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2018年2月に作成された投稿

2018/02/08

映画「スリービルボード」を観る

Img_3792 映画「スリー・ビルボード(原題:Three Billboards Outside Ebbing, Missouri)」を観た。現代版の女性ドン・キホーテを描いた映画だと思った。ビルボードというのは、大きな野外広告板のことだ。8ヶ月前に、主人公のミルドレッドの娘がレイプされ焼死させられたという事件が起こる。それから、どうしようもなく捜査が進まず、未解決のままになっていた。そこで、ミルドレッドは当地ミズーリ州エビングの警察署長を非難する広告を3枚掲げたのだった。なんとなく、この発想は風車めがけて突進するドン・キホーテのようなのだ。この事件を発端として、地域特有の深刻なのだがユーモアもある出来事がつぎつぎに起こって来ることになる。

 

最初は娘の殺人事件の解決を目指す推理小説仕立てのストーリーが展開するのだが、警察署長が意外な役回りを演ずることによって、ある時点からコミュニティとは何かというシリアスな社会小説仕立ての物語へと転換するのだった。この転換を見逃すと、結末の曖昧さに腹を立ててしまうことになるだろう。けれども、この転換を理解すると、途端にアメリカ社会のタフなコミュニティの在り方に目を開かれることになる。

 

途中で、ミルドレッドはなぜ病気で死を前にした警察署長に過酷な要求をするのかと聞かれて、この映画の主題がようやくにして、飛び出してくるのだった。この映画の隠された、と言ってもむしろそれが目立つのだが、そのような意図が見える場面が、前半にある。町の人格者とみんなが認める警察署長を攻撃するミルドレッドに対して、神父が忠告に訪れる。ここにコミュニティ・反コミュニティ思想が見え隠れする。

 

なんとその話の比喩は、わたしたちには馴染みがあまりないストリートギャングの話だった。60年代後半以降、アメリカでは信頼性が失われる犯罪社会へ入っていくが、象徴的な動きとして80年代のロサンゼルスで抗争を繰り広げた2大ストリート・ギャングの「クリップス」と「ブラッズ」の犯罪の動きがある。そのヤクザなギャングを取り締まるために新しい法律ができたとミルドレッドは言うのだ。「ギャング組織の一員であれば、仲間が起こした事件の責任があり、自分がまったく関与していなくても罪に問われる」というものだった。なにやら、旧5人組の連座制的な制度を想像させるものだ。

 

ここがミルドレッドのドン・キホーテ的飛躍につながっていくところなのだが、彼女によれば、神父もギャングと変わりがないのだ。もし神父が教会でミサを行なっている間に、別の神父がミサの少年に虐待を加えていれば、ミサを行なっている人格者の神父であろうと、やはり罪に問われると言うのだ。突拍子もない論理の飛躍があるのだが、感性的には、うなづいてしまうのだ。この調子で、神父も追い返し、町の人びとからの批判も跳ね返してしまう。ここには、特有のユーモアと悲しみがついて来る。ここが前半の山場だ。なぜ人格者である署長を貶めてでも、娘の事件を取り上げる意味があるのか、というところだ。風車小屋に槍で突っ込んでいくドン・キホーテの姿が浮かんできたのだ。

 

Img_3796 固まってしまっている状況を動かすには、生きた力が必要なのだ。親しい関係でも断ち切って、二者関係をことごとく壊して行く。それは直感的なのだが、次第に三者関係が少しずつ見えてくるのだ。破壊がかえって良い方向へ向かう場合もあるのだ。このような願望はおそらく映画の中でしか成り立たないというのが現実なのだが、このようなアイディアがありうるかもしれないという記憶を持っているかどうかは、そのコミュニティの性格を決定的なところで左右するに違いないのだ。この意味で、この映画の展開には人びとを惹きつける何かがあるといえる。

 

2018/02/01

半年間の林檎遍歴

Img_2960 去年1年間のりんご遍歴を思い返して見た。りんご遍歴とは言っても、種類はそれほど多くはないのだが、この時期になると、味の記憶をとどめておきたいという欲望が湧くのだ。20170814 先日、シナノスイーツという種類の、「訳あり」リンゴが出ていて、妻が求めてきた。ボケているのではと思われたが、意外に実がしっかりしていて、旬は過ぎているにもかかわらず、美味しかったのだ。

 

20170818 例年、りんご遍歴は8月から始まる。原稿を書くために田舎にこもるのだが、その家の近くにりんご園があって、その枝が重みで落ちてきて、たわわに実った果実が赤くなってくる時期がある。20170830 その頃から、リンゴが手に入るようになるのだ。

 

20170902 早生のりんごという種類があって、まずは農協の野菜市場をのぞくことにしている。ここに小さな農園でとれたような早生リンゴが出てくる。商用のりんごは、やはり10月すぎの最盛期を待たないとなかなか出てこない。実際に樹に果実をつけてから、甘さがついてくるまで、十分な実りを待っているのだ。174730048_unknown それに対して、早生のりんごは8月の最初が勝負で、この時期にお盆を目指して、ちょっとだけ出て、そのあとはさっぱり出てこないのだ。今年は、母の三回忌があったので、そのあとお墓へのお供え用のりんごも必要だった。

 

20170903 まず目立つのは、「祝」だ。青リンゴという感じがして、酸っぱさと新鮮さが取り柄で、この酸味が素敵だ。樹によっては、当たり外れがあるのが、早生リンゴの特徴なのだが、当たりとなるような青リンゴは、もうこれだけで良いと思えるほどだ。177474288_unknown これだこれだと、皮ごとかじってしまう味なのだ。ずっと「祝」が続いて欲しいと思うほどなのだが、この期間は驚くほど短い。1回購入できれば良い方で、例年購入を逃していまうほどなのだ。Img_2988 紅玉と同様に、酸っぱ味系のリンゴは価格は安いのだが、得難い。得難いから、美味しいのだ。もし祝がもっと後の甘いリンゴと混ざって売られていたとしても、これを手に入れたいと思うことだろう。ところが、しばらくすると祝自身の味も変わってきてしまうのだ。

 

Img_8566 次に出たのが「さんさ」だ。これも早生リンゴの一種なのだ。だから、祝の後に出て、これも次に続く楽しみがあるリンゴだ。このようにリンゴの種類は異なるけれども、連鎖を持っているのがリンゴの強みなのかもしれない。リンゴ味のネットワークが人びとの中に定着している。

 

Img_29581 8月から9月になると、近くのK農園に観光客が立ち寄るようになる。津軽、サン津軽などが出てくるのだ。実はこの「サン」がつくのとつかないのと何が違うのか、知らなかったのだ。177474304_unknown 調べればすぐわかることだが、陽に晒すか、袋をかぶせて陽を避けるかの違いらしい。これで早く熟成するのか、遅く熟成するのかが違ってきて、それが味に出てくるのだそうだ。近年、なぜか「サン」のつく津軽がこの辺では多くなってきたような気がするのだ。177474400_unknown わたし個人としては、じっくり型が好みなのだが、ほんの印象でいうならば、やはり長く味が持つような気がしてしまうのだ。

 

9月の後半になってくると、種類も多くなる。今年は2種類の珍しいリンゴに会うことができた。Img_9030 一つは赤い小リンゴだ。農協に早くに出ていたものだ。小リンゴで思い出すのは、米国のリンゴだ。20年ほど前に米国北部のニューハンプシャーをドライブして、街道沿いに真っ黄色い紅葉が連なる中、取材クルーと一緒に快調に走った。Img_8836 途中寄ったドライブインに入ったところに、赤い小リンゴが見事に山積みされていて、見た目にも、また味も素晴らしいものだった。20年経っても、リンゴの印象は変わらない。喉が乾いていたこともあって、この粗野な味は忘れることができない。Img_8817 リンゴは、罪深い人間であることを自覚させた果物として名高いのだが、他方において、自らが動物だったことを思い起こさせ、野生趣を呼び込む果物でもあると思うのだ。177474480_unknown 177737104_unknown Img_2809

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。