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2017/12/22

年末恒例、博士後期課程の京都合宿

Img_0588 今年も年末恒例となった博士後期課程合宿が京都で始まった。今年度の修士論文提出締切が先週あって、M2の全員の方14名が提出したと報告があった。みなさん、頑張りましたね。Img_0585 それに加えて、副査を担当する分の6名の修士論文が送付されてきたから、年末には20論文を読むことになる。修士論文の20の想念をそのまま頭の中には止めた状態で、身体だけは宙を滑るように飛んで、京都に来ている。

 

Img_0586 合宿の1日目は、4人の方が発表し合うことで約8時間くらいかかり、世界の縮図がわたしたちの頭の中に住みついたかのように思える時間だったのだ。2日目からは、経済学研究法という授業で、2名参加者で、朝9時から夜9時まで部屋をとった。3日目にはやはり朝9時から午後3時まで行った。Img_0644 とはいえ、多少途中で早めに終わらせたりしたために、合計24時間くらいの合宿となった。アイディアの世界だけで満たされた世界のあることを実感する。24時間が「浦島太郎的時間」となったのである。

 

Img_0607 2日目と3日目の授業では、文献研究だったので、それぞれ自宅での自習時間がそれに加わり、全体では、2日間だけのメニューに限れば、この自習時間を加えて、2単位分の22時間を優に超えて時間を費やしたことになる。3人だけで1室に籠って、2日間をしゃべり続けるという世界があるのだ。学生にとっては約30時間以上、わたしにとっても、かなりハードな授業だと思うのだ。Img_0608 彼らの場合自習時間とはいえ、全体で500ページを超える大著をテキストに選んでいるので、1日100ページずつ2時間かけて読んだとしても、5日かかるし、参加したS氏のように関連論文に目を通すとなると、準備だけで1週間はかかってしまうだろう。年末に行うことが妥当な授業といえよう。

 

Img_0611 今回の文献研究では、ひとつの現象を二面性でみていくという態度を改めてみようと考えた。三面あるいは場合によっては、3層構造で考えていくことを3人で行ってみたのだ。Img_0618 このように、二面構造を三面構造にするには、結局平面を立体で考えることになるので、二面の間に中間を設けたり、二面と異なるレベルをもうひとつ外に設定するなどの、これまでの考えをもう一度ひっくり返す必要が生ずることになる。

 

Img_0620 このようなたっぷりした時間の流れの中でしか試すことのできない、貴重な体験なのであった。時間に余裕が出て来たときにのみできることであり、3人で底の底まで降りて行ったという自負が生まれたのだ。これをさらに遡るのは個人的に行わなければならないのだが、このように複雑化させ、形而上的なやり方に凝ってしまうのも、やはりこの場だからこそ行われたのに違いないだろう。

 

Img_0622 授業を午後3時に終了させて、ゼミ全体をまとめ、評価簿を書かなければならない。そのまま京都に滞在した。二日目には夜になっても、ゼミの熱気が冷めないので、京都に来たら必ずよる喫茶店「Kosci」へいく。じつはゆうべも夜になってから来たのだが、あいにく満席で入れなかったのだ。今日は、クリスマス・イブなので、ひとりで過ごす人はそんなにいないだろうと考えたのだ。窓際のゆったりした席を取ることができた。やはり、ゼミの最中では頭に血が登ってしまっていて、これが少し冷めないと正常な仕事には入れない。

 

Img_0623 最初にアーモンドのかかった栗のペーストの入ったパンとコーヒーを頼む。持って来た北欧ミステリーのH・マンケル著、刑事ヴァランダーシリーズの中に、ヴァランダーが捜査の行き詰まったときに相談する、故人で年上の同僚リードベリーがいる。これが、いつも適切なアドバイスを行っていて、素晴らしい。たとえば、「振り出しに戻った」とリードベリーなら言っただろう。「空白や不明瞭な点はそのままにしておくのだ。お前さんがはっきりわかっていることから始めるがいい」と言ってくれるのだ。そして、ここだというところでは、「あり得ないと思うところでも関係性を探すのだ」とはリードベリーがしばしば言っている言葉なのだ。

 

Img_0619 まさに、今日のゼミ参加者たちに贈る言葉はこれなのだ。わたしのところに降りてこずに、みんなのところへ降りてくれと言いたい。この頃には、ちょうどお腹も空いて来て、本日のさつまいもの温かいスープと、パンとサラダを注文する。もちろん、収穫の多いときには、ワインが必要だ。窓の外には、雨が降り出して、雪になりそうな雲行きとなった。このたっぷりした、京都的まったりさには感謝したい。5時間ほど止まったのだが、まったく席を立ちたいと思わないサービスが素敵だった。帰りに、感謝を述べて持ち帰りのパンを購入すると、おまけにもうひとつのパンを紙袋に入れてくれたのだ。パンをかじりながら、北欧ミステリーをついに読みきったのだ。

 

Img_0639 次の日の午前中、整理すべき今回のゼミのことが意外に多く、ずっとホテルで作業を行った。このようなとき、チェックアウトの時間が遅いところは助かる。昼食は、ここも毎年おなじみとなった、1年には一回食べたいと思う、菜根譚「雪梅花」へいく。担々麺がおすすめなのだ。濃厚な味と辛味が寒さに効く。Img_0637 Img_0633 Img_0629

 










640 新幹線までにかなり時間が余ったので、四条へ出て、京都シネマを覗くと、映画「わすれ草」がかかっていた。60年代の学生運動で、女性闘士だった人がアルツハイマー病にかかり、息子がドキュメンタリー作家として撮った映像だ。印象的だったのは、昔のことは覚えているのだが、近年のことが駄目なのはわかっているのだが、それで過去のことだけでもやはり人間は生きられないという現実だ。6401 いずれ、自分にもやってくる状態なので、そのときどのようになるのか、たいへん憂鬱である。とともに、そうなったら記憶がなくなるから、周りのことさえなければ、意外に幸せなのかもしれないとつい思ってしまう楽観主義の自分も見つけたのだった。Img_0601 実際には、この映画の中で、かなり辛い最後がある。

 

Img_0641 帰りの新幹線では、これもいつものように、カツサンドとコーヒーを飲食し、北欧ミステリーは昨夜読了してしまっていたので、用意していたプリントを楽しみながら、今回の合宿旅行を終わりにすることにしたのだった。

 

 

 

2017/12/17

沖縄学習センターで再び面接授業

Img_0337 台風のせいで、というのか、台風のおかげというのか、再び沖縄で面接授業だ。10月の季節外れの台風襲来で、二日のスクーリングのうち、1日分だけようやく消化して、今回後半の授業のために再び来沖した次第だ。

 

Img_0336 この時期は師走というくらいに、私たちにとって、収穫祭が開かれる時期だ。先日卒業研究が終了して、審査発表会が開催されたばかりなのだが、現在の時期は、次の修士論文の締め切りが間近に迫ってきているのだ。Img_0322 仕事なのだと割り切ってしまえば、固まるのを待って、それを取り込み、批評して返せば良いのだが、仕事と割り切れないところがあって、やはり「収穫祭」という言葉の方が妥当な感じがするのだ。それは、ある程度なのだが、一緒に作ってきたというちょっとばかりの思い入れが、わたしにとっても収穫だと思わせるものがあるのだ。

 

Img_0332 今年は、10人ほどの方が入れ替わり立ち替わり、50枚から100枚くらいの分量のファイルをメールで送ってきている。わたしも一度はファイルへワード文書のコメント機能を生かして、なるべく詳細に、時間の許す限り、批評コメントに織り込んで返信している。けれども、何回もコメント機能を繰り返しても意味がないだろうと考えて、臨機応変に短い指摘を文書で送付することも行っている。

 

Img_0334 今年の特色は、1ヶ月前に周到に送ってくるタイプの方はいらっしゃらなくて、だいたい遅め遅めの第1波、第2波、第3波と続いた。このため、論文の重なりが激しかったのだ。特に、最後の金曜日は13日ではなかったのだが、朝の枕元でパソコンが鳴り始め、夜までに6本の論文が送られてきた。このうち3本はすでにコメントを送っていて、2回、3回、4回目のものだったので、簡単なコメントで返した。Img_0328 けれども、あと三日という段階で、初めて送ってきた学生が3人もいたのは初めての経験だ。わたしもその昔、この手のことをした覚えがある。三日前に先生に見せるということを一度行ったことがあり、大手町の地下の喫茶店で呆れ顔でコメントを受けたことがあるので、因果応報とはまさにこのことだ。

 

Img_0326 先日富山出張の折に、天候が崩れ、雪が舞ってきたのだが、その時に体調を崩し、それが1ヶ月も長引いている。この1ヶ月には様々な事件も起こって、ちょっと強い薬を医者に処方してもらっている。その薬が効いている時には、モルヒネの代わりになる薬だけあって、割と気分が仕合せになって、夢のような中にあり、そこではいろいろなアイディアが空を飛んでやってくるのだ。やあと叫んで、論文を突き動かしていくのだ。Img_0323 わたしに構わず、執筆者本人に直接到達すれば良いと思うのだが、と思って返事を出すと、実はそこがキイポイントでしたとすぐに答えが返ってきたりして、このような時には、まだまだ論文書きの商売はやめられないなと思ってしまうのだ。それでも、こんなに3人も残ってしまったのは初めての経験だ。

 

Img_0330 それぞれの人びとに、本来であれば書かれるべく生まれてきたアイディアたちは、今頃どの辺を彷徨っているのだろうか。誰かに取り付いて、この世に現れてほしいアイディアたちだったと言っておこう。未練がましいとはいえ、アイディアたちが可哀想だなと思ってしまうのだ。

 

Img_0327 さて、沖縄行きの時間が迫ってきてしまって、返事を出すのもできないかもしれない。例年はこんなこともないのだが、今年だけは台風のせいだから致し方ないだろう。諦めも自然災害のうちに入るのだ。

 

Img_0335 面接授業の方は、1ヶ月以上も間が空いてしまった。全員の日程あわせは行ったのだが、それでも、この間に新たな予定が入ってしまうかたもいらっしゃったことだろう。わたしにとっては、二日間続けるよりは、1日ずつ切り離された方が1回毎の密度が濃くなったような気がする。話の道草が多くなったことでも、そのことがわかるのだ。

 

Img_0329 「椅子の社会経済学」というテーマで、1年間面接授業を行ってきたが、今回で一応の区切りをつけて置きたいと思っていたのだが、講義をしている最中に、また新しい観点が出てきてしまったので、また、1年後には第2弾として再開しても良いと思ったような、今回の授業だった。

 

Img_0338 今回も、友人のTが夕飯を一緒に摂ってくれるというので、琉球大学から急行便に乗って、安里へ出る。「アグー」という、豚を神に捧げる風習が沖縄にあるそうで、そこでは在来種の豚が捧げられていたらしい。Img_0345 それの復活を目指している農場からの「豚しゃぶしゃぶ」を食した。中学からの友人Tと、なぜ会いたいのか、と互いに問うたのだが、やはり「懐かしさ」かなという常識的な答えに、雑談が巡り巡った果てに到達したのだった。Img_0349 互いの自慢をしてもそこそこだし、互いの不幸を嘆いてみてもそこそこなのだ。元は一緒ではないかというところに、いつも落ち着くのだった。

2017/10/30

「海の青さに空の青」の沖縄

Img_3401 「海の青さに空の青」というイメージで、沖縄へはいつもは向かう。ところが、今回ばかりは、台風22号の風雨で、この青さには接することができないらしい。そこで、うちの中で楽しむことのできる沖縄料理に徹することに決めた。

 

Img_3412 1日目の夕食は、沖縄に住んでいる友人T氏が東京に住んでいる息子さんS君を一緒に連れて来て、那覇市栄町市場にある沖縄料理の店「パヤオ」にて食事。パヤオとは素敵な名称なのだが、フィリピンでの浮き漁礁のことで、これが海に浮いていると、その下に魚たちが集まって来るのだそうだ。まさに、そのような雰囲気の店だった。

 

Img_3413 T氏とは中学時代から一緒に育って来ていて、結婚も同じ頃にしたし、彼のシンポジュウムに招かれたり、わたしの授業番組に出ていただいたりして、共通の話題がたくさんあり、もちろん食事をするよりも話をしている方が多いのだが、今回は料理も十分に楽しんだのだ。息子のS君は好青年に育っていた。沖縄へ戻って来て、この湿気を吸った、ちょっと気温の高い気候がとても良いと言っていた。そのような感覚が地元出身の人びとの中にはあるのだな、と彼の感想に好ましさを感じたのだった。Img_3414 彼が幼少の頃に、やはりわたしが沖縄に来て、T氏の奥様も一緒に食事をした記憶がある。酒はT氏がボトルキープしていた、那覇の泡盛「瑞泉」を水割りでいただく。結局、彼は最終バスがなくなるまで、一緒に飲んでくれたのだった。

 

Img_3421 じつは、2日目も彼と食事をした。前から気になっていたという店が、やはりホテルの近くの栄町にあって、そこでは山羊料理をイタリア料理として出していた。「ル・ボン・グー」というまさに山羊中心の店だ。ロビンソン・クルーソーが孤島で、家畜を飼っていて、確か山羊だったと思われるが、やはり島には山羊が似合うと思うのだ。断崖絶壁の草を食んでいる構図は、想像するだに、興味がわく。野生のように放牧された、沖縄の山羊はさぞかし美味しいのだろうと来店したのだ。Img_3425 予想に違わず、山羊肉の入ったカルパッチョには山羊の粉チーズまでかかっていて、香りはかなりキツかったのだが、美味しい夕食となった。その後も、山羊尽くしが続いた。この歳になってくると、T氏と互いに、人生の苦しいことも楽しいことも両方あって、それぞれ乗り越えて来たという感慨があるのだ。とついつい、老人の会話が続くのだ。

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3日目には、ようやくにして、本来の仕事である面接授業を1日分だけはたっぷりと行ったのだ。少しでも仕事になって良かったと思ったのだ。そして終了した後、沖縄学習センター所長のT先生と、沖縄料理の代表的な居酒屋で、丸ビルへも支店を出している「うりずん」へ行く。このうりずんという言葉の響きもとても良い。2月から4月の潤いたつ季節を表した言葉だそうだ。ここでも、島らっきょう、チャンプルーなどの沖縄特有の料理を堪能した。T先生がキープしている酒の甕には相当な年季が入っていた。すでに40年あまり、この店に通っているのだそうだ。

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Img_9101 最後の日には、午前中に仕事を早々に済ませて、午後は国際通りから、牧志公設市場あたりを散策する。まず妻から頼まれていた菓子「サーターアンダギー」を買う。その店は、午前中で完売するほどの人気店のところで、卵黄がそのまま菓子の中核部分の黄色を決定していた。沖縄の母みたいな方が出て来て、おまけだといって、もう一つを紙袋に入れてくださった。それをつまみながら、公設市場の一階の魚屋や肉屋などを見てあるいたのだ。

 

Img_9110 市場の向かいにある店を見ていると、こんなところに古本があるのだという店を見つける。「ウララ」という店で、一間ほどの狭いスペースに下から上までぎっしりと古本・新本を並べている。とくに、注目される店先には、「世界の市場」とか「日本の市場巡り」などの市場本と店主が書いた本が置いてあった。Img_9107 興味を覚えて、奥の書棚を覗いてみると、沖縄出身の「山之口獏」の詩集が置いてあった。フォーク歌手の高田渡が歌っていたことで、わたしは知っている。その高田渡がプロデュースしたCD「獏」が売られていたので、購入した。Img_9122_2 最後に、「生活の柄」という詩が入っていて、沖縄民謡歌手の大工哲弘が歌っていて、高田渡の内地的歌い方に比べて、ウチナンチュー的な歌い方になっている。Img_3481_2 高田渡の歌も悪くはないものの、作った本人よりも本人らしい歌の歌い方というものがあることを理解したのだった。Img_9121 ベターっと大地に寄り添うような、湿気たっぷりのウチナー的情緒いっぱいの歌に変わっている。

 

Img_9156 昼食は、市場の近くを歩いていて見つけたのだが、並木の素敵な壺屋町の自然食店「Mana」で、自然食の日替わりプレートを食べる。当然のように、女性たちが時間になるとわっと入って来た。Img_9139 美味しさを楽しむというよりは、自然さを楽しむという食事だった。身体の中がすっとして行くような感覚がある。そのあとは珈琲だ。向かいの喫茶店「Mahou Coffee」にて、アメリカン風味のコーヒー。すっきりとした苦味系の味だ。Img_9140 この近辺には、ギャラリーや雑貨屋やDIYの店が多く、以前紹介した絵本「きょうはパーティのひ」を店先に並べている絵本屋さんもあって、1日を十分に過ごせそうな街だ。つまりは辺境の街なのだ。

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ここを右に曲がり、もう一度右に曲がり、さらに、小高い希望ヶ丘公園と、ハイアットリージェンシーホテルに挟まれた急な坂道を登って行くと、両側に不思議な飲み屋さんやブティックが並んでいて、そして行き着く先に目指す「桜坂劇場」という名画座、カフェ、カルチャセンターのビルに当たる。Img_9134

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出張先で映画を、という習慣を忠実に実行すべく、東京で見逃していた映画「ギミー・デンジャー」を見る。映画「パターソン」が同時に公開されたので、こちらの映画はスルーしていたのだ。ロック歌手ギミー・ポップをジム・ジャームッシュ監督がドキュメンタリーで描いた作品だ。Img_9168 60年代から今日に至る、ロックの「危険」性を扱っているのだが、このように社会の中で相対化されると、ちっとも危険ではなかったといえる。ロック歌手の常道で、人気が出て、薬に溺れ、心と健康と家族が崩壊するのだが、ギミーの場合には、このあと復活するのだ。当時はこのような状況が見えなかったので、みんながギミーの方向性を危険だと考えていたのだが、時代が変われば、「危険」という考え方もかなり変わるということだ。

 

Img_9100 最後に、駅のコーヒースタンドで、「35」珈琲を購入し、飲みながら沖縄での生活を反省する。パンフレットによると、この珈琲は風化した骨格珊瑚を利用したサンゴ熱で焙煎されているらしい。Img_9198 カルシュウムの乾いた感触を思わせる、これもさっぱりした苦味系の味だ。沖縄から珊瑚を持ち出すことが県の漁業法で禁止されているので、地域特化のコーヒーといえる。現地でしか、生産が許されないのだ。そして、この代金の3.5%が珊瑚礁再生・保護に寄付されているということだ。フェアトレード的手法だと思う。「何気ない1杯のコーヒーで沖縄の海にサンゴが増える」というキャッチコピーは泣かせる。これはアイディアだ。

2017/08/02

上諏訪へ面接授業の出張

Img_2568 昨日、新宿を特急あずさ号でたって、上諏訪駅へ着く。明日からの長野学習センターでの面接授業に備えて、前日に宿へ入る。昨年は、長野市で行ったので、上諏訪は2年ぶりだ。上諏訪駅前の長野学習センターが入る予定のビルは、まだ解体作業を行なっていて、すでに2年が経つが、工事はなかなか進まない。学習センターが入るまでには、さらに2年以上かかる予定だということである。駅前を通りかかる人びとは、みんな未だか未だかという顔をして通り過ぎていくかのように見えてしまう。

 

Img_2570 宿に荷物を落として、さっそく温泉と行きたいところだが、まだ陽が高い。そこで、宿場町をさかのぼって歩く。何故ならば、滞在中3日分のお酒をまず確保するためだ。この街道沿いには、酒蔵5軒が点々と並んでいて、試飲させてもらえる。けれども今日は残念なことに、大方の蔵は5時でお終いだということなのだ。それで、わたしのかなり遠い遠い親戚筋に当たるのだが、醸造元の「本金」へまっすぐ伺う。ここの「雨上がりの空と」という純米酒は、いつも買っているのだ。だが、今回はもう少し濃くのある「樋ノ口」を購入する。

 

Img_2569 奥様に話を伺っていたら、本金では「太一」という辛口を中心に品揃えを行なっていたのだが、若い世代に移って、バリエーションが豊富になってきているらしい。辛口中心の蔵でも、甘口(決して甘口とは表示しないところが面白いのだが)を置いておくと、かえって辛口との比較ができ、それなりに存在理由があるとのことなのだ。Img_2583 もちろん、甘口専門の有名な「真澄」でも、辛口を置くようになっていて、味というものの相対的な位置付けというものに気がついたのだった。これらを味わうことによって、その醸造所の味の系列がわかってくるのだ。

 

Img_2574 さらに、坂を登っていくと、父方の本家の菩提寺である「正願寺」に行き着く。Img_2575_2 ここは奥の細道で芭蕉に随行した「曽良」の墓があることで有名なのだが、祖母の墓があるので、いつも上諏訪に来たら、寄ることにしている。黄色のマリーゴールドが咲き誇って、本堂に迫っていた。

 

Img_2577 宿へ帰る途中、駅前に学習センターがあった時にランチで通った喫茶店「石の花」へ寄って見たが、やはり駅前工事の影響なのか、当分休業だそうだ。Img_2580 でも、この一角は奇跡的に残っていて、希望はつながったと行って良いだろう。店が再開されることを切に期待している。

 

 

2017/03/05

牛久でゼミ

Img_5947 牛久で大学院ゼミを開催した。修士のGさんが今年度の論文テーマを、茨城県牛久市の「まちづくり」としていたので、それではみんなで見に行こうということになり、今月の修士課程ゼミナールは上野から常磐線に乗って1時間ほどの距離にある牛久まで行って、開くことにしたのだ。修士OBIさん、Fさん、Yさん、Hさんも参加して、賑やかな小ゼミ旅行となった。

 

Img_5891 牛久市は、冬場所に優勝し見事横綱となった、「稀勢の里」の故郷だということで、最近有名になった。東口駅前には、彼の手形を飾った碑も立っていた。Img_5914 駅前の整備も終わり、イタリアのキャンティ市から輸入した明るい色の赤レンガが敷き詰められていて、一見順調にまちづくりが進んでいるように見える。

 

Img_5899 けれども、ひとたび西口駅前の商業施設に入ると、そこはシャッター街となっていた。この牛久駅の西口正面のビルには、関西資本のスーパーマーケットの「イズミヤ」が入っていたのだが、先月30年の歴史を閉じ撤退し、その煽りで1階から3階まで、専門店街が軒並みシャッターを閉ざしていた。Img_6118 30年間といえば、やはりひと時代潜り抜けたということではなかろうか。駅広場にあったという、コンビニも閉められ、その二階のチェーン居酒屋も撤退したそうだ。駅のドラッグストアも近々撤退するそうで、牛久駅近辺は、転換期(衰退的)の真っ最中ということだ。Img_6116 これほど、一気に転換期を迎える市中央というのも、珍しいのではないかと思われる。その意味では、Gさんにとっては研究するには困難な題材ではあるが、問題状況のタイミング良い時に取り掛かったと言えるのではないだろうか。

 

Img_5885 なぜ街の衰退がこれほど急激に進んでいるのだろうか。いくつかの要因があるのだが、Gさんが指摘する象徴的な出来事を挙げるならば、最盛期にはJR牛久駅を利用する人が、2万人を超えていたのが、近年1万人程度になって、半減したということだ。Img_5926 都市のスプロール化が進んで、膨張した働く世代が、一挙に減ってしまったということらしい。けれども、人口は8万人を超えていて、この変動はあまりないということだ。つまり、都市内容の性格が変化してきたということになる。

 

Img_5937 さて、今日の見学のメインは、駅から徒歩10分ほどのところにある。立志伝中の人物である、神谷伝兵衛が創立した、重要文化財の建物「シャトー・カミヤ」だ。日本で初めて本格的なワイン醸造所を建てた、神谷伝兵衛とはどのような人物だったのだろうか。

 

Img_5958 面白かったのは、3点である。一つは、神谷伝兵衛の企業家的性格である。なぜ彼は明治期にこのシャトー・カミヤを中心として、成功したのだろうか、という点である。二つは「シャトー・カミヤ」は牛久のまちづくりにとって、どのような意味を持ちうるのだろうかという点である。三つには、牛久市の現状と課題は何か、という点である。Img_5970 二つ目と三つ目については、Gさんの個人的なテーマ内容であり、そのうち修士論文として成就されるだろうから、その時の発表に注目したいと考えている。また、駅ビルの研修室でのゼミでじっくりと議論したので、ここでは触れないことにする。

 

Img_5982 第一の点は、面白かった。印象的な物言いをするならば、神谷伝兵衛の本質は葡萄作りの農民体質だったのか、それとも営利的な企業家体質だったのかという点である。Img_6031 シャトー・カミヤは、確かに明治期(今から100年前)にはフランスに学んだ本格的ワイン醸造所として出発した。けれども、明らかにそこからの変質があり、これがシャトー・カミヤの成功理由であったのではないだろうか。

 

Img_6027 蜂印ハニーワインをご存知の方は多くいらっしゃるだろう。この甘みを加えたワインが、赤玉ポートワーンと並んで、戦後まで日本人のワインの中心を占めてきたのだが、その基礎を作った一人が神谷伝兵衛だったのだ。どのようなワインが日本人に合うのかを、起業家としてわかっていたのが、神谷伝兵衛だったとわたしは思う。明治期においてはまだ本格的ワインは日本人の趣味には合わず、ハニーワインを売ったというところに、神谷伝兵衛の企業家精神を見るのだ。Img_6018 そして、これに加えて、浅草の「神谷バー」で当たりをとった「電気ブラン」。これもブランディーに手を加えて、日本人向けにしたものであり、単なる洋物のまねではなく、日本人の嗜好に合わせた洋酒作りを行ったのが、神谷伝兵衛の成功物語なのだ。

 

Img_6128 電気ブランの名称由来が記念館に書かれていた。なぜ「電気」なのかといえば、わたしは「ビリビリ」と舌へくるからだと思い込んでいたのだが、そうではなく、神谷伝兵衛のマーケティング能力からの命名だそうだ。つまり、当時流行してきた電灯や電話などに使われている「電気」という言葉をそのままブランディーの名前に持ってきたらしいのだ。Img_6048 たとえば、「超伝導うなぎ」などという命名と同じなのだ。伝兵衛はかなりキャッチーな志向を狙っていたことがわかるのだ。

 

Img_6032 神谷伝兵衛の企業家としてのマーケティング能力は相当高かったと思われる。まず、若い頃に横浜の居留地でワインと出会った後、酒を巡る様々な業界を渡り歩いて、最終的に牛久の土地を購入している。Img_5977 けれども、電気ブランでわかるように、牛久だけに閉じこもらずに、浅草にアンテナショップを開店させたのも、現代的な広告宣伝方法を先取りしている。また、日本酒の宣伝ポスターによく使われていた、美人画ポスターを取り入れたり、新聞広告でのイラスト記事を作ったりしていているのが、記念館を見て回るとわかってくる。Img_6034 最初は、ワイン醸造所のぶどう酒造りの機械・機器類に目を奪われていたのだが、どうやら違っていることに気がついたのだった。

 

Img_5954 けれども、100年経ってみてどうだろうか。ここで勝沼のワインと比べてみたい。 ほぼ同時代に、両者ともにフランスへ技術者を派遣して、ワイン造りをはじめた。勝沼では、本格的ワインでは、数々の失敗を重ね、また日本人の嗜好はなかなかワインを受け入れるには至らなかった。Img_6015 主たる企業も倒産してしまう。これに対して、シャトー・カミヤでは本格的ワインは脇に置いて、日本人の好みに合うワインやブランディーをヒットさせ、かなりの成功を当初から納めた。この違いは大きかったといえるだろう。

 

Img_5994 けれども、現在はどうだろうか。明らかに、ワイン醸造所の集積では、牛久に対して、勝沼は圧倒しているといえるだろう。ここに、産業というものの難しさがあるといえる。短期的に営利的に成功しても、必ずしも100年後にもその成功が持続するとは言えないのだ。Img_5916 牛久では、ワイン製造の時期が早くに終結したぶんだけ、営利性の強い観光・販売の面で強みを見せる時代へ早めに入っていくことになったのだ。さて、どちらの方がよかっただろうか。100年間の年表をみんなで見ながら、議論のたねは尽きなかったのだった。

 

Img_6121 昼食はもちろんワインを飲みながら、肉料理ランチをいただく。重要文化財のレンガ建ての昔の貯蔵庫が、レストランに生まれ変わっているのだ。また、今日は日曜日だということもあって、団体客が大型バスで押し寄せていた。バスの表示を見ていたら、建材メーカーの接待旅行の途中のようだった。帰りも、牛久市のコミュニティバスで、駅に向かった。Img_5883 駅ビルはこのように空いている分だけ、ゼミに使える研修室が備わっているのであって、都市の衰退ということも、わたし達のような有閑活用グループにとっては、悪い事態ではないのだ、と考えた次第である。議論をして、その後もう一度、イタリアンの店のワインで乾杯して、上野行きの常磐線に乗ったのだった。

 

2016/10/28

神戸で散策

Img_4720 神戸の中心部でランチを食べ、そして山の上でイタリアン料理という食べ物中心の散策をした。今回の旅行は食べること自体が目的だったので、それ以外については、何も計画を持っていなかった。Img_4743 「ポンペイの壁画」展を東京で見逃していたので、これを県立美術館へ行って見るという選択もあったが、結局は神戸の街自体を楽しみたいという方に軍配が上がった。

ゆっくりと、バスで三ノ宮へ出る。いつもより多目にとった朝食の、お腹がこなれた時間になったので、駅から徒歩でなだらかな坂道を辿って、昨日は断念したパンのフロインドリーブへ行く。Img_4744_2 昔の教会の建物が店になっているので、ゆったりとした広い造りだ。窓の金具などは壊れているのだが、おそらく重要文化財なのだろう。安易には直せないというような、別の金具がつけられていた。古い建物を尊重するのは良いことだと思う。われわれ観光客が街の方へはみ出すことがないほど、スペースはたっぷりしているのだが、ひとたび建物の中に入ると、昨年と同様に、客が椅子に腰掛けてランチの順番を待っている。多くは女性のカップルか、同窓生観光の集団で、それに家族連れが加わる。Img_4810 したがって、客のほとんどは女性客で、男性は数えるほどしかいない。パンをランチで、という発想自体が女性向けなのだろうか。建物の中の待合椅子はせいぜい20脚くらいなので、もし団体客などが来たら、外のベンチや庭のテラス席が総動員されるのだろう。

Img_4748 ほどなく、席に通された。今日はランチメニューと決めていたので、選ぶ楽しみはスキップした。きのこのスープは香りを運んできたし、程よく切られた今日の特製サンドイッチはちょうどかぶりつきやすかった。Img_4758_2 ローストポークハムとチェダーチーズのサンドイッチだ。中に挟まれたピクルスも効いている。それにコーヒーとデザートが付いている。こんな時に何なんだが、じつはこのような時に妻と話す会話は、ほとんど覚えていない。Img_4770 会話自体を楽しんでいるので、内容や目的は存在しない。でも、会話の内容はいつもの家の中とは何か違うのだ。周りの雰囲気の影響を受けて、サードプレイス的な会話をしているのではないだろうか。改めて、妻と社交というわけではないのだが、おそらく社交を楽しむというのは、このようなことなのだろうと思うのだ。時間を気にしないで、何気ない会話に終始しているのだ。

Img_4777 午後には天気が崩れるという予報が出ていたので、早々に摩耶山ケーブルを目指す。やはり、途中からかなりの霧が煙ってきて、ロープウェイに乗る頃には、霧雨から冷たい本格的な雨に変わっていた。Img_4784_2 山の中腹にある待合室を兼ねた展示室に、映画「デスノート」の写真展が展開されていたので、ケーブルとロープウェイの間の待合時間に読んでいると、この近くにかつて建たっていた摩耶観光ホテルがこの映画のロケで使われたらしい。現在では、まったくの廃墟となっていて、ロープウェイから見ても、奇々怪々の雰囲気を持っていて、この建物の内部を見るだけでも、この映画を見たいと思わせるような建物だった。Img_4805_2 途中、まだまだ、阪神間の眺望はかなり効いたのだが、ロープウェイの終点に着くころには、10メートル先の視界も望めないほどになっていた。標高は、682メートルあるということで、先ほどまで、淡路島の標高0メートルのところにいたのだが、一気に700メートル弱を登ったことになる。

Img_4827 客を待っていた山頂のバスが、わたしたちが乗らないことを確認して、空のままで運転手がアクセルを踏んで出発していった。 道なりのなるべく濡れていない車道を選んで、宿に着いた。Img_4832_2 そして、夕食を少し遅めに設定して、お湯に入って、寒くなって冷えた身体を温めたのだ。今日の夕飯は、これも昨年来ているので、ゆったりと時間を過ごしての夕食となった。Img_4848 今回も、定評あるイタリアン料理を堪能する。年を取っているのでハーフコースにしたのだが、それでもお腹いっぱいになってしまった。フォアグラから魚料理、牛肉料理までが続いた。Img_4877 外は吹雪いたような、横なぐりの雨で、テラスのガラス戸が煙った雨で揺らされるのを見ながらの食事であった。Img_4881Img_4891 Img_4896 Img_4885 Img_4893 この窓からは、いわゆる1千万ドルの夜景が見えることになっているのだが、視界はまったくない状態だ。

Img_4905 Img_4953 Img_4913Img_4931Img_4925

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いつもはそういうことはないのであるが、夜中に目が覚めて、テラスから外を眺めると、なんと雨が上がって、神戸の夜景が浮かび上がっていた。先ほどの激しい雨はどこへ行ってしまったのだろうか。当たり前ではあるが、山岳の変わりやすい天候が夜中にもあるのだ。Img_4977Img_4979Img_4986 いま、都市経済の原稿を抱えているのだが、この夜景の映すイメージはこれまで読んできた文献を凌駕する。都市経済そのものだなと感じたのだ。寝るのも忘れて、ずっと窓際で、この初期カンディンスキー的夜景を眺め続けた。この抽象的な光の重なりの下には、どれほどの具体的な人間の活動がさらに重層しているのだろうか。

結局のところ、その後朝湯に入り、朝食を食べ、六甲山周りのバスに乗って、神戸の街の散策へ戻ってきたのだった。ここで妻と別れて、妻は買い物、わたしは珈琲店巡りとなった。Img_5004_2 今回目的とした喫茶店は、元町近くのトアロードにある「樽珈屋」だ。現在は挽き豆専門店になってしまったが、かつては喫茶店も営業していて、その頃から神戸へ来るたびにいくのだが、タイミングが悪く、いつも閉まっていた。Img_5018 今回、ようやく豆を買うことができた。土産もここの豆にした。バリエーションは豊富なので、次にも色々と試したいと思わせる味の豆がありそうだ。Img_5035 今回は、軽めのスッキリ味のブレンドを二袋購入した。ふつう、スッキリした味のものは、焙煎を浅くして、酸味系のものを入れてあるのだが、ここのスッキリ味は酸味系でスッキリというよりは、他の豆(どこの豆なのかはわからないが)の影響でスッキリ味としていて、特有の味がして楽しかった。

Img_5043 道を挟んで、反対側を見ると、そこには雑貨書店のチェーンであるビレッジ・ヴァンガードが店を出していて、神戸まで来て、ここで入るのかとも思ったが、変わった本が時々置かれているし、楽しい音楽もかかっており、最近の若者の雑貨志向も知ることができるので、やはり入ったのだった。Img_5041 そして、たくさん立ち読みしてしまった。たとえば、小出版社から出て、注文しにくい本であるル・コルビュジエの『小さな家』などが並べられていた。建築家が両親のために、一部屋だけの小屋を作ったのだ。このような小屋に本を並べて、木陰で暮らしたいという、わたしの欲望を刺激したのだった。Img_5047 表に出ると、子供達が商店街のハロウィーンの催しで行儀よく列をなしていて、店主たちがサービスで、訪ねて来る子供達へキャンディを振舞っていた。このようなお祭りには抗しがたいものがある。

Img_5055 さらに、三つの店を回った。元町の駅前から1本入った商店街の中くらいに、ドアが建物にぽんとついていて、何屋さんなのか、通りすがりの人にはわからない店がある。これが二軒目のお目当の珈琲焙煎専門店「グリーンズ」だ。クラフト・コーヒーと包み紙に記されていた。クラフト・コーヒーという言い方はありそうなのだが、これまでお目にかかったことがなかった。ドアを開けて、奥で焙煎機と格闘しているご主人を見れば、なるほど「クラフト」なのかもしれないと思うのだった。どちらかというと苦味系の豆が多い。

Img_5054 三軒目は、いつもここへ来ると寄る店「エビアン」だ。ここのブレンドは、複雑な味がするので、飽きることがない味を出していると思う。1日1回は寄りたいと思わせる味なのだ。Img_5057 袋から豆を出して眺めていると、深煎りの黒い豆や浅煎りの薄茶色の豆や中ぐらいの豆などが見るからに複雑な色模様を照らしているのがわかる。味もこの通りなのだ。Img_5063 この豆を職場のカンファレンス室へ持って行こうと思う。今度のコース会議のコーヒーに出してもらうことができるかもしれない。

そして、最後はエビアンの入っている隣ビルの地下にある、ジャズ喫茶の「ジャムジャム」だ。Img_5065_2 小腹がすいてきたので、名物シフォンケーキとコーヒーを頼んだ。

Img_5069_2 ここは聴く専門の席と、話すことのできる席とが中央で分かれている。けれども、今日のところは途中から話す人々が多く入ってきて、ジャズに耳を傾ける方は劣勢だった。Img_5072 この店では、数時間いると、必ずかかるのがモダンジャズ・カルテットで、今日も最後の最後に「サテンドール」がかかって、今日の締めとした。Img_5073 それで、妻との待ち合わせの「大丸」トアロード口へ急いだのだった。

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2016/10/27

夜行バスで関西観光

Img_4604 忙しい合間をぬっての観光ほど、楽しいものはない。まるで、夢を見たような数日なのだ。難題の書かれた注文票が目の前に何枚も並べ立てられてたのが、急に取り払われて秋の快晴青空がずっと見渡すかぎり広がっていったという気分にしてくれる。数日後に卒論の締め切りが迫ってきていて、このところ連日、学生からの草稿が届いていた。今日までに届いたものは、ようやく夕方までに返事を出した。Img_4610 もう一人いらっしゃるが、直前にメールが来て、送付が来週になりそうだというので、身軽になった気持ちで旅に出たのだ。卒論にとって、最後の1ヶ月は重要な熟成の期間なのだ。じっくりと攻めていただきたいという思いがある。今年の卒論生は優秀で、ほぼ全員が1ヶ月前までにほぼ8~9割の完成原稿を送ってきていた。わたしにとっても、余裕のある季節となった。

Img_4589 夜行バスでの関西観光という強行軍を、妻が提案してきたときには、ほんとうに体力がもつのかわからなかった。閉所恐怖症ということはないのだが、ふつうに狭いところはダメだ。そして、このところの夜なべが続いていることもあり、さらに、昔から夜行列車が苦手だったということもあった。大学生の頃には、京都にいた友人のS氏を訪ねた帰りは、お金もなかったので、鈍行の夜行列車に乗ったのだ。Img_4591 ところが、寝台車と違って、普通席でしかも満席状態だった。覚えているのだが、長い列車の先頭車両の、しかも一番前の席だった。うつらうつらした後は眠れずに、デッキに出て、時間を潰したのを覚えている。

Img_4587 そんなこともあって、夜行バスで寝ることができるのか、という心配があったのだが、いざ乗ってしまうと、溜まっていた疲れのせいか、座席を倒して、あっさりと寝込んでしまったのだった。気がつくと、すでに京都、そして大阪で、早々に神戸の三ノ宮へ着いたのだった。骨は軋んでいたけれど、気分は爽快だった。Img_4609 昨年と同様に、さっそくパンのフロインドリーブで朝食を、と考えたのだが、残念ながら10時始まりなので、まだだいぶ時間がある。そこで、北野の入り口にある老舗の西村珈琲本店でモーニングセットを頼むことにする。ここなら、8時から開いていて、中が3階まであって、広くて、ゆったりとできる。

Img_4598 今日は直行で、淡路島へ行ってしまおう、ということにして、淡路島行きの高速バスを探すが、路線が3~4路線あって、競合しているし、三ノ宮の駅前のバス会社の位置がなかなかわからない。出発時間が迫ってきてから勘が鋭くなって、乗り場のビルをようやく見つけ、切符を買うのもそこそこにバスへ乗り込んだ。予定のない旅行の面白いところだ。関西だといっても、日本語なのでよく聞けば、理解できるのだが、年をとるに従って、聞く能力が衰えてきているのだろうか。右と左を間違える。Img_4634 妻の得意技が病的に移ってくるのを感じるのだ。バスが淡路島へ渡ってからが、かなり距離があり、いろいろなバス停をたどって、ようやくにして、「陸の港西淡」へ着く。時間がたっぷりあったので、周りを散策して、この辺唯一のショッピングセンターを見つけた。何を思ったのか、ここのビュフェで残した仕事を広げてしまった。仕事中毒も極まっているのを自覚する。

Img_4640 数時間後、宿へ電話をして、迎えに来てもらう。数分で着く距離かと思ったら、淡路島の一つの町村を横断するくらいの距離があり、運転手さんの説明を聞きながら、農村風景を楽しむことができた。今回はグルメ旅行という位置付けをしていた。中でも、今回の宿の「玉葱フォンデュの鯛しゃぶしゃぶ」という料理に執着しているのだ。この玉葱フォンデュとはいかなるものか、というのが、頭で考えてもなかなかイメージ出来なかった。Img_4652 だからこそ、味を体験したいという好奇心が湧いたのだった。玉葱は淡路島の特産物で、甘い果肉に特徴があるのだそうだ。車窓の両側に二毛作の田畑が広がり、ちょうど稲が終わって、玉葱が植えられ、いつも5月ごろに収穫が見られるのだそうだ。農家の話になって、特産品があっても、やはり後継者がいないので、生産性の良い畑もどんどん減っているのだそうだ。

Img_4653 宿に着くと、運転手さんが日の入りが綺麗ですよ、と海岸沿いの散歩コースを教えてくれた。道なりに坂を下って行くと、坂の下でちょうど日の入り時刻となった。瀬戸内海の向こうの島の間に日が沈んでいった。Img_4648 空は快晴だったのだが、日の入り近辺だけに雲が出ていて、複雑な模様を写していた。瀬戸内海は、波が静かで、潮の香りがほとんどしないという特色があるのだが、この海岸もその例にもれなかった。湖のような、波を聞きながら、世間の音を後ろへ追いやって、旅の音に耳を傾けたのだった。

Img_4680 さて、問題は「玉葱フォンデュの鯛しゃぶしゃぶ」なのだ。フォンデュはこんな感じで、言葉に表すことはできないのだが、チーズフォンデュと似ていないことはない。けれども、このスープをそのまま見た限りでは、チーズフォンデュとはまったく別物だ。Img_4687 鍋いっぱいに、半固形で濃厚そうな玉葱を摺ったスープが入っている。これを温めて、横の用意された贅沢な鯛の刺身でしゃぶしゃぶするのだ。スープだけでも美味しいのだが、しゃぶしゃぶにするともっと美味しいのだ。数年に一回は味わいたい料理である。Img_4685 これだけで、満足してしまった。いかにも味は美味しいのだが、目にも贅沢な料理だ。グルメ料理の要素である見せびらかしの要素を兼ね備えていて、素晴らしい。さらに、料理はこの後、鯛の姿焼きやあら煮、鯛の釜飯など、鯛づくしの楽しい献立が目白押しだった。Img_4696 それから、目にも良いという点では、意外にも、鯛の刺身についていた、淡路島の今朝採れた「レタスのしゃぶしゃぶ」が玉葱に合っていて旨いし、グリーンの色具合がよかったのだ。

Img_4704 この宿の料理の出し方がちょっと変わっていた。ふつう、料理は部屋ごとに、仲居さんが専門に張り付いて、同じ人が次から次へと料理を運んでくる。部屋付き仲居制なのだが、この宿は違っていて、料理付き仲居制をとっていた。Img_4702 料理によって、運んでくる仲居さんが異なるのだ。一つの料理に専門に一人の仲居さんがつくやり方なのだ。想像されるのは、この宿の料理では、それぞれの料理ごとに仲居さんが専門に行う作業が特別なのだと思われる。Img_4708 接客を中心とするサービスではなく、料理のためのサービスを中心にしている仲居制度を取っているものと思われる。それが証拠に、「玉葱フォンデュの鯛しゃぶしゃぶ」付きの仲居さんは、板場には入れないのだがと注釈を入れながらも、客に板さんが説明するときの口上を覚えていて、「玉葱フォンデュの鯛しゃぶしゃぶ」の説明に詳しかった。Img_4711 「玉葱フォンデュの鯛しゃぶしゃぶ」は仲居制度まで変えてしまうほどの料理なのだ。「玉葱フォンデュの鯛しゃぶしゃぶ」恐るべし。

Img_4715 もう一つこの宿の取り柄があって、それは鳴門大橋を見ながらの露天風呂だ。180度の視界が広がる中での入浴なのだ。泉質はアルカリイオンが含まれていて、肌がヌルヌルしてくる性質があり、身体中のシミそばかすが溶けていくような感覚がある。Img_4624 目をつぶって、瀬戸内海の空気を感じながら、頭を浴槽のヘリに預け、身体を温泉に浮かせていると、夢の中と間違えるほどだった。H県から来た農業委員会の方と一緒になったのだが、瀬戸内海を渡ってくる価値があるのだそうだ。栄養を取って、英気を養う旅となったのだ。Img_4690

2016/07/10

京都へ来ている

Img_1102 京都へ来ている。大学院のゼミナール開催のためだ。博士課程のFさんが島根に住んでいて、Hさんが関西在住で、さらに修士のNさんが同じく関西なので、わたしの横浜在住というのがずっと引っ張られて、今回は変則の大学院ゼミとして、京都学習センターで開かれることになった。今回がうまくいくならば、1学期に1回程度、関西から岡山さらに島根で開催するゼミを定例化することを考えても良いのかもしれない。

Img_1105 問題はあるのだ。今日はたまたま京都学習センターの部屋が空いていてゼミができたのであるが、じつはこのセンターでは、いつもこのようにすんなり予約が取れる保証はないのだ。それで、京都出身のHさんに聞くと、幾つかの他の選択肢がありそうである。また、京都学習センターの事務長の方にも相談したら、幾つかの候補が上がってきたので、何とか粘って探してみたい。もっとも、有料にはなってしまうのだが、それでも静かなゼミ室が確保されるのであれば、それに代わるものはないと言える。

Img_1106 これまで1月の合宿では、同志社大学の講義室をN先生との合同ゼミということでお借りしてきたのだが、今年度はN先生の担当学生が全部修了なさってしまい、一人もいなくなってしまったので、N先生にお願いするわけにはいかなくなったのだ。そこで、半年も前から会場探し、ということになっている次第だ。京都大学のG会館とか、S庭園とか、ということが実現されればこの上ないのだが、なかなか難しい。Img_1107 少し奮発して、前回使った京大医学部のS会館ということもありうる。けれども、会場探しも京都の場合には、他に素敵な場所が数多くあり、たとえば東京圏ではM先生の著書「権力の館」を見れば良いのだろうが、京都にもそれに類した魅力的な場所があり、選ぶ楽しみだけでも満喫できるのは良い。

Img_1110 午前中に、新自由主義についての議論を行い、午後から博士後期課程の方々との消費者社会論、社会ケア論などの議論が続いた。このような1学期に1回のゼミというのは、まとめて数回分に当たるために、じっくりと考えることができるというメリットがある。少人数で、長時間、しかも転地効果が働くのだ。

Img_1108 学習センターは6時には閉館になってしまうので、後の残った話や議論は、オフ時間を利用することになる。京都駅近辺では、いつも適当なところがなく困っていたが、今回はHさんの誘導で裏道へ入っていく。ちょうど開店1周年記念だという店「たかひとり」に当たる。1軒目にして、落ち着けるところを見つけることができたのは幸いであった。鴨料理を得意とするところだが、鹿肉や猪肉もある。ビルの地下室にあるために、10人足らずでいっぱいになってしまう。予約をしてなかったので、最初は断られると思っていたが、若いご主人が席を詰めてくださった。

Img_4235 Fさんの本職は公務員なのだが、同時に実家の寺の住職を継いでいる。その寺の総本山が京都にあって、明日は儀式に出席しなければならないそうだ。法衣を持参のゼミナール参加だ。想像するに、これは相当な忙しさである。それを克服して、ゼミに参加してきているのは素晴らしいと思う。学者の方で、住職を兼ねている方は、京都を中心にしてかなりの数がいると聞いているのだが、学術と宗教とには似たところがあるのかもしれない。

Img_4236 京都の夜は、姉小路にある「Kocsi」で静かに過ごすのが、定番となりつつある。夜食には、ここのキッシュとワインをとった。今日のゼミナールでの議論を振り返る時間をたっぷりととることができた。今日の議論で共通に問題となったのは、消費者社会にしても、ケア社会にしても、なぜそのような社会が崩れ、かつ成立するのか、という生成の問題点が浮き彫りになった。議論は多岐にわたったので、うまく整理して、次の議論につなげてもらいたいと思った次第だ。Img_4241 ここには書くことはできないが、多くの魅力的な言葉やアイディアが満載の議論だったな、という感想を持った。Img_4245 以前にも書いたが、麩屋町あたりの町屋には、老舗が並んでいて、ショーウィンドーがギャラリーになったりしている。この「デルフトタイル」の白と藍の組み合わせを見つつ、夜の散歩をして、宿へ至る。

Img_4242 次の日も午前中11時まで、部屋を使えるので、これまで溜まっていた大学院関係の仕事をまとめて片付ける。幾つか整理していくうちに、問題点が見つかり、さてどうしたら良いのだろうか。

Img_1117 これも定番となりつつある京都での昼食は、柳馬場通りにある「菜根譚」にて、白胡麻担々麺だ。これも一年に1回は賞味したい味だ。とくに、今日のように暑い日には、この濃厚なスープに乗った、程よい辛さが似合っている。Img_1121 玄関を入ると、町屋特有の土間が奥まで続いている。静かな奥の板の間に通される。そこの小さな卓袱台に案内される。担々麺を食した後に、さっぱり感が凝縮されている杏仁豆腐を頼んで辛さとのバランスをとる。

Img_1119 さて、今週からはゼミ合宿や試験週間、さらに採点が目白押しなので、まだまだ夏休みは遠いのだが、その準備を行っておきたい。Img_4262 静かな喫茶店で、まとめて読書をしたいと思ったのだが、京都の月曜日は博物館や美術館はほとんどお休みで、それに呼応するかのように、行きたいと思っていた喫茶店も閉まっているのだ。Img_4264 四条に出て、喫茶店「ソワレ」定休。喫茶店「エレファント・ファクトリー」定休。という道筋を辿っていると、木屋町の高瀬川沿いへ出る。ここには以前から、廃校になった旧立誠小学校の校舎・講堂がまだ建たっていて、現在ではコミュニティ活動の拠点となって解放されている。Img_4267 Img_1125 Img_1128 Img_1131 この正面玄関を入ったところに、喫茶店「Traveling Coffee」を見つける。京都の繁華街の真ん中に、オアシスを見つけた思いだ。新幹線までの数時間をほぼこの空間を独占して過ごす。コーヒ1杯300円なり。静けさや学び舎にしみいる抽出珈琲。Img_1145 Img_1144 Img_1143 Img_1142 Img_1141 Img_1139 Img_1134 Img_1136 Img_1146 Img_1153

Img_1115 今日の椅子は、「Kocsi」のスペイン風長椅子と、年代物の応接椅子だ。いずれもアンティークショップで見るようなものだが、今日の喫茶店でこのような古い椅子が好まれて使われる理由があるように思われる。Img_1122 それは、現代人にとってはノスタルジアは解放の要素だという点だ。現代人は現在に追われているから、逃げる先は未来か過去かになると思われる。落ち着けるのは、やはり過去で、この椅子の古さがそれを呼び起こしていると思われるのだ。Img_4234 Img_4252 Img_4243

2016/06/26

宮崎面接授業の二日目

Img_1005 「アーツ&クラフツ経済社会入門」と題した今回の面接授業では、中世から近代に向かう様々な「デザイン運動」を紹介した。Img_1006 昨日の講義では、「デザイン運動」という、苦手の分野をいかに簡潔に紹介し、さらに「経済」との関係をよりシンプルに説明できるのかが、わたしにとっては問題だったのだが、無難に切り抜けることができたのは幸いだった。

Img_1011 講義の出だしでは、20世紀前半に英国で活躍したウィリアム・モリスの「アーツ&クラフツ運動」を導きの糸として講義した。この運動は典型というわけではないが、題名からして避けることができない。映像や写真もかなり手に入れてあり、これらのデザインは見ることができなければ、学生の方々も感ずることはでいないので、映像を用意しておいて、思った通りの講義になったと思う。最初はアーツ&クラフツについておぼろげな印象しかなかった方々も、おおよそのイメージを抱いたようだった。Img_0967 モリスの中ではちょうどデザインと経済が交差していて、扱いやすかったのだ。面接授業の参加者たちも、モリスの名前は多少知っていても、経済との結びつきまで想像できなったみたいで、スタートの話は順調に進んだ。

Img_0969 その後、近代のデザインの中で、とりわけ経済社会に関係するのは、建築やデザイン運動になるのだが、ちょうど近代の建築とインテリアの関係を述べるなかで、とりわけ注目したのは、「バウハウス運動」であり、デザインの系譜と経済との関係を明らかにしていくことができた。Img_0962 問題は、中世の手仕事と、現代の手仕事と経済的に見て、どこが異なるのかという点にある。

Img_0988 昼食は、またしてもイタリアンとなった。ピザの店「ボンリッサ」で石窯ピザだ。日曜日だということがあって、玄関を入ると、左右の部屋の席はほぼ満席である。予約を取っているかと、石窯でピザ焼きを行っているご主人に聞かれて、取っていないと答えると、カウンターの席を用意してくれた。ここからは、窯もよく見えて、ピザを窯に入れ、どのように焼くのかが手に取るようによく分かる。Img_0991 このような作るためばかりではなく、見せるための窯というのは、料理人にとっては、ある種の見せ所なのだ、自信の表れなのだと思った。窯へ入れる時に使う長い柄のついたヘラをくるくると、天井を突き抜けていくくらいに回して、リズムを取っている。Img_0989 自然に身についた職人の癖みたいなもので、これは見ものだ。ご主人の汗はかなりのものだった。冬にはこの石窯が暖房替わりになるとしても、これからの夏には、ちょっと近くには寄れないだろうなと推測したのだった。薄焼きで、外パリパリ、内モチモチタイプのマルゲリータが出来上がってきた。これから、午後の講義がなければ、白ワインが欲しいところだ。

Img_0998 学習センターの方々に、宮崎牛の店を聞いたのだけれども、昨日行こうと計画したフランス料理の店しか、この辺では思い浮かばないとのことだったので、あっさりと諦め、他の可能性を追求することした。Img_0996 昨日、散歩をしているうちに、駅から北のほうへ歩いていったところに、とんかつの店を見つけていたのだ。ホームページで見ると、宮崎で一番豚肉が旨い店として紹介されていたのだ。Img_4199 それで、講義が終了した後、レポートの採点の途中ではあったのだが、その店「不二かつ」本店へ出かけることにしたのだった。

Img_4206 まだ夕方の5時だというのに、店内へ入ると、椅子に腰掛けて順番を待っている人々がいるのだ。一人だと告げると、やはりカウンターの真ん中を用意してくださった。眼の前で、肉が出てきて、コロモをつけ、次から次へと油で揚げられていく。Img_4201 3人の分業体制を十分に観察することができて、食欲だけでなく、仕事のタイミング、流れ作業のネックなど、面白い場面が見られたのだった。肉を準備することと、揚げることは、見せ場なのだが、それほど手がかかるわけではない。やはり、コロモをつけるところがネックになるところらしい。

Img_4202 次の日の午前中は、レポートの採点と整理に費やした。大雨が来るらしいという予報があり、なんとか日向市の駅に着くと、その途端に大粒の雨が降り出した。若山牧水の生まれ故郷だということで、至る所に牧水の句を見ることができる。大雨に濡れ始めた駅広場の碑には、有名な旅の句が刻まれていた。また、駅の中の句は、故郷を歌ったものだった。

幾山河超えさり行かば寂しさのはてなむくにぞ今日も旅ゆく

Img_1001 日向灘ぞいに日豊本線が南下していく。宮崎らしさは、なんといっても、このヤシの木だろうか。この激しく降る雨に似合っている。しっとりとした南国の空気を感じながら、木製のシートで作られた素敵なJR九州のCT列車に揺られたのだ。Img_1015 航空機まで時間が少しあったので、宮崎市内を散歩した。砥部焼を売っている民芸店「日向路」などを散策して、ジャズ喫茶「Lifetime」でハンバーグランチ。食事の後、さらに少し時間があったので、残っていた面接授業のレポート整理を一気に片付けてしまう。Img_1018 この全体結果は、後の長野と札幌が終了したのち、ホームページを通じて、お知らせしようと考えている。受講生の方々は、12月には忘れずに、このページへアクセスしてほしい。きっと興味深い集計が現れていることだと思われる。でも、11月までみんな覚えているかな。

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今日の椅子は、JR九州のCT列車の座席シートだ。なんといっても、木製であるところが洒落ている。また、南国であるということから考えて、公衆衛生上、布は使わないという点でも合理的な配慮がされている。けれども、JR九州の「贅沢」コピーはここでも効いていて、なんと黒い部分は、本革だったのだ。駅舎や人員合理化で浮いた分を、惜しげもなく、車両のデザインにつぎ込んでいて、これだけの「見せびらかし」効果を自覚している会社というのは、大したものだ。Img_4210 Img_4209

2016/06/17

面接授業の季節が巡ってきた

Img_0901_1 今年も面接授業のシーズンが巡ってきた。毎年、6月には地域の学習センターの面接授業に出かけることにしている。土日に集中するので、4月と5月にはゼミをスタートさせ、7月には学期末試験が控えていて、やはり6月に集中することになる。たぶん他の先生方も同じことを考えるから、自然に6月は面接授業の季節となる。自然の調整とは恐ろしいものだ。

まずは、山形からスタートだ。K大学での講義を終えて、横浜で買い物を済まし、東京駅の混雑したお弁当売り場で、ヒレカツ弁当を購入して、夕方の山形新幹線つばさ号へ飛び乗った。山形駅へは、9時前に着いた。宿泊先へ荷物を置いて間もなく、さっそく恒例の出張先の映画鑑賞に繰り出した。山形市には、駅から程よい距離のところに名画座系の映画館「フォーラム」がある。映画「マネーモンスター」の最終回にようやく間に合ったのだ。

Img_0934 俳優がG・クルーニー、J・ロバーツ、さらに監督がJ・フォスターであれば、出資のSONYも文句は言わないだろう。物語は、クルーニー扮する株専門キャスターがテレビの生番組放映中に、番組ジャックされて、デレクター役のロバーツとともに、物語があらぬ方向へ進んでいき、最後は原因となった株価暴落企業の秘密が暴かれるというものだ。

Img_0935 近年、ハリウッド映画は、金融ものというジャンルを打ち立ててきている。なぜ株価が上下するのかということについては、いろいろの要因が絡み合っていて、一筋縄ではいかない。だから今回もリーマンショックを上回る複雑な要因が存在していて、見事に説明をしてくれるのだと思っていたが、この映画では多少不満が残るかもしれない。何か秘密で重要なことがあると思われるからには、その内容はもっと重要な要因でなければならないのだが、この映画では古典的な詐欺事件に堕してしまっていて、ちょっとつまらない気がする。

Img_0902 つまり、「マネーモンスター」という割には、貨幣の「信用」という本質的なもののところでモンスターが生まれるのではなく、人間の欲望のような本来の物語でのモンスターであって、題名に偽りアリというところが残念なのだ。けれども、ドラマ自体は面白いし、クルーニーもロバーツの演技も慣れたものであって、娯楽作品としてはとても楽しめるものとなっている。

スタジオがジャックされるときの、この映画の道具が気になった。爆弾テロで自爆・他爆する時、スイッチから手を離すと、爆弾が炸裂するという仕掛けが、よく使われる。今回もこれだ。スイッチを押すと爆発するのと、スイッチを離すと爆発するのとの違いがあるのだ。スイッチを押す人、押している人を倒せば、前者は爆発から免れるが、後者は倒されると爆発が生ずることになり、ここに違いがあることがわかる。このセットした時からいつ倒されるのか、スイッチを押している人からスイッチをいつ離すことができるのか、このズレの時がドラマの中核に当たる時間なのだ。この不安定さが映画の虚構性を成立させている。映画の筋に緊張感を与えておいて、それを本筋にして、そこに幾つかのエピソードを付け加えていく。この映画でも、このスリリングな状態が効果的に使われていたと思う。

Img_0916 もう一つ、面白いシーンがあった。スタジオ・ジャックされた理由の一つが、犯人の投資資金を株価下落で損させてしまったということにあるのだが、それを逆手にとって、それでは株価を上げるように、クルーニー演じる司会者はリアルタイムで、テレビを見ている投資家たちへ呼びかける。みんながこの株へ投資すれば、株価が上がって、犯人の損失を取り戻すことができるかもしれない、という賭けを行うのだが、そして自らの命も助かるかもしれないのだが、お涙頂戴で人道的に投資する人がいるか否か、というアメリカ資本主義の本質を抉り出すようなシーンだ。Img_0906 結果は、観ての楽しみだが、このようなシナリオをちょっと入れることができるのが、ハリウッドの隠れた魅力の一つだと思う。自己批判ができるとしたら、このような方法が、最も映画では適していると思われたのだった。

さて、気分を入れ替えて、明日からの面接授業に備えて、熟睡することにしよう。お休みなさい。

より以前の記事一覧

『貨幣・勤労・代理人』(経済文明論)

  • “「貨幣・勤労・代理人」"

社会経営研究配布中

  • 2015study

社会経営ジャーナル配布中

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開いている講義    「社会的協力論」

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「音を追究する」第13回・第14回

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「多様なキャリアを考える」第2回・第3回・第4回

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「グローバル化と私たちの社会」第11回

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。