取っていて、二番目の棚と三番目(一番上)の棚との間の縦幅は狭く作られている。この場所はギリギリのスペースなので、たくさんのモノをできる限り置きたいと思ってしまうところなのだ。しかし、下へ行くほどゆったりと作られている。なぜなのだろうか、と考えてしまった。Chiiannのご夫婦に聞いたのだが、F氏は別に理由は言わなかったのだそうだ。

 

Img_8725 その答えは、近くに寄って見るとわかるのだ。つまり、目線の問題だったのだ。狭いスペースなので、訪問者が上から立ったままで棚を見たときに、下へ行くほどゆったり縦幅を取っていないと、棚の中の展示物が上の棚で隠れてしまうのだ。つまり、大きなものを下の棚に入れるために、下へ行くほど縦がゆったりとっているのではないのだ。全ての棚の中のものが、ここに立った人に見えるようになっているからなのだ。なるほど、という工夫だ。F氏は、このようにちょっとしたところで、使う人の身になって考えることができる方らしい。ファンができるわけがわかった気になった。

 

Img_8732_2 もう一つこの棚には、隠された工夫が見られた。それは棚の脚だ。この点はChiiannのご主人も気がついていて、柱にギリギリに棚が据え付けられているので、脚の外側の部分は切り落とされていて、内側にだけ脚がつけられている。けれども、この脚があるだけで、安定感がぜんぜん違ってくるのだろう。

 

Img_8467_2 さて、グレインノートに戻って、夕方には展示された椅子を回収するために、東京からS氏がK氏と一緒にやって来た。デザイナーのS氏は今年から椅子展に参加した。それで、これまでの伝統的な椅子とは、また趣向の異なった椅子を出品していていた。一つはこのグリーンの箱をイメージさせる「箱椅子」だ。Img_8466 もう一つは、動物の象をイメージさせる「縞々椅子」で、白い木の木目の組み合わせが美しい。伝統的な椅子と、何が異なると、このようなデザイン主体の椅子が出来上がるのだろうか。ヒアリングを行った中で、その点を集中的に追究させてもらったのだった。たぶん、発想の方法が逆転しているところに、特色が現れていることはわかったのだが、さてそれをどのように言葉として定着できるのだろうか。今回も難問をずいぶんと抱え込んでしまったのだったのだ。

 

Img_8606 夕方になって、椅子作家の中では一番歳の若いT氏が最終日になってようやく展示する椅子を持って現れた。彼の椅子は人形物語の中で活きており、その世界でもっとも大きな作り物であるということで、独特の様相を持っている。聞くところによると身体が弱いこともあって、遅れることは常習的なことらしいのだ。作るということには、なんと様々なドラマを生み出すのだろうか。それで、20日に撮ったビデオと同様の視点で撮って、今回はT氏の椅子も入れて、Youtubeの映像を更新することする。彼の椅子がないバージョンと、彼の椅子が入ったバージョンの二つが出来て、それはそれで、今年の特色になったと思うのだ。意外なことに対する純粋な驚きの精神がここでは必要なのだろう。

2017/07/26

海の多様性について

Img_7935 雨が降ってきて、冷たい日だ。亘理町のイチゴ農家M氏から、冷夏でイチゴの苗が育たないし、畑のぬかるみに足が取られるという知らせが届いた。メールの件名も、「寒さの夏はおろおろ歩き」となっていた。

 

Img_7927 わたしも午前中仕事をしていたのだが、手足が冷えてままならないのだ。妻の提案で、横須賀美術館に行くことにする。このような日ならば、展覧会もレストランも空いているだろうということだ。Img_7948 決めてしまえば、1時間で着くのだ。観る方が主なのか、食べる方が主なのかは、問わないことにする。途中、ヤシの木が雨に濡れて綺麗だ。バスに乗って、馬堀海岸から走水漁港を抜けて、美術館へ到達する。

 

Img_2567 今回の企画展は、「美術にみる日本の海」ということで、横須賀に似合った展覧会だ。古賀春江の「海岸」がポスターになっていて、京急線の中でも目立つ。一番最初の部屋に、展示されていた。三人がいて、家族らしいのだが、近代的家族のすれ違いが描かれている。Img_8025 それが、海の色の違いとなっているのが、一つの工夫だ。近代家族の中心は、やはり奥様で、中央にデンとして欲望の塊としての存在感がある。もう一方の中心は、やはりご主人ではなく、子供なのだ。これを媒介するものとして、ようやくご主人が中腰で現れている。海に行くと、家族の現実が現れるという「海」だ。

 

Img_7954 須田国太郎の「海」は、構成が行き届いている。海は上辺にほんの少しのぞいているだけなのだが、手前の河と街の様子が克明に描かれていて、かえって「海」まで考えが及ばないくらいの密な画面を構成している。灰色の色調の中に、濃い重なりが続いていて、見るものの心を捉える。人間の営みがあって、海があるという「海」だ。

 

Img_7966 途中から、絵画の世界から海で使われるモノの世界が展開していく。大漁旗や漁師のはっぴなどが、真新しい実物として展示されている。この着想は面白いのだが、このような雄大な旗が美術館へ展示された途端に、現実感が遠のいてしまうのはなぜだろうか。Img_7962 色鮮やかさは、海の青には映えるけれども、美術館の白壁には合わないということだろうか。使われるモノには、使われている現場の「海」が似合うということだろうか。

 

Img_7971 見終わる頃には、昼をかなり回っていたので、レストランは空いていた。中央の席、レストランからガラス越しに、芝生そして「海」を見下ろすところに腰掛ける。Img_7972 ランチは、今月のスペシャルメニューで海鮮パスタだ。展覧会に合わせたメニューになっている。

 

 

Img_7988 相変わらず、空は曇りで、ここからみる船たちも、難儀だなと言いながら、浦賀水道を通過していくように見えてしまう。この海も、イチゴ農家のある亘理町に通じているのだな、と「海」の映し出す多様さと感覚の差を思いながら、三浦半島の海を後にしたのだった。Img_7997 Img_7992

2017/07/23

椅子のコレクションを観る

Img_2500 昨日、夜遅くまで議論が続くのかと思っていたら、思わぬ豪雨が吹き荒れたこともあって、ペールエールを飲んで、次回の予定を立ててあっさりとお開きとなった。博士後期課程のみなさん、かなり忙しいらしい。

 

Img_2458 宿は京都駅に近いことを重視して選んだのだが、かといいながらも駅の喧騒を避けて、じつは京都五条にとっていた。地下道の七条へ出て、東本願寺を越えれば、五条の街へ入っていく。まだまだ路地のあちこちに長屋が残っていて、京都駅からの徒歩圏であるにもかかわらず、住宅地としての顔を残している。Img_2454 朝の食事は、宿から五条大橋へ向かい、その袂に鴨川と並行して、高瀬川が流れ込んでいる、その脇にある静かな喫茶店「Kano」へ入る。Img_2456 窓から、水量豊かな高瀬川の清流が見えて、五条大橋の交通量の多さを打ち消している。街の中のオアシスという雰囲気だ。

 

Img_2466 今日の目当ては、五条にある、陶芸の河井寛次郎記念館に置かれた椅子コレクションだ。とくにここが、椅子のコレクションで有名だというわけではない。けれども、京都で椅子を集めて展示しているところを思い出していたら、俄然この館が浮かんで来たのだった。Img_2471 河井寛次郎の作風に似た「異形」の椅子があったな、ということだ。河井寛次郎が生活の中で、生活具を選んでいく過程が見えるような気がするのだ。

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黒田辰秋に依頼した椅子もあるかもしれない、とも無い物ねだりの期待したのだった。黒田の制作になるものとしては、有名な棗(なつめ)や、綺麗な帯留が展示されていた。

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「異形」の椅子と呼んでしまうと、ちょっとおどろおどろしいのだが、1階においてあった、この椅子などは、背板に特徴があって、過剰に異形だと思われる。Img_2501 ゆったりと背中へ体重を預けるときには、座りやすい椅子だ。特別なことがない限り、このタイプの椅子が大量に作られることは考え難い。座る人の何かが、椅子の内部にまでずっと浸透している椅子だと思われる。

 

Img_2487 次に、普通の椅子に見えるが、座ってみると「異形」なことがわかるのが、この書斎椅子だ。まず、小さすぎる気がするのだが、がっしりとした丈夫そうな構造に、さらに鋲が打たれた過剰な姿をしている。河井寛次郎の座っている写真が残されているので見ると、この椅子はおそらく彼の身体にかなり適するように作られている。したがって、ちょっとお尻や腰回りの大きい(わたしがそうなのだが)人が座ると、肘木に引っかかるくらいなのだ。Img_2491 けれども、座板の曲線はよくフィットするし、一日中机と向かい合う椅子としては申し分ない。この椅子のもう一つの特徴は、ひっくり返すとわかるのだが、椅子の脚に木製のコロが取り付けられていて、事務椅子のように、座ったまま転がすことができるように工夫されている。もちろん、木製なので、ギャロギャロと軋んだ音を立てて、可愛いのだ。この椅子も、河井寛次郎の思いがかなり吹き込まれ、浸透した椅子といえる。

 

Img_2477 それから、あった、あった。ゴッホのスペイン椅子だ。椅子作家のYさんから教えられてから、あちこちで見るのだが、このオリジナルに近いものは意外に少ない。この脚のしなりはどうだろう。やはり、生木なので、時間が経つと、ホゾが緩んでくるのは仕方がない。ギシギシと座ってみて、この緩みの具合を感じるのは、楽しい。この椅子がたくさんあるのは、やはりスペインから当時仕入れていた店が京都にあったからに違いないだろう。Img_2480 現在では、その店で扱っているのは、このような手仕事のものではなく、機械で削ったもので、見劣りがするのだ。それにしても、塗装無しで外に置かれたこの椅子は、粗野そのもので素晴らしいのだ。

 

Img_2481 それから、見過ごされそうな椅子が、登り窯の前にあり、気になって、座ってみた。なるほど、という感じだ。ふつう、このような仕事場にある労働椅子は、前傾姿勢を基本としている。前へのめって、仕事に没頭するからだ。ところが、この椅子の背当てが、曲げ木で、ぐるっと後ろへかなり回っているのだ。だから、座ると、少し後傾姿勢となる。Img_2469 おそらく、登り窯を三日三晩焼いていて、薪をくべる合間に、休憩をとり、窯を眺める時には、ずっと後ろの高いところまで、眺めつつ、休むのだと思われる。したがって、後傾姿勢の椅子が必要とされたのだと思われるのだ。

 

Img_2505 これだけ集めれば、少し壊れかけた椅子もある。この椅子は座面が楕円で、位置が偏っている。それが三角形の貫に乗っている。異形ではあるのだが、座りやすいし、文句のないところだ。しかし、形に凝ると、思わぬところに皺寄せが出るのだ。貫のホゾがやはり抜けかかっていた。Img_2506 ちょうど三角形の頂点のところなので、力がかかってしまったのだと思われる。けれども、ゴッホの椅子と同様で、これも完全に壊れるまで、丁寧に使ってもらえば、多少の故障はかえって椅子の特色ともなるのだ。長く使ってもらいたい椅子だ。

 

Img_2512 この記念館は、手仕事の工房を兼ねていたので、当然冷房はない。したがって、今日のように家の中でも35度を超えるような時には、扇子やうちわが必需品だ。1階の広間に用意してあった。とはいえ、2時間ほど滞在すると、喉も渇いてくる。Img_2508 この横丁に入る角に、青磁の陶工が経営しているらしい、珍しい「市川屋珈琲店」があった。ちょうど、入口のカウンター席が空いたので、ここでコーヒーを1杯。帰宅の準備を行う。

2017/05/27

クラフトフェア松本でヒアリング調査を行う

Img_7798 526日、27日にかけて、松本市のクラフトフェアへ行く。今回のクラフトフェア松本はこれまでになく、混雑が激しかったような気がする。もちろん、出品応募する作家も増え、わたしを含めリピートする観客も増えていると思われるので、展示される作品の質は確実に高まっているし、見るだけでも楽しいという要素があることは確かだ。

 

Img_7898 だから、このあがたの森公園で行われるクラフトフェアの本体は今後も色々な意味で発展を続けることは間違い無いだろうし、今後もフェアというものの持つ周辺の消費者を惹きつける、フェスティバルとしての魅力は薄れないだろう。けれども、そうは言っても、何となくフェアそれ自体には熱気と同時に、ある種の冷たさも感ずるのだ。人があまりに集まりすぎるということに問題があることは間違いない。

 

Img_7900 経済学では、「集積効果」は素晴らしいということになっているのだが、これには二つの説が存在する。ひとつは「比較優位説」であって、フェアに他の地域に比較して、特別な優位が存在するから、行われるのだ、という意見と、もうひとつは伝統的「保護説」であって、フェアの地域に固有で昔から存在するものは保護していこう、という考え方だ。Img_7896 いずれにしても、長期的には「地域優位性」というものは他地域との接触が多ければ多いほど、薄れていく傾向にあることを前提としており、これからも優位性を保とうと考える点に特徴があるのだ。だから、人があまりに集まりすぎることは、この優位性を失ってしまう恐れがあるのだ。

 

Img_7778 人があまりに集まりすぎる問題に対して、クラフトフェア松本は、フェア・フリンジ(公式以外のフェスティバルの催し)という考え方を提示している点が注目される。具体的にみると、フェアは二日間しか行われないのだが、この周辺部では、5月中の長い期間にわたって、「工芸の五月」というフェア周辺部の催しが継続して行われている。こちらの方も、より余裕があって楽しめたのだった。Img_7781 中でも、昔の庄屋だった池上邸の蔵で行われていた、大曽根俊輔の乾漆による動物たちはリアルだった。蔵の前の小川には、写真のようなカバが浮かんでいたし、クジラも蔵に浮かんでいた。

 

Img_7760 先日紹介したように、今回のヒアリング相手の方々も、この「工芸の五月」催しの中での「はぐくむ工芸−子ども椅子展」に参加していた人が多い。また、前回「工芸の五月」のスタッフの方々へのヒアリングも行うことができて、親しみがぐっと増したのだった。フェアでは、いつも言っているように、観客と直角に交差して、歩くべしということにまさにフェア・フリンジは適合している。

 

Img_7763 それで、四人の椅子作家の方々のヒアリングを行ったのだったのだが、フェアの中だったので、なかなか集中して時間が取れなかった。結局は二日目の午後の最後の時間に集中することになってしまったのだ。それまでの二日間は余裕がありすぎたので、テントを回って、色々な方々と雑談をさせていただいた。中でも、女流の(というと、何となくイメージが湧くと思ったのだが)木工家で、Kさんのお話が面白かった。

 

Img_7804 テントを回っていて、Kさんのところに来たところ、ちらっと見て、中に並んでいる小物やテーブルの中で、一つの椅子に目が止まった。その一脚の座面が変わっていて、不思議な曲線を描いているのだ。このような曲線のことを木工家の方々は「R(アール)」と呼んでいる。わたしもようやく最近になって、日常用語の中で、この「R」という言葉を素直に使えるようになって来たところなのだ。この椅子の場合、写真を撮って来なかったので、言葉で説明することになるのだが、座面の「前が少し落としてある」ようなRの特徴を持っている。座面の先が直角に削ってあるのではなく、前が丸くかつ前のめりに座れるようになっているのだ。だから、座ると、ほんの少し前傾となる特徴を持った椅子なのだ。

 

Img_7922 さらに、椅子を横から見ると、座面がこちらからも緩やかなRを描いていて、お尻にフィットするように造られている。この横から全面にかけての曲面の素晴らしさが目立ったのだった。二度もこの椅子に座らせてもらったのだ。自分のお尻に感覚が残っていて、椅子ではいかに触感が大事であるのかが改めてわかったのだ。

 

なぜ前面が落としてあるのかという理由は、姿勢の問題であるとのことだった。わたしたちは、同じ椅子であっても、いろいろなところに重心を移して、様々な座り方をしている。深々とお尻を座面の後ろまで入れてしまう場合もあるし、横に足を投げ出して、背面を抱え込むような座り方をする場合もある。このような多様な座り方をする注文主に対して、椅子の作者はどのような対応を行うのだろうか。

 

前へ身体を倒すような姿勢で座る人は、働く人だ。仕事をするときに、ゆったりと座るより、多少前かがみになって、前方へ注意を集中できる方が良いだろう。前面を少し落とせば、座面へお尻を当てたときに、前の方で感ずることができる。仕事をする人にとっては、前面を少し落とした方が座りやすいと言える、とKさんはおっしゃるのだった。ここに、仕事を持って座る人と、椅子の作者との間に、何かが起こったのだ。ひとつの椅子には、それぞれのエピソードが貼り付いているのだ。

 

Img_7868 すっかりヒアリングの職人と化しているのだが、もうひと方、印象に残っている。番外篇でお話を伺うことができた。松本市の六区ストリートで、毎年「工芸の五月」催しが行われている。今回は、「素朴と洗練」と題して、目利きの方々が、生活の品々を出品し、言葉を寄せている。たとえば、デンマークのモーエンセンのモデルJ39が展示されていて、この椅子は「庶民のために、低価格で高品質な椅子を」と協同組合から依頼された椅子だと案内されていた。その中のM氏には昨年もこの場所で思わず喋りかけてしまった方なのだが、今年も幸運なことに偶然そうなり、質問を受けていただいた。

 

Img_7921 木工品の価格について聞いた。やはり、悩む問題だとしながらも、「最後はどこかで詰めなければならないですね」とおっしゃり、さらに少し考えたのちに、「その価格なら自分で買おうと考えるか」という価格ではないでしょうか、と教えてくださった。この答えは、これまでのヒアリンングでは無かった答えだった。意味深長な答えだと思う。たいへん参考になった次第で、感謝感激だ。

 

Img_7911 クラフトフェア二日目の午後には、各テントの中もだいぶ品が無くなり、終わりの近づいてきていることを知る。残した三人の方々の間を駆け抜けて、ヒアリングをこなした。テントを仕舞わなければならないところ、時間をとってくださった椅子作家の方々に御礼申し上げたい。

 

Img_7769 中町通りのグレインノートへ寄って、写真集をお返しして、ご夫婦に挨拶を行なった。少し休憩を取るために喫茶店「chiiann」へ行き、先日購入した木綿のトートバッグに書かれていたカステラをいただいた。右下に、Cの文字が見える。卵の種類がポイントなのだそうだ。Img_7772 Img_7770

2017/05/11

青空のもとで、デンマーク・デザイン展

Img_7647 なぜこれほど、わたしが観たいと思っている展覧会が次々に開かれるのか、不思議なのだ。逆に考えれば、みんなが観たいと思っている展覧会に、わたしの趣味が迎合しているということなのかもしれないのだが。けれども、それで訪れる展覧会が他の展覧会よりも空いているのも、もっと不思議なことなのだ。

 

Img_7699 青空の広がる横須賀の海を、貨物船や軍艦が通り過ぎていく。時折、小さな漁船もスピードを上げて横切る。5月の浦賀水道は、行き交う船でまんぱいだ。Img_7719 バスを降りて、真っ青な海を左手に、浦賀へ通じる道を右に横切ると、なだらかな丘の上に横須賀美術館の建物が広がっている。建物の前面には、レストランのテラス席が並んでいて、ランチ後の喫茶を楽しみながら、こちらを見ている客たちが見える。Img_7652 丘には、芝生が敷き詰められており、緑が青空に映える。ときどき、白く見えるまだら模様は、クローバーの花がかなり蔓延っているせいだ。

 

Img_7659_2 今回のデンマーク・デザイン展で特に見たいと思っているのは、もちろん椅子作家たちのデザインだ。ヤコプセンやウェグナーたちのものは、日本では公共の施設などで使われていて、よく目にする。また展示会も以前ここで紹介したように、銀座などのショールームで頻繁に開催されている。Img_7674 今回の最後の展示コーナーには、PPモブラー社の提供のものと思われる、ウェグナーのカウホーンチェア・ザチェア・アームチェアなどの笠木ができる過程を展示していて、どのくらいの原木から最後まで削り込むのかがわかるようになっている。Img_7685 そして、この灰色のカーペットの範囲内であれば、テディベアチェアやサークルチェア、さらにザチェアなどにも、実際に座ってみて、写真も自由にとって良いということだった。やはり、椅子では触感が重要で、お尻が椅子を覚えているということがあるのだ。

 

Photo 日本人の好きな椅子作家として挙げる一人に、デンマーク・デザイン作家のフィン・ユールがいる。部材を細く削って、独特で繊細な曲線を取り入れている、この椅子たちが素晴らしい。ところが、このフィン・ユールの椅子はパーソナルチェアが多いからなのだろうか、公共の場ではあまり見かけない。今回の展示でも、「個人蔵」という椅子が多かった。だから、今回の展覧会では、特別に注目していたのだ。展示室へ入ると、黄色い基調の有名なチーフテンチェアが現代貴族の椅子然と目立っている。後ろ足が三角形で上へ行くほどすぼまって行って、最後に雨だれのような小さな塊で終わっているところなどは、ほんとうに泣かせる。

 

Nv46 けれども、今回の目玉とわたしが目指してきたのは、モデルNV46で、1946年に造られたラウンドチェアだ。このモデルの2年前にモデル44が作られていて、これはおそらく試作という位置付けなのだ。12脚しか造られていないのだそうだ。フィン・ユールの特徴は、モデル44で止まらずに、モデルNV46へ展開したという、この展開そのものにある。おそらく、ウェグナーならば、逆でNV46が試作品で、それから発達させて、44へ行きついたのだろうと思われるのだが、この対比が比類ない面白さをもたらしている。

 

44 もし効率性を考えたら、完成度の高いモデル44を制作するのではないかと、企業であるならば考えたに違いないのだ。こちらの方が部品の数も少ないし、削りに大量生産方式を取り入れやすい構造を持っている。つまり、モデル44では、後脚は二次元で切り出されていて、45度に転ばせて、三次元に見せている。名作椅子の常套手段をかなり忠実に取り入れているのだ。写真で後脚の1本が斜めのこの方向から見て、まっすぐに伸びていることから切り出しは二次元であることがわかる。ところが、NV46では、後脚は完全に三次元で切り出され、なおかつ接合部分の形状は手作業で、手間をかなりかける構造をとっているのだ。これは写真だけ見てもわからない。実際の椅子を見て、触って見ないとわからない部分なのだ。なぜフィン・ユールはモデル44で満足せずに、モデルNV46を制作したのだろうか。それはまさに、このところに象徴的に現れている。機能的であっても、過剰というものがここに出ていることがわかる。フィン・ユールの椅子には、この過剰性が必要だったのだ。

 

Img_7703 先ほどのレストランで、遅ればせのランチを取る。海の青さと空の青さのもとでの食事は格別だ。パスタとピザを妻と二人でそれぞれ取って分けた。

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ピザのチーズは塩味が効いていて、ピリッとしまった昼食となったのだ。


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2017/05/07

はぐくむ工芸ー工芸の五月「子ども椅子展2017」ビデオ

これらの映像は、2017年5月2日から松本市美術館中庭で行われた、工芸の五月「子ども椅子展2017」を写したものである。少しずつ分けて、1〜4番目までの映像を載せた。時間がなかったので、音楽なしの無粋な映像で恐縮だが。この展覧会は、この後5月15日から6月25日まで、松本市中町通りの「グレインノート」へ移して開催される。子どもたちが座ってみることができる参加型の展示会となっている。「座ることが好きだ」という子どもたちが毎年集まってくるのが素晴らしい。主催は松本クラフト推進協会の中にある工芸の五月実行委員会で、松本市美術館が中庭会場などを提供するなどの協力を行なっている。広がりのある活動だと思う。


映像1
映像2
映像3
映像4

2017/03/26

「正岡子規」展を観る

Img_6703 冷たい雨が降っている。関内駅で地下鉄を降り、横浜スタジオの横を通り抜け、フランス山の急な階段を駆け上って、いつもの風車の脇をすり抜けて、港の見える丘公園に出る。Img_6708 お花畑を横目で見ながら、霧笛橋を渡ってお話の世界へ入っていく。F氏と神奈川県立近代文学館で開かれている「正岡子規」展を観る。

 

Img_6713 先日、上野の「正岡子規球場」の話を書いたところだが、なぜ正岡子規が野球殿堂入りしているのかといえば、この「野球」という言葉を編み出したのが、子規だからだそうだ。幼名が「のぼる」というところから、「ノボール」という言葉になり、「野球」となったのだ。ほんとかなと思ってしまうほどのユーモアだ。ちなみに、ベースボールの中国訳は、F氏によれば「塁球」なので、直訳なのだが、日本では違うのだ。Img_6717_2 このような駄洒落めいたところが随所に正岡子規には見られる。とりわけ、夏目漱石との間で、笑いの掛け合いをしているところがたいへん面白かった。子規の批評を偽名で行っていて、その名前が「平凸凹(たいらのでこぼこ)」という名称を使っていたりする。このユーモア抜きに子規周辺を理解できないことを知る。

 

Img_6715 子規の若い頃の考え方で、ズバッと書いていて素晴らしいなと思えるのが、学問の中核にある「好奇心」についての記述であった。展覧会では、22歳の時の『水戸紀行』を引用していた。「好奇心といふことは強く遠く遊びて未だ知らざるの山水を見るは未だ知らざるの書物を讀むが如く面白く思ひしかば」と記されている。好奇心とは「強く遠く遊ぶ」ことである、というのは、素敵な言い方だと思う。Img_6711 好奇心では、「強く遊ぶ」ことと、「遠く遊ぶ」ことの両方が必要なのだ。強く遊ぶというのは、遊びに夢中になるという性質をよく捉えているが、さらに遠く遊ぶということがもっと重要なのだと思われる。日常から離れて、専門から離れて、中心から離れて、周辺から遊ぶ中で、好奇心は育まれることを説いていて、「うん、なるほど」と思ったのだった。経済学者ヴェブレンの言葉に、「怠惰なる好奇心」という言葉があるが、「遠く遊ぶ」というのは、この系列に属する考え方だと思った。

 

Img_6719 F氏は盛んに、子規と漱石との関係に興味を持っていた。展覧会には、第1高等学校時代の成績表が出展されていて、子規の同級生に漱石や南方熊楠や山田美妙が並んでいた。展覧会の解説者による説明文によると、漱石がアイディアを重視したのに対して、子規はレトリックを重視したと記していた。小説家は新しい話を作ることに秀でるのだが、俳句はレトリックの問題が重要であるというのはわかる話だ。Img_6720 もっとも、おそらくこれは相対的な話であって、それぞれ相互に影響を与えあっていたのだと思われる。漢文による書に対して、漢文による批評を返していて、当時の高等学校生の教養の深さを知った。また、有名な話では、子規の「柿くえば 鐘が鳴るなり 法隆寺」という句は、漱石の「鐘つけば 銀杏散るなり 建長寺」の影響を受けたということもあり、この証拠となる高浜虚子の手紙も公開されていた。

 

Img_6726 外は依然として寒空が広がっていて、雨が冷たい。山手111番館の横を通り抜けて、外人墓地へ出る。明治期の水道施設の樹々が鬱蒼とした公園を抜けて、元町商店街の裏通りへ出る。Img_6733 娘といつも行っていた喫茶店が移転していて、無くなっていたので、ランチは日本茶と豆腐料理の店「茶倉」へ入る。人気店らしくて、しばし待ってから、席に着いたが、ゆったりと食事できる店だったので、手足が冷たくなっていたのが、豆腐ハンバーグと抹茶とで、ようやく暖かくなったのだ。

 

Img_6745 日曜日なので、観光客の多い中華街は垂直に通り抜けて、本町通の裏街を歩く。ここには幕末期の居留地跡がいくつか残っている。もっとも、この地面の下には、レンガ遺構などが埋まっているので、地表に現れているほんの少しのものを見ることができる。Img_6739 西洋商事館の建物のレンガや、松代藩佐久間象山の大砲、さらに居留地での日本初の近代的消防団跡などを見ることができる。Img_6766 そして、最終的には、F氏がジャーナリストだったこととは無関係だとは思われるが、いくつかの候補の喫茶店の中から、フレンチ料理のアルテリーベが1階に入っているビルの新聞博物館二階のクラシックな喫茶店に腰を落ち着かせる。Img_6769Img_6772 窓はすっかり水滴で真っ白になっていて、当分の間外には出たく無いほどだったので、老人二人はおしゃべりに精を出したのだったのだ。Img_6774Img_6780

Img_6779Img_6782Img_6788

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。