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2017/10/15

「静かなる勤勉」を体験してみた

174992416_unknown カーム・インダストリー(静かなる勤勉)という言葉を以前紹介した。職人が理屈を言うことなくひたすら手を動かし働く状態だとされる。言葉では、このように説明されるものの、それではどこがカームのようで、どこがインダストリーなのか、と言われても、実際のところはわからないのだ。174992528_unknown それじゃ、せっかく良い言葉に出会っても使えない。今日1日は、このことに徹してみようと考えたのだ。幸いなことに、多くの仕事はおおよそ終わってしまったので、余裕をもって、この言葉で遊んでみることができるのだ。

 

175255616_unknown そのまえに、昨日にはヒアリングをお願いしていたM氏にテープ起こし原稿を渡したのだが、テントに人があふれるほどに忙しそうだったので、奥様に原稿を渡して、説明を行なっていなかったのだ。それで、雨の中人びとが来ないうちに説明をしようとテントにはいった。M氏は今年小刀でアクセサリーを彫るというワークショップを行なっていた。

 

昨日、F氏が子供の頃、よく小刀で木を刻んでいたという話をしていたので、M氏はどうだったのか、と聞いてみた。すると、そうなのだとおっしゃる。学校から帰ってきて、よく削っていたそうだ。きっかけは、やはり親の影響があるらしい。木を削ったり、縄を編んだりしていた姿をみていたことが大きくなっても出てくるのだ。果ては家の中、公共の施設の柱など、あらゆるものに刃を立てて、怒られることにもなったそうである。こうなると突然ではあるのだが、徒弟制というものはなんとなく二者関係を引きずっているような気がするのだ。

 

175255408_unknown 今日は1日、この「静かなる勤勉」に徹するとして、まずは「削り」だ。鉋に挑戦することにする。ほんとうは道具それ自体が最大の問題であるのだが、そこは疑似体験の域内で済ませようということなので限界のあることは承知の上だ。スプーンをT氏のテントで作ることにする。原型はすでに作られていて、最後の南京鉋(なんきんかんな)による仕上げ工程だけが素人のわたしに残されている。

 

175255472_unknown 最初は誰でも、角度といい、引く力といい、どのくらい削れるのか、どのような手つきで行うのか、まったくわからない。経験とはそういうものだ。まずは失敗してみなければ、次へ進まない。これは机の上での学習とまったく同じで、失敗の中から学んで行く、トライ&エラーの世界が広がっている。失敗を一度で繰り抜けるか、二度で繰り抜けるかで、その人のセンスが見えてくる。

 

南京鉋の場合に、木の逆目に立ててしまって、最初にガリッという音がする段階から、次のガガーにつながり、その感触がスー、サーという段階になれば、一応鉋が走って行る状態に到達するのだ。このガリっという状態に拘泥してしまうと、なかなか初期状態を抜け出すことはできない。職人というのはこの状態を脱する段階にいかに当たり前に到達することができるかの技能を身につけていることかということだ。そもそも職人になったら、ひとりでやっていかなければならないのである。カーム・インダストリー学習は自分で行わなければならないのだ。カーム・インダストリーの特徴のひとつは、ひとりでひとり状態から脱することができるかということだろう。たしかに、これは人に聞いてわかって行くような、ビジーでうるさい状態とは異なるものだといえるだろう。

 

175256624_unknown 削るというのは、刃の当たるところだけしか、ひとまずは関心を持ってはいけない。ところが、削るというのは全体の流れが存在するのだとT氏は言うのだ。全体との調和を図りつつ、削っていかなければ、全体の形が整っていかないのは明らかだ。頭ではこのことはわかっている。けれども、頭で意識していては部分的なところの心配りからだっすることはできないのだ。理屈を考えることなく、全体との調和がもたらせれていかなければ、ならないのだ。

 

出来上がったスプーンをみると、一本だけでは何もわからないことを知ることになる。練習に練習を重ねて、ようやくカームな状態に達することがわかる。勤勉さは結果ではなく、そもそもの最初の経験でのプロセスなのだということがわかった。

 

175255936_unknown_2 二つ目の挑戦は、昨日のF氏のところで、鍋敷きつくりだ。江戸時代の住宅から切り出してきたという、カツラ材を彫ってみることになる。最初に、面を平鉋で整える。そして、のみでひたすら彫って行くのだ。これにはまさに、問題の勤勉さということが要求される。打ち込んでいないと金づちが手につかない、のみが木を捉えてくれないのだ。

 

小学校6年生の男の子が、ひたすらのみを打ち込んでいた。すでに、12歳にして、並々ならない決心をしようとしているかのようだった。現に、お母さんを連れてきて、F氏のところへ通ってきたいというのだ。学習塾よりも、すでに職人を志望していて、15歳になったら、この道に進みたいということだった。ご両親も暖かくそれを容認しているようであり、静かなる勤勉は人をひとつの道へ誘う効力を持っていることを知ったのだ。このクラフトピクニックという催しの良いところは、このような隠れた人生の出会いを自然に用意しているところだと思われる。

 

175256000_unknown いつものように、シェ・モモのM氏のテントで、コンフィチュールつくりに挑戦する。味覚と嗅覚と触覚とを同時に練達へ導いてくれる場所だ。まず、コンフィチュールの素材となるフルーツを選ぶ。175256016_unknown ここで、早くも「静かなる勤勉」が出てくるのだ。バナナとイチジクをまず選んだのだが、M氏はもう一つだというのだ。なぜバナナとイチジクだけではダメなのか。グレープフルーツを二つ追加する。175256128_unknown 酸味が加算され、素人のわたしにも、この選択はよかったと後になって思われるのだ。次に、バナナを二つに切れとM氏は言う、最初に大きめに切ったのだが、それではダメだそうで、小さい方を採用することにする。少し大きめにそれぞれ切って、ホーロー鍋に入れる。175256240_unknown すでに、エキスが出てきて、これだけでも十分に美味しそうだ。測ってみると、見事に目指した180gを1g超過しただけだった。目分量の勘と暗黙知の世界が現れ、それが味の世界と結びつけられるのを見ることになる。スケールで測りつつ、これにグラニュー糖を素材分量の半分ほどを入れる。175256240_unknown_2 これで、少し強火でグツグツと煮るのだ。沸騰が止まらなくなったところで火を止める。すると、もろみが付いてきて、粘り気のある果実液が出来上がるのだ。175256368_unknown これを準備したジャム瓶に入れると、なんと口までぴったりの仕上がりなのだ。見た目にも綺麗で、2日ほどすれば、食べることができるということだった。ちょっと舐めてみたが、なかなか良い味を出していたのだった。

 

175256384_unknown 帰りに、栞日に預けていた、購入した古本を受け取り、グレインノートの奥様へ挨拶して、松本駅へ向かったのだった。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。