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2018/03/24

学位記授与式が開かれた

Img_3961 朝、近くの弘明寺公園を足早に通り過ぎてしまったのだが、展望台を見上げると、青空に透けて、すでにかなりの桜が開花しているのが見えてきた。放送大学の学位記授与式が渋谷のNHKホールで行われる。横浜で東横線に乗り換え、渋谷へ出る。駅前の交差点を渡り、井の頭通りから山手教会の脇へ出て、坂道を登っていく。いつも途中にある喫茶店で、コーヒーを一杯飲んでから、渋谷公会堂とNHKの角を曲がって、ホールへ着くのだ。

 

Img_3967 横浜から、ちょうど30から40分くらいの道のりのところで、なぜか最近、喉が乾くようになった。東海道線で言えば、横浜から東京駅へ出た頃だが、一息ついての休憩が必要になっている。おそらく、このようなコーヒーによる休憩習慣は、老化の生理現象の一つだとは思われれるのだが、自分の中では、余裕を見せているという精神現象だと捉えたい。

 

Img_3975 ホールの前には、学位記授与式を表示する立て看が見られた。その前で記念撮影をするために卒業生・修了生たちが行列をなしていた。みんな笑顔で晴れがましい。「教員受付」のTさんとIさんが教員向けの受付を行なっていて、式次第と教員用のリボンを手渡してくれた。ホールの中では、今年も左右社の放送大学叢書コーナーができていて、わたしの叢書を編集してくださったTさんが詰めていた。1月に頼まれていた原稿が、叢書通信へ載ったということで、通信の入った封筒を渡された。

 

Img_3976 以前は、授与式の最後に必ずN響のメンバーによる室内楽が奏でられ、言葉だけに終始する儀式に彩りが添えられていたのだが、次第にこのようなことが簡素化されて、ほんとうは簡素化されるべきところはかえって残ってしまっている。儀式に付き物の音楽という必須の要素が消えてしまうのは残念なことである。儀式というものを「感動」一辺倒に染めるのではなく、多くの方を楽しませる工夫も残して欲しいものだが、それは今日的な風潮ではないのだろう。昔は遠くなりにけり。

 

Img_3981 昨年までは、四谷赤坂のニューオータニで懇親会が行われていたのだが、今年は新宿のハイアットリージェンシーに会場が移った。早くついたので、会場が開くのを待っていると、学生の方々が話しかけてきてくれた。懇親会は、大学人にとって数少ない社交の場だと思う。岩手の盛岡で面接授業を行ったときに、当地の同窓会の方々が夜に酒席を設けてくださったのだが、その面々がいらっしゃっていて、久しぶりの再会を祝ったり、左右社の叢書をわざわざ購入してくださった学生のかたが、何か書いて欲しいと持ってきたり、次第に懇親会らしい雰囲気が出てきたのだった。

 

Img_3986 会場内では、今年の修士修了の方がたは、おおよそ固まって懇談していたので、会の後で茶話会を催すことを告げておいた。懇親会の間は、みなさんはかなり自由に他の学生の方がたとの会話を楽しんでいた。

 

Img_3988 わたしも彼ら以上にかなりの社交を楽しんだ。3月に、放送大学の先生方の中でも尊敬している方々が同時に何人も退任となるので、その先生方を回って、お話を伺ったのだ。モンテーニュの「エセー」完訳を出されているM先生には、エッセイ的な文章を学生に勧めるときにはどのようにするのかを聞いてしまった。大学には、「論文を書く文化」が一応存在するのだが、それらはやはり客観性を重視する。Img_3993 現在は、実証主義の時代と言っても良いくらいだが、どう見ても実証主義には限界が多すぎる。けれども、もう一つの系譜があって、エッセイ的な手法を取り入れる場合があるのだ。Img_3996 それで、エッセイを書くにはどうしたら良いか、ということがたいへん重要ではないかと思うのだ。人文学には、エッセイを書く伝統があるのだが、社会科学では客観性に劣るとして、エッセイの価値は低い。

 

Img_3995 問題は、文章の表現力の問題だと思う。実証論文だって、表現力は必要とされると思うのだが、それが軽視されているような気がする。エッセイは、その力を呼び起こしてくれる。それで、M先生からの言葉で印象に残るのは、その文章が「自分のものであるとする」ような書き方がエッセイの本質にあるのではないかということだ。

 

Img_3997 恒例となっている、I先生の肝いりで集められた全国のお酒コーナーは、毎年欠かせない。相変わらず、多くのものは早く行かないとすぐ空になってしまう。日本酒では吟醸酒が全盛で、標準を抜くお酒が集まってきていると思う。そのような中にあって、今年美味しかったのは、甲州ワインだ。機山ワイナリーのメルローが出ていて、芳醇だがシンプルで飲みやすい、日本的できめ細やかなメルローだと思った。メルローの持つ濃厚さというのと異なる印象を持った。出雲ワインの白は、すぐに空になったらしく、香りすら残っていなかった。

 

Img_4006 懇親会の後は、卒業生のFさん、修士修了生のAさん、Kさん、Onさん、Okさん連れ立って(Gさんは奥様が待っているとのことで、すぐに会場を後にした)、ホテルの茶店を申し込もうとしたら、すでにすべての席が夕方まで満杯ということだった。ちょっと歩くが、近くの喫茶店で茶話会となった。Fさんは、この新宿から徒歩5分のところに住んでおり、Aさんは北海道の札幌から、Kさんは大阪から、Onさんは栃木からきている。また、Okさんはこの喫茶店の入っているビルに2年ほど勤めていたことがあるそうだ。この地区で、すぐに座ることができる喫茶店を見つけるのは、Okさんがいなかったら、できなかったかもしれない。

 

Img_4011 Fさんが修士の方々の論文を聞いて回る式に、雑談が進んだ。みなさんの話を聴きながら、大学が持つ「論文を書く文化」には特有の法則性があるのではないかと思ったのだ。一つは、好奇心だ。なぜそのテーマがその人の心を捉えたのか。この点を抜かしてしまうと、論文作成作業は砂漠を這いずり回ることになってしまうだろう。二つは、理解する喜びだ。ああそうか、というユーレカ効果がなければ、論文作成は辛いものになるに違いない。三つは、やはり発表の場を共有することだ。大学という場所が存在する意味は、論文発表における共有の場だという点が強いと思うのだ。学位記授与式で、学部学生・修士学生・博士学生の代表の方々がゼミや研究会での発表が最終的に論文作成を支えたと言っていたのが印象に残っている。

 

西新宿から、学生の方々は地下鉄に乗って帰っていった。わたしは少し歩きたくなって、今日の思いを反芻し、かつ冷ましながら、街を眺めたのだ。

 

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。