カテゴリー「心と体」の投稿

2016/01/03

「この世の事物は人間生活を安定させる機能を持つ」

「この世の事物は人間生活を安定させる機能を持つ」という、哲学者H・アーレントの有名な言葉がある。物質文化に侵されて、いつも事物の多さに悩まされているわたしたちが、いつになったら、このような言葉を使うことができるのか、と思っていた。そうしたら、あっさりとこのような場面が現れた。

Img_2482 写真にあるのは、たぶん有田焼の系統に属する方の作だと思われる、湯のみ茶碗である。手が触れたら、すぐに壊れてしまいそうなほどに、肉薄い磁器だ。外側の朱色がどのようなテーブルに置かれても映えて、目に飛び込んでくる。目が冴える色だ。そして、内側には伝統的な網目模様が手書きで書き込まれていて、見ているとその世界へ引き込まれそうになる。

毎年、母の家にみんなが集まったのだが、この茶碗がお正月最初の食卓に並んでいた。中央には、必ず木製の菓子器に甘栗と干し柿が盛られていた。商家の風習で、「繰りまわしよく、掻き取る」の言い伝えがあった。これらを食しながら、今年一年の抱負を家族で語るのだ。そのとき、お茶が必要で、この朱色の茶碗が引き立った。これに、うすみどり色の液体が注がれると、心が澄んでくるのだった。それで、1年先どころか、10年先まで見通せるかのような錯覚を覚えるのだ。

Img_2477 面倒臭いといえば、その通りなのだ。毎年のように抱負を語れと言われても、日常はそれほど変わるわけではない。けれども、毎年々々何か言っているうちに、生活の「重し」ができるのだ。この茶碗を眺めていると、「人間生活を安定させる機能」というものがほんとうにあるかのように思えてくるのだった。もう何十年か前になるのだが、結婚すると宣言したのも、この席だった。

昨年、母が亡くなって、この数ヶ月の間に、母の家の片付けを行っている。タンスやピアノなどの家財道具の多くのものが捨てられる運命を待っている。その中で、わたしの生活を安定させてきた記憶のある、これらの茶碗はわたしの家や、大学の部屋へ移動させようと考えているのだが、それも記憶に残っているうちの何十分の1に過ぎない。そんな移動の中、この朱色の茶碗もひとつ欠けてしまったのだった。

Img_0633 今日の椅子は、妻の買い物に駆り出された弘明寺商店街で、洋食レストランの店「Makoto」の外に、客待ち用に出されていた椅子たちだ。ここのランチは旨いのだ。このように、座布団が置かれて、どうぞ座ってください、と示唆されると、店が何となくみんなに開かれているように思えて、つられて入ってしまいそうになる。入ると、何か良いことがありそうな雰囲気が大事なのだ。椅子たちもわたしたちの生活を安定させている。

2015/06/25

母から離れること

母から初めて離れたのは、

木曽谷にある幼稚園から帰ったときだ。

本通りから細道を入った民家を借りていた。

ただいまと言ったのに返事がなく、

わっと物陰から、現れた。

母とはいったい誰なのだろう。

異なる者として、このとき認めたが、

母はいつもわたしを同一のものと思っていた。

母から離れる予兆は前にあった。

鮮烈な記憶が残っている。

池袋近くの草茫々のアパートに住んでいた。

友人がわたしを母から連れ出し、

街の中でほっぽりだした。

母から離れる練習を

始めたのだった。

二番目に離れたのは、些細な家出のときだ。

神社に通ずる松本の家は、平屋のゆったりした建物だった。

意識的に悪びれ、すぐ帰ってくるつもりだった。

夜遅く、これから何度も起こる事を反芻した。

教育的な母は探しに出て、留守だった。

三番目に離れたときは、いよいよ世の中へ出て行くと思っていた。

大学受験に落ちて、浪人に甘んじた。

船橋の団地は狭く窒息しそうだった。

働く母を見ていて、日常にいたたまれず、

家を出た。

四番目に離れたときは、大学院進学を巡って

母と意見を違えた。

検見川の家から、渋谷の道元坂を登り切った

古い教会の寮へ移った。

わたしは、母の現実から離れた。

五番目に母から離れたのは、結婚したときだ。

千葉から東京の西の果てまで、遠く離れ住んだ。

他の女性と暮らすので、精神的にも肉体的にも、

離れたと思った。

結婚する頃に、三鷹の玉川上水に面した

一軒家に住んでいた。大家が精神分析家で、

ロールシャハテストを行っていた。

母の影が先天的に、無意識に大きく現れる。

内部から外部へのぐっと来るあの圧力は、

母だったのを知った。

母から離れてきたのは、心底逃れられない宿命を

感じていたからだ。

白衣の人が寄ってきて言うのだ。

逃げるのは、ちょっと食事で目を離したとき

旨いものを口元へ持って行こうとしたとき

歩こうとして、足が効かなくなったとき

ベッドから出て、家に帰ろうとするとき

それも、終わりになった。

もうすこし厄介になってもいいかと言っていたばかりだ。

そんな母から離れていたのは、いつもわたしのほうだった。

夜明けに目をさますと、

目を開いていて、こちらへ顔を向けた。

計測器は脈拍、血圧、酸素量、呼吸数を示していた。

酸素量が90、80、70に下がり、

脈拍が110、90、50、30に低下した。

すべての数値がゼロを示した。

アラームの音だけが病室中に響いた。

母のほうから離れたいという経験は初めてで、

ほんとうのところ、わたしは戸惑っている。

離れたいという核心がなくなることを恐れている。

2015/05/16

体調悪し

昼には、大学院ゼミの方々といつもの定食屋で、焼き魚で食べたから、そんなことになるはずはなかった。また、帰って来てからの夕食もいつものメニューで珍しいものを食べたわけではないから、さらにそんなことを催すことはなかったはずだ。となると、わたしの体調の問題ではないか。

夜、睡眠を取っていたら、午前2時ごろになって、何やら異物が手に触るのだ。すわ、エイリアン、と思えるような、お腹の腫れ具合だ。ちょっと古いギャグだが。これは、歳をとって、お腹が膨れるようなガス症状だと思い、気にせずに寝入ろうとするのだが、なかなか寝付けないほどの膨らみになってきたのだ。

そのうち、痛みも感ずるようになってきた。風船のように膨らんだ腸が、膨張に耐えきれずに、空気を吸い込んだカエルのように、ぷくっとして、今にも弾けそうになって、痛いのだ。これはまずいと思い、トイレに駆け込んだが、痛さと苦しみはいや増すばかりだ。

そのまま座っていることができずに、手を差し伸ばして、何かに掴まろうとする。これは不思議な感覚だった。なぜ痛みが激しいと、自分で立っていることができずに、何かに掴まろうとするのだろうか。藁にもすがる思い、とよく書いてあるが、何か掴めるものはないか、藁でもよいという気分になってくる。現実には、大概のものは、体重に耐えきれずに、折れてしまって、残るのは、ドアのノブのみだ。

それでも、体調は好転しない。そのうち、脂汗が出てきて、すっかり呼吸も苦しくなる。息ができなくて、苦しいという純粋に体力的なダメージは久しぶりのことだった。結局、声を出して、苦しみを発散させるしかない。床に転げ回って、唸り声を出して、苦しみから逃れようとするが、一度掴まれた苦しみからはなかなか逃れることはできなかったのだ。

このような声を出してのたうち回ったことは、人生のなかで初めてだったので、妻も息子も飛び起きてきて、びっくりしたようだった。床にのたうち回ったことが良かったのか、時間が経過したのがよかったのか、下血して事態は収拾を迎え始めた。ようやく、血が出ることで、安定したのだとわかったのだ。

初めての事態にびっくりしたのだった。その日は、それで終わって、後日病院へ行くことにして、就寝する。これからは、このような体調が悪くなることが頻繁に起こるのではないか、と思うのだった。それが、年を取るということなのかも知れない。

2014/12/31

「年の瀬」のピエタ的雑音たち

車道へ飛び出そうとする子を

足を踏ん張ってとめようとする母の

絶叫の声が聞こえる。

マーケットで怒鳴り散らす男の声がする。

店員に憂さを晴らそうと、苛立ってしまう

独り暮らしの老人客がいる。

バスの客席へ殺到して、

前を行く人が右に足を踏み出し、

後に続いた人も同じく右へ身体を寄せ、

互いにぶつかる鈍い音がする。

病院の玄関外で、「こんにちは」と一日中

穏やかな声をかけてくれるガードマンがいる。

見守られる病人の安堵の息がする。

太陽の眩しさ、青空の広がる、9階の病室では

入れ歯無しで、香の物をくちゃくちゃと食べる

病人の口の音が聞こえる。

もう一花咲かせてよ、との気休めへ応酬する患者がいる。

トイレを流す音を聞きたいだけだ。立たせてよ。

お隣さん、お願いしますよ。

97歳の誕生日を迎え、ベッドでガムシャラに

食べ続ける老婆がスプーンを動かしている。うーうー。

食べることは快楽だ。

世の中の人びとは、パアーなのです、と

言ってのける患者たちの、間を動き回る、

看護師の軽やかな靴音がきゅきゅと鳴る。

脳梗塞が解け、妻の手を振り切って

走り出し、顔から鼻から血が流れ出しても

笑って喜ぶ声がする。

前から頑固でした。行かないで、と言ったのに、

言うことを聴かないで、飛び出すのですもの。

またやるでしょうけど、仕方ないですよね。

道路脇の植え込みに、疲れ果てた母子がどっと座り込む。

子は膝間付いて、目を斜めに据え、放心している。

母は抱きかかえて、子に支えられている。

2014/10/16

悪童日記を観る

Img_8024 評判のベストセラーが映画になってやってきた。文庫本をぺらぺらと、立ち読みした記憶はあるのだが、内容までは思い出さなかった。東ヨーロッパの「辺境」での双子の美少年を描いた物語だ。

冒頭の二人の寝顔がたいへん良い。ポスターにもなっているから、わたしだけの感想ではなく、多くのひとが、この冒頭のシーンに何かを感じたのだと思われる。つまりは、少年たちの「眠れる時代」の物語が主題だ。ということは、このあと、少年たちが覚醒して、旅立っていくことになるのだが、それまでその間の「原初状態」ということを描いている。親子の原初、道徳の原初、親愛の原初などなど、わたしたちが2、3歳のころに獲得されて当然と考えられていることが、ひとまず断ち切られて、当然ではなく、いかにして身に付いていくのかが描かれる。

注目できるのは、「道徳」観念はいつ獲得されるのか、ということが、この映画では正面から捉えていることだ。まず親子間の感情がもし原初においてなければ、そこでどのような状況が生ずるのか、という点である。映画の筋では、父母は戦争の勃発によって、この兄弟と一緒に暮らせないことになり、この兄弟は祖母へ預けられるのだが、この祖母が自分の娘であるこの母に対して憎悪を抱いており、その子であるこの兄弟への厳しい仕打ちとなって現れる。このように描かれた厳しい家族関係には、なぜか映画的なリアリティが存在するのだ。

「悪童」の悪とは何か、ということが、次から次に起こる彼らの行動の中で、現れてくる。隣の少女は、精神障害を負ってはいるが、立派なドロボーで、最初は兄弟のものを盗るのだが、次には仲良くなって、一緒に盗みを働くようになる。ひとつのリンゴをこんなに真剣になって、追い求めることは、仕合わせな時代なのかもしれない。冬の厳しい気候の中で、真剣に革の長靴を購入しようとして、ユダヤ人の靴屋の善意に遭う。これも、仕合わせだと思う。だから、この善意を裏切ることは、かれらの道徳観からは、許せないのだ。爆弾を以っても、贖いきれない罪なのだ。

Img_8025 感動的なのは、最後の場面だ。兄弟が二人でいないと、うまくいかないことがわかっていても、互いに別れる決意をする。これは、兄弟であるからこその、人間の普遍的なあり方だ。だから、そのためには、たとえ廃人同然となっているとはいえ、父親さへも、踏み越えていく存在でしかないのだ。あるいは、踏みしめて、超えていくからこそ、父親足り得るのだ、というのは、まったくのところ、真理を描いていて、「悪童」の本筋が描かれていて、興味が尽きなかった。

2014/01/29

なぜ「七人の小人」は白雪姫に協力したのか?

Photo 昔から理不尽だと思っていた話に、グリム童話集の「白雪姫」伝説がある。誰もが記憶にあるのは、たとえばディズニー版の白雪姫で、最後に白い馬に乗った王子様が現れて、白雪姫をキスによって蘇らせ、小人たちから白雪姫を奪っていってしまうというものだ。小人たちがこれほど白雪姫の窮地を救って尽くしたのに、なぜ最後に報われないで、王子に仕合せを横取りされてしまうのか、という疑問である。

Photo_2 今、放送大学のラジオ授業科目で、「なぜ人びとは協力するのか」というテーマの授業を作っているのだが、その中で、逸話を題材とした協力モデルをいくつか紹介している。その中でも、「白雪姫モデル」はもっとも有力な協力モデルのひとつだと紹介している。紹介した時点では、もうテキストをすでに書き上げていて、内容が確定してしまっていたので、すでに一年前の構想になってしまって、この上記の疑問に答えることはできなかったのだが、今回じっくりと考える機会が巡って来たのだ。

Photo_3 昨日、千葉市中央区にある千葉劇場でかかっている映画「ブランカニエベス(白雪姫)」を見ているうちに、ようやく釈然としないままだった理由がわかって来たのだ。映画自体は、1930年代のスペインの闘牛士を題材としているので、グリム童話の白雪姫とは別物だという方もいるかもしれないが、しかしやはり、白雪姫解釈の最右翼的な解釈を披露していて、たいへん興味深かった。監督の意図がどの辺りにあったのかは、わからないけれども、十分に上記の「七人の小人」伝説の理不尽さに対して、ひとつの解答を与えている。

(見逃している人で、近くに住んでいる人は、「直ちに映画館へ走れ」的な、お勧めの一品であるとわたしは思う。)

白雪姫のグリム童話原典によれば、白雪姫と小人たちとの交流が核心のひとつにあると考えることができる。なぜ小人たちが見ず知らずの白雪姫を助けようとしたのか。小人たちの利他主義が根本にあるという解釈が、まずは成り立つと思われる。命を狙われている白雪姫を可哀想だと思ったから、助けたのだ。しかしながら、リアリズムを根本思想に持つグリム童話が純粋な利他主義だけで、白雪姫と小人たちの関係を描いたという解釈には、隔たりを覚えるだろう。

昔からあるもう一つの解釈は、利己主義的な解釈であり、小人たちの料理や炊事・洗濯を行って、小人たちの仕事を支えてあげているから、自分に利益があるから、白雪姫を助けたのだ、という解釈である。近代主義的な解釈で、ディズニー版もこの解釈で成り立っていたと思われる。家族は運命共同体ではなく、近代的な経営として運営されているのだ。

ところが、今回の映画では、第3の視点が呼び込まれていて、極めて現代的な解釈になっている。白雪姫は自分たちの「闘牛士ビジネス」のパートナーとして、一緒に仕事を行う仲間として、描いている。今日の女性像を反映している。たとえば、今回の映画では、小人たちは6人なのだが、白雪姫が入ることによって、「7人の小人」が成立していると考えられているのだ。そして、さらにビジネスであるからには、内部に対立者がいても不思議ではない。利他主義や利己主義解釈では得られることがなかった、内部の対立者として、小人たちのリーダーと白雪姫が対立する、という新しいエピソードまで挿入することができている。

さて、最後に残る問題は、最初に述べたようにこの映画が、王子にさらわれてしまう物語ではなく、小人たちのもとに止まる白雪姫の物語として、グリム童話と整合性を取った上で成り立つ可能性があるのか、という点である。ここには、一つの工夫があって、それは見てのお楽しみということになるのだが、わたしのみるところ、アルモドバル監督の映画「トーク・ツー・ハー」の系譜につながる工夫ではないか、と考えている。しかしそこまで、考えたうえで、なおかつ、グリム童話の持つ理不尽さが完全に消えたかといえば、必ずしもそういう訳ではないのだ。(ここも言いたいところだが、それを言ったら、映画の全部を言ってしまうことになるだろう。)それほど、グリム童話集の奥が深く、不条理に満ちた世界が展開されているということだ、と今更ながら思うのだった。

2013/11/11

雪に歓迎される

1111 松本の取材を予定していたので、これに合わせて、O市へ来ている。松本までならば、日帰り出張の範囲なのだが、この先大糸線に入ると、やはり日帰り圏内から外れてくる。それは、時間や空間の物理的な限界というよりも、むしろ心の持ち様であって、空気の流れ方とか、人びとの流れ方の相違が響いているように思える。ちょっと牽強付会けのような気もするが。

1111to 取材の準備もできていたので、特急あずさの中では、来週渋谷での授業にHさんが選んで来た現代労働事情を扱っている「Sの研究」という本を読んだ。わたしたちの働く現代の事情には、アングルサクソン・モデル、ヨーロッパ・モデル、そして従来の日本モデルが存在するのだが、現在の日本で、極めて変化が著しいし、揺れ戻しが起こっているのがこの労働分野であって、今後どのような制度が形成されていくかによって、この事情がかなり変わってくるものと思われる。11112 たとえば、職能主義で行って来た日本の労働評価が、成果主義の導入に寄って、にわかに変化を受けるようになってきている。このような事情については、変化が激しすぎて、わたしは不得手であるのだが、しかし来週には渋谷の読書会で取り上げなければならない。何人かの先生や学生が一緒に議論するには、現代的であり、きわめて興味深いテーマであるといえるだろう。

1111_2 窓から伺える季節の変化が興味深い。新宿を出る頃には、東京近辺では紅葉はまだまだだった。それが勝沼辺りの葡萄畑で茶色が目立つようになり、甲府を過ぎて、信州へ入る頃には、楓の赤が山々の黄色に映えるようになって来た。そして、O市へ着く頃には、空模様も影響しているのだが、紅葉に白い物がちらほら舞って来るのを見ることが出来たのだ。紅葉のまえに、雪が降るという展開は予想していなかった。いつも寄る店「バザール」の店主が、「きっと歓迎してくれたのですよ」と言ってくださったので、そうなのか、と田舎の初冬の厳しさを受け入れることにした。

1111_3 松本とO市での電車やバスへの乗り換えに時間の余裕がなかったので、松本に着いて早々に、ワインや飲み物、明日の朝食用パンなど駅前のスーパーで買い物を済ませた。これで準備万端だと思っていたが、昼食が未だだったので、松本駅で、と1111bijutukannno りめし弁当を買ったのだが、これが失敗で大糸線がほぼ満員で、とくに高校生の下校時にぶつかったので、電車の中で旅の弁当を食べる雰囲気ではなかったのだ。O市へ着いてから、蕎麦を食べることでようやく腹を満たすことが出来た。

1111_4 O市からはいつものようにコミュニティバスに乗って、山奥へと進んだのだが、いつも寄るパン屋さんへ今日も寄って見ようと途中下車した。ところが、この雪だ。外套を羽織り、持参のマフラーを首に巻き付けて、ようやく暖をとることが出来たのだった。1111_5 バスを降りて、横殴りの雪を受けていると、手足が瞬間的に麻痺して来て、緊張していた頭の中がぼやんとして来て、ちょうど良い感じだった。このまま、雪の舞う中を1時間ほど散歩した。結局、パン屋さんは休業だったのだ。

夏に入った温泉へ、身体を暖めに行く。今回も独占状態で、客はわたし一人かと思って、この写真を取っていたら、ぬっと別の客が顔を表したので、てれ隠しで言葉を交わした。1111happa 露天風呂に入っているうちに、宵闇が迫って来て、楓の葉っぱを揺らせて、水蒸気が夜の闇に消えていった。温泉からの帰りの道は、田舎の漆黒の中に消えてい1111_6 て、舞っている雪だけが目のそばで、白く光っているだけだった。近所の犬は、今日は外に出されていて、珍しく遠吠えを披露して、野生に還っていた。いよいよ、厳しい冬が来るのだな。1111_7

2013/07/13

合宿が始まる

今日から、放送大学本部にあるセミナーハウスにて、3日間連続の合宿ゼミナールが行われる。昨年は、島根大学のI先生のお世話になって、松江で合宿を行ったのだが、これはこのゼミでは例外的なことであったのだ。一般の大学では、合宿になると、このように大学の外に出かけるのだが、放送大学は遠隔教育の大学なので、逆の動きをする。つまり、合宿になると、皆が日本国中から本部キャンパスへ集まってくるのだ。

放送大学には、社会人の方々が通って来ているので、それぞれの持つ経験談には事欠かない。ゼミが終わった、アフターファイブが楽しい。たとえば、Mさんは介護・医療施設に勤めていて、終末医療の現場に立ち会うことが頻繁にあるという、極めて現代的な仕事場にいる方だ。以前から、人の命のことに強く敏感に反応することがあって、Mさんには死者とのつながりがあって、何か職業上の直感が働くと感じていた。

人間が最後になって、どのようなことを気にするのか、などということが、すらすらと口を突いて出てくるのだ。わたしだったら、最後になったらということが今までないので、そうなってみないとわからないが、やはり常識的であっても、家族のことが気になるような予感がする。

ところが、彼の口から出て来たのは、意外なことだった。もちろん、彼の職場が典型的であるという訳ではないだろう。その点は、割り引いて考えなければならないけれども、それでも人を納得させる答えだった。

誰であっても「和解」を求めるのだと言う。たとえば、愛人から戻された夫が、正妻を最後に呼んだという例もあるし、喧嘩していた知人を呼んでほしいという場合もあるらしい。人は、最後に自分の人生を完結させたいという、広い意味での承認欲求を持っているのだと言うことであるということだろうか。

ということで、それじゃ、わたしが和解を求めるとして、それはどのくらいのレベルまで和解しなければならないのか、妻には済まないことをたくさんして来たから、絶対に和解ということにはならないままになる可能性が高いし、近親者ほど、和解できそうな人はいなくなるほど、人生のなかで、迷惑をかけてきてしまった。だから、わたしの場合は、Mさんを呼んで、懺悔するつもりは毛頭ない。

と、Mさんに言ったら、なるほど、自己完結できる人は、中には居るそうだ。わたしもこの種類に属していることを信じている。だから、せいぜいのところ、日記帳辺りで、「和解」を求めることにしたい、と思ったところなのだ。世の中で素直でない方は、居るのです、とMさんに言われてしまった。このような人種は、決して介護施設では歓迎されないから、ご覚悟のほどとまで、言われた。とくに、学界関係者ほど相手にされないらしい。今のうちから、他の生活の方法を考えなければならないだろう。

 

2013/05/19

金比羅さんへ詣でる

519_5 今年の初めに、香川を訪れたときに、セルフうどんに感激し、コスタリカ・コーヒーに覚醒した。それで、妻が四国旅行を提案してきたときに、二つ返事で賛成した。それに、職場に有給休暇という制度があることも昔から知ってはいたが、それを積極的に利用したことが無かったので、良い機会だと思ったのだ。519_7 5月の連休に、原稿のほうはあまり進まなかったけれども、ずっと仕事をしていたのだし、言い訳がましいが、代連休なのだ。一学期も中間をすぎ、そろそろ年相応の休憩が必要で、今校正を行っている原稿へのテコ入れが、これでできるかもしれない、ということもかすかに期待しつつ、旅行中、頭の中にいろいろな思いが渦巻くことを目論んでいたのだ。

519_8 京急電車で羽田空港へ出て、高松空港から琴平町へ直行し、ガイドに付いて、早速金比羅さんへ登り始める。突然、横浜の勤労生活から、香川の金比羅参りに没入して、階段登りを始めるというのも変かも知れないが、旅行というのは本来非日常なことなので変といえば変なのだ。

519_9 集合場所に用意されていた竹の杖を頼りに、石段を上へ上へ。785段ある。最初は、古い商家やお土産屋、さらに一刀彫の店、現世利益がありそうなお守りが売られている店もあって、ショッピング気分で、軽く足が進む。写真にある168段くらいまでは、妻と話をしながら、余裕ある歩きだった。その後、話すのはキツくなってきたので、いろいろな事を考えつつ登る。

519_10 話には聞いていたけれども、みんなして、これだけの石段を登るにはそれ相当の理由が昔からあったはずである。今回、ただひたすら登ることによって、江戸時代から現代に至まで、普遍的に庶民の期待を得られてきたものを思い計ってみよう、というのも、趣向のひとつなのだ。519_11 とはいったものの、だるまの素敵な彫刻や、土産物屋の秩序だった混沌に目を奪われることしきりで、現実的には、思考どころではなかった。

519_12 それで、ただひたすら登って見て、それは何だったのか。かなり多様な答えとなるのだが、誰の要求にもすべて応答するような何かが、そこには存在する、ということなのではないか。外側から見ると、同じことを行っているのだが、一緒に歩いている同行者から見れば、みんな異なることを考えて登っているように見える。519_13 この同じ事をみんなが行っているように見えるというところが、ほんとうのところ、金比羅参りの中核なのだと思われる。

519_14 もっとも、お参りにあらまほしきは先達であるのだから、ガイドがいて、説明をしてくれるから、ということもある。石段の横に並んでいる石たちが、寄付金の額を表していて、通常は百万円なのだが、途中書院当たりに、「金一封」と書かれた、金額のない石が並んでいて、それらがいくらの寄付だったのか、というようなことは、ガイドでなければわからないだろう。519_15 一本指が上がっていたが、石の隙間がなく、わたしが寄付したとしても、石碑を建てる余裕がないのが、せめてもの救いだろう。

519_16 もちろん、金毘羅さんは宗教施設なので、お参りにはそれ相当の神様にかかわる意味が存在することは否定できないが、しかし、それ以上なのである。それ以上のみんなの思い、共感がある。一つには、重力に逆らっている。ということは、苦痛でもあり、快楽でもあるのだ。修験者たちがなぜ山に登るのかということがようやくわかる。519_17 この重力がなかったならば、おそらく階段登りは成立しなかったのではないか。昔なら駕篭に乗ってまでも、上へ行きたい、という理由があったといえる。

519_18 二つには、集団で登る人も、個人で登る人も、みんな登っている。たとえば、集団での登っている人たちの中に、酔っ払いが紛れ込んでこようとも、みんな登っているから、ということで多少の暴言を吐いたとしても大目に見てしまうところがある。519_19 登るのであれば、何でも許させる世界がここに現出するのだ。

三つ目が高等戦術だと思えるのは、上には、何にかが用意されて

519_20

いる、という誘因が存在する。それは、金比羅の本堂が中心となっているのだが、そればかりでなく、芸術文化としても、登る理由が十分に作られている。


519_21 書院には、円山応挙や伊藤若冲が絵を残している。明治の絵では、高橋由一記念館があるし、一茶などの俳人の遺跡もある。これらは、階段を登る理由としては、十分なものである。さらに、健康にも良ければ、登らなければ損だ。

519_22 雨が降っていたのだが、かえって気温が上がらず、汗も適度にかく程度で、快適な金比羅参りだった。降りてきて、お腹が空いたので、519_23 さっそく、セルフの讃岐うどん屋へ駆け込んで、まずは一杯いただいた。素敵なガラス張りのコーヒー屋さんも見つけたが、日曜日は残念ながら休店らしかった。甘味は、お灸の形をした、白あんのまんじゅうをほおばって、お遍路巡りもどきに出発したのだった。

519_24 わたしたちが世話になった、金比羅のガイドさんは帰りにも、途中すれ違ったが、次の客たちを率いて、また登っていった。一日に何回、あの785段を往復するのだろうか。519_25 職業とはいえ、運動量の多さに驚かされる。これを見ていると、現代の観光は、はるか宗教的な意味を超えていることがよくわかるのだ。

2013/04/25

スィーツで感性を目覚めさせよ

Img_7684 戸山公園の中を散策しながら、W大の講義へ向かう。都営の公園には、形は細長く、歴史は粘り強く、苦労して土地を手に入れてきたような公園がいくつかあって、このような消え入りそうな土地がいかにして、都営公園になったのか、たいへん知りたいところだ。

Img_7697 いずれにしても、アヤメやスイセン、ツツジにサツキ、色とりどりの花々が公園の中に咲いていて、季節の花と交響曲を奏で合っている。途中、ベンチがあって、そこにはいま、藤の花が満開で、年をとった人から子どもまで集っている。きっとこんな棚の下では、知らない人とでも口を利きたくなるだろう。

Img_7682 演習が終わって、教員控え室へ行くと、O先生が探していました、とカウンターの人に告げられる。研究室へ向かっているうちに、電話が鳴って、向こうから、やあといらっしゃるのが見えた。

Img_7802 久しぶりに、カフェGへ行こうということになった。二階に上って、入り口を入った正面に、ケーキのショーケースが置いてあって、パウンドケーキがそこにあった。現在の口内炎を煩っている身からすると、これが柔らかそうで適当だ、という上からの声が聞こえた。ところが、店のカウンターへそのことを告げに行くと、さらにそこにはチョコレートケーキと、そしてぽこっとした、リンゴのタルトが焼きたてですよと言っているみたいに並んでいて、こちらの呼び声の方が大きく聞こえてしまったのだった。

Img_7689 O先生との話は、雑談のように聞こえるのだが、あとで考えてみると、なんとなくつながっている。前回会ったときに、社交の感性を開拓しているという話を、なんだかんだとおしゃべりしたのだが、今回の社交は、なんとジャズなのだという。ジャズは社交だ、みたいな植草甚一風な好事家的なことになっていくのかと思えば、そうでもないらしい。

Img_7809 この年になって、一つのジャンルの新しい音楽を改めて聞き始めるというのは、きわめて珍しいと思う。音楽はやはり習慣だから、日頃なんとはなく聴いていて、それが身体の中にしみ込んでいる必要がある。この土壌があるから、たとえばジャズの新曲を聴いても、なんなく受け入れることができるのだと思っていた。だから、年を取ると、新しいジャンルへ挑戦することは難しいし、それよりも意欲がふつうは湧かないのが当たり前だ。ところが、O先生には、新しい状況として、いくつかの必然性があるらしい。

Img_7676_2 ひとつは、ジャズ喫茶へ通い始めたということらしい。O先生は、蒲田にお住まいなのだが、そこのサッチモという花屋さんが数年前に早稲田の図書館のそばへ移転して、今度は「ナッティ」というジャズ喫茶を開いているらしい。この人脈があって、人を繋いでいるものとして、ジャズを聴くことが必須になっているのだと、おっしゃる。はじめて、ジャズにあげ入れるにしても、社交から入っている。これは、わたしにとってはちょっと不思議な感じがするのだ。若いときならまだしも、この年でジャズかとも、自分のことは棚にあげて思う。けれども、まあ、女性に入れあげるよりはましか、とも思う。

Img_7812 もうひとつのほうが、自然かもしれない。一枚のCDを購入して、聴いているのだそうだ。何に由来して、そのCDなのか、というところは、尋ねたはずなのにわすれてしまったのだが、けれども、自分でも若い頃に、ジャズ喫茶へ通って、これだ、というので、聴き続けたという経験があるので、解る気がする。音楽では、社交と同じように、出会いで何かが始まりだすのだ。一枚のCDの中から、思わぬ世界が発展していくことはかなりの確率であり得ると思われる。感性の発展は、年をとってもまだまだ続くと、O先生は自然に考えているのだろう。すべてのジャズファンが、このようにして聴きはじめたことはたしかだ。

さらに、もうひとつの理由がありそうだったが、それはひとりの小説家をめぐる話だったので、話が長くなりそうだった。それで、楽しみに残しておいて、それは後日聴くことにして、今日最後のコーヒーを飲み干した。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。