カテゴリー「旅行・地域」の投稿

2019/03/20

Bench 89−対話ベンチ・鼎談ベンチ・座談ベンチなどの会談ベンチの発展を動物公園のベンチにみた

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春カフェの「あをや」では、O氏が着く前だったのでお先にちょっとと思い、散歩して乾いた喉をドイツ・ビールの小瓶で潤す。すでに2階は子連れの予約客でいっぱいで、1階の席もすぐに埋まってしまった。「あをや」の奥様は髪を、春めいたショートカットにしていて、忙しい仕事の合間にも雑談に付き合ってくださった。若いのに似合わず、いつまで生きられるのか、と謎をかけてきたりした。O氏とのランチ。ポタージュ・スープを頼み、春色コッペ・フランスコッペ・オムレツサンドをシェアする。ブロコリーの自然な香りと、りんご蜂蜜の甘酸っぱさが、口から鼻へ抜けていき、パンのもちもち感が持続して、これらの感覚を支えてくれた。

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「夢見ヶ崎動物公園で花見をしよう」と提案すると、O氏はすぐに桜の開花情報を聞いてくださった。「未だだ」という返事だったが、何か咲いているだろうと、歩き始めることにする。それで、ベンチ探索が始まったのだ。夢見ヶ崎動物公園には、現在流行りの「マーケット・サウンディング」が実施されていて、顧客動向に敏感な制度が取り入れられつつある。もちろん、緊縮財政のもとでの努力という側面もあるのだが、業者からの提案の動機付けは必要だと思われる。制度が流行に流されなければ良い結果が期待できるだろう。このような努力結果が少なからず、この動物公園には歴史的に蓄積されてきている。

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動物園の檻が並ぶメーンストリートのベンチは入れ替えがかなりあり、ベンチの変遷を博物館展示のごとく追っていくことができる。当然ながら、今回は動物展示よりもベンチ展示を追ってしまったのだ。この動物公園がどのようにベンチを考えてきたのか、業者がどのように考えてベンチを設置してきたのかが、展覧会場のごとく陳列されている。O氏と来ると、前回の本門寺のベンチ巡り同様なのだが、なぜか決定的なベンチ認識の転回が起こるのだ。今回は、O氏が「社交」の専門家であったので、社会における2者関係から3者関係がなぜ生ずるのか、という雑談話からの刺激があったからだと後から思ったのだった。(O氏のブログはこちらから

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まず、動物公園の裏にある事務所辺りに注目した。この近くには、旧い時代の最もシンプルなベンチが保存されている。この木製2本座面ベンチは、感動するほどにベンチの最小限の機能を実現している。まず当たり前だが、2人掛け以上を実現している。座面の2本の間が空いていて、身体を支える坐骨が直接座面に当たることを避けているなどの基本が最低限満たされている。さらに、事務所の前には、金属製の簡易ベンチが置かれていて、かつてはこれらがメーンストリートに置かれていたのだな、と想像させられるのだ。これらが、おそらく初期の夢見ヶ崎動物公園のベンチ群を構成していたものだと思われる。

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今回注目したのは、動物公園という場所の特色がどのようにベンチに反映されているのか、ということである。ここがじつに、今回途轍もないとわたしには思われるほどの、思考の発展をもたらしたのだった。ヒントは、動物公園では家族連れが多いという点だった。ベンチは通常、2者関係を想定している。3人掛けのベンチもあるがこれだと真ん中の人が媒介して、結局は2者関係が二組作られるだけになる。だから、ベンチの標準形は2人掛けであるといえる。つまり、カップル的社交は、「対話(対談)」でダイアローグを構成している。ベンチは二人が親密な話をするイメージで作られている。パーク・ベンチの正統はやはり2人掛けのベンチが圧倒しているのだ。

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ところが、ここは動物公園なので、多くは家族連れで3人用以上、できれば横一列ではない形式が求められたのだった。その結果、3人以上用のベンチが発達することになった。「鼎談」形式でトリアローグ型ベンチ、あるいは4人以上用の「会談」型、「座談」型ベンチなどが、2人掛けベンチを圧倒する勢いで設置されたのが、ここの夢見ヶ崎動物公園だったのだ。もちろん、会談ミーティングタイプのベンチは、特別扱いで、東屋付きの景色の良い場所に1箇所だけ設置され、東屋が雨を防いでくれるので、ベンチやテーブルも木製のしっかりしたものがつくられた。けれども、これらの需要は多かったらしく、その後テーブル付きのベンチが定着した。弁当を広げることもできるため、家族連れの動物園ベンチとして、このタイプが便利だったと言える。当然ここでは、コスト・パフォーマンスを提案する業者は出てくるわけで、弁当を広げる必要がなければどうだということで、テーブルなしの多人数用ベンチが最終的に現れることになったのだ。

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なぜ会談型(ミーティングタイプ)ベンチ、つまり2者会談ベンチから3者会談ベンチ、さらに多者座談ベンチへと、ベンチが発展したのかという具体的な変遷が、この動物公園における人数規模で説明できたことは、今回の大きな収穫であったといえる。このことは、ベンチというものの多様な柔軟性によるものだということは強調しておきたい。ベンチというものには、人数に合わせたアフォーダンスが誘発される素地が含まれているのだ。

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最後になってしまったが、この夢見ヶ崎動物公園の一番奥にある、「座談ベンチ」というのか「多者関係ベンチ」というのかをお目にかけたい。なぜベンチが社会性を誘導するのか。それは、ベンチが2者関係から3者関係を経て、多者関係へと導くところにまで、人びとの想像力を乗せる媒介項となって現れるからである。縦横4メートルほどのこの木製の巨大なベンチで、車座を作り、みんなが一緒に座り、頭上には満開に咲いた桜が枝垂れている様子を想像していただければと思った次第である。


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Bench 88−ベンチの有無で、公共性・共同性の程度がわかる

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春カフェの季節だ。パン日和「あをや」でO氏と待ち合わせたのだが、早く着きすぎたので、JR鹿島田駅と矢向駅のちょうど中間のある塚越2丁目・4丁目(川崎市)辺りを散策する。バス通り沿いに、ザ・ミレナリータワーズという名称の、かなり高層のマンション群がある。この前面に「塚越こかげ公園」があり、このベンチがあった。

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伝統的なパーク・ベンチだ。脚にヌキが入っていて、鉄パイプがまだ残っているパーク・ベンチだ。しかし横棒1本だけしか通っていないところから見ると、鉄パイプ型の後期に出たものだと考えられる。また、差別型の肘木が真ん中に立ててあるのだが、裏から見ればわかるように、後付けのものであることがわかる。古典的なパーク・ベンチが後から修正されたという、転換期のベンチであることがわかる。

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今回注目したのは、このベンチなのだが、じつはその後ろに連なるマンション群の公開空地には、公共管理となる「塚越こかげ公園」と、民間管理となる緑地の公開空地とがあることにも興味を覚えた。写真の手前が公園部分で草木の生えていない運動場のような公園が広がるのだが、その後ろに緑で竹林が鬱蒼としている部分が民間管理の公開空地だ。この後者にはベンチが設置されていないという点に気がついたのだ。市が管理する公園も、明らかにこれらマンション群ができたときに、この公開空地として提供されたと推測できるものだ。もともとは、古河鋳造や日本酸素の工場があって、それらが京浜工業地帯の衰退とともに移転して、作られた敷地だったものだ。なぜこの市の管理の公園の方にはパーク・ベンチが設置されているのに、マンション管理の方には、ベンチがないのだろうかが不思議な点だった。


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(https:// cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_pict/38/97/62/650x_38976237.jpg)

この一帯は、南武線沿線で、かつては京浜工業地帯として製造業の最も盛んな地域だった。今では、この京浜工業地帯では製造業の多くが撤退し、中京工業地帯が製造業では日本では一番であることになっている。そして、この地域も工業地帯だったものが、現在ではマンション群の集積がかなり進んでいる地域に転換してきているのだ。これほど見事に、半世紀の間に地域全体が様変わりした地域も珍しいのではないだろうか。


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この公園は平成19年(2007年)にできたという標識が出ていたので、おおよそこの地域のマンションへの転換点もこの年あたりだったのだと考えることができる。繰り返すが、問題は冒頭に掲げたベンチがなぜ公共管理ではあり得て、なぜ民間管理の公園ではベンチが設置されないかという点だ。これだけの芝生と竹林の幅のある空地なのであれば、このマンションの住民がこれらの空地で憩いすることは欲求として当然ありうるのではないかと思えるのだ。意外にベンチの管理には、難しい点があるかもしれないということかもしれない。ベンチが後から差別型に修正しているところから見ても、その可能性はある。けれども、おそらく最大の理由は、民間管理では、極力公共利用を排除する傾向があるのではないかと思われる点である。

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わたしが興味深いと感じたのは、じつはベンチはある種のリトマス試験紙の役割を持っているではないかということだ。ベンチが置かれているのは、これを受け入れる余裕のあるところで、民間管理では意外に余裕がないのだ、ということがわかった点だ。それは、ベンチが設置されているのか、設置されていないのかによって、逆にわかってしまうのだということだ。

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このような事例が他の公開空地でも同じように生じているのかはわからないのだが、公共性の発揮が部分的に行われていると、それで安心してしまい、その周りの地域では公共性の発揮が傍観者的になるという、ある種の社会心理法則が存在することはよく知られている。公園緑地についてのこのような「傍観者効果」が現れると、その地域の公園設置あるいは公共性の高い公園設備はあまり進まないことになってしまうだろう。この広大なマンション公開空地にベンチが少ないのは、その法則が効いているからだとは思いたくないのだ。

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2018/03/15

湯宿温泉への合宿に参加する

Img_1074 ヘニング・マンケルが描く「刑事ヴァランダー」シリーズの番外編に、ステファンという舌がんを患った刑事を主人公とした、佳作品がある。この「タンゴステップ」という小説では周りから周りから、物語が進んでいく構成が取られていて、なかなか核心へは入らないという方針を貫いている。この静かで、全体を横目で見ながらの展開は、好ましい物語を紡ぎだしているのだ。

 

Img_1077 たとえば、このようなエピソードが重ねられていくのだ。「以前ボローズ署にフレードルンドという老警官がいました」ステファンが話しはじめた。「固くて、融通の利かない、そのうえ仕事の遅い人でしたが、すばらしい捜査官でした。あるとき、いつになく機嫌のいいときでしたが、こういうことを言ったのです。私はいまでもはっきり憶えています。『手に明かりを持って歩くのだ。そして目の前を照らすのだ。足をどこにおくかを見るために。だがときどきは道の端のほうも照らせ。Img_1081 そうすれば、どこに足をおいてはならないかがわかる』彼がなにをはなそうとしたのか、私にははっきりわかりませんが、どこに中心があるのかを見るにはあたりを見なければならないということを言っていたのではないかと思います。いちばん重要な人物はだれか、ということを見なければならないと」「それをいまわれわれのいる状況に当てはめてみたらどうか? おれは今日話しすぎた。聞く側にまわりたい」

 

Img_1085 毎年この時期になると、昨年度と今年度との頭の中の切り替えが必要になってくる。大学という職場は、変に専門に偏っていたり、逆に専門でないところに時間が取られていたりして、上記のように、どこに中心があるのかが見失われてしまうこともよくあることだ。もちろん、頭と足と完全に引き離してしまうことはできないのだが、付かず離れずが必要になってくるのだ。ステファンのように、舌がんになると、人生が変わって周りが良く見えるようになるのだろうか。

 

Img_1079 この点で、毎年恒例となっている先生方との群馬合宿は、良い習慣となっている。半分はフォーマルな行事なのだが、公費は一切出ないことから、もう半分はインフォーマルな交流となっていて、良い習慣だと思われる。周りをみる習慣を取り戻す良い機会だと思われる。

 

Img_1056 昼に東京駅出発の「とき」を目指して、ゆっくりと家を出る。このゆったり感はやはり温泉であるということであり、また春休みにようやくはいるという季節感のせいでもある。新幹線では、定番の大和地方特産の柿の葉寿司を食べた。この甘酸っぱい味と、コンパクトな食感は、ときどき呼び起こされる感覚なのだ。

 

Img_1072 上毛高原駅では、H先生とAさんに合流する。連絡のよい猿ヶ京行きの路線バスで、30分ほどの旅程だ。H先生は、ちょうど現在NHKの「100分で名著」という番組に出演中で、わたしたちにテキストを配ってくださっていた。松本清張をめぐるエピソードが面白くて、昨日の教授会の帰りに一気に全部読んでしまった。226事件で、宮城へ入った中橋中尉の解釈がいくつかあって、謎として残っている部分の多いことがなかでも印象に残っている。

 

Img_1066 湯宿温泉では、取るものもとりあえず、まずは温泉に浸かり、まだ誰も入っていない新湯に、ぐっと身体を伸ばした。この数ヶ月の疲れとの別れを惜しんだのだった。それで急速に、血行が良くなり、すぐに空腹感をうったえ出したのだ。けれども、まずは公式行事をいくつか済ませなければならなかった。その後、ようやくにして夕食から懇親会へ入ったのだった。

 

Img_1068 ある先生は、このような会を称して、昔の左翼系の山奥合宿に喩えていたが、他の先生は、貴族趣味の温泉行楽だと言い、この温泉合宿への評価はまちまちなのだが、わたしにとっては、このインフォーマルなところに、この会の本質があるように思える。インフォーマルなところでは、日頃の凝り固まった頭もすこし解れて、複数の解釈が成り立つかのように思えてくるから不思議なのだ。Img_1058 そして、なによりも、昨年度のわたしから、来年度のわたしへの橋渡しが行われ、ちょっと後の自分が見えてくるような気持ちになるのだ。

2017/12/22

年末恒例、博士後期課程の京都合宿

Img_0588 今年も年末恒例となった博士後期課程合宿が京都で始まった。今年度の修士論文提出締切が先週あって、M2の全員の方14名が提出したと報告があった。みなさん、頑張りましたね。Img_0585 それに加えて、副査を担当する分の6名の修士論文が送付されてきたから、年末には20論文を読むことになる。修士論文の20の想念をそのまま頭の中には止めた状態で、身体だけは宙を滑るように飛んで、京都に来ている。

 

Img_0586 合宿の1日目は、4人の方が発表し合うことで約8時間くらいかかり、世界の縮図がわたしたちの頭の中に住みついたかのように思える時間だったのだ。2日目からは、経済学研究法という授業で、2名参加者で、朝9時から夜9時まで部屋をとった。3日目にはやはり朝9時から午後3時まで行った。Img_0644 とはいえ、多少途中で早めに終わらせたりしたために、合計24時間くらいの合宿となった。アイディアの世界だけで満たされた世界のあることを実感する。24時間が「浦島太郎的時間」となったのである。

 

Img_0607 2日目と3日目の授業では、文献研究だったので、それぞれ自宅での自習時間がそれに加わり、全体では、2日間だけのメニューに限れば、この自習時間を加えて、2単位分の22時間を優に超えて時間を費やしたことになる。3人だけで1室に籠って、2日間をしゃべり続けるという世界があるのだ。学生にとっては約30時間以上、わたしにとっても、かなりハードな授業だと思うのだ。Img_0608 彼らの場合自習時間とはいえ、全体で500ページを超える大著をテキストに選んでいるので、1日100ページずつ2時間かけて読んだとしても、5日かかるし、参加したS氏のように関連論文に目を通すとなると、準備だけで1週間はかかってしまうだろう。年末に行うことが妥当な授業といえよう。

 

Img_0611 今回の文献研究では、ひとつの現象を二面性でみていくという態度を改めてみようと考えた。三面あるいは場合によっては、3層構造で考えていくことを3人で行ってみたのだ。Img_0618 このように、二面構造を三面構造にするには、結局平面を立体で考えることになるので、二面の間に中間を設けたり、二面と異なるレベルをもうひとつ外に設定するなどの、これまでの考えをもう一度ひっくり返す必要が生ずることになる。

 

Img_0620 このようなたっぷりした時間の流れの中でしか試すことのできない、貴重な体験なのであった。時間に余裕が出て来たときにのみできることであり、3人で底の底まで降りて行ったという自負が生まれたのだ。これをさらに遡るのは個人的に行わなければならないのだが、このように複雑化させ、形而上的なやり方に凝ってしまうのも、やはりこの場だからこそ行われたのに違いないだろう。

 

Img_0622 授業を午後3時に終了させて、ゼミ全体をまとめ、評価簿を書かなければならない。そのまま京都に滞在した。二日目には夜になっても、ゼミの熱気が冷めないので、京都に来たら必ずよる喫茶店「Kosci」へいく。じつはゆうべも夜になってから来たのだが、あいにく満席で入れなかったのだ。今日は、クリスマス・イブなので、ひとりで過ごす人はそんなにいないだろうと考えたのだ。窓際のゆったりした席を取ることができた。やはり、ゼミの最中では頭に血が登ってしまっていて、これが少し冷めないと正常な仕事には入れない。

 

Img_0623 最初にアーモンドのかかった栗のペーストの入ったパンとコーヒーを頼む。持って来た北欧ミステリーのH・マンケル著、刑事ヴァランダーシリーズの中に、ヴァランダーが捜査の行き詰まったときに相談する、故人で年上の同僚リードベリーがいる。これが、いつも適切なアドバイスを行っていて、素晴らしい。たとえば、「振り出しに戻った」とリードベリーなら言っただろう。「空白や不明瞭な点はそのままにしておくのだ。お前さんがはっきりわかっていることから始めるがいい」と言ってくれるのだ。そして、ここだというところでは、「あり得ないと思うところでも関係性を探すのだ」とはリードベリーがしばしば言っている言葉なのだ。

 

Img_0619 まさに、今日のゼミ参加者たちに贈る言葉はこれなのだ。わたしのところに降りてこずに、みんなのところへ降りてくれと言いたい。この頃には、ちょうどお腹も空いて来て、本日のさつまいもの温かいスープと、パンとサラダを注文する。もちろん、収穫の多いときには、ワインが必要だ。窓の外には、雨が降り出して、雪になりそうな雲行きとなった。このたっぷりした、京都的まったりさには感謝したい。5時間ほど止まったのだが、まったく席を立ちたいと思わないサービスが素敵だった。帰りに、感謝を述べて持ち帰りのパンを購入すると、おまけにもうひとつのパンを紙袋に入れてくれたのだ。パンをかじりながら、北欧ミステリーをついに読みきったのだ。

 

Img_0639 次の日の午前中、整理すべき今回のゼミのことが意外に多く、ずっとホテルで作業を行った。このようなとき、チェックアウトの時間が遅いところは助かる。昼食は、ここも毎年おなじみとなった、1年には一回食べたいと思う、菜根譚「雪梅花」へいく。担々麺がおすすめなのだ。濃厚な味と辛味が寒さに効く。Img_0637 Img_0633 Img_0629

 










640 新幹線までにかなり時間が余ったので、四条へ出て、京都シネマを覗くと、映画「わすれ草」がかかっていた。60年代の学生運動で、女性闘士だった人がアルツハイマー病にかかり、息子がドキュメンタリー作家として撮った映像だ。印象的だったのは、昔のことは覚えているのだが、近年のことが駄目なのはわかっているのだが、それで過去のことだけでもやはり人間は生きられないという現実だ。6401 いずれ、自分にもやってくる状態なので、そのときどのようになるのか、たいへん憂鬱である。とともに、そうなったら記憶がなくなるから、周りのことさえなければ、意外に幸せなのかもしれないとつい思ってしまう楽観主義の自分も見つけたのだった。Img_0601 実際には、この映画の中で、かなり辛い最後がある。

 

Img_0641 帰りの新幹線では、これもいつものように、カツサンドとコーヒーを飲食し、北欧ミステリーは昨夜読了してしまっていたので、用意していたプリントを楽しみながら、今回の合宿旅行を終わりにすることにしたのだった。

 

 

 

2017/12/17

沖縄学習センターで再び面接授業

Img_0337 台風のせいで、というのか、台風のおかげというのか、再び沖縄で面接授業だ。10月の季節外れの台風襲来で、二日のスクーリングのうち、1日分だけようやく消化して、今回後半の授業のために再び来沖した次第だ。

 

Img_0336 この時期は師走というくらいに、私たちにとって、収穫祭が開かれる時期だ。先日卒業研究が終了して、審査発表会が開催されたばかりなのだが、現在の時期は、次の修士論文の締め切りが間近に迫ってきているのだ。Img_0322 仕事なのだと割り切ってしまえば、固まるのを待って、それを取り込み、批評して返せば良いのだが、仕事と割り切れないところがあって、やはり「収穫祭」という言葉の方が妥当な感じがするのだ。それは、ある程度なのだが、一緒に作ってきたというちょっとばかりの思い入れが、わたしにとっても収穫だと思わせるものがあるのだ。

 

Img_0332 今年は、10人ほどの方が入れ替わり立ち替わり、50枚から100枚くらいの分量のファイルをメールで送ってきている。わたしも一度はファイルへワード文書のコメント機能を生かして、なるべく詳細に、時間の許す限り、批評コメントに織り込んで返信している。けれども、何回もコメント機能を繰り返しても意味がないだろうと考えて、臨機応変に短い指摘を文書で送付することも行っている。

 

Img_0334 今年の特色は、1ヶ月前に周到に送ってくるタイプの方はいらっしゃらなくて、だいたい遅め遅めの第1波、第2波、第3波と続いた。このため、論文の重なりが激しかったのだ。特に、最後の金曜日は13日ではなかったのだが、朝の枕元でパソコンが鳴り始め、夜までに6本の論文が送られてきた。このうち3本はすでにコメントを送っていて、2回、3回、4回目のものだったので、簡単なコメントで返した。Img_0328 けれども、あと三日という段階で、初めて送ってきた学生が3人もいたのは初めての経験だ。わたしもその昔、この手のことをした覚えがある。三日前に先生に見せるということを一度行ったことがあり、大手町の地下の喫茶店で呆れ顔でコメントを受けたことがあるので、因果応報とはまさにこのことだ。

 

Img_0326 先日富山出張の折に、天候が崩れ、雪が舞ってきたのだが、その時に体調を崩し、それが1ヶ月も長引いている。この1ヶ月には様々な事件も起こって、ちょっと強い薬を医者に処方してもらっている。その薬が効いている時には、モルヒネの代わりになる薬だけあって、割と気分が仕合せになって、夢のような中にあり、そこではいろいろなアイディアが空を飛んでやってくるのだ。やあと叫んで、論文を突き動かしていくのだ。Img_0323 わたしに構わず、執筆者本人に直接到達すれば良いと思うのだが、と思って返事を出すと、実はそこがキイポイントでしたとすぐに答えが返ってきたりして、このような時には、まだまだ論文書きの商売はやめられないなと思ってしまうのだ。それでも、こんなに3人も残ってしまったのは初めての経験だ。

 

Img_0330 それぞれの人びとに、本来であれば書かれるべく生まれてきたアイディアたちは、今頃どの辺を彷徨っているのだろうか。誰かに取り付いて、この世に現れてほしいアイディアたちだったと言っておこう。未練がましいとはいえ、アイディアたちが可哀想だなと思ってしまうのだ。

 

Img_0327 さて、沖縄行きの時間が迫ってきてしまって、返事を出すのもできないかもしれない。例年はこんなこともないのだが、今年だけは台風のせいだから致し方ないだろう。諦めも自然災害のうちに入るのだ。

 

Img_0335 面接授業の方は、1ヶ月以上も間が空いてしまった。全員の日程あわせは行ったのだが、それでも、この間に新たな予定が入ってしまうかたもいらっしゃったことだろう。わたしにとっては、二日間続けるよりは、1日ずつ切り離された方が1回毎の密度が濃くなったような気がする。話の道草が多くなったことでも、そのことがわかるのだ。

 

Img_0329 「椅子の社会経済学」というテーマで、1年間面接授業を行ってきたが、今回で一応の区切りをつけて置きたいと思っていたのだが、講義をしている最中に、また新しい観点が出てきてしまったので、また、1年後には第2弾として再開しても良いと思ったような、今回の授業だった。

 

Img_0338 今回も、友人のTが夕飯を一緒に摂ってくれるというので、琉球大学から急行便に乗って、安里へ出る。「アグー」という、豚を神に捧げる風習が沖縄にあるそうで、そこでは在来種の豚が捧げられていたらしい。Img_0345 それの復活を目指している農場からの「豚しゃぶしゃぶ」を食した。中学からの友人Tと、なぜ会いたいのか、と互いに問うたのだが、やはり「懐かしさ」かなという常識的な答えに、雑談が巡り巡った果てに到達したのだった。Img_0349 互いの自慢をしてもそこそこだし、互いの不幸を嘆いてみてもそこそこなのだ。元は一緒ではないかというところに、いつも落ち着くのだった。

2017/10/30

「海の青さに空の青」の沖縄

Img_3401 「海の青さに空の青」というイメージで、沖縄へはいつもは向かう。ところが、今回ばかりは、台風22号の風雨で、この青さには接することができないらしい。そこで、うちの中で楽しむことのできる沖縄料理に徹することに決めた。

 

Img_3412 1日目の夕食は、沖縄に住んでいる友人T氏が東京に住んでいる息子さんS君を一緒に連れて来て、那覇市栄町市場にある沖縄料理の店「パヤオ」にて食事。パヤオとは素敵な名称なのだが、フィリピンでの浮き漁礁のことで、これが海に浮いていると、その下に魚たちが集まって来るのだそうだ。まさに、そのような雰囲気の店だった。

 

Img_3413 T氏とは中学時代から一緒に育って来ていて、結婚も同じ頃にしたし、彼のシンポジュウムに招かれたり、わたしの授業番組に出ていただいたりして、共通の話題がたくさんあり、もちろん食事をするよりも話をしている方が多いのだが、今回は料理も十分に楽しんだのだ。息子のS君は好青年に育っていた。沖縄へ戻って来て、この湿気を吸った、ちょっと気温の高い気候がとても良いと言っていた。そのような感覚が地元出身の人びとの中にはあるのだな、と彼の感想に好ましさを感じたのだった。Img_3414 彼が幼少の頃に、やはりわたしが沖縄に来て、T氏の奥様も一緒に食事をした記憶がある。酒はT氏がボトルキープしていた、那覇の泡盛「瑞泉」を水割りでいただく。結局、彼は最終バスがなくなるまで、一緒に飲んでくれたのだった。

 

Img_3421 じつは、2日目も彼と食事をした。前から気になっていたという店が、やはりホテルの近くの栄町にあって、そこでは山羊料理をイタリア料理として出していた。「ル・ボン・グー」というまさに山羊中心の店だ。ロビンソン・クルーソーが孤島で、家畜を飼っていて、確か山羊だったと思われるが、やはり島には山羊が似合うと思うのだ。断崖絶壁の草を食んでいる構図は、想像するだに、興味がわく。野生のように放牧された、沖縄の山羊はさぞかし美味しいのだろうと来店したのだ。Img_3425 予想に違わず、山羊肉の入ったカルパッチョには山羊の粉チーズまでかかっていて、香りはかなりキツかったのだが、美味しい夕食となった。その後も、山羊尽くしが続いた。この歳になってくると、T氏と互いに、人生の苦しいことも楽しいことも両方あって、それぞれ乗り越えて来たという感慨があるのだ。とついつい、老人の会話が続くのだ。

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3日目には、ようやくにして、本来の仕事である面接授業を1日分だけはたっぷりと行ったのだ。少しでも仕事になって良かったと思ったのだ。そして終了した後、沖縄学習センター所長のT先生と、沖縄料理の代表的な居酒屋で、丸ビルへも支店を出している「うりずん」へ行く。このうりずんという言葉の響きもとても良い。2月から4月の潤いたつ季節を表した言葉だそうだ。ここでも、島らっきょう、チャンプルーなどの沖縄特有の料理を堪能した。T先生がキープしている酒の甕には相当な年季が入っていた。すでに40年あまり、この店に通っているのだそうだ。

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Img_9101 最後の日には、午前中に仕事を早々に済ませて、午後は国際通りから、牧志公設市場あたりを散策する。まず妻から頼まれていた菓子「サーターアンダギー」を買う。その店は、午前中で完売するほどの人気店のところで、卵黄がそのまま菓子の中核部分の黄色を決定していた。沖縄の母みたいな方が出て来て、おまけだといって、もう一つを紙袋に入れてくださった。それをつまみながら、公設市場の一階の魚屋や肉屋などを見てあるいたのだ。

 

Img_9110 市場の向かいにある店を見ていると、こんなところに古本があるのだという店を見つける。「ウララ」という店で、一間ほどの狭いスペースに下から上までぎっしりと古本・新本を並べている。とくに、注目される店先には、「世界の市場」とか「日本の市場巡り」などの市場本と店主が書いた本が置いてあった。Img_9107 興味を覚えて、奥の書棚を覗いてみると、沖縄出身の「山之口獏」の詩集が置いてあった。フォーク歌手の高田渡が歌っていたことで、わたしは知っている。その高田渡がプロデュースしたCD「獏」が売られていたので、購入した。Img_9122_2 最後に、「生活の柄」という詩が入っていて、沖縄民謡歌手の大工哲弘が歌っていて、高田渡の内地的歌い方に比べて、ウチナンチュー的な歌い方になっている。Img_3481_2 高田渡の歌も悪くはないものの、作った本人よりも本人らしい歌の歌い方というものがあることを理解したのだった。Img_9121 ベターっと大地に寄り添うような、湿気たっぷりのウチナー的情緒いっぱいの歌に変わっている。

 

Img_9156 昼食は、市場の近くを歩いていて見つけたのだが、並木の素敵な壺屋町の自然食店「Mana」で、自然食の日替わりプレートを食べる。当然のように、女性たちが時間になるとわっと入って来た。Img_9139 美味しさを楽しむというよりは、自然さを楽しむという食事だった。身体の中がすっとして行くような感覚がある。そのあとは珈琲だ。向かいの喫茶店「Mahou Coffee」にて、アメリカン風味のコーヒー。すっきりとした苦味系の味だ。Img_9140 この近辺には、ギャラリーや雑貨屋やDIYの店が多く、以前紹介した絵本「きょうはパーティのひ」を店先に並べている絵本屋さんもあって、1日を十分に過ごせそうな街だ。つまりは辺境の街なのだ。

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ここを右に曲がり、もう一度右に曲がり、さらに、小高い希望ヶ丘公園と、ハイアットリージェンシーホテルに挟まれた急な坂道を登って行くと、両側に不思議な飲み屋さんやブティックが並んでいて、そして行き着く先に目指す「桜坂劇場」という名画座、カフェ、カルチャセンターのビルに当たる。Img_9134

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出張先で映画を、という習慣を忠実に実行すべく、東京で見逃していた映画「ギミー・デンジャー」を見る。映画「パターソン」が同時に公開されたので、こちらの映画はスルーしていたのだ。ロック歌手ギミー・ポップをジム・ジャームッシュ監督がドキュメンタリーで描いた作品だ。Img_9168 60年代から今日に至る、ロックの「危険」性を扱っているのだが、このように社会の中で相対化されると、ちっとも危険ではなかったといえる。ロック歌手の常道で、人気が出て、薬に溺れ、心と健康と家族が崩壊するのだが、ギミーの場合には、このあと復活するのだ。当時はこのような状況が見えなかったので、みんながギミーの方向性を危険だと考えていたのだが、時代が変われば、「危険」という考え方もかなり変わるということだ。

 

Img_9100 最後に、駅のコーヒースタンドで、「35」珈琲を購入し、飲みながら沖縄での生活を反省する。パンフレットによると、この珈琲は風化した骨格珊瑚を利用したサンゴ熱で焙煎されているらしい。Img_9198 カルシュウムの乾いた感触を思わせる、これもさっぱりした苦味系の味だ。沖縄から珊瑚を持ち出すことが県の漁業法で禁止されているので、地域特化のコーヒーといえる。現地でしか、生産が許されないのだ。そして、この代金の3.5%が珊瑚礁再生・保護に寄付されているということだ。フェアトレード的手法だと思う。「何気ない1杯のコーヒーで沖縄の海にサンゴが増える」というキャッチコピーは泣かせる。これはアイディアだ。

2017/08/02

上諏訪へ面接授業の出張

Img_2568 昨日、新宿を特急あずさ号でたって、上諏訪駅へ着く。明日からの長野学習センターでの面接授業に備えて、前日に宿へ入る。昨年は、長野市で行ったので、上諏訪は2年ぶりだ。上諏訪駅前の長野学習センターが入る予定のビルは、まだ解体作業を行なっていて、すでに2年が経つが、工事はなかなか進まない。学習センターが入るまでには、さらに2年以上かかる予定だということである。駅前を通りかかる人びとは、みんな未だか未だかという顔をして通り過ぎていくかのように見えてしまう。

 

Img_2570 宿に荷物を落として、さっそく温泉と行きたいところだが、まだ陽が高い。そこで、宿場町をさかのぼって歩く。何故ならば、滞在中3日分のお酒をまず確保するためだ。この街道沿いには、酒蔵5軒が点々と並んでいて、試飲させてもらえる。けれども今日は残念なことに、大方の蔵は5時でお終いだということなのだ。それで、わたしのかなり遠い遠い親戚筋に当たるのだが、醸造元の「本金」へまっすぐ伺う。ここの「雨上がりの空と」という純米酒は、いつも買っているのだ。だが、今回はもう少し濃くのある「樋ノ口」を購入する。

 

Img_2569 奥様に話を伺っていたら、本金では「太一」という辛口を中心に品揃えを行なっていたのだが、若い世代に移って、バリエーションが豊富になってきているらしい。辛口中心の蔵でも、甘口(決して甘口とは表示しないところが面白いのだが)を置いておくと、かえって辛口との比較ができ、それなりに存在理由があるとのことなのだ。Img_2583 もちろん、甘口専門の有名な「真澄」でも、辛口を置くようになっていて、味というものの相対的な位置付けというものに気がついたのだった。これらを味わうことによって、その醸造所の味の系列がわかってくるのだ。

 

Img_2574 さらに、坂を登っていくと、父方の本家の菩提寺である「正願寺」に行き着く。Img_2575_2 ここは奥の細道で芭蕉に随行した「曽良」の墓があることで有名なのだが、祖母の墓があるので、いつも上諏訪に来たら、寄ることにしている。黄色のマリーゴールドが咲き誇って、本堂に迫っていた。

 

Img_2577 宿へ帰る途中、駅前に学習センターがあった時にランチで通った喫茶店「石の花」へ寄って見たが、やはり駅前工事の影響なのか、当分休業だそうだ。Img_2580 でも、この一角は奇跡的に残っていて、希望はつながったと行って良いだろう。店が再開されることを切に期待している。

 

 

2017/03/05

牛久でゼミ

Img_5947 牛久で大学院ゼミを開催した。修士のGさんが今年度の論文テーマを、茨城県牛久市の「まちづくり」としていたので、それではみんなで見に行こうということになり、今月の修士課程ゼミナールは上野から常磐線に乗って1時間ほどの距離にある牛久まで行って、開くことにしたのだ。修士OBIさん、Fさん、Yさん、Hさんも参加して、賑やかな小ゼミ旅行となった。

 

Img_5891 牛久市は、冬場所に優勝し見事横綱となった、「稀勢の里」の故郷だということで、最近有名になった。東口駅前には、彼の手形を飾った碑も立っていた。Img_5914 駅前の整備も終わり、イタリアのキャンティ市から輸入した明るい色の赤レンガが敷き詰められていて、一見順調にまちづくりが進んでいるように見える。

 

Img_5899 けれども、ひとたび西口駅前の商業施設に入ると、そこはシャッター街となっていた。この牛久駅の西口正面のビルには、関西資本のスーパーマーケットの「イズミヤ」が入っていたのだが、先月30年の歴史を閉じ撤退し、その煽りで1階から3階まで、専門店街が軒並みシャッターを閉ざしていた。Img_6118 30年間といえば、やはりひと時代潜り抜けたということではなかろうか。駅広場にあったという、コンビニも閉められ、その二階のチェーン居酒屋も撤退したそうだ。駅のドラッグストアも近々撤退するそうで、牛久駅近辺は、転換期(衰退的)の真っ最中ということだ。Img_6116 これほど、一気に転換期を迎える市中央というのも、珍しいのではないかと思われる。その意味では、Gさんにとっては研究するには困難な題材ではあるが、問題状況のタイミング良い時に取り掛かったと言えるのではないだろうか。

 

Img_5885 なぜ街の衰退がこれほど急激に進んでいるのだろうか。いくつかの要因があるのだが、Gさんが指摘する象徴的な出来事を挙げるならば、最盛期にはJR牛久駅を利用する人が、2万人を超えていたのが、近年1万人程度になって、半減したということだ。Img_5926 都市のスプロール化が進んで、膨張した働く世代が、一挙に減ってしまったということらしい。けれども、人口は8万人を超えていて、この変動はあまりないということだ。つまり、都市内容の性格が変化してきたということになる。

 

Img_5937 さて、今日の見学のメインは、駅から徒歩10分ほどのところにある。立志伝中の人物である、神谷伝兵衛が創立した、重要文化財の建物「シャトー・カミヤ」だ。日本で初めて本格的なワイン醸造所を建てた、神谷伝兵衛とはどのような人物だったのだろうか。

 

Img_5958 面白かったのは、3点である。一つは、神谷伝兵衛の企業家的性格である。なぜ彼は明治期にこのシャトー・カミヤを中心として、成功したのだろうか、という点である。二つは「シャトー・カミヤ」は牛久のまちづくりにとって、どのような意味を持ちうるのだろうかという点である。三つには、牛久市の現状と課題は何か、という点である。Img_5970 二つ目と三つ目については、Gさんの個人的なテーマ内容であり、そのうち修士論文として成就されるだろうから、その時の発表に注目したいと考えている。また、駅ビルの研修室でのゼミでじっくりと議論したので、ここでは触れないことにする。

 

Img_5982 第一の点は、面白かった。印象的な物言いをするならば、神谷伝兵衛の本質は葡萄作りの農民体質だったのか、それとも営利的な企業家体質だったのかという点である。Img_6031 シャトー・カミヤは、確かに明治期(今から100年前)にはフランスに学んだ本格的ワイン醸造所として出発した。けれども、明らかにそこからの変質があり、これがシャトー・カミヤの成功理由であったのではないだろうか。

 

Img_6027 蜂印ハニーワインをご存知の方は多くいらっしゃるだろう。この甘みを加えたワインが、赤玉ポートワーンと並んで、戦後まで日本人のワインの中心を占めてきたのだが、その基礎を作った一人が神谷伝兵衛だったのだ。どのようなワインが日本人に合うのかを、起業家としてわかっていたのが、神谷伝兵衛だったとわたしは思う。明治期においてはまだ本格的ワインは日本人の趣味には合わず、ハニーワインを売ったというところに、神谷伝兵衛の企業家精神を見るのだ。Img_6018 そして、これに加えて、浅草の「神谷バー」で当たりをとった「電気ブラン」。これもブランディーに手を加えて、日本人向けにしたものであり、単なる洋物のまねではなく、日本人の嗜好に合わせた洋酒作りを行ったのが、神谷伝兵衛の成功物語なのだ。

 

Img_6128 電気ブランの名称由来が記念館に書かれていた。なぜ「電気」なのかといえば、わたしは「ビリビリ」と舌へくるからだと思い込んでいたのだが、そうではなく、神谷伝兵衛のマーケティング能力からの命名だそうだ。つまり、当時流行してきた電灯や電話などに使われている「電気」という言葉をそのままブランディーの名前に持ってきたらしいのだ。Img_6048 たとえば、「超伝導うなぎ」などという命名と同じなのだ。伝兵衛はかなりキャッチーな志向を狙っていたことがわかるのだ。

 

Img_6032 神谷伝兵衛の企業家としてのマーケティング能力は相当高かったと思われる。まず、若い頃に横浜の居留地でワインと出会った後、酒を巡る様々な業界を渡り歩いて、最終的に牛久の土地を購入している。Img_5977 けれども、電気ブランでわかるように、牛久だけに閉じこもらずに、浅草にアンテナショップを開店させたのも、現代的な広告宣伝方法を先取りしている。また、日本酒の宣伝ポスターによく使われていた、美人画ポスターを取り入れたり、新聞広告でのイラスト記事を作ったりしていているのが、記念館を見て回るとわかってくる。Img_6034 最初は、ワイン醸造所のぶどう酒造りの機械・機器類に目を奪われていたのだが、どうやら違っていることに気がついたのだった。

 

Img_5954 けれども、100年経ってみてどうだろうか。ここで勝沼のワインと比べてみたい。 ほぼ同時代に、両者ともにフランスへ技術者を派遣して、ワイン造りをはじめた。勝沼では、本格的ワインでは、数々の失敗を重ね、また日本人の嗜好はなかなかワインを受け入れるには至らなかった。Img_6015 主たる企業も倒産してしまう。これに対して、シャトー・カミヤでは本格的ワインは脇に置いて、日本人の好みに合うワインやブランディーをヒットさせ、かなりの成功を当初から納めた。この違いは大きかったといえるだろう。

 

Img_5994 けれども、現在はどうだろうか。明らかに、ワイン醸造所の集積では、牛久に対して、勝沼は圧倒しているといえるだろう。ここに、産業というものの難しさがあるといえる。短期的に営利的に成功しても、必ずしも100年後にもその成功が持続するとは言えないのだ。Img_5916 牛久では、ワイン製造の時期が早くに終結したぶんだけ、営利性の強い観光・販売の面で強みを見せる時代へ早めに入っていくことになったのだ。さて、どちらの方がよかっただろうか。100年間の年表をみんなで見ながら、議論のたねは尽きなかったのだった。

 

Img_6121 昼食はもちろんワインを飲みながら、肉料理ランチをいただく。重要文化財のレンガ建ての昔の貯蔵庫が、レストランに生まれ変わっているのだ。また、今日は日曜日だということもあって、団体客が大型バスで押し寄せていた。バスの表示を見ていたら、建材メーカーの接待旅行の途中のようだった。帰りも、牛久市のコミュニティバスで、駅に向かった。Img_5883 駅ビルはこのように空いている分だけ、ゼミに使える研修室が備わっているのであって、都市の衰退ということも、わたし達のような有閑活用グループにとっては、悪い事態ではないのだ、と考えた次第である。議論をして、その後もう一度、イタリアンの店のワインで乾杯して、上野行きの常磐線に乗ったのだった。

 

2016/10/28

神戸で散策

Img_4720 神戸の中心部でランチを食べ、そして山の上でイタリアン料理という食べ物中心の散策をした。今回の旅行は食べること自体が目的だったので、それ以外については、何も計画を持っていなかった。Img_4743 「ポンペイの壁画」展を東京で見逃していたので、これを県立美術館へ行って見るという選択もあったが、結局は神戸の街自体を楽しみたいという方に軍配が上がった。

ゆっくりと、バスで三ノ宮へ出る。いつもより多目にとった朝食の、お腹がこなれた時間になったので、駅から徒歩でなだらかな坂道を辿って、昨日は断念したパンのフロインドリーブへ行く。Img_4744_2 昔の教会の建物が店になっているので、ゆったりとした広い造りだ。窓の金具などは壊れているのだが、おそらく重要文化財なのだろう。安易には直せないというような、別の金具がつけられていた。古い建物を尊重するのは良いことだと思う。われわれ観光客が街の方へはみ出すことがないほど、スペースはたっぷりしているのだが、ひとたび建物の中に入ると、昨年と同様に、客が椅子に腰掛けてランチの順番を待っている。多くは女性のカップルか、同窓生観光の集団で、それに家族連れが加わる。Img_4810 したがって、客のほとんどは女性客で、男性は数えるほどしかいない。パンをランチで、という発想自体が女性向けなのだろうか。建物の中の待合椅子はせいぜい20脚くらいなので、もし団体客などが来たら、外のベンチや庭のテラス席が総動員されるのだろう。

Img_4748 ほどなく、席に通された。今日はランチメニューと決めていたので、選ぶ楽しみはスキップした。きのこのスープは香りを運んできたし、程よく切られた今日の特製サンドイッチはちょうどかぶりつきやすかった。Img_4758_2 ローストポークハムとチェダーチーズのサンドイッチだ。中に挟まれたピクルスも効いている。それにコーヒーとデザートが付いている。こんな時に何なんだが、じつはこのような時に妻と話す会話は、ほとんど覚えていない。Img_4770 会話自体を楽しんでいるので、内容や目的は存在しない。でも、会話の内容はいつもの家の中とは何か違うのだ。周りの雰囲気の影響を受けて、サードプレイス的な会話をしているのではないだろうか。改めて、妻と社交というわけではないのだが、おそらく社交を楽しむというのは、このようなことなのだろうと思うのだ。時間を気にしないで、何気ない会話に終始しているのだ。

Img_4777 午後には天気が崩れるという予報が出ていたので、早々に摩耶山ケーブルを目指す。やはり、途中からかなりの霧が煙ってきて、ロープウェイに乗る頃には、霧雨から冷たい本格的な雨に変わっていた。Img_4784_2 山の中腹にある待合室を兼ねた展示室に、映画「デスノート」の写真展が展開されていたので、ケーブルとロープウェイの間の待合時間に読んでいると、この近くにかつて建たっていた摩耶観光ホテルがこの映画のロケで使われたらしい。現在では、まったくの廃墟となっていて、ロープウェイから見ても、奇々怪々の雰囲気を持っていて、この建物の内部を見るだけでも、この映画を見たいと思わせるような建物だった。Img_4805_2 途中、まだまだ、阪神間の眺望はかなり効いたのだが、ロープウェイの終点に着くころには、10メートル先の視界も望めないほどになっていた。標高は、682メートルあるということで、先ほどまで、淡路島の標高0メートルのところにいたのだが、一気に700メートル弱を登ったことになる。

Img_4827 客を待っていた山頂のバスが、わたしたちが乗らないことを確認して、空のままで運転手がアクセルを踏んで出発していった。 道なりのなるべく濡れていない車道を選んで、宿に着いた。Img_4832_2 そして、夕食を少し遅めに設定して、お湯に入って、寒くなって冷えた身体を温めたのだ。今日の夕飯は、これも昨年来ているので、ゆったりと時間を過ごしての夕食となった。Img_4848 今回も、定評あるイタリアン料理を堪能する。年を取っているのでハーフコースにしたのだが、それでもお腹いっぱいになってしまった。フォアグラから魚料理、牛肉料理までが続いた。Img_4877 外は吹雪いたような、横なぐりの雨で、テラスのガラス戸が煙った雨で揺らされるのを見ながらの食事であった。Img_4881Img_4891 Img_4896 Img_4885 Img_4893 この窓からは、いわゆる1千万ドルの夜景が見えることになっているのだが、視界はまったくない状態だ。

Img_4905 Img_4953 Img_4913Img_4931Img_4925

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いつもはそういうことはないのであるが、夜中に目が覚めて、テラスから外を眺めると、なんと雨が上がって、神戸の夜景が浮かび上がっていた。先ほどの激しい雨はどこへ行ってしまったのだろうか。当たり前ではあるが、山岳の変わりやすい天候が夜中にもあるのだ。Img_4977Img_4979Img_4986 いま、都市経済の原稿を抱えているのだが、この夜景の映すイメージはこれまで読んできた文献を凌駕する。都市経済そのものだなと感じたのだ。寝るのも忘れて、ずっと窓際で、この初期カンディンスキー的夜景を眺め続けた。この抽象的な光の重なりの下には、どれほどの具体的な人間の活動がさらに重層しているのだろうか。

結局のところ、その後朝湯に入り、朝食を食べ、六甲山周りのバスに乗って、神戸の街の散策へ戻ってきたのだった。ここで妻と別れて、妻は買い物、わたしは珈琲店巡りとなった。Img_5004_2 今回目的とした喫茶店は、元町近くのトアロードにある「樽珈屋」だ。現在は挽き豆専門店になってしまったが、かつては喫茶店も営業していて、その頃から神戸へ来るたびにいくのだが、タイミングが悪く、いつも閉まっていた。Img_5018 今回、ようやく豆を買うことができた。土産もここの豆にした。バリエーションは豊富なので、次にも色々と試したいと思わせる味の豆がありそうだ。Img_5035 今回は、軽めのスッキリ味のブレンドを二袋購入した。ふつう、スッキリした味のものは、焙煎を浅くして、酸味系のものを入れてあるのだが、ここのスッキリ味は酸味系でスッキリというよりは、他の豆(どこの豆なのかはわからないが)の影響でスッキリ味としていて、特有の味がして楽しかった。

Img_5043 道を挟んで、反対側を見ると、そこには雑貨書店のチェーンであるビレッジ・ヴァンガードが店を出していて、神戸まで来て、ここで入るのかとも思ったが、変わった本が時々置かれているし、楽しい音楽もかかっており、最近の若者の雑貨志向も知ることができるので、やはり入ったのだった。Img_5041 そして、たくさん立ち読みしてしまった。たとえば、小出版社から出て、注文しにくい本であるル・コルビュジエの『小さな家』などが並べられていた。建築家が両親のために、一部屋だけの小屋を作ったのだ。このような小屋に本を並べて、木陰で暮らしたいという、わたしの欲望を刺激したのだった。Img_5047 表に出ると、子供達が商店街のハロウィーンの催しで行儀よく列をなしていて、店主たちがサービスで、訪ねて来る子供達へキャンディを振舞っていた。このようなお祭りには抗しがたいものがある。

Img_5055 さらに、三つの店を回った。元町の駅前から1本入った商店街の中くらいに、ドアが建物にぽんとついていて、何屋さんなのか、通りすがりの人にはわからない店がある。これが二軒目のお目当の珈琲焙煎専門店「グリーンズ」だ。クラフト・コーヒーと包み紙に記されていた。クラフト・コーヒーという言い方はありそうなのだが、これまでお目にかかったことがなかった。ドアを開けて、奥で焙煎機と格闘しているご主人を見れば、なるほど「クラフト」なのかもしれないと思うのだった。どちらかというと苦味系の豆が多い。

Img_5054 三軒目は、いつもここへ来ると寄る店「エビアン」だ。ここのブレンドは、複雑な味がするので、飽きることがない味を出していると思う。1日1回は寄りたいと思わせる味なのだ。Img_5057 袋から豆を出して眺めていると、深煎りの黒い豆や浅煎りの薄茶色の豆や中ぐらいの豆などが見るからに複雑な色模様を照らしているのがわかる。味もこの通りなのだ。Img_5063 この豆を職場のカンファレンス室へ持って行こうと思う。今度のコース会議のコーヒーに出してもらうことができるかもしれない。

そして、最後はエビアンの入っている隣ビルの地下にある、ジャズ喫茶の「ジャムジャム」だ。Img_5065_2 小腹がすいてきたので、名物シフォンケーキとコーヒーを頼んだ。

Img_5069_2 ここは聴く専門の席と、話すことのできる席とが中央で分かれている。けれども、今日のところは途中から話す人々が多く入ってきて、ジャズに耳を傾ける方は劣勢だった。Img_5072 この店では、数時間いると、必ずかかるのがモダンジャズ・カルテットで、今日も最後の最後に「サテンドール」がかかって、今日の締めとした。Img_5073 それで、妻との待ち合わせの「大丸」トアロード口へ急いだのだった。

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2016/10/27

夜行バスで関西観光

Img_4604 忙しい合間をぬっての観光ほど、楽しいものはない。まるで、夢を見たような数日なのだ。難題の書かれた注文票が目の前に何枚も並べ立てられてたのが、急に取り払われて秋の快晴青空がずっと見渡すかぎり広がっていったという気分にしてくれる。数日後に卒論の締め切りが迫ってきていて、このところ連日、学生からの草稿が届いていた。今日までに届いたものは、ようやく夕方までに返事を出した。Img_4610 もう一人いらっしゃるが、直前にメールが来て、送付が来週になりそうだというので、身軽になった気持ちで旅に出たのだ。卒論にとって、最後の1ヶ月は重要な熟成の期間なのだ。じっくりと攻めていただきたいという思いがある。今年の卒論生は優秀で、ほぼ全員が1ヶ月前までにほぼ8~9割の完成原稿を送ってきていた。わたしにとっても、余裕のある季節となった。

Img_4589 夜行バスでの関西観光という強行軍を、妻が提案してきたときには、ほんとうに体力がもつのかわからなかった。閉所恐怖症ということはないのだが、ふつうに狭いところはダメだ。そして、このところの夜なべが続いていることもあり、さらに、昔から夜行列車が苦手だったということもあった。大学生の頃には、京都にいた友人のS氏を訪ねた帰りは、お金もなかったので、鈍行の夜行列車に乗ったのだ。Img_4591 ところが、寝台車と違って、普通席でしかも満席状態だった。覚えているのだが、長い列車の先頭車両の、しかも一番前の席だった。うつらうつらした後は眠れずに、デッキに出て、時間を潰したのを覚えている。

Img_4587 そんなこともあって、夜行バスで寝ることができるのか、という心配があったのだが、いざ乗ってしまうと、溜まっていた疲れのせいか、座席を倒して、あっさりと寝込んでしまったのだった。気がつくと、すでに京都、そして大阪で、早々に神戸の三ノ宮へ着いたのだった。骨は軋んでいたけれど、気分は爽快だった。Img_4609 昨年と同様に、さっそくパンのフロインドリーブで朝食を、と考えたのだが、残念ながら10時始まりなので、まだだいぶ時間がある。そこで、北野の入り口にある老舗の西村珈琲本店でモーニングセットを頼むことにする。ここなら、8時から開いていて、中が3階まであって、広くて、ゆったりとできる。

Img_4598 今日は直行で、淡路島へ行ってしまおう、ということにして、淡路島行きの高速バスを探すが、路線が3~4路線あって、競合しているし、三ノ宮の駅前のバス会社の位置がなかなかわからない。出発時間が迫ってきてから勘が鋭くなって、乗り場のビルをようやく見つけ、切符を買うのもそこそこにバスへ乗り込んだ。予定のない旅行の面白いところだ。関西だといっても、日本語なのでよく聞けば、理解できるのだが、年をとるに従って、聞く能力が衰えてきているのだろうか。右と左を間違える。Img_4634 妻の得意技が病的に移ってくるのを感じるのだ。バスが淡路島へ渡ってからが、かなり距離があり、いろいろなバス停をたどって、ようやくにして、「陸の港西淡」へ着く。時間がたっぷりあったので、周りを散策して、この辺唯一のショッピングセンターを見つけた。何を思ったのか、ここのビュフェで残した仕事を広げてしまった。仕事中毒も極まっているのを自覚する。

Img_4640 数時間後、宿へ電話をして、迎えに来てもらう。数分で着く距離かと思ったら、淡路島の一つの町村を横断するくらいの距離があり、運転手さんの説明を聞きながら、農村風景を楽しむことができた。今回はグルメ旅行という位置付けをしていた。中でも、今回の宿の「玉葱フォンデュの鯛しゃぶしゃぶ」という料理に執着しているのだ。この玉葱フォンデュとはいかなるものか、というのが、頭で考えてもなかなかイメージ出来なかった。Img_4652 だからこそ、味を体験したいという好奇心が湧いたのだった。玉葱は淡路島の特産物で、甘い果肉に特徴があるのだそうだ。車窓の両側に二毛作の田畑が広がり、ちょうど稲が終わって、玉葱が植えられ、いつも5月ごろに収穫が見られるのだそうだ。農家の話になって、特産品があっても、やはり後継者がいないので、生産性の良い畑もどんどん減っているのだそうだ。

Img_4653 宿に着くと、運転手さんが日の入りが綺麗ですよ、と海岸沿いの散歩コースを教えてくれた。道なりに坂を下って行くと、坂の下でちょうど日の入り時刻となった。瀬戸内海の向こうの島の間に日が沈んでいった。Img_4648 空は快晴だったのだが、日の入り近辺だけに雲が出ていて、複雑な模様を写していた。瀬戸内海は、波が静かで、潮の香りがほとんどしないという特色があるのだが、この海岸もその例にもれなかった。湖のような、波を聞きながら、世間の音を後ろへ追いやって、旅の音に耳を傾けたのだった。

Img_4680 さて、問題は「玉葱フォンデュの鯛しゃぶしゃぶ」なのだ。フォンデュはこんな感じで、言葉に表すことはできないのだが、チーズフォンデュと似ていないことはない。けれども、このスープをそのまま見た限りでは、チーズフォンデュとはまったく別物だ。Img_4687 鍋いっぱいに、半固形で濃厚そうな玉葱を摺ったスープが入っている。これを温めて、横の用意された贅沢な鯛の刺身でしゃぶしゃぶするのだ。スープだけでも美味しいのだが、しゃぶしゃぶにするともっと美味しいのだ。数年に一回は味わいたい料理である。Img_4685 これだけで、満足してしまった。いかにも味は美味しいのだが、目にも贅沢な料理だ。グルメ料理の要素である見せびらかしの要素を兼ね備えていて、素晴らしい。さらに、料理はこの後、鯛の姿焼きやあら煮、鯛の釜飯など、鯛づくしの楽しい献立が目白押しだった。Img_4696 それから、目にも良いという点では、意外にも、鯛の刺身についていた、淡路島の今朝採れた「レタスのしゃぶしゃぶ」が玉葱に合っていて旨いし、グリーンの色具合がよかったのだ。

Img_4704 この宿の料理の出し方がちょっと変わっていた。ふつう、料理は部屋ごとに、仲居さんが専門に張り付いて、同じ人が次から次へと料理を運んでくる。部屋付き仲居制なのだが、この宿は違っていて、料理付き仲居制をとっていた。Img_4702 料理によって、運んでくる仲居さんが異なるのだ。一つの料理に専門に一人の仲居さんがつくやり方なのだ。想像されるのは、この宿の料理では、それぞれの料理ごとに仲居さんが専門に行う作業が特別なのだと思われる。Img_4708 接客を中心とするサービスではなく、料理のためのサービスを中心にしている仲居制度を取っているものと思われる。それが証拠に、「玉葱フォンデュの鯛しゃぶしゃぶ」付きの仲居さんは、板場には入れないのだがと注釈を入れながらも、客に板さんが説明するときの口上を覚えていて、「玉葱フォンデュの鯛しゃぶしゃぶ」の説明に詳しかった。Img_4711 「玉葱フォンデュの鯛しゃぶしゃぶ」は仲居制度まで変えてしまうほどの料理なのだ。「玉葱フォンデュの鯛しゃぶしゃぶ」恐るべし。

Img_4715 もう一つこの宿の取り柄があって、それは鳴門大橋を見ながらの露天風呂だ。180度の視界が広がる中での入浴なのだ。泉質はアルカリイオンが含まれていて、肌がヌルヌルしてくる性質があり、身体中のシミそばかすが溶けていくような感覚がある。Img_4624 目をつぶって、瀬戸内海の空気を感じながら、頭を浴槽のヘリに預け、身体を温泉に浮かせていると、夢の中と間違えるほどだった。H県から来た農業委員会の方と一緒になったのだが、瀬戸内海を渡ってくる価値があるのだそうだ。栄養を取って、英気を養う旅となったのだ。Img_4690

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。