« 2016年12月 | トップページ | 2017年2月 »

2017年1月に作成された投稿

2017/01/24

フランク・ロイド・ライトの椅子と建物を見に行く

P1016912 池袋へ出る用事があったので、以前からずっと行ってみたかったフランク・ロイド・ライト設計の自由学園「明日館」へ寄ることにする。駅から10分くらい歩いた、ちょっと入り込んだ住宅街に位置している。

 

P1016916_2 じつは、2、3歳の頃、ということは幼稚園就学以前ということになり、ほんとうに記憶が定かであったのかというところもあるのだが、ここから歩くことができる距離にある西武線椎名町の北側に住んだことがあった。父が当時下町にあった高校の教師を勤めていて、この近くの分譲アパートに住んで、通っていたのだ。空き地に草むらが広がり、まだトカゲなどが出る場所のあった頃だ。さすがに池袋近辺なので、すでに田園風景はなかったけれども、まだ利用されない空き地は存在していた。

 

P1016917 裏道をぐるっと回って、立教大学を通って、学大付属豊島小学校裏に出ると、すぐ池袋駅だった。それで、父が教師だったこともあって、お金があったら、自由学園へ入れたかったなどと言うこともあったのだ。P1016937 母は、映画が好きで、アパートの1階に住んでいた友人と一緒に、わたしを連れて、目白にあった映画館に通っていたから、その帰りの散歩でもきっと、この明日館の前を通ったりしていたことだろう。

 

P1016908 正面の広場へ出る前に、左に「婦人之友」社が見え、右に曲がると、「明日館」が見えてくる。第1印象は、正面ホールとそれから左右にシンメトリーに広がる講義室群だ。P1016926 何しろ、横に両翼を伸ばした大きな鳥のような屋根を持つ低層の建物群があり、その前に大きくゆったりとした何もない空間が存在していて、一つの宇宙を構成しているようだった。遠くに見える池袋のビル群が近代的であるのに対して、こちらの空間は非近代的な空間を実現している。

 

P1016911 門が二つあって、右の見学受付の前には、2時から始まるガイドツアーを待っている人々が集まってきている。前もって、写真だけでも取っておいて、ガイドツアーはゆっくり聞くことにする。P1016953 けれども、結局はガイドで詳細に紹介されると見所が変わってきて、ツアーの後に写真をとることになったところも出てきてしまったのだ。とくに印象に残ったのは、菱形のステンドグラス風の窓のある正面ホールということになるだろうが、ところが一旦中に入って観ると、ホールの裏にある食堂の素晴らしさがじわりじわりわかってくるのだった。

 

P1016938 なぜそうなのかと言えば、これはわたし特有のテイストなのだが、やはり「椅子」との調合具合いが良いという点に尽きる。ホールにある菱形の背板をもった、学校椅子も洒落ているが、ここの食堂椅子も赤いアクセントが効いていて、テーブルと調和している。100脚くらい制作するというので、木材の幅を揃えて、大量生産に備えたそうだ。さらにこれらと、大谷石の暖炉がある食堂との整合性が取れている。ことに木製の照明器具が凝っている。P1016966 「有機的建築」というフランク・ロイド・ライトの標語が響いてくるようだ。ライトの言葉を直接引用すると、「椅子はそれが置かれ使われている建物に合わせて、デザインされなければならない。P1016932 有機的建築では椅子は機械器具のように見えてはならず、建物がつくり出す環境の優雅な一員として見えなければならない」と述べている。

 

P1016956 椅子が並んでいて、昔の椅子より現在の椅子は、一回り大きい。体格が違ってきたということらしい。この菱形の背板椅子は、制作者不明ということだが、明らかにこのデザインは「フランク・ロイド・ライト」を意識したデザインであることは間違いない。食堂椅子は、弟子であり、この食堂を改造した遠藤新の設計になるものらしい。当初、この食堂には、東側、西側と北側にベランダがあり、下から上までの大きなガラス扉があったのだというのだ。P1016984 ほんとうのところ、光がいっぱい入る、その食堂を見たかった。現在は、ベランダは食堂と合体されて、三つの小部屋として繋がっている。これで、60名程度の食堂が、さらに数十人規模膨れ上がって使えることになったのだそうだ。

 

P1016973 これらの建物群を見ていると、その昔、この地域には「池袋モンンパルナス」が展開して、松本竣介、靉光などの住んだ画家村があったし、戦後になると、漫画家たちの「トキワ荘」などがあったのだから、P1016944 もし時代が一致していたならば、上野と並んで、芸術文化の集積地となった可能性もあったのではないか、と思いを馳せたのだった。P1016989 P1016990 P1016972 P1016978 P1016943 P1016987 P1016952 P1016948 P1016925 P1016920 P1016963

2017/01/17

来年度放送する授業「色と形を探究する」の最終録画が終了した

2017 2017_3

4 月から始まるテレビ科目「色と形を探究する」とラジオ科目「日本語アカデミックライティング」のテキストがはやばやと送られてきた。2年間かけて制作したのだ。 一緒に制作した先生方や、編集者・ディレクターの顔は浮かんでくるものの、手に取ってみると、原稿用紙に書きつけていた頃が夢のごとくであり、自分の手から離れてしまった文章がこのように活字となってしまうと、にわかに書きつけられた世界がすでに彼方の世界のように思えてしまう。とはいえ、授業科目なので、録画・録音したのちも、数年間は質問を受けたり試験を採点したりと、通常業務がついてまわるし、何度も考え直すことが出てくることになるだろう。

 

P1176852_2 思い返してみると、わたしはここ数年間、音や色や形や言葉などの「感性」というものに注目して授業科目を作ってきた。経済学からは少し離れるのだが、十分に社会科学の領域内で考えることが可能だったので面白いと思いつつ制作してきた。感性を媒介として、人と人とがいかに結びついているのかを考えてきた。今年は、特に「色と形」に焦点を結んで考えてきたのだ。かなり困難なこともあったのだが、それでも、得るものはたいへん多かったし、今後の課題も発掘することもできた。さて、このように成果物が目の前にあるのだが、学生の方がたはこれらをどのように受けとめるのだろうか。

 

P1176880 それで、今日はテキストが届いただけでなく、じつは授業科目「色と形を探究する」の第15回、つまり最終回の収録日なのだ。5人の担当した講師全員、N先生、S先生、Y先生、O先生、そしてわたしで最後をしめようということになっている。午後からの収録に、Y先生は早くから控え室にきていらっしゃった。準備としては、それほどないのだが、定番通りメイクアップする部屋へ行って、専門のスタッフによって、テレビ用のお化粧をするのだ。それが済むと、テレビの技術スタッフとの全体的な打ち合わせがあり、シナリオ案にしたがって、ディレクターがレクチャーして、ディレクター達は二階の副調整室へ入り、私たちはスタジオフロアでカメラの前に座ることになる。

 

P1176854 今まで数百回も行ってはいるのだが、いつもこの録画の流れに没頭するまでには時間がかかるのだ。それで大概はリハーサルというものを行って、スタッフと出演者が互いに確認し合うのだが、今回は慣れた先生方だけなので、それぞれの場面のリハーサルは行わずに、進めるところは進むだけ撮っていくことになる。これだけ慣れた先生方ならば、腹八分目でおおよそのところうまくいけばOKなのだ。P1176864 講義というものは、相手との間の了解なので、上手い下手はあるのだが、大方良好に伝わるのであれば、それで良いのだと思われる。対話というものは、この程度の曖昧さが必要で、あまりにびっしりと計画どおりに、一字一句正確に撮ってしまうと、身も蓋もない杓子定規の、聞くに耐えないものになってしまう恐れがある。ある程度の緩さが必要なのだ。

 

P1176875_2 自然科学における「色と形」と、人文科学における「色と形」、さらに社会科学における「色と形」が勢揃いした。それでわかったことは、「色と形」の現れ方が、時間的・空間的にかなり幅があるということだった。Y先生は何億光年にも及ぶ「色」の出現について述べていたが、次のS先生は現在目の前にある「色」というものの現れを問題にしていた。この隔絶した世界のあり方を、一気に並べて共通点や、相違点を述べてしまうという壮大なことを、この番組で行ったのだった。O先生の批評が当を得ていたと思われる。P1176853 客観的な「色と形」から主観的な「色と形」、表層の「色と形」から深層の「色と形」、作り出す側の「色と形」から受け取る側の「色と形」などなど、この多様な幅のある「色と形」にはまだまだ探究すべきことがたくさん残されているな、というのが率直な、録画後の感想だった。けれども、「色と形」を様々な角度から考える「橋頭堡」のようなものをここに築くことができたのではないかと思われる。わたしたちが生活する中で、常に分子レベルの色彩を感知する細胞を意識しながら、「青」という色を認識するわけでもないのだ。生物学的な認知と、心理学的な認知と、さらに社会科学的な認知には、ある程度の距離があって当然だということもおぼろげながらわかってきたのだった。

 

P1176881 さて、いよいよ夕方になって最終回の打ち上げ会だ。近くのイタリアン「Oreaji」にて開いた。この科目を企てたH先生も加わってきた。天文学のY先生は、今年度で定年となるのであるが、タイミングの良い?ことに、ちょうど今日が古希の誕生日だということであった。S先生の取り計らいで、このような誕生日プレートが用意されて、打ち上げ会も盛り上がったのだった。P1176897 考えて見ると、通常の大学では、天文学の先生とこんな雑談をする機会は、社会科学者にはないし、ましてや同じ授業科目を作ってしまうなどということもないのだ。今回は、「日本語アカデミックライティング」とこの「色と形を探究する」の二科目で一緒して、自然科学的「感性」と社会科学的「感性」の共通点と相違点を考えることができたのは、もちろんすべてを理解したわけではないとしても、たいへん稀有な体験であったと感謝している。

 

 

P1176887_2 また、今回の収録では、3人の先生方がガテマラ取材を成功させていて、その時のシャーマンなどとのやりとりも、学問を超えた話として興味深いものだった。このやり方をもう少し最後の番組で反映させればよかったとも思ったが、それはあとの祭りとして、謹んで今後の課題として楽しみに残しておいても良いのだと思ったのだった。P1176902_2 さてせっかく、「色と形」という小さな窓が空いたのだから、一方的に窓から見える風景だけでなく、外からそれぞれの部屋へ闖入して、それぞれの研究分野へと重ねることができればということだが、それにはもっと時間が必要だろう。P1176901_2 けれども、少なくとも受講生の方々の中では、このような窓が開くことになるのだから、風の如くに存分に部屋に入り込んで、いろいろな「色と形」の姿を見ていただきたいと考えている。とにかく、一つの終わりと、もう一つの終わりの始まりとがあったのだ。


2017/01/08

京都御所の隣、新島会館でゼミを開催する

Img_5747 宿を京都の四条にとっていたので、寺町通りへ出て、ひたすら北へ上っていく。京都市役所の横を抜け、喫茶店エイトの前を通り、二条通りを超えると、左に三月書房があり、右に明日行こうと考えている民芸品店がある。Img_5748 これらを眺めながら、御所の南へ出た。そこからすぐのところに、新島襄・八重の旧宅に隣接して、今日のゼミが開かれる新島会館があるのだ。着くとすでに5名の方々が準備を行なっていて、程なくみんな到着して、総勢20数名のゼミ開催となったのだ。

 

Img_5744 大学の外でゼミを開くことに、わたしはずいぶんと、これまでこだわってきた。毎月開かれるゼミは、日常的な作業の報告に費やされて、それをチェックするだけで精一杯だ。ところが、一歩外へ出てゼミを開くと、非日常的な発表を行わなければならない、という心境になってくれる。発表するという意識が表に出て、他者を説得しなければならないという要素が濃厚になる。通常のゼミでは時間制限がないような議論ができたのであるが、外でのゼミでは20分ぴったりで終えなければならないので、表現が絞まる必然性が出てくるのだ。Img_5737 それで、これまでと違った発表を行うことになる。先生がたや先輩たちが聞いていることに対する緊張感も重要だ。ちょうどM1の人びとが先行研究の整理を終え、M2へ進み、論文を書く体制への転換期になっていることも関係して、外に出てのゼミの効果がちょうど出てくるのだと思われる。

 

Img_5752 今回の冬季ゼミのテーマは、論文の中核となる部分を発表するということになっていたので、ゼミではかなり本質的なところが出てきていたと思う。昨日と同様、参加学生以外に、I先生、S先生、A先生、それから今日だけ参加のS先生に加えて、OBのY先生、Hさん、Yさん、Fさんの8名参加し、さらにM2のAさんともうひとりのAさんも議論に加わってくださった。したがって、M2の方々2名の報告(成年後見制度論とセカンドキャリア論)を含めて、12本の発表が行われた。相変わらずの多彩なテーマが並んだのだ。

 

ナチス政権と民主主義体制

地域の変容と公的・民間セクターの役割

中国の対日経済交流と政経分離

スローシティとまちづくり

日本の社会政策と労働

地方圏学生の地元志向

地域とソーシャルキャピタルの育成

総合交通体系と民間航空の役割

地域の生活時間と余暇活動

宗教における社会貢献活動

 

Img_5739 今後、今日発表した論文の「山場」となる議論を中心として、順調に肉付けを行なっていってほしいと願った次第だ。最後のあいさつでは、先生がたの指摘はいつもながら鋭かったし、最後に聞いた参加者の同期の方々への反省の言葉も容赦なかったので、参加した皆さんの心の中には、かなりの蓄積物がお土産として止まったことだと思われる。この辛口の応酬にめげず、それを糧として、後半戦でも頑張っていただきたい。

 

Img_5759 さて、程よい時間になったので、懇親会の開かれる料理屋チェーンの店へ行く。歩いて、10分程度だ。あいにく雨が降ってきた。目的の場所は、京都の繁華街である木屋町を流れる高瀬川の源流の場所だ。江戸時代の豪商角倉了以の旧邸があったところで、さらに明治時代には、山縣有朋が第二無鄰菴を構えていたところである。Img_5763 あちこちに、石の標べが立っているので、それと知らされる。庭を鴨川から取水した水路が通っていて、それが高瀬川へ流れ込んでいる。それを利用した日本庭園が作られている。庭の起伏は意外に激しくて、池が作られているように見えるのだが、これが流れているのが特徴で、むしろ川が通っているという印象なのだ。取水を利用した庭の典型例だと思われる。


Img_5769_2

Img_5779 懇親会なので、非公式なおしゃべりが主体になるのだが、真面目な方は、昼間の議論を思い出して、さらに突っ込んだ議論を繰り広げている方々もいらっしゃって、多彩な懇親会となった。    わたしもいくつかの相談を受けることになったのだが、すでに料理が回り、お酒も十分に入っていたので、相談への対応がきちんとできたのかは、少し心配になる。Img_5783 本当のところ、懇親会もゼミの重要な一貫と考えているので、真面目な相談も歓迎したいところだ。懇親会の幹事のOさんとTさんと教育支援者のKさんには、たいへんご面倒をかけたが、おかげさまで会はたいへん盛況だった。Img_5786 Img_5785 Img_5784

 

Img_5794_2 二次会は、この店の料亭風の門を出て、高瀬川沿いに十数メートル下ったところにあるカフェへ入って行うことになった。この店は、友人のK君が存命中によく一緒に来て議論した場所でたいへん懐かしい。Img_5795 店のオーナーは変わってしまったけれど、たっぷりしたコーヒー碗があって、チョコレートケーキを一緒に取ったのだ。ゼミOBYさんは、昨日の夜行バスできて、朝の京都タワーで風呂を浴び、今日も夜行バスで東京に帰るのだそうだ。Img_5799 このような行動ができるのであれば、京都合宿もそれほど重荷ではない。彼はバスの時刻まで、時間を潰す必要があるとのことだった。雑談の内容は、最近よく話題になる「働き方」の話になって、10時を過ぎるまで議論が続いた。外でのゼミの効用は、夜がたっぷり使えるというところにもあるのだ。


Img_5809_2 宿への帰り道、麩屋町辺りに画廊やギャラリーが並んでいて、麩屋町ギャラリーのいつものオランダタイルも素敵だったけれども、現代画家のギャラリーのゼロ年代世代作家のものも、かなり目立ったのだ。数百万円の値段付きで飾られていた。今の心境は議論をしてスッキリしていたからこのようなものではなかったけれども、今日の天気はこのような感じの空模様だったので、掲げておくことにしよう。



2017/01/07

今年の仕事始め

Img_5729 今年の仕事初めも、例年通り京都からだ。修士論文の面接審査と大学院ゼミナールなどで出張なのだ。京都に来て、修論を読む以外にも、お正月早々良かったことがある。12月初旬頃から、老化に因る右膝の痛みがずっと続いていて、朝起きての階段下りでは、膝を曲げることが難しくなっていた。きっと水が溜まっているのではとは思っていたのだ。ところが、京都に来て、一日目は痛かったのだが、二日目の朝からほぼ痛みを感じなくなり、階段も楽に上り下りすることができるようになったのだ。Img_5736 重い荷物を持ったのが良かったのか、水が良かったのか、それとも、行いが良かったのか、いずれにしてもこの旅の何かが膝に良かったことは間違いない。1ヶ月で治ったのを考えると、五十肩のようなものだったのかもしれない。今年の仕事も、おそらくこのように老化との並走ということになるに違いないのだと覚悟を決める。

 

Img_5734 まず、修論審査を行った。修論を提出した学生たちに「キャンパスプラザ京都」へ来てもらって、朝から一人30分くらいずつの間隔で審査を行った。それぞれ指導教官が異なっていて、島根大学のI先生、近畿大学のS先生、同じくA先生にお願いしている。先生がたには、毎年お正月を潰させてしまって、申し訳ないと思っている。けれども、学生にとっては二年間の成果が現れる時だ。タイから一時帰国して駆けつけて来た学生もいる。沖縄の赴任先から、このために来た学生もいる。やはり、力の入った論文を読むのは、先生がたにもわたしにも、かなりの喜びをもたらすのだ。完成したという感覚は、互いに議論していて、何ものにも代えがたい。Img_5721 借りたキャンパスプラザの研修室の時間ギリギリまで、審査を行ったのだった。印象深かったのは、「多面的機能支払」に関するTさんの論文だった。わたしのテキストから「フォーマル化作用」を使ってくださっているのだが、今回はそれに、E・オストロムの「プーリング作用」も解釈して加えていて、もう一押しで素晴らしい論文になるような予感がしたのだった。

 

1 夕方には、審査が終了して、ポッと時間が空いた。こんな時には、やはり四条の京都シネマへ足が向く。今年度の「出張先で映画」初めは、硬いところで、「ヒッチコック/トリフォー」を選んでいたのだが、昨日尊敬している友人のツイッター批評を見ていたら、「こんな対談だったら、ヒッチコックとトリフォーである必要はない」などという酷評が書かれていたので、急遽見るのをやめることにしたのだった。

 

観たのは、原題が「フーシ(Fusi)」という、アイスランド映画だ。英語原題が「バージン・マウンテン(Virgin Mountain)」、邦題が「好きにならずにいられない」だった。次第に改題・改悪されていくのがわかる。それにしても、とりわけ最後の「好きにならずにいられない」はまったく内容と合っていない、酷い題名だと思う。2番目の題名も、「山のような男が女性に無垢であった」という意味を比喩的に表していて、なんとなくわかる気もするのだが、ちょっとからかっているような響きが気になる題名だ。やはり、全体を表しているのは、「フーシ」という題名だと思われる。この一人の男が映画の中心なのだから。

 

Img_5720 太っていて背が高い大男「フーシ」は40代独身で、母親と暮らしている。空港で荷物の積み下ろしの仕事を行なっている。この場面から始まるのだ。広大な空港で、荷物車が一台進んでいくという場面が良い。アイスランドの寒く荒涼とした中での「孤独」を表しているシーンだ。職場では、同僚から馬鹿にされ、苛められている。けれども、オタク的趣味として第二次世界大戦の模型で戦争ごっこを行うのを楽しみにしている。このオタクの友人が不思議な人であり、また職場の上司の対応がふつうで面白い。孤独なのだが、まったく孤独なわけではないし、本人は孤独で悪いとは思っていない。ある日、母親の愛人からダンス教室の切符をもらう。彼はダンス教室の帰り、横殴りの雪嵐の中で、一人の女性「シェヴン」と出会う。彼女は花屋で働いているのだが、精神的な問題を抱えている。ここから、フーシの物語が始まることになる。あとは、映画を観て欲しい。

 

Img_5709 アイスランド的孤独とでもいうのであろうか。孤独とはなんなのか、ということがテーマの意図なのだが、それが少しずつ伝わってくる。雪に閉ざされ、心を閉ざして、部屋にも出ることができずに、レストルームで孤独を感ずる。アイスランドでは、このような個人的事情は当たり前に起こることであるようだ。それはフーシの上司の態度でもわかるし、シェヴンの勤め先の花屋の主人の言葉でもわかる。ごみ収集の仲間でも、一歩間違えば、このような状況が存在することになりそうだ。

 

 

Img_5713 その中で、フーシのあり方は淡々としていて、最初は消極的に見えるのだが、観ていくうちに、意外に積極的にみえてくるから不思議なのだ。孤独であっても、孤独を積極的に生きることは可能だということだ。孤独にも色々な孤独があって人好き好きだとは思うのが、孤独の多様な類型を確かめ、このような孤独のあり方もありうるということを追求した稀有な映画だと思う。日本語の題名はいただけないのだが、それ以外はとても良い映画だった。今年の映画は豊饒になる予感があって楽しみだ。宿への途中、パンの「志津屋」の元祖ビーフカツサンドを頬張りながら映画を反芻したのだった。夜のコーヒーは、京都駅地下店で買った小川珈琲のガテマラだ。

2017/01/01

今年もよろしくお願いいたします

Img_5580

今年もよろしくお願いいたします。

 

12時を回る頃、思い立って初詣に行こうと家を出た。昨年は放送大学の授業科目「音を追究する」のラジオ放送で使う「除夜の鐘」を録音しようと、近くの弘法大師由来の弘明寺の鐘楼の下へ出かけて行って、10テイクほどの音を収集していた。それから、周辺の寺を回って、他の音も収録しようと、このS寺へも訪れたのだった。

 

今年は最初から、家から5分ほどのこのS寺を目指した。ちょうど近辺の家々から人びとが出てきて、この寺を目指して集まってきていた。玄関を入り、すでに満員の大広場を通り抜け、本堂に入り、左の縁側に設置された除夜の鐘をついてから、拝礼することになる。ここに至るまで、きわめて親密なコミュニティの世話があり、最後には極め付けの甘酒が振る舞われた。お汁粉もいかがかと尋ねられたのだった。

 

Img_1863 横浜の都会の真ん中にあるにもかかわらず、このようなコミュニティシップに満ちたお寺がまだまだ存在しているのを確認できたのだった。横浜の霧笛の音も良いけれども、除夜の鐘の響きも良いものだと思ったのだった。娘と一緒に甘酒をすすりながら、家へ戻った。

« 2016年12月 | トップページ | 2017年2月 »

社会経営研究配布中

  • 2015study

社会経営ジャーナル配布中

  • 2015journal

開いている講義    「社会的協力論」

  • cooperation

「音を追究する」第13回・第14回

  • art

「多様なキャリアを考える」第2回・第3回・第4回

  • cooperation

「グローバル化と私たちの社会」第11回

  • cooperation
2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
無料ブログはココログ

Recommend

プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。