« Bench 60−どのような特性があるとベンチと呼んで良いのだろうか | トップページ | Bench 62−室内ベンチの繊細さが美しい »

2019/01/19

Bench 61−川の流れのような人生とリバーサイド・ベンチ

D4



ベンチはうたかたの「事物」ではなく、「場所」の概念だという考え方がある。外の広場や室内の部屋などのある限定された空間の中で、ベンチは一定の場所を占めているからである。それは、このような広場や部屋のようなところとの相対的な関係から言えるのだと、これまでは思っていた。



D5



名古屋の広小路通を駅から東に歩くと、北から南に流れている堀川に当たる。水量が豊富で、ゆったりと流れている。堀川に掛かっている橋から眺めていると、ここだけでもいくつかのベンチを発見できる。なぜリバーサイドには、ベンチが似合うのだろうか。



D6



川の流れを眺めるために座る人もいるかもしれない。けれども、単に川のそばにあるというだけで、ベンチに心休まるものを感じてしまうこともあるような気がする。もちろん、立身でも良いかもしれないのだが、川の流れに意識を乗せるには、自分の身体の方は座らせて、一定の姿勢を保持していた方が、何となく落ち着いて、自由に意識を解放できるような気がするのだ。それは、川の流れの動きと、ベンチへの静座との相対的な感覚なのかもしれない。公園や広場には存在しない、解放感が川端には存在するような気がする。



D7



もっとも、解放感があるからと言って、方丈記のように、すべてが水の泡のごとくに見えてしまうというのも極端であって、もちろんベンチも家のように「水の泡」のごとくに消えてしまう部類に入っていても良いのだが、一人で腰掛けるのではなく、二人以上で腰掛けるようにできているので、多少とも無常観を緩和してくれるのではないかと、ベンチには期待してしまうところもあるのだ。

 

昔のテキストを引っ張り出して、堀川に写してみたのだ。「行く川のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、たかきいやしき人のすまひは、代々を經て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。或はこぞ破れ(やけイ)てことしは造り、あるは大家ほろびて小家となる。住む人もこれにおなじ。所もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人、いづかたより來りて、いづかたへか去る(青空文庫)」と、歳を取ってくると、ときには最初だけでも広げたくなるが、ベンチにこだわっているうちは、リバーの中にまでは至らずして、リバーサイドに身を留めたいとまだまだ考えているところなのである。



« Bench 60−どのような特性があるとベンチと呼んで良いのだろうか | トップページ | Bench 62−室内ベンチの繊細さが美しい »

Benches」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: Bench 61−川の流れのような人生とリバーサイド・ベンチ:

« Bench 60−どのような特性があるとベンチと呼んで良いのだろうか | トップページ | Bench 62−室内ベンチの繊細さが美しい »

『貨幣・勤労・代理人』(経済文明論)

  • “「貨幣・勤労・代理人」"

社会経営研究配布中

  • 2015study

社会経営ジャーナル配布中

  • 2015journal

開いている講義    「社会的協力論」

  • cooperation

『経済社会を考える』第9回〜第15回

  • 『経済社会を考える』
    “『経済社会を考える』"

「音を追究する」第13回・第14回

  • art

「多様なキャリアを考える」第2回・第3回・第4回

  • cooperation

「グローバル化と私たちの社会」第11回

  • cooperation
2019年7月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ

Recommend

プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。