カテゴリー「住まい・インテリア」の投稿

2016/02/12

思い出を処分する

Img_2833_2 昨日から千葉の母の家へ泊まり込んだ。そして、今朝はいよいよ家財道具の処分業者に頼んで、家の中を空にする作業に入った。全てを明け渡すのだ。この家には、1975年に移ってきた。わたしは次の年には、大学院のある渋谷へ引っ越したから、じつはこの家には数ヶ月しか住んでいないのだが、やはり40数年間ずっと実家であったから、夏休みやお正月には必ず帰ってきていた家だ。それなりの記憶が累積されているのは確かで、この場所へ来ればその思い出が必ずよび起こされるという記憶維持の場所で有り続けた。

Img_2862 母が亡くなってから、このところ数ヶ月かかって、重要な記憶のものは、たとえば写真アルバムや昔の文集、成績表などはすでに移してあるのだが、どうしても見つからないものやヒョイっと手に取ると思い出すものが、まだかなり残っている。Img_2863 昨夜も最後の品定めをして、ほんとうに最後の最後に救い出す品物を選んでいたのだった。妻には「私の実家のものはみんな捨てたのよ。思い切りが悪いわね」と言われるし、妹からは「持っていてもいずれ捨てるのよ」と言われ続けてきているのだが、まだ諦めきれないのだ。ものに憑かれるとはこのようなことを言うのだろうか。何かが呼んでいる気がする。

Img_2864 もちろん、今日までこの家で使ってきた肉厚のコーヒー茶碗や、ガラスの使いやすいパン皿、さらには娘が欲しいと言っていた額やデミタス茶碗、ビートルズやシカゴなどのレコード、テレビ・エアコン・ストーブなどの電気機器などは諦めざるを得なかった。タンス類が荷物の中では一番場所を取ったようだが、これらも全て処分する。けれども、幼稚園時代から聴いてきたオイストラフのベートーベンのバイオリン協奏曲などは、毛布に包んで持ち出すことにしたのだった。

Img_2856 朝になって、座っていた近くの戸棚を開けると、昔懐かしい江戸切子のグラスが出てきた。今までずっと探していたのだったが、奥の方に3個だけ隠れていたのだ。今朝の最後に出てきたのだった。包装紙に包んでビニールへ入れている最中に、業者が玄関のベルを鳴らしたのだった。

Img_2851 このグラスには、たくさんの思い出がある。これは、何回も夢の中に出てくる思い出だ。その中でも飛びっきり古いのは、幼稚園時代の思い出だ。クリスマス会を家族で行うことになって、テーブルに料理が並び始めた。父と母は準備で台所へいっていた。それで、テーブルの上にあったこのグラスに、写真にあるデキャンタからワインを注いで、飲み始めてしまったのだ。そのうち、目の前がぐるぐると回りだし、その場へ眠ってしまったらしい。笑い話で済んだが、それは父の血を受け継いだということだったからだ。

Img_2838 と、この話を妻に話したら、母は生前、このグラスはデキャンタのグラスではないと、言っていたよ、ということだった。言われてみれば、確かにエンジ色の濃さが異なるのだ。今となっては確かめる術はないのだが、本当のところ、残っているのは思い出だけだということなのかもしれない。

じつはもう一つ、ヒョイと出てきたものがある。どのような家族でも、その家族の宝と呼ばれている品があると思う。うちのような衰退家族でも、一品だけあるのだ。何か儀式があるときには、父が必ず押入れの奥から出してくるものだ。Img_2865 それは、室町時代に描かれたと言われている「五大尊像」なのだ。もう画像は判読できないくらいつぶれていて、見る影もないものだが、確かに神秘的で家の宝だというに相応しいものだと思われる。これは絶対に「何でも鑑定団」へは出さないことにしようと思っている。家の宝というのものは、家族だけが認めていれば良いもので、一種のアイデンティティの象徴であれば良いのだ。

Img_2846 さて、あれやこれやで荷物をまとめてみると、何やらホームレスの人びとの移動のようになっているのが自分でもわかった。写真に写っているのは、合計4つの大荷物を自転車の前後につけ、さらにリュックとショルダーを肩にかけようとしている図である。ほんとうに見られたものでない、ヨタ旅をしているのではないかと思ってしまったのだった。

今日のランチは大学近くにあるホイトウの日替わり定食だ。「鶏肉とカボチャのスープ」。鶏肉とカボチャが別の料理で出てくるのではなく、カボチャスープの中に鶏肉が入っているのだ。この味は初めてだった。意外に合うのだ。カボチャスープにも味付けがしてあって、鶏肉と合う工夫がされている。

ホイトウは最近店内の改装を行った。それで、今日はちょうどマスターがレジに立ったので、そのことを話題にしてみた。何を中心にして、改装を行ったのか、と。ある程度は予想していたのだが、木のイメージと白いイメージを大切にしたのだとおっしゃっていた。確かに、壁は半分が木で覆われ、半分は白壁になっている。なぜ木のイメージなのかが気になっていたのだ。じつはテーブルと椅子はほぼ以前のままにして、あまり変えずに連続性を維持したのだということだった。前から問題にしている。「椅子が先にあって、部屋が作られるのか。それとも、部屋があって、椅子が導入されるのか」論争の良い事例が見つかったと思った。

さて、今日の椅子は当然、ホイトウの椅子を出さないわけにはいかないだろう。ところが残念なことに、カメラを持っていなかったのだ。今度行った時に、お目にかけようと思う。

2015/07/07

素材としての木材

Img_0749 母の葬儀について相談があって、O市に来ている。母方の親戚の方々と話をする機会を久しぶりで得ている。母方の祖父Mは、田舎から出てきて、このO市で木材業を営むことになる。木材業では、木材そのものを売ることになるが、これに対して、木材の購入は「山」全体を購入することになる。それで、「山師」ということになるのだ。

Img_0779 そこで、これら全体をみるために、山の売り買いをマネジメントする能力が要求されたのだ。良い素材の木を見極め、伐採し、運搬を指示して、街の製材所で商品にするまでの一貫した工程を管理する。家が潰れる前までは、わたしも幼稚園時代から小学校時代にかけて、祖父や父に連れられて、木曽のヒノキの山や、北アルプスの石灰岩の多い山などを見に行くのに同行することも何回かあった。

Img_0760 T家のM叔父さんは、はじめ祖父を手伝っていたが、その後独立して、長らく製材所を経営してきた。現在、90歳を超える方だ。今回、木製の椅子について考えている、ということを言ったら、「素材としての木材」の様々なエピソードを話してくださった。もちろん、製材にもそれぞれ専門があって、M叔父さんの場合には、建築用材だ。

Img_0772 椅子の色ということに話が及んで、椅子の素材を製材したことはないがと前置きしつつも、木材の色を出すには、やはり広葉樹の心材が良いということで、山桜や栃の木などを挙げていた。椅子の製材で難しいのは、木の「癖」だそうで、通常でも、6、7年は木材を寝かせて、癖を見てから、制作に取り掛かる。ここをパスすると、坐っていて、ガタガタと足の長さが合わなくなったり、座面に割れ目が入ったりするらしい。それで、この6、7年間の木材を寝かせる費用が相当にかかるのだそうだ。

Img_0767 他方、それでは建築材で、色を意識するのはどのような時なのか、と質問をした。叔父さんはしばらく考えて、床の間に使う木材「えんじゅ」や「あららぎ」を教えてくださった。M叔父さんの家に使われている「あららぎ」を実際に見せてくださった。Img_0770_2 写真にあるのは、仏間の長押に使われていたものと、応接間の床柱だ。この白と赤の配合がうまく出るように製材するのが、腕の見せ所なのだ。Img_0771 赤が心材(赤身)で、白が辺材(白太)で、ふつうは、この辺材を切り捨て、心材だけを建築には用いるが、このように床材の色を楽しむ場合には、辺材との対比を重視するのだそうだ。

Img_0790 帰りに、松本で途中下車した。火曜日はじつは市内の商店の多くがお休みの日でいつも寄る喫茶店が軒並み駄目だった。それで、松本市にあらたに最近開店した地方出身の店をいくつか回った。奈良のN店や京都のTなどの陶器屋や雑貨店などが、女鳥羽川沿いに洒落た店を出している。これらの店は、中町通りにある昔からの民芸店を意識して出店されていることはたしかである。

Img_0796 昼食は、その中にある「タイ料理」の店で、グリーンカレーをいただく。その後、以前松本を訪れた時に、時間がなくなって駅まで走ることになってしまった、Img_0828 その店、コンフィチュールの店Mで、あんずとイチゴのジャムを今回はゆったりと購入する。

Img_0805 今日の椅子は、松本の中町通りにある公園のベンチだ。藤棚の下に設置されていて、街歩きに疲れたときに、ちょっと休むには丁度良い。

Img_0806 よく見ると、長年の使用で、木の「癖」が典型的に現れているのをみることができた。節から傷みが走って、板の部分に割れ目が見える。ここまで使われれば本望と考えるのか、Img_0808 それとも、職人風に言って、木の「癖」をきちんと読めば、もっと耐えられたのに、というのか、評価が分かれるところだ。

2014/09/23

S氏の椅子についての話

Img_7747 S氏の椅子について述べようと思う。他のものとそれほど変わるわけではない。人目を引くには、材質の色もそれほどでないし、構造に工夫があるようには見えなかった。それで、話を聞くのが後回しになってしまったところがある。他の椅子については面白い話を、ここまで1時間ほどたっぷりしていただいた。短くしてしまうには、もったいないので、このたっぷり感はまたの機会、たとえば2年後のテレビ放送まで、温めておこうと思う。ここでは、三つだけ取り上げたい。

Img_7649 つまり、帰る先たって、ご本人を目の前にして、他の人の作った椅子の話だけ聞くわけにはいかないだろう。それで、S氏が他の客と話をしている間に、ようやくS氏の椅子を見つけて、坐って待っていた。

Img_7650 にこにこして近寄ってきて、この椅子の来歴を話始めた。ひとつの注文がきっかけだった。注文主が陶器の絵付け師であった。それで、絵付け作業に合わせた椅子となったのだった。長時間の作業になること、腕が自由に動くこと、立ち上がる動作に合っていることなどなど、特別な制約を考えていくと、この形になったのだというのだ。(そういえば、町で見かける椅子の中にも、このように肘掛けや背もたれを低く作っている椅子が思ったより多い。)

Img_7655 まず、長時間作業を行うと疲れがたまり、前屈みになってしまうそうだ。それで後ろの背もたれに寄りかかるのだが、そのときに背面が固定されていると、疲れがとれないので、可動式にしたとのことで、この背面は角度が自由に変わるのだ。その変わり方も、通常の背面全体が動くのではなく、背中を延ばすように変わるところが珍しい。

Img_7651 絵付け作業の自由度を高めるということで、肘掛け部分があるにもかかわらず、極端に低く作ってあるのだ。これで、左右の手の動きを制約する事がないのだ。肘付き椅子であるにもかかわらず、肘掛け部分が低いということは、むしろ特色を減じてしまう可能性があると思われるのであるが、このような仕事・作業の性質によっては、むしろありえることなのだということを知った。

立ち上がりの工夫は、ちょっとしたことなのだが、それがあると無いとでは、やはり椅子としての役割が異なってきてしまうのではないかと思われるのだった。

二番目のエピソードは、興味深いものだった。この椅子展の中に、「アドルフ」と名付けられた椅子があった。なぜアドルフなのかは、S氏も作者から聞いてないとおっしゃっていた。でもヨーロッパの古典的なベンチを思わせるような、重厚で肉厚なフォルムをしていた。ベンチといえば、聞き忘れてきた椅子が、この店の1階の入ってすぐのところにあって、二つ繋げればベンチになるが、ひとつひとつでも、椅子になる椅子があって、これはこれで、ベンチとは何かについて、聞いておきたいところだったのだが、これも次の機会にしておきたい。アドルフに話を戻すと、実際のものは新作で、アイディアの凝縮したものなので、写真に撮ることは極力避けたが、イメージははっきりした椅子だった。いずれ、ちゃんと取材の機会を得てから、お目に掛けたいと考えているのだが、じつはアドルフの重量感は、実際にみてみなければ、その効用はわからないものだろう。

つまり、ひとりで坐る用に作られていながらも、ふたり以上のベンチのようなフォルムをもっているのだ。その工夫のひとつは、「たっぷり感」にあると思われる。お尻を受ける座面の回りにさらに二重に肉厚の縁が付いている。それから、背面の木も通常の厚さではなく、もりっとした感触があるのだった。

「椅子の集団性」というものがあるとすれば、それは実際に集団が輪になって坐ることができるから、集団性が存在するのだというように考えてしまうと、集団性のあり方を誤解することになる。集団性は、集団性がむしろ抜けたところで、それを補おうとして、過剰に発揮されてくるのだ。つまり、ひとりで坐っていながら、ふたり以上の想いを乗せて、その椅子はあるのだ。

椅子の原理には、じつは恐ろしいところがあって、芸術作品で描くことがなかったことが、鑑賞者によって補われて、その作品を高めることがあるように、生活芸術たる椅子にも、じつはそのようなことがあるのだと知った。

エピソードの3番目のものが、こちらが聞くともなしに、話を二重に向けたら、よどみなく、話が出てきたので、びっくりしたのだった。この椅子展の特色は、実際に、現物の椅子に腰掛けてみることができるという点にある。それで、ひとつの椅子のところで、「坐ってみてください」と言われたのだった。そして、「足を閉じるのでなく、投げ出すようにまえで構えるように坐ってください」、というのだった。

その椅子というのが、足のない椅子なのだ。土台があって、座面があって、背もたれがずっと伸びているだけの椅子なのだ。たとえば、CD立ての横に指していくタイプのものがあって、それにかなり似ている。だから、ちょっと不安定な椅子ではないか、と思ってしまうのだが、実際にすわってみるとかなり安定している。S氏が言うには、発想は「携帯用の椅子が可能か」、というところらしいが、そこから始まって、じつは足の無い、むしろ足が無いばかりか、坐っている人の足を、椅子の足として、利用してしまっている椅子だと言ってよいのだ。このために、通常の椅子には、足が3本から4本付いているところ、土台だけで椅子が成立してしまっている椅子となっている。これも、足りない機能が、むしろプラスに働いて、椅子の過剰性を生み出している。

坐るという用途が椅子の形を決定しているというのが、通常の椅子であるとすれば、人間が坐ってはじめて、椅子という現象がようやく成立するのが、この椅子の面白いところだと思われる。

椅子展は今日が最終日なので、S氏も余裕があって、話につき合ってくださったのだと思われる。話をしている間にも、10組くらいの鑑賞者の方々が訪れて、かなりの盛況さを表していたと思われる。2年後には、さらに面白い話を取材で集めて、もう一度S氏のインタビューも採って、番組を作りたいと考えている。そのときには、ぜひ今日取り上げた椅子も写真付きで紹介できることを願っている。


2010/01/01

新年早々?

31日の深夜、いざ風呂に入ろうと、スイッチを入れたとたんに、火がダウンした。何回試しても、エラー表示が出てしまう。

以前にも、給湯器が故障したことがあって、同じだと思い、大晦日のこんな時間に営業しているはずはないとは思ったが、駄目元でメーカーへ電話してみた。ところが、こんな時間にもちゃんと働いている人びとがいるのだ。

でも、やはり修理は5日以降になってしまう、ということなので、予約だけをして電話を切った。それで、仕方ないから、家族で年越しそばを食べて、寝ようということになった。ところが、ガスコンロもはじめは炎を出していたのだが、途中で火が弱くなって、最後は止まってしまった。

それで、故障は給湯器ではないのでは、ということになって、今度はガス会社へ電話をすると、すぐに来てくださるということになった。何も大晦日の夜に、故障しなくても、他にも日はたくさんあるだろうに、とも思ったが、これも運命だ。

故障したのは、たしかに大晦日の深夜だったのだが、すったもんだしているうちに、新年になってしまった。ガス会社の方は、さすがにプロで、検査の機械を駆使して、ガスが流れなくなった原因をたちどころに解明してくださった。パイプの調整弁が壊れていたらしい。

さて、大晦日に押し詰まってからの事件なのか、それとも、新年早々事故に見舞われたというのか、それによって、1年の印象がガラッと変わってしまう。ここは、いろいろなことが起こった昨年のせいにして、朝から始まる新年にはこのような事故が起こらないよう。家内安全を願って、ようやく就寝した。もちろん、遅ればせの年越しそばをいただくことは忘れなかった。

2009/02/20

三日間の引越し

Photo_22 研究室の移動は、5年前に一度行い、さらに2年前にもう一度行った経験がある。もう歳なので、さすがにちょっと片づけをしても、脱力感があり、いつも使っていない筋肉が痛い。

若いときには、20数回の引越しの経験にものを言わせて、ほとんどひとりで、結婚してからは妻とふたりで、整理を行い、引越しを行ってきた。けれども、やはり研究室の移動には、書籍が伴うので、家の引越しとはわけが違うのだ。

Photo_16 どのように違うのかといえば、とにかく多種多様な書籍の位置をバラして、再び同様に配置することがたいへんなのだ。したがって、もし自分で行い始めると、その場所を確定させるために、つまりは移動の仕事を先延ばしにしたいために、ついには本を読み始めてしまうのだ。これほど非効率な仕事はないだろう。読み始めたら、止まらないのは目に見えている。本がモノに見えなければ、引越しなんてできないだろう。

そこで引越し屋さんの説明によると、第1日目には、女性がふたり来て、本を段ボールに詰めます。第2日目には、運搬専門の人たち6名が来て運びます。また、それと同時に、書架を解体して、新しい研究室で組み立てます。第3日目には、再びふたりの女性が段ボールから本を出し、書架に納めます、ということなのだそうだ。

Photo_17 結局、書籍だけで、段ボールの数は100個を超えてしまったが、当初の150個と言われていたのよりは、ずいぶん少なかった。大学の先生としても、少ないほうだと思う。この本を次から次へ、私情を挟むことなく、機械的に段ボールに詰めていく女性たちに感謝した。記号でどの書架にあった本なのかがわかるように、段ボールへ書付が行われ、図示して記憶されていくのだそうだ。

Photo_18 そうそう、いつも壊さずに運ぶのに苦労する、鳩時計も忘れずに荷造りしなければ。これは友人のK氏とI氏が記念に持ってきてくれたものだが、研究室にあると、本ばかりの空間がちょっと安らぐ感じがするのから不思議だ。

二日目に来た書架の専門家は、2年前にも来ていただいた方で、見覚えがあった。手際よく解体していき、整然と運んでいった。壁に直接支柱を打ち付けるタイプの書架で、壁にそれだけの強度があるのか、心配だったが、これは飽くまで補強であって、ほんとうに地震に大丈夫かどうかはわかりませんと正直におっしゃっていた。けれども、書架が倒れてくるときは、壁が崩れるときだから、そうなったら、建物全体の問題になります、とのことで、安心してよいのか、恐怖を感じたほうが良いのかは、わからなかった。結局は諦めなさいと言われたように感じたのだった。

Photo_20 さらに、運搬の方々には、2年前に千葉学習センターに置いていった積み残し分も運んでいただいて、感謝感謝であった。ひとりではやはり運べないものがどうしてもある。たとえば、大テーブルなど。台車もふたつ駆使しなければ運べないものもある。今回、懸案だったこれらを解決して、すっきりしたしだいだ。

3日目には、再び書架に本を納めていただいたが、仕舞うよりは整理して並べるほうが時間がかかった。この差はどうしてだろう。途中で、荷物が増えたせいだろうか。これまで段ボールのなかで眠っていた書籍群も、今回復活して書架に並ぶことになった。

さいごまで残って、整理を行っていたら、結局9時近くになってしまった。写真で見えるように、まだまだ段ボール2_2は20個ほど、開けられていない段階で、タイムアップになってしまった。引越しは消耗戦であることは、これまでの経験でわかっていたが、それでもこれまで溜めていた要らない物を一掃できるという点では、精神衛生上たいへんよろしい行為であることも確認できた。

Photo_21 さいごにいつも愛用している椅子を机に差し入れて、今日の引越しはひとまず終了とした。幕張のファーストフードの店で、紙コップのコーヒーを飲んで家路に着いた。

2008/08/04

椅子の生活

0808021_2 椅子を購入した。 K大へ行く途中に、古道具屋さんがあって、学期末になると、学生の部屋から排出されたような家具や電気器具が並んでいた。大分まえになるが、かなり使い古された電灯式の卓上用の照明器具が出ていて、購入したこともある。

ところが、最近はアンティークな家具なども出るようになって、ときどき表を通りながら、覗いていた。じつは、わたしの身の回りには、意外なほど、古い家具が残っている。たとえば、現在研究室で使っている応接用のテーブルは、小学校1年生のときに、やはり信州松本の古道具屋で買ってもらった勉強机だ。よくぞ、20数回の引っ越しに耐えて付いてきたな、という強者である。

今回購入したものは、写真でわかるように、曲げ木の椅子で、座るところと背が、藤(あるいは竹)の蔓で編んだものになっていて、ソフトなすわり心地だ。

以前から、曲げ木の椅子は、軽いのが取り柄で、たいへん好きで、幕張の研究室でも何脚か使っている。

古道具屋に出てくる椅子というのは、価格が安いことも魅力だが、それ以上に、捨てられずに生き延びたものだけが、店頭に並ぶ、という進化論的過程を経ているという、魅力があるのだ。今回の木製椅子は、軽さといい、座り心地といい、さらにデザインの観点からもとても優れたものだと思う。近年、どうしてこのタイプの椅子が作られなくなったのか、不思議なくらいだ。

古道具を愛好するということは、古く残っているものは素晴らしい、と考えるきわめて保守的な思考の最たるものだが、骨董の場合には有益だと考えている。

椅子というものはときには、このような骨董的なイメージを表すために、地位や権力のシンボルとして、使用される場合がある。今日、NHKBSで黒澤明監督「生きる」を上映していた。

このなかで、主人公の市民課渡辺課長がミイラのごとく座り続けたところとして、椅子が効果的に使われていた。本人がたとえ居なくとも、椅子を映せば、本人以上の存在感を表すことのできるのが、椅子という物体の不思議な魅力だ。

本人が居るのだが、本人を超えた人間の本質を表すのが、椅子というものであるということは、きわめて象徴的な表現であると思う。逆に考えると、どのような椅子に座っているのが、その人の本質を表しているのではないか、ということになる。

わたしは、つねに軽く、すっと細く、使い古された感じの椅子が好きなのだが、やはりわたしの本質もその通りなのだと思われる。今回の椅子は、このイメージにぴったりなので、わたしもたいへん嬉しい。

さて、試験監督もようやく終了し、試験期間もほぼ終わった。そこで、この夏は、長野学習センター、岩手学習センターなどを回って、講義を行う予定である。同時に、その合間は、首都圏を抜け出て、田舎の生活に入ろうと考えている。そこは、残念ながらネット環境があまり整備されていない地域なので、当分の間、このブログも夏休み、ということにしたい。また、楽しい事が起こったら、報告したい。

それでは、お元気で、良い夏をお過ごしください。

2008/03/05

大正文化の断絶

大正文化については、わからないことが多くて、魅力的だ。日本における「現代的ということ」の模範を作ったことは間違いないが、なぜ途中でうまくいかなくなったのかを考えていくと、たいへん面白い。

Yamamura きょうは大阪へ取材できているが、早めについたので、午前中ちょっと足を伸ばして、「阪神間モダニズム」の建築として真っ先にあがる「旧山邑邸」を芦屋へ観にいくことにした。90年代後半から「阪神間モダニズム」の展覧会を観て以来、ずっと楽しみにしてきたが、大阪からもちょっと距離があり、神戸からもちょっとあるので、二の足を踏んでいたのだ。

Yamamura4 やはり、来てよかった。伝達されながらも、当時の日本には馴染めなかったことがよくわかった。もしこの建築が当時の日本人にすんなりと受け入れられていたならば、おそらく日本文化の相当な部分が変わっていたと思われる。けれども、結局文化というものには、いくら提供する側があっても、受容する側で条件が整わなければ、それは定着しないのだという常識的なことを示しているのだが。ほんとうのところ、これだけ素晴らしい建築が、なぜ受け入れられなかったのだろうか。

Yamamura3 この建物は、帝国ホテルや自由学園などを建てたフランク・ロイド・ライトによるものだ。1918年に設計され、24年に竣工している。ちょうど問題となる大正期の建築である。この建築に何が現れているのか、という点が問題だ。

もちろん、モダニズムが現れているのだが、並大抵のモダニズムではない、と思われる。ちょっと迂遠な言い方をするならば、凸凹が並列しているような、あるいは、四角のデザインのへりを辿っていくと、90度側面の異なる平面へ達してしまうようなモダニズムである。つまり、近代化の二つの要因が織り込まれた建築だ、と言って良い。

Yamamura2 帝国ホテルもそうだったが、大谷石の彫刻の凹凸が複雑で、当時の日本人には、あまり近代的な建築とは思われなかった可能性が高い。当時の日本人には、まだ旧体制が残されていて、それはそれでひとつのバランスを保っていたから、近代的なバランスの取れたものは、むしろ旧体制のバランスのとれたものと見分けがつかなかったのではないだろうか。おそらく、一部の人にしか理解されずに、頭の上を通過していったのではなかろうか。

「有機的建築」とライトは読んでいたそうだが、この有機性は当時の日本にとってはかなり重要であったにもかかわらず、理解されなかったと思われる。けれども、この時代にこのような有機性という考え方が形成され、日本にも影響を与える可能性のあったことを喜んでおきたい。

すこし距離はあったが、芦屋川沿いに下って、谷崎潤一郎記念館まで足を伸ばした。昼食は、芦屋駅ビルのパスタ屋さんで済ませた。菜の花のパスタが鍋のまま出てきて、アサリのだし汁が美味しかった。080306_125301

午後は、本来の資料収集へ向かうことになった。阪大の豊中キャンパスでは、梅が満開で、香りがかなり遠くまで届いていた。

2006/07/01

自然の力

散歩をしていたら、ご近所の家の塀をはるか越えて、木槿(むくげ)が伸びているのが見えた。

しまった!いつのまに、そんな季節になっていたのか。さっそく、家に帰ると剪定ばさみをもって、庭へ出る。

家の北には、白い木槿の木があり、こちらは玄関の近くなので、頻繁に剪定をする。もちろん、頻繁と行っても、ご近所のなかでは最も怠惰であることは間違いない。

英国に研究留学した家族の方の話を聞くと、近所の方から絶えず芝を刈ったか、というチェックを受けるそうだ。さすがに、わがご近所には、そんな差し出がましい方はお住みになっていないが、わたしが手入れをあまりしてないことは、かなり有名であると思われる。自慢するわけでないが。

問題は、南にある八重の木槿である。日当たりが良い分だけ、伸びるスピードもなかなかなもので、ちょっと目を離すと3メートルは優に超えてしまう。さらに、今年は悪いことに、朝顔の蔓がずっと上まで絡みつき、木槿の木から樋を伝って、家の屋根にまで達しているではないか。

妻には、もうすこし前に切っていれば、花のつぼみも無駄にしなかったのに、と言われてしまった。そこで、助言を尊重して、もうじき咲く花をすこし残して、横に広がった木枝の部分を中心にして、ばっさばっさと整理した。

ちょうど、お隣のご主人が草取りをしていて、向こう側に落ちた枝を拾って処分してくださった。境界線上にある木々は、いろんな影響を及していることを認識させられた。

さて、経済学の重農主義学派によれば、自然は生産的だ、ということになるが、果たしてこの木槿の場合も、生産的といえるだろうか。こんなに時間をかけて手入れをしなければならないのは、むしろ非生産的なのではないかと考えてしまう。

もちろん、正解は、「自然それ自体は生産的か否かは決定しない、決定するのは受け止める人間の側である」ということだろう。木槿が可愛い花をつけてくれれば、剪定した甲斐があるというものだ。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。