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2019/01/06

Bench 38−公園にベンチを置くことの過剰性(ベンチの過剰性その3)

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パーク・ベンチはこれから数多く取り上げていきたいのだが、まずはほんの露払いだ。パーク・ベンチは、当たり前のことだが、公園に置かれるベンチだから、「みんなで使う」ことが暗黙の了解となっている。もっとも、みんなが暗黙のルールが存在しているとはわかっていないという、暗黙さというものの弱点はある。

 

公園ベンチに座るときにさえ、本人から見ると、個人の目的で使われるのであって、みんなで使うという共通の目的を意識している人はほとんどいないだろう。だから、かえって個人目的で使おうと思ってきた人が、思いがけず、みんなで使おうルールが見えてしまったときには、ハッとするかもしれない。ベンチの周り全体が明るくみえてくるようなものだ。

 

今日は家族の誕生祝いのケーキを谷の向こう側にある、かなり遠くのお菓子屋さんへ取りにいき、その帰りに住宅地にもならず、北斜面が公園となっている谷の陰り地に差し掛かったのだ。かなりの急坂の階段を上り詰めないとここに到達できない。一休みということで、パーク・ベンチに腰掛けたのだ。


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ところが、もう1台のパーク・ベンチが並んでいて、じっとこちらを向いて、視線を送ってくるではないか。ひとりで座っているのだから、孤独な時間を楽しめると思っていた。何かが違うのだ。もしこの2台のパークベンチが、すぐ上に掲げたように横1直線に並んでいたら、どうだろうか。ずっと前のほうを見てしまって、他のパーク・ベンチは視界に入ってこないだろう。ところが、冒頭の、この2台のベンチは互いに会話をすることを想定しているように、少し身体を片向けているのだ。それも、完全な対話ではなく、それとなく向けられている。このなだらかな向かい合いが「みんなで使う」ルールを突如として思い起こさせたのだとわたしは気づいてしまったのだ。この何気無い「向き」をつけるだけで、ここは公園であって、もし他の人が隣のパーク・ベンチに座ったならば、顔を向けざるを得なくなる。そこでは、ひとことは挨拶を交わさざるを得ない、という十分な効果をもたらすに違いないのだ。自分の中のひとつの発見だった。公園の設計というものがもしあるとするならば、斯くありたいと思うのだ。


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