カテゴリー「大学関係」の投稿

2018/03/24

学位記授与式が開かれた

Img_3961 朝、近くの弘明寺公園を足早に通り過ぎてしまったのだが、展望台を見上げると、青空に透けて、すでにかなりの桜が開花しているのが見えてきた。放送大学の学位記授与式が渋谷のNHKホールで行われる。横浜で東横線に乗り換え、渋谷へ出る。駅前の交差点を渡り、井の頭通りから山手教会の脇へ出て、坂道を登っていく。いつも途中にある喫茶店で、コーヒーを一杯飲んでから、渋谷公会堂とNHKの角を曲がって、ホールへ着くのだ。

 

Img_3967 横浜から、ちょうど30から40分くらいの道のりのところで、なぜか最近、喉が乾くようになった。東海道線で言えば、横浜から東京駅へ出た頃だが、一息ついての休憩が必要になっている。おそらく、このようなコーヒーによる休憩習慣は、老化の生理現象の一つだとは思われれるのだが、自分の中では、余裕を見せているという精神現象だと捉えたい。

 

Img_3975 ホールの前には、学位記授与式を表示する立て看が見られた。その前で記念撮影をするために卒業生・修了生たちが行列をなしていた。みんな笑顔で晴れがましい。「教員受付」のTさんとIさんが教員向けの受付を行なっていて、式次第と教員用のリボンを手渡してくれた。ホールの中では、今年も左右社の放送大学叢書コーナーができていて、わたしの叢書を編集してくださったTさんが詰めていた。1月に頼まれていた原稿が、叢書通信へ載ったということで、通信の入った封筒を渡された。

 

Img_3976 以前は、授与式の最後に必ずN響のメンバーによる室内楽が奏でられ、言葉だけに終始する儀式に彩りが添えられていたのだが、次第にこのようなことが簡素化されて、ほんとうは簡素化されるべきところはかえって残ってしまっている。儀式に付き物の音楽という必須の要素が消えてしまうのは残念なことである。儀式というものを「感動」一辺倒に染めるのではなく、多くの方を楽しませる工夫も残して欲しいものだが、それは今日的な風潮ではないのだろう。昔は遠くなりにけり。

 

Img_3981 昨年までは、四谷赤坂のニューオータニで懇親会が行われていたのだが、今年は新宿のハイアットリージェンシーに会場が移った。早くついたので、会場が開くのを待っていると、学生の方々が話しかけてきてくれた。懇親会は、大学人にとって数少ない社交の場だと思う。岩手の盛岡で面接授業を行ったときに、当地の同窓会の方々が夜に酒席を設けてくださったのだが、その面々がいらっしゃっていて、久しぶりの再会を祝ったり、左右社の叢書をわざわざ購入してくださった学生のかたが、何か書いて欲しいと持ってきたり、次第に懇親会らしい雰囲気が出てきたのだった。

 

Img_3986 会場内では、今年の修士修了の方がたは、おおよそ固まって懇談していたので、会の後で茶話会を催すことを告げておいた。懇親会の間は、みなさんはかなり自由に他の学生の方がたとの会話を楽しんでいた。

 

Img_3988 わたしも彼ら以上にかなりの社交を楽しんだ。3月に、放送大学の先生方の中でも尊敬している方々が同時に何人も退任となるので、その先生方を回って、お話を伺ったのだ。モンテーニュの「エセー」完訳を出されているM先生には、エッセイ的な文章を学生に勧めるときにはどのようにするのかを聞いてしまった。大学には、「論文を書く文化」が一応存在するのだが、それらはやはり客観性を重視する。Img_3993 現在は、実証主義の時代と言っても良いくらいだが、どう見ても実証主義には限界が多すぎる。けれども、もう一つの系譜があって、エッセイ的な手法を取り入れる場合があるのだ。Img_3996 それで、エッセイを書くにはどうしたら良いか、ということがたいへん重要ではないかと思うのだ。人文学には、エッセイを書く伝統があるのだが、社会科学では客観性に劣るとして、エッセイの価値は低い。

 

Img_3995 問題は、文章の表現力の問題だと思う。実証論文だって、表現力は必要とされると思うのだが、それが軽視されているような気がする。エッセイは、その力を呼び起こしてくれる。それで、M先生からの言葉で印象に残るのは、その文章が「自分のものであるとする」ような書き方がエッセイの本質にあるのではないかということだ。

 

Img_3997 恒例となっている、I先生の肝いりで集められた全国のお酒コーナーは、毎年欠かせない。相変わらず、多くのものは早く行かないとすぐ空になってしまう。日本酒では吟醸酒が全盛で、標準を抜くお酒が集まってきていると思う。そのような中にあって、今年美味しかったのは、甲州ワインだ。機山ワイナリーのメルローが出ていて、芳醇だがシンプルで飲みやすい、日本的できめ細やかなメルローだと思った。メルローの持つ濃厚さというのと異なる印象を持った。出雲ワインの白は、すぐに空になったらしく、香りすら残っていなかった。

 

Img_4006 懇親会の後は、卒業生のFさん、修士修了生のAさん、Kさん、Onさん、Okさん連れ立って(Gさんは奥様が待っているとのことで、すぐに会場を後にした)、ホテルの茶店を申し込もうとしたら、すでにすべての席が夕方まで満杯ということだった。ちょっと歩くが、近くの喫茶店で茶話会となった。Fさんは、この新宿から徒歩5分のところに住んでおり、Aさんは北海道の札幌から、Kさんは大阪から、Onさんは栃木からきている。また、Okさんはこの喫茶店の入っているビルに2年ほど勤めていたことがあるそうだ。この地区で、すぐに座ることができる喫茶店を見つけるのは、Okさんがいなかったら、できなかったかもしれない。

 

Img_4011 Fさんが修士の方々の論文を聞いて回る式に、雑談が進んだ。みなさんの話を聴きながら、大学が持つ「論文を書く文化」には特有の法則性があるのではないかと思ったのだ。一つは、好奇心だ。なぜそのテーマがその人の心を捉えたのか。この点を抜かしてしまうと、論文作成作業は砂漠を這いずり回ることになってしまうだろう。二つは、理解する喜びだ。ああそうか、というユーレカ効果がなければ、論文作成は辛いものになるに違いない。三つは、やはり発表の場を共有することだ。大学という場所が存在する意味は、論文発表における共有の場だという点が強いと思うのだ。学位記授与式で、学部学生・修士学生・博士学生の代表の方々がゼミや研究会での発表が最終的に論文作成を支えたと言っていたのが印象に残っている。

 

西新宿から、学生の方々は地下鉄に乗って帰っていった。わたしは少し歩きたくなって、今日の思いを反芻し、かつ冷ましながら、街を眺めたのだ。

 

2018/01/14

修士論文の面接審査

Img_0658 今読んでいる北欧ミステリー「警部ヴァランダー」シリーズの中の1冊で、警部が一つの事件を終えて、疲れ切って帰る場面がある。疲れてはいるものの、事件が解決されて、多少の完結した満足感は存在しているはずである。同僚の女性刑事が呼びかける。「どこへ行くんです?」「家に帰って寝る」ヴァランダーは言った。「疲れたよ。それに悲しい。すべてうまくいったのだが」彼の声に感じるものがあったのか、彼女はそれ以上質問しなかった。というシーンが出てきて、まさにこんな感じだなあと思ったのだった。

 

修士論文を読んでいる最中は、気分も高揚してきていて、この1年にどれだけの議論をしてきたのか、と面接審査を行いながら思い出にふけるのだ。今日一日、ずっと付き合ってくださった副査のK先生はブータンから帰ってきて、そのあとずっと修士論文を読んできてくださった。メモ用紙が溢れるほどにたくさん挟まった論文フォルダーを抱えていらっしゃったのだ。面接審査では、互いに声をかなりあげて、説明し対話を行い、議論を楽しむのだが、それが済むと、沈黙と空白の時間が訪れるのだ。

 

このとき、ちょっとなのだが、物悲しくなるのだ。何というわけではないのだが、達成感と裏腹の関係にある物悲しさなのである。論文作りに関心のない、陽気な人には理解できないものだ。すべてうまく行ったはずなのに、何と無く感ずる感情があるのだ。ある種の虚脱感、空虚感なのだと思う。今まで満たされていたものが、一挙に外へ出てしまって、ここには残されていないのだ。論文としては満たされているのだが、残された頭と肉体は空虚なのだ。

 

Img_0660 このままずっと平行線を続けてくれ、交わることなく、このままずっと走り続けてくれ、そうすれば、この感情からは自由になれることはわかっている。けれども、いずれ終わらなければならないときが来ることはわかっている。だから、メソメソせずに、さあ次の言葉へ移っていこう。そうすれば、自分の外の世界のあることも遂には理解できるし、自分の内の世界から逃れることもできるに違いないだろう。

 

今回提出された論文は、完全にその通りの題名ではないのだが、次のような内容のテーマだった。

 

公立図書館における公共・民間セクターの役割

日本のPFI事業のValue for Money

ワーク&バランスと生活時間の変移

オペラ活動とNPO法人

宗教における社会貢献活動

スローシティとまちづくり

行政信頼とソーシャルキャピタル

ソフトウェア産業と成長要因

六十年代安保と政治

中国の対日経済交流

 

でも、きっと2、3日が経つうちに、修論を終えた方々は、きっと警部ヴァランダーが次のように感じた境地にまた再び舞い戻ってくることだろう。「ヴァランダーはふたたび一人になった。いままでにないほど、リードベリ(ヴァランダーの相談相手だった先輩刑事)がいないことが残念に感じられた。『どんな場合にも、あと一つ質問があるはずだ』いつも繰り返し聞かされたリードベリの口癖だ。さて、いま、彼がまだもう一つ質問できるとすれば何だろう? 何が残っている? ヴァランダーはそれを探した」というところではないかと思われる。

 

2018/01/08

ゼミ研修旅行で宇治の平等院へ行く

Img_0807 ゼミ合宿の熱が冷めやらぬうちに、論文に向かうのが良いだろう。とは思われるのだが、京都にきたからには、やはり仏様にお祈りしてから書けば、ご利益もますのではと考え、かねてより放送大学のM先生にお願いして、平等院を訪れることにしていた。Img_0806 M先生は昨年の4月から、奈良女子大から放送大学へ移って来られた。平等院塔頭の最勝院ご住職なのだ。お正月早々であったので、ご家族の方々にご迷惑ではとは考えたのだが、お話をすると、快く承諾してくださったので、ゼミの方々を連れて、午前中早々に宇治へ参拝となったのだった。

 

Img_0799 平等院の正門でM先生が出迎えてくださった。あいにくの雨がむしろ幸いして、いつもならば見学者の列がずっと並ぶところ、まだまだ少なかったのだ。正門を入って、平等院を左手に見て、まず連れて行っていただいたのが最勝院で、門がとにかく古く、紫の垂れ幕がよく似合う。Img_0798 左手に源頼政の墓があり、お不動さんのお堂が連なる。最勝院の玄関を入って、左手には苔が雨に濡れて光り輝いている中庭があり、縁側には和風のラウンドチェアが2脚おかれていて、静かな佇まいだ。奥様にご挨拶して、お茶とお団子をいただく。

 

Img_0810 平等院鳳凰堂では、あらかじめM先生が10時30分の拝観予約の切符をとってくださってあり、直ちに入堂させていただいた。鳳凰堂には、仏師「定朝」作である阿弥陀仏を中心として、雲中菩薩像52体が祀られてあり、極楽を現出させている。Img_0815 また、壁絵には、貴き人も賤しき人もそれぞれ極楽浄土へ召される図が階級ごとに描かれていているのだが、じつはどれも平等な召されかたであることを印象づけている。この壁絵を見ると、死は万人に平等であるという、平等院の名称の由来?がわかる仕組みになっているのだ。説明をお聞きしているうちに、やはり気になってくるのは、自分自身の死のイメージだ。「何もない」というイメージがこれまで占めていたのだが、「何か雲の上からやってくる」という死のイメージも悪くないことがわかる。

 

Img_0816 鳳凰堂の正面にまわる。十円玉に描かれている有名な、池に映る景色を堪能する。そして、鳳凰堂の中心に火が入ると、正面の扉に丸く開けられた穴を通じて、阿弥陀仏の顔が浮かび上がってくる仕組みに気づく。写真のシャッター音がしばし鳴り止まなかったのだ。鳳凰堂の向かって左手が宇治川の河岸段丘になっていて、その中がくり抜かれて、コンクリートで内部が固められたミュージアムが現れる。外からはまったくわからないほどの自然さだ。Img_0818 一番下に入口があって、釣鐘や雲中菩薩像を間近に見ながら、登っていくと河岸段丘の一番上にある出口に到達するように、デザインされている。印象に残ったのは、雲中菩薩像で、本堂に半分の26体があり、このミュージアムに残りの26体がある。この中で、死の行列のイメージの中でも、真っ先に現れる菩薩をじっくりと瞼に焼き付けたのだった。

 

Img_0820 これらの雲中菩薩像は、定朝の工房が制作に当たったらしい。発想からすると唐突ではあるのだが、工房製作の利点は、画一性よりも多様性だと思う。Img_0851 52体もの菩薩像を作り分けなければならない。一人で彫刻するならば、同じパターンになってしまうだろう。けれども、複数の弟子たちが腕を競い合って製作しており、その多様な像に自分を象徴するものを投影するものが必ず見つかると思わせるものがあるのだ。

 

Img_0850 M先生と奥様にお礼とご挨拶をして、門前に並ぶお茶屋さんの一つ、中村藤吉にて食事。宇治川に面していて、雨で増水しだくだくと乱れた流れを見ながら、鰊茶そばとスイーツをいただく。裏門から出ると、宇治川の沿岸沿いの歩道に出る。Img_0841 この土手道に沿って、平等院と宇治川の中間に民家が一列に並んでいるのだが、昔はおそらく平等院から直接宇治川を望むことができたのだろう。その一軒が和風に改装されて、今は珈琲店スターバックスとなっている。昔はさる方に囲われたひと(女)の住まいだったそうだ。

 

Img_0845 宇治川の奥の方に煙って観える悠久なる眺望を楽しみながら、朱色の橋を渡る。観光客がちらほらして、源氏物語の宇治十帖の舞台があちこちに現れる。宇治にあるもう一つの世界遺産である宇治上神社と宇治神社が道なりに出現する。Img_0855 ゼミの方々は、仏ばかりか神様にまでお願いしたからには、ずいぶんと霊験あらたかな論文が出来上がるのだろう。わたしの原稿についても、決して神まかせにするつもりではないのだが、ついでに成就祈願を行った次第だ。

Img_0867 Img_0874 Img_0894






Img_0875 Img_0886 Img_0887

Img_0897 Img_0871 Img_0901

2018/01/07

大学院ゼミナールと懇親会を行った

Img_0767 朝起きて、京都おばんざい風の食事を摂り、いつものように部屋でコーヒーを淹れた。今日1日は長丁場になるので、ポット入りのコーヒーは必需品だ。眠け覚しだとは決して言わない。やはり、10時から夜の11時過ぎまでの長時間の議論の中では、時々ではあるのだが、エアポケットに吸い込まれる感覚の時があり、ぼーっとしてしまう。Img_0770 おそらく老化現象の一つだと思われるのだが、このような時には、ちょっとの苦味と気付が必要なのだと思っている。コーヒーを旅行先で淹れる時には、いつもはプラスティック製のロートを持ち歩くのであるが、今回は紙製のロートを用意できたので、これを駆使したのだ。

 

Img_0768 宿泊場所から出ると、冷たい小雨が降っていたので、まだ準備中の錦小路を辿って、地下鉄の四条駅に出る。徒歩5分、地下鉄5分、徒歩で3分で、駅前のキャンパスプラザへ着く。すでに、学生の方々が揃っていて、早急にパソコンやプロジェクターを準備して、机をコの字型に並べ替えて、それぞれの発表へと入っていく。

 

Img_0769 さあ、「答えはすべてこの中にあるはず。でもわたしたちにはそれが見えない」と北欧ミステリーも呟いている。それにメゲることなく、一つ一つ討論の俎上に乗せていこう。

 

Img_0772 M1の方々の今回のテーマも多様な領域に及んでいて、楽しい。また、今回の発表会には、OBの修士修了生たちも5名、H氏、Y氏、F氏、K氏、そしてTさんが加わった。さらに、卒論生も1名T氏が参加した。

 



「現代社会における消費者哲学に関する研究」

「地域における大型社会基盤事業と非公式組織に関する研究」

「貿易自由化(グローバル化)と産業・企業との関係について」

「さいたま市の第三セクターにおける考察」 

「災害における人間の安全保障」

「観光とサンゴ礁保護手段の環境経済学的研究」 

「消防小隊隊員間で共有されるソーシャルキャピタルの研究」

 

Img_0778 昼食の時間もそこそこに、議論は夕方まで続いた。今回の課題が、論文の中核についての予備的な考察を行うことということだったので、結論を意識した自分の論文へのコメントが中心となった。Img_0781 多くの方々が、転地によるゼミ開催の効果を認めてくださった。ちょうど論文作成の転換期であることも手伝って、いつもと異なる雰囲気のもとで、自分の論文作成を十分に振り返ってみる、ちょうど良い機会となったことだろう。

 

Img_0785 幹事のK氏とH氏の奮闘によって、忙しい中、懇親会の準備を行なってくださった。キャンパスプラザの1階にあるイタリアンの店「ケニヤ」が会場となった。いつもは昼食を取りに入るところだ。Img_0787 二方にガラス張りのテラスになっていて、会場は極めて開かれた感じの素晴らしい場所での開催となった。アルコール類も持ち込みが自由なので、幹事の方々が昼食時を利用して、近くまで買い出しに行ってくださったのだ。2時間の時間いっぱいまで、それぞれのお話と雑談が続いたのだった。

 

Img_0790 明日も研修旅行があるので、京都に泊まる方々中心に近くのビルの3階にあるBarにて、二次会を催した。この頃になってくると、アルコールも程よく回ってきて、雑談もいろいろな方向へ移って行くことになった。Barの静けさが、京都にいることを感じさせたのだった。わたしたちの話し声だけがガラス窓に響いているようだった。Img_0789

 

 

 

 

2018/01/06

仕事始めの京都合宿

Img_0727 今年も仕事始めは、京都からだ。修士論文審査と大学院ゼミナールが開かれる。往きの新幹線の中では、相変わらず北欧ミステリー「ヴァランダー警部」が時間を埋めてくれた。曰く「この事件には、パターンがない。自動車事故に見せかけた父親の弁護士が殺された事件と、数週間後息子の弁護士が銃殺された事件の間には、目に見える関連性はない。息子の死は父親の死の結果に続くものとは限らない。順序が逆かもしれない。リードベリーが最後の頃に言った言葉を思い出す。殺人事件の捜査で暗礁に乗り上げたときのことだ。『原因が結果の後からわかる場合もある。いつでも原因の後に結果があるわけではない。警察官は逆も考えることができなければならない』」という、仕事始めから、何やら波乱含みのスタートとなる予感があった。

 

Img_0737 今年も、不確実で、ちょっと先が闇の世界が支配している状態から出発するというご託宣だ。修士論文に取り掛かったころには、みんなが感ずるのは、このような不確実性だ。何が原因で、何が結果なのかわからない。それどころか、事実の過大な姿に圧倒され、原因・結果を考えることすら、忘れるくらいだったことだろう。このようなときに、どれだけ柔軟な考え方ができるかが、かなり重要なことだ。

Img_0739

 

今年は、この半月間で17本の修士論文審査を行う予定になっている。まずは、関西方面の方々から提出された4本を今日審査しなければならない。多彩な論文が並んだ。

 

日本の生産力の変化と就業形態の変化と高齢化

ワイマル共和国のもとでのナチス台頭

地方空港のナイトスティ機とストロー効果

企業におけるインターンシップの有効性

 

Img_0740 放送大学では、学生が論文テーマを選択し指定するために、盛り沢山と感ずるくらい多様な論題がどうしても多くなってくるのは仕方ないことである。この中で、経済とは関係ないと思われる「ワイマル共和国のもとでのナチス台頭」がなぜわたしの審査を受けるのか、不思議に思う向きもあるかもしれない。簡単にいえば、学生はプログラム全体で承認されるので、その後どの先生が担当するのかは、かなり未知数なのだ。けれども、当時の経済的・政治的社会構造については、十分に社会経済学のテーマになりうることはわかっていた。

 

Img_0755 わたしは、阪大にいた友人の故K君がフランクフルト学派だったので、何度かアドルノやハーバマスやアーレントの議論は行っていて、今回も昔懐かしい議論を振り返ってみたかったということがあったのだ。それを楽しみにして引き受けることになった。Img_0746 今回の論文の作成者Ka氏は期待通りに、大著を次々に読みこなし、それらを丁寧に読み解いて、緻密な修士論文を完成させたのだった。Img_0753 近年の海外文献を多少議論し残したのは残念だったのだが、それでもわたしにとっても、たいへん興味深い内容の議論ができたのだった。わたしにとってもK君との思い出が至る所で呼び起こされて、不思議な体験を何回も受けたのだった。論文作成には、このような覚醒の効用のあることも知ったのだ。

 

Img_0749 今日はまだ4本だったので、夕方の京都散歩を楽しむ余裕ができた。K君と会うときに利用していた料理屋が、またオーナーが変わっていて、地元のビールを出す店になっていた。様子を見ながら、いつも座った賀茂川に近い中庭に席を占める。一乗寺ブリューワリーという地ビールIPAを頼み、K君との議論を思い出したのだった。ビールは旨かったのだが、ピザがそれほどではなかったので、場所を変えて食事を探す。

 

Img_0757 一人で食事をするところは限られていて、やはり長く落ち着けるところにおさまることになる。年末にも過ごした姉小路のKocsiへ向かう。4人掛けのゆったりした席を一人のために用意してくださった。ここの食事は、パンを基本としていることもあって、スープやシチューなどの日替わり料理が多いのだが、中には今まであまり挑戦したことのないものもメニューにあって楽しめる。Img_0759 今回はアヒージョを選んだ。「ベーコンとキノコのアヒージョ」で、ニンニクの効いた汁にパンをつけて食べたら、という趣向だ。グツグツと煮えたぎった小皿が届いて、オリーブオイルがたっぷりと入っている。Img_0762 本来のニンニクの強烈さは、実は次の日になってようやく身体に現れるほど、密やかなものだった。この料理でも、そして今年全体を占って見ても、「原因」と「結果」が後からわかるような、一年の始まりとなったのであった。Img_0731_2 Img_0734

Img_0765

2017/12/31

今年も押し詰まってきた、静かな年の瀬だ

Img_0661 今年も押し詰まってきた。この1年間にとりわけ時間を割いたのは、自分の仕事だが、それ以外のボランティアとして、放送大学の「過半数代表者」という労働活動だ。放送大学のような労働組合のない職場では、職員・労働者の立場を代表して、就業規則改正などに署名する無償奉仕の役職だ。労働基準法に定められている。ただし、今年は労働契約法問題があった。

 

周りの人びとには、なぜそんな歳になって、労働争議などに加わらなければならないのか、と多くの不評と少しの賞賛をかっていたのだ。ふつう、このような労働活動には体力がいるので、若手の「職員・労働者」が大学から指名されて、いやいやながら行うのが相場だ。自ら進んで行う、しかも定年間近な人はいない。

 

なぜ行ったのかといえば、やはり社会科学を学んできて、机の上以外でどのくらいのことができるのか、ということだと思っている。1年間という限定的な活動なので、かなり限られた、威力の少ないものになることは当初から予想されたのだが、限定的な中で、どれほどのことができるのかが勝負だった。相変わらず、自分の人生と社会との関わりを凝視し動かしてみたいという自分の癖が出たのだと思われる。

 

ところがやはり、自分ではそう思っていても、社会に出て行う活動には、どうしても他者の人生を左右してしまうということがあるために、その結果については重い責任を負い、辛く感ずることが多いのも現実であった。ある種の運動だからして、多少の勝ち負けの感覚はあり、戦闘性ということが求められるために、気分の高揚は避けることができなかった。したがって、たとえ勝利があったとしても、それはかなり苦い、繰り返すがさらに苦い苦いものであったと告白せざるをえない。

 

実際の内容については、全「職員・労働者」に向けてのお知らせで述べたので、ここで述べることはないのだが、そのことに関係しない点で、別の苦い敗北感を持った例ならば、ここでも書いても許されるだろう。

 

国会で「退職金諸法案」というのが11月に通った。簡単にいえば、それは退職金のプールが足りなくなってきたので、国家公務員の退職金を直ちに切り下げたいというものだ。放送大学ではこれまでの慣例として、給与や退職金などに関して、国家公務員に準ずる措置が取られることになっていた。放送大学は、「特別な私立大学」なので、この法律に従う義務はないのだが、慣習としてそうなっているらしいのだ。それで、過半数代表者が呼ばれ、ここに署名してくれと求められたのだ。

 

新聞によると、この措置によって、国家公務員の退職金は平均75万円くらい引き下げられることになるのだそうだ。結構な大金が減らされる。つまり、これに署名した途端に、わずか数年後に迫ったわたし自身の退職金が、どんと減らされることになり、そのことにここで署名せよということなのだ。あっという間に目の前で、75万円が消えてしまうという悪夢を見なければならないというのだ。

 

その場では、「なんという巡り合わせなのだ」と呟いてしまったくらいなのだ。慰めてくれているのだろうが、総務課の若手の職員の方は、僕らはもっと将来減らされますよ、というのだが、まだ実感はないだろう。言葉は悪くなるが、負の「宝くじ」に当たったような、「もってけ! 〇〇」という気分だったのだ。

 

おそらく、今までの過半数代表者の方もそうだったと思われるが、放送大学は私立なのだから、慣例とはいえ、これだけ補助金が減ってきていて独立採算の可能性を求められているのだから、そろそろ近い将来には、国家公務員に準じなくても良いと一言書いて置くことも必要になってきている。今後も、人件費削減案が目白押しなので、もう少しの任期になったとはいえ、憂鬱な日々が続くのだ。このように、お金で済む問題ならばまだ良いのだが、そうでないことが起こるともっと苦い日々となる。借りをつくって生きるのが人間の特性なのだということだと諦めなければならないのだろうか。

 

山之口獏の「年越しの詩」をよんで、気分を紛らせた。

 

詩人というその相場が

すぐに貧乏と出てくるのだ

ざんねんながらぼくもぴいぴいなので

その点詩人の資格があるわけで

至るところに借りをつくり

質屋ののれんもくぐったりするのだ

書く詩も借金の詩であったり

詩人としてはまるで

貧乏ものとか借金ものとか

質屋ものとかの専門みたいな

詩人なのだ

ぼくはこんなぼくのことをおもいうかべて

火のない火鉢に手をかざしていたのだが

ことしはこれが

入れじまいだとつぶやきながら

風呂敷包に手をかけると

恥かきじまいだと女房が手伝った

 

Img_0664 大晦日の最後の最後に、英国のサッカーチーム、マンチェスターシティの19連勝の記録のかかっている英国プレミアリーグ「マンチェスターシティ対クリスタルパレス」戦を見ていた。クリスタルパレスが意地を見せた、引き分けの熱戦だった。ところが、試合の終了近くになって、わたしの好きな選手のデブライネ選手が反則にあって、足を負傷し担架で退場してしまった。パスがうまく決まるのがサッカーでは重要な要素だとわたしは思っていて、デブライネはこの直感的なパスのうまい人で、ずっと今年は眺めていたのだが、ざんねんな出来事だった。デブライネには、早く怪我を克服してパス回しの輪に戻って欲しいと切に祈ったのだ。こんなこともあったにもかかわらず、またマンチェスターシティの連勝ストップということでも、選手たちや監督が顔色ひとつ変えないで、試合後相手の監督、選手と激励しあい、互いの肩を叩いていたことにも感動したのだった。

2017/10/29

2日目だけの沖縄の面接授業

Img_3445 昨日吹き荒れた「台風22号」は北上したために、まだ雨は残っているが、風は止んでいた。沖縄の人びとは多少の雨では傘はささない。また、暴風雨になると、傘をさしても役立たない。結局、傘はささないのだ。そんな小雨の中、ネットで検索した時刻に合わせ、琉大行きのバスに乗るために、早めにバス停へ行く。Img_3446 ところが、停留所には、張り紙があって、数日前にダイヤ改正が行われたというのだ。確かめると、5分前にバスは通り過ぎていた。日曜日なので、朝にもかかわらず、30分に1本しかない。万事休す。

 

Img_3447 と思って、顔を上げると、97番琉大と書いたバスがすっと現れたのだ。この世に神様がいるのではないか、と感じる一瞬だ。ステップを踏んで、腰掛けてもまだ信じられない。バスなので、5分くらいは遅れて当たり前なのだが。じわじわと湧いてくる、日常のラッキーを反芻するのだった。

 

Img_3450 琉大の構内には、低層の広葉樹が並木を形成している。風で飛ばされた小枝や葉っぱが歩道を埋めている。置き場の自転車が乱雑に横転している。10数年前にも来たことのある琉大図書館へ行く。入り口で部外者用書類へ記入して、閲覧者カードをもらう。Img_3451 調べたい図書のレファレンスを受けようとすると、わたしたちは日曜日のアルバイトなので、とやんわりと断られた。けれども、図書館は改装されていて、図書の配列はわかりやすく、書庫に入ってからも、目指す雑誌にすぐ到達できた。書庫には、このような閲覧用の椅子が置いてあって、書庫でちょっと本を読んだり仕事がしやすかったりするようになっている。難なく、コピーをとって、一仕事終わった気になった。

 

Img_3453 学習センターへ着くと、事務長さんとSさんが教務の応対をしてくださった。問題は、行うことができなかった昨日の補講をいつ行うのか、という点だ。結局、出席している学生の方々と相談して、全員が再会できる日を探ることになった。つまりは、11月、あるいは12月にもう一度沖縄へ来ることがほぼ確実になったのだ。教室でこの協議を行ってみると、まずわたしの都合の良い日は、ほぼ誰かが都合が悪く、完全に全員が一致する日は、1月の成績提出までの間には存在しないことがわかったのだ。Img_3452 困ったな、と言っていると、1人の学生が遅刻を認めてもらえるならば、一日を譲ってくれるということになって、ようやく全員参加の一日を作り出すことができたのだ。このような日程調整の困難さは、社会人大学の宿命だ。その予定日は、前日に東京文京学習センターで大学院ゼミを終えてから、羽田から那覇へ飛んで、次の朝を目指すという、猛烈サラリーマン並みの忙しさを味わうことなる。

 

Img_3448 今回の面接授業のテーマはこれまで3年ほど続けて来たが、「椅子の社会経済学」というテーマは今回が最後だ。いつものように、最初に自己紹介を兼ねて、受講生の方々の椅子体験を語ってもらう。聞いていて、定番となっているのは、小学校の椅子なのだが、木製派とパイプ派に別れる。戦後すぐの方々は木製派が多く、少し後になって来ると「パイプに合板」派が多くなるのだ。現在はほぼ「パイプに合板」をビスで止めた椅子が体勢を占めている。やはり、小学校時代からの記憶で、座板などの要所では「木」という素材は外せない。全部が金属とプラスチックになるには、時代の変化が必要だろう。

 

Img_9085 今回の話の中で、今までになかったのは、籐の椅子だ。柔らかなイメージと曲線・曲木に優れた素材だ。部屋の雰囲気が、この籐の素材によって、かなり決定されるほどに、強烈な印象を残す椅子だ。この椅子に、電灯のシェード、そして衝立も籐で揃えれば、立派なアジアン趣味の部屋になるだろう。沖縄のように、風が吹き抜けて行く部屋に似合いそうだと思ったのだ。

 

2017/08/03

上諏訪での面接授業第1日目

Img_2594 宿の人に、放送大学の学習センターが入っている諏訪市文化センターへ最短でつく道を聞く。2年前にどのように行ったのかを忘れてしまったのだ。じつは、上諏訪の道は変なのだ。微妙に、道が直角ではなく、角度が70度だったり200度だったりして、距離感が方眼紙状でできている人には、上諏訪には住めないだろう。それは、たぶん高島城の城下町であったということと、それから諏訪大社つまりは諏訪湖に由来する道の出来方だったのだろうと想像させるのだ。

 

宿場街道の走りと、諏訪湖の走りが平行ではないために、それを結ぶ道が歪んでしまったのだと思われる。また、城下町では、敵が攻めてきた時に歪んでいた方が良いので、故意にこのような道にした可能性が十分にある。けれども、ここをまっすぐ行くと便利なのだが、どうして曲がってしまって、まっすぐに行けないのかな。近代的合理性が働いていない道の作りなのだ。

 

今回の面接授業では、4人グループで班を作って、端数が出ない12名で行うことができた。理想的な数だ。このようなグループ学習では、参加を重視したい。5人になってしまうと一人当たりの発言時間が少なくなる。3人だとあまり話す意味がなくなってしまう。やはり、4人というのがちょうど良いように思える。今回は、3グループ作り、課題が4つずつだったので、それぞれのグループの発表でも、全員が必ず1回は発表することができて、理想的な参加が可能になったのだ。12名は良いな。今後も、12名で申請しようかなと考えていたら、実際には14人で、欠席の2名がいたから、ちょうど12人になったのだった。12名というのは、狙って達成できる数字ではないのだ。

 

Img_2632 二日目になって、博士課程入学の相談に東京からわざわざ会いにきた方がいて、お昼を一緒に食べた。残念ながら、専門がかなり違うことがあって、博士課程では引き受けることができないことになったのだが、ご本人も上諏訪温泉を楽しんでおられた様子だったから、まったく無駄な出張ということではなかったと思われる。

 

Img_2634 また、千葉から面接授業に参加してきた方とは、二日目の面接授業が終了した後に、卒業研究のことで話し合うことができて、それなりに生産的な出張となったのだった。Img_2635 放送大学では、本部に近いところに住んでいたからと行って、幕張で先生方と会えるわけではない。むしろ、このように地方へ出張してきていた方が、互いに話しやすいということはあるだろう。これは、放送大学ならではの転地効果が働いているのだと、わたしは勝手に解釈しているのだ。

 

Img_2641 上諏訪では、いつもうなぎ屋さんで食事をすることにしていたのだが、今日は臨時休業だそうで、それではというので、以前諏訪に住んでいた伯母に連れて行っていただいたフランスの田舎料理を食べさせる店へ行くことにする。Img_2638Img_2639 どこが田舎料理かといえば、地方の名前がついた料理が次から次へと出てくるのだった。

2017/07/15

夏季合宿始まる

Img_4282 今夏の放送大学本部キャンパスには、いつもより学生が多いと感じる。期末試験が近いからなのか、それとも、夏休みの泊まり込みでの図書館通いの学生が多いからなのか、原因はわからないのだが、セミナーハウスはいっぱいで予約も難しいくらいだ。大きな荷物を持って、朝早くにセミナーハウスから図書館へ移動する学生も見たし、会社帰りに自転車で図書館に駆けつける学生も多く見たのだ。いつもは、テレビ・ラジオでしか接しない学生が、この時期だけ、キャンパスにどっと現れて、顔を見せてくれるのはこちらにとっては楽しい。

 

会場についても予約が立て込んでいて、セミナーハウスの研修室をいつもは使うのだが、今回は早々と数ヶ月前に同好会に先を越されてしまったのだ。それで、次善の策として、本部の最上階にあるラウンジを使うことにする。千葉の港から東京湾方面をのぞむ、眺めの良い部屋での合宿となった。

 

今回目立ったのは、当初の問題意識が薄れてきているのではないか、という点だった。M2の方々は、そろそろ1年半に渡って、同じテーマを追究してきているのだが、一通りの作業が済んで、安心してしまったのか、何となく平均的に鋭さが抜けてしまっている。一つの理由は、「時間」だ。時間が迫ってきてしまうと、これまでせっかく努力してきたことを捨ててしまって、小さくまとまろうとしてしまうのだ。もう一つの理由は、「存在拘束性」とでもいうものかもしれない。どうしても、自分の身の回りや仕事との関係を過剰に意識してしまって、発想が育たないことがあるのだと思われる。

 

職業意識が言葉に現れるのは、仕方ないとしても、思考方法にまで及んでしまうと、それはどうかと思ってしまう。表面的なことならば、それは指摘できるのだ。たとえば役所務めの人でよく出てくるのは、質問されて、つい「お答えします」というのは、むしろ「存在拘束性」のご愛嬌だと思う。けれども、思考内容にまで影響のあるような質問のときに、答えることが難しいことがあり、そのときにどのような受けごたえができるのかが、ゼミでは問われるのだと思われる。率直に言えば、存在拘束されていることを自覚している人と、そうでない人との差が受けごたえに出てしまうのだ。結局のところ、ここの表現の違いを会得することが、社会人大学としての放送大学の醍醐味だと思うのだ。

 

いつものように、懇親会は近くの中国料理の「ホイトウ」にて行った。今年も、一般客と一緒だったので、挨拶などは幹事の配慮で、一番最後に回し、貸切状態になってから、盛り上がった。わたしの挨拶は、すでにゼミで3回も行っているので、一般的なことは述べなかった。ここではとくに、林先生が4月の終わりに亡くなったことを取り上げさせていただいた。生前のゼミでは、「おもろいこと」が重要だ、と論文の目指す指標を掲げていらっしゃっていたことを思い出して、それを挨拶の中で復活させたのだった。もちろん、「おもろいこと」は読んでおもろいことも重要なのだが、今回強調したのは、書く本人が「おもろい」と思って書かないと、意味がない、という論調となった。うまく伝わっていれば良いと思うのだが。

 

 

じつは挨拶に紛れ込ませて、今度出版されるわたしの放送大学叢書『貨幣・勤労・代理人』の宣伝もおこなってしまったのだ。酒の席だったので、みんなに良く聞こえなかったということで、幹事が気を利かせて、後でも強調させてもらった。良く気のつく幹事を持てて、仕合わせだったのだ。

2017/06/25

盛岡でスクーリング第2日目

Img_2314_2 二日目も順調に講義は進んだ。理論部分では、少し論理が錯綜して難しく聞こえるかな、と思っていたのだが、かえって少し難しいくらいの方が、眠気覚ましにはちょうど良いらしくて、こちらの言葉に少なからず反応してくださった。少し喋り足りなく、また、学生の方の感想も最後は時間切れで、ちょっと時間不足だったと反省している。けれども、二日間分の感想も記してもらったから、それに替えよう。ほんとうに名残惜しかったけれども、これで終了ということにした。一部の学生の方に釣られて、最後は恒例の拍手で大団円となったのだ。

 

Img_2243_2 ようやく梅雨の雨が盛岡にも押し寄せて来たのだが、講義が終わる頃には、また晴れて来た。講義の熱を覚まそうと、本町通りを歩いて、中津川の上ノ橋までいく。県公会堂裏の静かな喫茶店「carta」を探す。Img_2245_2 このcartaとは、手紙の意味らしい。店のカウンターには、手紙ではなく、文庫本がたくさん置いてあったので、村上春樹の雑文集など、手当たり次第に読んで、講義で喋った言葉が頭から離れて行くのを助けた。Img_2247 頭から入って口をついて出た言葉は、わたしの言葉に相違ないのだが、言葉が受講生の耳に入った途端に、わたしの言葉ではなくなり、受講生の言葉になるのがわかる。だから、どんどん喋って、わたしから離れさせて、受講生の耳の奥へ蓄積されてしまうのをしっかりと確かめて来たつもりだ。「carta」では、静かなピアノソロの反復のミュージックが流れていて、熱が静かに静かに冷やされていったのだ。この音源は、店で弾かれたもので、CDにはなっていないそうだ。それで、この音と似たようなCDを推薦したもらって、ワルツの静かな曲の入ったものを購入した。

 

Img_2253 県公会堂は、正面玄関と裏玄関とさらに横玄関を持つ、多面的な利用のできる複合施設のようで、このように重厚なタイルにアール・デコ調の装飾が施されていて、夜の闇に映える。cartaのプロモートするコンサートも、この施設を借りて行うそうだ。

 

Img_2260 県公会堂の正面から、内丸と呼ばれる、かつては盛岡城の枢要な場所だったところに、新宿のゴールデン街のように、小さな飲食店が所狭しと寄り添っている一角がある。ここの真ん中辺にある店「白龍(パイロン)」本店にて、盛岡三大麺のひとつの「じゃじゃ麺」を夕飯とする。深皿にうどんのような柔らか麺と野菜が乗って、そこに肉味噌が添えられてくる。カウンター席の庶民的な店だ。「中」を頼んだけれども、大方の客は「小」を頼んでいた。Img_2297 つまり、ボリュームがあるということだ。味噌を完全に麺と混ぜ合わせ食べる。ところが、周りの常連客たちを見ていると、そのあと「ちいたん」と呼ばれるスープを頼むのだ。生卵がテーブルにあって、自分でそれをかき混ぜて、カウンターへ戻しちいたんにしてもらう。卵スープということだが、これを最後にいただくと、なんとなくお腹がすっとしてくるのだ。旅の客だとわかったらしく、お母さんらしい女性の従業員の方が、ちいたんをアレンジしてくださった。これ全部で六百円。

 

より以前の記事一覧

『貨幣・勤労・代理人』(経済文明論)

  • “「貨幣・勤労・代理人」"

社会経営研究配布中

  • 2015study

社会経営ジャーナル配布中

  • 2015journal

開いている講義    「社会的協力論」

  • cooperation

「音を追究する」第13回・第14回

  • art

「多様なキャリアを考える」第2回・第3回・第4回

  • cooperation

「グローバル化と私たちの社会」第11回

  • cooperation
2018年5月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
無料ブログはココログ

Recommend

プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。