« 2017年9月 | トップページ | 2017年11月 »

2017年10月に作成された投稿

2017/10/30

「海の青さに空の青」の沖縄

Img_3401 「海の青さに空の青」というイメージで、沖縄へはいつもは向かう。ところが、今回ばかりは、台風22号の風雨で、この青さには接することができないらしい。そこで、うちの中で楽しむことのできる沖縄料理に徹することに決めた。

 

Img_3412 1日目の夕食は、沖縄に住んでいる友人T氏が東京に住んでいる息子さんS君を一緒に連れて来て、那覇市栄町市場にある沖縄料理の店「パヤオ」にて食事。パヤオとは素敵な名称なのだが、フィリピンでの浮き漁礁のことで、これが海に浮いていると、その下に魚たちが集まって来るのだそうだ。まさに、そのような雰囲気の店だった。

 

Img_3413 T氏とは中学時代から一緒に育って来ていて、結婚も同じ頃にしたし、彼のシンポジュウムに招かれたり、わたしの授業番組に出ていただいたりして、共通の話題がたくさんあり、もちろん食事をするよりも話をしている方が多いのだが、今回は料理も十分に楽しんだのだ。息子のS君は好青年に育っていた。沖縄へ戻って来て、この湿気を吸った、ちょっと気温の高い気候がとても良いと言っていた。そのような感覚が地元出身の人びとの中にはあるのだな、と彼の感想に好ましさを感じたのだった。Img_3414 彼が幼少の頃に、やはりわたしが沖縄に来て、T氏の奥様も一緒に食事をした記憶がある。酒はT氏がボトルキープしていた、那覇の泡盛「瑞泉」を水割りでいただく。結局、彼は最終バスがなくなるまで、一緒に飲んでくれたのだった。

 

Img_3421 じつは、2日目も彼と食事をした。前から気になっていたという店が、やはりホテルの近くの栄町にあって、そこでは山羊料理をイタリア料理として出していた。「ル・ボン・グー」というまさに山羊中心の店だ。ロビンソン・クルーソーが孤島で、家畜を飼っていて、確か山羊だったと思われるが、やはり島には山羊が似合うと思うのだ。断崖絶壁の草を食んでいる構図は、想像するだに、興味がわく。野生のように放牧された、沖縄の山羊はさぞかし美味しいのだろうと来店したのだ。Img_3425 予想に違わず、山羊肉の入ったカルパッチョには山羊の粉チーズまでかかっていて、香りはかなりキツかったのだが、美味しい夕食となった。その後も、山羊尽くしが続いた。この歳になってくると、T氏と互いに、人生の苦しいことも楽しいことも両方あって、それぞれ乗り越えて来たという感慨があるのだ。とついつい、老人の会話が続くのだ。

Img_3428 Img_3427

Img_3430 Img_3433 Img_3435 Img_3416 Img_3403


















3日目には、ようやくにして、本来の仕事である面接授業を1日分だけはたっぷりと行ったのだ。少しでも仕事になって良かったと思ったのだ。そして終了した後、沖縄学習センター所長のT先生と、沖縄料理の代表的な居酒屋で、丸ビルへも支店を出している「うりずん」へ行く。このうりずんという言葉の響きもとても良い。2月から4月の潤いたつ季節を表した言葉だそうだ。ここでも、島らっきょう、チャンプルーなどの沖縄特有の料理を堪能した。T先生がキープしている酒の甕には相当な年季が入っていた。すでに40年あまり、この店に通っているのだそうだ。

Img_3456 Img_3455 Img_3454

 

Img_9101 最後の日には、午前中に仕事を早々に済ませて、午後は国際通りから、牧志公設市場あたりを散策する。まず妻から頼まれていた菓子「サーターアンダギー」を買う。その店は、午前中で完売するほどの人気店のところで、卵黄がそのまま菓子の中核部分の黄色を決定していた。沖縄の母みたいな方が出て来て、おまけだといって、もう一つを紙袋に入れてくださった。それをつまみながら、公設市場の一階の魚屋や肉屋などを見てあるいたのだ。

 

Img_9110 市場の向かいにある店を見ていると、こんなところに古本があるのだという店を見つける。「ウララ」という店で、一間ほどの狭いスペースに下から上までぎっしりと古本・新本を並べている。とくに、注目される店先には、「世界の市場」とか「日本の市場巡り」などの市場本と店主が書いた本が置いてあった。Img_9107 興味を覚えて、奥の書棚を覗いてみると、沖縄出身の「山之口獏」の詩集が置いてあった。フォーク歌手の高田渡が歌っていたことで、わたしは知っている。その高田渡がプロデュースしたCD「獏」が売られていたので、購入した。Img_9122_2 最後に、「生活の柄」という詩が入っていて、沖縄民謡歌手の大工哲弘が歌っていて、高田渡の内地的歌い方に比べて、ウチナンチュー的な歌い方になっている。Img_3481_2 高田渡の歌も悪くはないものの、作った本人よりも本人らしい歌の歌い方というものがあることを理解したのだった。Img_9121 ベターっと大地に寄り添うような、湿気たっぷりのウチナー的情緒いっぱいの歌に変わっている。

 

Img_9156 昼食は、市場の近くを歩いていて見つけたのだが、並木の素敵な壺屋町の自然食店「Mana」で、自然食の日替わりプレートを食べる。当然のように、女性たちが時間になるとわっと入って来た。Img_9139 美味しさを楽しむというよりは、自然さを楽しむという食事だった。身体の中がすっとして行くような感覚がある。そのあとは珈琲だ。向かいの喫茶店「Mahou Coffee」にて、アメリカン風味のコーヒー。すっきりとした苦味系の味だ。Img_9140 この近辺には、ギャラリーや雑貨屋やDIYの店が多く、以前紹介した絵本「きょうはパーティのひ」を店先に並べている絵本屋さんもあって、1日を十分に過ごせそうな街だ。つまりは辺境の街なのだ。

Img_9158

Img_9147_2

Img_9130

ここを右に曲がり、もう一度右に曲がり、さらに、小高い希望ヶ丘公園と、ハイアットリージェンシーホテルに挟まれた急な坂道を登って行くと、両側に不思議な飲み屋さんやブティックが並んでいて、そして行き着く先に目指す「桜坂劇場」という名画座、カフェ、カルチャセンターのビルに当たる。Img_9134

Img_9137

出張先で映画を、という習慣を忠実に実行すべく、東京で見逃していた映画「ギミー・デンジャー」を見る。映画「パターソン」が同時に公開されたので、こちらの映画はスルーしていたのだ。ロック歌手ギミー・ポップをジム・ジャームッシュ監督がドキュメンタリーで描いた作品だ。Img_9168 60年代から今日に至る、ロックの「危険」性を扱っているのだが、このように社会の中で相対化されると、ちっとも危険ではなかったといえる。ロック歌手の常道で、人気が出て、薬に溺れ、心と健康と家族が崩壊するのだが、ギミーの場合には、このあと復活するのだ。当時はこのような状況が見えなかったので、みんながギミーの方向性を危険だと考えていたのだが、時代が変われば、「危険」という考え方もかなり変わるということだ。

 

Img_9100 最後に、駅のコーヒースタンドで、「35」珈琲を購入し、飲みながら沖縄での生活を反省する。パンフレットによると、この珈琲は風化した骨格珊瑚を利用したサンゴ熱で焙煎されているらしい。Img_9198 カルシュウムの乾いた感触を思わせる、これもさっぱりした苦味系の味だ。沖縄から珊瑚を持ち出すことが県の漁業法で禁止されているので、地域特化のコーヒーといえる。現地でしか、生産が許されないのだ。そして、この代金の3.5%が珊瑚礁再生・保護に寄付されているということだ。フェアトレード的手法だと思う。「何気ない1杯のコーヒーで沖縄の海にサンゴが増える」というキャッチコピーは泣かせる。これはアイディアだ。

2017/10/29

2日目だけの沖縄の面接授業

Img_3445 昨日吹き荒れた「台風22号」は北上したために、まだ雨は残っているが、風は止んでいた。沖縄の人びとは多少の雨では傘はささない。また、暴風雨になると、傘をさしても役立たない。結局、傘はささないのだ。そんな小雨の中、ネットで検索した時刻に合わせ、琉大行きのバスに乗るために、早めにバス停へ行く。Img_3446 ところが、停留所には、張り紙があって、数日前にダイヤ改正が行われたというのだ。確かめると、5分前にバスは通り過ぎていた。日曜日なので、朝にもかかわらず、30分に1本しかない。万事休す。

 

Img_3447 と思って、顔を上げると、97番琉大と書いたバスがすっと現れたのだ。この世に神様がいるのではないか、と感じる一瞬だ。ステップを踏んで、腰掛けてもまだ信じられない。バスなので、5分くらいは遅れて当たり前なのだが。じわじわと湧いてくる、日常のラッキーを反芻するのだった。

 

Img_3450 琉大の構内には、低層の広葉樹が並木を形成している。風で飛ばされた小枝や葉っぱが歩道を埋めている。置き場の自転車が乱雑に横転している。10数年前にも来たことのある琉大図書館へ行く。入り口で部外者用書類へ記入して、閲覧者カードをもらう。Img_3451 調べたい図書のレファレンスを受けようとすると、わたしたちは日曜日のアルバイトなので、とやんわりと断られた。けれども、図書館は改装されていて、図書の配列はわかりやすく、書庫に入ってからも、目指す雑誌にすぐ到達できた。書庫には、このような閲覧用の椅子が置いてあって、書庫でちょっと本を読んだり仕事がしやすかったりするようになっている。難なく、コピーをとって、一仕事終わった気になった。

 

Img_3453 学習センターへ着くと、事務長さんとSさんが教務の応対をしてくださった。問題は、行うことができなかった昨日の補講をいつ行うのか、という点だ。結局、出席している学生の方々と相談して、全員が再会できる日を探ることになった。つまりは、11月、あるいは12月にもう一度沖縄へ来ることがほぼ確実になったのだ。教室でこの協議を行ってみると、まずわたしの都合の良い日は、ほぼ誰かが都合が悪く、完全に全員が一致する日は、1月の成績提出までの間には存在しないことがわかったのだ。Img_3452 困ったな、と言っていると、1人の学生が遅刻を認めてもらえるならば、一日を譲ってくれるということになって、ようやく全員参加の一日を作り出すことができたのだ。このような日程調整の困難さは、社会人大学の宿命だ。その予定日は、前日に東京文京学習センターで大学院ゼミを終えてから、羽田から那覇へ飛んで、次の朝を目指すという、猛烈サラリーマン並みの忙しさを味わうことなる。

 

Img_3448 今回の面接授業のテーマはこれまで3年ほど続けて来たが、「椅子の社会経済学」というテーマは今回が最後だ。いつものように、最初に自己紹介を兼ねて、受講生の方々の椅子体験を語ってもらう。聞いていて、定番となっているのは、小学校の椅子なのだが、木製派とパイプ派に別れる。戦後すぐの方々は木製派が多く、少し後になって来ると「パイプに合板」派が多くなるのだ。現在はほぼ「パイプに合板」をビスで止めた椅子が体勢を占めている。やはり、小学校時代からの記憶で、座板などの要所では「木」という素材は外せない。全部が金属とプラスチックになるには、時代の変化が必要だろう。

 

Img_9085 今回の話の中で、今までになかったのは、籐の椅子だ。柔らかなイメージと曲線・曲木に優れた素材だ。部屋の雰囲気が、この籐の素材によって、かなり決定されるほどに、強烈な印象を残す椅子だ。この椅子に、電灯のシェード、そして衝立も籐で揃えれば、立派なアジアン趣味の部屋になるだろう。沖縄のように、風が吹き抜けて行く部屋に似合いそうだと思ったのだ。

 

2017/10/26

育ててもらった場所が失くなってしまうこと

世の中には、思いも寄らず、そこに属している間に育ててもらえる場所というものがあるのだ。生まれてから、長らく家庭がそうだったし、妻との現在の家庭もそうであることは間違いないのだが、働くようになって、社会へ出るようになり、いくつかの場所を見つけていったと、今になって思うのだ。その一つが「財団法人家計経済研究所」だった。設立時の常任理事だったM氏が呼んでくださって、研究員になった。週に1、2回出れば良いということで、厚遇してくださった。

 

この研究所で書いた論文で、機関紙『家計経済研究』の創刊号に載せていただいた「家計原理と家族」は、その後のわたしの研究方向を決定的に左右するものだった。大学院までの研究を清算して、新たな一歩を踏み出したと自覚したものだった。現在でも、この時の問題意識を大事にしている。この意識は、1日や2日で育つものではなく、若い時といっても当時すでに30代になっていたのだが、経済的にも以前と比べれば恵まれて、放送大学での仕事もあってかなり忙しかったけれども、自分の研究にじっくりと取り組める心の余裕が、この場所に所属していることで培われたと今でも思っている。この論文は、とくに常任理事をはじめ、なぜか監事の方々にも、パーティの場などで褒めていただいたことも覚えている。

 

昨日、厚紙の立派な案内状がこの家計経済研究所から送られて来た。今年の12月5日をもって、31年間続いた家計研究の場を解散することになったそうだ。パネル調査など研究活動と4名の研究員の方がたについては、慶應大学が引き継ぎ、懐かしい「家計経済研究」雑誌などについてもN先生(日本女子大)が引き取ることになって、活動そのものは当分維持されるようだが、やはり場所、研究の拠点という具体的な場を失うことの影響は大きいと思える。研究員のK氏へ直ちに電話をかけたのだった。

 

論文や書評を書かせていただいた他に思い出深いのは、お茶の水大学の故M先生たちとの研究会の思い出だ。夕方になって、研究所が閉じる頃を目指して、若手の研究者たちが集まって来て、家計研究について議論を戦わせた。研究所はかなり鷹揚で、研究会のスポンサーになってくださったばかりか、この都内の一等地で議論の場所を提供してくださったのだ。現在、放送大学でゼミのために場所を大学以外の場所で借りようとすると、かなり高額な請求が来ることを考えれば、たとえ当時時間外の使用であったとしても、交通の便の良い(当時は文藝春秋社近くの麹町にビルがあったのだ)部屋を提供してくださったことは、今になって考えれば有難いことであったのだ。Img_3482 現在でも、この時対立した時の議論の夢を見るほどなのだ。議論が対立する中で、わたしは育てられていったのだと自分では考えている。

2017/10/23

台風の影響が心配なのだが、Tupera Tupera展を観に行く

Img_3337 横須賀美術館へ、Tupera Tupera展を観に行く。昨日の台風21号が日本を縦断して、近くの弘明寺公園には、樹々、葉っぱ、どんぐりの実などが所狭しと地面に散乱していた。Img_3323 午前中には、印刷教材の執筆と研究誌「社会経営研究」と「社会経営ジャーナル」の印刷を行なっていた。それで、理由はいくつかあるのだが、なぜか頭が詰まってしまっていたのだ。それを観た妻が、先週から行きそびれていた、この展覧会を勧めたのだった。

 

Img_3387_2 Tupera Tuperaとは、若手の絵本作家(だけではなく、多才能のデザイナー)亀川達矢氏と中川敦子氏の二人のユニットだ。展覧会の最後の方に、なぜ絵本を始めたのかという説明のコーナーがあって、当初は布の切り絵の画家だったそうだ。これにストーリーが付き始めて、絵本になったのだそうだ。じつは、見ていて、この初期のものに興味を思えたのだ。ストーリーよりも、形・色・素材などの楽しさに満ちている。言葉よりもモノの直感的な世界を重視しているように思えたのだ。

 

Img_3345 けれども、通常のモノの直感だけとは異なるところがあるようだ。絶えず、二つ以上のものの組み合わせで、制作を行なっているという特徴がある。たとえば、絵本の一つとなった、「しましまじま」は典型例だ。一本の筋だけではなく、色の異なる他の筋が数本組み合わさってリズムを作っている。Img_3388 ストライプと一言で言ってしまえば簡単なのだが、このストライプが島の人びとのあらゆるところに出現するのだ。まず、島全体がストライプだから、一本の線と2本目の線とは調和が必要になってくる。ということで、島に存在するもの全てが、一本では決まらないのだ。二色以上でデザインされるという意味がここにある。一つの考え方だけでは決定できないのがストライプの思想だ。

 

Img_3364 ふつうは、1人のデザイナーが二本のストライプの配色を調和させていくに違いないのだが、もしこの基礎的な段階から、2人のデザイナーが話し合いで配色を考えていたとしたら、どうなるだろうか。おそらく、意図するところはこのようなところではないかと思われる。Img_3334_2 あえて、2人に仕事を分けてみると、そこの見えてくることがあるのだ。縞模様自体が共同性を内包していると、Tupera Tuperaを見ていると思うのだった。ストーリーで共同性を描くのではなく、形・色・素材などで共同性を描いている。

 

Img_3348 結局のところ、この展覧会を見ていて、考えたのは「好奇心」という、絵本の世界の重要な要素だ。好奇心はどのようなときに浮かぶものなのだろうか。展覧会では、亀川氏が「思いつく」好奇心派を担当して、中川氏が思いついたことを「面白いと感じる」好奇心派を担当していた。Img_3360 会場には、ビデオが映写されていたのだが、制作のときに2人は、横に並んで机に対している。そして、2人の間にある画用紙に、まず亀川氏が思いついた、切り抜きの素材を置く。すると、その思いつきに反応して、次の切り抜きの素材が中川氏によって、画用紙に置かれるのだ。この対話的方法によって、作品が作られていく。

 

Img_3349 何か思いつくということは、最初の出発としてはたいへん重要な要素であることは間違いないのだが、じつはそれに連なる次の面白さが続かないと、作品は一方的な作者の独りよがりに陥ってしまう。だから、特に注目したのが、中川氏の役割だ。好奇心には、イニシャルなものだけでなく、作者の思いつきに対して、次の共感を準備することがとりわけ重要な好奇心となるのだ。以前、同僚の心理学者O先生と電車で一緒になったときに雑談した。Img_3352 やはり、心理臨床のあり方として、共感ということを多様に準備する(言葉は多少違っていたような気がする)必要があり、それが臨床の訓練ともなるという話を聞いたことを思い出した。好奇心の発揮には、単に思いつきの尊重だけでなく、思いつきへの共感が必要であることを、Tupera Tuperaの作品を見ながら想像したのだった。

 

Img_3372 いつものように、椰子の樹が並ぶ海岸通を、強い風にもかかわらず、満たされた気分でバスに揺られたのだった。Img_3375

 

2017/10/21

ウィンザーチェア展を観る

Img_3322 今年の卒業研究が追い込みに入っている。全員の参加者が下書きを届けてきた。卒業研究では、手いっぱいに広げていた知識は、いずれは妥当なところまで縮小して、無理のないところまで切り下げなければならないだろう。でも、無理したところは無理した過程で、そのぶんだけ苦労したので、なかなか捨ててしまうわけにはいかなくなっている方もいる。けれども、あえてこのようなところは、そのまま出すのではなく、すっぱりと切り、削る覚悟が必要なのであろうとあえて申し上げておきたい。カンナで仕上げを行うごとくに、最後は手触りの良いように、論文についてもそのような状態まで持っていきたいものである。

 

Img_3274 夏に長野市で開かれていた「ウィンザーチェア展」が東京に回ってきていた。長野市へ行きそびれてしまっていたのだ。現在は、この展覧会が駒場の日本民藝館で開かれている。Img_3267 井の頭線で先頭車両に乗って、改札を出てすぐの駅前の蕎麦屋「満留賀」で久しぶりのケンチンうどんを食べる。洒落た街並みが続く住宅地の中を日本民藝館へ向かう。

 

Img_3393 4分の1ほどの展示物は、松本民藝生活館からの出品だったので、すでにみたり触ったり、座ったりしたものが多かったのだが、椅子の場合には、やはり個人蔵というのが見逃せないのだ。なかなか個人蔵になってしまうと、見ることが難しくなるので、このような機会は得がたいのだ。どのような座り方をしたら、このようになるのか、そのことを想像するだけでも、展覧会を楽しむことができる。

 

Img_3394 修理の形跡などは、とりわけじっくりと見させてもらった。どうしても、木製製品では年季が立つと、もっとも弱点のところに無理が出る。ウインザーチェアの場合には、まずは「貫」部分だ。脚に来るのは、人間と同じで、椅子を斜めにして座ったり、負担がかからないと思われているところに、必要以上の力を加えてしまったりということが、故障の原因となっている。もう一つは、木という素材の問題だ。数百年経ったときにどのようになるのか、たいへん興味を覚えるところだ。

 

Img_3392 二つの椅子に注目した。一つは、他の椅子からあり合わせの貫を持ってきて、自分のウィンザーチェアの補強に使っているものだ。この場合、本来であれば、部品を持ってきてしまう、そちらの椅子も修理に出さなければならないのだろうが、それはかなり融通性の効く「貫」の採用を行っていたのだった。それも、職人に任せれば、もっと上手く修理するだろうが、いかにも素人が行なったと直ちにわかるような形跡が残っているのだ。これも難しいところだ。自分で直したくなるほどに、愛着を持っていたのだろうか。

 

Img_3391 もう一つは座面の板の歪みだ。この椅子を眺めれば眺めるほど、この歪みが「自然」のものに見えて来るのだ。実際、自然の成せる技なのだ。歪んでいても、座っても大丈夫そうだ。むしろ、お尻の曲がった人や、曲がって座る人には、むしろ座りやすい椅子なのだと言えるかもしれない。この持ち主は、おそらくあまりに少しずつ変わっていったであろうから、この歪みを意識したことはなかったのではないかと思われる。歪みが輝きを持って、存在する椅子だと言えよう。この歪みがあったからこそ、持ち主の愛着を勝ち得たのではないかとさえ、思ってしまうほどなのだ。

 

Img_3282 民藝館の向かいの屋敷が、柳宗悦の邸宅だ。くぐり戸を入って、廊下を経て、階段を登る。小さな部屋がたくさんある。おそらく、客人たちを泊めるために、多くの部屋を作ったに相違ないだろう。真ん中に、書斎があった。壁は本で埋められているのだが、目立つのは、机と椅子だ。

 

2017 注目したのは、異形な動物の顔の彫刻が前脚から肘木にかけて刻まれている、大きな椅子の方だ。晩年、机に向かうことができなくなったときには、この頑丈そうな肘木に板が渡されて、そこで書き物が行われていたらしい。Img_3320 なんとなく、民藝に似合わないと感じたのは、椅子に取り付けられていた金属製のキャスターだ。床にくっきりとキャスターで傷つけた跡が認められた。そういえば、京都の河井寛次郎も書斎でキャスター付きの椅子を使っていたのを思い出したのだ。けれども、河井の方は、木製のユニークなキャスターだったのだが。

 

Img_3270 この椅子は、どこで作られたものだろうか。野生動物の彫刻の模様を見ていると、日本でもないし、欧米でもないことがわかる。それで、係りの方に聞くと、アフリカではないかという方もいらっしゃるとか。Img_3291 答えに慣れているところから、この部屋に入って来る一定比率の客で、この椅子はどこで作られたものですか、と聞く人びとがいるということだろう。

 

Img_3295 雨はなかなか止みそうにない。渋谷へそのまま出ずに、途中の神泉駅で降り、Bunkamuraシネマで上映されている、映画「ル・コルビュジエとアイリーン」をみる。アイリーンはデザイナーとして有名で、コルビュジエの一つの系統の椅子のデザインも行なっている。今回の映画は、「E.1027」邸を巡る問題を扱ったものだったが、シャルロット・ペリアン同様に、当時の著作権問題はかなりゆるく、後で問題となって来るのだとわかる映画なのだ。Img_3314 考えてみれば、使っている人には使用権が存在しており、あまりにその対象作品に愛着があるならば、著作権の一部をその使用者が持ったとしても、法律的にはありえないとしても、現実の世界ではありえてしまうような気になって来るのだから、不思議なのだ。

Img_3293

Img_3306 アイリーンのデザインした椅子とサイドテーブルが映画館の入り口に置かれていて、観客たちは座って、写真に収まっていたのだ。

2017/10/15

「静かなる勤勉」を体験してみた

174992416_unknown カーム・インダストリー(静かなる勤勉)という言葉を以前紹介した。職人が理屈を言うことなくひたすら手を動かし働く状態だとされる。言葉では、このように説明されるものの、それではどこがカームのようで、どこがインダストリーなのか、と言われても、実際のところはわからないのだ。174992528_unknown それじゃ、せっかく良い言葉に出会っても使えない。今日1日は、このことに徹してみようと考えたのだ。幸いなことに、多くの仕事はおおよそ終わってしまったので、余裕をもって、この言葉で遊んでみることができるのだ。

 

175255616_unknown そのまえに、昨日にはヒアリングをお願いしていたM氏にテープ起こし原稿を渡したのだが、テントに人があふれるほどに忙しそうだったので、奥様に原稿を渡して、説明を行なっていなかったのだ。それで、雨の中人びとが来ないうちに説明をしようとテントにはいった。M氏は今年小刀でアクセサリーを彫るというワークショップを行なっていた。

 

昨日、F氏が子供の頃、よく小刀で木を刻んでいたという話をしていたので、M氏はどうだったのか、と聞いてみた。すると、そうなのだとおっしゃる。学校から帰ってきて、よく削っていたそうだ。きっかけは、やはり親の影響があるらしい。木を削ったり、縄を編んだりしていた姿をみていたことが大きくなっても出てくるのだ。果ては家の中、公共の施設の柱など、あらゆるものに刃を立てて、怒られることにもなったそうである。こうなると突然ではあるのだが、徒弟制というものはなんとなく二者関係を引きずっているような気がするのだ。

 

175255408_unknown 今日は1日、この「静かなる勤勉」に徹するとして、まずは「削り」だ。鉋に挑戦することにする。ほんとうは道具それ自体が最大の問題であるのだが、そこは疑似体験の域内で済ませようということなので限界のあることは承知の上だ。スプーンをT氏のテントで作ることにする。原型はすでに作られていて、最後の南京鉋(なんきんかんな)による仕上げ工程だけが素人のわたしに残されている。

 

175255472_unknown 最初は誰でも、角度といい、引く力といい、どのくらい削れるのか、どのような手つきで行うのか、まったくわからない。経験とはそういうものだ。まずは失敗してみなければ、次へ進まない。これは机の上での学習とまったく同じで、失敗の中から学んで行く、トライ&エラーの世界が広がっている。失敗を一度で繰り抜けるか、二度で繰り抜けるかで、その人のセンスが見えてくる。

 

南京鉋の場合に、木の逆目に立ててしまって、最初にガリッという音がする段階から、次のガガーにつながり、その感触がスー、サーという段階になれば、一応鉋が走って行る状態に到達するのだ。このガリっという状態に拘泥してしまうと、なかなか初期状態を抜け出すことはできない。職人というのはこの状態を脱する段階にいかに当たり前に到達することができるかの技能を身につけていることかということだ。そもそも職人になったら、ひとりでやっていかなければならないのである。カーム・インダストリー学習は自分で行わなければならないのだ。カーム・インダストリーの特徴のひとつは、ひとりでひとり状態から脱することができるかということだろう。たしかに、これは人に聞いてわかって行くような、ビジーでうるさい状態とは異なるものだといえるだろう。

 

175256624_unknown 削るというのは、刃の当たるところだけしか、ひとまずは関心を持ってはいけない。ところが、削るというのは全体の流れが存在するのだとT氏は言うのだ。全体との調和を図りつつ、削っていかなければ、全体の形が整っていかないのは明らかだ。頭ではこのことはわかっている。けれども、頭で意識していては部分的なところの心配りからだっすることはできないのだ。理屈を考えることなく、全体との調和がもたらせれていかなければ、ならないのだ。

 

出来上がったスプーンをみると、一本だけでは何もわからないことを知ることになる。練習に練習を重ねて、ようやくカームな状態に達することがわかる。勤勉さは結果ではなく、そもそもの最初の経験でのプロセスなのだということがわかった。

 

175255936_unknown_2 二つ目の挑戦は、昨日のF氏のところで、鍋敷きつくりだ。江戸時代の住宅から切り出してきたという、カツラ材を彫ってみることになる。最初に、面を平鉋で整える。そして、のみでひたすら彫って行くのだ。これにはまさに、問題の勤勉さということが要求される。打ち込んでいないと金づちが手につかない、のみが木を捉えてくれないのだ。

 

小学校6年生の男の子が、ひたすらのみを打ち込んでいた。すでに、12歳にして、並々ならない決心をしようとしているかのようだった。現に、お母さんを連れてきて、F氏のところへ通ってきたいというのだ。学習塾よりも、すでに職人を志望していて、15歳になったら、この道に進みたいということだった。ご両親も暖かくそれを容認しているようであり、静かなる勤勉は人をひとつの道へ誘う効力を持っていることを知ったのだ。このクラフトピクニックという催しの良いところは、このような隠れた人生の出会いを自然に用意しているところだと思われる。

 

175256000_unknown いつものように、シェ・モモのM氏のテントで、コンフィチュールつくりに挑戦する。味覚と嗅覚と触覚とを同時に練達へ導いてくれる場所だ。まず、コンフィチュールの素材となるフルーツを選ぶ。175256016_unknown ここで、早くも「静かなる勤勉」が出てくるのだ。バナナとイチジクをまず選んだのだが、M氏はもう一つだというのだ。なぜバナナとイチジクだけではダメなのか。グレープフルーツを二つ追加する。175256128_unknown 酸味が加算され、素人のわたしにも、この選択はよかったと後になって思われるのだ。次に、バナナを二つに切れとM氏は言う、最初に大きめに切ったのだが、それではダメだそうで、小さい方を採用することにする。少し大きめにそれぞれ切って、ホーロー鍋に入れる。175256240_unknown すでに、エキスが出てきて、これだけでも十分に美味しそうだ。測ってみると、見事に目指した180gを1g超過しただけだった。目分量の勘と暗黙知の世界が現れ、それが味の世界と結びつけられるのを見ることになる。スケールで測りつつ、これにグラニュー糖を素材分量の半分ほどを入れる。175256240_unknown_2 これで、少し強火でグツグツと煮るのだ。沸騰が止まらなくなったところで火を止める。すると、もろみが付いてきて、粘り気のある果実液が出来上がるのだ。175256368_unknown これを準備したジャム瓶に入れると、なんと口までぴったりの仕上がりなのだ。見た目にも綺麗で、2日ほどすれば、食べることができるということだった。ちょっと舐めてみたが、なかなか良い味を出していたのだった。

 

175256384_unknown 帰りに、栞日に預けていた、購入した古本を受け取り、グレインノートの奥様へ挨拶して、松本駅へ向かったのだった。

2017/10/14

松本のクラフト・ピクニックへ来ている

174992368_unknown F氏は木の手仕事に徹底的に回帰した木工作家だ。今日行ったヒアリング調査に答えてくださったのだ。歳をとってから改めて、木工ということを行う意味を、問い直そうとしたのだそうだ。F氏がなぜ作品にネジや釘を使わないのだろうかというようなところを、じっくりと聞きたかったのだ。175255648_unknown ここには、あとで言うような手仕事というものの本質的な問題が含まれている。古来からの宮大工などの仕事にあらわれているように、日本文化の中に、じつはネジや釘を使わず、木を生かすことを中心とした文化が存在するのだとおっしゃっる。もちろん、このような直角な物言いを嫌いな人もいて、椅子は座れればよいという方もいて、どちらも成り立っているところが、じつはわたしを魅了する椅子世界の包容力のあるところなのだが。

 

174992576_unknown すこしこの文脈からは離れるかもしれないのだが、ここでなんというのか、社会関係が「手仕事の違い」として出てくるということを考えてしまった。わかりやすい言い方をするならば、なぜか日本文化は「二者関係」として典型的に現れるのに対して、西洋文化はむしろ「三者関係」として現れる場合が多いと言えるのだ。たとえば、日本の木製椅子はほぞ組みで作られている。これに対して西洋では主としてネジで結合されるのだ。ほぞは、ほぞとほぞ穴との「二者関係」でできているのだが、ネジを使う方では結合する側と結合される側の二者関係に加えて中間で結合を受け持つ道具が媒介し、「三者関係」が成立するのだ。175255760_unknown ここで、はたと気づくのだが、手段的というときに、西洋では必ず道具的という言葉がつくのだ。道具的理性とはまさに、このような関係を示しているのだ。西洋では以前からずっと道具とともに人間は存在してきたのだ。それに対して日本では、道具を排除するように、両者の接合が行われるのだ。日本人にとっては、道具的理性はそのものズバリなので、かえってよそよそしいのだ。

 

174992640_unknown ここで、道具というものの考え方が決定的に違っているのではないかと思わせるのだ。「二者関係」が中心の社会では、道具は外側からやってくるものであるのだが、他方道具も当事者のひとつと考えるならば、「三者関係」が成り立ちそして、道具は内在化するものとして考えられることになるのだ。

 

175255856_unknown この考え方のバリエーションは意外に広い。ということを考えながら、話に聞き入ってしまったのだ。

2017/10/12

フィンランド・デザイン展を府中市美術館で観る

Img_3143 「フィンランド・デザイン」のシンプルさを楽しんだ展覧会だった。けれども、ただのシンプルさではないところが観られたし、面白い考え方に満ちていた。来て良かったと思わせる展示だったのだ。Img_3147

 

Img_3088 久しぶりに、府中へでた。駅全体が京王のショピングセンターみたいになっている。府中美術館へいくバスがどこにあるのか、さっぱりわからない。駅員に聞くと、下へ降りて、スターバックスの前だというのだ。Img_3146 つまり、駅全体が二階に浮いていて、下の1階がバス乗り場になっているのだが、どこから降りれば良いのかが初めての人にはなかなかわからないという駅の構造なのだ。「ちゅうバス」という、マイクロバスが市内を循環していて便利だ。百円で乗れるのは良いとしても、乗り場がわかりにくいのが、玉に瑕だ。

 

Img_3153 府中市を歩くと、昔から並木道が本街道の脇道に発達して居て、緑の多い街だという印象がある。ちょっとした並木が年を経て、このようなこんもりとした森と化している。しかも材木屋さんが途中にあったりして、たくさんの輸入木材がこんこんと眠らされていた。その延長線上の森の公園の中に、府中市美術館がある。Img_3151

 

フィンランド・デザインと言われても、いろいろな素材のデザインがあるのだから、焦点を作るのが大変だったろうが、「シンプル」という共通点を前面に出していて、まとまりのある展覧会になっていた。Img_3092 とくに、展示の最初の部屋の最初の展示が、1870年に作られた薄い土色の、薄手のカップ&ソーサーで、モダンで機能的ながらも、フィンランド的な複雑性を含んでいて、素敵ですごい。展示会の最初の印象が大切であることを教えている。画像がないのが残念なぐらいだ。

 

Photo わたしの今回の目的は、何と言っても、Artekのアルヴァ・アアルトの椅子だ。会場の写真は禁止されていたので、HK氏がネットに載せている写真を引用することにしよう。10脚あまりの椅子と、設計イラスト図面などの全体を見ることができた。とりわけ、その傍に掲げられて居たレリーフ作品がアアルトの基本的な考え方を表していて興味深かった。「成形合板」という、これもモダンで機能的な素材の中枢にある考え方の中に、アアルトだけは機能だけでなく、フィンランド的な「美」を持っていたことがわかる。Photo_2 スライスした薄板は無機的な素材なのだが、それを無限に変化する合板に成形することで有機的な「美」となるのだ。そしてさらに、ここには、薄板をさらに細いひも状の板にして、それを捻って、椅子の脚にまで仕上げる手法があり、観ていて泣けてくるほどだ。シンプルでありつつ、過剰なのだ。近代主義のシンプルさが、近代以後のシンプルさの多様へ転換する瞬間の一つがここにある。

 

Img_3106 アアルトの典型例は、スツール60にも表れている。美術館では、「名作椅子に座ろう」というので、アアルトやイルマリ・タピオヴァーラなどの椅子が入り口ホールに並べられていて、自由に座ることができる。椅子は視覚で味わうのではなく、やはりお尻からの触感を味わうものなのだ。スツール60は、最もたくさん用意されていて、このスタッキングできる多さが特色だ。なぜかといえば、椅子の多さの中で、色彩の多様性を座面の変化で味わうことができるのだ。これを眺めていて、アアルトのシンプルさの秘密がようやくにしてわかってきたのだった。Img_3093 単純なシンプルさではなく、「多様なシンプルさ」をアアルトは追究していたのだと思ったのだった。シンプルなのだが、多様性に特色があるのが、アアルトの椅子たちだ。


スツール60は部品がわずか4つである。座面が一つと、脚が3本だけなのだ。この大量生産を可能にした部品の少なさが、シンプルを表現している。Photo_3 けれども、壁面にスツール60のバリエーションが並べられていたが、木という素材の多様性、座面の色の多様性など、シンプルではあるが、多様でもあるのだ。「多様な単純」とよべるような状況がアアルトの椅子には観られるのだ。

 

Img_3100 展覧会の効用は、今まで知らなかったものを発見するところにある。イルマリ・タピオヴァーラが寄宿生たちのために作ったといわれる「ドムスチェア」が、それだ。まず、座面の位置が高く、46センチに作られている。通常は高くても43センチで、わたしの特注の椅子でも45センチだ。いかに高いかがわかる。勉強椅子では、脚の高さが時間が経つに連れて効いてくるのだ。46センチは良い線だ。それから、何と言っても、座面のこのRだ。この前へ行くほどに傾斜した独特のラインが勉強の前傾姿勢では良いのだ。数ヶ月前に女性の椅子作家の方を紹介したが、このR面はその系統にあると思われる。Img_3136 最後に、後脚の独特の形が特色になっている。アームを半分にして、そのアームを前で支えて、後ろへ傾斜を伸ばしている。この後脚からアーム、そして背板にかけての連続した部分は、前傾姿勢の後ろを支える装置になる。ちょっと勉強に疲れた時に、この装置が役立つ。シンプルかつ優美な形をしていると思う。昨年、デザイナーのM氏が宣伝して、特注のドムスチェアがロット生産され販売された。その時のポスター・カレンダーが評判になったのだ。Img_3139 ドムスチェアの欠点は、結合部分でかなりビス留めが使われているところだが、それをも多様性の一端にしてしまうほどのデザインだとも言えるところが、また強みなのだ。

 

Img_3148 隣接する喫茶店「Café Longtenos」で、ソフトクリームを食べ、今日座った椅子たちを省みて、再び楽しんでしまった。しかし、帰り道が遠いのだ。Img_3141 Img_3103 Img_3140 Img_3134 Img_3115 Img_3114 Img_3104 Img_3127 Img_3125 Img_3118 Img_3149

« 2017年9月 | トップページ | 2017年11月 »

『貨幣・勤労・代理人』(経済文明論)

  • “「貨幣・勤労・代理人」"

社会経営研究配布中

  • 2015study

社会経営ジャーナル配布中

  • 2015journal

開いている講義    「社会的協力論」

  • cooperation

「音を追究する」第13回・第14回

  • art

「多様なキャリアを考える」第2回・第3回・第4回

  • cooperation

「グローバル化と私たちの社会」第11回

  • cooperation
2017年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
無料ブログはココログ

Recommend

プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。