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2019/04/01

Bench 91−ベンチの日常に注意して、映画「マイ・ブックショップ」を観た。

 

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この映画「マイ・ブックショップ(原題:The Bookshop」には、6つのベンチが出てきた。なぜ美術担当者が6つものベンチをこの映画に取り入れたのかといえば、簡単な理由で、ベンチが田舎町の様子を反映しているということなのだ。フローレンスという戦争未亡人が、小さな港町にブックショプを開く。古い家「オールドハウス」を買い取ったのだが、街を支配する女王であるガマート夫人と取り巻きに邪魔されるという話だ。映画なので、写真をそのまま掲げることができないのが残念である。実物のベンチは映画館で見ていただくことにして、拙いイラストで我慢してもらいたい。

 

Poster

 

近代は権力と貨幣によって効率よく運営されることを目指した世界だ。ブックショップというところは、いわば近代以前の職人工房のような場所であり、近代世界からはつねに敗者としてみられてしまう場なのだ。権力が中央政府の法律を盾にして小規模な勢力を潰しにかかると極めて弱い。また、貨幣が市場の論理で生産性の高い商売として攻めてくると、小さなブックショップは為す術もないのだ。つねに、近代社会では、権力と貨幣が幅を利かせてくる。その権化として映画で描かれたのが、ガマート夫人と取り巻き連中だ。だから、フローレンスの繰り出す、粘り強い勇気でさえも絶えず失敗する。もっとも、失敗はするのだが、それは決して無駄にはならない、むしろ有益な失敗であることを描いたのが、この映画なのだ。世間の表にはついに現れなかったとはいえ、読書家のブランディッシュ氏との交流と、お手伝い役のクリスティーンとの共同作業はのちのち芽を息吹かせることになるのだ。

 

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https://www.youtube.com/watch?v=d-WC60ndP_o

 

表には決して現れないものが、この映画にはたくさん隠されている。フローレンスの勇気や信頼や献身だけではない。とくにここで取り上げたいのが、件のベンチだ。主人公のフローレンスが街中を歩いていく。すると保育園があり、その庭には、パーク・ベンチが置かれている。子どもたちが集まる場所として描くのに、ベンチは最適なのだ。ベンチの置かれた場所がその街にあるだけで、なんとなく余裕が感じられ、安心する気分になる。長く置かれてきたベンチらしく、すっかり生垣の樹々の中に埋もれているくらいその場所に似合っている。

 

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2番目に出てくるベンチは、書店のバルコニーに置かれた緑色のペンキに塗られた、背板のないベンチだ。店の前にちょっと座って、パラパラと本を渉猟するのに適している。このちょっとした気遣いが、店の違いとなって現れる。店の前には、ベンチを置くのは良い習慣だ。わたしの研究室の前にも、なぜか、またいつからかはわからないのだけれども、ソファ・ベンチが置かれている。きっと誰かが待つこともあると思われているのだろう。可能性のベンチだ。

 

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3番目のベンチは、田舎町の小学校で生徒が座っていたベンチだ。英国でも、こんな木製の机とベンチがあったのかというのがわかった。使い古されていて、この小学校のシーンを見せるだけでも、どのような街にブックショップを開いたのかという観客のイメージをさりげなく形成することができる。

 

4番目のベンチは、街を支配している保守的な女性ガマート夫人がロンドンに出て、甥の議員と公園で会うシーンで腰掛けるパーク・ベンチだ。これも効果的に使われている。パーク・ベンチにもいろいろあって、解放的な感じのする椅子と、閉鎖的な椅子とがあるのだが、ちょっとした背板の高さ加減でそれがわかる。もちろん、二人が悪巧みを行うシーンなので、後者の背板が高く、密談を行なっている風をだすパーク・ベンチが使われているのだ。

 

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5番目に出てくるベンチは、途中まではなかったのだが、後半に店の中に置かれるようになったベンチだ。開店の頃は、一人用の椅子しか置かれていなかったのだが、途中からベンチが入ってきていて、やはりゆったりと店の中で本を読むには、横の席に本を積み上げることができる、ベンチが最適だと思わせたのだった。上のイラストがそれなのだが、映画そのものの中よりも、メイキング映像の中に含まれていて発見したものだ。それで何が言いたいのかといえば、じつはわたしも椅子のある本屋へ行くと、まずはベンチを探すことにしている。

 

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6番目のベンチは、フローレンスのBBC時代の同僚という設定の曲者ノースの家の前に置かれたベンチだ。住んでいる人間は曲者なのだが、この小屋と思しき家はたいへんよい。ノースよりももっと鄙びた人が住んでいそうな小屋なのだ。ノースが住むには勿体無い。入り江にちょっと佇んだ薄い青色の小屋なのだ。そのドアの脇に置かれていた背板のないベンチがあり、小ぶりな小ベンチで、ちょっと訪問客が主人の帰ってくるのを待っているという設定ではたいへん効きそうな小道具となっている。このベンチがもしなかったならば、このシーンもあり得なかっただろう。メイキング映像には、家の中にも素敵なベンチが置かれていたのだが、映画の中では18世紀頃の古いウィンザー椅子だけがそのまま置かれていた。

 

Mybookshop

 

メイキング映像では、もう一つ革製のソファ・ベンチが出ていたが、映画で使われていたのかは今となってはわからない。さて、このように思い出してみたのだが、日頃見過ごしている風景の中で、じつは意識してみると効果的な日用品がたくさんあることに気づくだろう。少なくともこの映画の中では、ベンチは特別な位置を占めて、俳優と並んで、渋い演技を印象付けていたと思われるのだ。

 

 

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