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2017/10/14

松本のクラフト・ピクニックへ来ている

174992368_unknown F氏は木の手仕事に徹底的に回帰した木工作家だ。今日行ったヒアリング調査に答えてくださったのだ。歳をとってから改めて、木工ということを行う意味を、問い直そうとしたのだそうだ。F氏がなぜ作品にネジや釘を使わないのだろうかというようなところを、じっくりと聞きたかったのだ。175255648_unknown ここには、あとで言うような手仕事というものの本質的な問題が含まれている。古来からの宮大工などの仕事にあらわれているように、日本文化の中に、じつはネジや釘を使わず、木を生かすことを中心とした文化が存在するのだとおっしゃっる。もちろん、このような直角な物言いを嫌いな人もいて、椅子は座れればよいという方もいて、どちらも成り立っているところが、じつはわたしを魅了する椅子世界の包容力のあるところなのだが。

 

174992576_unknown すこしこの文脈からは離れるかもしれないのだが、ここでなんというのか、社会関係が「手仕事の違い」として出てくるということを考えてしまった。わかりやすい言い方をするならば、なぜか日本文化は「二者関係」として典型的に現れるのに対して、西洋文化はむしろ「三者関係」として現れる場合が多いと言えるのだ。たとえば、日本の木製椅子はほぞ組みで作られている。これに対して西洋では主としてネジで結合されるのだ。ほぞは、ほぞとほぞ穴との「二者関係」でできているのだが、ネジを使う方では結合する側と結合される側の二者関係に加えて中間で結合を受け持つ道具が媒介し、「三者関係」が成立するのだ。175255760_unknown ここで、はたと気づくのだが、手段的というときに、西洋では必ず道具的という言葉がつくのだ。道具的理性とはまさに、このような関係を示しているのだ。西洋では以前からずっと道具とともに人間は存在してきたのだ。それに対して日本では、道具を排除するように、両者の接合が行われるのだ。日本人にとっては、道具的理性はそのものズバリなので、かえってよそよそしいのだ。

 

174992640_unknown ここで、道具というものの考え方が決定的に違っているのではないかと思わせるのだ。「二者関係」が中心の社会では、道具は外側からやってくるものであるのだが、他方道具も当事者のひとつと考えるならば、「三者関係」が成り立ちそして、道具は内在化するものとして考えられることになるのだ。

 

175255856_unknown この考え方のバリエーションは意外に広い。ということを考えながら、話に聞き入ってしまったのだ。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。