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2019/01/19

Bench 56−民間からの公私混合作用ベンチ

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金公園にはまだまだ離れがたい魅力があって、もう少し観ていたかったのだけれども、岐阜市の街中も見ておかなければならない事情があって、公園の北にある百貨店横のキッチュな公園ベンチと有名な柳ヶ瀬界隈の飲み屋ベンチを横目で見ながら、さらに岐阜駅へ向かったのだ。



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街中に、こんなベンチを見つけた。ベンチそれ自体は、出来合いのプラスティックと鉄製のものだったのだが、設置されている場所とその提供方法に興味を持ったのだ。駐車場を囲む、コンクリートの植木鉢を隣に配し、木々を模した柵を背板にして、それに併設して、ベンチが設置されている。何が問題なのかといえば、「公と私」問題が起きているからだ。設置されている場所は、私有地である駐車場なのだが、ベンチは公衆に提供されているから、多少の公共性を具している。



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この場合、ベンチは私的なものなのだろうか、公的なものなのだろうか。この状態から判断すれば、「私的」な駐車場の一部を公衆に開放して、みんなが使えるようにベンチを公共に寄付していて、たいへん素晴らしい善意の産物として、「公的」なものとして存在すると解釈して良いであろう。所有権は未だ私的に保有している可能性が高いが、少なくともこのベンチが占めている私有地の使用権は公的使用に譲渡されていると見られるであろう。当初は、これで何も問題はない。問題がないどころか、駐車場所有者の善意で鷹揚な姿勢は、周りの住人から賞賛されてしかるべきであろう。散歩の途中での休憩どころができ、みんながそこでおしゃべりに花が咲かすこともできるかもしれないのだから。



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けれども、このベンチに何らかのリスクが発生する可能性がないわけではない。もしこのベンチに座っている人がここで病気を発症してしまったら、あるいはベンチに座っている人が何かの事故に巻き込まれたら、このベンチの管理者は誰なのか、という追及を受ける可能性があるだろう。だから、ベンチ提供には、だいたい前もって提供する側と提供される側との間の合意形成が必要となってくるだろう。その上で、このベンチが提供されると考えられるのだ。公私混合作用のベンチ問題は、意外に厄介なものだと思われる。けれども、ベンチは、ここをいつも解決してきたから、ベンチというものが、現代社会にも生き残ってきているのだ。このような公私による努力の積み重ねの末に、野外に置かれるベンチは、今やわたしたちの貴重な慣習となっているのだ。

 

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。