カテゴリー「大学関係」の投稿

2017/08/03

上諏訪での面接授業第1日目

Img_2594 宿の人に、放送大学の学習センターが入っている諏訪市文化センターへ最短でつく道を聞く。2年前にどのように行ったのかを忘れてしまったのだ。じつは、上諏訪の道は変なのだ。微妙に、道が直角ではなく、角度が70度だったり200度だったりして、距離感が方眼紙状でできている人には、上諏訪には住めないだろう。それは、たぶん高島城の城下町であったということと、それから諏訪大社つまりは諏訪湖に由来する道の出来方だったのだろうと想像させるのだ。

 

宿場街道の走りと、諏訪湖の走りが平行ではないために、それを結ぶ道が歪んでしまったのだと思われる。また、城下町では、敵が攻めてきた時に歪んでいた方が良いので、故意にこのような道にした可能性が十分にある。けれども、ここをまっすぐ行くと便利なのだが、どうして曲がってしまって、まっすぐに行けないのかな。近代的合理性が働いていない道の作りなのだ。

 

今回の面接授業では、4人グループで班を作って、端数が出ない12名で行うことができた。理想的な数だ。このようなグループ学習では、参加を重視したい。5人になってしまうと一人当たりの発言時間が少なくなる。3人だとあまり話す意味がなくなってしまう。やはり、4人というのがちょうど良いように思える。今回は、3グループ作り、課題が4つずつだったので、それぞれのグループの発表でも、全員が必ず1回は発表することができて、理想的な参加が可能になったのだ。12名は良いな。今後も、12名で申請しようかなと考えていたら、実際には14人で、欠席の2名がいたから、ちょうど12人になったのだった。12名というのは、狙って達成できる数字ではないのだ。

 

Img_2632 二日目になって、博士課程入学の相談に東京からわざわざ会いにきた方がいて、お昼を一緒に食べた。残念ながら、専門がかなり違うことがあって、博士課程では引き受けることができないことになったのだが、ご本人も上諏訪温泉を楽しんでおられた様子だったから、まったく無駄な出張ということではなかったと思われる。

 

Img_2634 また、千葉から面接授業に参加してきた方とは、二日目の面接授業が終了した後に、卒業研究のことで話し合うことができて、それなりに生産的な出張となったのだった。Img_2635 放送大学では、本部に近いところに住んでいたからと行って、幕張で先生方と会えるわけではない。むしろ、このように地方へ出張してきていた方が、互いに話しやすいということはあるだろう。これは、放送大学ならではの転地効果が働いているのだと、わたしは勝手に解釈しているのだ。

 

Img_2641 上諏訪では、いつもうなぎ屋さんで食事をすることにしていたのだが、今日は臨時休業だそうで、それではというので、以前諏訪に住んでいた伯母に連れて行っていただいたフランスの田舎料理を食べさせる店へ行くことにする。Img_2638Img_2639 どこが田舎料理かといえば、地方の名前がついた料理が次から次へと出てくるのだった。

2017/07/15

夏季合宿始まる

Img_4282 今夏の放送大学本部キャンパスには、いつもより学生が多いと感じる。期末試験が近いからなのか、それとも、夏休みの泊まり込みでの図書館通いの学生が多いからなのか、原因はわからないのだが、セミナーハウスはいっぱいで予約も難しいくらいだ。大きな荷物を持って、朝早くにセミナーハウスから図書館へ移動する学生も見たし、会社帰りに自転車で図書館に駆けつける学生も多く見たのだ。いつもは、テレビ・ラジオでしか接しない学生が、この時期だけ、キャンパスにどっと現れて、顔を見せてくれるのはこちらにとっては楽しい。

 

会場についても予約が立て込んでいて、セミナーハウスの研修室をいつもは使うのだが、今回は早々と数ヶ月前に同好会に先を越されてしまったのだ。それで、次善の策として、本部の最上階にあるラウンジを使うことにする。千葉の港から東京湾方面をのぞむ、眺めの良い部屋での合宿となった。

 

今回目立ったのは、当初の問題意識が薄れてきているのではないか、という点だった。M2の方々は、そろそろ1年半に渡って、同じテーマを追究してきているのだが、一通りの作業が済んで、安心してしまったのか、何となく平均的に鋭さが抜けてしまっている。一つの理由は、「時間」だ。時間が迫ってきてしまうと、これまでせっかく努力してきたことを捨ててしまって、小さくまとまろうとしてしまうのだ。もう一つの理由は、「存在拘束性」とでもいうものかもしれない。どうしても、自分の身の回りや仕事との関係を過剰に意識してしまって、発想が育たないことがあるのだと思われる。

 

職業意識が言葉に現れるのは、仕方ないとしても、思考方法にまで及んでしまうと、それはどうかと思ってしまう。表面的なことならば、それは指摘できるのだ。たとえば役所務めの人でよく出てくるのは、質問されて、つい「お答えします」というのは、むしろ「存在拘束性」のご愛嬌だと思う。けれども、思考内容にまで影響のあるような質問のときに、答えることが難しいことがあり、そのときにどのような受けごたえができるのかが、ゼミでは問われるのだと思われる。率直に言えば、存在拘束されていることを自覚している人と、そうでない人との差が受けごたえに出てしまうのだ。結局のところ、ここの表現の違いを会得することが、社会人大学としての放送大学の醍醐味だと思うのだ。

 

いつものように、懇親会は近くの中国料理の「ホイトウ」にて行った。今年も、一般客と一緒だったので、挨拶などは幹事の配慮で、一番最後に回し、貸切状態になってから、盛り上がった。わたしの挨拶は、すでにゼミで3回も行っているので、一般的なことは述べなかった。ここではとくに、林先生が4月の終わりに亡くなったことを取り上げさせていただいた。生前のゼミでは、「おもろいこと」が重要だ、と論文の目指す指標を掲げていらっしゃっていたことを思い出して、それを挨拶の中で復活させたのだった。もちろん、「おもろいこと」は読んでおもろいことも重要なのだが、今回強調したのは、書く本人が「おもろい」と思って書かないと、意味がない、という論調となった。うまく伝わっていれば良いと思うのだが。

 

 

じつは挨拶に紛れ込ませて、今度出版されるわたしの放送大学叢書『貨幣・勤労・代理人』の宣伝もおこなってしまったのだ。酒の席だったので、みんなに良く聞こえなかったということで、幹事が気を利かせて、後でも強調させてもらった。良く気のつく幹事を持てて、仕合わせだったのだ。

2017/06/25

盛岡でスクーリング第2日目

Img_2314_2 二日目も順調に講義は進んだ。理論部分では、少し論理が錯綜して難しく聞こえるかな、と思っていたのだが、かえって少し難しいくらいの方が、眠気覚ましにはちょうど良いらしくて、こちらの言葉に少なからず反応してくださった。少し喋り足りなく、また、学生の方の感想も最後は時間切れで、ちょっと時間不足だったと反省している。けれども、二日間分の感想も記してもらったから、それに替えよう。ほんとうに名残惜しかったけれども、これで終了ということにした。一部の学生の方に釣られて、最後は恒例の拍手で大団円となったのだ。

 

Img_2243_2 ようやく梅雨の雨が盛岡にも押し寄せて来たのだが、講義が終わる頃には、また晴れて来た。講義の熱を覚まそうと、本町通りを歩いて、中津川の上ノ橋までいく。県公会堂裏の静かな喫茶店「carta」を探す。Img_2245_2 このcartaとは、手紙の意味らしい。店のカウンターには、手紙ではなく、文庫本がたくさん置いてあったので、村上春樹の雑文集など、手当たり次第に読んで、講義で喋った言葉が頭から離れて行くのを助けた。Img_2247 頭から入って口をついて出た言葉は、わたしの言葉に相違ないのだが、言葉が受講生の耳に入った途端に、わたしの言葉ではなくなり、受講生の言葉になるのがわかる。だから、どんどん喋って、わたしから離れさせて、受講生の耳の奥へ蓄積されてしまうのをしっかりと確かめて来たつもりだ。「carta」では、静かなピアノソロの反復のミュージックが流れていて、熱が静かに静かに冷やされていったのだ。この音源は、店で弾かれたもので、CDにはなっていないそうだ。それで、この音と似たようなCDを推薦したもらって、ワルツの静かな曲の入ったものを購入した。

 

Img_2253 県公会堂は、正面玄関と裏玄関とさらに横玄関を持つ、多面的な利用のできる複合施設のようで、このように重厚なタイルにアール・デコ調の装飾が施されていて、夜の闇に映える。cartaのプロモートするコンサートも、この施設を借りて行うそうだ。

 

Img_2260 県公会堂の正面から、内丸と呼ばれる、かつては盛岡城の枢要な場所だったところに、新宿のゴールデン街のように、小さな飲食店が所狭しと寄り添っている一角がある。ここの真ん中辺にある店「白龍(パイロン)」本店にて、盛岡三大麺のひとつの「じゃじゃ麺」を夕飯とする。深皿にうどんのような柔らか麺と野菜が乗って、そこに肉味噌が添えられてくる。カウンター席の庶民的な店だ。「中」を頼んだけれども、大方の客は「小」を頼んでいた。Img_2297 つまり、ボリュームがあるということだ。味噌を完全に麺と混ぜ合わせ食べる。ところが、周りの常連客たちを見ていると、そのあと「ちいたん」と呼ばれるスープを頼むのだ。生卵がテーブルにあって、自分でそれをかき混ぜて、カウンターへ戻しちいたんにしてもらう。卵スープということだが、これを最後にいただくと、なんとなくお腹がすっとしてくるのだ。旅の客だとわかったらしく、お母さんらしい女性の従業員の方が、ちいたんをアレンジしてくださった。これ全部で六百円。

 

2017/06/24

盛岡でスクーリング第1日目

Img_2171 盛岡の繁華街に宿を取ったのだが、小さい静かなホテルに当たった。到着サービスで、安比高原のアイスクリームがついていて、部屋に入って、甘みをとったら、気分が落ち着いた。今日の午後、K大学で貨幣の話をしてから来たので、今回の木の話へと頭の中を転換させなければならなかったのだ。Img_2177 ここ盛岡では梅雨の時期にも関わらず、二日間雨に降られることなく、繁華街から20分ほど歩いて、岩手大学正門に入った。小川風の人工溝がずっと通った、ゆったりしたメインストリートを少し歩いたところに位置する附属図書館の3、4階に、岩手学習センターがある。

 

Img_2179 今回のテーマも、木製椅子の経済学なのだ。じつは岩手学習センター所長のH先生は、林業学がご専門だ。そこで、不躾ながら「樹木」に関連して質問をし、答えていただいた。たとえば、家具には広葉樹が使われるのだが、植林などで植えられるのは針葉樹が多いのは何故なのか、とか。Img_2178 岩手では、面積が広く、林がたくさんあるにもかかわらず、家具製造所が少ないのはなぜか、などだ。関連して、広葉樹につく害虫の話や、国有林の話など幅広くお答えいただき、たいへん興味深かった。

 

Img_2190 この面接授業のシリーズでは、授業の始まりに、受講者の方々が椅子についての体験を、自己紹介に併せて喋ることになっている。今回も、それぞれの半生に渡る興味深い椅子の話をたくさん聞くことができた。どこで椅子に座るのか、というのは体験の中では極めて重要で、家庭内での椅子体験を述べるかたが多かった。でも、男性ではやはり職場での体験が目立った。Img_2180 職場の椅子には出世とパラレルな等級がある。また、家庭で座るような椅子は、それなりに歴史や部屋との調和が重要な意味を持つ。中でも、「父親が作ってくれた椅子」の話は印象的だった。兄弟で使い回しをして、いわば椅子が家族関係を結んでいると言える話だ。

 

Img_2183 それから、「自分の椅子」に出会いたい、という欲望には強いものがあることを知った。受講生の中には、これから購入を考えている方もいらっしゃって、授業では名作といえる近代椅子の典型を数多く紹介するので、いわばお見合いのような契機を提供しているかの錯覚にとらわれたのだった。Img_2188 講義の後には、きっと良い椅子の「パートナー」を見つけてもらえるかもしれないと思ったのだった。パートナーという目で、椅子を見ると、以前は好みでなかった椅子が、いつ間に、自分の椅子になっているという現象を報告した受講生もいらっしゃって、こうなると、本当に「マイチェア」ということがありうると思えてくるのだった。Img_2196 身体と椅子の関係についても、話は尽きなかった。自宅の椅子の写真集を持って来てくださった方もいたのだった。

 

一日目の夕方には、Aさんが会長を務める岩手学習センターの「学友会」がわたしとの懇親会を開いてくださることになった。Img_2191 学習センターから歩いて、駅近くの居酒屋へ行くことになり、雑談をしながら移動した。途中、北上川に隣接した材木町というところで、街の両側いっぱいに、土曜日の「与市」が立っていたので寄って行くことにする。宮澤賢治が「注文の多い料理店」を出版した光原社のある街である。宮澤賢治の銅像があり、さらにセロ弾きのゴーシュをイメージさせるチェロの銅像も置かれている。Img_2195 りんごとぶどうを混合したワインが売られていたので、これから飲みに行くのにもかかわらず、つい購入してしまったのだった。骨董屋さんの店先で、一緒に歩いていた学生の方が、17世紀頃のウィンザーチェアの骨董を見つけ、しばし観察会となったのだった。

 

Img_2192 光原社には、後からもう一度訪れた。わたしが松本の「ちきりや」で購入を続けている、出雲の白磁作家石飛氏の作品が数多く展示されており、これらをじっくりとみる。Img_2189 もう一人、白磁作家の五十嵐氏の作品も展示されていて、こちらのポットも持っているので、僭越ながら興味深く双方の作家を比べてしまった。経済学を学ぶ者としてはこの二人の値段がほぼ2倍の開きがあり、この違いについて、想像力を羽ばたかせたのだった。

 

Img_2194 別棟では宮沢賢治の手紙や原稿が展示されていた。長岡輝子さんの朗読する賢治作品のCDをしばし聞いた。二階の展示では、最近出回っているのをよく見るようになった、アジアのウォールナット製コーヒーメジャーを購入する。その横で、授業でも詳しく取り上げた、ハンス・J・ウェグナーの椅子、Yチェアやエルボーチェアなどが展示販売されていた。わたしはデンマークデザインの広まりという、一般的な考え方から捉えていたのであるが、こうして見ると、なるほどこれも民芸的な要素をかなり持っているなと改めて認識したのだった。Img_2193_2 昨年秋に出たばっかりの、柚木沙弥郎氏が絵を描いている絵本「雨ニモマケズ」も買ったのだ。小学校時代に祖父の家が破産して、父が遠くへ赴任していた時代に、母が父の所蔵本からこの詩を見つけて来て、家族三人で復唱した記憶が蘇って来たのだ。

 

Img_2182_2 懇親会で、学友会の方々は、わたしの書いたこれまでのテキストを持って来て、見せてくださった。よく勉強した跡が濃厚にわかるテキストが多かった。付箋の数が夥しいもの、赤い下線の目立つもの、マーカーが横にまではみ出して来ているもの、各章ごとに目次を付箋として付けられているもの。感激した。Img_2184 何かメッセージを書いて欲しいと言われて、それぞれ二つの異なる傾向の言葉を記したのだった。ひとつはわかりやすく「つねに好奇心を!」というもの、もうひとつはわかりにくいが、意味深の「怠惰なる好奇心」というヴェブレンの言葉。Img_2173 これだけわたしの書いたものを読んでくださる方々へは、月並みの言葉は書けなかったのだ。懇親会では、最初はワインを飲んでいたのだが、ホテルに当地ワインのエーデルワインを残して来たことを思い出して、途中から学生の方からオススメの地酒辛口の「あさ開」に変える。Img_2198

 

学友会の方々とは、そのまま駅前で別れた。Img_2200 宿の近くの中津川沿いにある、蔦の絡まる、というよりも、蔦で家ができているような喫茶店「ふかくさ」へ行く。Img_2201 老年のピアノ弾きが喋りながら、片手間に曲を弾くのだが、年季が入っている分余裕のある曲想を奏でていた。酔いを覚まして、コーヒーとケーキをいただきながら、一日を振り返った。Img_2207 ついには、雑感を記して来た、ノートの余白がなくなってしまったのだった。Img_2205

2017/06/17

郡山でスクーリング

Img_2121 人口20万から30万人都市というのは、たまに帰ると昔のものがそのまま残っているところがある。戻ることが予想されている都市規模だ。これよりも大きくなってしまうと再開発が盛んになって、昔が破壊され、これよりも小さいと、衰退の波に勝てなくなる。郡山市にスクーリングのための出張できている。ここがちょうど人口30万人なのだそうだ。

 

Img_2123 東京から東北新幹線に乗ると、仙台や山形くらいの遠出する気分になる。列車に乗り込んで那須高原を過ぎ、関東を超えて出て行くとそのあと、ずいぶんと距離があるように思い込んでいた。頭の中に具体的な距離感がなかったのだった。東日本大震災のときに、同じ阿武隈川流域にある亘理町へ行ったが、これは太平洋側であった。郡山市は、それからぐるっと、川が回って内陸部へ入っているところにあるのだ。残していた北欧ミステリーを読んでいたら、なんと東京を出発して1時間18分で郡山へ着いてしまった。

 

Img_2124 駅前広場が広くとってあり、ここのバス停から郡山女子大のバス停まで、10分ちょっとでつく。福島学習センターは、郡山女子大が生涯学習のために建てた建物「もみじ館」に入っている。そして、隣には会議・集会所施設の「つつじ館」があって、こちらはゼミなどに利用されている。レンガ壁作りの洋館が洒落ていて、静かな学習センターだ。駅から少し距離があるが、市役所のそばであり、女子大の図書館も近くにある。交通の不便さはあるのだが、勉強するには恵まれた環境だといえる。

 

Img_2127_2 学習センター所長M先生は教育行政の専門の方で、隣接する公園と神社を案内してくださった。日本史の中の明治期開発の典型例として有名な、猪苗代湖から灌漑用水を引いた「安積疎水」の中心地が、この学習センターの位置している公園で、その昔は沼地だったそうだ。現在は、開拓地記念のモニュメントが建っていて、そこが五十鈴池となっている。昼休みに、気分転換するには最適な散歩コースだった。講義も順調に進んで、質問もたくさん出て、ヒアリングを行っているような楽しい面接授業だった。また偶然にも、学習センターでもいくつもの貴重な情報を様々に仕入れることができて、成果満載の出張だったのだ。

 

Img_2134 駅のそばに宿をとっていたので、郡山の幹線道路の「さくら通り」をずっと歩いて帰ることにする。4月ならば、お花見を同時にできたのかもしれない。市役所をちょっと過ぎたところに、「薄皮饅頭」製造で有名な柏屋が経営しているスイーツの店「Branco」がある。Img_2137 7時間立って講義した後の栄養補給のために、「白桃のショートケーキ」を取り、コーヒーを飲む。夕暮れの中を家へ帰る自動車の波を見ながら、講義で熱くなった頭の中を冷やしてから、ようやく席をたった。

 

Img_2144 20万から30万都市の目安のひとつは、専門書店があるか否か、老舗百貨店があるか否か、そして映画館があるか否か、という点であり、ここには全てあり、そして「郡山テアトル」という複数のスクリーンを二つのビルにもつ名画座風の映画館があるのだ。Img_2159 Img_2157 「出張先で映画を」という習慣は抜きがたい。成島出監督の映画「ちょっと今から仕事やめてくる」を観る。会社上司のパワハラにあう主人公の一人「青山」が、もう一人の主人公「ヤマモト」に支えられて、パワハラから脱する物語だ。来週は盛岡出張なのだが、今から宮澤賢治が頭に浮かんできた。「セロ弾きのゴーシュ」で、楽長に怒られて、町はずれの川ばたにあるこわれた水車小屋に、重く黒い大きなものを背負って帰っていくゴーシュの気分を思い出したのだった。

 

Img_2146 さて、問題は、映画館での夕食だ。福島学習センターからの帰り道、偶然見つけたバーガー屋さん「SONORA」が美味しかったのだ。安積疏水が通ってきている原野が、最後には阿武隈川河岸段丘で低地へおりて行き、郡山駅へと通じるところに、清水台という場所があって、急な坂道が斜めにゆるくカーブして、国道の幹線道路へ続いている。Img_2156 その両側が、なんとなく渋谷の道玄坂みたいな雰囲気を持っていて、椅子を巧みに展示している花屋さんや古道具屋さんが並んでおり、その連なりの中に「SONORA」がある。白かべの内装と、無垢の木で専用に作られた椅子とテーブルが素敵だ。テイクアウトで、米沢牛バーガーを購入して、何か良いものを発見したような楽しい気分になって、この坂道を下ったのだ。Img_2152 Img_2150

2017/04/29

天川晃先生、林敏彦先生が逝去される

427日に政治学の天川晃先生、28日に経済学の林敏彦先生が、相次いで亡くなった。それぞれ放送大学で、10年あまりに渡ってお世話になった。「社会と産業」コースの中でも、実際の職場で一緒に仕事をさせていただいたという公式の立場よりも、職場以外のゼミ、合宿、飲み会などでの立ち振る舞いや、言動での声の調子などでの印象が強い。二先生とも、日本における政治学と経済学の正統的な本流を歩んできているので、放送大学における存在感よりも、公的な場所での存在の方が大きかったと記憶しているのだが、もちろんそれを超えて、非公式での印象も深いものがあったのだ。

 

二先生とも、若い頃から、そして現役時代にも合唱団に関わっていたと聞いている。もちろん声質は違っていて、低音であったりバリトンであったりするのだが、よく通って聴きやすい声音だった。天川先生は神奈川の交響楽団とも共演する合唱団に所属していた。また、林先生は米国滞在中に、小澤征爾の合唱指導を受けた経験があるとのことだった。小澤はまず歌わせてみるそうで、最初にその合唱の良い点を褒めるのだ。そして、人びとが図に乗ってきたところで、成長曲線へ載せるべく、厳しく1ランクほどアップさせる指揮を行うとのことだった。天川先生のゼミは、合唱団のように結束が硬かったし、林先生のゼミ運営では、成長めざましい学生たちが次々と湧出したのだった。

 

合唱団での経験が、それぞれの学問方法にどれほどの影響を与えていたのかは、推測してみることしかできないのだが、思い出してみると、若手にどんどん新しいことを行わせ、勢いをつけるという方法には二先生とも長けていたといえる。それはきっと、合唱団での方法も影響を与えていたのではないかと考えるのだった。きっと天の上からも、みんなを引き上げてくださっていることだろうと思われるのだ。ご冥福をお祈りいたします。

2017/03/31

知識循環研究プロジェクトの終わりと印刷教材の電子保存

Img_6972 2003年から続いてきた「知識循環研究プロジェクト」が終わりに近づいている。放送大学の規定に則って、また振興会の許可を得て、印刷教材書籍の約9割の電子化を行った。放送大学設立の1985年から2014年までに至る、およそ2千冊分の印刷教材をDVDに納めて、このような形になったのだ。

 

Img_6977 当初の知識循環研究では、放送大学の放送教材、つまり映像の検索を行い、二次利用につなげようという研究開発だった。これは、3年くらいで文部科学省からの資金が終焉したのに合わせて、プロジェクトも終了した。これだけでも、相当な記憶装置を使った。これらは、研究が終了した時点で、保存目的以外のものは消去することになっている。

 

Img_6973 その後、この知識循環研究を継続することが文部科学省から求められたので、放送大学の内部資金や放送大学教育振興会助成金などをつないで、ようやくここまで来たということだ。この10年間には、主として放送大学の印刷教材のほとんどを電子化することに注力してきた。だいぶわたしの研究費もつぎ込んだので、かなりの負担と労力を使ってきたな、という感慨がある。また、同僚のH先生とK先生にはたいへんなご支持とご協力とをいただけた

 

とりわけ、実際に電子化作業にあたってくださった、SさんとKさんにはほんとうに感謝申し上げる次第である。ちょうどお子さんたちが小学校へ入り、次第に手から離れ、大学を出て、社会へ出て行く時期に、時間を割いて働いてくださった。丁寧で細やかな作業は、コンピュータを使うとはいえ、熟練が必要とされる作業だ。ちょっとしたやり方次第で、粗雑になったり、画像転換がうまくいかなくなったりするのだ。それをうまく制御して、綺麗な電子化を行ってくださったのだ。

 

今回、振興会からの資金が最後の3年計画となり、それ以上は無理だということで、計画がこれで切れることになり、終了ということになった。また、印刷教材自体の保存が悪く、電子化に使用できる紙版の原本が枯渇してしまったという事情も重なったのだ。じつは紙版自体の印刷教材も全部揃っているのは、附属図書館の1セットしかないようだ。今回の終了で、電子化のこの熟練した技能が失われてしまうのは、残念である。時には、他の先生方から頼まれて、その著書を電子化してあげたこともあるほど、腕を買われていたのだ。先日会食を近くのイタリアンのOREAJIで行った時に、この10数年間の思い出を出し合ったのだ。

 

Img_6462 年度末には、他にもこのような成果物がようやくにして出来上がってくる。じつは先日、いつも季節カフェを一緒するW大のO先生から、ご著書『変容する社会と社会学』が送付されてきていた。近代社会の「成功の物語」と「幸福の物語」と、その機能不全という、O先生の図式が説得的に語られていた。頭の中がすっきりとして、整理されるという論文だった。

2017/03/20

神保町で研究指導

Img_6480 松江に住む修士課程の学生の方から、仕事での研究会が東京であり出張してくるから、そのついでに会えないかと連絡が来た。彼女はたいへん仕事が忙しい人で、いつもはインターネットを通じて、ゼミに参加することになっていたのだが、このところ上手く繋がらないこともあって、連絡が途絶えがちになっていて、心配していたのだった。ちょうど、春休みになって、こちらの仕事も一段落してきたので、東京の出張先に近いところで会おうということになったのだ。

 

Img_6469 出張先はどこかと聞くと、どうやら文京区のT大だということがわかったので、東京文京学習センターで会うのがよいなと考えていたのだ。ところが、約束の日が320日だということになり、祝日の代替日でセンターはお休みだということになっていた。Img_6470 長居できる場所が必要だということから、それでは、ということで、神保町の喫茶店でどうかということになったのだ。ところがということなのだが、じつはここもやはり、この日ばかりはお休みの店が多くて、いつも行く静かな喫茶店ラドリオもだめだった。それで、ラドリオの向かいの、初めて行くミロンガという店でと約束をしていた。

 

Img_6473 ところが実際、ミロンガに着いてみると、他の店がお休みだということを受けて、やはり、満席で研究指導を行うどころではないのだった。それで、入るのをあきらめて、横丁を出たところのビル地下にある、自家焙煎の喫茶店「伯刺西爾(ブラジル)」へ降りて行く。Img_6477 ここも満員なのはわかっていたのだが、ちょっとまてば、良い席が空くこともわかっていたので、入り口付近でプリントを広げながら、話して待つこと10分、案の定一番奥の話しやすい最適の席をとれたのだった。

 

Img_6475 修士論文の内容は、まだ途中なので、ここで言うことはできないのだが、全体的な筋展開であれば、影響はないだろう。社会人研究者特有の現代的なテーマで、独自の社会調査を行うというので、出来上がれば興味のつきないものとなるであろう。今日のところは仮説と因果関係のおおよそのところをきいておいて、調査が上がってきたら詰めようということになったのだ。Img_6474_3 ただ、興味津々のところだったので、雑多などうでもよい知識をたくさん吹聴してしまったのは悪かったと反省している次第なのだ。でも、たとえ修士論文であっても、面白くなければ書く意味がうすれるだろう。ここが肝心だと思う。

 

Img_6481 この神保町という街の健全で人を惹きつけるところは、このようなむかしからの店が残って集積が素晴らしいから、十分にアマゾンやブックオフへ対抗できる力をもっている点であろう。Tさんとはここでお別れして、わたしは仕事が残っている幕張へ取って返して、4月から始まる授業の準備に余念がなかったのだ。まだまだ、春休み中も、旅する人を続けなければならない運命にあるようだ。

 

 

2017/03/10

群馬での合宿

Img_6157 今年も3月を迎えることができたという余韻が1週間経ってもまだある。原稿を出して、ホッとする余裕ができたことを喜んでいる。さて、この余韻の続いている時期に毎年恒例となった、「社会と産業」コースの先生方との合宿への参加のために群馬へ向かう。Img_6168 もちろん、自由参加の私費旅行なのだが、ほぼ9割の先生方が参加するのだ。これまで、K先生の地元である群馬の湯宿温泉で開かれてきている。

 

近年、東京駅のエキナカが充実してきていて、昔であったら駅弁を買い込んで、列車の中で食べるのだが、今はそれよりも、暖かい昼食をエキナカでしっかり食べてから、Img_6346 新幹線へ乗り込んだ方が、ゆったりとする気がするくらいなのだ。新幹線が速すぎて、上毛高原までの間に弁当を食べ、さらに列車を楽しむ余裕がない。

 

トンネルを抜けると、雪が残っているという毎年恒例の情景にも、慣れることがない。その山の頂に見える雪に向かい、バスは赤谷川に沿って、ずっと登っていく。Img_6130 三国街道の須川宿で降りると、そこには手作り工房が並んでいて、「たくみの里」が展開している。今年も昨年と同様に、ふっと顔あげると、H先生が目の前を歩いている。6回目の探訪となるらしいのだが、須川宿の郷土記念館から出てきたところだとおっしゃっていた。これも昨年と同様なのだが、山椒の店へ入って、甘酒を1杯いただく。Img_6159 夜のためのブルーベリージュースを農協で購入して、いつもながらの宿場町の「中央用水構造」についての雑談をしながら、雪が1メートルほど残る山道を、須川宿から湯宿温泉へ下る。

 

Img_6390 早めに宿へ入って、早速1度目の温泉風呂へ浸かる。じんじんと突き刺すくらい熱い湯が、この湯宿温泉の特色で、丸い湯船に身体を投げ出すと、肩こりや腰の痛みなどが吹き飛んでしまうのを覚える。決してキツくはないのだが、硫黄の香りがなんとなく漂ってきて、頭も刺激する。

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Img_6381 そもそもこの合宿の目的は、歓送迎会なのだが、大学に関する議論や研修として計画されたという昔の経緯もあるために、食事の前には、真面目な議論が行われることになっている。Img_6177 今年も真面目すぎて食事時間に食い込むくらいの議論を行ってしまった。Img_6379 程よいところで、M先生がそろそろ食事にしませんか、とにこやかに提案してくださったので、ようやくにして議論の方はめでたく終了となり、本来の歓送迎会となった。

 

Img_6176 今年度末に退任なさるK副学長とH先生のご挨拶は、放送大学での人生のあり方を感じさせるものだった。また、R先生が新任として4月から加わるので、この合宿にも参加してきていた。料理は、ヤマメの塩焼きをはじめとして、お腹いっぱいになるほどだった。

 

Img_6188 次の日には、午前中いくつかのグループに分かれて行動して、最終的に12時に集合して、これも恒例となった「たくみの里食堂」にて、ジビエ料理をいただくことになっている。わたしたちは、地元のK先生の運転で、須川宿、相俣宿、猿ヶ京に連なる宿場町であった、「永井宿」へ向かった。Img_6193 同行のH先生に寄れば、もしかしたら、宿場の中央用水構造の資料も手に入れることができるかもしれないとおっしゃるのだった。

 

Img_6199 標高がだいぶ上がってきていることこともあって、永井宿ではやはり雪が降っていた。K先生が地元のかたに昔の用水の様子を聞いてくださったりして、それなりの収穫があったのだ。Img_6203 また、古い旅館だったような建物も残っていて、柱に施された修飾模様なども凝った造りを残していた。三国街道の華やかなりし頃をしのぶのに十分であったのだ。Img_6214_2 残念ながら、冬季には資料館が閉じられていて、資料そのものは見ることができなかったけれど。同様にして、猿ヶ京温泉にある関所跡・役宅跡なども、閉まっていて中までは見ることができなかった。Img_6250 その代わりに、食堂への途中、相俣ダムに寄ったのだが、そこでの流木が印象に残った。Img_6266 「流木はゴミなのか、資源なのか」という問いかけも面白い視点だと思ったのだ。

 

「たくみの里」に戻って、初めてカスタネット工房の展示を見ることができた。Img_6281 日本のカスタネットの多くがここで作られているのだそうだ。それは、「赤谷プロジェクト」という林業プロジェクトとネットワークを形成していて、間伐材などを有効利用したり、広葉樹の植林などを行ったりしているのだそうだ。Img_6284 ブナやナラ、サクラなどの木工の材料となるような、樹木のプロジェクトが形成されているのを見せていただいたのだ。

 

Img_6141 今年の「たくみの里」での収穫は、これも毎年訪れている革工房「KURO」でいくつかの革製品を購入したことだ。ぷっくりとした作品を得意としている。Img_6426 この赤いハートの飾りもさることながら、この青いキーフォールダー風のものも面白いのだ。さてクイズなのだが、これは何に使うものでしょうか。Img_6428 それから、ご主人が昨年から今年にかけて店を改装していて、漆喰風に壁を真っ白に塗ってあった。その壁に飾られていた、黒革カバンがとても良かったのだ。Img_6302 2年前にわたしが購入したカバンよりもひとまわり大きなサイズで、柔らかそうなぷっくりしたタイプだ。

 

Img_6136 今年の「たくみの里食堂」のジビエ料理は、イノシシ中心だった。このイノシシ肉のソーセージやベーコンに始まり、山菜のオードブル、焼肉と煮物などが昨年同様に、どんどん続いて出てくる。Img_6310 今年はM先生が、「赤ワインがイノシシ肉に会うのでは」と言出だし、それに応じて、S先生がキャンティワインなどを見繕って持ってきてくださったのだ。

Img_6306Img_6308Img_6309Img_6311Img_6316Img_6317Img_6319Img_6320Img_6321Img_6325Img_6328Img_6331Img_6332Img_6333Img_6335 そして、最後は食堂のご主人の手打ち蕎麦で締めとなったのだ。わたしはここで先生方とはお別れして、ワインと日本酒が相当身体に染み込んでいたので、Img_6336 向かいの喫茶店「マッチ絵の家」の薪ストーブの前で、しばし読書し酔いを冷ますことにした。Img_6154 薪ストーブの暖かさは、時間の進行を緩くするのだった。

Img_6342

夕方になって、湯宿温泉に帰り、宿の外湯を訪れることにする。Img_6338 4つの外湯があり、その中で最も古い建物が使われているという「松の湯」へ行く。Img_6362 昔からこの湯が好きで通ってきているという、地元の60歳くらいの方と一緒になった。Img_6360 お話を聞きながら、じっくりと温まる。この4つの外湯は、地元の70軒くらいの共同体によって維持されていて、各世帯は月に1500円費用負担しているとのことだった。これで、清掃代などが支払われているらしい。お湯は湯本温泉の源泉から大量に供給されている。この湯宿温泉のすべての泊り客は、心付けを払えば、これらの外湯に入って良いことになっている。鍵を宿のフロントで借りることができるのだ。Img_6361 4つも外湯があるというのは珍しいらしく、松の湯の帰りに、入り口で5人ほどの若い男女の温泉マニアの人々に呼び止められ、お湯の様子を聞かれてしまったのだ。お湯の効用は素晴らしく、暖房がいらないほど、布団の中でもポカポカとしてくるのだった。Img_6376

2017/01/17

来年度放送する授業「色と形を探究する」の最終録画が終了した

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4 月から始まるテレビ科目「色と形を探究する」とラジオ科目「日本語アカデミックライティング」のテキストがはやばやと送られてきた。2年間かけて制作したのだ。 一緒に制作した先生方や、編集者・ディレクターの顔は浮かんでくるものの、手に取ってみると、原稿用紙に書きつけていた頃が夢のごとくであり、自分の手から離れてしまった文章がこのように活字となってしまうと、にわかに書きつけられた世界がすでに彼方の世界のように思えてしまう。とはいえ、授業科目なので、録画・録音したのちも、数年間は質問を受けたり試験を採点したりと、通常業務がついてまわるし、何度も考え直すことが出てくることになるだろう。

 

P1176852_2 思い返してみると、わたしはここ数年間、音や色や形や言葉などの「感性」というものに注目して授業科目を作ってきた。経済学からは少し離れるのだが、十分に社会科学の領域内で考えることが可能だったので面白いと思いつつ制作してきた。感性を媒介として、人と人とがいかに結びついているのかを考えてきた。今年は、特に「色と形」に焦点を結んで考えてきたのだ。かなり困難なこともあったのだが、それでも、得るものはたいへん多かったし、今後の課題も発掘することもできた。さて、このように成果物が目の前にあるのだが、学生の方がたはこれらをどのように受けとめるのだろうか。

 

P1176880 それで、今日はテキストが届いただけでなく、じつは授業科目「色と形を探究する」の第15回、つまり最終回の収録日なのだ。5人の担当した講師全員、N先生、S先生、Y先生、O先生、そしてわたしで最後をしめようということになっている。午後からの収録に、Y先生は早くから控え室にきていらっしゃった。準備としては、それほどないのだが、定番通りメイクアップする部屋へ行って、専門のスタッフによって、テレビ用のお化粧をするのだ。それが済むと、テレビの技術スタッフとの全体的な打ち合わせがあり、シナリオ案にしたがって、ディレクターがレクチャーして、ディレクター達は二階の副調整室へ入り、私たちはスタジオフロアでカメラの前に座ることになる。

 

P1176854 今まで数百回も行ってはいるのだが、いつもこの録画の流れに没頭するまでには時間がかかるのだ。それで大概はリハーサルというものを行って、スタッフと出演者が互いに確認し合うのだが、今回は慣れた先生方だけなので、それぞれの場面のリハーサルは行わずに、進めるところは進むだけ撮っていくことになる。これだけ慣れた先生方ならば、腹八分目でおおよそのところうまくいけばOKなのだ。P1176864 講義というものは、相手との間の了解なので、上手い下手はあるのだが、大方良好に伝わるのであれば、それで良いのだと思われる。対話というものは、この程度の曖昧さが必要で、あまりにびっしりと計画どおりに、一字一句正確に撮ってしまうと、身も蓋もない杓子定規の、聞くに耐えないものになってしまう恐れがある。ある程度の緩さが必要なのだ。

 

P1176875_2 自然科学における「色と形」と、人文科学における「色と形」、さらに社会科学における「色と形」が勢揃いした。それでわかったことは、「色と形」の現れ方が、時間的・空間的にかなり幅があるということだった。Y先生は何億光年にも及ぶ「色」の出現について述べていたが、次のS先生は現在目の前にある「色」というものの現れを問題にしていた。この隔絶した世界のあり方を、一気に並べて共通点や、相違点を述べてしまうという壮大なことを、この番組で行ったのだった。O先生の批評が当を得ていたと思われる。P1176853 客観的な「色と形」から主観的な「色と形」、表層の「色と形」から深層の「色と形」、作り出す側の「色と形」から受け取る側の「色と形」などなど、この多様な幅のある「色と形」にはまだまだ探究すべきことがたくさん残されているな、というのが率直な、録画後の感想だった。けれども、「色と形」を様々な角度から考える「橋頭堡」のようなものをここに築くことができたのではないかと思われる。わたしたちが生活する中で、常に分子レベルの色彩を感知する細胞を意識しながら、「青」という色を認識するわけでもないのだ。生物学的な認知と、心理学的な認知と、さらに社会科学的な認知には、ある程度の距離があって当然だということもおぼろげながらわかってきたのだった。

 

P1176881 さて、いよいよ夕方になって最終回の打ち上げ会だ。近くのイタリアン「Oreaji」にて開いた。この科目を企てたH先生も加わってきた。天文学のY先生は、今年度で定年となるのであるが、タイミングの良い?ことに、ちょうど今日が古希の誕生日だということであった。S先生の取り計らいで、このような誕生日プレートが用意されて、打ち上げ会も盛り上がったのだった。P1176897 考えて見ると、通常の大学では、天文学の先生とこんな雑談をする機会は、社会科学者にはないし、ましてや同じ授業科目を作ってしまうなどということもないのだ。今回は、「日本語アカデミックライティング」とこの「色と形を探究する」の二科目で一緒して、自然科学的「感性」と社会科学的「感性」の共通点と相違点を考えることができたのは、もちろんすべてを理解したわけではないとしても、たいへん稀有な体験であったと感謝している。

 

 

P1176887_2 また、今回の収録では、3人の先生方がガテマラ取材を成功させていて、その時のシャーマンなどとのやりとりも、学問を超えた話として興味深いものだった。このやり方をもう少し最後の番組で反映させればよかったとも思ったが、それはあとの祭りとして、謹んで今後の課題として楽しみに残しておいても良いのだと思ったのだった。P1176902_2 さてせっかく、「色と形」という小さな窓が空いたのだから、一方的に窓から見える風景だけでなく、外からそれぞれの部屋へ闖入して、それぞれの研究分野へと重ねることができればということだが、それにはもっと時間が必要だろう。P1176901_2 けれども、少なくとも受講生の方々の中では、このような窓が開くことになるのだから、風の如くに存分に部屋に入り込んで、いろいろな「色と形」の姿を見ていただきたいと考えている。とにかく、一つの終わりと、もう一つの終わりの始まりとがあったのだ。


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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。