カテゴリー「学問・資格」の投稿

2009/12/14

経済学の教科書

13日に、経済学の最長老だったP.サミュエルソンが、亡くなった。90歳を越えていたのだから、大往生だと思う。

サミュエルソンに出会ったのは、高校時代だった。高校の政治経済授業で、国民所得決定という、1国全体が簡単な図式で説明できてしまうという、そのシンプルさに感激した。

社会科のY先生が、英語版を片手に、講義を行っていって、明解さにびっくりしたのだった。それで、友人と近くの渋谷紀伊国屋へ放課後行き、現物を確かめたのを覚えている。受験参考書を買うお金をこちらへ回して、まだ翻訳のなかった英語版を購入した。

大学に入った頃は、公共経済学が流行っていて、やはりサミュエルソンの公共財論文を大学ゼミでみんなで読んだ。そこでも、簡潔な記述に魅せられた。友人がマルクスを読んでいて、こちらも読みかじったが、圧倒的にサミュエルソンのほうがわかりやすかった。

どちらのほうが説得的であったのかはわからない。というのは、自主ゼミでは、圧倒的にマルクスが選ばれたが、公式のゼミでは、圧倒的にサミュエルソンの論文が選ばれた。レベルの異なる、おかしな比較と思うかもしれないが、次週に読む論文が片方のゼミでは、マルクスで、もう片方のゼミでは、サミュエルソンだった、という時節もあったのだ。大学時代のゼミは、ほんとうに奇妙な趣味に支配されていたのだと、今になると思う。

2009/07/19

論文にとって重要なこと

論文にとって重要なことは何なのか、をずっと考え続けた合宿だったような気がする。

ある人は、4年も費やして、世界に断片的にしか存在しないと思われた現象を、それこそ綱渡り的に結びつけて、世界の共通現象といえるところまで持っていった。はじめは、到底結びつくとは誰もがまったく思わなかった。

ある人は、はじめから発想が素晴らしかった。着想が勝負だ、と本人も思ったらしく、それにこだわった。それはそれで良いのかもしれないが、ブラッシュアップは行われず、脇を固めることだけに邁進した。

ある人は、自分の世界観、宇宙観を1方的に、しゃべり続け決して譲ることがなかった。これはこれで、ほかの大学では決して見ることのない論文が出てくることを予感させた。

ある人は、ほかの人が思いつかないような、二つの世界を強引に結び付けて、これが真実だと主張した。

H先生は相変わらず常識人で、論文を書く人には、第1に、なるほど、すごいですな、と褒めなさい。第二に、それから、先どうなりますかと期待して褒めなさい。第三に、結論はどうなりますか。と自信を持たせさらに褒めて、木に上らせるようにする、とおっしゃっていた。ちょっとニュアンスは違うが、こんな感じの言葉だったと思う。人間の出来が違う。

この域に達するまでには、まだ何年もかかることだろうが、ゼミの方々には伝えておきたい。真意はやはり最後は書き上げていただきたいと思っているのであって、決して書いてもらいたくないとは考えていないことだ。そういえば、数十年前には、諸先生方にご迷惑を掛けていたのは、じつはこのわたしだったのだ。

2007/05/26

文献収集の罠と奇跡

午後から、卒業研究のゼミが東京文京学習センターで開かれた。

話題になったのは、文献収集だった。ゼミがスタートして、1ヶ月が経ち、ちょうど学生の方々が文献収集に血道をあげる時期に当たっている。

わたしが学生のころには、この時期に朝から書庫に入って、夕方まで文献を探しつつ、目ぼしい論文を青焼きで揃えていったものである。青焼きと言っても、いまでは通じないであろう。酢の匂いのする液に、青写真をつけて、コピーをとっていくのである。

今日集まった学生の多くは、Cinii(国立情報学研究所の論文情報ナビゲーター)を利用して、論文検索を行い、検索結果のリストを基に放送大学図書館へ依頼して効率よく取り寄せるか、直接近くの図書館へ行ってコピーをとって来ることで、簡単に目標の論文数を集めてしまっている。

筑波から来ているKさんに至っては、筑波大学が近いという地の利を使って、この1ヶ月に、なんと5万円を下らないコピー代を自己負担して、文献を集めたのだそうだ。

コピー1枚10円として、5000枚ですか。2ページが一枚に収まるとして、1万ページのコピーを撮ったことになる。専門書の平均が400ページとして、書籍25冊分。ちょうど良い文献量だと思う。(裏技で、A3用紙に二冊ずつコピーすることもあったとのこと。コピーの達人になったそうだ。)

もともと、放送大学の学生は、経験の場数を踏んでいるので、土地勘や現実感には富んでいる。だから、ひとたび文献さえ手に入り、文体を獲得すれば、すいすいと書き始める学生もいるのだ。

でも、すいすいというわけには行かないのは、コピーの後の読み込みであろう。いまごろ、膨大な文献を前にして、どれから手をつけようかと逡巡している、Kさんをはじめとする、学生の方々の姿が目に浮かぶ。楽しい季節と苦しい季節とが、入れ替わり立ち代り現れるのが、論文作成の面白いところである。

とくに、他者の意見に触れたり、異論を検討したりすることが、じつは自分自身にとってもたいへんな影響を及ぼしていることが、あとでわかってくるのは不思議な感覚である。自分の守備範囲が広がったとでも言おうか、自分の幅が広がったとでも言うべきか(同じことか)。

Yさんは、読書ノートを取り始めたとおっしゃっていた。おそらく、これから経験なさることだと思うが、読書ノートから論文へ書き直すときに、何かが起こるのだと思われる。読書ノートに書かれていることは、まだ他者の考えに相違ないのだ。たしかショーペンハウエルだったと思うが、「読書とは他人に考えてもらうことである」と痛烈にいっていた。

ところが、それが論文に書かれるときには、そのことに自分の考えが加味されたもの、あるいは大分変わって自分の考えそのものになっている、という不思議な事件が起こるのだ。この違いは、いったいどこから来るのだろうか。

高校時代に、国語のN先生がわたしたちに、神を見たことがあるか、と質問したことがある。そのとき、宗教を問題にしている場面ではなかったので、おそらくこのような表現の現れる瞬間のことを言ったのだと、今にして思うしだいである。

2007/05/12

自分の「フィールド」について

午後、東京文京学習センターで、5月の大学院ゼミナールを開いた。

そのとき共通の話題になったことで、「フィールド」とはなにか、ということがあった。放送大学の大学院生は、職業もさまざま、バックグランドも異なるし、専門分野もまちまちである。このとき、自分のフィールドをどこに定め、どのような方法で論文を成就するのかが問われる。

ふつう、論文の問題提起をする場合に、自分の「フィールド」から取り上げるほうが良い、という一般的傾向が、経験的な社会科学の場合には存在する。

学問の分野や領域をフィールドと呼ぶ場合もある。けれども、圧倒的なイメージとしては、フィールド・ワーク、すなわち野外研究、実地調査ということのほうが強い。

今日問題になったことも、同様なことである。つまり、論文の問題意識を固めるために、その人の職業上、生活上のフィールドを重視すべきだ、ということを、オブザーバーで出席していたS氏が主張した。

S氏は明らかに後者のフィールドをイメージしていたのだと思う。自分の常日頃接しているフィールドを題材にすべきだと言うことだ。

S氏の言うことはたいへん的確に論文のテーマ選定の原則を貫いていると思われる。基本的には、その方針で行うことが、放送大学の学生には合っていると思われる。放送大学生には、社会人が多く、経験が豊富なのだ。

しかし、ひとたび論文を書き始めると、「一体、自分のフィールドとは何なのか」ということが改めてさらに深く問われることも確かである。自分が専門でやってきたことが、いざ論文を書くときには、不確かな点が出てきて、今までの知識では太刀打ちできない事態が必ず生ずるのだ。もう一度疑ってみなければならないということが絶えず起こるのだ。

だから、論文を書く作業は、あらためて自分のフィールドを再発見する過程でもあるといえるのではないかと思う。

残念ながら、体調を崩した人が多く、珍しく出席率の悪いゼミナールとなった。けれども、その後の喫茶店へ移っての雑談は盛り上がった。

それにしても、茗荷谷の駅前にあった「同潤会大塚女子アパート」が取り壊されて、さらに道の反対側の雑居的な商店街も取り壊され、かなり大きな再開発が進んでいる。

放送大学のビルも相当古いので、この際これらの再開発に便乗して、新しい試みをこの地で展開したら面白いのではないかと思う。前東京文京学習センター長のK先生が建物の構想を残されていったと聞いている。さて、このような望みはあるのでしょうか。

2007/05/05

「コンテナ」という言葉

昨日のコンテナのような、ちょっと雑然とした言葉?を整理するには、放送大学のテキストほど参照するに適しているものはない。

さっそく、膨大なテキスト群に当たってみると、つぎのような言葉として使用されていることがわかった。

たとえば、 大学院テキストの「国際社会研究Ⅱ」において、輸送費負担の問題として、コンテナ賃料が問題となっている。またじつに、「言語文化研究Ⅱ」では、港湾労働者を取り上げていて、コンテナ船導入で労働者が減少する傾向にあることを伝えている。

さらに、学部テキストの「アグリビジネス」では、ダンボールからコンテナへという流通の変化を取り上げている。また、「商法」では、コンテナ輸送の賠償責任について、責任の制限を設けていることが指摘されている。「日本の製造業の新展開」のテキストでは、「二重反転プロペラ」という技術について取り上げている。二重反転プロペラという推進技術が、現在は大型タンカーにつけられているが、それがコンテナ船にも有効であることが述べられている。

ちょっと異分野と思われる心理学領域でも、心理学者サリバンの概念として「器・レトルト・コンテナ」が紹介されている。そして、「臨床心理面接特論」では、心理療法のなかで、クライアントの心を直接晒すのではなく、器やコンテナによる保護が必要で、それによって、心の変容が生ずるとされる。とくに、
面接室が、クライアントの保護をもたらす、「コンテナ」として比喩的に使われている。

心理学にまで及ぶような使われ方をするものとして、コンテナが存在しているとは思わなかった。昨日の疑問は、それでも依然として晴れないが、「容器」という概念の及ぼす広い世界を垣間見ることができた。今日のところは、ここまでにして、後日改めて、昨日の疑問に挑んでみることにしたい。

2007/03/26

Kさんの博士号

Kさんから嬉しい知らせが届いた。神奈川大学の歴史民俗資料学研究科の博士号をいただいたとのこと。

今年79歳で博士を目指していると、7月に、Kさんのことは一度書いたことがある。それが、パシフィコ横浜で行われた神奈川大学の学位授与式で目標を達したのである。

放送大学の学部では、「桐生絹織物の歴史」について卒論を書き、神奈川大学で修士を採ったあと、このたびは、「同業者組織における信仰」について論文を仕上げた。全国各地をまわっての取材から生まれたものだけに、その体力と気力には圧倒される。

まだまだ論文のネタがあるから、これからも書きたいと、先日も雑談したところだった。生涯学習ということを言うならば、ここまでやらなければならないということだろう。

本人からのメールでは、新聞の取材は断ったのだけど、指導教官の頼みで応じたとのこと。けれども、これはやはり社会にとっても良いニュースだと思う。二人で、どちらの方が早く取るかなと言っていたのだが、同時に達成したことで、わたしのゼミ出身のKさんとわたしの、博士号の揃い踏みということになった。

http://www.kanaloco.jp/localnews/entry/entryxiimar522/

詳しくは、上記の神奈川新聞の取材記事を読んでください。

2007/03/23

学位授与

阪大の学位授与式に出席した。博士の学位をいただいたのだ。

わたしたちの世代は、70年代の大学紛争のあおりを受けて、学部のときには東大入試がなかったという影響をうけたし、さらに東大の大学院では博士論文審査の体制が壊れていたという影響を被った。

だからといって、ここで被害を受けたという恨みがましいことを言いたいわけではない。むしろ、その体制から自由であったことを今では喜んでいる。

けれども、外国へ行った同期の人たちは、その地で苦労して、Ph.Dを取ったりしているのに対して、日本の大学院に残った多くの同期生は、課程終了時には、博士号をとった人は(統計や経営は別にして、経済学分野では)一人もいなかった。

それに多くの文科系の大学では、就職してしまえば、博士号はほぼ必要ない。このような事情もあって、わたしの場合も博士は課程修了という状態で、論文を書いての修了は行っていなかったのだ。

書いてみると、そのプロセスも含めて、博士論文という制度はかなり良い制度だと実感できた。執筆の緊張感が通常の論文執筆よりもあり、また書き終わってからも、審査員がじっくり読んでくださって、意外に楽しい作業となったのを覚えている。

今日の阪大での学位授与式では、研究科によっては、100名を超えるような博士を量産する大学院もあって、今日の博士号の意味もかなり変わってきていると思われる。70年代と違って、博士課程を修了すれば、博士号を持つのが当たりまえになっている。

それでは今日、なぜ博士論文を書くのか。何のために、博士号をとるのか。資格を取るという形式的な理由以外に、やはり博士論文の実質的な意味があるのだと思われる。

さて、式典が終了して、学位記を受け取りに行こうとしていたら、「放送大学のS先生じゃないですか」と子どもとご主人同伴のかたに話しかけられた。放送大学を卒業して、大阪大学の大学院に進み、今春みごとに学位を取ったということである。

学生と先生が他の大学で、同期として学位をいただくという、放送大学ならではの風景である、と思った。

2006/11/24

重層化する多領域

広島大学に来ている。情報教育研究集会に招かれて、パネル・ディスカッションに参加するためだ。

二年に渡った調査をNグループの方々にお願いしていた。20人規模の体制で、放送大学映像資料の著作権処理に当たっていただいた。ときには、涙を滲ませるほどの努力をしていただいたと聞いている。

この努力にはどこかで報いなければならない。成果をどこかで発表したいと考えていた。

ちょうど九州大学のI先生の目に留まり、今回広島大学のN先生の名司会のもとで発表することができた。ほかのパネラーのO先生とU先生の意見とも付き合わせることができた。

広島大学のスタッフもたいへん優秀で、黙々と新たなアイディアに挑戦していた。たとえば、会場でディスカッションと同時進行でアンケートを取れるソフトを開発しており、これを使って、論争で意見が分かれそうな事柄について、会場参加者の賛否を問うていた。

会場に来ていた情報教育研究の多くの方々が、著作権処理について、今後の問題として関心の高いことがわかった。それと同時に、さまざまな学問分野で重層的な問題の存在することも、実感できた。

N先生は、パン・フルートの奏者でもある方なので、夕方からの懇親会で演奏を期待していたが、どうもそれはなかったようだが、さすが広島だけあって、バーベキューでは新鮮なカキがたっぷり出たし、地元西条の酒蔵からの美味しい酒がずらっと並んだのは凄かった。

情報教育とは、人と人のコミュニケーションを図ることだ、ということを身をもって体験することのできた集会であった。

2006/11/17

「企業内学校」の衰退と新たな動き

企業内学校の閉校が続いている、という記事が10月下旬の新聞に載っていた。東京電力が運営する「東電学園」の記事だった。

見逃すことができないのは、これが社員養成、技能養成のために設立された学校であるにもかかわらず、実際には一般教養も教えていて、通信制の高校卒業ができた、という点である。

つまり、職業訓練と教養とが同時に教えられていたのである。このような企業内学校が減少することは、単に企業内の技能訓練に影響を与えるばかりでなく、社会一般の教養教育の衰退をも意味することになる。もちろん、技能の点では、企業が職場で教えれば、それで済むことかもしれないが、教養については職場教育で済ますわけにはいかないだろう。

じつは、今日東京の代々木にある、高級暖房機製造の企業に呼ばれて、経済学入門を1時間半たっぷり講義させてもらった。夕方、暗くなって仕事を片付け、仕事場のあるほかのビルから、三々五々社員の方々が集まってきた。

倉庫だったところを改造したとおっしゃっていたが、コミュニティセンター顔負けの広いスペースに、ゆったりとした授業用の椅子が配置されていて、真ん中にスクリーンが設けられている。

仕事に直接関係あるとは思えない講座を開こうということさえ、今の時代では珍しいのに、さらに仕事の終わった社員たちが、進んで集まって話を聴こうという心性を持っているのは稀有だといえる。このことだけでも、余裕のある会社だな、と思ってしまった。

講義が始まるまで相手をしてくださった会社の代表の方は、たいへんコミュニケーション能力の豊かな方だったが、奥さんは英国のOU(公開大学)ご出身だとのこと。会社の持つ総合的な潜在力が大事だ、ということを理解している方だとお見受けした。

とくに、女性の参加が多かったのは驚きである。質問に対する受け応えも、たいへん好ましいものを感じた。この時代、企業文化恐るべし、といっておきたい。

もしこのような動きが続くなら、「夜の講義シリーズ」と銘打って、番外編を企画するのもおもしろいな、と代々木公園に面した喫茶店で、一服しながら夢想した次第である。

2006/11/05

科研費の季節

また今年も、科学研究費申請の季節を迎えた。今朝、締切りの過ぎていた原稿を一本送付して、すこし勢いがあったので、その調子で、二本の申請書類をつくった。

今年は、原稿の締切りに追われているので、一切の申請は止めにしようと心に誓っていたが、早くも原則が崩れてしまった。

間際になって、奇特な方からお誘いがあって、今回はすこし書類を追加するだけの負荷条件で、研究班に加えてくださるという。この好意には、答えざるをえないだろう。もうひとつは、以前にもこの欄で書いたことのある出版助成のための申請である。

おかしなもので、申請書を書いていると、ついすでにもらう気分になってしまっている自分を発見する。ほんとうに、この辺が現実感が抜けているということなのかもしれない。もらったらどうしようか、と捕らぬ狸のなんとか、を夢想する幸せな性分なのだ。

より以前の記事一覧

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。