カテゴリー「趣味」の投稿

2017/01/24

フランク・ロイド・ライトの椅子と建物を見に行く

P1016912 池袋へ出る用事があったので、以前からずっと行ってみたかったフランク・ロイド・ライト設計の自由学園「明日館」へ寄ることにする。駅から10分くらい歩いた、ちょっと入り込んだ住宅街に位置している。

 

P1016916_2 じつは、2、3歳の頃、ということは幼稚園就学以前ということになり、ほんとうに記憶が定かであったのかというところもあるのだが、ここから歩くことができる距離にある西武線椎名町の北側に住んだことがあった。父が当時下町にあった高校の教師を勤めていて、この近くの分譲アパートに住んで、通っていたのだ。空き地に草むらが広がり、まだトカゲなどが出る場所のあった頃だ。さすがに池袋近辺なので、すでに田園風景はなかったけれども、まだ利用されない空き地は存在していた。

 

P1016917 裏道をぐるっと回って、立教大学を通って、学大付属豊島小学校裏に出ると、すぐ池袋駅だった。それで、父が教師だったこともあって、お金があったら、自由学園へ入れたかったなどと言うこともあったのだ。P1016937 母は、映画が好きで、アパートの1階に住んでいた友人と一緒に、わたしを連れて、目白にあった映画館に通っていたから、その帰りの散歩でもきっと、この明日館の前を通ったりしていたことだろう。

 

P1016908 正面の広場へ出る前に、左に「婦人之友」社が見え、右に曲がると、「明日館」が見えてくる。第1印象は、正面ホールとそれから左右にシンメトリーに広がる講義室群だ。P1016926 何しろ、横に両翼を伸ばした大きな鳥のような屋根を持つ低層の建物群があり、その前に大きくゆったりとした何もない空間が存在していて、一つの宇宙を構成しているようだった。遠くに見える池袋のビル群が近代的であるのに対して、こちらの空間は非近代的な空間を実現している。

 

P1016911 門が二つあって、右の見学受付の前には、2時から始まるガイドツアーを待っている人々が集まってきている。前もって、写真だけでも取っておいて、ガイドツアーはゆっくり聞くことにする。P1016953 けれども、結局はガイドで詳細に紹介されると見所が変わってきて、ツアーの後に写真をとることになったところも出てきてしまったのだ。とくに印象に残ったのは、菱形のステンドグラス風の窓のある正面ホールということになるだろうが、ところが一旦中に入って観ると、ホールの裏にある食堂の素晴らしさがじわりじわりわかってくるのだった。

 

P1016938 なぜそうなのかと言えば、これはわたし特有のテイストなのだが、やはり「椅子」との調合具合いが良いという点に尽きる。ホールにある菱形の背板をもった、学校椅子も洒落ているが、ここの食堂椅子も赤いアクセントが効いていて、テーブルと調和している。100脚くらい制作するというので、木材の幅を揃えて、大量生産に備えたそうだ。さらにこれらと、大谷石の暖炉がある食堂との整合性が取れている。ことに木製の照明器具が凝っている。P1016966 「有機的建築」というフランク・ロイド・ライトの標語が響いてくるようだ。ライトの言葉を直接引用すると、「椅子はそれが置かれ使われている建物に合わせて、デザインされなければならない。P1016932 有機的建築では椅子は機械器具のように見えてはならず、建物がつくり出す環境の優雅な一員として見えなければならない」と述べている。

 

P1016956 椅子が並んでいて、昔の椅子より現在の椅子は、一回り大きい。体格が違ってきたということらしい。この菱形の背板椅子は、制作者不明ということだが、明らかにこのデザインは「フランク・ロイド・ライト」を意識したデザインであることは間違いない。食堂椅子は、弟子であり、この食堂を改造した遠藤新の設計になるものらしい。当初、この食堂には、東側、西側と北側にベランダがあり、下から上までの大きなガラス扉があったのだというのだ。P1016984 ほんとうのところ、光がいっぱい入る、その食堂を見たかった。現在は、ベランダは食堂と合体されて、三つの小部屋として繋がっている。これで、60名程度の食堂が、さらに数十人規模膨れ上がって使えることになったのだそうだ。

 

P1016973 これらの建物群を見ていると、その昔、この地域には「池袋モンンパルナス」が展開して、松本竣介、靉光などの住んだ画家村があったし、戦後になると、漫画家たちの「トキワ荘」などがあったのだから、P1016944 もし時代が一致していたならば、上野と並んで、芸術文化の集積地となった可能性もあったのではないか、と思いを馳せたのだった。P1016989 P1016990 P1016972 P1016978 P1016943 P1016987 P1016952 P1016948 P1016925 P1016920 P1016963

2016/10/20

話し合うこと

話し合うこと

話し合いはきっと

話し合うためにあるのだ

酸っぱいりんごが口に入ってきて

味が後までずっと残るように

後悔しないためにも

話し合いの対立は後々までの協調に

きっかりと刻まれたほうがよいのだ

どうしてこうなったのかね

エレベーターにつながる地下通路で

話しかけられた

話し合いの問題は最初見えなかった

見えなくて当然だった

そして、静かに静かに、

それらは始まったのだった

急激に対立が高まる予感はあった

テーマの中に内在していた

けれど、誰もがその裂け目を

発見する機会を見ているとは

思えなかったのだ

一番先にそのことに気づいたのは

ほんとうのところ、誰でもなかったのだった

でも、その裂け目がみんなを

呼び込んだことは確かだ

葉脈がすべての筋を結びつけているように

葉のすべてを覆っているかのように見えたとしても

葉脈がどのような作用を及ぼしているのかが

わからなかっただけだ

そしてただ発見すべき問題が

存在するとは思わなかったのだった

裂け目は葉脈に沿って現れたのではなく、

これを切り裂いて表に出てきたのだった

きっと大丈夫ですよ、と

話し合いを聞いていたミューズはささやく

明るい廊下には陽が差し込んで

温室のような気分がよみがえってくる

さっきまでの凍りつく会議場とは

正反対だ

さっきはどうもと

通り過ぎる友人もいる

最終決定寸前になって

意見を変えてくれた友人もいる

次の決定まで付き合うよ

と言ってくれる友人もいる

どうしてこうなったのかね

という言葉が最後まで残る

話し合いはきっと

話し合うためだけにあるのだ

酸っぱいりんごが口に入ってきて

味が後までずっと残るように

2016/10/16

編むということ(クラフト・ピクニックにて)

編むということ

編むのは、人の手だけれど

編まれるのは、糸や縄だ

そして、編みこまれるのは人びとのイメージ

クラフト・ピクニックで

座編みを教わることになった

都会で育った柔な手に荒い縄が操れるのだろうか

と思いながら、駅から走って会場へ向かった

去年は木製の椅子を作った

今年は座編みの椅子を作ることになった

先生のY氏は自然の荒々しさを

椅子のイメージに持ち込む人だ

憧れの荒々しさを取り込もうと、

今日も座編みテントには人がいっぱいだ

編むのは力だと考えると不幸だ

編むのは優しさだと考えると幸せだ

たわみは簡単に修正できるのだから、

編み方は多様で荒々しくて良いのだ

編むのは、人の手だけれど

編まれるのは、糸や縄だ

そして、編みこまれるのは人びとのイメージ

男は締めすぎて、座面を硬くしてしまう

女は柔らかすぎて、座面を凸凹にしてしまう

編むことは個人ごとに、異なって良いのだ

一列編むと、一列だけ個性が出るものなのだ

隣で編んだ男性は生まれながら

器用な人だった

東京で喫茶店をやっていたが、

松本へ移って、店を開くのだ

革の鞄が素敵で、これも自分で造ったのだ

縦に一列編んで、横に二列編む

縦に一列編んで、横に一列編む

縦に一列編んで、横に二列編む

縦に一列編んで、横に一列編む

手順が交錯して、イメージを混乱させる

編むのは、人の手だけれど

編まれるのは、糸や縄だ

結局、編みこまれるのは人びとのイメージ

真剣に編んだ人には、綺麗な網目が

よそ見して編んだ人には、不揃いの網目が

座る凹みがまっすぐに揃ってないのは素人だ

日頃使ってない手が

明日になるとこうなりますよ、と

Y氏の奥様が仕草を示し

たしかに、こうなった

Y氏の手のひらが日差しに暖かい

赤みを帯びてすべすべしている

職人の手はごつごつして当たり前だと

思うとそれは間違いだ

編むことは手仕事だ

手仕事は人びとの血液を還流させるのだ

編むことは紐の問題だと

思うとそれは間違いだ

編む手と編む手の交錯の問題なのだ

編むのは、人の手だけれど

編まれるのは、糸や縄だ

そして、編みこまれるのは人びとのイメージ

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2014/10/11

木のうつわ展をみる

茗荷谷にある放送大学は、公園のような雰囲気のなかにあって、もしここに喫茶店が併設されていたならば、場所が良いだけに、きっと評判になると思われる。ちょうど1階の一等地に相当なスペースがあるので、ほんとうに勿体ないと思う。建物の内側が駄目ならば、門から玄関に至る所にも、かなりのスペースがあり、ここに平屋の建物を建ててでも進出したいという、コーヒー屋さんはかなりあると思われる。

そんな予感を感じさせるような、ショールームが門の真ん前にあって、通常はキッチンのショールームなのだが、ときどき喫茶店付きの展示会が行われていて、すてきな空間を提供している。大学院のゼミがM1だけになってしまったので、かなり時間を残して終了した。そこで、この展示会M氏の「木のうつわ展」を見学させていただいた。

M氏が今回の展示に至った理由に興味を持った。もちろん、「木のうつわ」展として、作品を出しているのだから、「木のうつわ」のデザインや技術をみてほしいという意図は十分に理解したのだが、それ以上に、やはりクラフトを超えて、もうすこし異なる技術を強調したいという意図が溢れているような気がした。

第1に、ビデオで制作過程を映していて、原材料の調達に特別な方法を持っていることを強調していた。ここで興味深かったのは、カラマツなどの間伐材などを集めれば、木の国である日本では、かなり材料費を節減できるのだ、ということを写していて、面白かった。そして、さらには原材料を集めるだけではなく、木工では木を乾かすことに時間がかかることも、面白い点だと思われた。つまり、木工では、お金よりも時間が重要だ。

第2に、クラフトなのに、M氏の場合には機械技術が、キーポイントになっていることが、話していて、わかったことだ。これは通常のクラフトのイメージとはちょっと異なるものだった。M氏には木工の師匠がいて、木地を薄く加工する技術を編み出した、中心人物らしいのだ。書籍も会場にあって、説明も十分にしてくださったのだ。機械を扱うことにかなり長けていることが、話を聞いていてわかったのだった。

第3に、M氏の作品が、いろいろな方面と結びついているのを感じた。まずは、このような展覧会が成立するまでには、かなりの人脈が必要であった。また、奥さんも陶芸家であって、木工と陶工とが、互いに共作できることも、ネットワークの一環らしい。このように見ていくと、ますます、職人・工人の世界というものに、疑問と同時に、多くの魅力を感じてしまうのだった。これは、何とかせねばならないが、どのようにしたら良いだろうか。

2014/04/20

鎌倉駅の西側のほうを歩く

Img_5323春に誘われて、午後から鎌倉へ妻と出る。天気が下り坂なので、もうちょっと気温が上がることを期待したのだが、まだまだセーターの要る春の日。歩いていても寒いという午後だ。京急の新逗子からJR逗子へ出て、鎌倉へといういつもの経路を辿った。鎌倉駅を東口へ降りると、今日のように、春の日曜日には人出が多い。多過ぎる。そこで、今日は西口へ出て、江の電で由比ケ浜へ直行する。鎌倉文学館で、「小津安二郎」展が開かれている。


春の夜 ふと おるごおる 鳴りいだす  小津安二郎


Img_5376まだ、夜にはほど遠い時間だったけれども、鎌倉文学館へ至るには、木陰の並木道が続いていて、その先に、昼であっても夜の異郷へ迷い込むようなトンネルがある。この「ふと」というのは、心理的には春の夜に思う人の「ふと」であるのだが、「おるごおる」にかかると思う人の環境にかかってくる。両者をつないで、微妙である。

Img_5336_2かつての海岸線からの急な丘を登っていく。別荘というより、やはり「別邸」という雰囲気の場所である。前田家、佐藤家が使って来た別邸である。ちょっと来て泊まるのではなく、ずっと数ヶ月住み続ける邸宅としての趣を持っている。ひとつの谷を全部占めていて、庭が十分に取ってあり、なおかつ、料理室や客間が充実している。そして、客を迎えるための、とりわけ邸宅としての玄関が素晴らしい。

Img_5340今回はここに、小津安二郎の「小津日記」が44冊展示されている。ちょうど生誕110年で、没後50年ということで、日記は大正10年(1921年)から昭和36年(1961年)までのものが展示されていた。小津が初めて映画を見たのが、三重県松阪で10歳のとき。14歳にして、すでに映画監督になることを志望し、24歳で第1作を撮っている。生涯独身であったが、それは「日記」形式にマッチするものだったと、小津の場合にはいえるのではないだろうか。

Img_5352小学校時代の作文が展示されていて、「擬人法」を練習したものだった。友人の鉛筆になったつもりで、作文を行っている。日記には、独身者であっても、人格を複数化する効用があり、彼には文字との対話が必要だったに違いない。

Img_5361文字との対話を行っていたという証拠として、日記帳を複数持っており、小さな携帯用の日記から、ときどき、厚い日記帳へ書き写し、その際、書替えているのだ。自分の行動や他者の行動を、書き直すことで振り返っている。独身者であれば、そのような時間に困らないはずだ。もちろん、恋人との関係はあったはずだが。


Img_5338モノとの対話も楽しんでいた風がある。展示では、「小津好み」ということで、赤漆の文机、万年筆、陶硯、火鉢、パイプ、湯のみ、万祝の半纏、ベンソン懐中時計、チェックのマフラー、足袋などなど。いかにも、監督が好みそうなモノが集められていた。

Img_5378とくに、映画の中でしばしば登場していた、と妻はいうのだが、「民芸調の電気スタンド」は、時代の特徴が出ていた。傘の部分が八角形の木製で出来ているものだ。現代のようなLEDの時代には、なかなかこのような形の電気スタンドは作られることが無くなってしまった。「電球」という形式が在ったからこそ作られる電気スタンドの形式というものがあったのだ、ということを改めて気づかされる。

Img_5335庭へ出て、芝生の庭園を下って、バラ園へ出る。もうしばらくしたら、このバラ園目当ての観光客で、ここもいっぱいになることだろう。この庭園には、文学館であることから、鎌倉にまつわる俳句や短歌の燈台がたくさん設置されている。芭蕉や漱石の俳句も良いが、万葉集や実朝の歌もかなりのものだ。わたしは漱石を取ったが、妻は実朝を取った。

鎌倉は 生きて出にけん 初松魚    芭蕉


冷やかな 鐘をつきけり 円覚寺    漱石

鎌倉の 見越の崎の 岩崩の

   君が悔ゆべき 心は持たじ   万葉集


大海の 磯もとどろに よする波

  われてくだけて さけて散るかも  実朝

Img_5381鎌倉文学館の坂道を下って、大通りへ出たところに、鯛焼きの店があった。食べながら、駅へ歩こうということになる。笹目から六地蔵を経て、御成通りへ入る途中には、
Img_5384老舗の鎌倉彫の店や、かまぼこの店、絵本やブックカフェが並んでいて、ウィンドウショッピング
Img_5389を楽しませてくれる。古い銀行あとを再利用した店などもあって、散歩に最適な道になっている。自動車で渋滞している道路を尻目にして、Kという、芸術雑誌・書籍の雑多に置かれている古書店に入る。ぱっと目に入って来た不遇の英国人の詩集の一行目に、つぎの句が刻まれていた。


「美しきものはとこしへによろこびなり、

そのうるわしさはいや増し、そはつねに

失せ果つることあらじ・・・」


これから始まる叙事詩の出だしとしては、最高の出だしだと思う。今日の最後のコーヒーの代わりに、この句で満足することにして、帰りの横須賀線へ乗った。

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2008/04/05

観桜会

080401_122201 急に暖かくなったせいで、桜の散り始めるのが突然速くなった。こんなに風もないのに、ちらほらと一生懸命に散り行く季節というのも、最近には珍しい。昨日までは、弘明寺の桜並木も満開を誇っていたのだが、きょうは花びらの舞う美しさに変わってきている。

きょうは神奈川学習センターの「入学者の集い」があり、新入生の10分の1ほどが来て、オリエンテーションなどが行われた。季節の変わり目に、気持ちを改めて大学生活を出発させる気分というのは、たいへん清々しいものだと思う。もちろん、儀式や儀礼も重要だが、精神的に考えても衛生上好ましいと思われる。

こころなしか、学生たちの同好会も華やかだ。H会のマークが新たにつけられていて、ブルーの色彩が新鮮な感じだった。やはり、会のシンボルは必要だと思う。また、神奈川学習センター独自の合唱団も張り切っていて、生の歌声は新入生を元気付けたことだろう。

080403_094201_2先生方も歳を取るにしたがって(失礼、所長を抜かせば、わたしが一番年上なのだが)、挨拶の話が長くなり、式の時間も超過してしまっていた。その後、式に続いて、二つの会合があり、最初から忙しい一年の始まりとなった。

心配していたサポーター制度も、何とかまずは始めてみよう、ということで、学生の方々が出発してくださった。どこまでできるかはわからないが、その辺はみんな楽観主義らしいので、何とかやってくださるだろうと信じている。こちらも、十分なバックアップをしていこうと思っている。

夜は、恒例となりつつある「A先生を偲ぶ会」ということで、昨年に続いて、綾瀬で観桜会が催され、続いて直ちに、花より団子の会へ移った。Nさん、Aさんを中心にして、I先生、T先生、Y先生が集まり、駅から桜の公園へ行く途中にある「鳥文」で、雑談に花を咲かせた。

ほとんどは、たわいのない雑談だったが、どのくらいそこから逸脱できるのかをみんな狙っているのだ。名古屋料理やロンドン料理の話などは、きわめて無難なほうで、突然20年以上前の思い出が出てきたり、世界の果てでの鷹狩りの話が出てきたり、今年も途方もない話を楽しんだ。最後のコーヒーは、駅前の「M」にて、カフェオレを大きなマグカップでいただいて、帰路についた。

2007/10/10

バラの国際市場

今日は教授会が開かれる日である。6階の社会と経済のカンファレンス室へ行くと、Y先生が毎月この部屋へ送り届けてくださっている切花の包みがちょうど着いたところだった。

今月はどのような花かな。Aさんがダンボールの箱を開くと、まだつぼみの状態のバラが1ダースほど入っていた。花瓶に入れて、しばらくすると、遠慮がちに、そのつぼみが次第に開いてきた。

今ちょうど、この大学がある幕張で、バラの国際見本市が開かれているらしい。今朝のテレビ報道によると、バラの国際取引はこのところ年々盛んになってきていて、国産のバラは安価な国際市場に、かなり押されているようだ。

主として、アフリカで栽培されたバラは、ヨーロッパ市場へ出荷され、南米で作られたものは、米国市場へ送り出されるという流通が出来上がっている。ところが、これらアフリカや南米の余剰バラが、日本市場目指して、怒涛のごとく押し寄せてきているのだ。

この話は、戦前のコーヒー豆に関する国際市場の話とまったく同じである。こんど市立図書館でお話させていただくことに、かなり関係していてたいへん興味深い。世界的な交易は、嗜好品から始まったということは、常識であるが、さらに現代においてもまだまだ、このような嗜好品の普及モデルは、品を代え場所を代えて、世界を飛び回っているのだ。

夏の納涼会が台風で延期になっていたので、教授会のあと、秋の「星と音楽の夕べ」が開かれた。恒例の職員バンドが演奏をがんがんくりひろげ、元気あるところを示していた。異動で他の職場へ移った元職員の人も加わって、夜の夢を演出した。バラが満開になったような気分だった。

2007/08/24

明治時代の統計

Zaimu 財務省の貿易統計閲覧室へ行ってきた。

財務省の本館3階から合同庁舎4号館へ通ずる通路を行くか、それとも、直接合同庁舎4号館の2階へ行く。単に、統計を見るだけなのだが、身分証明書を提示し訪問先確認を行わなければならない。面倒だが、重厚な建物と、日本の予算執行の中枢を見学するための手間だと考えれば、すこしは気分は和らぐかもしれない。

閲覧室のドアを開けて入ると、その様変わりにびっくりした。

大学院生時代にアルバイトで貿易統計を操らなければならなくなって、数日間ここへ通ったことがある。当時は、輸出入の速報値を得るにも、直接ここへ足を運ばなければならない時代があったのだ。

そこで、証券会社、新聞社、放送局などなど、ビジネスに関係した機関が毎日押し寄せていたのだ。行列をしていて、並んで順番を待たなければ、統計表を手にできなかった。

いまでは、インターネットに数年間分の詳細な数値が載っているので、ここへ来なくとも見ることができる。だから、閲覧室には、係りの方がひとりぽつんといるだけで、コピーをとる必要があるときに限って、コピーの係が駆けつけてくる。

じつは貿易統計というのは、日本でももっとも歴史のある統計で、すでに江戸の末慶応年間からとられているのだ。したがって、特色ある商品の輸出入を追うことによって、日本経済の推移を知ることができ、たいへん便利な資料なのだ。明治や大正、昭和初期の経済を考えるときに、ときどき利用している。

もちろん、国会図書館へ行くという方法もあるが、夏休みでたぶん相当混んでいるだろうと思い、こちらの閲覧室を、昔のよしみで選んだ次第だ。

空いているという点ではここへ来て正解だったが、マイクロフィッシュの状態が悪く、ところどころ脱落がある。利用されているうちに劣化したのだろうか。はたまた、当初からの資料収集状態が悪かったのだろうか。

それでも、古い資料の場合には、この程度の脱落は我慢しなければならないだろう。原本の状態の悪さはどうしようもない。当然、このように古ければ活字も潰れているので、注意が必要だ。表に書き入れるときには、縦横の数値と総計を確認しながら、行わなければならない。昔を思い出すなあ。

統計は、このような一般的なところから、自分の関心のあるところへ変換するときに、表情を変えるのだが、その一瞬が楽しい。今日も、その瞬間がぱっと現れたのだ。(中身については、11月に横浜市立中央図書館で行われる横浜市「リレー講座」でお話しする予定である。)

ひとりもいない閲覧室で、特権を行使していたら、夕方になって仙台からわざわざ統計をコピーに来た御仁がいて、どうしても今日帰らなければならないという。マイクロフィッシュのコピー機械は1台しかないのだ。

じつはわたしも午前中から潰れた活字を再三見ていたので、すっかり疲れてきたところだった。今日の時間をやりくりしてきた、などとゴネルことはせずに、快く譲った次第である。

Kokkai 財務省3階には、UCC珈琲が入っていたので、帰りの一杯はここのアメリカンを。国会議事堂を臨みながら飲むことにした。統計資料を確認しながら、しばし明治、大正時代の雰囲気を楽しんだ。

2007/07/26

見せびらかしと張り合い

見せびらかしと張り合いの世界として、京都の「お茶屋遊び」は面白い題材だと思う。

映画「舞妓haaaan!」は興味深いところを狙っていて目の付け所が良いと思った。現代にあって、庶民的な見栄の世界はたくさん見ることができるが、いずれも日常の小さな見栄ばかりで、見せびらかしに値するものは、今日非常に少なくなってきているように思う。

そのような現代にあって、「お茶屋遊び」のなかには、古く懐かしく伝統的な見せびらかしと張り合いがまだ生き残っている、という視点は素晴らしいと思う。

その習慣が映画のなかでは、面白おかしく描かれている。とくに、力が入っていて、理解されるのに時間がかかっているのが、「一見さん、お断り」という風習である。

上手く遊ぶには、「信用」が重要であり、一見さんには遊ぶだけの信用がないと言い切っている。遊びにルールがあるという考え方が、「お茶屋遊び」にはとりわけ効いているように思える。

この信用を可視化して表したのが、お茶屋なのだと思われる。

けれども、この映画に没頭するまでに、いつも以上に時間がかかってしまった。この映画の始め部分の感覚には、やはり世代の差を感じてしまう。

なぜあのようなオタクの自分勝手な主人公に対して、柴咲コウ演ずる富士子が好きなのかわからない。うるさいだけの主人公が、他の人を動かして、共同作業を行うようになることに発展するのが、ほんとうにわからない筋書きなのだ。

けれども、伊東四郎の社長さん、吉行和子の置屋のお母さん、そして植木等の粋な通行人は、みていて安心する。この映画のオアシスとして楽しめるのだ。値千金の演技だったと思う。

2007/07/23

夏休みの怖い話

夏休み前になると、町内の子ども会が開かれ、休みの計画が立てられた。街ごとにひとつある小さな公民館に集まって、夏祭りの準備が進められ、ついでに子ども会の予算や組織の話し合いが行われた。

信州松本に住んでいるときに、「青山さま・ぼんぼん」という子どもが各戸を回る夏祭りがあって、青山さまが神輿を担ぐ男子の祭りで、祖先を祭るものであり、ぼんぼんは女子の祭りで、祖先を慰めるものであった。小学生1年生から6年生までが中心となって、運営されていたのが懐かしく思い出される。

このような公式的な表の祭りに付随して、重要だったのは非公式の触れ合いだったと、今にして思う。

恒例だったのは、「怪談」である。お岩さんや、皿屋敷の「一枚、二枚・・・」は子ども会の教養の重要な項目であった。ちょうど小学校の校門交差点に文房具屋があって、そのよこに墓へ通ずる道があり、墓のなかを通って、カキ氷屋さんの裏へ抜けるのが通学路であった。

水色の矢車草が咲き乱れる墓場で、伝説を作り出すには格好の場所だった。河童についてはまた出てくることもあろうが、やはりお化けは子ども会の面々にとってはかなり怖い存在だった。

昨日、娘が下宿を引き上げる際に、当時を思い出すような、怖い話を持ってきた。じつは、娘が下宿に出るときに、お餞別として紺の水玉模様の傘を送っていた。それを飲み会があったときに、紛失してしまったらしい。

かなり気に入っていた傘なので、帰りの道々、駅に問い合わせたり、友人に携帯電話で照会しながら、下宿へ帰ってきたのだという。そのときの声が誰かに聞かれたのかもしれない、と後で言う。

酔っ払ってしまっていたので、ロフトに上がりこんでそのまま眠り込んでしまったらしい。ガチャという音で目覚めた。戸締りを忘れたのだ。これはマズイと思って、携帯で110を打ち込んで身構えたのだそうだ。

ところが、そのあとコトっと再び音がしてからは、まったく人気がなくなり静かになったらしい。あわてて鍵を閉めて、朝までぐっすり(ふつうは眠れないと思うが)眠ったそうである。

しばらく日にちがたって、玄関に見慣れない傘が立てられているのに気づいたということだ。友人が1週間前に来ていたので、置き忘れたのだと考えていたらしい。けれども、聞いてみたが、そんなことはないと言う。

それ以外には、他の人が下宿に上がっていないので、「ガチャ、コト」のときしかないのだと思い当たったのだという。これは、すごく怖い話かもしれない。

まともに考えれば、誰かが部屋を間違えて入ってきてしまい、途中で気がつき、あわてて外へ出て、傘を忘れていったということではないだろうか。

けれども、子ども会では、このような話を脚色して、いかに怖い話にするのかが競われるのだ。そういえば、6年生のお姉さんにとびっきり、こんな話のうまい人がいたな。

『貨幣・勤労・代理人』(経済文明論)

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。