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2019/01/03

Bench 35-バス停ベンチなのに、素材が過剰だった(ベンチの過剰性その1)

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廃物利用だとは思われるのだが、素材に注目すると、なんと過剰なのかと感心してしまうバス停ベンチに出会った。このベンチは、谷を超えた近くのバス停に置かれているものだ。この近隣のバス停をくまなく回ったのだが、このタイプの廃材利用のベンチはここにしかない。唯一無二という点でも、過剰さを表しているのだ。

 

まず目を引くのは、この背板部分だ。家の床柱や支柱に使われるかのような、太い材木が使われている。背板に似合わない素材が使われている。廃材だからできたのだと思われる。おそらく別の用途に使われる予定であったのが、余ってしまったのかもしれない。裁断するほど手間をかけたくないし、背板用の板を別に用意するには、費用を出せないというところだと思われる。その結果、この太いまま使ってしまおうということになったに違いないのだ。


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ところが、ここが不思議なところなのだが、素材を過剰に使ったことが、じつはかえって、別の手間の過剰を誘っているのだ。何を見つけたのかといえば、釘を使っておらず、木組みで作られているという現実だ。見てすぐわかるように、この柱の厚さを突き通すような特別の釘は存在しないだろうし、もしあったとしても、そのような釘を使う金銭的余裕もないだろう。その結果、製作者は家を作るように、ほぞ組みで作ろうということになったのだと思われる。当初、廃材利用で、効率的な素材の再利用をと軽く考えて作業に入ったのだと思われる。ところが、ここへ来てみて、本格的な木組みを行わなければ製造できないことがわかったのだ。

 

つまり、じつは素材の過剰は、それにとどまらず、その素材を使う製作者の手間の過剰をも突き動かしてしまったのではないかと推察される。したがって、じつは廃材利用のベンチを量産しようとしていた製作者は、この一品で制作を終焉させなければならなくなったに違いないだろう。じつはまだ使われなかった廃材がどこかに放置されたままになっているのではないかと、わたしの想像力も過剰な様相を呈してきているのであった。

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