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2016年8月に作成された投稿

2016/08/14

お盆と椅子の日々(2)

Img_4628 今日は、妹夫婦が釣りに行くというので、成果を待っていたところ、この近くの川の上流で、ご主人が見事に岩魚を釣ってきた。これは今晩のおかずにすることにして、それで昼食は蕎麦にしようということになり、この一本道を北アルプスに向かった。道路を道なりに一直線に行くと、日向山地区があり、その地域からさらに山奥へ進んでいくと、蕎麦屋が見えてくる。

Img_4621 じつはその手前には、黒部ダムの観光へ行く人たちの予備の駐車場が設けられている。こんな山奥で、さらにこの予備の駐車場でさえ、こんなに何千台もたまっていて満杯の状況なのだ、この自動車文化の極致と言えるような状況を、こんな山奥で体験するとは思わなかった。自動車文明を超える論理を展開できていない、現代の状況についてゾッとした感触を受けたのだった。もちろん、展開できない原因は明らかで、複雑性が増しているために表には現れてこないことが数多くあるためであり、それはわたし自身にとっても認識不足でお恥ずかしい限りなのだ。

Yamagatachair この蕎麦屋の隣に、5月に工芸店「グレイン・ノート」で個展を開いていた、Y氏の工房「木楽工房」がある。一度は訪れてみたい場所だった。木造二階建ての工房と、昨年まで喫茶店だった平屋のショールーム、さらに住宅と連なる建物が街道沿いに建てられている。奥様が外で作業をなさっていたので、声をかけて、Y氏を呼んでいただく。仕事の邪魔になるならば、出直そうと考えていたのだが、幸い笑顔で工房へ導き入れてくださった。

http://www.kirakukoubou.com/

Img_4622 二つの点で興味津々の話を伺うことができた。一つは、椅子修理の話である。30年前に作られた、居酒屋用の民藝椅子がこの工房に5脚運び込まれていた。修理の注文だということだ。全部で40脚の椅子の修理作業を行わなければならないという、珍しいところに遭遇したのだ。このような修理作業の現場には滅多に遭うことはないので、幸運だった。民藝椅子の特徴は、すべてミズメの木製で、金属の木螺子などはまったく使用されていない点にある。それで、修理の中心は乱暴に使われたために、「ほぞ」が緩んでしまったところの組み直しと、Y氏が得意とする座編みの編み直しだ。ここで、興味深かったのは、椅子の大方の設計構造はほぼ同じなのだが、「ほぞ」の組み方が職人によって異なるという、違いが見えてきたという点だった。これだけならば、それほど興味深いとは思われないのだが、実際に椅子というものは、「ほぞ」同士が交差するところなどのような、見えないところにこそ、手仕事の緻密さが出ているのが説明を聞いていてわかった次第なのだ。

Img_4623 もう一つは、文字では表すことが難しい椅子の構造の話だ。Y氏の独自に創作する椅子は、立木を鉈で割ったような柱の仕上げになっている。もちろん、細部は丁寧に鉋かけしてあるので、すべすべした感触なのだが、全体として荒々しさという点を強調する作りだ。それで、この荒々しさを残しつつ、しかも曲線の滑らかさを取り入れるにはどのようにしたら良いか、という工夫をお聞きしたのだ。この辺になってくると、設計図にはなかなか残すことが難しいし、もし図面に起こそうとするとたいへん面倒臭い表現になってしまうために、話はすごくわかりやすいのだが、客観的にはどのように記述したら良いだろうか、と迷ってしまうところなのだ。上下左右のバランス感覚の問題であり、頭から手仕事へつながる、曖昧な想像力が発揮される部分だ。

Img_4624 とりわけ、座板と肘木が後ろの脚と結合される部分の話が面白かった。見る人が見れば、「なるほど」ということになるのだそうだが、おそらく座る人はそこまで意識して座る人はいないだろうということだった。Y氏の表現が秀逸で、「二次元の素材を三次元の素材として利用する方法」なのだそうだ。これでわかってしまう人びとがいるということを知って、この世界の懐の深さを思い知ることになったのだった。9月に行われるグレインノートでの椅子展にも2点ほど出品なさるそうなので、楽しみにしたい。

Img_4613

2016/08/13

お盆と椅子の日々(1)

Img_4550 お盆とピザの季節がやってきた。午前中早々に、妹夫婦と一緒に、お墓まいりと親戚のT家への挨拶を済ませた。大町市内は、標高が高いだけ、日差しが強い。T家では、お盆休みで、一家の皆さんがいらっしゃった。白玉とコーヒーゼリーの甘いもの、さらに恒例のお漬物をいただいた。また帰りには、畑で採りたての野菜をどっさりといただいた。

Img_4549 昼食をとったのは、毎年訪れることにしている、森の中のパン屋「パン・ド・カンパーニュ」である。予約を取っていたのだが、石窯の前の席はすでに早い時間の予約客で満杯だったので、子供部屋になっている八角形のストーブのある小屋の席を空けてくださる。Img_4566 駐車場には、品川ナンバーや足立ナンバーの車が並んでいたので、帰省客や観光客がかなり訪れているものと思われる。

まずは、地元産の無印リンゴジュースで喉を潤してから、マルゲリータ、きのことゴーダチーズ、さらに夏野菜ピザを次々と食べた。Img_4560Img_4559 Img_4564 Img_4561 Img_4562 このパン屋は10年ほど前に、妹夫婦が車で通りかかって、我が家にとっては「発見」された。1992年創業の店だ。幹線道路からは少し入ったところにあるので、なかなか分かり難い場所にある。Img_4556 現在ピザを焼いている息子さんが当時はまだフランスへ修業に行っていたので、パンだけが売られていた。むしろ、父親のご主人がやっている木工の注文家具屋として開店していた。けれども、天然酵母を使っている味が独特で、わたしたちも妹夫婦に教えてもらって、ようやく知った次第なのだ。Img_4567 そして、息子さんがフランスから帰ってきて、石窯を構えてからは、夏のピザの常連となったのだ。

安曇野市の穂高には、椅子の作家たちがショールームを構えていて、その中の一つでも良いから、かねてより行ってみたいと考えていた。Img_4587 けれども、わたしは自動車を運転できないので、電動付き自転車でも穂高で借りていこうとおぼろげながら計画していた。今回、妹のご主人がレンタカーを借りて、穂高へ行ってくれるというので、便乗して、北アルプスの麓を並行して走る、山麓線(安曇野アートライン)と称する道路を南下した。

Img_4586 美術館やハーブの店や地元産の野菜などを売る店が、何キロにわたって続いており、その中に目指す「アトリエ宇(そら)」がある。ここは、信州木工会のU氏が経営する工房とショールームがある。無垢材の椅子やテーブル、子ども椅子と卓袱台のセット、木のカトラリー、友人たちの陶磁器などが展示即売されている。ホームページは以下のところだ。

http://sfrsora.exblog.jp/

Img_4589 ここで最も聞きたかったことは、通称「ドワーフ椅子」と呼ばれているU氏の作る「子ども椅子」についての発想についてである。この椅子はすでに5月の子ども椅子展で拝見していた。もっとも、その時の材質は黒いウォールナットだったけれど。この子ども椅子の特徴は、座面が柔な曲線で囲われているにもかかわらず、全体としては頑丈な構造を持っている点である。とりわけ、座面の形に特色があって、人間の足が二本出ているのに沿って、凹凸がつけられている点だ。なぜ凹凸なのか。また、なぜ背板が細いのかなど、幾つかの疑問が存在する。

Img_4588_3 座面については、すぐに疑問は解決した。当初、これらのチェアは、「ハート・チェア」と呼ばれていて、座面を意図的にハート型にして、子どもにもわかりやすい形を取り入れたからだということだった。Img_4594 それじゃ、なぜ途中からドワーフ・チェアになったのかというと、保育園からの注文で、卓袱台とのセットで作ったことからで、そのときのセットの卓袱台は7色の無垢材が組み合わせて作られており、この7色に合わせて、椅子も7色の種類が作られたのだそうだ。それで、グリムの「白雪姫と7人の小人」童話から、小人のドワーフ族が連想されたのだそうだ。

Img_4592 もう一つ興味深い点は、このドワーフ椅子には、大人用も作られていることである。じつは他の作家の多くが大人椅子のデザインが先にあって、子ども椅子が後で作られるのがふつうなのだが、この椅子に限っては子ども椅子が先に作られたそうである。そして、のちに大人用に作られて、この形になった。Img_4593 大人椅子と子ども椅子とは、ふつうそのまま同じ尺度で拡大したり、縮小したりしたのではそれぞれ成り立たないことはわかっている。ここが微妙なところであり、縦横の拡大や高さの調節には、勘による部分が大きくて、設計図には残されていないそうである。

このような勘に頼る方法の欠点は、試作品を作るときと同様に、不確実性が残っているために、「失敗」に至る可能性がつねに存在する点である。Img_4591 U氏のこのドワーフ椅子の発展系には、上記の大人椅子と、もう一つ「大人用ハイチェア」とがある。じつは、このハイチェアへの発展を計画しているときに、「失敗」が起こったのだそうで、二つのハイチェアを見せてくださった。つまり、ドワーフ椅子の脚をずっと伸ばしたときに、背板の傾きと椅子の大きさとのバランスが崩れたのだ。けれども、完成させてしまえば、この椅子に合う利用者を見つければ別に「失敗」というわけではないだろうと思われるのだが。

Img_4595 最後に、興味深かったのは、U氏が複数の職人の方々と共同で工房を運営している点である。このところ、わたしが椅子製造の統計を扱っていて気付いたのは、日本の家具メーカー全般に事業所規模が小規模になりつつある点である。このときに問題なのが、若手の育成である。規模が大きくなれば、教育訓練の費用が賄えるが、小規模になればなるほど、その余裕がなくなることになる。つまり、現在の日本の家具メーカーでは、この若手の育成に「失敗」しつつあるのではないかと推測できるのである。

Img_4603 この点で、U氏の考え方はたいへん参考になったのだ。つまり現代においては、松本民芸家具などでかつて見られていたような、職人特有の徒弟制的なキャリア形成は難しくなってきているのだから、徒弟制とは違う形で、若手育成を図る必要があるとのことだ。一つのヒントは、古典的ではあるのだが、若手に下請けを受けてもらうことで、同時にOJT的な育成を図る方法である。つまり、積極的に作品の部分をアウトソーシングすることで、若手に同様の技術を身につけてもらうという方法だ。U氏は実際に行っていて、手応えがあるのだそうだ。この工房に来てもらって制作を手伝ってもらうことも考えているそうだ。若手の起点になればということらしい。

Img_4578 この工房で共同制作している若手職人の子ども椅子も、このショールームには展示されていた。ソファのイメージを子ども椅子へ落としたものだ。大学の講義で学生に人気投票させると、かなり票の集まる子ども椅子だ。そしてこれの大人椅子への発展形が、この座椅子に近い大人椅子で、テレビを床近くで見るのに好都合の椅子となっている。子ども椅子からの発展形は今後も多様に出てくる予感がしたのだ。子ども椅子、恐るべし。

Img_4576 ショールームに入ったところで、すぐに目に入ってきた椅子で、もっともシンプルな子ども椅子が置かれていた。じつは、これも子ども椅子展に出品されていた。あまりにシンプルすぎて、子どもの可愛さよりも、脚のつけ方という基本的な機能の方が目立つ椅子になっている。ほぞの組み方がたいへんきっちりしていて、滅多なことでは抜けない構造になっている。Img_4569 また、角の取れたつるりとした手に伝わる木の感触が素敵なので、思わず購入してしまったのだった。帰りに、街道沿いで見つけたハーブの店で、そのハーブのソフトクリームを楽しみながら家路に着いたのだった。

2016/08/11

松本で、O先生と夏カフェ

Img_4457 朝、信濃大町のいつものバス停のそばを通ると、外国人の男女がコミュニティバスを待っている。視線に入ってこなければ気にはならなかったのだが、今日は「山の日」の祭日なので、このバスはお休みのはずなのだ。Img_4459 旅支度の様子からして、時間はそれほど気に留めないタイプの方々だなとは思ったのだが、ここで待っていて、気がつく頃には半日は経ってしまう。Img_4460 ちょっと差し出がましいとは思ったが、ひと声かけて、異なる路線のバス停を教えた。結果としては、良かったらしく、そのまま松本駅まで、わたしと同じバスと電車だった。早めに旅を進めることができて、感謝されたのだ。

Img_4462 大糸線では、信濃大町駅を出発して、一駅ごとに気温が上昇していくようだった。松本駅へつく頃には30度を超えていて、夏の日差しが厳しい。O先生との約束は午後の1時だったので、それまでカフェ書店の「栞日」でカフェオレを取ることにする。Img_4463 ここはちょうど1ヶ月前に、以前店のあったところから、5軒先の広い建物「高橋ラジオ店」跡へ移転したばかりだ。ここ数ヶ月で、新しい喫茶店開店と、書店とギャラリーの移転と活版印刷スタジオ新設、新装ホテル開業にレンタル・自転車と、さらに今月初頭の木崎湖で行われたImg_4466 「アルプス・ブック・キャンプALPS BOOK CAMP 2016」(野外ブックフェア)主催と、栞日のご主人は八面六臂の大活躍だ。

Img_4464 店の周りを見ると、じつは小学校時代の友人宅がすぐ近くにあり、そしてわたしの幼稚園時代には、ここから数分のところに両親が家を借りていて、この店の前にある銭湯「菊の湯」へ毎日通っていたのだ。懐かしいな。Img_4467 この辺は、清水の源泉が常に出るので、銭湯の帰りにはその清水で冷えた壜牛乳を飲むのが習慣となっていた。「栞日」の二階から眺めると、当然銭湯も様変わりして、建物も近代的な様相に変わってしまっていた。半世紀以上前のことだものな。

Img_4465_2 栞日の1階には、新しい店へ移る動機となったという「活版印刷機」が置かれ、さらにブックフェアのスペースを挟んで、ベンチタイプの客席がゆったりと作られている。そして、奥にカウンターがあって、カフェオレをここで注文した。

Img_4469 活版印刷機は半世紀ぐらい使われ続けたものだそうで、思ったよりも大きい。機械の隣には、この印刷機のためのインク缶、さらに活字が書体・ポイントごとに置かれていた。将来ここで、小冊子を作りたいという希望をわたしは抱いていたのだが、残念ながら、当面チラシや名刺を作るだけで、冊子印刷は考えないそうだ。Img_4470 基本的な技術さえ習得すれば、あとは誰でも動かすことができるとは、ご主人はおっしゃっていたけれども、実際に活字を組む時には、時間がかかるのだろうなと想像するのだった。印刷機と活版印刷のスタジオという、いわば店の「シンボル」を持ったことで、実際の印刷もさることながら、栞日は新たなカフェ書店の理念を獲得したと思われる。

Img_4472 中央のブックフェアのスペースでは、東京蔵前の出版社「アノニマ・スタジオ」の「旅する灯台」展(日本の各地を照らすという比喩だろうか)を開催していて、同社が展開する料理本や野菜本、詩集、絵本が平積みされていた。Img_4532 英国のP.L.トラヴァースの「メアリー・ポピンズ」のシリーズで、『台所のメアリー・ポピンズ』を購入。家に帰って、娘にメールすると、幾つかのレシピを送ってくれれば、そのうちこのトラッドな料理を作ってくれるとのことで、さっそく「アイリッシュ・シチュー」などを送る。この本には、お話と一緒に、料理ノートがついているのだ。

Img_4461 2階へ上がると、壁一面に古いたんすや書棚がランダムに取り付けられていて、そこに書店の書籍が並んでいる。東京でも簡単に手にはいらいないような地方誌や、生活誌、デザイン誌だ。見逃していた建築雑誌「住む。」や日本民藝館が発行している「民藝」などを手にとって読む。Img_4471 ここにも、幾つかのアンティクの椅子が置かれていて、やはり「教会の椅子」も置かれていた。長野で座ったタイプと似ている。聖書や聖歌集をちょっと入れておくような、木のポケットが素敵だ。

今日、この2階では二つの活動が見られた。このような使われ方が、今後のこの店の活動を支えていくのだろう。Img_4475_2 一つは、近くにある市民のための音楽や演劇などを興行する会館の関係者だろうか、スタッフと思われる方々が事務所代わりに、ミーティングを開いていたのだ。Img_4477 何やら難しそうな話をして、顔突き合わせてアイディアを出しあっていた。この方々もたぶん、わたしと同様に、世の中がお休みの時に忙しい人たちなのだ。

もう一つ、2階には、喫茶店の客席部屋以外に、もう一部屋がギャラリーになっていて、その展示準備が行われていた。これから展覧会「Travelling with Spices」が始まるとのことだった。女性の写真家と画家のコラボ展覧会で、テーマは「spices」、インドの旅のことらしい。Img_4480_2 展示されていた一枚の絵の中に四角い窓が真っ白に描かれていて、真ん中なのに余白といった雰囲気をもたらしている。さて、ここに何を描きたいと思うか、と話しかけているようである。もう一枚の絵には、昔懐かしい路地が建物で囲われているという、インドの原風景が描かれていた。この画家の方は、注文でも絵を描くことがあって、肖像画の依頼もあるそうだ。Img_4473 1号が数千円からとおっしゃっていた。これらの展示から察するに、基本的には暇を楽しみつつも、なおかつそれを仕事にしている方々だと思った。

Img_4474 後ろから声がして、待ち合わせ前なのに、なんとO先生が現れた。午前中の卒業生との約束がキャンセルになったそうだ。これで松本滞在中、彼は栞日に毎日来たことになる。さらになんと、この栞日が主催する「アルプス・ブック・キャンプ」のオリジナルTシャツを早速着て登場したのだった。「旅する灯台」どころか、「歩く広告塔」ではないか。すでに日程が終了したキャンプとはいえ、来年の宣伝には十分に貢献することになるかもしれない。

Img_4490 この9月に取材でお邪魔する、工芸店「グレインノート」の奥様へ挨拶に訪れる。その9月には、恒例の「グレインノート椅子展」が開催されているはずで、すでにダイレクトメール用のハガキが完成していた。この椅子展では、この2月に亡くなった、S氏と親しかった木工作家の日高英夫氏の追悼コーナーも設けられるそうである。Img_4487 S氏が日高氏のお嬢さんのために作った子ども椅子が、「AI」と名前が刻まれて店先に展示されていた。この椅子が十何年間にわたって、何人かの人びとを結んでいたのか、と考えると感慨深いものがある。Img_4536 Img_4535

Img_4494 昼食は、O先生が予約を取ってくださったフランス料理「コトリ」で。O先生は牛肉のソティ、わたしは阿波尾鶏ローストだ。味付けはフランス料理なのだが、和風料理の健康に良さそうなところを取り入れている。大根や人参などの付け合わせがさっぱりした味だ。今日は新しい祝日「山の日」で、上高地などでレセプションや祭典や行事が行われる。Img_4497_2 それには、皇太子一家が出席することになっている。この第1回「山の日」式典に客が取られたせいか、このランチ時間に限ってはいつもより店はすいていた。それで、O先生とは十分に親密な話ができたのだった。

Img_4500 気になっているのは、O先生のブログを見ればわかるように、卒業生たちが彼とのランチや喫茶を目指して殺到していることである。これだけの若い女性たちと会うからには、何らかの目的があるに違いないだろうとふつうは思うのだ。もちろん、年齢からして、恋愛関係は除外できるとしても、それじゃ何なのだろうか。彼女たちの親たちもきっと気にしているだろう、ということはW大卒では考えられないだろうが。Img_4499 話の中で、ある卒業生のお母様から、写真を綺麗に撮ってくださってありがとう、とお礼を言われたそうである。Img_4501 さて、会う理由は、彼の専門はライフコース論だから、その標本集めではないかということは誰にでもわかるのだが、さてその標本をどのように整理されるのか、たいへん見ものである、というようなお話をしたのだった。

Img_4502 明日からはわたしは山奥にこもって生活をするので、そのためのジャムを調達しようと、女鳥羽川沿いのいつものコンフィチュールの店「シェモモ」へ寄る。写真でわかるように、ここも改装していて、今度の店はグリーン主体の落ちついた店構えになっており、さらに店の中も、販売部門と製造部門とがガラスで隔てられている。Img_4504 フランスにある専門店をイメージしたのだとか。もちろん、ガラス戸だから双方見ることができるので、ご主人が手を休めて、調理場から出てきてくれた。Img_4528 香辛料の効いた新しい味も出ていたが、やはり定番の「バナナとイチゴ」と「ブルーベリーとレモン」をそれぞれ購入する。明日から「甘い生活」が始まる。

Img_4508_2 O先生との夏カフェは、この日差しと気温との相談の結果、喫茶店「チーアン」を最後の訪問地ということにした。この後、喫茶店MとかLとか、名前は挙がったが、ここでの二人の話が弾んだ一方、身体の方が1学期間の重労働に耐えかねていたこともあって、ここを動きたくなくなったのだ。Img_4509 もちろん、身体の事情は、わたしだけの事情で、O先生は老いて!ますます盛んで、数日前に一つの原稿の校正を終え、さらに今月中に50枚書くのだそうだ。わたしも、予定だけは今夏全部で300枚を目標に掲げているのだが、やはり身体との相談だな、と弱気なのだ。

Img_4507 なんの話が弾んだのかというと、このところここでも書いてきた「生活科学」とはどのような学問か、ということだ。じつはO先生は放送大学の同僚だったことがあり、その時の彼の担当が「生活学」だったのだ。その後、ライフコース論へ彼の関心は移っていったのだが、もしそのままずっと放送大学に彼が勤めていたならば、当然「生活科学とは何か」という、現在の論争の中心を占めなければならなかったのだ。Img_4510 それで今回、実際にこのテーマをめぐって、面白い対話ができたのはほんとうに得難いことだった。このテーマは現在の彼の関心とも決してかけ離れたものでないことも確認できて、わたしとしては夏カフェの成果を十分に感じたのだった。

Img_4514 O先生とは、中町通りで別れて、最後に寄ったのは、これも行きつけになりつつある、コーヒーの焙煎屋「ローラ」と駅前の「中島酒店」だ。すでにローラは、今日からお盆休みに入っていて、ローラのコーヒー豆はまた今度ということにして、Img_4531 中島酒店ではご推薦の新しいもので、ちょっと若い感じのワインであったのだが、長野県中野市のぶどう酒ファームのシャルドネを買う。ジャムとワインが揃ったので、当分の禁欲生活も十分に耐え忍ぶことができるのではないかと思う。

2016/08/04

善光寺近くで、お昼に蕎麦を啜りつつ、面接授業を行う

Img_4371 長野市は古い門前町であるにもかかわらずというのか、門前町だからというのか、構造は極めてシンプルな形を取っている。脊柱のごとく、長野駅から善光寺まで垂直な「中央通り」が立っていて、真ん中あたりを水平な「昭和通り」が切っている。この昭和通りの西は長野県庁に至るし、東は長野市役所に至る。これら4象限に官庁街、商業街、ビジネス街、歓楽街などが収まっている。

Img_4356 今回の面接授業は、この中央通りと昭和通りが交差する、市の中心の場所に立っている「TOiGO-west」ビル3階で行われた。外国人をはじめとして、善光寺の参拝客が日差しを避けながら、このビルの前を通って、山門目指して登っていく姿を見ることができる。このビルには、長野市の生涯情報センターが入っていて、ここに放送大学の再視聴室なども入っている。今年は、わたしの担当する面接授業と同時に、放送大学の入学説明会も開かれていて、長野学習センターの職員の方も諏訪からいらっしゃっていた。

Img_4389 1日目の昼食は、隣のビルにある、やはり蕎麦屋さんへ。学生の方々と一緒に雑談しながら食べる。冷たいざるそばが喉を通っていくのは、この暑さの中ではほんとうに有難いものだ。じつは二日目も、中央通りを少し登ったところの蕎麦屋さんへ行く。経済学の林先生時代に修士課程を修了なさったK氏がこの長野市内に職場があって、授業の合間にいらっしゃるのかもしれないと思っていたら、彼の奥様がわたしの授業を取っていたのだ。Img_4368 それで、ゆったりできるこの蕎麦屋さんへ連れて来ていただいた。ところが、店に着くと、店の入り口には、すでに「準備中」という札がかかっていたのだ。Img_4364 そこは一応言葉を交わしておくべきだと思い、顔を入れて聞くと、二人なら構わないというので、良かったと胸を撫で下ろし席に腰を下ろしたのだった。それにしても、12時20分で、すでに本日の手打ち蕎麦が完売となるのだ。

Img_4358 K氏は放送大学を終了したのちも、信州大学へ入って、さらに学問の領域を広げていらっしゃることを奥様から聞いて、頼もしく思ったのだった。噂をしていたら、K氏ご本人から電話もかかってきた。地方へ来て、卒業生の方がたと会えるのは、率直に言って喜びだ。授業の積み重ねと、授業を超えたところの交流が存在するのだ。W大のO先生が地方旅行して卒業生と会いたくなるのも頷けるところだ。

Img_4361 1日目は午後5時には終了した。ちょうど盆地の山の陰に太陽が沈む頃だったので、日差しがなくなり、少し歩きたい気分が出てきたのだった。このまま中央通りを登って、宿坊を両側に見つつ、高村光雲が原型を作った仁王像のある山門をくぐり、善光寺の本殿へ参る。Img_4373 すでに、善光寺の大方の業務は終了していたので、参拝客もほんのわずかしかいなかった。善光寺では、寺の運営をめぐって、内紛が伝えられている。Img_4369 外からはよくわからないのであるが、この写真にある寺のお知らせのような文章は何やら意味深の感じがするのだった。

Img_4391 宿への帰り道の参道沿いには、善光寺参りの名物となっている、唐辛子の老舗がある。この八幡屋儀五郎店が経営する「横町カフェ」へ、裏道側から入る。辛味といえば、カレーだと思い、そのままの野菜カレーを夕飯として注文する。Img_4376 テーブルには七味唐辛子が並んでいて、自分で辛さをコントロールできるようになっている。わたしが今日最後の客だったらしく、広い喫茶店を独占して食べることができた。Img_4377 だから、より辛くなるというわけではないのだが。食後のコーヒーを頼もうとしたら、この店の食後の特別な飲み物で、柚子入り甘酒があったので、それを取ることする。辛さを中和して、神経を宥めてくれるのだ。

Img_4375 食後、中央通りの一本裏の通りを、権堂アーケードへ向かって下っていく。途中、入りたくなるような喫茶店やランチの店などが点々として、今度来るときにはこの街を目指してくるのも良いのかもしれないと思った。Img_4385 これらの店の幾つかには、O先生のブログで見た覚えのあるものもあったから、Img_4383 長野市で寒い時期の冬カフェというのも良いかもしれない。

Img_4393 二日目の面接授業もいつものように拍手とともに終わって、長野駅から高速バスで1時間ほどのところで、明日から開催される「ALPS BOOK CAMP」という、野外ブックフェアの催しへ行きたいと思ったのだが、Img_4395 じつは長野市では明日6日は、「おびんずる祭」という、長野市民総出の善光寺のお祭りがあり、中央通りには踊りの人波が溢れるのだそうだ。この理由と、さらに6日には若者から中年にかけて人気のあるらしい「嵐」のコンサートが重なり、5日の宿泊は望み薄になっていたのだ。

Img_4398 お昼にK氏の奥様からお話を伺ったところによると、「おびんずる祭」は昔からあったのだが、この6日に行うようになったのは、松本市の「ぼんぼん祭」に対抗して、客を取られないように始まったらしいとのことだった。Img_4399 長野県では、長野市と松本市の対抗意識というのは、明治初期の廃藩置県後に、筑摩県だった松本市が長野県に併合された時から、さらに遡れば、戦国時代の武田寄りの松本と、上杉寄りの長野との川中島決戦が行われた時からにも由来するとも言われ、かなりの累積的な意識が存在することが知られている。Img_4388 もっとも、これは信州人の中だけの地元における特殊な対抗意識で、他の地方へ行けば、このような意識は問題にされないのだが、ご当地ではみんなが血相を変えるものがあるのだ。

Img_4414 長野市での最後の訪問は、K氏から教えていただいた隠れ家的自家焙煎の喫茶店「ヤマとカワ珈琲店」だ。権堂アーケードから、少し登った住宅街の中にある、二軒長屋の1軒だ。戦前に建てられた建物らしい。かなり年季が入っている。Img_4415 玄関を登ると、すぐにカウンターになっていて、自家焙煎の豆を売っている。店では、深煎り(ガテマラ)と中煎り(ブラジル)と浅煎り(エチオピア)のコーヒーが揃っていたので、授業で体力的にヘトヘトな状態で、胃腸も同様に疲れが出てきている、というので、元気を出すために深煎りにしたかったのだが、これはお土産に家へ持って行くことにした。Img_4420 それで、いただいたのはフルーツケーキと浅煎りコーヒーだ。アンティークの教会椅子に腰掛けて、フーッと息をついた。

Img_4422 二年前に開店したそうだ。よその店で、2週間みっちりコーヒーの淹れ方を学んで、その後は自分で切り開いて、今日の味を形成してきたのだそうだ。Img_4424 焙煎機は二代目で、ピカピカのものが置かれていた。喫茶店よりも、焙煎専門店に比重があるのではないかと、若いご主人はおっしゃっていた。ご自分では、サービス業よりは製造業でありたいという意識なのだそうだ。なるほど。推察するに、豆の焙煎の方が利益率も良いのではないかと思われる。

Img_4423 店の紹介文の中で、開店時間が「12時から日没まで」、ということになっていた。なぜ「日没」なのかというと、自然を大事にしたいからだということだった。午前中には焙煎を行い、午後には夏は長く、冬は短く、葉っぱの色が変わるのを見て、鐘の音がゴーンとなる時間を大切にしたいのだそうだ。また、このような喫茶店に来る交友関係にも自然と面白いものがあるそうだ。Img_4426 たとえば、長野市近辺には、同世代の職人さんの友人が数人いて、この中には木工の職人さんも訪れるそうである。木工の専門学校を出て、アンティークの修理専門を行っている若手の方だそうだ。そのうち、紹介してもらって、取材したいと思ったのだった。

Img_4430 帰りは、長野電鉄の権堂駅から、長野駅へ出る。この路線は、長野市内では古い地下鉄になっていて、駅には田舎で取れた野菜が売られていたのだ。Img_4429 エリンギとモロッコ・インゲンが旨そうだったので、即購入。家への良いお土産になった。なんと駅の改札口で、切符と一緒に野菜の支払いを済ませたのだった。家に帰って、さっそく料理してもらった。モロッコ・インゲンのキュキュという食感が素晴らしいのだ。Img_4431_2 それから、K氏から頂いた「七味唐辛子」も煮物の味付けなどにありがたくいただいている。この箱のどこかに唐辛子の隠し絵が入っているそうなのだが、しかとは確認できなかった。たぶん、壁の模様ではないかと思われるが、Kさんいかがでしょうか。

2016/08/03

「生活科学」という学問分野はいかにして可能か(III)

Img_1211 歳を取り、自分の身の回りのことを一切できなくなって、他者に自分の裸までも見せなければならなくなったとき、いったい誰に頼むのだろうか。このような状況の認識については、どのように映像化できるのだろうか。映画「或る終焉(原題:Chronic)」を観る。原題のクロニックというのは、「絶え間なく不断に続くこと」という意味だ。病気で言えば、慢性的ということらしいが、日常生活では習慣的ということだ。映画のテーマは明らかに、自分の領域に他者が入ってくる日常の関係を描いている。日常的に裸を見せる他者とは誰なのか。ここで、患者と看護人との間の「親密性」ということが問題となる。この親密な二者関係というものは、クロニックなものであるのだ。他方、その関係が続かなくなり関係が無くなるときには、どちらかの死を意味することになる。

Img_4408 この映画の中心となっている「親密性」とは何か。俳優のティム・ロスが演じる主人公の看護人デヴィッドと患者との関係を、3~5ケースにわたって、オムニバスに描いているところに現れてくる。そして、それにもう一つの親密な関係である、デヴィットの娘や息子、さらに離婚した妻との家族関係が絡んでくる。果たしてこの映画の取り上げている、親密な関係とはいったい何だろうか。家族関係との対比において、患者と看護人との親密関係が明らかにされている。

Img_4409 映画冒頭のケースで、典型的な「患者・看護人関係」が描かれている。エイズで終末を迎えている患者サラを、看護人デヴィッドが引き受ける。患者サラがもし健康であるならば、決して他者の世話にならないような、プライベートな身の回りの世話の領域に、看護人デヴィッドは「侵入」することになる。ここには、家族でさえ、入り込めない領域なのだ。家族がサラと歓談していると、デヴィッドはそろそろ帰宅時間であることを告げるほど、親密性の強い関係を見せつけるシーンが織り込まれている。この関係は擬似的な夫婦関係に近い状態まで進むことになる。数日後サラが亡くなって、デヴィッドはサラの葬式に出る。そこで姪からサラの話を聞かせてほしいと頼まれるのだが、それを拒否する。だが、他方見ず知らずの人には自分の「妻」として、サラのことを話して聞かせるのだった。患者・看護人という関係はそこまで親密性を発揮するところまで行くのだ。

Img_1230 もう一つの建築家ジョンという終末期患者のケースでは、もっと印象的な親密関係が描かれることになる。デヴィッドは、本屋へ行って建築書を購入したり、ジョンの設計した家を訪れたりして、ジョンとの親密な関係を強めようとするのだ。この企ては、家族が二人の関係に嫉妬することで挫折することになるのだ。ここまで、侵入するのかと思えるほどだ。ほんとうなら他者を拒否するようなところにまで、本人の親密圏内に入ろうとする。ここでは、家族からデヴィッドがセクハラで訴えられるという誤解が生ずるということも、親密な領域に他者が侵入するからこそ起こることだと考えられる。まさに、患者・看護人関係の本質が現れると同時に、この親密性の限界も示していることになるのだ。

Img_4403 映画の最後のシーンは衝撃的だ。映像技術的にすごいと同時に、親密の二者関係というものの宿命を教えることになっている。二者関係には、片方が崩壊すると継続性のないことを教える。ここが三者以上の社会関係と異なる点だと思われるのだ。

Img_4413_2 さて、今日は朝早く、横浜の家を出て、午前中に千葉幕張で会議に出て、加えて午後からは東京文京学習センターで修士課程の方の研究指導を行い、さらに東京駅から北陸新幹線で長野市へ向かったのだ。泊まったホテルが、善光寺に一番近いホテルという売りのところなのだ。Img_4404_2 それで一番近くの駅である、長野電鉄二つ目の権堂駅で降り、七夕の飾りが連なる「権堂アーケード」を通って、途中の長野市の名画座である、木造造りの古い映画館、相生座「銀座ロキシー」に着く。ここで、「出張先で映画」と相成ったのである。仕事の1日だったが、最後に遊びも加えた充実した1日だったのだ。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。