カテゴリー「旅行・地域」の投稿

2017/03/05

牛久でゼミ

Img_5947 牛久で大学院ゼミを開催した。修士のGさんが今年度の論文テーマを、茨城県牛久市の「まちづくり」としていたので、それではみんなで見に行こうということになり、今月の修士課程ゼミナールは上野から常磐線に乗って1時間ほどの距離にある牛久まで行って、開くことにしたのだ。修士OBIさん、Fさん、Yさん、Hさんも参加して、賑やかな小ゼミ旅行となった。

 

Img_5891 牛久市は、冬場所に優勝し見事横綱となった、「稀勢の里」の故郷だということで、最近有名になった。東口駅前には、彼の手形を飾った碑も立っていた。Img_5914 駅前の整備も終わり、イタリアのキャンティ市から輸入した明るい色の赤レンガが敷き詰められていて、一見順調にまちづくりが進んでいるように見える。

 

Img_5899 けれども、ひとたび西口駅前の商業施設に入ると、そこはシャッター街となっていた。この牛久駅の西口正面のビルには、関西資本のスーパーマーケットの「イズミヤ」が入っていたのだが、先月30年の歴史を閉じ撤退し、その煽りで1階から3階まで、専門店街が軒並みシャッターを閉ざしていた。Img_6118 30年間といえば、やはりひと時代潜り抜けたということではなかろうか。駅広場にあったという、コンビニも閉められ、その二階のチェーン居酒屋も撤退したそうだ。駅のドラッグストアも近々撤退するそうで、牛久駅近辺は、転換期(衰退的)の真っ最中ということだ。Img_6116 これほど、一気に転換期を迎える市中央というのも、珍しいのではないかと思われる。その意味では、Gさんにとっては研究するには困難な題材ではあるが、問題状況のタイミング良い時に取り掛かったと言えるのではないだろうか。

 

Img_5885 なぜ街の衰退がこれほど急激に進んでいるのだろうか。いくつかの要因があるのだが、Gさんが指摘する象徴的な出来事を挙げるならば、最盛期にはJR牛久駅を利用する人が、2万人を超えていたのが、近年1万人程度になって、半減したということだ。Img_5926 都市のスプロール化が進んで、膨張した働く世代が、一挙に減ってしまったということらしい。けれども、人口は8万人を超えていて、この変動はあまりないということだ。つまり、都市内容の性格が変化してきたということになる。

 

Img_5937 さて、今日の見学のメインは、駅から徒歩10分ほどのところにある。立志伝中の人物である、神谷伝兵衛が創立した、重要文化財の建物「シャトー・カミヤ」だ。日本で初めて本格的なワイン醸造所を建てた、神谷伝兵衛とはどのような人物だったのだろうか。

 

Img_5958 面白かったのは、3点である。一つは、神谷伝兵衛の企業家的性格である。なぜ彼は明治期にこのシャトー・カミヤを中心として、成功したのだろうか、という点である。二つは「シャトー・カミヤ」は牛久のまちづくりにとって、どのような意味を持ちうるのだろうかという点である。三つには、牛久市の現状と課題は何か、という点である。Img_5970 二つ目と三つ目については、Gさんの個人的なテーマ内容であり、そのうち修士論文として成就されるだろうから、その時の発表に注目したいと考えている。また、駅ビルの研修室でのゼミでじっくりと議論したので、ここでは触れないことにする。

 

Img_5982 第一の点は、面白かった。印象的な物言いをするならば、神谷伝兵衛の本質は葡萄作りの農民体質だったのか、それとも営利的な企業家体質だったのかという点である。Img_6031 シャトー・カミヤは、確かに明治期(今から100年前)にはフランスに学んだ本格的ワイン醸造所として出発した。けれども、明らかにそこからの変質があり、これがシャトー・カミヤの成功理由であったのではないだろうか。

 

Img_6027 蜂印ハニーワインをご存知の方は多くいらっしゃるだろう。この甘みを加えたワインが、赤玉ポートワーンと並んで、戦後まで日本人のワインの中心を占めてきたのだが、その基礎を作った一人が神谷伝兵衛だったのだ。どのようなワインが日本人に合うのかを、起業家としてわかっていたのが、神谷伝兵衛だったとわたしは思う。明治期においてはまだ本格的ワインは日本人の趣味には合わず、ハニーワインを売ったというところに、神谷伝兵衛の企業家精神を見るのだ。Img_6018 そして、これに加えて、浅草の「神谷バー」で当たりをとった「電気ブラン」。これもブランディーに手を加えて、日本人向けにしたものであり、単なる洋物のまねではなく、日本人の嗜好に合わせた洋酒作りを行ったのが、神谷伝兵衛の成功物語なのだ。

 

Img_6128 電気ブランの名称由来が記念館に書かれていた。なぜ「電気」なのかといえば、わたしは「ビリビリ」と舌へくるからだと思い込んでいたのだが、そうではなく、神谷伝兵衛のマーケティング能力からの命名だそうだ。つまり、当時流行してきた電灯や電話などに使われている「電気」という言葉をそのままブランディーの名前に持ってきたらしいのだ。Img_6048 たとえば、「超伝導うなぎ」などという命名と同じなのだ。伝兵衛はかなりキャッチーな志向を狙っていたことがわかるのだ。

 

Img_6032 神谷伝兵衛の企業家としてのマーケティング能力は相当高かったと思われる。まず、若い頃に横浜の居留地でワインと出会った後、酒を巡る様々な業界を渡り歩いて、最終的に牛久の土地を購入している。Img_5977 けれども、電気ブランでわかるように、牛久だけに閉じこもらずに、浅草にアンテナショップを開店させたのも、現代的な広告宣伝方法を先取りしている。また、日本酒の宣伝ポスターによく使われていた、美人画ポスターを取り入れたり、新聞広告でのイラスト記事を作ったりしていているのが、記念館を見て回るとわかってくる。Img_6034 最初は、ワイン醸造所のぶどう酒造りの機械・機器類に目を奪われていたのだが、どうやら違っていることに気がついたのだった。

 

Img_5954 けれども、100年経ってみてどうだろうか。ここで勝沼のワインと比べてみたい。 ほぼ同時代に、両者ともにフランスへ技術者を派遣して、ワイン造りをはじめた。勝沼では、本格的ワインでは、数々の失敗を重ね、また日本人の嗜好はなかなかワインを受け入れるには至らなかった。Img_6015 主たる企業も倒産してしまう。これに対して、シャトー・カミヤでは本格的ワインは脇に置いて、日本人の好みに合うワインやブランディーをヒットさせ、かなりの成功を当初から納めた。この違いは大きかったといえるだろう。

 

Img_5994 けれども、現在はどうだろうか。明らかに、ワイン醸造所の集積では、牛久に対して、勝沼は圧倒しているといえるだろう。ここに、産業というものの難しさがあるといえる。短期的に営利的に成功しても、必ずしも100年後にもその成功が持続するとは言えないのだ。Img_5916 牛久では、ワイン製造の時期が早くに終結したぶんだけ、営利性の強い観光・販売の面で強みを見せる時代へ早めに入っていくことになったのだ。さて、どちらの方がよかっただろうか。100年間の年表をみんなで見ながら、議論のたねは尽きなかったのだった。

 

Img_6121 昼食はもちろんワインを飲みながら、肉料理ランチをいただく。重要文化財のレンガ建ての昔の貯蔵庫が、レストランに生まれ変わっているのだ。また、今日は日曜日だということもあって、団体客が大型バスで押し寄せていた。バスの表示を見ていたら、建材メーカーの接待旅行の途中のようだった。帰りも、牛久市のコミュニティバスで、駅に向かった。Img_5883 駅ビルはこのように空いている分だけ、ゼミに使える研修室が備わっているのであって、都市の衰退ということも、わたし達のような有閑活用グループにとっては、悪い事態ではないのだ、と考えた次第である。議論をして、その後もう一度、イタリアンの店のワインで乾杯して、上野行きの常磐線に乗ったのだった。

 

2016/10/28

神戸で散策

Img_4720 神戸の中心部でランチを食べ、そして山の上でイタリアン料理という食べ物中心の散策をした。今回の旅行は食べること自体が目的だったので、それ以外については、何も計画を持っていなかった。Img_4743 「ポンペイの壁画」展を東京で見逃していたので、これを県立美術館へ行って見るという選択もあったが、結局は神戸の街自体を楽しみたいという方に軍配が上がった。

ゆっくりと、バスで三ノ宮へ出る。いつもより多目にとった朝食の、お腹がこなれた時間になったので、駅から徒歩でなだらかな坂道を辿って、昨日は断念したパンのフロインドリーブへ行く。Img_4744_2 昔の教会の建物が店になっているので、ゆったりとした広い造りだ。窓の金具などは壊れているのだが、おそらく重要文化財なのだろう。安易には直せないというような、別の金具がつけられていた。古い建物を尊重するのは良いことだと思う。われわれ観光客が街の方へはみ出すことがないほど、スペースはたっぷりしているのだが、ひとたび建物の中に入ると、昨年と同様に、客が椅子に腰掛けてランチの順番を待っている。多くは女性のカップルか、同窓生観光の集団で、それに家族連れが加わる。Img_4810 したがって、客のほとんどは女性客で、男性は数えるほどしかいない。パンをランチで、という発想自体が女性向けなのだろうか。建物の中の待合椅子はせいぜい20脚くらいなので、もし団体客などが来たら、外のベンチや庭のテラス席が総動員されるのだろう。

Img_4748 ほどなく、席に通された。今日はランチメニューと決めていたので、選ぶ楽しみはスキップした。きのこのスープは香りを運んできたし、程よく切られた今日の特製サンドイッチはちょうどかぶりつきやすかった。Img_4758_2 ローストポークハムとチェダーチーズのサンドイッチだ。中に挟まれたピクルスも効いている。それにコーヒーとデザートが付いている。こんな時に何なんだが、じつはこのような時に妻と話す会話は、ほとんど覚えていない。Img_4770 会話自体を楽しんでいるので、内容や目的は存在しない。でも、会話の内容はいつもの家の中とは何か違うのだ。周りの雰囲気の影響を受けて、サードプレイス的な会話をしているのではないだろうか。改めて、妻と社交というわけではないのだが、おそらく社交を楽しむというのは、このようなことなのだろうと思うのだ。時間を気にしないで、何気ない会話に終始しているのだ。

Img_4777 午後には天気が崩れるという予報が出ていたので、早々に摩耶山ケーブルを目指す。やはり、途中からかなりの霧が煙ってきて、ロープウェイに乗る頃には、霧雨から冷たい本格的な雨に変わっていた。Img_4784_2 山の中腹にある待合室を兼ねた展示室に、映画「デスノート」の写真展が展開されていたので、ケーブルとロープウェイの間の待合時間に読んでいると、この近くにかつて建たっていた摩耶観光ホテルがこの映画のロケで使われたらしい。現在では、まったくの廃墟となっていて、ロープウェイから見ても、奇々怪々の雰囲気を持っていて、この建物の内部を見るだけでも、この映画を見たいと思わせるような建物だった。Img_4805_2 途中、まだまだ、阪神間の眺望はかなり効いたのだが、ロープウェイの終点に着くころには、10メートル先の視界も望めないほどになっていた。標高は、682メートルあるということで、先ほどまで、淡路島の標高0メートルのところにいたのだが、一気に700メートル弱を登ったことになる。

Img_4827 客を待っていた山頂のバスが、わたしたちが乗らないことを確認して、空のままで運転手がアクセルを踏んで出発していった。 道なりのなるべく濡れていない車道を選んで、宿に着いた。Img_4832_2 そして、夕食を少し遅めに設定して、お湯に入って、寒くなって冷えた身体を温めたのだ。今日の夕飯は、これも昨年来ているので、ゆったりと時間を過ごしての夕食となった。Img_4848 今回も、定評あるイタリアン料理を堪能する。年を取っているのでハーフコースにしたのだが、それでもお腹いっぱいになってしまった。フォアグラから魚料理、牛肉料理までが続いた。Img_4877 外は吹雪いたような、横なぐりの雨で、テラスのガラス戸が煙った雨で揺らされるのを見ながらの食事であった。Img_4881Img_4891 Img_4896 Img_4885 Img_4893 この窓からは、いわゆる1千万ドルの夜景が見えることになっているのだが、視界はまったくない状態だ。

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いつもはそういうことはないのであるが、夜中に目が覚めて、テラスから外を眺めると、なんと雨が上がって、神戸の夜景が浮かび上がっていた。先ほどの激しい雨はどこへ行ってしまったのだろうか。当たり前ではあるが、山岳の変わりやすい天候が夜中にもあるのだ。Img_4977Img_4979Img_4986 いま、都市経済の原稿を抱えているのだが、この夜景の映すイメージはこれまで読んできた文献を凌駕する。都市経済そのものだなと感じたのだ。寝るのも忘れて、ずっと窓際で、この初期カンディンスキー的夜景を眺め続けた。この抽象的な光の重なりの下には、どれほどの具体的な人間の活動がさらに重層しているのだろうか。

結局のところ、その後朝湯に入り、朝食を食べ、六甲山周りのバスに乗って、神戸の街の散策へ戻ってきたのだった。ここで妻と別れて、妻は買い物、わたしは珈琲店巡りとなった。Img_5004_2 今回目的とした喫茶店は、元町近くのトアロードにある「樽珈屋」だ。現在は挽き豆専門店になってしまったが、かつては喫茶店も営業していて、その頃から神戸へ来るたびにいくのだが、タイミングが悪く、いつも閉まっていた。Img_5018 今回、ようやく豆を買うことができた。土産もここの豆にした。バリエーションは豊富なので、次にも色々と試したいと思わせる味の豆がありそうだ。Img_5035 今回は、軽めのスッキリ味のブレンドを二袋購入した。ふつう、スッキリした味のものは、焙煎を浅くして、酸味系のものを入れてあるのだが、ここのスッキリ味は酸味系でスッキリというよりは、他の豆(どこの豆なのかはわからないが)の影響でスッキリ味としていて、特有の味がして楽しかった。

Img_5043 道を挟んで、反対側を見ると、そこには雑貨書店のチェーンであるビレッジ・ヴァンガードが店を出していて、神戸まで来て、ここで入るのかとも思ったが、変わった本が時々置かれているし、楽しい音楽もかかっており、最近の若者の雑貨志向も知ることができるので、やはり入ったのだった。Img_5041 そして、たくさん立ち読みしてしまった。たとえば、小出版社から出て、注文しにくい本であるル・コルビュジエの『小さな家』などが並べられていた。建築家が両親のために、一部屋だけの小屋を作ったのだ。このような小屋に本を並べて、木陰で暮らしたいという、わたしの欲望を刺激したのだった。Img_5047 表に出ると、子供達が商店街のハロウィーンの催しで行儀よく列をなしていて、店主たちがサービスで、訪ねて来る子供達へキャンディを振舞っていた。このようなお祭りには抗しがたいものがある。

Img_5055 さらに、三つの店を回った。元町の駅前から1本入った商店街の中くらいに、ドアが建物にぽんとついていて、何屋さんなのか、通りすがりの人にはわからない店がある。これが二軒目のお目当の珈琲焙煎専門店「グリーンズ」だ。クラフト・コーヒーと包み紙に記されていた。クラフト・コーヒーという言い方はありそうなのだが、これまでお目にかかったことがなかった。ドアを開けて、奥で焙煎機と格闘しているご主人を見れば、なるほど「クラフト」なのかもしれないと思うのだった。どちらかというと苦味系の豆が多い。

Img_5054 三軒目は、いつもここへ来ると寄る店「エビアン」だ。ここのブレンドは、複雑な味がするので、飽きることがない味を出していると思う。1日1回は寄りたいと思わせる味なのだ。Img_5057 袋から豆を出して眺めていると、深煎りの黒い豆や浅煎りの薄茶色の豆や中ぐらいの豆などが見るからに複雑な色模様を照らしているのがわかる。味もこの通りなのだ。Img_5063 この豆を職場のカンファレンス室へ持って行こうと思う。今度のコース会議のコーヒーに出してもらうことができるかもしれない。

そして、最後はエビアンの入っている隣ビルの地下にある、ジャズ喫茶の「ジャムジャム」だ。Img_5065_2 小腹がすいてきたので、名物シフォンケーキとコーヒーを頼んだ。

Img_5069_2 ここは聴く専門の席と、話すことのできる席とが中央で分かれている。けれども、今日のところは途中から話す人々が多く入ってきて、ジャズに耳を傾ける方は劣勢だった。Img_5072 この店では、数時間いると、必ずかかるのがモダンジャズ・カルテットで、今日も最後の最後に「サテンドール」がかかって、今日の締めとした。Img_5073 それで、妻との待ち合わせの「大丸」トアロード口へ急いだのだった。

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2016/10/27

夜行バスで関西観光

Img_4604 忙しい合間をぬっての観光ほど、楽しいものはない。まるで、夢を見たような数日なのだ。難題の書かれた注文票が目の前に何枚も並べ立てられてたのが、急に取り払われて秋の快晴青空がずっと見渡すかぎり広がっていったという気分にしてくれる。数日後に卒論の締め切りが迫ってきていて、このところ連日、学生からの草稿が届いていた。今日までに届いたものは、ようやく夕方までに返事を出した。Img_4610 もう一人いらっしゃるが、直前にメールが来て、送付が来週になりそうだというので、身軽になった気持ちで旅に出たのだ。卒論にとって、最後の1ヶ月は重要な熟成の期間なのだ。じっくりと攻めていただきたいという思いがある。今年の卒論生は優秀で、ほぼ全員が1ヶ月前までにほぼ8~9割の完成原稿を送ってきていた。わたしにとっても、余裕のある季節となった。

Img_4589 夜行バスでの関西観光という強行軍を、妻が提案してきたときには、ほんとうに体力がもつのかわからなかった。閉所恐怖症ということはないのだが、ふつうに狭いところはダメだ。そして、このところの夜なべが続いていることもあり、さらに、昔から夜行列車が苦手だったということもあった。大学生の頃には、京都にいた友人のS氏を訪ねた帰りは、お金もなかったので、鈍行の夜行列車に乗ったのだ。Img_4591 ところが、寝台車と違って、普通席でしかも満席状態だった。覚えているのだが、長い列車の先頭車両の、しかも一番前の席だった。うつらうつらした後は眠れずに、デッキに出て、時間を潰したのを覚えている。

Img_4587 そんなこともあって、夜行バスで寝ることができるのか、という心配があったのだが、いざ乗ってしまうと、溜まっていた疲れのせいか、座席を倒して、あっさりと寝込んでしまったのだった。気がつくと、すでに京都、そして大阪で、早々に神戸の三ノ宮へ着いたのだった。骨は軋んでいたけれど、気分は爽快だった。Img_4609 昨年と同様に、さっそくパンのフロインドリーブで朝食を、と考えたのだが、残念ながら10時始まりなので、まだだいぶ時間がある。そこで、北野の入り口にある老舗の西村珈琲本店でモーニングセットを頼むことにする。ここなら、8時から開いていて、中が3階まであって、広くて、ゆったりとできる。

Img_4598 今日は直行で、淡路島へ行ってしまおう、ということにして、淡路島行きの高速バスを探すが、路線が3~4路線あって、競合しているし、三ノ宮の駅前のバス会社の位置がなかなかわからない。出発時間が迫ってきてから勘が鋭くなって、乗り場のビルをようやく見つけ、切符を買うのもそこそこにバスへ乗り込んだ。予定のない旅行の面白いところだ。関西だといっても、日本語なのでよく聞けば、理解できるのだが、年をとるに従って、聞く能力が衰えてきているのだろうか。右と左を間違える。Img_4634 妻の得意技が病的に移ってくるのを感じるのだ。バスが淡路島へ渡ってからが、かなり距離があり、いろいろなバス停をたどって、ようやくにして、「陸の港西淡」へ着く。時間がたっぷりあったので、周りを散策して、この辺唯一のショッピングセンターを見つけた。何を思ったのか、ここのビュフェで残した仕事を広げてしまった。仕事中毒も極まっているのを自覚する。

Img_4640 数時間後、宿へ電話をして、迎えに来てもらう。数分で着く距離かと思ったら、淡路島の一つの町村を横断するくらいの距離があり、運転手さんの説明を聞きながら、農村風景を楽しむことができた。今回はグルメ旅行という位置付けをしていた。中でも、今回の宿の「玉葱フォンデュの鯛しゃぶしゃぶ」という料理に執着しているのだ。この玉葱フォンデュとはいかなるものか、というのが、頭で考えてもなかなかイメージ出来なかった。Img_4652 だからこそ、味を体験したいという好奇心が湧いたのだった。玉葱は淡路島の特産物で、甘い果肉に特徴があるのだそうだ。車窓の両側に二毛作の田畑が広がり、ちょうど稲が終わって、玉葱が植えられ、いつも5月ごろに収穫が見られるのだそうだ。農家の話になって、特産品があっても、やはり後継者がいないので、生産性の良い畑もどんどん減っているのだそうだ。

Img_4653 宿に着くと、運転手さんが日の入りが綺麗ですよ、と海岸沿いの散歩コースを教えてくれた。道なりに坂を下って行くと、坂の下でちょうど日の入り時刻となった。瀬戸内海の向こうの島の間に日が沈んでいった。Img_4648 空は快晴だったのだが、日の入り近辺だけに雲が出ていて、複雑な模様を写していた。瀬戸内海は、波が静かで、潮の香りがほとんどしないという特色があるのだが、この海岸もその例にもれなかった。湖のような、波を聞きながら、世間の音を後ろへ追いやって、旅の音に耳を傾けたのだった。

Img_4680 さて、問題は「玉葱フォンデュの鯛しゃぶしゃぶ」なのだ。フォンデュはこんな感じで、言葉に表すことはできないのだが、チーズフォンデュと似ていないことはない。けれども、このスープをそのまま見た限りでは、チーズフォンデュとはまったく別物だ。Img_4687 鍋いっぱいに、半固形で濃厚そうな玉葱を摺ったスープが入っている。これを温めて、横の用意された贅沢な鯛の刺身でしゃぶしゃぶするのだ。スープだけでも美味しいのだが、しゃぶしゃぶにするともっと美味しいのだ。数年に一回は味わいたい料理である。Img_4685 これだけで、満足してしまった。いかにも味は美味しいのだが、目にも贅沢な料理だ。グルメ料理の要素である見せびらかしの要素を兼ね備えていて、素晴らしい。さらに、料理はこの後、鯛の姿焼きやあら煮、鯛の釜飯など、鯛づくしの楽しい献立が目白押しだった。Img_4696 それから、目にも良いという点では、意外にも、鯛の刺身についていた、淡路島の今朝採れた「レタスのしゃぶしゃぶ」が玉葱に合っていて旨いし、グリーンの色具合がよかったのだ。

Img_4704 この宿の料理の出し方がちょっと変わっていた。ふつう、料理は部屋ごとに、仲居さんが専門に張り付いて、同じ人が次から次へと料理を運んでくる。部屋付き仲居制なのだが、この宿は違っていて、料理付き仲居制をとっていた。Img_4702 料理によって、運んでくる仲居さんが異なるのだ。一つの料理に専門に一人の仲居さんがつくやり方なのだ。想像されるのは、この宿の料理では、それぞれの料理ごとに仲居さんが専門に行う作業が特別なのだと思われる。Img_4708 接客を中心とするサービスではなく、料理のためのサービスを中心にしている仲居制度を取っているものと思われる。それが証拠に、「玉葱フォンデュの鯛しゃぶしゃぶ」付きの仲居さんは、板場には入れないのだがと注釈を入れながらも、客に板さんが説明するときの口上を覚えていて、「玉葱フォンデュの鯛しゃぶしゃぶ」の説明に詳しかった。Img_4711 「玉葱フォンデュの鯛しゃぶしゃぶ」は仲居制度まで変えてしまうほどの料理なのだ。「玉葱フォンデュの鯛しゃぶしゃぶ」恐るべし。

Img_4715 もう一つこの宿の取り柄があって、それは鳴門大橋を見ながらの露天風呂だ。180度の視界が広がる中での入浴なのだ。泉質はアルカリイオンが含まれていて、肌がヌルヌルしてくる性質があり、身体中のシミそばかすが溶けていくような感覚がある。Img_4624 目をつぶって、瀬戸内海の空気を感じながら、頭を浴槽のヘリに預け、身体を温泉に浮かせていると、夢の中と間違えるほどだった。H県から来た農業委員会の方と一緒になったのだが、瀬戸内海を渡ってくる価値があるのだそうだ。栄養を取って、英気を養う旅となったのだ。Img_4690

2016/07/10

京都へ来ている

Img_1102 京都へ来ている。大学院のゼミナール開催のためだ。博士課程のFさんが島根に住んでいて、Hさんが関西在住で、さらに修士のNさんが同じく関西なので、わたしの横浜在住というのがずっと引っ張られて、今回は変則の大学院ゼミとして、京都学習センターで開かれることになった。今回がうまくいくならば、1学期に1回程度、関西から岡山さらに島根で開催するゼミを定例化することを考えても良いのかもしれない。

Img_1105 問題はあるのだ。今日はたまたま京都学習センターの部屋が空いていてゼミができたのであるが、じつはこのセンターでは、いつもこのようにすんなり予約が取れる保証はないのだ。それで、京都出身のHさんに聞くと、幾つかの他の選択肢がありそうである。また、京都学習センターの事務長の方にも相談したら、幾つかの候補が上がってきたので、何とか粘って探してみたい。もっとも、有料にはなってしまうのだが、それでも静かなゼミ室が確保されるのであれば、それに代わるものはないと言える。

Img_1106 これまで1月の合宿では、同志社大学の講義室をN先生との合同ゼミということでお借りしてきたのだが、今年度はN先生の担当学生が全部修了なさってしまい、一人もいなくなってしまったので、N先生にお願いするわけにはいかなくなったのだ。そこで、半年も前から会場探し、ということになっている次第だ。京都大学のG会館とか、S庭園とか、ということが実現されればこの上ないのだが、なかなか難しい。Img_1107 少し奮発して、前回使った京大医学部のS会館ということもありうる。けれども、会場探しも京都の場合には、他に素敵な場所が数多くあり、たとえば東京圏ではM先生の著書「権力の館」を見れば良いのだろうが、京都にもそれに類した魅力的な場所があり、選ぶ楽しみだけでも満喫できるのは良い。

Img_1110 午前中に、新自由主義についての議論を行い、午後から博士後期課程の方々との消費者社会論、社会ケア論などの議論が続いた。このような1学期に1回のゼミというのは、まとめて数回分に当たるために、じっくりと考えることができるというメリットがある。少人数で、長時間、しかも転地効果が働くのだ。

Img_1108 学習センターは6時には閉館になってしまうので、後の残った話や議論は、オフ時間を利用することになる。京都駅近辺では、いつも適当なところがなく困っていたが、今回はHさんの誘導で裏道へ入っていく。ちょうど開店1周年記念だという店「たかひとり」に当たる。1軒目にして、落ち着けるところを見つけることができたのは幸いであった。鴨料理を得意とするところだが、鹿肉や猪肉もある。ビルの地下室にあるために、10人足らずでいっぱいになってしまう。予約をしてなかったので、最初は断られると思っていたが、若いご主人が席を詰めてくださった。

Img_4235 Fさんの本職は公務員なのだが、同時に実家の寺の住職を継いでいる。その寺の総本山が京都にあって、明日は儀式に出席しなければならないそうだ。法衣を持参のゼミナール参加だ。想像するに、これは相当な忙しさである。それを克服して、ゼミに参加してきているのは素晴らしいと思う。学者の方で、住職を兼ねている方は、京都を中心にしてかなりの数がいると聞いているのだが、学術と宗教とには似たところがあるのかもしれない。

Img_4236 京都の夜は、姉小路にある「Kocsi」で静かに過ごすのが、定番となりつつある。夜食には、ここのキッシュとワインをとった。今日のゼミナールでの議論を振り返る時間をたっぷりととることができた。今日の議論で共通に問題となったのは、消費者社会にしても、ケア社会にしても、なぜそのような社会が崩れ、かつ成立するのか、という生成の問題点が浮き彫りになった。議論は多岐にわたったので、うまく整理して、次の議論につなげてもらいたいと思った次第だ。Img_4241 ここには書くことはできないが、多くの魅力的な言葉やアイディアが満載の議論だったな、という感想を持った。Img_4245 以前にも書いたが、麩屋町あたりの町屋には、老舗が並んでいて、ショーウィンドーがギャラリーになったりしている。この「デルフトタイル」の白と藍の組み合わせを見つつ、夜の散歩をして、宿へ至る。

Img_4242 次の日も午前中11時まで、部屋を使えるので、これまで溜まっていた大学院関係の仕事をまとめて片付ける。幾つか整理していくうちに、問題点が見つかり、さてどうしたら良いのだろうか。

Img_1117 これも定番となりつつある京都での昼食は、柳馬場通りにある「菜根譚」にて、白胡麻担々麺だ。これも一年に1回は賞味したい味だ。とくに、今日のように暑い日には、この濃厚なスープに乗った、程よい辛さが似合っている。Img_1121 玄関を入ると、町屋特有の土間が奥まで続いている。静かな奥の板の間に通される。そこの小さな卓袱台に案内される。担々麺を食した後に、さっぱり感が凝縮されている杏仁豆腐を頼んで辛さとのバランスをとる。

Img_1119 さて、今週からはゼミ合宿や試験週間、さらに採点が目白押しなので、まだまだ夏休みは遠いのだが、その準備を行っておきたい。Img_4262 静かな喫茶店で、まとめて読書をしたいと思ったのだが、京都の月曜日は博物館や美術館はほとんどお休みで、それに呼応するかのように、行きたいと思っていた喫茶店も閉まっているのだ。Img_4264 四条に出て、喫茶店「ソワレ」定休。喫茶店「エレファント・ファクトリー」定休。という道筋を辿っていると、木屋町の高瀬川沿いへ出る。ここには以前から、廃校になった旧立誠小学校の校舎・講堂がまだ建たっていて、現在ではコミュニティ活動の拠点となって解放されている。Img_4267 Img_1125 Img_1128 Img_1131 この正面玄関を入ったところに、喫茶店「Traveling Coffee」を見つける。京都の繁華街の真ん中に、オアシスを見つけた思いだ。新幹線までの数時間をほぼこの空間を独占して過ごす。コーヒ1杯300円なり。静けさや学び舎にしみいる抽出珈琲。Img_1145 Img_1144 Img_1143 Img_1142 Img_1141 Img_1139 Img_1134 Img_1136 Img_1146 Img_1153

Img_1115 今日の椅子は、「Kocsi」のスペイン風長椅子と、年代物の応接椅子だ。いずれもアンティークショップで見るようなものだが、今日の喫茶店でこのような古い椅子が好まれて使われる理由があるように思われる。Img_1122 それは、現代人にとってはノスタルジアは解放の要素だという点だ。現代人は現在に追われているから、逃げる先は未来か過去かになると思われる。落ち着けるのは、やはり過去で、この椅子の古さがそれを呼び起こしていると思われるのだ。Img_4234 Img_4252 Img_4243

2016/06/26

宮崎面接授業の二日目

Img_1005 「アーツ&クラフツ経済社会入門」と題した今回の面接授業では、中世から近代に向かう様々な「デザイン運動」を紹介した。Img_1006 昨日の講義では、「デザイン運動」という、苦手の分野をいかに簡潔に紹介し、さらに「経済」との関係をよりシンプルに説明できるのかが、わたしにとっては問題だったのだが、無難に切り抜けることができたのは幸いだった。

Img_1011 講義の出だしでは、20世紀前半に英国で活躍したウィリアム・モリスの「アーツ&クラフツ運動」を導きの糸として講義した。この運動は典型というわけではないが、題名からして避けることができない。映像や写真もかなり手に入れてあり、これらのデザインは見ることができなければ、学生の方々も感ずることはでいないので、映像を用意しておいて、思った通りの講義になったと思う。最初はアーツ&クラフツについておぼろげな印象しかなかった方々も、おおよそのイメージを抱いたようだった。Img_0967 モリスの中ではちょうどデザインと経済が交差していて、扱いやすかったのだ。面接授業の参加者たちも、モリスの名前は多少知っていても、経済との結びつきまで想像できなったみたいで、スタートの話は順調に進んだ。

Img_0969 その後、近代のデザインの中で、とりわけ経済社会に関係するのは、建築やデザイン運動になるのだが、ちょうど近代の建築とインテリアの関係を述べるなかで、とりわけ注目したのは、「バウハウス運動」であり、デザインの系譜と経済との関係を明らかにしていくことができた。Img_0962 問題は、中世の手仕事と、現代の手仕事と経済的に見て、どこが異なるのかという点にある。

Img_0988 昼食は、またしてもイタリアンとなった。ピザの店「ボンリッサ」で石窯ピザだ。日曜日だということがあって、玄関を入ると、左右の部屋の席はほぼ満席である。予約を取っているかと、石窯でピザ焼きを行っているご主人に聞かれて、取っていないと答えると、カウンターの席を用意してくれた。ここからは、窯もよく見えて、ピザを窯に入れ、どのように焼くのかが手に取るようによく分かる。Img_0991 このような作るためばかりではなく、見せるための窯というのは、料理人にとっては、ある種の見せ所なのだ、自信の表れなのだと思った。窯へ入れる時に使う長い柄のついたヘラをくるくると、天井を突き抜けていくくらいに回して、リズムを取っている。Img_0989 自然に身についた職人の癖みたいなもので、これは見ものだ。ご主人の汗はかなりのものだった。冬にはこの石窯が暖房替わりになるとしても、これからの夏には、ちょっと近くには寄れないだろうなと推測したのだった。薄焼きで、外パリパリ、内モチモチタイプのマルゲリータが出来上がってきた。これから、午後の講義がなければ、白ワインが欲しいところだ。

Img_0998 学習センターの方々に、宮崎牛の店を聞いたのだけれども、昨日行こうと計画したフランス料理の店しか、この辺では思い浮かばないとのことだったので、あっさりと諦め、他の可能性を追求することした。Img_0996 昨日、散歩をしているうちに、駅から北のほうへ歩いていったところに、とんかつの店を見つけていたのだ。ホームページで見ると、宮崎で一番豚肉が旨い店として紹介されていたのだ。Img_4199 それで、講義が終了した後、レポートの採点の途中ではあったのだが、その店「不二かつ」本店へ出かけることにしたのだった。

Img_4206 まだ夕方の5時だというのに、店内へ入ると、椅子に腰掛けて順番を待っている人々がいるのだ。一人だと告げると、やはりカウンターの真ん中を用意してくださった。眼の前で、肉が出てきて、コロモをつけ、次から次へと油で揚げられていく。Img_4201 3人の分業体制を十分に観察することができて、食欲だけでなく、仕事のタイミング、流れ作業のネックなど、面白い場面が見られたのだった。肉を準備することと、揚げることは、見せ場なのだが、それほど手がかかるわけではない。やはり、コロモをつけるところがネックになるところらしい。

Img_4202 次の日の午前中は、レポートの採点と整理に費やした。大雨が来るらしいという予報があり、なんとか日向市の駅に着くと、その途端に大粒の雨が降り出した。若山牧水の生まれ故郷だということで、至る所に牧水の句を見ることができる。大雨に濡れ始めた駅広場の碑には、有名な旅の句が刻まれていた。また、駅の中の句は、故郷を歌ったものだった。

幾山河超えさり行かば寂しさのはてなむくにぞ今日も旅ゆく

Img_1001 日向灘ぞいに日豊本線が南下していく。宮崎らしさは、なんといっても、このヤシの木だろうか。この激しく降る雨に似合っている。しっとりとした南国の空気を感じながら、木製のシートで作られた素敵なJR九州のCT列車に揺られたのだ。Img_1015 航空機まで時間が少しあったので、宮崎市内を散歩した。砥部焼を売っている民芸店「日向路」などを散策して、ジャズ喫茶「Lifetime」でハンバーグランチ。食事の後、さらに少し時間があったので、残っていた面接授業のレポート整理を一気に片付けてしまう。Img_1018 この全体結果は、後の長野と札幌が終了したのち、ホームページを通じて、お知らせしようと考えている。受講生の方々は、12月には忘れずに、このページへアクセスしてほしい。きっと興味深い集計が現れていることだと思われる。でも、11月までみんな覚えているかな。

Img_4233 Img_1024

今日の椅子は、JR九州のCT列車の座席シートだ。なんといっても、木製であるところが洒落ている。また、南国であるということから考えて、公衆衛生上、布は使わないという点でも合理的な配慮がされている。けれども、JR九州の「贅沢」コピーはここでも効いていて、なんと黒い部分は、本革だったのだ。駅舎や人員合理化で浮いた分を、惜しげもなく、車両のデザインにつぎ込んでいて、これだけの「見せびらかし」効果を自覚している会社というのは、大したものだ。Img_4210 Img_4209

2016/06/17

面接授業の季節が巡ってきた

Img_0901_1 今年も面接授業のシーズンが巡ってきた。毎年、6月には地域の学習センターの面接授業に出かけることにしている。土日に集中するので、4月と5月にはゼミをスタートさせ、7月には学期末試験が控えていて、やはり6月に集中することになる。たぶん他の先生方も同じことを考えるから、自然に6月は面接授業の季節となる。自然の調整とは恐ろしいものだ。

まずは、山形からスタートだ。K大学での講義を終えて、横浜で買い物を済まし、東京駅の混雑したお弁当売り場で、ヒレカツ弁当を購入して、夕方の山形新幹線つばさ号へ飛び乗った。山形駅へは、9時前に着いた。宿泊先へ荷物を置いて間もなく、さっそく恒例の出張先の映画鑑賞に繰り出した。山形市には、駅から程よい距離のところに名画座系の映画館「フォーラム」がある。映画「マネーモンスター」の最終回にようやく間に合ったのだ。

Img_0934 俳優がG・クルーニー、J・ロバーツ、さらに監督がJ・フォスターであれば、出資のSONYも文句は言わないだろう。物語は、クルーニー扮する株専門キャスターがテレビの生番組放映中に、番組ジャックされて、デレクター役のロバーツとともに、物語があらぬ方向へ進んでいき、最後は原因となった株価暴落企業の秘密が暴かれるというものだ。

Img_0935 近年、ハリウッド映画は、金融ものというジャンルを打ち立ててきている。なぜ株価が上下するのかということについては、いろいろの要因が絡み合っていて、一筋縄ではいかない。だから今回もリーマンショックを上回る複雑な要因が存在していて、見事に説明をしてくれるのだと思っていたが、この映画では多少不満が残るかもしれない。何か秘密で重要なことがあると思われるからには、その内容はもっと重要な要因でなければならないのだが、この映画では古典的な詐欺事件に堕してしまっていて、ちょっとつまらない気がする。

Img_0902 つまり、「マネーモンスター」という割には、貨幣の「信用」という本質的なもののところでモンスターが生まれるのではなく、人間の欲望のような本来の物語でのモンスターであって、題名に偽りアリというところが残念なのだ。けれども、ドラマ自体は面白いし、クルーニーもロバーツの演技も慣れたものであって、娯楽作品としてはとても楽しめるものとなっている。

スタジオがジャックされるときの、この映画の道具が気になった。爆弾テロで自爆・他爆する時、スイッチから手を離すと、爆弾が炸裂するという仕掛けが、よく使われる。今回もこれだ。スイッチを押すと爆発するのと、スイッチを離すと爆発するのとの違いがあるのだ。スイッチを押す人、押している人を倒せば、前者は爆発から免れるが、後者は倒されると爆発が生ずることになり、ここに違いがあることがわかる。このセットした時からいつ倒されるのか、スイッチを押している人からスイッチをいつ離すことができるのか、このズレの時がドラマの中核に当たる時間なのだ。この不安定さが映画の虚構性を成立させている。映画の筋に緊張感を与えておいて、それを本筋にして、そこに幾つかのエピソードを付け加えていく。この映画でも、このスリリングな状態が効果的に使われていたと思う。

Img_0916 もう一つ、面白いシーンがあった。スタジオ・ジャックされた理由の一つが、犯人の投資資金を株価下落で損させてしまったということにあるのだが、それを逆手にとって、それでは株価を上げるように、クルーニー演じる司会者はリアルタイムで、テレビを見ている投資家たちへ呼びかける。みんながこの株へ投資すれば、株価が上がって、犯人の損失を取り戻すことができるかもしれない、という賭けを行うのだが、そして自らの命も助かるかもしれないのだが、お涙頂戴で人道的に投資する人がいるか否か、というアメリカ資本主義の本質を抉り出すようなシーンだ。Img_0906 結果は、観ての楽しみだが、このようなシナリオをちょっと入れることができるのが、ハリウッドの隠れた魅力の一つだと思う。自己批判ができるとしたら、このような方法が、最も映画では適していると思われたのだった。

さて、気分を入れ替えて、明日からの面接授業に備えて、熟睡することにしよう。お休みなさい。

2016/05/02

O先生と松本カフェ

Img_3041 今日は季節カフェの番外編で、O先生と松本カフェの1日だ。まずはモーニングコーヒーを飲むために、Books&コーヒースタンド「栞日」へ寄る。昨日、O先生が来ましたと店のマスターに告げられる。Img_3345 コーヒースタンドでは、ジーンズに赤いスカーフの女性が先客だったのだが、どうやら1日同じコースを辿っていたらしく、こののち2回ほど、わたしたちが街中を歩いていて、彼女に自転車で追い抜かれることになる。わたしたちは、だいたいのところで、観光客と垂直に交わる道を辿っていたのだから、この女性も単なる観光ではなかったのかもしれない。

Img_3109 今日も、O先生に会う前に、松本市美術館の中庭で開催されている「はぐくむ子ども椅子展」へ寄る。ウィークデイなので、やはり来ている子どもの数は、一昨日より圧倒的に少ない。それで、ビデオを回すのを今日は諦めることにする。今日の子ども椅子展の当番は急に用事ができたらしく、急遽S氏が代わりに立っていた。Img_3058 これ幸いとばかりに、今度お願いしている授業科目「色と形を探究する」のビデオ収録について、打ち合わせをする。可能なところだけだったが、ここで大方のところを行ってしまうことができた。Img_3097 互いに喋りたいところが、次第に決まってくるのがわかる。このような自然なセリフの決まり方が理想的だ。

Img_3074 子ども椅子には、無限に多様な可能性が備わっていて、それは子ども自身の可能性であると同時に、子ども椅子にもあることがわかったのだ。わたしたちは既成観念で、椅子は座るものと考えているのだが、そして、座面があれば、それに座るものと決めているのだが、子どもたちは、どうも規定通りには座らないことがわかる。Img_3084 横に座らなければならないと、わたしたちは思っていることで、縦に座ってしまって、それで十分に椅子の機能を果たしている場合が見つかるのだ。S氏と話していて、今回も得るところ大であったのだ。

S氏と話し込んでいたら、O先生から簡易メールが入って、Rホテルのロビーで待っているとのことだった。20分もあれば、街の中心部を駆け抜けることができるほどの都市と言うのは、ほんとうに好ましい限りだ。Img_3221_2 O先生は昨日にすでに行くべきところはほぼ回ってしまったので、あとは自由だとおっしゃる。まずはホテルの並びにあるギャラリー「灰月」に寄る。アクセサリー展が開かれていて、通常はわたしの興味の範囲外なのだけれども、今日展示している方は、作った作品に素敵な名前「こころ」とか「あめふり」とかを与えていて、それを小冊子にして、アクセサリー・プラス・言葉の作品にまで仕上げている。このアイディアは興味深かったのだ。Img_3226 モノに名前を与えると、想像力が動き出すから不思議だ。O先生は、これらのアクセサリーではなく、白地に斜線が無造作に入ったお茶碗を気に入ってしまい、あっという間に購入していた。研究室で使うそうだ。

Img_3228 次に、S氏の奥様が開いているグレイン・ノートへ行く。明後日の4日にSさんに会うことになっているのだが、天気が悪くなりそうで、心配してくださっていたのだった。Img_3229 O先生は、奥様が女優の〇〇さんに似ていらっしゃるというのだが、確かにそうかもしれない。笑顔に安心感のある方だ。O先生はここでも白地のお茶碗を購入なさっていて、1日何回お茶を飲まれるのだろうかと思ってしまったのだ。

店の二階では、荒削りの木材と、イグサ織りの座面に特徴があるY氏の椅子展が行われていたので、しばしお話を伺うことにした。Img_3416 この独特の作風には、原型があるそうで、額に入れた写真を見せてくださった。一目見て、池田三四郎著『三四郎の椅子』に出てくるスペインの椅子を思い出したので、そのことを伝えると、まさにその通りだった。この原型となる椅子の荒削り感には、このスペイン椅子にまつわるもう一つのエピソードがあって、1脚を15分ほどで組み立ててしまう、という生産効率がたいへん素晴らしい椅子だということになっている。Y氏の椅子は、イグサを織り込むのに、7時間くらいかかるそうで、一つ一つ織り上がるとそのこと自体が楽しいのだとおっしゃっていて、素敵な仕事をなさっている。Img_3419 お尻に当たるイグサ織りに特徴があって、ちょうどお尻が当たる凹み部分が後ろの方へずらされているという工夫がなされていて、実際に座ってみると、すごく座り心地が良いことがわかるのだった。スペインの粗野な椅子から発展して、Y氏独特の優しさを加味した椅子に仕上がっていることがわかる。

Y氏の木楽工房はこちら

Img_3231 お昼は、O先生行きつけのル・コトリで、わたしは魚料理ランチを食べる。すでに電話予約がO先生によってなされていて、電話の声だけで、すぐにO先生だと認識されたとのことだった。O先生はエビ料理のランチを選択した。えんどう豆のスープは、視覚的に訴えかけてくるような真みどりの色で、ほんとうに色鮮やかだ。5月の「緑の季節」をそのままスープにしましたという雰囲気を持った、また味も豆特有の香りの濃厚なスープだった。Img_3232 食事は、華やかだったのだが、雑談の内容は大学の仕事のことになってしまい、気の引ける話で、このような時に話すべきではなかったのではないかと、後悔したのは、夜になってからだった。Img_3236 老人になると愚痴が多くて、済みません。

スイーツとコーヒーは、O先生がこの3月に松本に来た時に開拓した、新しい喫茶店「Chiian」において。Img_3255 本物の漆喰壁で、その白い壁の色が清潔な感じを引き立てている。この店は、昨年9月に改造したのだそうだ。ここには、老舗の漬物屋「みずしろ」の事務所があったところだそうだ。松本市には、このひらがなの「みずしろ」と、漢字で書く「水城」と二つの漬物屋さんがある。わたしの小さな時にも、母がよく漬物を買ってきた店だし、わたしもお土産を買うのによく利用した店だ。セロリの粕漬けがわたしの好物で、他にも、ワサビを使った珍味の漬物がたくさんあったのだ。表の漬物屋だったその店は、かりんとう屋さんになってしまったのだ。

Cafe Chiianはこちら

Img_3409 「みずしろ」の遺構として、表から裏へ通ずるトロッコの軌道とトロッコ自体も残されていた。なぜトロッコかといえば、それは松本地方の昔を知っている人であれば、すぐわかることで、漬物の樽がたいへん大きいからだ。Img_3413 「お葉漬け」と呼んでいたが、長野の方では、野沢菜漬けと呼ばれているものだ。その樽が、おそらくお漬物の樽の標準であるとすれば、これを毎日運んでいたら、腰がいくつあっても足らないほどの重労働だからだ。Img_3257 トロッコというのは必然の産物なのだ。

Img_3260 さらに、観光客を斜めに見つつ、大名町の混雑を横切って、昔の六九商店街のはずれからちょっと入ったところにある喫茶店「matka」で、O先生とさらに雑談を楽しんだ。どのような雑談なのかといえば、老人たちの雑談だから、人生物語の1ページということにはなるのだが。Img_3238 人生の中で、時間に間に合わなかった経験、つまり遅刻した経験で一番冷や汗をかいたのはいつなのかという、話すだに汗が湧いてくる話だったのだ。O先生は学生時代にヨーロッパ旅行で待ち合わせ時間に間に合わなかったのだそうだ。次の街でようやく追いついたという話を聞かせてくださった。なんとなく、北杜夫的な雰囲気のお話で、O先生のパーソナリティを思わせるエピソードだったと思う。乗り遅れた時の顔を拝見したかった。わたしもそういえば、高校時代に地学遠足で、バスに乗り遅れたことがあったのだ。

Img_3269 日中の温度がすっかり夏日となり、日焼けした顔を互いに見つつ、女鳥羽川を過ぎたところで、O先生は夕飯を食べにまた中心街へ向かい、わたしは、最終バスへ接続する電車に乗るべく、松本駅へ向かったのだった。Img_3273 O先生は、また夏カフェでと言って、すぐそのあとにも、カメラを片手に隣のビルを撮影していた。

O先生のブログはこちら

2016/03/11

真田時代の用水を見る

Img_3717 今日は、昨日の話に出てきた「押野用水」が残っているというので、須川宿の北東に位置する禅寺の泰寧寺へ行くことにする。20分ほど歩くと、寺の前には、立派な用水が通っていて、岩場が見事に作られているのがわかった。Img_3706 水量も豊富なので、江戸時代にこのような治水技術があったのであれば、すごいことだと感心して、さらに歩を進め、寺の山門前へ差し掛かると、写真のような立て札が立っていた。細い水路が通っており、それを辿っていくと、山の奥深くへずっと連なっているのがわかった。Img_3716 こちらが、ほんとうの「押野用水」であった。この細さでは、この数百ヘクタールある河岸段丘上のすべての田畑と、宿場の水を供給するには到底難しかっただろうと推測された。とすれば、あの立派な宿場の一本水路を潤した水は、かなり貴重な水であったのではないかと考えられるのだった。

Img_3714 お昼は昨年もお世話になった、「たくみの里食堂」でジビエ料理だ。昨年はシカ料理中心だったが、今年はイノシシ料理中心のメニューだ。最初に出てきたのは、イノシシの脂身の多い肉が入っている煮物だ。ニンジンやこんにゃくが旨い。Img_3741 酒は場所からいって「谷川岳」の温燗。最初は、おからとごぼうの和え物、ふきのとうの苦みが美味しい揚げ豆腐、山ウドのきんぴらなどで、野菜づくしの料理で身体に良い。Img_3744 そのあと、酒の肴に最適なイノシシのリブ、柔らかいももの焼肉、少し歯ごたえのある肩肉などが続いた。妊娠していない若い雌のイノシシが犠牲になったらしい。成仏するように祈りつつ、みんなで有難く頂いたのだった。Img_3742 途中イノシシのソーセージと一緒に出た芽キャベツも、地元の新鮮なもので美味しかった。Aさんはソーセージが気に入ったらしく、晩御飯のおかずに1打程のソーセージを獲得していた。最後は、昨年と同じ、手打ちそばだ。

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ここの食堂も何人かのオーナーが替わっている。それで、今のオーナーがどのようにして、椅子との調合を企てたのかを聞いた。カウンターと座敷のヘリの木材が残っていたので、部屋の備品は、その木材の様子に合わせて備えられて行ったとのことだった。この写真の椅子とテーブル、さらに本棚(これは奥さんの小学校が廃校になる時に理科室の実験用具入れを頂いたそうだ)、そして壁代わりに使われている桐ダンス。Img_3756 そして、きわめつけは薪ストーブだ。ここにお燗のための昔の弁当箱があって、山小屋風を醸し出している。この暖かさならば、一日中でも本を読んで、座っていたいと思うだろう。先生方の何人かは、食事の後、散歩せずに、実際にここに座って居眠りをしていたそうだ。

Img_3634 わたしはじつは、昨年欲しいと思った鉄のコーヒーメジャーを手に入れるべく、「絵マッチの家」へ向かったのだが、残念ながら、すでにコーヒーメジャーは展示していなかったのだ。Img_3636 ここにも喫茶室があり、三方向が窓の明るいストーブ室となっている。早速、一番古い椅子をストーブの前へ持ってきて、暖をとることにする。ストーブの前に座り、美味しいコーヒーを飲んで、本を読むという、至福の時を過ごしたのだった。

Img_3639 「絵マッチの家」の「部屋と椅子」の関係についても、聞いてみた。この部屋は、母屋から拡張させて出城風に家から出っ張っている。黒い梁と白い壁が特徴であり、この部屋が椅子より先に作られたのだそうだ。そして、テーブルと椅子が入れられたとのことだ。Img_3760 特に、昨年紹介した鉄職人の方が初期の頃に作ったテーブルと椅子が、真ん中で、この部屋の特徴を代表しているのだが、それとは別に、個性的な椅子も並んでいる。Img_3759 椅子の背板に箱が取り付けられているのは、たぶん教会の椅子で、聖書などが入れられるようになっているのだ。西欧ではよく見るタイプの椅子だ。この薪ストーブには窓が付いていて、中で木が燃えているのが見える。Img_3758 炎がメラメラと燃えさかるのに合わせて、自分の中でゆらゆらと時間が経っていくのを楽しんだのだった。

2016/03/10

「社会と産業」コースの合宿

Img_3677 毎年恒例となっている、「社会と産業」コースの先生方の合宿が行われた。群馬のみなかみ町にある、KW先生の親戚が経営なさっている湯宿温泉「湯本館」で、午後から重要な会議、その後、D先生とM先生の送別会、K先生の歓迎会となった。Img_3764 もちろん、会議などは放送大学の仕事なので、当然大学が費用を補助してくれるのだろうと、大方は思うだろうが、一切そのようなことはなく、全部私費参加であり、心置きなく楽しむことができるというシステムだ。D先生とM先生のお別れの言葉も、たいへん楽しいものだった。別れの時こそ、人が懐かしく思える。

Img_3627 また、これも恒例となった三国街道の須川宿資料館での資料見学も、待ち合わせたわけではないのだが、H先生と一緒になって、今年も学芸員の方のお話を伺うことになった。宿場の真ん中に用水が通っていたという江戸期の古地図を何枚も比較して見せていただいた。「なぜこの宿場の街道には、用水が真ん中に一本だけ通っていたのか」という謎に、ここ数年取り組んでいるのだ。

Img_3608 今年新たに加わった知識としては、じつはこの毎年話題にしていた、用水がいまNHKの大河ドラマ「真田丸」で有名になっている、沼田真田家の統治時代に作られたという事実がわかったのだ。江戸時代の初期には、このみなかみ町も沼田城主であった真田家が治めていた。第5代当主の真田伊賀守の時代に、この道の真ん中を通る用水が当時の最新技術で作られたのだそうだ。たとえば、水が山の登り坂を遡る技術が、この台地に入ってくる「押野用水」で使われているらしい。幕府あるいは真田の中に、かなりの治水技術の蓄積が進んでいたのだ。

Img_3629 なぜこのような用水の技術が発達したのかが重要なのだ。沼田藩には、河岸段丘が多くあり、その下を流れる川には豊富な水があるのだが、河岸段丘の上には当然水がないのだ。この段丘の上に灌漑用水を通すなどの治水事業がうまくいけば、農業が盛んになり豊かになるという時代を迎えていた。だから、江戸時代には、この地方にいくつかの有名な用水が作られており、須川宿の用水も、この典型例であったということになる。

Img_3612 今回の資料館の展示物のメインが、じつは当時の「検地帳」であった。学芸員の方の説明の中で、年貢の話が出てきて、ちょうどこの時代に用水ができて、収穫が増加したと考えられるのだが、同時に、年貢の元になる検地が見直され、それまでこの地域の石高は3万石だったのが、一挙に約14万石に変えられたということであり、年貢が4倍以上になったという過酷な状況が生じたことになるとのことだった。いくら用水が開通したからといって、収穫が4倍になるというのは考え難いところだ。Img_3613_2 このころ、百姓一揆や直訴が行われたという資料が数多くあるらしい。隣村である月夜野村での伝説的な「磔茂左衛門」のこともある。その後、真田が改易になった時、約6万石に評価が変更になって、統治が落ち着いたということだ。Img_3701 段丘の農地、用水の整備、生産性向上、年貢の評価などが、一直線上に並んで結びついたという面白さが、今年見られたのだ。これらのことは、KW先生からいただいた「歴史的農業用水」資料で確認されている。

Img_3734 H先生は環境から見る建築学がご専門なので、年貢のことよりも、この用水が宿場でも使われ、さらに農業用水でも使われ、地域環境全体を見る視点を与えてくれることに、興味を示していた。まだまだ、発展の可能性のある須川宿の「用水論」であることがわかったのだ。

Img_3697 ところで、今回KW先生から歴史資料を頂いたので、かえっていろいろな疑問がわいてきてしまったのだ。たとえば、須川宿と、東峯須川村と西峯須川村との間には、なんとなく齟齬があって、最初に1660年代に須川地区が主導権を持って、用水工事を進めようとしていたのだが、途中からそれが中止になって、村側からの「押野用水」が再開されたという事件も不思議なのだ。さらに謎なのは、村側からの技術者が幕府の関係する技術者であったらしい。Img_3692 すでに真田には、沼田の河岸段丘への灌漑用水建設で、1世紀以上前から用水技術が蓄積されていたのであるが、それにもかかわらず、幕府からの技術者が呼ばれている。想像でしかないのだが、真田側と幕府側の駆け引きがかなりあったのではと勘ぐってしまう。Img_3695 さらに、20年後に真田がこの地区の年貢の過酷な取り立てで、改易になることにまで、この出来事は続いているような気がするのだ。一大歴史ロマンを最大に広げてしまったのだったのだ。

2016/03/05

九州の喫茶店を歩く

Img_0670 妻の申し込んだ今回の九州温泉ツアーには、オプションと称する追加旅行がたくさん付いている。それは、参加者の満足と利便性を高めるために付いているのだが、怠け者を自認するわたしのようなものにとっては、このようなオプション旅行が多ければ多いほど、その時間を利用しての自由時間の余裕がそれぞれ1時間ほど増えて、たいへん喜ばしいのだ。Img_3276 大ツアーに応じておいて、小ツアーを避けるというのは、たいへん矛盾しているのだが、今回はそれが良い方へ転回したのだった。自由時間の主たる狙いと定めたのは、喫茶店巡りだ。

三つの喫茶店へ寄ることができた。とりわけ、シリーズとなっている椅子の採集にはたいへん役立ったのだった。Img_3364 初めての土地で、しかも初見で良い喫茶店かどうかを見分けるのは、かなり難しいのだが、今回はハズレがなかったということでも良い旅行に行ってきたと思うのだった。

Img_3431 このところ探っているのが、喫茶店の「部屋を先に作ったのか、それとも、椅子を先に作ったのか」論争であるのだが、いくつかの結論に近いものが出てきそうになりつつある。一つ目の喫茶店では部屋が先だった。二つ目の喫茶店では椅子が先だった。三つ目は以前からのものを受け継いだ喫茶店だった。これらに共通していることは、どのようなことだろうか。

Img_0680 旅行の1日目には、泊まりは別府だったのだが、そこへ行く前に福岡空港から湯布院の街へ回った。この湯布院という観光地にはランドマークとなるような、有名な金鱗湖という湖があって、その周りに喫茶店が集中している。Img_0681_2 みやげ物屋から少し離れてゆったりとした地域なのだろうか。湖水に面した喫茶店で、観光客が吸い込まれるように入っていく「S」という店があって、絵画なども展示していて、見るからにリゾート地の喫茶店風をしていたが、当然のようにして、その前をパスした。このようなところでは、地元客が行くような、目立たなくしかし自信を持ってずっと続いているような店を探すことにしている。「S」を出て、さらに寂しい道を一本入ったところに喫茶店「キャラバン」を見つけた。

Img_0682 二軒が横に並んでいて、どちらかにたくさんの客が入るのであれば、それなりの理由があるのだ。けれども、二軒が前後に並んでいて、前にたくさん入るのは当然で、むしろ後ろにあってずっと店を継続している方に、敬意を持つことにしている。

Img_0686 キャラバンのご主人は、数年前に博多の店をたたんで、湯布院へ移ってきたそうだ。その時に、この店を建具大工ではなく、建築大工屋に任せたそうなのだ。そこで出来上がったのが、そば屋さん風のカウンターであったと嘆いていらっしゃった。その大工さんはそば屋を作ったことがあるのだが、喫茶店を作ったことがなかったのだそうだ。なるほどなるほど、カウンターの板を見ると、縦に細い板が隙間をとって並べられている。一枚板のカウンターという喫茶店の常識から逸脱しているのがわかる。Img_0683 さらに、このカウンターを眺めた目で見ると、その脇の作り付けのテーブルとベンチも、なんとなく居酒屋さん風に見えてくるから不思議だ。木造りが良いと注文したらしいのだが、その木造りが和風であったのを知るのは、できた後だったらしい。

Img_3405 それで、ご主人は急遽テーブルと椅子をカナダから取り寄せたり、コーヒーカップをたくさん並べたりして、現在の喫茶店のインテリアを調整したのだ、とのことだった。最初の和風を消すことに、かなりの労力をつぎ込んだことがわかる作りの喫茶店だった。つまりは、部屋が出来て、それに合わせて普通は椅子とテーブルが選ばれるのだが、そうではなく、部屋の趣向を打ち消すために椅子とテーブルが選ばれたという、たいへん面白い事例だったのだ。

Img_3380 時間がなかったので、コーヒーを淹れながら、お話を聞いたのだが、深煎りのコロンビア・グアテマラ・浅煎りのモカなどのブレンドで、旅行にあっても、時々このような美味しいコーヒーに出会えるならば本当に言うことはない。

Img_3389 二つ目の喫茶店は、「雲仙温泉」へ移動する最中に立ち寄った長崎駅近くの「ROUTE」だ。これもオプション旅行に加わらず、余裕ができたために可能になった喫茶店訪問だ。妻が舟越保武の「二十六聖人殉教碑」を見たいということで、西坂公園に行ったのだ。Img_3394 そこで公園のベンチに座って、ゆったりと碑を眺めたのだった。戦国時代から江戸時代、さらに昭和時代から平成時代へ、と空の青さがつないでいたのだった。

妻が買い物へ行ったので、公園から街を見下ろしていたら、近くのビルに、「ROUTE」の看板が見えた。Img_3403 2年ほど前にできた喫茶店で、さらに近年には3階に宿泊所と1階にレンタル自転車の店が併設されている、複合的喫茶店だ。気安く入りやすい雰囲気が素敵だった。

木の椅子やテーブルやさらに内装が良かったので褒めると、店主がこのビルの内装を請け負った工務店の絵葉書のような、パンフレットを持ってきてくださった。Img_3400 そこには、この店の改装の様子が載っていたのだが、さらに目を惹いたのが、フィンランドの建築家アアルトのサマーハウスの記事だった。建築家が椅子作りの名手である例には、後を絶たないほどたくさんあるのだが、中でも、アアルトの合板作りの椅子は有名で、今回のわたしのテキストでも取り上げさせてもらっていた。Img_3595 このパンフレットのサマーハウスの中にも、それらの椅子を見ることができたのだった。つまりは、家に合わせて、椅子が作られ、椅子に合わせて家が作られたのが、アアルトのサマーハウスなのだ。

 

Img_3408 もちろん、喫茶店「ROUTE」の椅子も素敵で、窓際の二つの個性的な家庭椅子がまずあって、それに合わせるようにして、部屋が作られ、さらにテーブルと他の椅子が加えられて行ったのだとおっしゃった。この居心地の良さは、これらの椅子への気遣いに現れていると思われる。Img_3409 この喫茶店には、いろいろの種類の椅子が配置されていて、カウンターには高いスツール、窓際にはスペイン風の椅子で座面を張り替えられたもの、さらにわたしの座った曲木の椅子、そして奥には大勢座れるソファと大きなテーブルがある。多様な座り方ができ、どのような組み合わせでもできるように配置されていたのだった。

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三つ目の喫茶店は、最終日の佐賀空港へ向かう途中に立ち寄った太宰府の街の喫茶店だった。ツアーなので、太宰府天満宮まではみんなと一緒に行かねばならない。けれども、その後の昼食は各自とることになっていたので、九州国立博物館から公園を降りて、賑やかな山門通りから少し離れた光明禅寺の裏通りに、木工の喫茶店があったのを思い出して行ってみた。出張で一度来たことがあるのだ。けれども、この喫茶店はコーヒーだけだったので、子ども椅子など見学させてもらって、すぐに退散した。そして表へ出ると、すぐに三つ目の喫茶店「GOKAKU」が見えた。

Img_3580 GOKAKUには、太宰府の「合格」祈願の意味と、太宰府にちなんだ梅の花の「五角」の意味とがあるとのことだった。ここの野菜カレーを注文したのだった。カレー・ルーにはたくさんのスパイスが入っていてコクがあった。野菜がそれぞれ姿のわかるように大きく裁断されていて、それをオリーブオイルでさっと揚げてある。Img_3581 野菜の好きな人であれば、きっと来たくなるような喫茶店だ。山門の方は観光客であふれかえっている。とりわけ、近年は中国や韓国からの観光客が多く、道が混雑で歩けないほどだ。それに比べて、こちらの博物館へ通ずる道は静かで穏やかな住宅街を通っていて、散歩コースとしてオススメだ。

Img_3582 この喫茶店の椅子は、カリモク系のシンプルなものだ。けれども、それらは部屋にあっている。部屋自体が白い壁に、明るい木製の床だからだ。奥の大きなテーブルだけは、家から持ってきたとおっしゃっていたが、この辺が全体の調和とはちょっと違っていて、オーナーからの受け継ぎがあって、その後の自分の調整が始まろうとなさっているのかな、ということを感じさせたのだった。

Img_3310 さて、今日の椅子はどれにしようかな。たくさん候補がある中で、阿蘇の温泉場で、客との間で裸の付き合いを長らく行ってきた木製スツールを取り上げることにしよう。真ん中に穴が空いている特徴を持っていて、温泉から上がっても、濡れたままでこの椅子に座ることを想定しており、しっかりした作りを見せている。いままで何人の温泉客が、濡れたお尻でこの椅子に腰掛けたことだろうか。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。