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2016年7月に作成された投稿

2016/07/28

馬車道のビール屋で飲む

Img_4320 大学時代の友人F氏と待ち合わせて、昔懐かしい関内の馬車道でビールを飲むことにする。東京神田に勤め先があるF氏は、仕事を終えてから、電車を乗り継いで、関内駅に着いた。

関内という駅は、分散型の駅を構成している。東口と西口とが完全に分断されているというイメージが強い。そういえば、横浜市には南北の区によって格差が広がっているという南北問題があるのと、もう一つ、中心地が横浜西口とこの関内に分かれているという、分散問題があるのだ。Img_4321 なぜ関内が横浜の中心地を占めることができないのか、という重要な問題は、横浜が東京のベッドタウンであることから生じたことなのだが、その対策が未だに打たれてきていないという事情が、関内の中心地としての地位を危うくしているのだ。関内は、東京から自由なところにあるのだから、その利点を生かすべきだと思われるのだ。

Img_4323 中でも、馬車道の特徴がここ近年削がれてきているのは、惜しい。映画館がなくなり、老舗の小売店が閉まってきている。そこで今回、たまには馬車道で飲もうということになった。まず向かったのは、関内から馬車道に入って、一つ目を左に入ったところにある、「勝烈庵」だ。とりあえず、腹拵えしてから飲もうということだ。勝烈庵のトレードマークは、棟方志功の女神像で、これを拝めば、みんな幸せな気分になる。トンカツと同じように、豊かさの象徴として役割を演じている。混んでいる1階は避けて、2階へ向かう。ちょうど夕飯にはまだ早い時間だったので、ゆったりとヒレカツを頬張ることができた。当然のように、キャベツをお代わりして、シジミの味噌汁で、どんぶり飯をたっぷりと食べた。

Img_4330 もしランチに来たのであるならば、この裏通りにある馬車道十番館でコーヒーを飲んで、午後に備えるのだが、今日はビールが御目当てなので、直接ビール屋へ向かった。ビールは、いつもの「タップルーム」でベアド・ビールの「アングリーボーイ」だ。ビールのつまみはお腹がいっぱいであることもあって、雑談で済ませた。

Img_4334_2 雑談にはテーマがないのが特徴であるのだが、取り立ててあげるならば、一つは「定年」ということが話題になった。60歳代半ばを迎えた二人にとって、仕事の転換期を迎えている。Img_4335 本務を辞めた後のことを考える必要がある時期を迎えているのだ。一つは、今の仕事の延長線上で、何かできることがあるか、ということを話した。幾つか、思い浮かんだ。もう一つは、今の仕事から離れて、何かできることがあるのか、ということも話した。

Img_4338 彼の実家は、かつて銀座に近い築地で、印刷屋さんを営んでいた。そこには立派な活版印刷機が備わっていた。それで、今回も仕事に関係ないことでは、私家版を作りたい、美しい小さな本を作りたい、ということが話題になった。互いの本の内容は、幾つか候補が上がっていたが、率直に美しい本が出来上がることを夢見たいと思ったのだった。

Img_4343 ハッと気がついて時計を見ると、12時近くなっていた。彼の家は小田急線なので、関内からは横浜線で向かい、町田へ出て乗り換えなければならない。翌日のメールで、無事最終電車に間に合ったことが書かれていた。

Img_4326 今日の椅子は、勝烈庵の待合椅子だ。トンカツが目の前を運ばれていく。それを見ながら待つために、満席の部屋の隅っこに据えられている木製のベンチだ。座板が一枚板でできている。ふつう、これだけの板であれば、これだけで三人分の体重を支えるには十分なのであるから、脚を板に直接取り付けそうである。ところが、この椅子はその辺がすごく丁寧なのだ。脚は完全に板全体を受け止める形に作っていて、真ん中にも受ける脚が通っている。この丁寧さのために、かえって職人の方のこの一枚板への思い入れを感じてしまうのだ。また、この座板がくりぬかれていて、この点でも丁寧な仕事を感じさせる。Img_4345 多分、この穴にはクッションが入ることが想定されていたに違いないのだが、それを取り除いて、この穴を強調する形で、店に置かれている。クッションが置かれなくても十分にこの椅子が好ましいと感じさせる形を保っている。

2016/07/24

「生活科学」という学問分野はいかにして可能か(II)

Img_1194 放送大学の期末試験は、今が真っ最中である。朝、幕張地区のビル群を横目で見て、青空だらけの道をつき抜けると、千葉学習センターの駐車場が見えてくる。いつも、おはようございますと、玄関で挨拶する守衛さんたちは、自動車の整理に追われて、外に出ている。すでに、駐車場は満杯だ。

Img_1196 最近の関心事の一つに、「生活科学」という学問分野の本質とは何だろうということがある。じつは先月になってしまったが、放送大学博士課程の「生活健康科学」プログラムの報告会という催しが非公開で行われて、オブザーバーとして出させていただいた。わたしの所属する「社会経営科学」プログラムは社会科学で、このプログラムは、「生活科学」を基本的な方法として考えているという違いがある。

Img_1195 報告会の内容については、非公開の場なので、ここで言うことはできないのだが、わたし自身の感想として、「生活科学」と「社会科学」とはどこが異なるのか、という当然の疑問が湧いてきたのだった。それで止せば良いのに、つい口が滑ってしまって、「生活科学」などという学問が成立するのでしょうか、などと素人発言をしたものだから、その場にいた「生活健康科学」プログラムの先生方から随分と顰蹙を買ってしまったのだった。

Img_1191 「生活科学」の源流には、幾つかの流れが存在することがわかっている。社会学では家族社会学やライフコース論などの系譜が存在することはよく知られているのだが、彼らは社会学の流れの中に収まっていて、「生活科学」という形で外へ出ることはあまりない。やはり「家政学」という分野の系譜との関係は深いと見ることができる。個人化の影響を受けて、家庭生活を中心に衣食住を考察してきた家政学が成り立たなくなって、個人が衣食住の活動の中心的な役割を担うようになったという認識が広がったのだ。家政学がその名の通り、家庭生活の中での人間と環境との関係を見ることにあるが、この観点が家庭の中での個人化の進展や、個人と社会とのダイレクトな関係が発展するにしたがって、家庭という視点が次第に失われるようになったと、これはやや早計だと思われる面もあるが、家政学会が積極的に認定してきたことを示している。ここには、社会福祉の進展が社会の側にあったし、さらに「生活者」という個人化の象徴が発達したことが作用しているのだが、果たしてその通りに、生活科学は発達してきているのだろうかという疑問が未だに存在するのだ。

Img_1193 このような事情は知っていたのだが、今回じつは、タイミングの良いことに、生活健康科学プログラムの博士課程のKさんと、二日間にわたって議論する機会を得たのは、幸せなことだったと思う。「経済学研究法」という授業を15回分、つまりは約22時間ぶっ通しで授業を行う、という過酷なカリキュラムだ。けれども、研究法の方は、ほどほどに済ませて、Kさんのテーマに沿って話し合いを進めたところ、この議論が盛り上ったのだった。Kさんはたいへん意欲的で、前の晩から本部に泊まり込んで、レポートを仕上げてメールで送ってきていて、準備万端で臨んできたのだった。

Kさんの博士論文のテーマは、患者と歯科医との関係を扱ったもので、まさに「生活科学」なのか、「社会科学」なのかが凝縮されて、問題状況として出てくる面白い対象だと言える。このテーマに沿ってでさえ、「生活科学」と「社会科学」との違いについて、おおよそ5点から6点の中心的な問題が明らかになったのだ。久しぶりに、議論から練り上げていく論文作成の醍醐味を味わうことができたのは、喜ばしい限りだ。いずれ、博士論文として現れてくるだろうから、暖かく見守っていきたい。詳しいことを知りたい方は、来年には成就されるであろうKさんの博士論文をぜひ読むことをお勧めしたい。

2016/07/23

「生活科学」という学問分野はいかにして可能か(I)

昨年書いた文献紹介の文章が1年あまりが経って、

ネットで公開することが解禁となった。遅ればせ

ながら、再掲させてもらう。

(季刊家計経済研究 2015 AUTUMN No.108

掲載)

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なぜ家計経済研究の方法は転換されたのか? 

・・・『御船美智子論文集』(2015)を読んで

 『御船美智子論文集』が光正館から発刊された。

御船氏が6年前に他界して、かつての仲間たち・

後継者たちが彼女の代表的な著作を集めて編んだ

書物である。御船氏個人の著作活動全体がわかる

だけでなく、彼女が1977年に24歳で一橋大学の

大学院生として著作活動を始め、2009年に55

で「家計経済研究」の中枢のひとつたるお茶の水

女子大学生活科学部教授として研究を終えるに至

る「時代の変化」を感じることができる論文集に

なっている。今日興隆してきている「生活科学研究」

の源流のひとつがここにあることのわかる書物だ。

 「刊行によせて」の中で、岩田正美氏(日本女

子大学)が「(彼女の研究は)家計構造だけでなく、

家計管理組織、生活主体論にまで広げた野心的な

ものに高まっていた。その狙いとするところは、

従来の家計構造の限界を超え、家族社会学やジェ

ンダー研究とも異なった意味での、経済を基礎と

した生活関係の総合的研究であった」と的確に述

べているように、彼女が生き、また研究対象とし

た時代はちょうど旧来からの近代経済学的な消費

経済学や家政学的な家計管理論から脱して、生活

者を中心とした「生活科学研究」が求められる時

代に到達していた。

 全体の章は、御船氏が取り上げた家計経済の

キー概念である「生活経済の体系」「生活経営」

「消費者教育」「家計の長期研究」「家計組織研究」

「生活政策」の順に、全6章が構成され7つの解題が

付され並んでいる。この章の中に、それぞれ2

から5本の論文、全体で18本の主要な御船論文が

収められている。

 これらの論文の魅力は、各章の解題を書いた彼

女の仲間たちによって余すところなく伝えられて

いる。解題を読んで察するに、御船氏の論文は大

きく二つに分類される。ひとつは、色川卓男氏(静

岡大学)、上村協子氏(東京家政学院大学)、磯村

浩子氏(日本消費生活アドバイザー)の解題で代

表されるような、ざっくり言うならば、生活者概

念の「主体性」「自律性」を強調する論文群の存

在である。第2章の解題で、上村氏は「(御船氏は) 

生活の自立と消費者の自立を図るキー概念として、

自律的アイデンティティに注目した。役割を超え

て、統合して生き生きとした生活を営むことを志

向した」という、いわゆる生活創造論を構築した

と指摘する。また、磯村氏は第3章での消費者教

育のあり方として、「消費者自身が主体的な意思

決定を行うためには、学習すべき内容を体系的に

組織する必要がある」と御船氏が述べていたこと

を取り上げている。

 もうひとつの御船論文の方向性は、同じく解題

を担当した中川英子氏(宇都宮短期大学)、重川

純子氏(埼玉大学)、李秀眞氏(弘前大学)によっ

て指摘されている。御船氏が従来の家計簿分析や

家計管理論の限界を認識し、新たな「家計組織研

究」を行ったとする論文群が存在すると考えられ

ている。第4章の解題で中川氏は「狭い意味での

家計では対処できず、家庭生活の経済としての視

点を進め、さらには経済全体を生活の視点で再構

築することも視野に入れ、課題の達成方法を探る」

という家計経済研究に踏み込むべき時代を、御船

氏が感じていたことを指摘する。さらに、第5

の解題で重川氏や李氏が指摘するように、御船氏

は夫婦間における財産形成の不平等性を指摘し、

「ブラックボックス化していた家計の内実を可視化

し、世帯内経済関係のジェンダー不平等を示し、

それを踏まえた社会の仕組みへの提案」をすべき

とする。

 これらの二つの傾向で真に注目すべきは、この

傾向が御船氏の論文特性にとどまらずに、時代を

反映したものになっている点である。色川氏が「は

じめに」の中で、御船氏の「分野別業績数の推移表」

を掲げている。これによると、御船氏の著作は前期、

中期、後期の三つに分かれる。第1に、彼女は前

期の1970年代後半から1980年代前半にかけて、「家

計の現状」分野に力を注いでいたことがわかる。

ここでは、家計の個別化を指摘し、「個計化」と

いう言葉をはやらせている。第2に、中期の1980

年代後半から1990年代前半には、「生活経営」と

「家計組織」分野に重点があり、「家計組織化」研

究をリードした。そして第3に、早すぎた後期の

1990年代後半から2000年代前半には、「生活経済」

に関する業績が最も多いという結果が示され、そ

のなかでは「生活者」概念を家計経済へ持ち込ん

だ研究を集中させている。これらの研究は、時代

の趨勢を反映していた。

 ここで御船氏にとっておそらく最大の問題だっ

たのは、なぜ家計組織研究から生活者の経済研

究へ転換しなければならなかったのか、という点

である。中期において実りある家計組織研究を成

功させていて、家計組織の内部構造タイプを次々

に実証研究で明らかにさせていたにもかかわらず、

なぜ後期においては、組織研究をあえて諦めて、

生活者の経済研究への転向を行う必要があったの

か、という疑問がある。組織研究の実証実績があ

りながら、あえて理念的な生活者概念にこだわっ

たのか、という点が御船氏の示している事実であ

り、かつわたしが疑問とするところでもある。組

織から個人へ方法的関心を移したのは、きわめて

不思議な転換であると思われる。

 推測であることを留保して述べることが許され

るならば、第1に、前期に御船氏が明らかにした「個

計化」という家計の傾向は、彼女の頭のなかでは

意外に大きな位置を占め続けたのではないかと推

測される。共働き所得増大や財産所有の個別化な

どの家計組織に与える影響を予知しており、家計

システムはいずれ崩壊するとみて、これに対処す

る個人概念の考え方を立てる必要を感じていたの

だと思える。第2に、ジェンダー研究からの影響

は大きかった。家計の内部組織研究で、「ジェン

ダー格差」が依然として続いていることを明らか

にしたために、この状況からの理論的脱却を必要

としていた。これは時代の要請でもあった。第3に、

「生活者」という理念に対して、かなりの理論的肩

入れを行っていた。近代市場社会で断片化された

消費者・労働者という概念に対して、役割分業を

超えたもっと包括的な生活者像を御船氏は求めて

いたのである。

 じつは、ちょうど彼女が中期から後期への転換

を終えてしばらく経ったころ、『季刊家計経済研

究』43号(1999)が御船氏とわたしとの対談を

設けてくださった。多くは御船氏の動向をお聴き

して和やかに進んだのだが、唯一かなり鋭く対立

した点があった。それは家計の共通資源・共同資

産などの「家計のプーリング」というシステムを

めぐってだった。御船氏は生活者が存在して、個

人的ネットワークを形成すれば、家計というシス

テムは存在しなくてもよいと主張した。他方、わ

たしは個人的ネットワークが形成されたとしても、

家計システムは存在するし、また保たれるべきだ

と主張した。今になって振り返るならば、その後

の時代は確実に御船氏がおっしゃった方向へ進ん

でいる。けれども、依然として家計システムのプー

リングは存在することも確かである。今となって

は昔懐かしい対立であり、いまだに帰趨は明らか

でないのだが、この点はじつは御船氏が「結節点

としての家庭概念」を捨象する方向へ進んでいた

とする、本書32頁の色川氏解題の中での証言とも

符合することなのである。

 わたしが思うに、この点がなぜ今日でもなお曖

昧なまま残されているのかといえば、「生活者」と

いう考え方が、古い考え方にもかかわらず、「生

活科学研究」の中でいまだに定着できないでいる

からだと思われる。消費者や労働者などのバラバ

ラな役割を統合するとする理想的な「生活者」像

は理念的には素晴らしい考え方であっても、現実

の世界でこの概念が実際に受け入れられるところ

は、消費者概念に比較すればそれほど多いとは言

えない。そのことは今日の消費者庁や消費者基本

法の名称選択においても、残念ながら明らかであ

る。「生活の視点」が重要なことは多くの人が認

めるところであるにもかかわらず、「生活者」とい

う概念が、いつの間にか手垢にまみれて姿を消し

てしまうのではないかと危惧している。

 他方、そうは言っても、じつは最後に申し上げ

たいのは、今回論文集という形で、御船氏の仲間

たち・後継者たちが予想以上の頑張りをみせてい

ることを知ることができたことで、わたしは僭越

ながらこの数年間の彼らの努力に対して敬意を表

し、率直に喜び、同時に最高のエールを送りたい

気分になったのも事実だということである。

『御船美智子論文集』(2015

光生館、2015年、328ページ、3,000円(税別)

 

(季刊家計経済研究 2015 AUTUMN No.108

掲載)

2016/07/17

夏期合宿の二日間

Img_4286 夏期恒例の大学院ゼミナール合宿が始まる。今年度、いつもゼミを開催する、セミナーハウスの研修室には先着予約が入っていて、残念ながら利用することができなかったのだ。そこで放送大学本部の部屋の中でも少し広い、本部西研究棟8階のラウンジを使用することにした。Img_4282 先週のうちに借りておいたパソコンやスクリーン、マイクにスピーカーなどを午前中に運ぶ。放送大学も御多分に漏れず、経費削減が激しくて、このような準備はすべて教員が行うのだ。運ぶのは良いのだが、このラウンジの机はがっしりしすぎていて、会場のセットに時間がかかってしまった。幸い、早く来たAさんが一緒に手伝ってくださったのだ。

Img_4290 全部で述べ30名の方々が今回参加してきている。先生方も5名体制で対応したし、さらに修士課程を修了したOBHさんとYさんが駆けつけてきて、議論に参加してくださった。二日にわたって、10数人ずつが分かれて発表を行うことになった。途中、懇親会が一日目の夜に行われるために、一日目で発表を終えた方々はすっきりした気分で懇親会へ出ることができるが、二日目の発表を行う方々は、気もそぞろとなる。懇親会での話題は、発表内容が多くなるので、一日目に発表なさった人々は、内容を知ってもらっていることもあり、質問を受けやすいのだ。この点でも、有利に働くが、こればかりは順番で仕方がないだろう。二日目には、震度3の地震も来た。このビルの8階にある合宿会場がかなり揺れたのだ。

Img_4298 今の季節には、それぞれの研究論文にとって、一つの転換期を迎えているのではないかと思われる。M1の方々にとっては、4ヶ月くらいかけて先行論文を読んできて、そろそろ研究の方向性への筋みたいなものがいくつか見えてきた頃ではないかと思われる。この「筋」というのものは文脈を作る上で大切だから、大事に育てていただきたい。M2の方々には、そろそろ草稿に取り掛からなければというプレッシャーがかかる時期だ。ここで急がずに、一息つくのが良いのだ。つまり、今までやってきたことを、1日かけて考え直す余裕が欲しい。白紙と鉛筆一本だけを持って、一部屋に閉じこもって、数時間かけて集中的に「結論」を検討していただきたい。とりわけ、草稿の文脈がこの結論と有機的な関係を持つように考えていただきたい。

Img_4301 今日のゼミが終わり懇親会まで、1時間ほど余裕を見てスケジュールを立てたのであったが、結局超過してしまい、店に着くのが遅れてしまった。いつも夏の合宿では、近くの中華料理屋「ホイトウ(回頭)」にお世話になっている。今日も、他のお客に最初に少しうるさくなることを納得していただいて、議論と料理を楽しんだ。

Img_4284 隣の席には、島根大学の林業専門のI先生(農業経済学)が座っていたので、木材産業についての話で盛り上がった。その中で、「独林家」つまり林業の自営農民あるいは単独の森林所有者という人びとが存在することを知った。みんなが知っているように、現在の木材価格はかなり低迷していて、森林の山の値段は極端に安いそうだ。それで、I先生も「林家」になる夢を持っているのだ。わたしの祖先にも、「山師」の系統があったので、もう少し若ければ、この方向を目指し、山々を駆け巡っても良いなという妄想が、旨い紹興酒の酔いが回るほどに、湧いてきたのだった。植林された一山を数十万円で 買えると聞いたが、ほんとうだろうか。

第2日目は、朝9時始まりで、昨日と同様の人数の発表が待っていた。そして最後には、恒例の記念撮影を行って、部屋の片付けをして、ほぼ予定どおりの時間に終了したのだった。先生方、先輩諸氏、学生の方々、ご苦労様でした。帰りには、妹夫婦のご馳走に呼ばれていて、ここで二日間の疲れをすっかり落として、夜遅くなってようやく家路に着いたのだった。

2016/07/14

自由さと頑なさ

20160721_173313_3 社会的な動きが自分の人生に影響を与えることがあるのだが、ふつうは直接的ではなく間接的であって、それらはじわじわと「社会化」過程として、わたしの中へ入ってくるのだ。けれども、交通事故や自然災害と同じように、その社会的な動きが直接的な動きとなって、わたしの中に入ってきたことが、これまで数えるほどではあるのだが、数例あるのだ。


http://www4.nhk.or.jp/anotherstories/x/2016-07-13/10/8680/1453030/

なぜこの時期にこのドキュメンタリーが流されたのかはわからないところがあるのだが、NHK「アナザー・ストーリー」で流された「東大安田講堂事件~学生たち 47年目の告白~」を観る。

20160721_173227 若い人たちにはこの出来事は馴染みがないだろうが、この番組の謳い文句は、次のようなものだった。「1969118日。学生たちが立てこもる東京大学・安田講堂を警察機動隊が包囲した。警察の催涙弾と放水に、火炎瓶や投石で抵抗した学生377人が逮捕、その姿はTVで生中継された。あのとき何が起きていたのか?事件から47年、学生の中心メンバーや機動隊員らが、初めて詳細な証言を始めた。発端となった小さな火種はなぜ大きくなったのか?対峙した大学の極秘資料も公開、東大・安田講堂事件の真相に迫る」という宣伝がNHKのウェブサイトに掲げられていた。1969年の1月に、最終的に東大本郷で起こった、機動隊による安田講堂からの学生排除という事件である。

これまで、この出来事の学生側の証言記録は多数公開されてきているが、大学側の「極秘資料」が公開されたことはなく、この度当時の東大総長の加藤一郎氏をはじめとして関係者が全て亡くなったのを機会に公開された、ということが今回の番組が作られた理由らしかった。「極秘」の内容と言っても、結局は東大という大学組織にとって、当時何が一番重要で優先されるべき事柄だったのかが明らかにされたということに留まる。思想や考え方がわかったわけではない。優先されたのは、今回の番組によると、「大学の自治」であり、それは「東大入試」がその時行われるか否かにかかっていたということだ。結局、これ以降、それまでの「大学自治」というものはありえなくなったと言える。しかし考えてみれば、それ以前にも大学自治などというものが成立していたのかと問われるなら、大学全体の話し合いなどは行われてきた歴史は日本にはないので、このことが改めて確認されたということだけなのかもしれない。

この出来事は、わたしの人生の中では直接的な影響を持った事柄である。当時、都内に住んでいて、高校3年生の身で大学受験を控えていた。また、高校でもそろそろ火の手が上がる時代に突入していたのも事実である。この出来事は、前年6月の医学部での学生闘争が発端となっていた。東大構内は、前年の7月当時はまだ牧歌的な雰囲気だった。本郷では、大学院生たちが、夏休みの空いた講義室を使って、高校生相手の受験講座と教養講座を開いて、小遣い稼ぎを行っていた。映画「戦艦ポチョムキン」を見たのも、この時だ。都内に住む多くの高校生が大学院生たちの講座に通った。現在の大学では、オープンキャンパスと称して、高校生向け無料出前講座を行っているのだが、当時は高校生が授業料を払って、本郷へ通ったのだ。すでに、紛争が起こっていたにもかかわらず、構内は夏休みということもあって意外に静かで、化学の授業や「抵抗権」などの教養講座に出たことを記憶している。最後は歌を歌って締めるのが通例となっていた。共産党と区別するために、ボルシェビキのワルシャワ労働歌などを、肩を組んで歌ったのだ。にわか労働者気分が恥ずかしかったのだが。

それで問題の、わたしたちの入試期間に突入することになって、戦後の歴史の中で唯一東大入試の存在しない、混乱の1969年を迎えたのだ。成績の良かった高校の同級生は、京大や阪大を受験して東京を離れることになった。わたしは成績が悪かったために、他の大学を受けるが失敗し浪人することになった。同級生たちと、このことをときどき話す機会がある。東大入試がなかったことで人生が変わったことは多少あるかもしれないが、それはそれでそのような人生もありうるだろうとみんな考えていて、これまで非難する人には巡り合ったことがない。むしろ、みんな地方へ散ったことで、自由さが増したものと思っていることは確かだ。「造反有理」や「自己否定」や「東大解体」などの彼らの運動とは別の形で、実際問題としてわたしたちの問題として、この出来事を乗り越えて、自分の人生を形成する必要があったというところなのだ。

このドキュメンタリーの中でも指摘があったが、彼らの運動の中でこれ以降の社会やわたしたち自身へ大きな影響を与えたのが、「連合赤軍」問題、つまり「セクトの限界」問題だとわたしも思う。「頑なさ」という非寛容問題が、セクト(党派)にはどうしても発生してしまうのだが、それをいかに解決できるのかが、重要だと思うようになった。すでに、安田講堂事件の最中から、内ゲバなどの組織内や組織間の対立がセクトというものの「頑なさ」を代表していた。理性主義を批判するものとして、感性としての暴力を持ち込んだのだが、逆に暴力の「頑なさ」が感性をも封殺するようになったのだ。

20160721_173144 最後まで安田講堂に立てこもった377名の逮捕者の一人として、このドキュメンターに代表して出ていたT氏には、わたしがアルバイトをしていた研究機関でお世話になったことがある。逮捕からすでに数年が経っていて、彼は研究プロジェクト・リーダーから青年実業家への道を歩みつつあり、非常勤研究員として研究に関わっていた。じつは、この研究機関で二人の非常勤職員が首になりそうになって、非常勤職員だけで団結して、その人たちの首をつないだのだ。この時の団結力を集める手際の良さと、交渉戦術の巧みさには惚れ惚れした経験がある。彼が強調していたのは、それぞれの立場があるのだから、交渉の席上ではみんな別々の戦術で色んなことを多様に発言しよう、というものだった。もちろん、団結は必要で、標語スローガンを掲げることは忘れなかったのだが。このような個人の自由さを活かしながら、集団をまとめていく方法は、きっと安田講堂で学んだことだろうと、当時思ったのだ。この経験の中で、彼は「頑なさ」を超越して、「自由さ」を獲得する術を身につけたに違いないのだ。

http://www4.nhk.or.jp/anotherstories/x/2016-07-13/10/8680/1453030/

2016/07/13

映画「ブルックリン」を観る

Img_1183 映画「ブルックリン」を観る。この映画は、アイルランド出身の女性(エイリッシュ・レイミー)が移民としてニューヨークへ渡り、そこで成長を遂げ、故郷アイルランドへの郷愁と、つまりは親密な関係とから脱していく物語である。アイルランドという「近くの循環」への思いがありながら、NYという「遠くの循環」へと旅立っていくとする、いわゆる世界を巡ってつなぐ「女性循環」という普遍的な話なのである。アイルランドにおける内循環に止まって、地元アイルランドの男性と結ばれるのではなく、ニューヨークにおける外循環のイタリア男性と結ばれる。もちろん、一人の女性の細やかな心の動きあるいは揺れが、第1のテーマであることは間違いないのだが、同時に第2のテーマとして、アイルランド人やイタリア人がニューヨークでどのようなつながりを見出しているのか、という点にも興味深い観点を持つものだ。

Img_1186 映画の出だしに映るアイルランドの田舎道、石畳、アイルランド風の煙突のある長屋は、それを見るだけでも素晴らしい。母や姉との手紙での仔細なやり取り、アイルランドでの友人との交流、そして揺れる女心というものは、その振幅には不合理で不思議な感じを受けるのだが、それは男にはわからない微妙な心理が反映されていて面白いのだ。この女優には好き嫌いはあっても、数々の主演女優賞を取っていて、高い評価が下されているのには、それなりの理由があるように思われる。

Img_1180 ニューヨークで聞くケルトのトラディショナルなダンス音楽は、良かった。特にダンスの中で、フィドロを使ったシンプルなワルツ曲が流れていて、この点も映画を盛り立てていたと思う。アイルランドの田舎からブルックリンへ渡ったアイルランド人たちが、どのような思いで週末のダンスホールを楽しんだのか。想像するに余りある。

アイルランド移民で、国に帰るに帰れなくなった貧しい老人たちが、カトリック教会の施しに集まってきた場面があった。ここで、アカペラで歌うアイルランド民謡を聴いて、みんなが涙する場面には、共感するものがあった。ローカルな心持ちにグッとくる場面だ。「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの よしや うらぶれて異土の乞食となるとても 帰るところにあるまじや」という感動がある。

この女性主人公が、ニューヨークの夜学大学に通い、簿記の勉強をする場面がある。その大学では、日本の大学と同様に、教師が自分勝手な理論を衒学的に喋っているのだが、それを聞き流す寛容さを発揮する場面が出てくる。寛容さという点で放送大学と似たところがあるかもしれないが、この寛容さが大学では大事だと思う。そして、次の時間の授業に入っていくのだ。

2016/07/12

映画「ラスト・タンゴ」を観る

Img_4270 映画「ラスト・タンゴ」を観る。久しぶりの千葉劇場だ。ちょうど明日の教授会とコース会議に出席のため、千葉市内へ来ている。千葉駅前から、かつて父や母の看病で通ったバス「千葉大学病院」行きに乗って、中央二丁目で降り、パルコの裏道を行くと、喫茶店「呂久呂」が左側にある。

Img_4271 ランチ「具沢山の野菜スープ」と厚切りトースト、食後に自家焙煎のコーヒーを飲む。そのあと、近くのコーヒーの豆専門店で、明日のコース会議用に浅煎りの「マンデリン」を400グラム購入する。

Img_4275 アルゼンチン・タンゴがなぜ世界に広まったのか?この映画は、タンゴ革命を起こした伝説のペア、「マリア・ニエベス」と「フアン・カルロス・コペス」の愛と断絶を描いたドラマ仕立てのドキュメンタリーだ。特に、断絶以降が俄然面白くなる。なぜ喧嘩しているのに、踊りはさらに円熟していくのだろうか。ここのところで、本人たちが出演し語り、かつ、若手のダンサーたちの踊りがイメージを膨らませる映画だ。バンドネオンがパッ、パッ、パッと、切りの良いリズムを刻み、全編が進行していく。

Img_4277 マリアとフアンは、14歳と17歳で出会ってから、50年近くもペアを組んで踊り続け、世界的に有名になる。しかし、栄光の陰では何回にもわたって、愛と裏切りが繰り広げられていた。特に後半では、愛憎を芸術的なタンゴ・ダンスに昇華するところを描いていて、対立からの協調が描かれるのだ。そしてついに、1997年の日本公演の後、コンビを解消する。

Img_4276 映画の中で描かれている「テーブル上のタンゴ」という踊り方は、二人の限定された踊りを象徴しているように思われた。踊りの会場から出て、「橋の上や道路でのダンス」は、二人の開放的な踊りを表していると感じた。このような想像力溢れるダンスを見ると、なぜ50年間も踊り続けることができたのか、ということを思わずにはいられない。

Img_4273 評論家たちが指摘しているのは、前半生のペアとして、互いに愛し合って、ダンスをするときには、二人の視線が一致しているのだが、これに対して、断絶のあと、視線は合わず別のところを向いているという点だ。さらに、それにもかかわらず、踊りは良くなっていくというのは、どういうことなのか。

Img_4268 前半で、ペアとしてのパートナーシップの基本的な合意が行われてしまうと、後半で愛情のパートナーシップが失われようとも、ダンスのパートナーシップには影響を与えないということになるのだろうか。ここで、むしろ個性を限りなく発展させて、憎しみの中からでも、協調が生み出されるという逆説が生ずることになるのだ。けれども、これには肉体的・精神的な負担が相当なものであることは確かなのだ。Img_1163 最後は、フアンの現実の妻がこの状況に耐えられなくなる。二人の相互作用だけでは、世界は形成できず、三人以上の社会が支えなければ、「ペア」という関係も最後はうまくいかないのかもしれない。

Img_1164 今日の椅子は、喫茶店「呂久呂」の椅子だ。ここの曲木椅子は、年季が入っていて、座面と背中が当たる曲木の塗料が薄くなって、明るい黄色に変色している。1日数人、けれども合計すると、何万何十万人の人がこの椅子に腰掛け続けた結果なのだと思われる。木製椅子の価値は、このように地肌が出るほどに使い込まれるところにあるのだ。

2016/07/10

京都へ来ている

Img_1102 京都へ来ている。大学院のゼミナール開催のためだ。博士課程のFさんが島根に住んでいて、Hさんが関西在住で、さらに修士のNさんが同じく関西なので、わたしの横浜在住というのがずっと引っ張られて、今回は変則の大学院ゼミとして、京都学習センターで開かれることになった。今回がうまくいくならば、1学期に1回程度、関西から岡山さらに島根で開催するゼミを定例化することを考えても良いのかもしれない。

Img_1105 問題はあるのだ。今日はたまたま京都学習センターの部屋が空いていてゼミができたのであるが、じつはこのセンターでは、いつもこのようにすんなり予約が取れる保証はないのだ。それで、京都出身のHさんに聞くと、幾つかの他の選択肢がありそうである。また、京都学習センターの事務長の方にも相談したら、幾つかの候補が上がってきたので、何とか粘って探してみたい。もっとも、有料にはなってしまうのだが、それでも静かなゼミ室が確保されるのであれば、それに代わるものはないと言える。

Img_1106 これまで1月の合宿では、同志社大学の講義室をN先生との合同ゼミということでお借りしてきたのだが、今年度はN先生の担当学生が全部修了なさってしまい、一人もいなくなってしまったので、N先生にお願いするわけにはいかなくなったのだ。そこで、半年も前から会場探し、ということになっている次第だ。京都大学のG会館とか、S庭園とか、ということが実現されればこの上ないのだが、なかなか難しい。Img_1107 少し奮発して、前回使った京大医学部のS会館ということもありうる。けれども、会場探しも京都の場合には、他に素敵な場所が数多くあり、たとえば東京圏ではM先生の著書「権力の館」を見れば良いのだろうが、京都にもそれに類した魅力的な場所があり、選ぶ楽しみだけでも満喫できるのは良い。

Img_1110 午前中に、新自由主義についての議論を行い、午後から博士後期課程の方々との消費者社会論、社会ケア論などの議論が続いた。このような1学期に1回のゼミというのは、まとめて数回分に当たるために、じっくりと考えることができるというメリットがある。少人数で、長時間、しかも転地効果が働くのだ。

Img_1108 学習センターは6時には閉館になってしまうので、後の残った話や議論は、オフ時間を利用することになる。京都駅近辺では、いつも適当なところがなく困っていたが、今回はHさんの誘導で裏道へ入っていく。ちょうど開店1周年記念だという店「たかひとり」に当たる。1軒目にして、落ち着けるところを見つけることができたのは幸いであった。鴨料理を得意とするところだが、鹿肉や猪肉もある。ビルの地下室にあるために、10人足らずでいっぱいになってしまう。予約をしてなかったので、最初は断られると思っていたが、若いご主人が席を詰めてくださった。

Img_4235 Fさんの本職は公務員なのだが、同時に実家の寺の住職を継いでいる。その寺の総本山が京都にあって、明日は儀式に出席しなければならないそうだ。法衣を持参のゼミナール参加だ。想像するに、これは相当な忙しさである。それを克服して、ゼミに参加してきているのは素晴らしいと思う。学者の方で、住職を兼ねている方は、京都を中心にしてかなりの数がいると聞いているのだが、学術と宗教とには似たところがあるのかもしれない。

Img_4236 京都の夜は、姉小路にある「Kocsi」で静かに過ごすのが、定番となりつつある。夜食には、ここのキッシュとワインをとった。今日のゼミナールでの議論を振り返る時間をたっぷりととることができた。今日の議論で共通に問題となったのは、消費者社会にしても、ケア社会にしても、なぜそのような社会が崩れ、かつ成立するのか、という生成の問題点が浮き彫りになった。議論は多岐にわたったので、うまく整理して、次の議論につなげてもらいたいと思った次第だ。Img_4241 ここには書くことはできないが、多くの魅力的な言葉やアイディアが満載の議論だったな、という感想を持った。Img_4245 以前にも書いたが、麩屋町あたりの町屋には、老舗が並んでいて、ショーウィンドーがギャラリーになったりしている。この「デルフトタイル」の白と藍の組み合わせを見つつ、夜の散歩をして、宿へ至る。

Img_4242 次の日も午前中11時まで、部屋を使えるので、これまで溜まっていた大学院関係の仕事をまとめて片付ける。幾つか整理していくうちに、問題点が見つかり、さてどうしたら良いのだろうか。

Img_1117 これも定番となりつつある京都での昼食は、柳馬場通りにある「菜根譚」にて、白胡麻担々麺だ。これも一年に1回は賞味したい味だ。とくに、今日のように暑い日には、この濃厚なスープに乗った、程よい辛さが似合っている。Img_1121 玄関を入ると、町屋特有の土間が奥まで続いている。静かな奥の板の間に通される。そこの小さな卓袱台に案内される。担々麺を食した後に、さっぱり感が凝縮されている杏仁豆腐を頼んで辛さとのバランスをとる。

Img_1119 さて、今週からはゼミ合宿や試験週間、さらに採点が目白押しなので、まだまだ夏休みは遠いのだが、その準備を行っておきたい。Img_4262 静かな喫茶店で、まとめて読書をしたいと思ったのだが、京都の月曜日は博物館や美術館はほとんどお休みで、それに呼応するかのように、行きたいと思っていた喫茶店も閉まっているのだ。Img_4264 四条に出て、喫茶店「ソワレ」定休。喫茶店「エレファント・ファクトリー」定休。という道筋を辿っていると、木屋町の高瀬川沿いへ出る。ここには以前から、廃校になった旧立誠小学校の校舎・講堂がまだ建たっていて、現在ではコミュニティ活動の拠点となって解放されている。Img_4267 Img_1125 Img_1128 Img_1131 この正面玄関を入ったところに、喫茶店「Traveling Coffee」を見つける。京都の繁華街の真ん中に、オアシスを見つけた思いだ。新幹線までの数時間をほぼこの空間を独占して過ごす。コーヒ1杯300円なり。静けさや学び舎にしみいる抽出珈琲。Img_1145 Img_1144 Img_1143 Img_1142 Img_1141 Img_1139 Img_1134 Img_1136 Img_1146 Img_1153

Img_1115 今日の椅子は、「Kocsi」のスペイン風長椅子と、年代物の応接椅子だ。いずれもアンティークショップで見るようなものだが、今日の喫茶店でこのような古い椅子が好まれて使われる理由があるように思われる。Img_1122 それは、現代人にとってはノスタルジアは解放の要素だという点だ。現代人は現在に追われているから、逃げる先は未来か過去かになると思われる。落ち着けるのは、やはり過去で、この椅子の古さがそれを呼び起こしていると思われるのだ。Img_4234 Img_4252 Img_4243

2016/07/02

茗荷谷で卒研ゼミ

Img_1057 まだ梅雨明け宣言が出されていないにもかかわらず、連日猛暑が続いている。松本市へ行くとほぼ必ず立ち寄る、カフェ書店「栞日」が数軒先へ移転することになった。それで、現在のビルを滞在型宿泊施設へ作り変えるらしい。6月末を期限にして、その資金をネットで募っていた。もし目標額(200万円)へ達しなければ、その募金はチャラになってしまうという決まりのファンドだ。わたしが(ほんのわずかであったのだが)応募した頃には、それがまだまだ到達するのか、わからなかったのだが、あれよあれよという間に、最後の1週間になって、ググッと増加したのだった。驚いたのは、応募人数で、200人を優に超えたことだ。昨日締め切られ、結果が公表されていた。ほんとうにおめでとうございます。

松本の街に「仮暮らし」できる、毎週1組限定のホテル

松本という場所で、中長期滞在型というのは、良い狙いだと思われる。一年の中では、クラシックコンサートの季節もあるし、クラフトフェアの季節もある。秋には、クラフトピクニックがあるから、ずっと滞在する人には福音だ。けれども、きっとそれらの季節には、宿泊希望者が集中するから、何もない頃を見計らって、原稿を抱えて松本滞在というのは、想像するだけでも何か突き抜けるようなことが起こる予感がする。

先日、長崎を訪れた時に、やはり1階が自転車屋、2階が喫茶店、3階が宿泊所という複合喫茶店に遭遇したが、これからは滞在型で、このように気楽に住める施設が流行るのかもしれない。松本には、「まるも」や「布屋」のような、変形B&B形式の宿屋はあるのだから、これらと英国のBBの中間の形式があっても良いのではと思われる。英国のBBという形式は、日本の住宅事情からすると、ちょっと狭くて無理だと思われるから、ビルの部屋貸しという方が、手間もかからず、良いのかもしれない。ここから、日本的変形BBが育つことを期待したい。

Img_1058 今日は午後から卒業研究のゼミナールが茗荷谷で行われた。学習センターの玄関ホールへ入ると、この木彫というのか、木を重ねられた、首から上だけのキリン像が設置されていて、何となくノホホンという気分にさせてくれる。動物園に入ったという感じではないのだが、ちょっと異次元の空間へ入った気分にはなるのだ。Img_1062 題名が変わっていて、「人間が両手で出来ることについて考えてみた」と書かれていて、筑波大学の渡辺直氏の作品だということだ。このビル全体が学問の世界なので、頭だけが展示されているのだろうか。でも、キリンほどの頭しかないのだ。これに対して、人間は両手を動かして生活するのだよ、ということを喚起させてくれる。キリンを見て、わが振り直せ、というのだろうか。

Img_1063 今回のゼミも、いつものように、5人の方々の発表が続いた。7月になると、論文作成過程の半分を消化したことになる。S字型学習曲線の理論で言うと、ちょうど踊り場状態(プラトー状態)で、中だるみが来る季節だ。Img_1066 先が見えそうで、なかなか見えないという時期ではないかと思われる。論文作成では、必ずやってくる季節だ。ここをうまくいなすと、次の急成長時期を迎えるのだ。

今日はお客さんが加わった。北海道からわざわざ見学のために、このゼミに参加してくださったMさんだ。Img_1060 実は冒頭の話につながるのだが、「長期滞在」ということに興味があるそうで、なかなか魅力的な研究計画を持っていらっしゃる。来年以降、ぜひ研究実現を遂げていただきたい、とエールを送った次第である。

Img_1061 ゼミが終了してから、Oさんの提案で、Kさんが企画してくださった懇親会を行う。学習センターから出て、その昔印刷工場などがあった裏道を少し歩いた。桜並木が有名な播磨坂に出る。イタリアン料理のペッシェへ行く。日曜日のせいなのか、以前来た時と雰囲気が違っていて、家族連れやカップルでも、近所から来たようなグループが目立つ。写真機を持ってこなかったので、料理をお見せすることはできないが、ゼミの後の雑談を楽しんだ。

Img_1050_2 写真に写っている扉の後ろ左側に座っていた。今日の椅子は、大量生産の木製椅子だ。イタリアンの店には、このような安価で丈夫な椅子がなぜか似合う。頻繁に掃除をするので、軽く積み重ねることができる椅子が好まれるのだ。Shop01a 椅子の写っている写真がこの店のホームページにあったので、借用する。夜になって、心地よい風が少しだけ吹いてきた。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。