カテゴリー「音楽」の投稿

2017/04/16

バイオリンのこと

Photo なぜバイオリンを弾き続けることができなかったのか。この想いがときどき蘇ってくる時がある。幼稚園時代から、小学校4年生までバイオリン教室に通っていた。特別な教室ではなく、当時信州の松本市に住んでいて、この松本市にはスズキメソードと呼ばれる世界的な教室チェーンの本部があって、街の近くには必ずバイオリンの教師が一人はいるという珍しい街だったのだ。この街の掟に沿って、木曽の幼稚園時代から引き続き松本の小学校時代にかけて、バイオリンを習っていたのだ。(写真は当時の松本市大手の裏町にあった「松本音楽院」で、スズキメソードのHPに載っていたものだ。1階にはバイオリン教室が並んでいて、2階には幼稚園時代の後半の1年間通ったスズキメソードの幼稚園があった。)

 

Img_7552さて今日は、妻から紹介された小説『櫛挽道守』(木内昇著)を読んでいる。バイオリンの話と関係するような気がしたのだ。こちらは職人技の話である。木曽に伝わる「お六櫛」という、櫛歯が細く、繊細な櫛を挽く職人技があって、この木曽地方独特の職人技継承の物語である。この櫛挽きには特別なキャリアを必要としていて、言葉では表すことのできない、手元を後ろから見て、技を盗むような修行が必要とされる。伝統的な職人技の本質が描かれている。

 

Img_7551 通常の徒弟制の良いところだとあげられるのは、どんなに合わない下手な人でも、ある一定の年季を積めば、途中で投げ出さない限りは、標準的な仕事を覚えて、独り立ちしていけるところにある、といわれる。ところが、職人技の恐ろしいところは、のちのちこの標準的な手仕事キャリアに加えて、それを超える力量が問われる点にある。ここに雇われ職人と、独立職人の違いが現れることになるのだ。この本では、この職人のタイプが書き分けられていて、たいへん興味深い。

 

先日、4月の授業の準備のために統計データを探して、ここ1ヶ月間の日経新聞を渉猟していたら、「龍五」という懐かしい固有名詞が目に飛び込んできた。T大の物理学の先生をなさっているHR氏がご自身の半生を語っている記事であった。ご本人にはこちらの記憶はないかもしれないが、当時スズキメソード本部の裏町でのM教室で、わたしはレッスンを受けていた。ところが、隣のレッスン室から標準をはるかに超える綺麗な音が毎度聞こえてくるのである。その音の主がHR氏であった。

 

ある期間、なぜバイオリンを弾くことを止めたのか、という問いに、このことを理由にあげた時期があった。ほぼ同い年で、近くに素晴らしい音を奏でる少年がいたから、続けてもダメではないかと思ったと答えていたのだ。現在となっては、とんでもない不遜な言い方だったと反省しているのだが、当時の先輩たちの中には、バイオリン弾きの将来を嘱望されていた人びとがたくさんいたのだ。

 

その新聞記事を読むと、HR氏は小学校時代もバイオリンを続け、さらに中学校時代には米国派遣の第1回少年バイオリン隊に選ばれて、米国各地を演奏旅行するまでになったのだ。ところが、このHR氏をしても、高校受験に際して、バイオリン弾きのプロを目指すことを止める決断に至ったらしいのだ。そのときの理由が、まさに「近くに素晴らしい音を奏でる人がいたから止めたのだ」と述べている。当時から、何万人に一人しかプロにはならないことは理解していたのだが、このように生々しい重層化した現実があることは、身を以て経験してみないと最後のところはわからないものだ。ここで、重要なことは、ほんとうのところ「近くに素晴らしい音を奏でる人がいたから止めたのだ」ということではなく、止める理由としてあげるのに、都合が良かったということだ。少なくとも、わたしの場合はそうだった。自分の中で、そろそろ面白くなくなったと感じていたことを表に出すのを恐れていたからだ。

 

けれども、この時点でバイオリンを止めたために、その後聴くことに関しては、ますますバイオリンの音色が好きになったということは確かにあるのだ。もしバイオリン教室に通うことがなかったら、中学校時代に仲間たちと渋谷や文京などのコンサートを夜になっても聴き歩くこともなかっただろうと思われるのだ。いやいやながら続けていたら、ますますバイオリンが嫌いになってしまったことは間違いないと、今では思っている。

 

2015/12/05

みなとみらいホールでコンサートを聴く

Img_0580 横浜に住んでいて良かったと思うことは数々あるのだが、質が良くて、にも関わらず決して高価ではないコンサートが、探せばどこかで、週に1回以上催されていることだ。もちろん、たまには高価な演奏会に行くのは良いとしても、ずっと練習を続けて聴かせてくれるセミプロや低廉のコンサートでも十分に楽しめる演奏会が数多く集まるのが、横浜の特色だ。友人たちの演奏する楽団には、誘われてもなかなか時間が合わなくて駆けつけることも適わない。それで、Img_2307 いつも失礼してしまっているのだが、このように選ぶことができるほどに、家から30分ほどで着くみなとみらい地区では演奏会が目白押しなのだ。たとえば、年末になってくると、大学管弦楽の定期演奏会が続々登場して、わたしたちの耳を楽しませてくれる。


Img_2376 今日は、横浜国立大学管弦楽団の演奏会がある。神奈川学習センターが試験監督でいつもお世話になっている、そのメンバーたちが多く所属しているのだ。みなとみらいホールで、シベリウスの交響曲第2番を演奏するというので、妻と出かける。妻は先週もこの曲を他の楽団で聴いてきたところで、同じ曲を何回も聴きたいのだと通を気取ってひけらかすのだ。

Img_2375 そういえば、今週フィンランドの管弦楽団がNHKの放送でも流していた。第3楽章までは、低く響く長い曲が続くような印象の曲だと思うのだが、それが突然のように、明瞭なテーマが現れるに従って、カタルシスが一挙に作用するから、抑鬱していた気分がさっと晴れるような心持ちに変わるのだ。この気持ちは、家で鬱々と仕事を続けているものにとっては、何物にも変えがたいものだ。

Img_2379 じつは先週もみなとみらいホールを訪れている。よほど気持ちが鬱屈しているらしく、外にその解放を求める気分がずっと続いている。先週はランドマークタワーとクイーンズ・イーストから、みなとみらいホールへ入った。パイプオルガンの恒例1ドルコンサートがあり、これも妻と待ち合わせて行ったのだった。バッハゆかりの作曲家を取り上げた演奏だった。それでも、贔屓耳で聴くせいか、やはりバッハのオルガン曲が一番耳に残ったのだった。

Img_2295 その日は、時間に余裕があった。それでみなとみらいホールへ行く前に、暇があったら行きたいと思っていた、横浜美術館の美術ライブラリーで、椅子関係の資料を渉猟した。そこで偶然にも、古典的なハーバート・リードの本を見つけ、椅子に関するところを探し出す。Img_2292 ラスキンとモリスの文脈を正確に追っていて、その本は興味深かったが、彼らとリードとが異なることがあって、それは手仕事ではあるが機械生産を受け入れる覚悟がこのころから始まっていた点であり、ここでの木工の記述が特に面白かった。Img_2283 さらに、この図書館の書棚で、美術で有名な海外出版社が出している椅子の図録も見つけ、美術館関連の文脈で探すと、図書館と異なる本を得られることがわかって、たいへん有益な時間を過ごすことができたのだった。

Img_2286_2 書籍は充実していて良いのだが、このような専門図書館の欠点は、飲食がまったくダメなところだ。階下へ降りていけば、立派なレストランはあるのだが、それを持ち込むことはできない。年寄りは喉が乾くのだ。Img_2303 それで、最後の閉館チャイムが鳴るまで、ライブラリーにはいたのだが、その後すぐに、喉を潤したくなってしまった。向かいに近年できたビル「M」があって、その3階の喫茶店「C」へ入る。窓際から、みなとみらい地区の摩天楼が望めて、綺麗な照明が輝いていた。

Img_2298 この正面から横浜美術館を眺めていたら、先日のル・コルビュジエ展を思い出した。横に水平に伸びた、高床式の回廊が周りをぐるっと回っており、真ん中に一帯を眺望する展望台があるのだ。Img_2301 横浜美術館の建物がまさにコルビュジエ様式の建物であることがわかる。壁の模様がシンプルな幾何学模様を描いている。丹下健三設計のものなのだ。板倉準三が神奈川県立近代美術館を作って懐かしんでいるように、コルビュジエ様式はこのように極めて身近なところに残っている。

Img_2290 今日の椅子は、美術館の波打つ白いベンチだ。大きな施設には、大きなベンチが似合う。これも、インテリアの「連続性の原理」に従っているのだろうか。Img_0581

2014/10/12

今年も横濱ジャズプロムナード

Img_7937 今年も横濱ジャズプロムナードの日がやってきた。この日ばかりは、仕事があっても、ちょっと横に置いて、港の近辺にある会場へ出かけたくなる。毎年、10時から始まる、外国からの異色のグループ演奏を聴くのを習慣にしていたのだが、今年はなぜか、Img_7941 10時からのプログラムがなかったのは残念だった。しかし、SバンドやIオーケストラは健在で、期待通りの音を身体全体に浸み通らせてくれた。

Img_7940 この横濱ジャズプロムナードでしか聴くことができない音というか、ユーチューブでも載らない音群というか、この場だけのために構成された、幾重にも重なった音たちがステージから落ちてくる。Img_7993 さらに重層的な積み重ねが、この1日に凝縮されている。一様ではないように、横浜の街全体が音のレンガ壁状態となって音群を繰り広げるのだ。Img_7997_2

Img_7999 いままで巡り合わせが悪くて、横浜開港記念館(通称、ジャック)のこの古めかしい演壇を見たことがなかった。場所としては、横浜の中心地であり、なんと岡倉天心が生まれたところでもあり、これまでここでの催し物に来たことがないなんて、横浜に長年住んでいて、有りえないはずである。ところが記憶の中に、ここだけはないのだ。ホールの中に、細いが柱が通っていて、二階席を支えている。Img_8002 昔作りのホールで、演奏が始まる前に、気に入ってしまって、こじんまりした、ジャズの音にちょうど合っているようにも思えてきたのだった。昭和初期の文化の発信地として、活躍したことを忍ばせるホールだ。

Img_7960 Sバンドは、この時この場でしか聴くとこができない音のオンパレードで、今年もこの全員の素晴らしい息使いで、一気にスタートした。何気ない登場と、この最初の一吹きとの落差がこの場にいるということであり、Img_7964 現場感覚が満載の会場となったのだった。ギタリストのI氏作曲の「Slide Slip」「月の鳥」など、一年に一回は聴かないと、生活のリズムが整わない。こういった類の感じ方を、この身に刻印するのだ。この余韻を残すのだ。

Img_7957 海岸通りへ出て、横浜トリエンナーレの開かれている会場のひとつ、Sスタジオへ入る。赤レンガ倉庫を遠望して、トリエンナーレのA氏出品作品でもある、二階建ての屋台に乗っかって、インドカレー料理を食べる。運河側から、人通りの激しい埋め立て方面を望む。Img_7968 ゆっくり休憩をしたのち、コーヒーが飲みたくなったので、娘の推薦する古いビルの2階にある喫茶店Rへ入る。スイーツも美味しかったし、象の鼻公園に臨む窓のロケーションもよく、しばし海を眺めながら、雑談に興じる。このように、海に面しておしゃべりできるところの豊富なのが、横浜の取り柄だと思う。Img_7978 「海」は横浜の比喩でもあり、隠喩でもある。

最後は関内ホールだが、その前に夕方になって、ちょっとお腹がすいてきたので、馬車道をちょっと入ったところにある、Img_7983 Img_7981_2 クラフトビールの行きつけの店Bへ入って、ビーフとビールで空腹を慰める。Img_7987 最近、米国風焼き肉料理が美味しくなってきた。

Img_8015Img_8013







Iオーケストラも、7割がたは昨年と同じ曲だ。ジャズだから、時が違えば、違った演奏になるのだが、音の本質は変わらない。やはりこのメンバーが一致して吹くと、「この場にいるんだ」、という気分になるのだ。Img_8011 臨場感というのは、このようなことを言うのであって、これ以外にはあり得ない。病気上がりだというKのアルトサックスが踊るようにインプロヴィゼーションを奏でていて、ここにいる全員の精神に、Img_8020_2 かっかと伝わってくるものを感じたのだった。

Img_8023 最後は、家に帰る前に、軽くスイーツと今日最後のコーヒーをとって、娘との話に興じた。

Img_8017

2013/08/22

松本で音楽会イベントを取材する

0822 昨日で、なんとか義務的な仕事を、免れて来た。自分の分はほぼやり終えて、あとはチームの方々の寛容によって免除していただいた。じつは、あと1週間以上に渡ってまだまだあって、I 先生やO先生は残り仕事を片付けなければならない。0822_2 だから、途中離脱はほんとうのところ気が引けるのだが、ここに至っては、わたしがやるよりは、あとは優秀な事務の方々へ任したほうがうまくいくのだと思われる。

言い訳がましいが、じつは松本市で行われている「サイトウキネン・フェスティバル」の取材・見学を予定していたのだった。ところが、この騒動ですっかり予定が遅れてしまい、取材約束を取り付けることが残念ながら出来なかったのだ。0822_3 そこでロケハンということで、前以て鑑賞して置きたかったのである。もっとも、現在制作している授業科目に関係しているようで、関係がないようであり、取材というには、材料が足りなくて、もっと前段階の試みということでちょうど良かったのかもしれないと、前向きに考えておこう。

0822_4 以前から妻がオペラを見始めていて、いつも切符が取れないと嘆いているのを見ている。それで、どれほどのものかと、ネットと電話で今回のサイトウキネン・コンサートを申し込んでみたが、ものの見事にかすりもしなかった。それでは、当日券はどうだろう、と並んでみることにしたのだった。0822_5 途中、機会があれば、どのような準備を行うのかも、協力の有り様を感じることができるかもしれないのだ。

ちょうど良い時間に着いた。さすがに、当日券はほんのわずかだそうだが、一番手につけた。一番が良いのではなく、途中の準備が次第に整えられて行くのが見られたからだ。0822_6 これで一応、取材したというアリバイは作ることができるだろう。カウンター、クローク、花台が設定され、そして当日券売り場の看板が置かれると、市民芸術館スタッフは表から引いてしまう。微調整のための舞台デザイナーや設備関係の人びとが行き交うだけだ。面白かったのは、勘違いした花屋さんがわたしのところへきて、花輪をどこに置いたら良いのか、と尋ねたことだった。作業衣みたいな服を着ていたのが、悪かったのだろうか。

0822_7 基本的には、出演者と演奏者のグループと、サイトウキネン側と、市民芸術館側という人間の動きが見られる。松本市が力を入れているボランティアの活動がそれほど見られなかったことがちょっと残念だった。訪ねてくる時間・タイミングが微妙に違うのだった。骨格は施設側が面倒を見るが、それらに色づけするのが、主催者だという役割分担だ。

0822_8 じつは主催者側が気にしていたのは、なんとこれが金属探知機だったのだ。このような大掛かりな機械をいれること自体、イベントというものの、必要な部分だといえるかもしれない。これは後で、一緒に並んでいた当日券仲間から聞いたのだが、ヤンゴトナキ方がみえるので、設置されたのだった。

0822_9 そろそろ4時間前になってきているのだが、若手の役者が出て来て、表も舞台で、タップを踏みながら、練習をはじめたのだった。ガタガタと音がして、低音部が極めて響く、声を張り上げだしたのだった。道化もカタカタと回りだし、すでに気分は祭りのなかだ。同じセリフが耳について来たのだが、昨日すでに、今日の題目であるストラビンスキーの「兵士の物語」もyoutubeで観て来ていて、準備万端だ。

0822_10 それにしても、イタリアへ行ったときに、オペラの当日券に並んでいる人をみたが、かなりの忍耐を必要とするなあ。この役者のリハーサルがなかったら、到底耐えられなかったに相違ない。その昔、40年ほど前、あるフォークソングの歌手のコンサートへ行ったら、まさに時の人であった0822_12 ので、コンサート場は満員で、会場を十重二十重に取り囲んでいた。ところが、会場から歌謡曲がろうろうと流れて来たのだ。彼のサービス精神だったと思われるのだが、じつは歌唄いというものの本質を示していたのかもしれない。0822_13 今日のリハーサルも、じつは自分たちでただ単に演じてみたかったのであって、練習などというものではなかったのかもしれない。

それが証拠に、そのあと、クラリネットの音がして、全員が会場のそとへ出て来て、ファンファーレが鳴り響き、マイクテストやら、音合わせが実験劇場と言われるところで、始まったのだった。これらは、街へ繰り出す式のアバンギャルド形式の名残だと思われる。ここまで来てしまえば、あ0823 とは目の前を「こんにちは」と通り過ぎる主役の役者や、リハーサルをチェックする舞台監督の振る舞いなど、そして、名だたる楽器演奏者たちのそれぞれのプライドと道化と、十分に楽しめたロケハンだったのだった。もちろん、実際の舞台は超満員で、音楽も素晴らしいし、緊張感ある中にもリラックスした演技にすっかり参ってしまった。

2013/04/21

今日はモーツァルトの日と決めていた

Img_7724 今日はモーツァルトの日と決めていた。東京交響楽団がミューザ川崎の定期公演で、モーツァルトの「戴冠」と「レクイエム」を演奏するというので、妻に切符をとってもらっていたのだ。

Img_7734 両方の曲ともに、100人ほどの合唱団が付いていて、それぞれのパートのソリストたちも出演していたので、このこじんまりした1階部分は、楽器部分の50名ほどと合わせて、150人規模の大きな編成のミサ曲演奏でいっぱいとなった。こうなってくると、ホール全体の中心から沸き上がってくる感じがして、生の声が映えてくる。もっとも、指揮者のスダーンは、微妙な組み合わせの音に特色のある指揮者なので、今回にもその調和の魅力が溢れていて、強弱の連続的な変化が次第に柔らかく伝わってきて素晴らしかったと思う。

Img_7744 特に、二番目のレクイエムは、わたしが田舎に住んでいた時から、悲しい場面になると必ず演奏されていて、部分的には、何回も聴いたことがある曲だ。映画の「アマデウス」でも、モーツァルトの死がまじかに迫ってきた時に、効果的に使われていたことでも、印象に残っている。

今回の演奏会では、対訳付きのパンフレットが前以て配られていたので、演奏している部分の意味を見ながら聞くことができた。身体のなかに入ってくる曲に、さらに意味上の感情が付加されていて、次第に影響が出てきて、身体が火照ってくるのを感じた。

Img_7747 有名な第三パートの第5曲、第6曲に差し掛かると、自分が年をとってきたこともあって、人生の最後に、呪われるのかそれとも祝福されるのか、という命題が突き刺さってくるのだ。書かれたもので、判定され、人生が裁かれるなどと言われると、ドキッとする。

Img_7752 それから、キリストの復活には、色々な意味があると思われるが、裁かれるために、死体という塵から蘇るのだ、というこの曲の主旨に従えば、最後に望むものは、やはり「安息」ということになるだろう。このような西洋文明の中でも、反省的で、消極的で、さらに控え目ということの意味が音楽を通して浮かび上がってくるのは、たいへん興味深かった。

Img_7753 アンコールでもう一度聴きなおしたいくらいだった。定期公演では、通常アンコールは行わないのだが、今日は何か特別だったのだろうか。モーツァルトのたいへん静かで、抑制の効いた合唱曲がかかった。あとで、入り口の表示をみると、やはり晩年に創作された「アヴェ・ヴェルム・コルプス」だった。控え目な演奏に、今日はこだわっていたことを、ここでも再確認したのだった。

Img_7758 じつは、ミューザ川崎は、4月にリニューアルオープンをしたところだったのだ。二年前の大震災の時に、この天井が落ちてしまい、内装をすべて変えたのだ。この会場では、その前に、わたしの授業科目「社会の中の芸術」の取材を行っていて、たてものの内部を借りて録画もしていたところなので、このリニューアルについては、たいへん気になっていたところだった。写真のように、綺麗に復活して、また良い音を響かせ始めたので、これからも通わせていただこうと思った。

帰りに自家焙煎の珈琲屋さんで、モカ系のブレンドとアップルパイ。これは実を凝縮したタイプのもので、たいへん美味しかった。川崎駅前の再開発が最終段階を迎えているが、結局のところ、以前からの飲屋街の密集は残っているものの、喫茶店や本屋などの、文化的な店屋は、地元資本のものが駆逐されてしまって、チェーン店系のコーヒー屋が溢れかえってしまったのでないか、と、ちょっと残念な気がするところだ。

2011/09/03

マーラーのアダージョ

Photo_2今年は、マーラーの年だ、と言っていた割には、マーラーのコンサートへ行っていないのに気がついた。没後100年だというので、マーラーを描いた映画「君に捧ぐアダージョ」は見たのだが、そしてそれはそれで、フロイトとの関係も面白かったのだが。けれども、それでコンサートへ行ったとは言うことはできないだろう。そんな折に、妻の友人から有難くも、券をいただいたので、二人でいそいそと出かけた。

妻は何事にも、準備万端を済ませておくことを信条としていて、わたしの性格の対極にある。昨晩も、アバドのマーラー全集をわたしから取り返し、ヘッドホンでくりかえし聴いていた。

小学校時代に、予習・復習という習慣が着くらしい。妻はきちんと、予習を行って、宿題を忘れたことがないそうだ。他方、わたしはと言えば、そのような習慣は身につかなかった。高校時代に、印象悪い、ひとつの思い出がある。予習していなければ決して判らないことを、授業中に質問されたのだ。英詩がテキストに出ていて、この作者は誰なのか、という質問だった。教科書には、まったく載っていないのだ。ところが、わたし以外は、みんなすらすらと答えるのだ。聞くと、前日の塾で予習したのだ、という。受験校にいるんだな、と思った。

思い出しついでに、良いイメージの印象も存在する。じつは、今日の日フィルのコンサートに関しては、中学校時代から高校時代にかけて、学校の帰りに良く通った思い出がある。小学校時代に信州の生活をしていて、以前に述べたように、バイオリンを習っていて、一応音楽生活もさせてもらっていたのだが、このように毎月のように、コンサートを聞く生活に入るとは思わなかった。人生で言えば、いわばこれが人間としての「予習」と言えるかもしれない。学校の予習は行わなかったが、人生の予習は、大都市特有の生活で、たっぷりと「予習」させてもらったといえるだろう。

田舎から出てきて、なるほど大都市の子供は恵まれているな、と感じた。当時、池袋の先に住んでいて、高校時代には、池袋、新宿を通って、渋谷の先へ通っていた。N響のときには、日比谷へ。日フィルのときには、後楽園の文京公会堂へ。そして後には、渋谷公会堂へ通うようになった。まだ、渋谷にパルコもなく、ジロウと教会があっただけだった。パルコ文化以前の渋谷文化もあったのである。

Photo_11今日の席は、サントリーホールの前から二列目で、中学校時代に通っていたときも、この位置をキープしていた。同好会まではいかなかったが、F君を中心として、常連層を形成していた。

Photo_12今日は、マーラーの交響曲3番である。6楽章まであるから、4楽章で拍手をしないでよ、と妻に言われていた。1楽章あたりは、どうも取っ付きが悪かったのだが、ここでの主題が繰り返されて反芻されるにしたがって、次第に身体の中に入ってきた。それにアルトの「ツアラツーストラかく語りき」の一節を歌詞とする歌曲が入ったり、子供たちの合唱が入ったりする頃には、すっかり巻き込まれてしまった。

そして、もっともグッときたのは、「ゆるやかに、平静に、感情をこめて」という指示のある、第6楽章のアダージョである。ゆったりとした弦楽奏がえんえんと続く。くりかえし繰り返し、しかし、急ぐことなく、少しずつ変わっていく。楽団員の顔を見ていても、音に乗せて、丁寧に感情を送り出している。この粘り強い、えんえんと続く、永遠のイメージは、明らかにニーチェの主題に似ている。終末の中にあって、諦めずに粘り強い歩みを保っている。なにか、心がへこんでしまうときには、これを聞くと、何とか平静を保つことができるかもしれないという、期待を抱かせることだろう。

Photo_3コンサートのあと、娘のアパートに呼ばれていた。昔はいわゆる下町だったのだが、近くに美術館やギャラリーが出来はじめて、にわかに文教的な雰囲気の町になりつつあるところだ。散歩のあと、手料理とワインをご馳走になった。

2008/04/22

バーボン・ストリート・ブルース

高田渡『バーボン・ストリート・ブルース』がちくま文庫から、4月中旬に発売されたので、さっそく大学生協から買ってきて読んでいる。6,7年まえに単行本で売られていたのだが、買いそびれてしまっていたものだ。

それで、3年前に彼が亡くなったときに本屋を探したが、見つからなかった。彼の歌を聴いたことのない人が読んでも、たぶん面白いところがあるし、また、他の詩人の書いた詩の解釈が独特なので、歌ごころのある人ならば、興味を持って読める本だと思う。

買ってきて、その日にテレビのチャンネルを変えていたら、契約していないのでほんとうは映らないはずのチャンネルが入ってきて、ちょうど高田渡が歌っていた。37年前のフォークジャンボリーを思い返す番組だそうだ。

最近の映像では、かならず彼の酔った姿を映すことで面白がらせていたのだが、そのライブでは珍しく酔っておらず、眼が輝いていた。マンドリンなどの伴奏を努めるのは、「バーボン・ストリート・ブルース」というアルバムを1977年に出したときの仲間であったと記憶しているが、佐久間順平(?)だ。

高田渡は、歌を唄って、しかも生きるという姿勢が鮮明な歌い手だと思う。この本のなかで、一番好きな言葉は、「歌というのは古い家だ」というピート・シーガーの言葉だ。

住めば住むほど愛着が出てくる古い家のように、唄えば唄いこむほどに味が出てくるのが歌である。誰が住んでもよいが、受け継がれていく中で価値が出てくるのが家であるように、同じ歌であっても、時間が経ったり歌い手が異なったりすれば、別の歌に変わっていく。そのくらい、歌い継がれた古い歌には、なにか普遍的なものがある。

「その歌はみんなが知っている。誰でも知っている。だけど誰がその歌を作ったのか、最初に誰が歌ったのかは、誰も知る人はいない。ただ歌だけが今も流れている。」というシャンソンがあるそうだ。

人がおとなになるときに、何によって大人になるのか、というのは、その人の一生を左右する問題だ。彼の場合には、明らかに歌を唄って大人になったのだ。唄うことで自分を見つけたのだ、ということを率直に伝えようとしているのだと思われる。

だから、他の歌い手と明らかに違う点は、唄うことが生活の重要な部分になっているということにある。

この本には、彼の最初の仕事が文選工であったと書いてある。印刷の活字を拾う文選工の仕事自体は、面白く、仲間との協働もうまくいったらしいが、それでも彼が自分を見つけたのは、歌を唄ってからであると思われる。

生活とはなにか、ということをよく考えさせられるが、わたしの場合、高田渡的な解釈が最も合っているように思われる。彼が山之口獏の「生活の柄」に曲をつけたものだが、口をついてつい出てしまうほどの、厳しいがしかしロマンチックな特徴を持った生活というものの「描写」だと思う。

歩き疲れては 夜空と陸との
隙間にもぐり込んで
草に埋もれては寝たのです
所かまわず寝たのです
歩き疲れては 草に埋もれては寝たのです
歩き疲れ 寝たのですが 眠れないのです

近ごろは眠れない 陸をひいては眠れない
夜空の下では 眠れない
ゆり起こされては 眠れない
歩き疲れては 草に埋もれては寝たのです
歩き疲れ 寝たのですが 眠れないのです

(後略)

歩き疲れること、そして、夜空と陸との隙間にあって、寝たり眠れなかったりすること。これが生活だ。この夜空というのが、とてもいいんだな。夜空だから、陸との隙間ということに、意味があるんだな。

2007/12/13

古楽器はなぜ復活されるのか

渋谷で年末だと思えるのは、やはりなんといっても、「救世軍」の社会鍋が出たときだ。大太鼓にチューバで、わざと調子をはずしたと思える「諸人こぞりて・・・」を唱っていて、周りのせかせかした雰囲気と異なる空間を作り出すときだ。

きょうも、中年の女性のかたが声を張り上げていた。グレイの帽子とフェルトの制服が、以前はみすぼらしさを反映しているように思えたが、きょうじっくりと見ると、たいへん暖かくみえて、時代が変わったのかという感じだった。

妻がバッハ・コンサートの券を持ってきた。珍しい楽器でチェロ組曲を演奏すると言うので興味深々で、久しぶりの音楽会に出かける。

寺神戸亮演奏による「バッハ無伴奏チェロ組曲4番と6番」である。この6番はバッハによって、「5弦」でと指定されていて、古楽器ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラで演奏するという演奏会なのだ。

この楽器は、演奏会の説明書によれば、「肩のヴィオロンチェロ」と呼ばれ、肩で水平に構えて演奏される。ビオラとチェロの中間的な大きさで、音もバイオリン族の低音部を受け持つ楽器だということである。

なぜこのような中間的な古い楽器を、現代において演奏するのだろうか。もちろん、奏者の寺神戸さんはその魅力をたっぷりと示してくださったから、感覚的にはわかる。けれども、聞いていて、なるほどと思ったのは、組曲6番の解釈がまるで異なるのだ。

チェロで弾く時には、ろうろうと、という感じなのだが、ヴィオロンチェロの場合には、ころころころ(ちょっと違うかもしれないが)という感じで、細かい感じがするのだ。

何が言いたいのかというと、おそらくヴィオロンチェロが廃れて、チェロが残ったということに現代的な意味があるということだ。曲の原型は、ヴィオロンチェロの表現するほうにあったのだが、チェロが発達するにしたがって、低音部でろうろうと弾くような、カザルス・タイプの奏法が生き残ってきたのではないだろうか。

古楽器はなぜ復活されるのか、ということの意味が、ここにあると思われる。つまり、元のかたちを復元して、比較し、どのように変わったのかを反省する材料を与えてくれるからである。

と言って、帰りの宇田川町を歩いたら、妻が怪訝そうな顔をしていた。お腹が空いたので、子どもたちが生まれる前にはよく入った台湾料理の「麗郷」で、これも久しぶりの「腸詰」をとって、特有の太い麺の「焼きソバ」をつっついた。

昔はこれに「蜆(しじみ)」をとって、時間をじっくり掛けて、話をしつつ料理を食べたものである。きょうも、団体客がこの「蜆」の山ほど盛り付けられた大皿をとっていた。

2007/05/27

ダンス

The Dancing

土曜の夜 アダムスミス・ホールでは
全てのカップルが ダンスマスターの合図で動きます
今夜に限って 彼らは順調で 心配事もないのです
ただ ダンスするだけ ダンスだけの今夜なのです

    月曜の朝になると あまりに早く来てしまうのです
    リンネル工場の音 織機のビート
    でも今夜だけは バンドがロマンティックな音楽を聞かせてくれるのです
    だから ただダンスするだけ ダンスだけの今夜なのです

彼女のパートナーは完璧で、あまりに軽やかなのです 
ダンスの足裁きはまちがいません
たぶん彼らは 古い教会のそばか ハンター通りで会うでしょう
星の下 家に向かって歩いています

カーコーディの堤防のそばに 遅くなって戻ると
海が大きく 空が高くなって
2人の運命なんて まったく問題じゃなくなります
4分の3拍子で ワルツを踊るだけなのです

Song by June Tabor
Andy Shanks, Jim Russell

*先日紹介したジューン・テイバーの「ダンス」という曲が、
素晴らしい(immense)ので訳してみました。音楽のほうを
伝えられないのは残念ですが・・・。

アダム・スミスが生まれ、『国富論』を書きに戻った町
カーコーディ、ちょっと洒落た街の雰囲気が出ていれ
ば良いな、と思います。

スコットランドの街の「土曜の夜のダンス」というのは、
想像するだけでも、海岸で覚まさないと眠れない雰囲気
を持っていると思います。

残念ながら、明らかな「著作権違反」なので、期間限定で
すね。素敵な曲なのにな。

2007/04/27

ジーン・ティバーについて

先日、J.Taborの映像を見た。25年来、ずっと聴き続けている歌手である。この欄でも、ずっと以前に取り上げたことがある。

ところが、その映像のなかで司会者がジーン・ティバーと発音していた。わたしは、はじめから、ずっとジューン・テイバーと呼んできていた。どちらが原語に近いのだろうか、知っている人がいたらお教えください。

大きな仕事を終わらせるたびに、彼女のCDアルバムを買うことにしていた。今回は、4枚組みの完全版を予定し、楽しみにしていた。ところが、4月になっていざ購入しようとしたら、すでに売り切れだという。2004年に、BBCの「Folk Singer Of The Year」賞を採ったので、そのせいかもしれない

仕方がないので、最新版のアルバム・タイトル「Apples」を買うことにする。第1曲目「The Dancing」からとても好ましい。

メロディもさることながら、歌詞の一行目に「Adam Smith Hall」が盛り込まれており、最後には、アダム・スミスの故郷スコットランドのカーコーディが出て来る。あまりの偶然のできごとでびっくりしている。

きっと、仕事成就のお祝いの声が、届いたに相違ない。カーコーディの駅を降りると、町の博物館があり、そこにアダム・スミスの国富論初版などが飾れていた。繁華街まで、坂を下っていく。この途中に、洒落た建物があったから、今回の歌詞で詠われているダンス・ホールがあっても不思議はない。

アダム・スミスの生家に面して、商店街が長く続いていて、小さな町にもかかわらず賑わっていたのを覚えている。その家の横から海岸まで続いている「アダム・スミスの小路」を辿ったのだが、それは講義ビデオでも使ったような気がする。あれからすでに、10年が経ってしまったとは、到底思えないのが実感である。

より以前の記事一覧

『貨幣・勤労・代理人』(経済文明論)

  • “「貨幣・勤労・代理人」"

社会経営研究配布中

  • 2015study

社会経営ジャーナル配布中

  • 2015journal

開いている講義    「社会的協力論」

  • cooperation

「音を追究する」第13回・第14回

  • art

「多様なキャリアを考える」第2回・第3回・第4回

  • cooperation

「グローバル化と私たちの社会」第11回

  • cooperation
2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ

Recommend

プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。