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2017年7月に作成された投稿

2017/07/26

海の多様性について

Img_7935 雨が降ってきて、冷たい日だ。亘理町のイチゴ農家M氏から、冷夏でイチゴの苗が育たないし、畑のぬかるみに足が取られるという知らせが届いた。メールの件名も、「寒さの夏はおろおろ歩き」となっていた。

 

Img_7927 わたしも午前中仕事をしていたのだが、手足が冷えてままならないのだ。妻の提案で、横須賀美術館に行くことにする。このような日ならば、展覧会もレストランも空いているだろうということだ。Img_7948 決めてしまえば、1時間で着くのだ。観る方が主なのか、食べる方が主なのかは、問わないことにする。途中、ヤシの木が雨に濡れて綺麗だ。バスに乗って、馬堀海岸から走水漁港を抜けて、美術館へ到達する。

 

Img_2567 今回の企画展は、「美術にみる日本の海」ということで、横須賀に似合った展覧会だ。古賀春江の「海岸」がポスターになっていて、京急線の中でも目立つ。一番最初の部屋に、展示されていた。三人がいて、家族らしいのだが、近代的家族のすれ違いが描かれている。Img_8025 それが、海の色の違いとなっているのが、一つの工夫だ。近代家族の中心は、やはり奥様で、中央にデンとして欲望の塊としての存在感がある。もう一方の中心は、やはりご主人ではなく、子供なのだ。これを媒介するものとして、ようやくご主人が中腰で現れている。海に行くと、家族の現実が現れるという「海」だ。

 

Img_7954 須田国太郎の「海」は、構成が行き届いている。海は上辺にほんの少しのぞいているだけなのだが、手前の河と街の様子が克明に描かれていて、かえって「海」まで考えが及ばないくらいの密な画面を構成している。灰色の色調の中に、濃い重なりが続いていて、見るものの心を捉える。人間の営みがあって、海があるという「海」だ。

 

Img_7966 途中から、絵画の世界から海で使われるモノの世界が展開していく。大漁旗や漁師のはっぴなどが、真新しい実物として展示されている。この着想は面白いのだが、このような雄大な旗が美術館へ展示された途端に、現実感が遠のいてしまうのはなぜだろうか。Img_7962 色鮮やかさは、海の青には映えるけれども、美術館の白壁には合わないということだろうか。使われるモノには、使われている現場の「海」が似合うということだろうか。

 

Img_7971 見終わる頃には、昼をかなり回っていたので、レストランは空いていた。中央の席、レストランからガラス越しに、芝生そして「海」を見下ろすところに腰掛ける。Img_7972 ランチは、今月のスペシャルメニューで海鮮パスタだ。展覧会に合わせたメニューになっている。

 

 

Img_7988 相変わらず、空は曇りで、ここからみる船たちも、難儀だなと言いながら、浦賀水道を通過していくように見えてしまう。この海も、イチゴ農家のある亘理町に通じているのだな、と「海」の映し出す多様さと感覚の差を思いながら、三浦半島の海を後にしたのだった。Img_7997 Img_7992

2017/07/24

くずきりの贅沢

Img_2513 昨日、五条の「市川屋珈琲店」に座って、コーヒーを飲みつつ、京都で涼しさを味わうとしたら、どこが良いだろうと考えた。ふんぎりが悪いと思われるかもしれないが、もう少しの時間、京都滞在を延ばしてもよいと思い始めたのだった。Img_2511 五条から四条へ出る。六波羅蜜寺を通って、建仁寺へ入れば、苦もなく、暑さの中でも涼を取り入れた移動ができる。予約でいっぱいの喫茶店ヴィオロンの窓を恨めしそうに覗く。何といっても、この35度の最中の京都なのだ。水分摂取と休憩は必要だ。

 

Img_2514 日本史に登場していた場所が、次から次へと出てくる。けれども、静かな街歩きはここまでだ。栄西禅師の茶碑と茶の生垣をすぎて、建仁寺の正門をくぐり、花見小路へ出た途端、観光客が道全体を覆っている。Img_2515 警察官が出て、混雑をさばいているのが見える。街ごとに、人びとの様相が異なるのが京都だ。Img_2516

 

Img_2525 四条通りへ突き当たり、左を見ると、お目当の「鍵善良房」が見える。玄関の売り場を抜けて、一段上がったところに喫茶室が左右に分かれてあり、その奥に京都の懐の深さを表すような中庭があって、さらにその裏に茶室らしき家屋が続いている。Img_2523 この盆地特有の限りなく暑い京都を乗り切る一つの工夫が、これなのだ。つるりとしているがコシがあり、透き通った涼やかさをもたらす。これが、「くずきり」だ。

 

Img_2518 この切られた葛にどれほどの威力があるのだろうか。半透明の白い切れ端がひらひらと宙を舞う。そのまますぐに、口に運ぶわけではないところが凄いところで、器が二つに分かれて、その間をひらひら、ゆらゆらと、何と涼しげな浮遊が起こるのだろうか。

 

くずきりは、葛の入った氷の器から、蜜の入った甘味の器へ移っていくのだ。さらに、これを口へ持っていくころには、舌の先から喉の奥にまで、さらにゆったりとした甘さへの期待が満ちてくる。これら器と移動全体の世界観は、甘さの欲望によって統御されているのだ。もちろん、食べ物だから、料理人が甘さの世界を作り出す。けれども、箸を持ってからは、享受する側の世界だ。

 

Img_2521 なぜくずきりは贅沢なのかということが、ここにある。くずきりでの葛の役割は何かと改めて問うとじつはよくわからないところがある。葛には味がないのだから、甘味のみを味わうためならば、甘味の蜜そのものさえあれば、足りる。直接、蜜を飲めばよいのだ。なのに、なぜ葛を使うのか、ここで問題なのだ。贅沢を示す印なのである。涼やかさの源泉でもあるのだ。

 

甘味処のイメージからすると、まずお汁粉、ぜんざい、白玉だ。ここでは甘味の実体がいっしょくたに存在するのだ。これは夏向きではないのはないか。実体と分離された甘さの純粋さ、そして甘さと直接関係ないひらひらとしての、氷に浸けられた葛、この両者が口に含まれる、その瞬間に涼しさという虚構が作り出されるのだ。これは贅沢以外の何者ではない。冷たさと涼しさは、甘味の方になく、葛を媒体として伝えられるのだ。

 

「鍵善」では、涼やかさは甘さとともやってくる。これを期待するのは、京都の女性だけではない。男性もやってきているのを見たのだ。商店主らしい中年の男性がわたしの右奥に一人で座った。Img_2527 くずきりをするするとすすると、さっと帰って行ったのだ。このスピード感がくずきりには似合っているのだ。帰りの勘定を払い、入り口の両側にある黒田辰秋制作の箪笥を写真に納める。

 

Img_2530 さて、甘味の後はコーヒーだ。祇園から四条河原町へ出る。手前の高瀬川沿いにある喫茶店「ソワレ」は店内が暗く、静かな雰囲気が素敵で、このような人混みではオアシスのような存在だ。いつもはすぐに入れるのだが、やはり有名になると列ができる。時代が変わったのだ。前回と同様ここを諦めて、同じく高瀬川の少し上流にある立誠小学校跡のトラベル・カフェへ入る。ここで日記を書きながら、時間を十分に潰すことができた。

 

Img_2534 さらにおまけ。五条へ戻る道筋にあるガラス張りの古い喫茶店で、「冷やしあめ」の看板が出ていたのに誘われて、一杯いただく。生姜味が効いて、汗が引っ込み、さらに頭痛までも治ったのだった。Img_2540 この味は、関東にはない。駅に着いてから、いつものように、志津屋のカツサンド(夏なので、卵焼きサンドに一部変更されたもの)を購入して、心置きなく、新幹線に乗ったのだった。

2017/07/23

椅子のコレクションを観る

Img_2500 昨日、夜遅くまで議論が続くのかと思っていたら、思わぬ豪雨が吹き荒れたこともあって、ペールエールを飲んで、次回の予定を立ててあっさりとお開きとなった。博士後期課程のみなさん、かなり忙しいらしい。

 

Img_2458 宿は京都駅に近いことを重視して選んだのだが、かといいながらも駅の喧騒を避けて、じつは京都五条にとっていた。地下道の七条へ出て、東本願寺を越えれば、五条の街へ入っていく。まだまだ路地のあちこちに長屋が残っていて、京都駅からの徒歩圏であるにもかかわらず、住宅地としての顔を残している。Img_2454 朝の食事は、宿から五条大橋へ向かい、その袂に鴨川と並行して、高瀬川が流れ込んでいる、その脇にある静かな喫茶店「Kano」へ入る。Img_2456 窓から、水量豊かな高瀬川の清流が見えて、五条大橋の交通量の多さを打ち消している。街の中のオアシスという雰囲気だ。

 

Img_2466 今日の目当ては、五条にある、陶芸の河井寛次郎記念館に置かれた椅子コレクションだ。とくにここが、椅子のコレクションで有名だというわけではない。けれども、京都で椅子を集めて展示しているところを思い出していたら、俄然この館が浮かんで来たのだった。Img_2471 河井寛次郎の作風に似た「異形」の椅子があったな、ということだ。河井寛次郎が生活の中で、生活具を選んでいく過程が見えるような気がするのだ。

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黒田辰秋に依頼した椅子もあるかもしれない、とも無い物ねだりの期待したのだった。黒田の制作になるものとしては、有名な棗(なつめ)や、綺麗な帯留が展示されていた。

Img_2495

 

「異形」の椅子と呼んでしまうと、ちょっとおどろおどろしいのだが、1階においてあった、この椅子などは、背板に特徴があって、過剰に異形だと思われる。Img_2501 ゆったりと背中へ体重を預けるときには、座りやすい椅子だ。特別なことがない限り、このタイプの椅子が大量に作られることは考え難い。座る人の何かが、椅子の内部にまでずっと浸透している椅子だと思われる。

 

Img_2487 次に、普通の椅子に見えるが、座ってみると「異形」なことがわかるのが、この書斎椅子だ。まず、小さすぎる気がするのだが、がっしりとした丈夫そうな構造に、さらに鋲が打たれた過剰な姿をしている。河井寛次郎の座っている写真が残されているので見ると、この椅子はおそらく彼の身体にかなり適するように作られている。したがって、ちょっとお尻や腰回りの大きい(わたしがそうなのだが)人が座ると、肘木に引っかかるくらいなのだ。Img_2491 けれども、座板の曲線はよくフィットするし、一日中机と向かい合う椅子としては申し分ない。この椅子のもう一つの特徴は、ひっくり返すとわかるのだが、椅子の脚に木製のコロが取り付けられていて、事務椅子のように、座ったまま転がすことができるように工夫されている。もちろん、木製なので、ギャロギャロと軋んだ音を立てて、可愛いのだ。この椅子も、河井寛次郎の思いがかなり吹き込まれ、浸透した椅子といえる。

 

Img_2477 それから、あった、あった。ゴッホのスペイン椅子だ。椅子作家のYさんから教えられてから、あちこちで見るのだが、このオリジナルに近いものは意外に少ない。この脚のしなりはどうだろう。やはり、生木なので、時間が経つと、ホゾが緩んでくるのは仕方がない。ギシギシと座ってみて、この緩みの具合を感じるのは、楽しい。この椅子がたくさんあるのは、やはりスペインから当時仕入れていた店が京都にあったからに違いないだろう。Img_2480 現在では、その店で扱っているのは、このような手仕事のものではなく、機械で削ったもので、見劣りがするのだ。それにしても、塗装無しで外に置かれたこの椅子は、粗野そのもので素晴らしいのだ。

 

Img_2481 それから、見過ごされそうな椅子が、登り窯の前にあり、気になって、座ってみた。なるほど、という感じだ。ふつう、このような仕事場にある労働椅子は、前傾姿勢を基本としている。前へのめって、仕事に没頭するからだ。ところが、この椅子の背当てが、曲げ木で、ぐるっと後ろへかなり回っているのだ。だから、座ると、少し後傾姿勢となる。Img_2469 おそらく、登り窯を三日三晩焼いていて、薪をくべる合間に、休憩をとり、窯を眺める時には、ずっと後ろの高いところまで、眺めつつ、休むのだと思われる。したがって、後傾姿勢の椅子が必要とされたのだと思われるのだ。

 

Img_2505 これだけ集めれば、少し壊れかけた椅子もある。この椅子は座面が楕円で、位置が偏っている。それが三角形の貫に乗っている。異形ではあるのだが、座りやすいし、文句のないところだ。しかし、形に凝ると、思わぬところに皺寄せが出るのだ。貫のホゾがやはり抜けかかっていた。Img_2506 ちょうど三角形の頂点のところなので、力がかかってしまったのだと思われる。けれども、ゴッホの椅子と同様で、これも完全に壊れるまで、丁寧に使ってもらえば、多少の故障はかえって椅子の特色ともなるのだ。長く使ってもらいたい椅子だ。

 

Img_2512 この記念館は、手仕事の工房を兼ねていたので、当然冷房はない。したがって、今日のように家の中でも35度を超えるような時には、扇子やうちわが必需品だ。1階の広間に用意してあった。とはいえ、2時間ほど滞在すると、喉も渇いてくる。Img_2508 この横丁に入る角に、青磁の陶工が経営しているらしい、珍しい「市川屋珈琲店」があった。ちょうど、入口のカウンター席が空いたので、ここでコーヒーを1杯。帰宅の準備を行う。

2017/07/22

京都で博士課程ゼミナール

Img_2448_2 今年度の博士後期課程の学生たちは、なぜか関西にかたまっている。島根、大阪、名古屋なので、結局のところ、ゼミを開こうとすると、駅前に位置し、集まるのに都合の良い京都学習センターでということになる。今回は、学習センターが入っている「キャンパスプラザ京都」の中でも、和室というのがあって、そこに予約を入れておいた。Img_24448畳間でちょうど良い大きさなのだ、ここを一日借り切った。あとで調べてみたら、中庭があり、さらに茶室用のコンロが床下に埋め込まれているという、贅沢でかつゆとりある空間だった。

 

Img_2445祇園祭の最中の京都は、猛暑で、35度を超えている。この暑中で、和室でのゼミナールというのは、気分転換にもってこいだ。参加の学生たちも、仕事に追われながらも、家で論文をシコシコと構想していたのであるが、一日喋れば、また論文への情熱も湧いてくることだろう。

 

Img_2452 現在の段階は、来年の予備論文目指して、1年前のスタートというところだろうと想像する。これまで考えてきたことを、ここでもう一度ひっくり返して総点検すべき時期を迎えている。この目的に沿って、大きな筋道を互いにひっくり返して、議論を重ねあったのだった。この段階には、特有の不確実な楽しさがあって、油断できない。ちょっと気を抜くと、隙を突かれる恐れのある議論が続く、という注意の必要な段階なのだ。

 

Img_2450 外へ出ると、夏雲がもくもくと発達していた。京都出身のHさんは琵琶湖、福井方面は雨ですね、と言っていたのだが、みんなでクラフトビールを飲んでいる最中に、その雲が襲ってきて、突風と横殴りの大粒の雨が京都の街を吹抜けて行ったのだった。

2017/07/15

夏季合宿始まる

Img_4282 今夏の放送大学本部キャンパスには、いつもより学生が多いと感じる。期末試験が近いからなのか、それとも、夏休みの泊まり込みでの図書館通いの学生が多いからなのか、原因はわからないのだが、セミナーハウスはいっぱいで予約も難しいくらいだ。大きな荷物を持って、朝早くにセミナーハウスから図書館へ移動する学生も見たし、会社帰りに自転車で図書館に駆けつける学生も多く見たのだ。いつもは、テレビ・ラジオでしか接しない学生が、この時期だけ、キャンパスにどっと現れて、顔を見せてくれるのはこちらにとっては楽しい。

 

会場についても予約が立て込んでいて、セミナーハウスの研修室をいつもは使うのだが、今回は早々と数ヶ月前に同好会に先を越されてしまったのだ。それで、次善の策として、本部の最上階にあるラウンジを使うことにする。千葉の港から東京湾方面をのぞむ、眺めの良い部屋での合宿となった。

 

今回目立ったのは、当初の問題意識が薄れてきているのではないか、という点だった。M2の方々は、そろそろ1年半に渡って、同じテーマを追究してきているのだが、一通りの作業が済んで、安心してしまったのか、何となく平均的に鋭さが抜けてしまっている。一つの理由は、「時間」だ。時間が迫ってきてしまうと、これまでせっかく努力してきたことを捨ててしまって、小さくまとまろうとしてしまうのだ。もう一つの理由は、「存在拘束性」とでもいうものかもしれない。どうしても、自分の身の回りや仕事との関係を過剰に意識してしまって、発想が育たないことがあるのだと思われる。

 

職業意識が言葉に現れるのは、仕方ないとしても、思考方法にまで及んでしまうと、それはどうかと思ってしまう。表面的なことならば、それは指摘できるのだ。たとえば役所務めの人でよく出てくるのは、質問されて、つい「お答えします」というのは、むしろ「存在拘束性」のご愛嬌だと思う。けれども、思考内容にまで影響のあるような質問のときに、答えることが難しいことがあり、そのときにどのような受けごたえができるのかが、ゼミでは問われるのだと思われる。率直に言えば、存在拘束されていることを自覚している人と、そうでない人との差が受けごたえに出てしまうのだ。結局のところ、ここの表現の違いを会得することが、社会人大学としての放送大学の醍醐味だと思うのだ。

 

いつものように、懇親会は近くの中国料理の「ホイトウ」にて行った。今年も、一般客と一緒だったので、挨拶などは幹事の配慮で、一番最後に回し、貸切状態になってから、盛り上がった。わたしの挨拶は、すでにゼミで3回も行っているので、一般的なことは述べなかった。ここではとくに、林先生が4月の終わりに亡くなったことを取り上げさせていただいた。生前のゼミでは、「おもろいこと」が重要だ、と論文の目指す指標を掲げていらっしゃっていたことを思い出して、それを挨拶の中で復活させたのだった。もちろん、「おもろいこと」は読んでおもろいことも重要なのだが、今回強調したのは、書く本人が「おもろい」と思って書かないと、意味がない、という論調となった。うまく伝わっていれば良いと思うのだが。

 

 

じつは挨拶に紛れ込ませて、今度出版されるわたしの放送大学叢書『貨幣・勤労・代理人』の宣伝もおこなってしまったのだ。酒の席だったので、みんなに良く聞こえなかったということで、幹事が気を利かせて、後でも強調させてもらった。良く気のつく幹事を持てて、仕合わせだったのだ。

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『貨幣・勤労・代理人』(経済文明論)

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。