カテゴリー「ファッション・アクセサリ」の投稿

2014/09/27

雑貨あるいはガジェット

Img_7825 雑貨には、おもちゃ的な要素があって、そこから自由な発想が出てくる、かのような錯覚をまき散らすところがある。だから、あえて雑貨であると開き直られると、受け止めるこちら側としては、ちょっと気恥ずかしいのであって、本人が純粋な気持ちで雑貨と向き合った、Img_7829 無垢なおもちゃ的なものがそこで崩れてしまうような、気がする。

Img_7826 ガジェットという言葉は、通常は雑貨の代名詞として使われていて、用もないのにのさばってしまう代表選手であった。ところがひとたび消費され効用がもたらされるものだということが知られると、それなりに役立つものだということになり、存在が許されるようになってしまう。Img_7831 ここでは、役に立つものと役に立たないものとの差は、紙一重である。この紙一重を自覚しているか、いなかで、恥ずかしさ、真面目さが問われることになるのだ。

Img_7830 このところは、その人の感性の違いのあるところだと思われる。雑貨だと開き直って、「凄い」というのか、まじめに「追究」してみましたというのか、Img_7838 それとも、暇だからちょっとやってみました、というのか、雑貨に向き合う恥ずかしさを表現する方法には、限りが無い。

Img_7852 今日は、先日信州松本の「T」に寄った時に、ここを主催するM氏が出店していると聞きつけ、松本の店で招待券を得ることができたので、毎年松屋銀座で開かれている「目利き」展を観てきた。Img_7851 この展覧会では、50人ほどの自他共に認められている現代日本の目利きと呼ばれている人びとが、ひとつずつブースを出店していて、この50例ほどの中に、上記の「紙一重」がシャープに出ている。

Img_7840 たとえば、写真にあるような、木で作ったバインダー。これをどのように考えるかという問題がある。バインダーという言葉の響きからすると、用具は挟み込むのでバネでできているという、イメージが一般的であって、もしそうでなくても、何か弾性を利用したものを思い浮かべる。Img_7841 けれども、この実物は磁石を使っている。デザイナーが木工屋さんと組んで商品化したもので、ほんとうに商品として通用することを目指している。真面目であって、気恥ずかしさはみじんも感じられない。ガジェットであっても、ほかの実用品と同列に役に立ち、なおかつ、優れた文房具だと思う。

Img_7846 ガジェットという英語を辞書で引くと、ちょっとした、目新しい道具、あるいは気のきいた小物という意味が出ている。まさに、このバインダーは、気の利いた目新しい道具である。ガジェットなのだ。Img_7844 これならば、一時地下の名店街に必ずあった、アイディア商品屋さんに並んでも不思議はないし、きっと売れることだろう。

Img_7864 ところが、この品の対極にあるのが、「役に立たない」ことをむしろ全面に出しているブースだ。これは、衒いが半分以上だと思われるが、やはり気恥ずかしさがあるのだと思われる。目利きであるためには、それが「ホンモノ」であることが必要である。役に立つもののホンモノはかなり現代では難しい。Img_7859 そこで、「役に立たない」と最初に言ってしまえば、「役に立たない」ことのホンモノについて目利きであればよいのだ。それならば、比較が必要でないから、それだけの価値を主張すればよいのだ。このブースは、意外に多かった。

Img_7833 これらのブースを見て回って、現代における「ホンモノ」とは何か、ということをほんとうに考えさせられた。Img_7868 このようなことを考える意味で、「紙一重」を展示する、このような展覧会?は、問題提起として、必要なのだと思ったところである。

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2010/12/29

アジア的多様性

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今年、目の記憶に残っている、鮮やかな印象は何かと問われるならば、晩秋に訪れたベトナムのハノイのイメージだろう。中でも、最も色彩豊かで、多様なもののイメージを具体的に見せてくれたのが、これらの写真に映し出されている、繊維問屋街での多彩な「積み重ね」である。

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なぜこんな積み重ね方をするのだろう。おそらく、日本の繊維問屋でこのような横積みをするような店はほとんど存在しないのではないかと想像する。専門家に聞いてみたいところだ。反物として、巻いて収蔵するのは、良く見たことがある。巻いてあれば、縦積みでも横積みでも、大丈夫のような気がするが、このように畳んで横積みにするのは、保存上皺が付くし、日焼けが部分的に起こってしまう気がする。

最も合理的でない、と思われるのは、客が来て下の方にある生地を取り出す方法である。もっとも、合理的である必要はまったくないのだが、売り子の立場に立つと心配してしまう。どうやって、取り出すのだろうか。一緒に行ったN先生とNさんによると、上に積み重ねられたものを一つ一つそのたびに退けて、いちいち取り出していたそうである。ウーン、何となく解せないな。

なぜこんな積み方をするのか、ひとつの理由は明瞭である。誰が来ても、すごい、と声を発する。広告・宣伝効果は抜群で、一度ならず二度三度と、ただ見るだけでも行ってみたい気にさせる。この効果には絶大なものがある。「アジア的多様性」というものがもしあるとするならば、この積み上げにこそ、その名を与えてやりたい。それほど、見ていて飽きない。二つとして、同じ色の重ねは存在しないほど、多様な積み重ねなのだ。

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もうひとつ理由があるような気がする。この積み方でも、十分合理的だと思わせる仮説だ。つまり、需要があって売れるものはどんどん上の方へ重ねていく、という方式をとれば、労力はそれほどかからないし、結果として多様になるような気がする。つまり、売れたものを一番上に積み重ねるということを何度も行なった結果が、現在の多様な配列を自動的に造っているのだ、という解釈だ。

このような配列方法は、わたしたちも良く利用する。本を読んで、読みおわった順に本棚に立てていく、という方式である。そうすれば、たびたび利用する本は、常に手元に近いところに存在し、あまり利用しなくなった本は、遠くへ連なっていく、ということになる。これと原理は同じだ。

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自然界でいうところの「べき乗法則(Power Law)」がここでも見られるのだ。わかってしまえば、きわめて常識的な法則の下での合理的な関係で、これらの多様な積み重ね模様が成立していることに気付くのだが。さて、ほんとうにこの解釈は合っているのだろうか。


2006/12/09

講演会のデザイン

デザインとはなにか、たっぷりと考えさせられた講演会だった。

宮崎先生の語り口は、「教育歴40年の話は、『目からうろこ』で、あなたの暮らしと人生のデザインが、素晴らしいものになることうけあいです。『つまらなった』と言う方には、参加費用をお返しします。」というコピーをご自分で書かれるほど、経験に裏打ちされた面白いものだった。

昨日、予告した講演会が盛況のうちに終了した。天気があまり良くないなか、親子連れや友人同士の方々が目立ったが、学生や近所の方中心に、たくさん集まってくださった。

100枚以上に及ぶスライドが用意されていたので、時間は大丈夫かな、と思っていたが、前半の講義に加えて、スライドがたっぷり映され、かなりボリュームのある講演となった。

デザインが暮らしの中に取り入れられることで、自分がデザインされる、という結論はたいへん興味深かった。

結局、現代の存在物で、人間も含めて、デザインされないものは、ほとんど存在しない。これほど、デザインが溢れるのはなぜか。

やはり、モノがモノ足りえることが、今日あまりになくなってきたといえるからではないだろうか。デザインされると同時に、デザインすることを通じて、わたしたちは身近なものを確かめているのが、今日のモノの実態ではないか。

存在を確かめるものとしてのデザイン、ということが、わたしのデザインに対する感想である。

土曜日にもかかわらず、駆けつけてくださったAnさん、Asさん、Hさん、Sさん、Tさん、どうもありがとうございました。それから、学習センターのスタッフの方々にも感謝申し上げる次第である。_002

朝、いつものAnさんのコーヒーが土曜日でいただけないので、人気のないカルフールまえのスターバックスにちょっとよって、一服。

社会経営研究配布中

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開いている講義    「社会的協力論」

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。