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2016年5月に作成された投稿

2016/05/29

子ども椅子展のヒアリング

Img_3815 今日も、松本クラフトフェアへ、そして午後からは昨日に続いてヒアリングだ。昨日、3人の方へのヒアリングができ、ビデオ録画の準備へ布石を打つことができたが、まだまだフェアには4、5名の方がたが出店しているので、聞きたいことがあったのだ。

Img_3811 家具制作者がこんなに多くの顧客の人びとと交流できる機会というのは希有の状態だと思われる。これに便乗して、わたしもヒアリングに利用しているのだ。子ども椅子展へ出展の制作者が25名いるうち、3分の1ほどの方がたが、このクラフトフェアに参加してきており、数分であれば、こちらの質問に答えていただけるのだ。たいへん有難い次第である。今回は子ども椅子という対象がはっきりしており、ピンポイントで質問できるので、制作者たちの邪魔にはならないだろう。一応主催者の松本クラフト推進協会へも、今回の一連の取材については了解を取っている。

Img_3821 今日も会場は満員状態で、すでに午前中に観て回った人びとが帰り始め、交差が激しい。用意された作品も、最初が肝心で、みんなが良いと思うようなものは、すでに昨日のうち、朝のうちに出てしまうので、あとはコミュニケーションの時間があるだけだ。だから、この最後の余裕のある時間こそ、ヒアリングに適している。つねに、観光客と垂直にすれ違い、ズレを読みながら、調査というものは行わなければならないのだ。

Img_3802 少し前に戻るのだが、今日は会場へ直接行くのではなく、回り道をして、余裕を持ってフェアの会場へ行くことにしたのだ。子ども椅子展と同様に、フェアフリンジとして行なわれている「工芸の五月」の催しで、「六九ストリート」が行われているのだ。駅からの六九商店街への入り口にある最初の催し場では、すでに開店を待つ人びとの列が長くなっていた。途中、新潮社の雑誌「青花」の展示で、さりげなく高貴さを漂わせた刺繍を触らせていただき、その先の「工芸のウチとソト」を観ようと、ビルの前へ行く。

Img_3796 すると、ポパイのような目立つ服装をしたM氏が展示の写真を撮っているのに遭遇した。M氏は木工芸とエッセイで、生活工芸運動の一つの流れを生み出してきていて、この「六九ストリート」のプロデューサーでもあるのだ。わたしのテキストでも、引用させていただいている。このようなところでお会いできるとは思ってもいなかったので、ヒアリングの対象に入れていなかったのだが、松本家具制作の周辺をめぐるここ数十年の動きについては、斜めから見た一つの意見を持っているような気がしていたので、忙しそうな様子ではあったのだが、この点のみピンポイントで質問をしてみたのだった。

Img_3822 質問はちょっとずらせて、日本における「遍歴職人」の可能性はあるか、という自分でもちょっと恥ずかしくなるような穿った問いをしてみた。いろいろと理由を挙げ、人びとの背景を説明してくださり、丁寧なお答えを得たのだが、結論だけ書くならば、やはり重厚な家具が似合うような家の時代から、生活民芸が似合う家の時代へ、社会が転換したのだ、という認識を示されたのだった。立ち話でお聞きできるのは、この辺が限界であると思われた。

この近辺には、手打ち蕎麦屋が点在していて、観光客がずっと待っている。その一軒Sにおいて、フェアの幹部だったDさんが陶器の展示会を催していて、渋く明るい様子の酒器や皿や碗を出していた。こちらは、無料で店に入って鑑賞することができるのだ。

Img_3101 さて、今日のヒアリングは、まずはM氏から始めた。M氏は子ども椅子展では、ウィンザーチェア系の子ども椅子なのだが、ちょっと変わった特徴ある椅子を出展していた。ウィンザーチェアの場合には、背中のスピンドルが通常は子ども椅子であっても4本以上あるのだが、彼の椅子には、スピンドルが2本しかないというフォルムが特色となっている。背板部分が2本しかないということは、イメージとしては、空白部分が目立ち、真ん中がポンと空いているという印象が強い。ここにM氏の想いがあったそうで、話を聞くまでは、なぜ2本にしたのかということはわからなかった。つまり、意匠として2本スピンドルが選ばれたのだ。一言で言えば、「浮かんでいる」感じを出そうしたのだそうだ。背板部分の空いた部分でそれが実現されるのだ。この点は、スピンドルが使われる以前のウィンザーチェアに想いをはせてみるとわかるだろう。背板が一枚板で覆われていた頃には、板が座面から壁のように空気を遮ってしまう、重苦しいウィンザーチェアだったのだ。ウィンザーチェアの歴史は、いかにこの背板の重苦しさから、軽やかさへ転換できるのかの歴史であったと言っても過言ではない、この点からすれば、M氏の発想には、ご本人は認めないかもしれないけれども、軽やかな浮遊感を求める意図には、歴史的必然性があったのだと言えなくもない。

Img_3729 さらに、この2本だけで背中を支えるためには、当然のように座面とスピンドルをつなぐ技術の発達があったということだろう。楔が使われているが、その溝が二重構造になっているという強化が行われた結果、この2本のスピンドルが成立したのだ。この二重構造は、以前O氏のところで紹介したのだが、通常は脚部分に使われる技術だが、それがスピンドルでも使われているという特色をM氏の子ども椅子は持っているのだ。なお、M氏の場合にも、大人椅子が先にあって、バランスを考えながら、この子ども椅子が成立してきたという数十年にわたる工夫の歴史があるのだ。

Img_3818_2 次に向かったのは、T氏の子ども椅子、いわゆる「ぬく森チェア」だ。このテントには、小物ファンから、木のオーディオファンまで、顧客のネットワークがあって、なかなかT氏が単独でいるのが少なく、昨日から何回も暇の時間を見つけようと訪れていたのだが、ようやくにして、テント前で捕まえることができた次第だ。

Vlcsnap2016060214h55m37s138 この椅子の魅力は、年齢を超えて、子ども椅子が大人まで利用できてしまうという、変幻の椅子である点だ。第1に、お赤ちゃん時代には、最も座面が低層な置き方の使用法がある。ここでは、座席の前の棒が役に立つ。この棒は、西洋の子ども椅子にはよくつけられていて、子どもが滑り落ちないように、安全のためにつけられているのを見ることができる。けれども、T氏の場合には、そうではなく、この棒は子どもの自在で所在ない手を置いたり手で握って踏ん張ったりすることを想定していて、かなりポジティブな棒となっている。西洋風の使い方とは違うことがわかる。Vlcsnap2016060214h55m45s144 第2に、小さな子供時代には、この椅子をひっくり返して座面を高くして座ることができるのだ。この時、この棒は今度足置きになる。第3に、背面を上に出すと、大人でも使えるスツールが現出することになるのだ。

Vlcsnap2016060214h55m59s246 もっとも納得できたのは、このように多機能な点を強調するからには、機能的な観点からこの椅子が作られた、と思い込んでいたが、それがそうではないことがわかった時の意外さがあるのだ。

この椅子は、もともと東京の幼稚園からの依頼で作られたそうである。幼稚園椅子だから、パーソナルな子ども椅子ではなく、集団で多数個が使われることが想定されている。だから、T氏はこれらが積み上げられ、並んだ時の色のデザイン効果を狙って、おもちゃのキューブのように、異なる色が積み重ねられて、対比されたり同系統の色が揃えられたりする集団効果を想定したのだということである。想像するだに、これらが数十も積み重ねられ、それらのキューブの模様が得られるというのは壮観なのではないだろうか。つまりは、機能的な椅子だったと思われた椅子が、実際には装飾的な効果を狙ったものであった椅子であることがわかり、この落差が面白かったのだった。

Img_3104 今日3人目のS氏は、座面がしなるという特性を持つ椅子を作っていることで、自分の特色を出しているのだが、それを子ども椅子にも持ってきたのだ。こちらが興味を持ったのは、大人椅子から子ども椅子へ設計を変えた時に、何が実際に変わったのだろうか、という「古典」的な問いだ。やはり、子ども椅子の脚にそれが出たそうだ。具体的には、ストレッチャーの位置のバランスが変わったのだということだった。子ども椅子はふつう重心が低くなるから、ここで影響を受けるというのはたいへんわかる話だった。

Photo 少し違う領域にテントを出している方がたにも、ヒアリングを行おうと考えて、公園内のA-3領域から、C-3領域へ向かって歩いていく。Kさんの子ども椅子は、おにぎり型三角形の座面と、しかしながら4本脚であることと、座面と脚が白い素材を使っているのに対して、背板部分(と言ってもスツール仕上げなので低いのだが)が黒いウォールナットで色の対比を出している点で、機能にこだわらずにデザインの良さで特徴がある。このコントラストのある色使いは、確かに目立つのだ。先日の子ども椅子展でも、観客の一人が気に入ってしまって、そのまま購入したいと申し出ていたのを見た。

Img_3707 このコントラストはKさんがかなりお気に入りであって、コースターでも一枚板ではなく、この二枚が張り付いたものが作られていた。このような制作者の本能というものはたいへん重要で、顧客がつくかつかないかはわからないのだけれども、まずは作ってしまいたいという本能的な直感が制作者にはどうしても必要なのだと教えられる。おそらく、注文を取る場合にも、この点は重要で、100%顧客のいうことが取り入れられるという制作者はいないのだろうと思われる。否定的な言い方をすれば、このようになるだろうが、肯定的に言うならば、100%顧客のためを思うのであれば、顧客のいうことをある程度聞かないほうが良いものになるということだろう。

Img_3708 この点は椅子では特に大切で、Kさんはフロアで使う、低いベンチふうの安楽椅子を展示していた。Kさんが言うには、この椅子はおそらくあまり需要はないだろうとして作りました、とおっしゃる。けれども、絶対にこの椅子は大量生産の家具工場では作られない類の椅子であって、うちほどの需要のところで手作りでようやく作られるのだというのだ。そして、これをほんとうに欲しいという少数の方が出てきてもらえれば、それで経済的にも制作者側としても十分なんだというのだ。小さな経済圏で成り立つ製作ということの基本線がここにあると思われる。

Img_3876 あと、数人を残してしまったが、一度に全部というわけにもいかないだろう。秋には、クラフトピクニックも開催されるから、その時のためにも少し余裕を見ておきたいと思ったのだ。それで、せっかく来たのだから、陶器の方も見ておこうと、このC-3領域を眺めることにした。一つは、この人形を購入した。説明はいらないと思うが、実は先日の九州旅行の由布院温泉で、この人形のシリーズの中で「哲学者」と名前がついた人形に出会っている。制作者のMさんによると、その後由布院が今度の震災で被害を受け、これらの人形も壊れたものがあって、修復プロジェクトが立ち上がったそうだ。

Img_3880 わたしの買ったのは、「旅に出ます」と名前がついた人形だ。Mさんによると、三つのエピソードが詰まっているらしい。一つ目は、宮澤賢治が田んぼを歩いている姿だ。外套の姿には連続性が認められる。二つ目は、ニューヨークのエリー島に集められた移民審査の人びとだ。移民となると、カバンはもっと大きいかもしれないが、このくらい落ち着いていないと、今後どのような目にあうのか予想がつかない中で生きていくことができないだろう。そして、三つ目は収容所へ送られる前にカバンを預けられようとするユダヤ人だという。切羽詰まっている。Img_3881 題名からすると、もっと開放的なテーマがあったのではないかと思われるのだが、蝙蝠傘とカバンの組み合わせからすると、ちょっと暗い状況だったのだと思われる。反面、先日見た舟越保武の少年像もそうだったが、後姿がとても良いから購入に至ったのだ。

2016/05/28

今年は取材で、クラフトフェアへ

Img_3670 例年のことだが、今日は松本市にとって一番長い一日になる日だ。朝、新宿であずさ号に乗るときには、ちょっと満員で、自由席に立っていく人が多いな、という程度だった。松本駅に着いたときにも、メインの通路にあるコインロッカーはいっぱいだったが、駅外のコインロッカーは空きがあったので、昨年までよりも空いているのかと思うくらいだった。Img_3671 いつものように、クラフトフェアの会場である「あがたの森」へ行く途中にあるブックカフェの「栞日」で、カフェオレを飲んで外を眺めている頃には、ちらほらと会場を目指して歩く人びとが急に列をなしてきたのだった。

Img_3683 クラフトフェアの入り口付近では、すでに人びとは塊となって、テントの列に沿って移動していくのが見えた。この入り口付近のテントは重要で、実力派で特色ある陶芸のテントが並んでいた。手芸の出展者は顔を憶えているわけではないのだが、むしろ常連の方々がその辺を占めているのではないかと思われた。思わず触ってみたくなる絹の草木染めが目に入ってきたのだ。

Img_3686 その後、どういうわけか、「あがたの森」の池の北側に回ってしまったらしく、中心にある本部テントから遠ざかってしまった。全部で260ものテントが出店しているらしいので、Img_3693 こうなると、一日では全部を回るのは到底無理になってきてしまう。そう諦めれば、あとは楽で、本部近くの作家一覧で場所を見て、お目当ての木工の方々の場所を確かめて、そこを中心に聴いて回ることにする。多くの木工の方がたは、A-3領域に固まってテントを出していることがわかった。

Img_3704 途中2年前に、ラジオ授業を制作した時にお世話になった松本クラフト推進協会代表で、石の彫刻家のI氏のテントが見えたが、見学者が十重二重に取り囲んでいて、到底挨拶するどころではなかった。隣に、昨年のクラフトピクニックで、椅子を作らせていただいたO 氏が展示を出していた。Img_3706 やはり椅子を作ってもらった顧客の方々が多く来ていた。でも、ちょっと割り込んで、ようやくお話を聞くことができたのだ。若いときに考案した組み立て式のテーブルを展示していて、家具というものの工夫の細部がわかる話をしてくださった。

面白かったのは、O氏が述べた「制作者の立場」と、「デザイナーの立場」の違いという視点だった。この多機能的で、どのような部屋や場所でも変幻自在に組み立て可能なテーブルは当然のように、意匠登録の対象になるのではないかと質問したのだった。ところが、返ってきた答えが意外なものだったのだ。わたしはやはり、制作者としてテーブルを作っているのだ、ということだった。面倒臭いとはおっしゃったのだが、それ以上に、作るということ自体に喜びがあるのであって、そこから家具というものが始まるのだということがよく分かる態度だと思ったのだった。

Img_3072 それにしても、天板が数本の板に分かれていて、脚部分も屈折可能で、テーブルの幅に自由にフィットするような構造は、たいへん柔軟な発想の元に構想されたテーブルだと思われた。写真を見れば、なるほどと思うのだが、話に夢中になっていて、写真を撮るのを忘れてしまったのは残念だ。大学のゼミでは、このような融通無碍なテーブルが欲しいところだ。そう考えると、なぜ大学の事務機や机はなんと無機的で、味気ない家具が使われているのか、と不思議に思ってしまう。働く場にこそ、このようなテーブルや椅子が欲しい。そこで、O氏がお子さんのために作ったという、伝説的な子ども椅子をここに掲げておきたい。先日の子ども椅子展で撮ってきたものだが、若い女性たちが、これを見て、かわいい、と連発したのが印象的だった。

Img_3715 話を聞きたかった、T氏やM氏やS氏のテントを巡ってみたのだが、椅子は出しているものの、このようなフェアでは、木工の小物に人気が集まり、その応対でたいへんそうであった。それで、ちょっと目を離したすきに、姿を見失ってしまったのだ。それほど、多くの人数が押し寄せてきたということだ。

Img_3731 並びには、子ども椅子展でお話を伺った、H氏が出店していて、ちょうど後ろの休憩用のテントにお孫さんと一緒にいらっしゃった。子ども椅子展はS氏の呼びかけで始まったのだが、S氏によれば、その呼びかけはH氏が軽井沢で作り始めた子ども椅子がきっかけになった(数年間のズレがあるようだが)との話を聞いたことを言うと、その頃の様子をH氏は話してくださった。最初の子ども椅子は注文だったそうだが、その時考えたことは、おもちゃ椅子や人形椅子のレベルの子ども椅子は抜け出すべきだ、という意識があったとのことだった。このことは重要で、うさぎをくり抜いて、原色やパステルカラーのペンキを塗っただけの子ども椅子では、それはやはり、おもちゃであって、座るという意識が希薄なのだということだった。

Img_3735 それに加えて、M氏の子ども椅子が登場したのだそうだ。M氏は本格的なウィンザーチェアを作り続けている方で、子ども椅子も本格的なものだったのだそうだ。M氏は自分の子どものために作ったので、商品化されなかったらしい。けれども、あまり本格的すぎると、高価なものになってしまい、かえって子ども椅子の特性が失われることになろう。

Img_3088 H氏の目指したのは、おもちゃではないが、しかしあまり本格的なものでもないところだ。子ども椅子は、大人の椅子と同様の手間がかかったにもかかわらず、大人椅子と同じ価格にはできず、半値以下の値段をつけざるをえない。そのため、結局採算性からすれば、なかなか厳しいところがあるのだそうだ。

H氏の向かいには、上記のM氏が店を出していた。70数歳のM氏の店には、対象物は四つしか展示されていない。ウィンザーチェアが三脚と、大ぶりなスツールが一脚である。絶対のものとしての、椅子が厳然と存在しているという風情だ。熱烈なファンがいて、これこそわたしの椅子だ、という雰囲気が漂ってくる。

Img_3734_2 M氏は英国で修行してきたのだが、当地のウィンザーチェアはちょうど衰退期に当たっていて、大量生産から手仕事への転換期に当たっていたのだそうだ。それには、相応の理由があるのだが、ここでは触れない。重要なのは、轆轤技術などが発達し、技術革新が一方で生じたのだが、それでも衰退を迎え、さらに復興が生ずるという歴史が、英国にはあったという点である。理由もさることながら、M氏のように実体験を持って、このことを感得し、なおかつこのようなクラフトフェアを通じて、日本へ伝えたという事実は得難いものだったと思われる。手仕事の復活は、いろいろの経路をたどっているのだが、木工事情はその典型例を示していて、たいへん面白いのだ。

Img_3752 中町通りへ入って、グレインノートのご夫妻へ先日のお礼を述べに行き、S氏と先日の録画の話を思い返した。店もフェアのために、相当混んできたので、このところシリーズで集めている田中一光氏の紺色のコーヒーカップを購入して、退散した。昼飯が遅くなってしまったので、いつもの鰻屋さんへ駆けつけたが、休憩時間に当たっていた。さらに、そのまま、中町通りのChiianへ行ったのだが、開店以来最大の混みようで、もちろんお目当てのキッシュは売り切れていた。Img_3754 結局、話をたっぷりと聞いた分だけ、食欲の方は今日のところは満たされなかったのだ。駅前の中島商店で、小布施のシャルドネを買ったのだった。松本にとっても長い一日だっただろうが、わたしにとっても長く充実した一日だった。Img_3742

2016/05/22

砧公園の世田谷美術館へ行く

Img_0812 砧公園の世田谷美術館で開かれている、「竹中工務店400年」展へ行く。東急線用賀駅から遊歩道を15分ほどたどって、砧公園へ着く。歩道の石に、百人一首が刻み込まれていて、楽しい散歩コースだ。Img_0817 竹中工務店といえば、あべのハルカス(2014)や東京ドーム(1988)などの近代建築の会社であるというイメージが現代では定着しているのだが、関係者にとっては400年の歴史というものがあって、この400年のうち近代以前の最初の250年が重要な意味を持つことがわかった展覧会だった。

Img_0819 数多くのコンクリートの近代建築が展示されているのはこの展覧会ではまったくの事実であって、それらだけでもかなりのボリュームの写真や説明があるのだが、それらの中でもコンクリート以外の建築物、とりわけ目を引いた建築物は、やはりポスターに謳われていた「棟梁精神」が前面に出た、木造建築だった。先日神戸で訪れた大工道具館の展示を思い出した。

Img_0829 全体の展覧会では、必ずしもそのことは強調されていなかったのだが、見終わると心に残るのだ。記憶の底にズシンと沈殿してきて、重く思い出されてくる建物があるのだ。都市の建築物よりも、地域の建築物にそのような建物が多いのはなぜだろうか。それらは、神社仏閣もさることながら、それ以外の木造建築物だ。中でも、1935年落成の「雲仙観光ホテル」は今回の展覧会ポスターの下の方に、設計図が載っていて強調されていたし、この建物には窓が多く取ってあり、いかにも人間を向かい入れることを思い起こさせそうな建物なのだ。

Img_0834 さらに加えて、注目したのは、2013年に作られた「大阪木材仲買会館」だった。宇宙の果てまでもギューンと伸びていきそうな、木造の庇と外廊を持ったビルなのだが、素材として耐火性の木造であるという点が特色だ。木柱の芯に石が埋め込まれて、類焼しない工夫がなされている。

Img_0836 これは、都会では、心強い仕組みということになるだろう。なぜ都市の建築物がコンクリートと鉄鋼で作られ、味気ない街になってしまったのだろうか。やはり、都市の火事は、相当に恐れられていたことの一つだと考えられる。それは、江戸時代の火消しの活躍に象徴されている。この災害対策として、わたしたちは次第に、木造建築物を排斥してきてしまったのだと考えられる。けれども、この木材仲買会館のような木造が増えていけば、解決されるだろう。心配なのは、コンクリートと比べると、極端にコストがかかっている感じのところだ。木材にこだわった結果、費用が極端に高くなってしまったのだろう。けれども、長期的に見れば、木材を生かすことの事例として、かなり意味が出てくるのだろう。

Img_0841_2 昼をとうに過ぎてしまったので、美術館のカフェで軽い昼食をとる。公園から、一段下がった、中庭がテラスになっていて、水が流れている、今日のような夏日には、見た目で涼しい。

今日の椅子は、これまで何回も取り上げようとして、うまくいかなかったウェグナーのYチェアだ。柱と笠木の曲木が綺麗で、全体として、ぷっくりとまとまっているところが、自然さを示している。Img_0844 けれども、ほとんどの部材がかなりのロット生産で作られており、大量とまではいかないが、量産可能な椅子として、しかしながら、手作りの趣を残している木製椅子の代名詞的な椅子だ。

座ってみると、ペーパーコードの座面が心地よく、左右への身体の揺れに自由度があるところがたいへん良いのだ。Img_0845 今回の世田谷美術館のレストランの常備椅子として、数十のYチェアが使われていて、Yチェアがパレードを行っているようだ。待合の廊下にも、長椅子とともに使われており、ちょっと休憩というときに良いのだ。ガラスが大きく取ってある廊下でYチェアに座って、庭に置かれた不思議な彫刻を眺めながら、しばし展覧会を思い出していたのだった。Img_0842

2016/05/12

子供椅子とウィンザーチェアを観る

Img_3636 「松本民芸生活館」を観せていただく。この施設は故池田三四郎氏が、昭和40年代に富山からの建物を二棟合築して建てられたものだ。職人修行の場として造られたものであって、家の梁が大きく、いかにも豊かな富山の名家の建物だというもので、信州にはこのような大きな古民家はあまりない。現在は、道場としての使用もなく、非公開の施設となっている。

Img_3633 この非公開の椅子には「椅子とは何か」ということを考えさせられる名品が詰まっている。このことについては、三四郎氏の著書「三四郎の椅子」にまとめられている。今回は、松本民芸家具の社長であり、館長のI氏(三四郎氏の孫にあたる)の案内で訪れたのだ。そして、いつもお世話になっている、グレイン・ノートのS氏と、当授業科目の主任講師であるS先生、それからビデオ収録のチーム(放送大学とNHKエデュケーショナルの、さらにカメラマンと録音技師)の方々が同行してくださった。松本市の神田にある。

この辺はじつはこの施設が移築されてくる前は、まだ田んぼと電気工場だけの場所だったところで、わたしは小学校時代によく友達と共に、自転車で駆け巡っていたところだ。この北へ行ったところに、千鹿頭という池があって、ちょっとお弁当を持ってハイキングを行うには最適な場所だったところだ。その頃には、まだこの施設はなかった。

Img_3599_2 一つ一つ椅子を見ていきたい気分だったのだが、目的は椅子の「色と形」に集中しなければならない。思いの外、緊張していたらしく、それは珍しくはないのだが、NGを何回も出してしまった。二つ目的があって、一つは子ども椅子の回についての収録と、もう一つはウィンザーチェアの「色と形」についての取材収録だった。

Img_3600 あまりに多くの名品揃いで、全部お話できないのが残念なくらいだ。収録し残した椅子たちに、今後生きているうちに、もう一度会うことはできるだろうか。収録した中でも幾つかの印象に残っている椅子がある。例えば、カナダの子ども椅子は、子ども椅子としての始原性を残しているばかりでなく、ウィンザーチェアとしての始原性を表していて、たいへん興味深いものだった。

Img_3598_2 この子ども椅子の基本は座面にあった。分厚い座板がゴロンと存在していて、そこに脚がついたり、背板がついたりするのだった。この椅子を見ていると、椅子の一つの始原が地面からちょっと隔てた座板にあることがわかる。椅子というものは、つまり座るということは、地面と人間との関係性だということだ。なぜこの座板が分厚いのか、ということは、地面から浮遊させる必要があったというばかりでなく、脚を支えるだけの厚さが必要だったということであったのだ。制作上の必要がのちのち加わってくるのだが、その必然性を象徴している。

Img_3605_2 グレイン・ノートのSさんは、英国の古いウィンザー調の子ども椅子を特に注目し取り上げていた。ウィンザーチェアの特徴は、やはり座面がしっかりしていて、それに脚とスピンドルがついたという構造を示している。したがって、やはり座面の分厚い子ども椅子を発達させているのだというのだ。けれども、英国の子ども椅子では、細心の注意が行われていて、この分厚さをさりげなく隠すために、座面の前部が斜めに切り取られて、厚さを感じさせない工夫がなされている。このような細かいところの配慮は、Sさんのように常に椅子を作っている方にとっては、制作者としては気になるところらしい。

もう一つだけ紹介すると、この生活館には、ウィンザーチェアのプロトタイプ(原型)がある。館長のI氏による詳細な説明が行われた。この模様は、来年から始まる放送大学総合科目「色と形を探究する」で放映するので、ぜひご覧になっていただいきたい。まだ、だいぶ後の話で恐縮だが。

2016/05/11

子ども椅子展のロケ

20160604_002741 ほんとうに実現できるのだろうかと思っていた。授業科目「色と形を探究する」のビデオ収録がようやく実現して、ちょっと夢見心地で松本市を訪れている。20160604_003004 先日連休中に、この欄でも紹介した「子ども椅子展」が松本市美術館から場所を移して、ここの中町通りのグレイン・ノートで明日から再開される。そこで、再開される1日前にもかかわらず、またグレイン・ノートが休業日にもかかわらず、S氏が特別に撮影のために、この場所を提供してくださったのだ。

20160604_002838 カメラマンの方に撮ってもらうと、自分で撮ったものより当然ながら数段良い。何が違うのだろうか。カメラのモニター画面に映し出された60脚の子ども椅子は、美術館の中庭と違って、部屋の中でもなお壮観だ。

20160604_002920 なぜ「子ども椅子」は「大人椅子」と異なり、子ども椅子特有の形を持っているのだろうか。単に設計段階で、大人椅子を縮小しただけにとどまらずに、それ以上に、何かが付け加わっているのが、子ども椅子の特徴だ。20160604_003043 ある人は、可愛さだといい、ある人はずんぐりしているといい、ある人はバランスだといい、さらにこのメリット探しはとどまることを知らないほど、と興味深いのだ。これまで、二、三の理由は挙げてきたのだが、何が決定的なのか、もうしばらく、心をオープンにして、解答を楽しみたい。

S氏の言葉は、ゆっくりと的確に本質的な中核へ迫っていくのだ。それに吊られて、質問を慌てて繰り出したのだった。子ども椅子に座りながら、この触感を楽しみながらの撮影だった。いろいろな話をしているうちに、ビデオ取りは確実に終了したのだ。

2016/05/02

O先生と松本カフェ

Img_3041 今日は季節カフェの番外編で、O先生と松本カフェの1日だ。まずはモーニングコーヒーを飲むために、Books&コーヒースタンド「栞日」へ寄る。昨日、O先生が来ましたと店のマスターに告げられる。Img_3345 コーヒースタンドでは、ジーンズに赤いスカーフの女性が先客だったのだが、どうやら1日同じコースを辿っていたらしく、こののち2回ほど、わたしたちが街中を歩いていて、彼女に自転車で追い抜かれることになる。わたしたちは、だいたいのところで、観光客と垂直に交わる道を辿っていたのだから、この女性も単なる観光ではなかったのかもしれない。

Img_3109 今日も、O先生に会う前に、松本市美術館の中庭で開催されている「はぐくむ子ども椅子展」へ寄る。ウィークデイなので、やはり来ている子どもの数は、一昨日より圧倒的に少ない。それで、ビデオを回すのを今日は諦めることにする。今日の子ども椅子展の当番は急に用事ができたらしく、急遽S氏が代わりに立っていた。Img_3058 これ幸いとばかりに、今度お願いしている授業科目「色と形を探究する」のビデオ収録について、打ち合わせをする。可能なところだけだったが、ここで大方のところを行ってしまうことができた。Img_3097 互いに喋りたいところが、次第に決まってくるのがわかる。このような自然なセリフの決まり方が理想的だ。

Img_3074 子ども椅子には、無限に多様な可能性が備わっていて、それは子ども自身の可能性であると同時に、子ども椅子にもあることがわかったのだ。わたしたちは既成観念で、椅子は座るものと考えているのだが、そして、座面があれば、それに座るものと決めているのだが、子どもたちは、どうも規定通りには座らないことがわかる。Img_3084 横に座らなければならないと、わたしたちは思っていることで、縦に座ってしまって、それで十分に椅子の機能を果たしている場合が見つかるのだ。S氏と話していて、今回も得るところ大であったのだ。

S氏と話し込んでいたら、O先生から簡易メールが入って、Rホテルのロビーで待っているとのことだった。20分もあれば、街の中心部を駆け抜けることができるほどの都市と言うのは、ほんとうに好ましい限りだ。Img_3221_2 O先生は昨日にすでに行くべきところはほぼ回ってしまったので、あとは自由だとおっしゃる。まずはホテルの並びにあるギャラリー「灰月」に寄る。アクセサリー展が開かれていて、通常はわたしの興味の範囲外なのだけれども、今日展示している方は、作った作品に素敵な名前「こころ」とか「あめふり」とかを与えていて、それを小冊子にして、アクセサリー・プラス・言葉の作品にまで仕上げている。このアイディアは興味深かったのだ。Img_3226 モノに名前を与えると、想像力が動き出すから不思議だ。O先生は、これらのアクセサリーではなく、白地に斜線が無造作に入ったお茶碗を気に入ってしまい、あっという間に購入していた。研究室で使うそうだ。

Img_3228 次に、S氏の奥様が開いているグレイン・ノートへ行く。明後日の4日にSさんに会うことになっているのだが、天気が悪くなりそうで、心配してくださっていたのだった。Img_3229 O先生は、奥様が女優の〇〇さんに似ていらっしゃるというのだが、確かにそうかもしれない。笑顔に安心感のある方だ。O先生はここでも白地のお茶碗を購入なさっていて、1日何回お茶を飲まれるのだろうかと思ってしまったのだ。

店の二階では、荒削りの木材と、イグサ織りの座面に特徴があるY氏の椅子展が行われていたので、しばしお話を伺うことにした。Img_3416 この独特の作風には、原型があるそうで、額に入れた写真を見せてくださった。一目見て、池田三四郎著『三四郎の椅子』に出てくるスペインの椅子を思い出したので、そのことを伝えると、まさにその通りだった。この原型となる椅子の荒削り感には、このスペイン椅子にまつわるもう一つのエピソードがあって、1脚を15分ほどで組み立ててしまう、という生産効率がたいへん素晴らしい椅子だということになっている。Y氏の椅子は、イグサを織り込むのに、7時間くらいかかるそうで、一つ一つ織り上がるとそのこと自体が楽しいのだとおっしゃっていて、素敵な仕事をなさっている。Img_3419 お尻に当たるイグサ織りに特徴があって、ちょうどお尻が当たる凹み部分が後ろの方へずらされているという工夫がなされていて、実際に座ってみると、すごく座り心地が良いことがわかるのだった。スペインの粗野な椅子から発展して、Y氏独特の優しさを加味した椅子に仕上がっていることがわかる。

Y氏の木楽工房はこちら

Img_3231 お昼は、O先生行きつけのル・コトリで、わたしは魚料理ランチを食べる。すでに電話予約がO先生によってなされていて、電話の声だけで、すぐにO先生だと認識されたとのことだった。O先生はエビ料理のランチを選択した。えんどう豆のスープは、視覚的に訴えかけてくるような真みどりの色で、ほんとうに色鮮やかだ。5月の「緑の季節」をそのままスープにしましたという雰囲気を持った、また味も豆特有の香りの濃厚なスープだった。Img_3232 食事は、華やかだったのだが、雑談の内容は大学の仕事のことになってしまい、気の引ける話で、このような時に話すべきではなかったのではないかと、後悔したのは、夜になってからだった。Img_3236 老人になると愚痴が多くて、済みません。

スイーツとコーヒーは、O先生がこの3月に松本に来た時に開拓した、新しい喫茶店「Chiian」において。Img_3255 本物の漆喰壁で、その白い壁の色が清潔な感じを引き立てている。この店は、昨年9月に改造したのだそうだ。ここには、老舗の漬物屋「みずしろ」の事務所があったところだそうだ。松本市には、このひらがなの「みずしろ」と、漢字で書く「水城」と二つの漬物屋さんがある。わたしの小さな時にも、母がよく漬物を買ってきた店だし、わたしもお土産を買うのによく利用した店だ。セロリの粕漬けがわたしの好物で、他にも、ワサビを使った珍味の漬物がたくさんあったのだ。表の漬物屋だったその店は、かりんとう屋さんになってしまったのだ。

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Img_3409 「みずしろ」の遺構として、表から裏へ通ずるトロッコの軌道とトロッコ自体も残されていた。なぜトロッコかといえば、それは松本地方の昔を知っている人であれば、すぐわかることで、漬物の樽がたいへん大きいからだ。Img_3413 「お葉漬け」と呼んでいたが、長野の方では、野沢菜漬けと呼ばれているものだ。その樽が、おそらくお漬物の樽の標準であるとすれば、これを毎日運んでいたら、腰がいくつあっても足らないほどの重労働だからだ。Img_3257 トロッコというのは必然の産物なのだ。

Img_3260 さらに、観光客を斜めに見つつ、大名町の混雑を横切って、昔の六九商店街のはずれからちょっと入ったところにある喫茶店「matka」で、O先生とさらに雑談を楽しんだ。どのような雑談なのかといえば、老人たちの雑談だから、人生物語の1ページということにはなるのだが。Img_3238 人生の中で、時間に間に合わなかった経験、つまり遅刻した経験で一番冷や汗をかいたのはいつなのかという、話すだに汗が湧いてくる話だったのだ。O先生は学生時代にヨーロッパ旅行で待ち合わせ時間に間に合わなかったのだそうだ。次の街でようやく追いついたという話を聞かせてくださった。なんとなく、北杜夫的な雰囲気のお話で、O先生のパーソナリティを思わせるエピソードだったと思う。乗り遅れた時の顔を拝見したかった。わたしもそういえば、高校時代に地学遠足で、バスに乗り遅れたことがあったのだ。

Img_3269 日中の温度がすっかり夏日となり、日焼けした顔を互いに見つつ、女鳥羽川を過ぎたところで、O先生は夕飯を食べにまた中心街へ向かい、わたしは、最終バスへ接続する電車に乗るべく、松本駅へ向かったのだった。Img_3273 O先生は、また夏カフェでと言って、すぐそのあとにも、カメラを片手に隣のビルを撮影していた。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。