カテゴリー「文化・芸術」の投稿

2016/11/17

逗子で食事して、松本竣介展を観る

Img_5111 「思い立ったら、美術館」という良い習慣をずっと続けていた。身体に良いばかりか、精神衛生上良い効果があったのだ。ところが、気がついて見たら、昨年の今頃から、途絶えてしまっている。忙しさを理由にしたくないので、考えて観ると、つまりは良い展覧会がなかったということに落ち着くのだ。やはり、このようなところで、鎌倉の県立美術館が閉鎖されたということが効いているのではないだろうかと思ってしまうのだ

 

Img_5114 秋の冷気が朝早く地面に広がっていて、いくら歩いても汗が出ないのだ。空はすっかり晩秋の快晴で、散歩日和だ。妻と一緒に歩いて、上大岡へ出る。これまでと同様に、逗子周りで行く、鎌倉の美術館巡りの復活である。逗子の街は余所者には何となくよそよそしく感ずる街なのだ。それは、わたしの偏見かもしれないが、逗子の多くの住人がやはりみんな余所者だったからで、後から逗子市民になった人々が多いのではないかと考えている。鎌倉は高級住宅地のイメージが強いが、逗子は高級リゾート地のイメージで、つねに余所者がやってくる街なのだ。Img_5115 だから、逗子の街がよそよそしいのは当然で、わざと距離をとって、互いの余所者同士の摩擦を避けているようにも思えるのだった。もっとも、それは地元に昔からある魚屋さんなどで、観光客として買い物などすると、表に現れてきて、このクールさが逗子の特色なのだと思うようになるのだ。

 

Img_5119 まずは逗子に着いたら、昼食だ。いつもの「ヴェスパ」でピザとパスタだ。あいにく、席は満杯で、入口付近の真ん中の席になってしまったけれども、話をしているうちに、マリゲリータが運ばれ、クリームパスタもテーブルに乗って、近くの石焼窯の暖かさが伝わってくる。Img_1643 一人の男、一人の女の客も多く、外国人やサラリーマンのランチとして賑わっている。外国人の方は、肉なしでと後から注文を出していたが、習慣が異なる人を扱うことに慣れているのも、逗子の街の特徴だと思われる。

 

Img_1642 隣の駅なのに、逗子駅と鎌倉駅の、この違いは何なのだ。鎌倉の観光客の数が多く、盛り上がって異常な状態であることは理解できても、これらのほとんどが鶴岡八幡宮に行くのかと思うと、この街の幸福と不幸とを思わずにいられないのだ。Img_1647 足早に混雑している小町通りを通り抜け、でも豆屋の豆の試食はしっかりして、さらにずっと通り抜け、鶴岡八幡宮の横にあった、工事中の県立美術館前を横目で見ながら、県立美術館別館へ急ぐ。

 

Img_5132 松本竣介展がここで頻繁に開かれることについては、県立美術館が代表作の「立てる像」や「Y市の橋」などを持っているためである。それにちょっと個人蔵の作品を加えれば、このような小規模の展覧会は比較的容易にできるのだろうと想像される。今後も小規模で良いから、一年に一回は開いて欲しいのだ。

 

Img_5143 作品の「りんご」や「ニコライ堂」などは何度見ても飽きない。今回はモジリアーニ風やルオー風などの初期の作品が来ていた。これらの他者の作風を模倣した作品が並んでいて、それでもざっと見て行くと、やはり松本俊介風なのだ。

 

最近頼まれて、論文の引用とは何か、という文章をわたしは書いたのだが、引用はまさしく他者の言葉を活用して文章を書くことであり、言葉や作風を真似るということだ。それでも、最後には引用よりも、自分の文章らしさが出なければ、引用の意味がない。Img_5133 他者の言葉でありながら、自分の言葉として表現されてこそ、引用と呼べるのだ。どこで、線を引くことができるのか、と問われても、なかなか明確に答えることができない。けれども、これらの松本俊介の絵を見ていると、モジリアーニ風であってもそれを脱していると感じさせれば、真似しても真似ではないと言えると思われる。

 

Img_5151 先日、K大図書館のポスター掲示を見ていたら、鏑木清方美術館への招待券がもらえるということがあり、それを持って来ていた。静かな住宅街の一角に、アトリエを改造した平屋の洒落た建物で、絵と同時に、その場所を鑑賞したいと思わせる美術館なのだ。Img_5154 小さな展覧会なので、ちょっと散歩がてら一つだけ見たいというのに適した美術館なのだ。今回は、屏風絵の美人画が素敵だった。

 

そのまま、小町通りを下れば駅には近道なのだが、前を行く観光客の多さに、思わず表通りへ出ることにする。Img_5124 すると、横丁にはやはり雑貨の店が綺麗なブルーのショールを出していて、道ゆくものの気を引いている。このまま、参道をくだって、海まで出たい気分もあったのだが、秋がここまで来てしまうと物悲しい気分も手伝って、今日のところはここまでにしようと、来た道を家まで戻ることにしたのだった。久しぶりに随分と歩いた一日となった。Img_5121 Img_5164

2015/10/04

職人技の本能とは

Img_1533_2新幹線新神戸のすぐそばに、竹中大工道具館がある。椅子制作の取材をしていて感ずるのは、木工の本能ということがあるのではないかということだ。Img_1529 その多くは経験的なものなので、いくらわたしが興味を持ったからといって、一朝一夕にはその感覚を身につけられるわけではないものなのだ。けれども、木に触っていると、じわじわと身体の中にしみこんでくるものがある。

Img_1534 それで、いろいろな角度から隙を窺うというのか、木工作品の間にいて感ずるというのがよいと思うようになった。今日は機会あって、神戸を訪れている。機会というのは、信州の木工、それも椅子に関係した職人技の持ち主たちが、建築家のN氏と協働した展示会を催しているからだ。Img_1568 展示は期待どおり、椅子が20点くらいで、あと見たかった設計図が十数点掲げられていて、その中に書かれている指示の言葉などを眺めていると、職人技本能についての想像力を掻き立てられたのだった。

Img_1541 まず注目したのは、建築家と三人の職人のいずれもが、一つの専門以外に複数の専門職人であることだった。他者と協働する以前に、すでに自分の中の他者と向かい合っている人びとだということだ。これはきわめて納得的なことだった。Img_1543 自分の中の対立をうまく抑えられない人は、他者との対立もうまく抑えることは出来ないことだろう。あるいは、自分との葛藤を抱えていることを知っているから、他者との葛藤も理解できるのだろう。

Img_1547 たとえば、今回N氏とテーブル作成でコラボしたY氏の場合、N氏は建築家としてよりも家具デザイナーとして現れていたし、Y氏もかつてのウィンザー椅子職人というよりも、家具職人として、制作していた。そこでは、自分の殻から一歩外へ出て、二人の中間を探ってなされるような工夫が展示されていた。テーブルの足を二つにした場合、下を支える部分をどのように考えるのか、などが面白かった。

Img_1553 それで興味を持ったのは、ひとりの中での家具デザイナーとテーブル職人の葛藤を行う場合と、ふたりで分担し合う家具デザイナーとテーブル職人とどこが異なるのだろうかということだった。Img_1556 これは考えていると、どこまでも飛躍できそうな面白いテーマであると思ったのだった。このことなどを問題の糸口とすれば、面白い視点がありえそうに思えてくるから、不思議だったのだ。

Img_1555 さらに、素人のわたしでも参考になったのが、この博物館の一般展示だ。大工道具の標準的な道具揃えが一覧のもとにわかるだけでなく、伝説の道具メーカーたちの作品をも見ることできたのだった。Img_1549 刀剣の素晴らしいものを見るように、鉋の刃の、息を呑むような見事な道具に触れることができた。

Img_1561 中でも、木組みの面白さにも触ってみることができたのは、新鮮な体験だった。さて、写真に写っている、木同士がどのように組まれて、しかも釘一本も使わずに組まれているのかが、じっさいにわかるだろうか。わたしが再現できなく苦労していると、若いカップルが来て、難なく組んでしまった。「大工ですから」、と言っていた。

Img_1542 その隣には、丸太を幾つかの局面で切り裂いた見本の板が飾られていた。板材のくせがよく分かる展示だった。また、大工道具の典型である墨壺も展示され、じっさいに使って見ることができた。わたしの前には、女性が試していた。すると、「やってみましょう」と割り込んで、大工の熟練が寄ってきた。ビシっと決めて、線がまっすぐに引かれた。

Img_1546 実はまわりを見回すと、若い人も年配の人も、大工さんらしい人びとが押し寄せてきていることに気付いたのだった。とりわけ、年配の人びとは引退し、その後ここを訪れたような人びとばっかりだった。Img_1536 大工仕事はわたしが考える以上に、直感的で経験的な仕事なのだと思われる。けれども、それ以上に、大工の人々にとっても、このように一覧して、道具がまとめてあるところを見ることには、何らかの本能を超えた効用があるのだと確信したのだった。

Img_1465 今回の関西旅行では、年次休暇という制度を利用して、妻とゆったりと自由に歩き回っている。わたしが大工道具博物館を見ている時には、妻は小磯良平美術館を回るというように、行動は別々にとって、朝食・昼食・夜食は一緒に摂るといった具合だ。

Img_1474 神戸への到着が朝早かったこともあって、朝食と昼食を10時開店のパン屋「F」でサンドウィッチを食べる。ここの特色は、セットで頼むと、追加注文で様々な種類の食パンを個別に選べるところにあって、むしろこちらの色々なパンを目的としてくる客も多い。Img_1479 古い教会を改装した、天井の高い食堂は、心地よいゆったり感を与えてくれる。休日なので、家族連れが多く、パン好きの子供や親たちが大量に頬張って、食べる愉しみを満喫していた。Img_1470 この隣の工場で作られているさっぱりしたバターとミルクジャムが気に入ったので、出されたパンに塗っていただいたのみならず、さらにこれから歩き回ることを顧みず、それぞれ二缶ずつ購入してしまった。Img_1484 Img_1481

2015/09/05

酒造りもクラフトだと思った

Img_2251 今日は、O市挙げての「三蔵呑み歩き」という催しがある。O市にある3つの酒蔵で、蔵出しの酒が振舞われ、食べ物のもてなしがある。数千人の人びと(呑助・呑ん兵衛)が集まるのだ。松本からもこのためのJR大糸線の特別列車が仕立てられる。

Img_2254 諏訪市のイベントにも同じような「呑み歩き」があり、それを模倣して、今回で8回目となるらしい。それで、近くの「酒の博物館」へ行って、参加証となるお猪口を購入する。洒落た巾着がついてくる。

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Img_2008 街に出て、少し早かったけれどもお墓まいりを済ませて、精進落としというわけでもないが、三蔵の中でも、一番小さな酒造メーカー「北安大國」へ向かう。「一番小さい」ということをわざわざ売りコピーにしている。酒造りもクラフツだと思った。Img_1965 大手酒造メーカーと違って、小ロット生産を旨とする。手仕事で決まる部分がかなりある。まだ、開始までにかなり時間があるので、料理はラップに包まれていて、呑み歩きの客はほとんどいない。それで時間になるまで、蔵の中をずっと見せていただいた。メーカーの人も、準備に余念がない。Img_1972 「みんな呑むほうに夢中なので」とおっしゃって、「洗米」と「蒸す」場所までは連れて行ってくださったが、その奥の蔵と二階麹室の説明までは付き合って下さらなかった。貯蔵タンクが並ぶ蔵の階段を上って、大きな広い板間に出た。Img_2009 100畳くらいはあるのだろうか。麹つくりに使われる部屋だ。米を運ぶ布が干されている。Img_1977 今日は、書道家が大きな書を並べていた。運動会が屋内でできそうな、大きな部屋で、今まで見た板敷きの部屋としては、最大級の部屋ではないかと思われる。

Img_2013 表玄関の試飲の場所へ出たが、まだまだ1時間もあるので、近くのA倉で催されている、陶器・雑器展を見る。このころになると、O駅から大勢の人々が上ってきて、酒蔵目指して、大移動が始まったので、Img_2024 わたしも酒造メーカー「白馬錦」と定めて、門の前で待つことにする。ここでは、抽選で当たった人が、「鏡割り」を行うことになっているのだ。Img_2040 秒読みをして、いよいよ呑み歩きが始まった。盛大に割って太鼓のような音がするのではないかと期待していたのだが、Img_2061 どうやら、あまり強く打つと、中の酒が跳ねてしまうので、静かに打ったようなのだ。Img_2057

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クラフツ生産に必要な相対取引習慣をどのように維持するのか、これは口少ない職人メーカーにとっては工夫のいるところだ。「鏡割り」のようなポトラッチは、人びとを饗応するにはもってこいの儀式だ。

Img_2046 このところ、最初に呑む酒が一番旨いのだ。今日も、「無濾過生原酒」という樽から出して、火入れを行わない、つまりは複雑な味をそのまま保つ酒から、始めた。これは、良かった。フルーティで現代的だ。ワインに対抗する種類だと思われた。そして、辛口の「大吟醸」、季節の「秋あがり」、純米酒、そして、呑み歩き特別蔵出し「雪嶺」へと進んだ。特別品は、アルコール度が21%もある。Img_2051 この蔵だけでも、9種類、さらにお燗コーナーまで含めると、10数種類以上の試飲ができることになる。そして、実際にそうしたのだった。これだけの人数がどこから来たのだろうか。Img_2056 大通りはあいかわらず、シャッター街が続いているのだが、ここだけはなぜか、人がこんなに集まっている。この違いはどこにあるのだろうか。Img_2054 さて、ここだけでも、たいへん仕合わせな気分になってしまって、腰を落ち着かせて、呑みたい気分だったが、さきほど見てきたところも気になり、良い気分のまま、千鳥足で北へ進路を取ったのだ。街全体、歩いている人みんなが揺れているので、一人だけ酔っているような感じにはならない。Img_2052

「北安大國」でも、まず飲んだのは、生原酒だ。ここでも、これは呑みやすい。パンフレットによれば、ここは小さいので特色を出すことに、それも甘口にこだわっているのだそうだ。Img_2069 それで、鏡割りした樽酒を呑むと、これがまた良い味をしている。ここの特色は、さらにもうひとつあって、赤い古代米を使った清酒を作っている。Img_2075 これも悪くなかった。たぶん、お米の特徴をうまく取り出しているのだと思った。店先のそれほど広くない土間は、呑助たちで満杯だった。みんななぜか幸せそうな顔をしている。

Img_2097 最後に訪れたのは、「金蘭黒部」だ。ここは、大通りに面していて、さらに黒い建物と蔵がずっと奥まで続いている。酒を運んでいたと思われるレールが敷かれているのも見られる。Img_2098 明治以来のこの蔵の歴史だけでも相当なエピソードが隠されているのではないかと思われる。酒もさることながら、まずは蔵の奥へ向かった。そこでは、主人らしき方が、蔵の歴史を説明しながら、珍しい建て方を解説くださった。Img_2106 蔵が左右にいくつか並んでいるのだが、それらを全て覆い尽くすような木造の屋根「置屋根」が付けられている。しかも、それぞれ置かれている蔵の高さには段差があるのだ。Img_2112 それら段差を克服して、複雑な構造を見せて、アーケードのように数十メートルもの木製の置屋根が続いているのだ。つまり、雨や雪に左右されることなく、酒造りの作業が可能な作りになっているのだ。Img_2125 これらの蔵には、その昔ガラス瓶はなかったので、小さな樽で売られていたらしい、その小さな樽も柱の隙間から、山になっているのが見えたのだ。Img_2140





Img_2149 最後は、もう一度、「白馬錦」へ向かった。最初に飲んだ「無濾過生原酒」で最後を締めるつもりだった。結局、お猪口が一杯で20ccだとして、全部で20数種類のお酒を呑んだことになるから、合計では、400ccくらいを呑んだことになるのだ。量としたら、そんなに多い量ではないだろう。Img_2152 けれども、種類がかなりの数に上っているので、多く呑んだような気になっているのだと思われる。数人で一緒に来ている人びともいるが、一人で来ている人びとも結構いた。

Img_2164 わたしのとなりに、観察に余念がない方いらっしゃったので、話をする。なんと東京のAからきたとこのことで、イベント担当者だそうだ。この酒造メーカーを含めた「呑み歩き」をAで行っているのだそうだ。Img_2166 彼が言うには、「ぜんぜん違いますね。」参加者の熱意や全体の雰囲気がこちらの方が上なのだそうだ。値段の差もあるらしい。Aでは、参加料が4千円で、こちらは千5百円なのだ。呑助たちのコストパフォーマンスは圧倒的に、こちらの方が良いだろう。

Img_2169 けれども、この方の端々に出てくるのは、「採算性がこれで取れるでしょうかね」という言葉だった。なるほど、Aに集まる人びとの多くは、4千円払って、どのくらいの満足が得られるかが勝負なのだ、と思ったのだ。Img_2004 ここがクラフツ生産の異なるところなのだ。採算性を度外視したところで、ポトラッチとして、1日だけ散財する。ここに楽しみがあるのだ。

Img_2183 帰りのシャトルバスの中も、まだまだ酔いが冷めない呑助たちで、いっぱいだった。キンキンと響いてくる会話の声に揺られて、家路を急いだ。


Img_2197_2 今日の椅子は、呑み歩きの最後に用意されていた、仕合せなヨッパライたちの木製ベンチだ。ヨッパライという呼び名は、今日に限っては立派な名誉称号だ。何やらみんな少し赤い、愉快そうな顔をして歓談している。手から吊り下げているのは、呑み歩きの参加お猪口の入った巾着である。楽しかったお酒を反芻していらっしゃるのだと思われる。William_hogarth__beer_street この図で思い出されるのは、英国の画家ホガースが描いたビール街とジン横丁である。ビール街では、上記と同じような木製のベンチに腰掛けて、裕福そうな人びとが呑んでいる図になっている。仕合せの極致を描いている。ところが、ジン横丁では皆地べたに腰を下ろし、スツール椅子は見えるが、坐られてはいない。地獄図が描かれている。Imgd6d523a3zik8zj 酩酊文化には、二種類あって、天国と地獄だ。今日の三蔵呑み歩きは、この写真では前者だったに相違ない。それがわかるのは、ちゃんと椅子ベンチに腰掛けているという表象を守っているからだ。

2015/04/21

日本橋で焼きものを鑑賞する

Photo_3 日本橋の高島屋で、今泉今右衛門氏の展示即売会があるという、招待状(といっても、観覧だけならば無料なのだが)をいただいたので出かける。今回は、どのような磁器制作の深みを見せてくださるのかと、楽しみにして電車に乗った。

工藝というものには、個人であれ、集団であれ、「人」に所属する技能が大きく左右して、作品に投影されるものだと思っている。それは、陶磁器にあって、これだけ多様な作品が世の中に現れていることからもわかる。よほど均質で、工業化されたものでなければ、ほぼ一代限りの技能が切れ切れに存在するのが工藝の世界では当たり前だ。それは、現代の陶芸家の多くに、その傾向が見られる。たとえ師匠に付いて学んだとしても、師匠とは全く異なる意匠を発達させるのが通例で、同じ意匠をそのまま伝統的に受け継ぐような、陶芸家は数少ない。このような工藝の世界にあって、伝統工藝を受け継いでいる方がたは稀有な存在だといえる。何代も受け継がれるには、それだけの価値が蓄積されていないと、そう簡単には実現されない。と、僭越ながら想いを馳せたのだった。

Photo_4 今回の展示会でもっとも注目したのは、すっと宇宙を目指すスマートな姿をしているが、大きく世界全体を捉える太さも持った「色絵薄墨墨はじき花文瓶」と、それから同じ形で対になって並べてあった「色絵緑地花文瓶」だ(作品銘が長くて記憶が定かではないのだが)。後者の「緑地」瓶は、13代にも見られる意匠で、すでに熟成の模様をいくつも含んで、華やかな中にも落ち着いた形象のデザインになっているものだ。とりわけ、模様から白地に入る際の見事さは比類ないものだった。完成度が高いものだった。これに対して、前者の瓶は14代の特色とする「墨はじき」を中心にした落ち着いた雰囲気を持っていて、復活された技巧の深化が図られていた。細部の巧みさは際立っている。あの線の細さをどのように描くのか、また工房を訪れて見てみたい気にさせられた。

もうひとつ注目したのは、「色絵薄墨墨はじき雪文瓶」だ。瓶の模様に、14代の個人的意匠を示す「白い雪印」が、何度もモチーフとして焼き付けられている。これには、グレイバージョンとブルーバージョンとがあった。「墨はじき」は通常、墨で行われているのだが、このようにみてくると、色の「墨はじき」も悪くないような気にさせられる。シンプルで清楚な感じがとても現代的だ。たぶん、これらの現代的な意匠は、伝統的な工房としての今右衛門窯から、すこし距離を置いて考えらえたものだと想像する。

Photo_5 前回拝見した時と異なる点が、気になった。会場の奥隅に追いやられたように展示されていたのが、手のかかる、白地に透明な草木模様をあしらった地に、「薄墨」や「墨はじき」の複雑な意匠を半分ほど乗せた作品だ。これらは、前回の作品群を引っ張っていた基本的な意匠なのだが、今回の展示会では、ほとんどみられなかった。これは意外な気がした。というのも、今後の発展は、このような白地をいかに「墨はじき」と組み合わせて発展させるのか、という方向性を持っていたと、わたしは思い込んでいたからだ。今回は、白地と墨はじきの切り分けは、意外にシンプルに、線で区切って、なおかつ、白地は地のままで置かれていて、そこには透明な意匠はみられなかった。この傾向はなぜ生じたのか、ちょっと聞いてみたい気がしたが、考えてみれば、視覚的な効果の点から見て、目立たない意匠を削ることは至極当然の帰結であったともいえよう。けれども、素人目のわたし個人としては、この白地の意匠と、「墨はじき」の意匠との対立と調和とをもっと進化させていただきたかった。もっとも、このようなわたしの個人的な思い込みは、僭越過ぎることには承知の上であるが。

今右衛門窯の特色のひとつとして、他の作家工房窯を完全に凌いでいるのが、販売部門の充実だ。今回の展示会も、むしろ販売部門の強さを見せつけているように感じた。たとえば、それは値段の付け方に表れている。作品は、30万円台、50万円台、90万円台、100万円台、200万円台、500万円台、800万円台となっていて、その中でも、中心を占めるのは、中間の90から100万円台であった。全体と比較して、もっとも求めやすい価格として、この90万円台が活用され、もっとも多くの予約を得ていたのだ。工藝で言うところの「上手物」のブランドというものの性質を心得た価格決定が行われている。

有田にある今右衛門窯を最初に訪れたのは、放送大学の授業科目収録のためであった。2000年代はじめに、14代を襲名してすぐの頃だった。その後、何年かに1回ずつはテレビ取材を行っている。現在放送中の「社会の中の芸術」でも、取り上げている。窯のある一階がろくろ中心の作業所に当てられていて、二階には絵付けが役割に分かれて部屋が定められていた。この工房全体の整序には、いつも感心させられていた。わたしは本来、工藝で言えば民藝などの「下手物」趣味の人間であるために、時折このような「上手物」に触れることは、たいへん新鮮で基本的な勉強になるのだが、とりわけ手仕事特有の分業のあり方は、現代の産業を考える上でも参考になるのだ。

Photo_6 今回は、今右衛門氏が人間国宝の指定を受けての展示会であった。パンフレットによると、史上最年少での選定だったそうだ。けれども、わたしのような素人が言うまでもなく、この色鍋島の美術館を含んだ工房全体、さらに販売部門を入れた組織の状態を拝見させてもらえば、伝統工藝を受け継ぐ体制として、申し分ない人間国宝指定であったと思われる。制作の厳しさと余裕を含んだ、口伝と暗黙知による継承の典型例としても、比類ないものがあるのだ。

2015/03/25

「海老原喜之助」展へいく

Img_9358 春の陽が射している。でも、風は冷たい。妻が展覧会はどうかと誘ってきた。ちょうど気分を転換させたいと願っていたので、午後も少したってから出かけることにする。午後2時に出かければ、帰り道の途中で、ちょうど夕日が沈む頃、走水の崖から富士山の方向に夕焼けがみえるかもしれない。

Img_9344 横須賀美術館では、海老原喜之助の生誕110年記念展が開かれている。フランスで藤田嗣治に師事して、西洋の画法を的確に身につけており、方法に無理がなく、どの描法を取っても、安定した描き方をする。Img_9377 そのため、観ていて、その通りだと納得させられる感覚を与えてくれる絵画だ。藤田嗣治の白と同様にして、「エビハラ・ブルー」としてプロモートされている。けれども、それは1930年頃のことで、それ以降、必ずしも青が目立つわけではない。

Img_9431_2 代表作となると、やはり「青の時代」には多くの作品が集中していることは確かである。たとえば、作品「スケート」に見られるような、白色の雪と、うす青色の森(なぜわたしたちが森はグリーンだと思っているかが不思議だと思わせるような)の描写は、素晴らしい。さらにポスターにもなっている、やはり1930年頃の「曲馬」は空の青と、補色の馬の茶色が綺麗だ。それだけでなく、馬と乗り手とが、ぷかっと浮かんでいて、地上の親方のもつ綱につながり、全体として、余裕のあるユーモアを感じさせる構図となっている。ここで現実以上の何物かが生じたことがよく分かる絵だ。

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絵画の「リアリティ」を一山超えたと思える「遊戯」形式というものがよく出ているのは、1954年ごろからデッサンで準備され、58年に描かれた「人形使い」だ。複数の人形使いが一様に両方の手に一つずつの人形をはめて、両手を挙げて、人形芝居を行っている図だ。二つの動作を同時に行わなければならず、二つのそれぞれの相互作用が一人の人形使いによって統御されている。二つの人形を使うのは至難の技で、デッサンに現れる現実の人形師たちは真剣な眼差しを崩すことはない。

けれども、多くの「デッサン」を経て、最終的に描かれた「油絵」をみると、人形使いが笑っている。二つの人形に魂を奪われていた時期を脱して、人形使いの自在な様子が、ピエロ的な自由な動きに摸して描かれている。海老原喜之助は、上記の「曲馬」のぽかっと浮かんだ状態や、ピエロ風の笑いなどの余裕ある遊戯を捉えている点で、ひと首抜け出た画家であった。

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もうひとつ、わたしにとって特筆すべき発見があったのだ。昨年から、感性に注目して経済を眺めているのだが、いくつかの対象物がある。その一つに「椅子」があって、何回かの取材を重ねている。今回の海老原喜之助の描いた中に作品の「靴屋」があり、その中に描かれているものとして、ついに「一本足の椅子」を見つけたのだ。椅子の系譜には、いくつかの系統があるが、そのひとつは有名な「シューメーカー」椅子という系統がある。一応それらは、「三本足」の椅子ということになっていて、「一本足」椅子は、理論的には可能であっても、実際に見ることは初めてだった。絵画の中であるとはいえ、すっかり喜んでしまったのだった。究極の椅子として、この「一本足」椅子を「海老原の椅子」として記憶にとどめておきたい。絵の中では、安定した座りを見せていたのだが、ほんとうにあの椅子には座ることはできるのだろうか。

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すっかり豊かな遊戯を行い終えた気分で、予想どおり、綺麗な夕日のなかの走水を通って、家路に着いたのだ。

2014/11/07

元町辺りを散策する

Img_8177 昨日、雨が降るというので、雲が心の中を見透かすように垂れ込めてきていた。それで、外出を控えて、「社会経営研究」の校正に精を出す。現在、再校から三校の段階で、Img_8182 すでに9割がた出来上がっているので、少しずつ届く校正稿に従って、修正を行っている。いつもながら、校正というのは、時間をかければかけるほど、いろいろなことが出てきてキリがない。

Img_8186 それで今日は朝から、かねてより、妻と一緒にいくことになっていた展覧会「須賀敦子展」へ出かけることにする。家の近くのバス停から、山下町経由の日赤病院行きのバスが出ていて、機会があったら乗りたいと思っていた。それで、直通でフランス山の麓まで着いてしまう。Img_8195 このバスが面白いといっては失礼なのだが、幹線通りを通ってくるバスにもかかわらず、そこを避けて通りたい病人や老人(われわれもそうなのだが)などで、満員状態なところだ。この奇妙な感覚は、このバスに乗った人にしかわからないだろう。

Img_8202 「フランス山」から「港の見える丘」公園も、休日にくると、人とぶつかってしまうほどに混雑しているのだが、きょうは人の顔を見ながらでも、ゆったりと坂道を登ることができるのだった。大仏次郎記念館から近代文学館へ渡る橋があって、港の眺望が良いばかりか、Img_8206 緑が豊かで、散歩コースにはかならず組み込みたい場所となっている。開館までに時間があったので、散歩者たちに混じって、ベンチでコーヒーを飲んで港の自由な空気を吸い込んだ。

Img_8211 「須賀敦子」については、妻と娘が好きで、それぞれが全集や単行本を持っている。それに誘われて、本を手に取るようになったのだが、わたしなりの読む動機が別にあることに次第に気がつくようになった。Img_8213 それは、彼女の中に、よくわからないのだが、「何かを超えていく」という、不思議な感覚を持っていて、行動にも評論にも、それがひょっと現れるからだ、ということに思い至ったのだ。

Img_8216 須賀敦子は、早くから、父親が若い時の世界一周旅行の話をしていて、外国へ出る機会を狙っていたこともあって、フランス留学からイタリア遍歴へと続くことになるのだが、それ以外に、日本を離れて、イタリア人と結婚して所帯を持つに至るのだ。このような有り様は、人間の存在が女性の交換によって成り立つとする、じつは「構造主義の原理」そのままだと思えたのだった。Img_8222_2 原理的な行動が、率直にかつ具体的な人物となって現れてきたのは、わたしにとっては二度目だった。ちなみに、女性が外国へ出て行く契機として感動的だったのは、わたしの学生時代に、教生教練を横浜の女子高校で行ったときに、「卒業したら船乗りになって外国を回るのだ」という生徒がいて、なるほどと思ったのだ。これ以来だ。

Img_8280 今日の須賀敦子展のなかの展示物で、シモーヌ・ヴェイユについての須賀敦子の評論に「横につながる思想」という考え方があって、それが展示されていた。この表現が的確に彼女の潜在的な思想を表しているように、わたしには感じられたのだった。

Img_8228 散歩道を辿って、元町へ出る。なぜか、まだバラが咲いている。途中、外国人邸跡を迂回して、人影がない道。そこから、急に元町の人ごみへ入っていく。ここではちょっと、コーヒーと休憩が必要だ。Img_8229

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2014/06/29

博多近辺を歩き回る

Img_6603 今日こそは、雨が降るのかと思っていて、そとへでるのを躊躇っていたら、どんどん良くなって行く。それで、予定通り九州の芸術関連の大学図書館へ出かけることにする。Img_6594 宿をとっていた天神から西鉄電車で、昨日の白木原へ行く途中駅である大橋で下車する。

大学構内には、芸術関連の展示がたくさん有り、もし図書館が開いていれば、それなりの成果が得られたであろうが、何ということであろうか、今日は臨時休館日に当たっていた。Img_6597 国立大学の図書館で、日曜日に休館であるところは、最近になく珍しい。ちゃんと調べなかった自分の迂闊さを恥じたのだった。

Img_6610 今、「音」についての社会的現象を追っている。そのなかでも、最初の意図からはちょっと外れてきているのだが、「鐘」について遠回りして、興味を持ち始めている。Img_6614 ベルというのか、チャイムというのか、日本における鐘は、随分曖昧で、両方の意味で「鐘」と呼ばれている。音響学が充実していると聞いている、この大学図書館で、文献を探してみようと思っていたのだが、今日はお休みだったのだ。Img_6624 それで、二つ目の目的地である九州国立博物館へ行くことにした。首都圏と関西圏では放送大学はキャンパス・メンバーズの会員になっていて無料なのだが、この九州地区でも福岡学習センターが入っているらしく、入館料は署名だけで済んでたいへん有り難かった。こちらへ住んでいたら、足しげく通いたいところの一つだ。

偶然ということは、起こるから不思議なもので、じつは日本最古の鐘は、この国立博物館近くの太宰府内にあるのだ。Img_6625 太宰府の「観世音寺」に残されている鐘が、京都の妙心寺と並んで、日本最古の鐘ということになっており、7世紀に作られていることを知った。それは、今日特別に展示されていたのが、日本で二番目に古く、9世紀前半に作られたとする鐘であり、そこから一番古い鐘がわかったのだ。

Img_6628 もちろん、日本には銅鐸文化というものがあったのだが、銅鐸が当初は形からして鐘の一種として使われていたと想像できるが、やはり途中から、「音」の意味合いが少なくなって、祭事的なシンボルになっていったと思われる。Img_6634 どう見ても、銅鐸は全体の形は鐘であっても、音の響きからは、遠ざかって違う方向へ進化してしまった感じがある。これはこれで、面白い点があるのだが。

Img_6637 それでは、なぜその次の時代の「鐘」文化が太宰府辺りから始まったのかが問題になるだろう。それは、普通の考え方であれば、やはり仏教との関係が深いということになるだろう。Img_6640 仏教が日本へ定着する過程で、遣唐使あるいは鑑真上人などが、九州文化へ、そしてさらに、京文化へと影響を及ぼして行った。その過程で、「鐘」文化も伝わって行ったのだと考えられるだろう。

Img_6643 つまり日本では、「鐘」文化が8世紀ごろから、寺院を中心に発達を遂げることになったと思われる。この過程で、まずは鐘文化は宗教的な意味をもったと言える。これらの鐘がどのような変遷を辿ったのか、仮説はいくつか考えられるが、それをどのように確証して行くのか、たいへん楽しみにしている。Img_6646 文献もいくつかあるらしいということがわかり、追加して、高麗時代の「銅鐘」、声明の時に使われる「磬」などの展示物も鑑賞して、博物館を離れた。こんな回り道をしていても良いのだろうか、ということは棚上げして、太宰府町の山あいに木工品・陶磁器を陳列しながらの喫茶店があったので、休憩をしてから、帰りの電車に揺られた。

Img_6649 じつは「出張で映画」を今回は諦めていたのだが、1つの計画が駄目になったので、再び検討してみた。ところが、どれもこの博多では早朝に上映するらしい。Img_6650 こんなシリアスな映画をこんな朝早くから見る人がどれほどいるというのだろうか、とボヤいたところで、上映スケジュールが変わるわけではないので、あっさりと諦めて、今日も昨日見つけた喫茶店「F」へ足を向ける。

Img_6655 昨夜とはやはり客層が異なり、一人で来て、ちょっと息抜きをしているような客が集まっていた。この店の雰囲気からいって、そのような傾向が似合っている。Img_6662 また、自家焙煎の店なので、豆を買って行く客層も確保しているらしい。このような繁華街には、むしろ繁華街から逃れたいという客層があるものだと思われ、これらの人びとが重層的に絡まって、良い街を作って行くのだと思われる。Img_6664 この店は、得難い雰囲気を持っているとわたしは思うのだった。今日も酸味の強いキューバTLと、チョコレートケーキ、そしてお代わりで、組Img_6666 み合わせた味が絶妙なブレンドを頼んで、しばしの解放感を愉しんだ。今日最後のコーヒーはこの店のスタンダード・ブレンドを味わった。いくつか持ってきた論文のうち、卒業生のKさんが紀要論文だといって送ってくれた、K大学歴史民俗研究科へ提出した「飛騨の匠」の歴史に関する論文を楽しみながら読んだ。いつもながら、数多くの資料を自分の足で稼いで書いた論文だ。冒頭の万葉集の歌がこの論文の素晴らしさを表している。

 かにかくに 物は思わじ 飛騨人の

         打つ墨縄の ただ一道に

そして、収穫の多かった出張に別れを告げ、飛行機に乗ったのだ。Img_6669

2014/03/27

S先生の著書『様式の基礎にあるもの』

今日は放送大学の教職員送別会の日である。毎年、印象としては、教職員全体の三分の一ほどの退職者がいるのではないかと思えるほどに、異動の多い大学である。その中で、定年退職なさる方は、ほんの僅かで、多くの職員の方は出向元へ帰ったり、他の機関へ転職なさったりするのだ。今年異動する職員の方がたの中にも、名前を挙げると切りがないほど、たいへんお世話になった方々が多い。ありがとうございました!

他方、定年退職する方の中心は教員で、70歳を迎えた大先生方が退職なさって行く。したがって、退職の先生方には、個人的にご挨拶することにしているのだが、哲学のS先生にだけは、まだお別れの挨拶を済ませていなかった。今日の送別会にいらっしゃるだろうと、期待していたのだが、具合が悪くなったということで、ついに会うことが叶わなかった。

Photo_2 じつは、2月の教授会の日に、郵便受けに近著『様式の基礎にあるもの』(三元社刊)が入っていて、すぐに全部読ませていただいていたのだ。僭越ながら、この中の一つの箇所に魅せられてしまっていた。人生の中で、これはと思える文章が書けるときが誰にでもあるのだが、それは他者には容易にわからない。けれども、S先生の著書の場合、この箇所は誰が見ても、そのような表現の箇所であることは間違いないと思われる。

この表現にまで到達するには、じつは80ページにも及ぶ論考があるので、その前提を抜きにして言ってしまうことには、これから述べる解説に瑕疵のあることは間違いないのであるが、けれども、これを抜いたとしても、きっと伝わるものがあるに違いないと思う。

Ihttp3a2f2fpdsexblogjp2fpds2f12f200 S先生は、彫刻家のジャコメッティがインタヴュー相手と一緒にルーブル美術館を巡って歩いた記事を、この著書の中で取り上げている。細身の塑像を数多く制作してきたという「様式」を持つジャコメッティが、古今東西の「様式」というもの奥に存在する普遍的価値に到達する、という出来事があったと指摘する。なぜ様式をもって、芸術は表現されて行くのか、これがこの著書の中核だと思われる。

そこに至る途中で、とくに印象に残ったところを挙げていくと、そこには、ここ数年間評議会の隣りの席に座らせていただいて伺ったり、ちょっと廊下で立ち話したりして伺うことができたことが、浮かび上がってくるのだった。たとえば、ヴェネチアのティントレットが描いた「自画像」が挙げられIhttp3a2f2fpdsexblogjp2fpds2f12f201 ている。そして、ジャコメッティの「この目は目であるが、同時に眼窩であり、頭部の構造そのものだ。本当に、ルーヴルのなかでこれ以上に美しい頭部はない」という言葉を取り出している。表に現れている顔、目などの奥に、現れない頭部の構造を観ている。先年、ティントレットのことを聞いて、矢も盾もたまらず、わたしはヴェネチア訪問を行ったというほどの、魅力的なS先生の語りだった。

09enikkiruuburu4r さらに、ル・ナン兄弟の「農民の食事」について書いているところでは、皆が当然魅せられるワイングラスの赤色のみならず、次のジャコメッティの言葉を抜き書きしている。「いや、そんなことはどうでも良い。そら、あの若い女の目、あれは第四王朝を思わせる。・・・ 目は黒い。同時に、こちらの方は、ナヴォナ広場を、あちらの方は第四王朝を感じさせる。どれも同じように真実だ」という場面を載せている。エジプト王朝時代から数十世紀隔てた17世紀のオランダに、共通する意匠を観ているのだ。じつは、この絵が日本へ来たときに、親子でいらっしゃっていたS先生と、国立新美術館の会場内でばったりとお会いしたのだった。今から思えば、ここを観ていたのだ。

そして、ジャコメッティとの対話の最後の部分が描かれている。S先生の論文の最高潮に達する場面がやってくる。「それはすべてに似ているし、・・・・・・、どれにも似ていない。」さらに続いて、「心地よいこの深さ、ちょうど音楽の中へ入って行くように、そこに入っていくのだ。それはほんとうに心地よく、楽しい」という、ジャコメッティの言葉に到達するのだ。絵画、芸術、そして真実というものの「様式」というものは、「すべてに似ている」という普遍的な知のもつ共通性を持っていると同時に、「どれにも似ていない」という固有の価値を持つものとして、表現されると考えることができるのだ。ここに至っては、もはやこれ以上の言うべき言葉を知らない。

2014/03/08

黒田辰秋展を観に行く

横浜のそごう百貨店で、「黒田辰秋の世界生誕110年」展が開催されていた。最初に、黒田辰秋の名前を聞いたのは、諏訪の伯母からだった。松本市の民芸運動のことを話していて、松本に伝わる木工に触れて、この名前が出て来た。当時はまだ幼くて、木工にあまり関心がなかったし、現物をみることがなかったので、そのまま忘れていた。

学生時代になってから、作品に触れたというのか、驚きの目で眺めたというのか、京大へ通っていた友人に連れていってもらったのが、京大近くの喫茶店「進々堂」だった。そこの板厚で、何時間でも客を受け止めてくれそうで、何人もが議論を戦わせたであろう、大テーブルとベンチが彼の作品だった。大きな広間にそれらがどん、どん、と並んでいる様は、壮観だったし、このテーブルならば長居しても大丈夫そうで、当然相席が普通であって、お尻が痛くない程度に、ずっと座っていたかった。テーブルの上だけ、時間が遅く動いているような気がした。

それでも、木工品を一堂に集めて展示することなど不可能に違いないと思われ、河井寛次郎宅や日本民芸館などで観ることのできる作品を、垣間みている程度だったのだ。今回は、有名な目利きと呼ばれる人びとが所蔵しているものを展示していて、ほぼ個人蔵のものが開示された展覧会であったといえよう。

今回の展覧会で何度も繰り返して描かれていて、印象的だったのが、何と呼ぶのであろうか、赤い漆の「稜線模様」だった。箱やタンスや椅子などに、何年に渡って、ほぼ同じデザインが描かれていて、これが繰り返されても、デザインの威力が衰えないのだ。異なるものが描かれているにもかかわらず、普遍性を失わない情熱を保っている。この保持された力が素晴らしかった。

とりわけ、小林秀雄の箱に描かれた稜線、黒澤明の「王様の椅子」に描かれた稜線は波打っていて、静かな中に動きを感ずるものだった。毎日使うものなので、同じデザインである場合には、飽きの問題があるのだが、毎日使うものだからこそそれに合ったデザインというものがあることを知った。

稜線模様が箱や椅子に定着させたデザインも良かったが、それが飛び出て、「四稜棗」として作られた稜線模様は特にきれいだった。ほんの小さな木工品なのだが、これを愛でていると、普遍が見えてくるようなものだったに違いない。

2014/02/11

千葉さや堂ホールでバッハのモテットを聴く

0211 今日聴いた中の1曲は、やはりバッハのモテット3番。中でも第一楽章のコラールは素晴らしかった。これまで、クラシック音楽会の大きなホールでのバッハは、何回か聴いたことがあるが、今回のように、小さな教会のようなホールで、目の前で響いているバッハの合唱を聴いたのははじめてだった。

0211_2 肉声が空気を伝わってくる感覚には、柔らかさと複雑さと大きさが含まれていて、身体の奥にまで、音が届いてくる感触なのだ。たぶん、感覚以上に身体のどこかが共鳴しているのだと思われる。一緒に歌っているのと、皮膚感覚としては、同じなのに相違ないと言ってしまいたいほどの揺さぶりがある。

0211_3 バッハのまえに、スカルラッティやラインベルガーなどが歌われたのだが、その曲へののめり込みの感じからすれば、圧倒的にバッハのほうに軍配が上がるほどに、圧倒的な違いがあった。それほど、3番のコラールは良かった。アンコールに再び演奏されたこともあって、この合唱団の特質がぐっと提示された感じだった。4声全部がわーと迫ってくる感じだった。

0211_4 今年度の研究テーマで、協力ということを選択して、このところ追究して来た。そのなかには、都市の合唱団の重なり合いもテーマとして取り上げたのだった。だから、料金や席の数、そして付加的な主入など、研究テーマとしても面白かったのだが、それ以上に、どのような合唱の組織化が行われ、ボランティアがどの程度このコンサートに関わっているのか、など、本来の音以外において、この点でもたいへん興味深いコンサートだった。

0211_5 合唱団が「協力」の典型であるという点では、やはりルソー的「集団の一致」が観察されるからだということにしている。これは、放送大学のテキストに書いたことなので、二番煎じではあるが、なぜ合唱団に加わるのか、という点では、第一にみんなで歌いたいからという、非公式な「一般意志」的な状況があり、さらに集団に具体的に参加するという、0211_6 公式的で「個別意思」的な状況が見られるところに、合唱団は位置する。今回の千葉バッハ合唱団のコンサートも、このような要素が満載であったので、音を楽しんだと同時に、研究心も満足できたのだった。

0211_7 今日の千葉美術館での一枚は、英泉の「初夏の雨」だ。これまで、千葉美術館では、浮世絵特集を行って来ており、清長などの展覧会は堪能して来た。けれども、その中で、英泉の浮世絵になぜこれまで注目してこなかったのか、不思議なくらいだ。今日は、改めて30枚以上の英泉をみて、この様式的だが、流暢な腰の曲がり方に感心して、ずっと魅入ってしまった。明らかに春信とは、また違った浮世絵の系統を示していると思われる。

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社会経営研究配布中

  • 2015study

社会経営ジャーナル配布中

  • 2015journal

開いている講義    「社会的協力論」

  • cooperation

「音を追究する」第13回・第14回

  • art

「多様なキャリアを考える」第2回・第3回・第4回

  • cooperation

「グローバル化と私たちの社会」第11回

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。