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2016/07/23

「生活科学」という学問分野はいかにして可能か(I)

昨年書いた文献紹介の文章が1年あまりが経って、

ネットで公開することが解禁となった。遅ればせ

ながら、再掲させてもらう。

(季刊家計経済研究 2015 AUTUMN No.108

掲載)

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なぜ家計経済研究の方法は転換されたのか? 

・・・『御船美智子論文集』(2015)を読んで

 『御船美智子論文集』が光正館から発刊された。

御船氏が6年前に他界して、かつての仲間たち・

後継者たちが彼女の代表的な著作を集めて編んだ

書物である。御船氏個人の著作活動全体がわかる

だけでなく、彼女が1977年に24歳で一橋大学の

大学院生として著作活動を始め、2009年に55

で「家計経済研究」の中枢のひとつたるお茶の水

女子大学生活科学部教授として研究を終えるに至

る「時代の変化」を感じることができる論文集に

なっている。今日興隆してきている「生活科学研究」

の源流のひとつがここにあることのわかる書物だ。

 「刊行によせて」の中で、岩田正美氏(日本女

子大学)が「(彼女の研究は)家計構造だけでなく、

家計管理組織、生活主体論にまで広げた野心的な

ものに高まっていた。その狙いとするところは、

従来の家計構造の限界を超え、家族社会学やジェ

ンダー研究とも異なった意味での、経済を基礎と

した生活関係の総合的研究であった」と的確に述

べているように、彼女が生き、また研究対象とし

た時代はちょうど旧来からの近代経済学的な消費

経済学や家政学的な家計管理論から脱して、生活

者を中心とした「生活科学研究」が求められる時

代に到達していた。

 全体の章は、御船氏が取り上げた家計経済の

キー概念である「生活経済の体系」「生活経営」

「消費者教育」「家計の長期研究」「家計組織研究」

「生活政策」の順に、全6章が構成され7つの解題が

付され並んでいる。この章の中に、それぞれ2

から5本の論文、全体で18本の主要な御船論文が

収められている。

 これらの論文の魅力は、各章の解題を書いた彼

女の仲間たちによって余すところなく伝えられて

いる。解題を読んで察するに、御船氏の論文は大

きく二つに分類される。ひとつは、色川卓男氏(静

岡大学)、上村協子氏(東京家政学院大学)、磯村

浩子氏(日本消費生活アドバイザー)の解題で代

表されるような、ざっくり言うならば、生活者概

念の「主体性」「自律性」を強調する論文群の存

在である。第2章の解題で、上村氏は「(御船氏は) 

生活の自立と消費者の自立を図るキー概念として、

自律的アイデンティティに注目した。役割を超え

て、統合して生き生きとした生活を営むことを志

向した」という、いわゆる生活創造論を構築した

と指摘する。また、磯村氏は第3章での消費者教

育のあり方として、「消費者自身が主体的な意思

決定を行うためには、学習すべき内容を体系的に

組織する必要がある」と御船氏が述べていたこと

を取り上げている。

 もうひとつの御船論文の方向性は、同じく解題

を担当した中川英子氏(宇都宮短期大学)、重川

純子氏(埼玉大学)、李秀眞氏(弘前大学)によっ

て指摘されている。御船氏が従来の家計簿分析や

家計管理論の限界を認識し、新たな「家計組織研

究」を行ったとする論文群が存在すると考えられ

ている。第4章の解題で中川氏は「狭い意味での

家計では対処できず、家庭生活の経済としての視

点を進め、さらには経済全体を生活の視点で再構

築することも視野に入れ、課題の達成方法を探る」

という家計経済研究に踏み込むべき時代を、御船

氏が感じていたことを指摘する。さらに、第5

の解題で重川氏や李氏が指摘するように、御船氏

は夫婦間における財産形成の不平等性を指摘し、

「ブラックボックス化していた家計の内実を可視化

し、世帯内経済関係のジェンダー不平等を示し、

それを踏まえた社会の仕組みへの提案」をすべき

とする。

 これらの二つの傾向で真に注目すべきは、この

傾向が御船氏の論文特性にとどまらずに、時代を

反映したものになっている点である。色川氏が「は

じめに」の中で、御船氏の「分野別業績数の推移表」

を掲げている。これによると、御船氏の著作は前期、

中期、後期の三つに分かれる。第1に、彼女は前

期の1970年代後半から1980年代前半にかけて、「家

計の現状」分野に力を注いでいたことがわかる。

ここでは、家計の個別化を指摘し、「個計化」と

いう言葉をはやらせている。第2に、中期の1980

年代後半から1990年代前半には、「生活経営」と

「家計組織」分野に重点があり、「家計組織化」研

究をリードした。そして第3に、早すぎた後期の

1990年代後半から2000年代前半には、「生活経済」

に関する業績が最も多いという結果が示され、そ

のなかでは「生活者」概念を家計経済へ持ち込ん

だ研究を集中させている。これらの研究は、時代

の趨勢を反映していた。

 ここで御船氏にとっておそらく最大の問題だっ

たのは、なぜ家計組織研究から生活者の経済研

究へ転換しなければならなかったのか、という点

である。中期において実りある家計組織研究を成

功させていて、家計組織の内部構造タイプを次々

に実証研究で明らかにさせていたにもかかわらず、

なぜ後期においては、組織研究をあえて諦めて、

生活者の経済研究への転向を行う必要があったの

か、という疑問がある。組織研究の実証実績があ

りながら、あえて理念的な生活者概念にこだわっ

たのか、という点が御船氏の示している事実であ

り、かつわたしが疑問とするところでもある。組

織から個人へ方法的関心を移したのは、きわめて

不思議な転換であると思われる。

 推測であることを留保して述べることが許され

るならば、第1に、前期に御船氏が明らかにした「個

計化」という家計の傾向は、彼女の頭のなかでは

意外に大きな位置を占め続けたのではないかと推

測される。共働き所得増大や財産所有の個別化な

どの家計組織に与える影響を予知しており、家計

システムはいずれ崩壊するとみて、これに対処す

る個人概念の考え方を立てる必要を感じていたの

だと思える。第2に、ジェンダー研究からの影響

は大きかった。家計の内部組織研究で、「ジェン

ダー格差」が依然として続いていることを明らか

にしたために、この状況からの理論的脱却を必要

としていた。これは時代の要請でもあった。第3に、

「生活者」という理念に対して、かなりの理論的肩

入れを行っていた。近代市場社会で断片化された

消費者・労働者という概念に対して、役割分業を

超えたもっと包括的な生活者像を御船氏は求めて

いたのである。

 じつは、ちょうど彼女が中期から後期への転換

を終えてしばらく経ったころ、『季刊家計経済研

究』43号(1999)が御船氏とわたしとの対談を

設けてくださった。多くは御船氏の動向をお聴き

して和やかに進んだのだが、唯一かなり鋭く対立

した点があった。それは家計の共通資源・共同資

産などの「家計のプーリング」というシステムを

めぐってだった。御船氏は生活者が存在して、個

人的ネットワークを形成すれば、家計というシス

テムは存在しなくてもよいと主張した。他方、わ

たしは個人的ネットワークが形成されたとしても、

家計システムは存在するし、また保たれるべきだ

と主張した。今になって振り返るならば、その後

の時代は確実に御船氏がおっしゃった方向へ進ん

でいる。けれども、依然として家計システムのプー

リングは存在することも確かである。今となって

は昔懐かしい対立であり、いまだに帰趨は明らか

でないのだが、この点はじつは御船氏が「結節点

としての家庭概念」を捨象する方向へ進んでいた

とする、本書32頁の色川氏解題の中での証言とも

符合することなのである。

 わたしが思うに、この点がなぜ今日でもなお曖

昧なまま残されているのかといえば、「生活者」と

いう考え方が、古い考え方にもかかわらず、「生

活科学研究」の中でいまだに定着できないでいる

からだと思われる。消費者や労働者などのバラバ

ラな役割を統合するとする理想的な「生活者」像

は理念的には素晴らしい考え方であっても、現実

の世界でこの概念が実際に受け入れられるところ

は、消費者概念に比較すればそれほど多いとは言

えない。そのことは今日の消費者庁や消費者基本

法の名称選択においても、残念ながら明らかであ

る。「生活の視点」が重要なことは多くの人が認

めるところであるにもかかわらず、「生活者」とい

う概念が、いつの間にか手垢にまみれて姿を消し

てしまうのではないかと危惧している。

 他方、そうは言っても、じつは最後に申し上げ

たいのは、今回論文集という形で、御船氏の仲間

たち・後継者たちが予想以上の頑張りをみせてい

ることを知ることができたことで、わたしは僭越

ながらこの数年間の彼らの努力に対して敬意を表

し、率直に喜び、同時に最高のエールを送りたい

気分になったのも事実だということである。

『御船美智子論文集』(2015

光生館、2015年、328ページ、3,000円(税別)

 

(季刊家計経済研究 2015 AUTUMN No.108

掲載)

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。