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2017/12/31

今年も押し詰まってきた、静かな年の瀬だ

Img_0661 今年も押し詰まってきた。この1年間にとりわけ時間を割いたのは、自分の仕事だが、それ以外のボランティアとして、放送大学の「過半数代表者」という労働活動だ。放送大学のような労働組合のない職場では、職員・労働者の立場を代表して、就業規則改正などに署名する無償奉仕の役職だ。労働基準法に定められている。ただし、今年は労働契約法問題があった。

 

周りの人びとには、なぜそんな歳になって、労働争議などに加わらなければならないのか、と多くの不評と少しの賞賛をかっていたのだ。ふつう、このような労働活動には体力がいるので、若手の「職員・労働者」が大学から指名されて、いやいやながら行うのが相場だ。自ら進んで行う、しかも定年間近な人はいない。

 

なぜ行ったのかといえば、やはり社会科学を学んできて、机の上以外でどのくらいのことができるのか、ということだと思っている。1年間という限定的な活動なので、かなり限られた、威力の少ないものになることは当初から予想されたのだが、限定的な中で、どれほどのことができるのかが勝負だった。相変わらず、自分の人生と社会との関わりを凝視し動かしてみたいという自分の癖が出たのだと思われる。

 

ところがやはり、自分ではそう思っていても、社会に出て行う活動には、どうしても他者の人生を左右してしまうということがあるために、その結果については重い責任を負い、辛く感ずることが多いのも現実であった。ある種の運動だからして、多少の勝ち負けの感覚はあり、戦闘性ということが求められるために、気分の高揚は避けることができなかった。したがって、たとえ勝利があったとしても、それはかなり苦い、繰り返すがさらに苦い苦いものであったと告白せざるをえない。

 

実際の内容については、全「職員・労働者」に向けてのお知らせで述べたので、ここで述べることはないのだが、そのことに関係しない点で、別の苦い敗北感を持った例ならば、ここでも書いても許されるだろう。

 

国会で「退職金諸法案」というのが11月に通った。簡単にいえば、それは退職金のプールが足りなくなってきたので、国家公務員の退職金を直ちに切り下げたいというものだ。放送大学ではこれまでの慣例として、給与や退職金などに関して、国家公務員に準ずる措置が取られることになっていた。放送大学は、「特別な私立大学」なので、この法律に従う義務はないのだが、慣習としてそうなっているらしいのだ。それで、過半数代表者が呼ばれ、ここに署名してくれと求められたのだ。

 

新聞によると、この措置によって、国家公務員の退職金は平均75万円くらい引き下げられることになるのだそうだ。結構な大金が減らされる。つまり、これに署名した途端に、わずか数年後に迫ったわたし自身の退職金が、どんと減らされることになり、そのことにここで署名せよということなのだ。あっという間に目の前で、75万円が消えてしまうという悪夢を見なければならないというのだ。

 

その場では、「なんという巡り合わせなのだ」と呟いてしまったくらいなのだ。慰めてくれているのだろうが、総務課の若手の職員の方は、僕らはもっと将来減らされますよ、というのだが、まだ実感はないだろう。言葉は悪くなるが、負の「宝くじ」に当たったような、「もってけ! 〇〇」という気分だったのだ。

 

おそらく、今までの過半数代表者の方もそうだったと思われるが、放送大学は私立なのだから、慣例とはいえ、これだけ補助金が減ってきていて独立採算の可能性を求められているのだから、そろそろ近い将来には、国家公務員に準じなくても良いと一言書いて置くことも必要になってきている。今後も、人件費削減案が目白押しなので、もう少しの任期になったとはいえ、憂鬱な日々が続くのだ。このように、お金で済む問題ならばまだ良いのだが、そうでないことが起こるともっと苦い日々となる。借りをつくって生きるのが人間の特性なのだということだと諦めなければならないのだろうか。

 

山之口獏の「年越しの詩」をよんで、気分を紛らせた。

 

詩人というその相場が

すぐに貧乏と出てくるのだ

ざんねんながらぼくもぴいぴいなので

その点詩人の資格があるわけで

至るところに借りをつくり

質屋ののれんもくぐったりするのだ

書く詩も借金の詩であったり

詩人としてはまるで

貧乏ものとか借金ものとか

質屋ものとかの専門みたいな

詩人なのだ

ぼくはこんなぼくのことをおもいうかべて

火のない火鉢に手をかざしていたのだが

ことしはこれが

入れじまいだとつぶやきながら

風呂敷包に手をかけると

恥かきじまいだと女房が手伝った

 

Img_0664 大晦日の最後の最後に、英国のサッカーチーム、マンチェスターシティの19連勝の記録のかかっている英国プレミアリーグ「マンチェスターシティ対クリスタルパレス」戦を見ていた。クリスタルパレスが意地を見せた、引き分けの熱戦だった。ところが、試合の終了近くになって、わたしの好きな選手のデブライネ選手が反則にあって、足を負傷し担架で退場してしまった。パスがうまく決まるのがサッカーでは重要な要素だとわたしは思っていて、デブライネはこの直感的なパスのうまい人で、ずっと今年は眺めていたのだが、ざんねんな出来事だった。デブライネには、早く怪我を克服してパス回しの輪に戻って欲しいと切に祈ったのだ。こんなこともあったにもかかわらず、またマンチェスターシティの連勝ストップということでも、選手たちや監督が顔色ひとつ変えないで、試合後相手の監督、選手と激励しあい、互いの肩を叩いていたことにも感動したのだった。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。