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2016/08/03

「生活科学」という学問分野はいかにして可能か(III)

Img_1211 歳を取り、自分の身の回りのことを一切できなくなって、他者に自分の裸までも見せなければならなくなったとき、いったい誰に頼むのだろうか。このような状況の認識については、どのように映像化できるのだろうか。映画「或る終焉(原題:Chronic)」を観る。原題のクロニックというのは、「絶え間なく不断に続くこと」という意味だ。病気で言えば、慢性的ということらしいが、日常生活では習慣的ということだ。映画のテーマは明らかに、自分の領域に他者が入ってくる日常の関係を描いている。日常的に裸を見せる他者とは誰なのか。ここで、患者と看護人との間の「親密性」ということが問題となる。この親密な二者関係というものは、クロニックなものであるのだ。他方、その関係が続かなくなり関係が無くなるときには、どちらかの死を意味することになる。

Img_4408 この映画の中心となっている「親密性」とは何か。俳優のティム・ロスが演じる主人公の看護人デヴィッドと患者との関係を、3~5ケースにわたって、オムニバスに描いているところに現れてくる。そして、それにもう一つの親密な関係である、デヴィットの娘や息子、さらに離婚した妻との家族関係が絡んでくる。果たしてこの映画の取り上げている、親密な関係とはいったい何だろうか。家族関係との対比において、患者と看護人との親密関係が明らかにされている。

Img_4409 映画冒頭のケースで、典型的な「患者・看護人関係」が描かれている。エイズで終末を迎えている患者サラを、看護人デヴィッドが引き受ける。患者サラがもし健康であるならば、決して他者の世話にならないような、プライベートな身の回りの世話の領域に、看護人デヴィッドは「侵入」することになる。ここには、家族でさえ、入り込めない領域なのだ。家族がサラと歓談していると、デヴィッドはそろそろ帰宅時間であることを告げるほど、親密性の強い関係を見せつけるシーンが織り込まれている。この関係は擬似的な夫婦関係に近い状態まで進むことになる。数日後サラが亡くなって、デヴィッドはサラの葬式に出る。そこで姪からサラの話を聞かせてほしいと頼まれるのだが、それを拒否する。だが、他方見ず知らずの人には自分の「妻」として、サラのことを話して聞かせるのだった。患者・看護人という関係はそこまで親密性を発揮するところまで行くのだ。

Img_1230 もう一つの建築家ジョンという終末期患者のケースでは、もっと印象的な親密関係が描かれることになる。デヴィッドは、本屋へ行って建築書を購入したり、ジョンの設計した家を訪れたりして、ジョンとの親密な関係を強めようとするのだ。この企ては、家族が二人の関係に嫉妬することで挫折することになるのだ。ここまで、侵入するのかと思えるほどだ。ほんとうなら他者を拒否するようなところにまで、本人の親密圏内に入ろうとする。ここでは、家族からデヴィッドがセクハラで訴えられるという誤解が生ずるということも、親密な領域に他者が侵入するからこそ起こることだと考えられる。まさに、患者・看護人関係の本質が現れると同時に、この親密性の限界も示していることになるのだ。

Img_4403 映画の最後のシーンは衝撃的だ。映像技術的にすごいと同時に、親密の二者関係というものの宿命を教えることになっている。二者関係には、片方が崩壊すると継続性のないことを教える。ここが三者以上の社会関係と異なる点だと思われるのだ。

Img_4413_2 さて、今日は朝早く、横浜の家を出て、午前中に千葉幕張で会議に出て、加えて午後からは東京文京学習センターで修士課程の方の研究指導を行い、さらに東京駅から北陸新幹線で長野市へ向かったのだ。泊まったホテルが、善光寺に一番近いホテルという売りのところなのだ。Img_4404_2 それで一番近くの駅である、長野電鉄二つ目の権堂駅で降り、七夕の飾りが連なる「権堂アーケード」を通って、途中の長野市の名画座である、木造造りの古い映画館、相生座「銀座ロキシー」に着く。ここで、「出張先で映画」と相成ったのである。仕事の1日だったが、最後に遊びも加えた充実した1日だったのだ。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。