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2018/12/25

Bench 18–議論するベンチ

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世の中には数多くの議論を媒介してきたベンチが存在する。オックスブリッジなどの大学街パブのベンチは代表的なものなのだが、日本の中でこのようなベンチをあげよというならば、京大北門近くの喫茶店S堂は人数規模といい、歴史といい、包容力といい、最右翼に位置することだろう。黒田辰秋のテーブルだということでも対峙してみたい人はたくさんいるだろう。


先日の午後、博士課程の方と待ち合わせて、1対1の議論を4時間あまりここで行ったのだ。彼はその前の午前からそのベンチにいたから、おそらくその倍以上の時間をこの大テーブルとベンチで過ごし、彼の論文内容の多くは、ここの議論の存在する空気を吸収して書かれたことになる。


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最初、わたしたちは大テーブルの角の一部で話を始めたのだが、気がつくと、もう一方の端でも他の方々が議論を始めていた。この大きさは魅力だ。まったく関係ない議論が同時に、一つのテーブルの中で行われるという珍しい光景があちこちの大テーブルで毎時間毎日展開されているのだ。途中、一人の女性が関係なく、大テーブルの真ん中の席に入って座ったのだが、だんだんに両方の議論から押し詰められてしまったのか、1時間もすると出て行ってしまった。


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H・アーレントは書いている。「世界の中に共生するというのは、本質的には、ちょうどテーブルがその周りに坐っている人びとの真ん中(between)に位置しているように、事物の世界がそれを共有して人びとの真ん中(between)にあるということを意味する。つまり、世界はすべての介在者(in-between)と同じように、人びとを結びつけていると同時に人びとを分離させている」のだ。議論はパブリックな世界を求めている。

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