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2016年4月に作成された投稿

2016/04/30

北アルプスの麓、奥深い田舎へ来ている

Img_3012 連休を前にして、溜まった原稿をまとめようと、田舎にこもっている。世間と遮断して、ネットもメールも見ずにただひたすら、風呂に入って検討し、検討しては風呂に入るという生活だ。原稿が進むかと問われれば、そういうわけでもないのだが、湯船に浮かんでいると、肩の凝りが治り、明日の原稿のアイディアが湧いてくるかのように思えるのだ。

Img_3014 けれども、今朝はちょっと調子が違っていた。気温が異常に低く、風呂へ入るには寒すぎるのだ。零度以下には、もうすぐ五月だから、さすがにならなかったけれども、すれすれのところまでは行っていて、窓を開けると昨日の大風に乗ってきた冷気がさっとカーテンを揺らして入ってきた。昨日の、もの皆吹き飛ばすような春の強風は、この冷気の前触れだったのだ。それで(とつながれば良いのだが)、寒さを避けて、田舎から近くの地方都市である松本市へ、今日一日出ることにしたのだ。

Img_3023 朝一番のコミュニティバスに乗ったのだが、土曜日だということもあって、ついに乗客はわたし一人きりで、貸切状態で駅に着いた。バスという公器を独占しているようで、利用していない人びとに何だか申しわけないような気にもなりそうだが、しかし、これで誰も乗っていない時の運転手の方々の心持ちを考えると、もっと厳しいだろうから、やはり一人でも乗っていた方が良いに違いないと思い直した。

Img_3201 大糸線に乗ると、松本駅に近づくに従って混んでくる。若い人たちや、高校生たちが多いから、予備校や高校の補習授業でもあるのだろうか。長野県は昔から教育県と呼ばれているから、土曜日の登校くらい当然だと思っているのだろうな。このところは、小学校の学力テストでも、秋田に取られているし、長野県が教育県ということはあまり聞かなくなったのは、なぜだろうか。少し正常になったということなのだろうか。

Img_3206 松本駅を降りて、あがたの森公園へ向かって、駅前の大通りを大股で歩く。後ろから来た若い人が突然走り出し、何なんだと見ていたら、今度は交差点で並んだ背の高い女性も足早になって、とっとと先を急ぎ、わたしは何なく追い越されてしまう。右手にブックス&コーヒーの「栞日」が見えてきた。マスターがビルの前で話をしていたのだが、何かを思い出したように、入り口から駆け込んでいくのが見えた。昨年以来の「栞日」訪問である。カフェオレを注文する。岩手盛岡の地域雑誌「てくり」などが3階に展示されていて、すっかり岩手特集の様相だった。Img_3209 盛岡の喫茶店を特集していた「てくり」と「別冊てくり」を購入する。じつは来年度には、岩手学習センターで面接授業を行わなければならない。数年前にも、授業で行って、「光原社」や岩手大学内の農学校の校舎などを見学した覚えがある。今回、この雑誌を偶然手に入れ、これを見たからには、きっと充実した出張になる予感がするのだった。

Img_3052 今日の松本市出張の目的は、以前ラジオ講義でお世話になった松本クラフト推進協会主催の「工芸の五月」企画の中で、今度インタヴューをお願いしている椅子作家のSさんたちの「子ども椅子」展を見るためだ。Img_3050 松本市美術館のふかふかした芝生の中庭に60脚ばかりが置かれている。今日は展示の初日に当たっていて、しかも連休日だということで、家族連れや子連れが多く来ている。

Img_3060_2 25名の椅子作家たちが、数十年前のものから現在の新作に至るまでの子ども椅子たちを展示しているのだ。そして、この椅子作家の誰か一人が毎日の当番で説明に当っている。今日はH氏が担当だった。Img_3063 H氏は親子で「Kancraft」という工房を主宰なさっていて、注文家具の製作を行っている方だ。子ども椅子では、クルミ材や栗材、でできたコムバックチェア系統と、ボウバックチェア系統椅子を出展していた。

http://kancraft.jp

Img_3079 子ども椅子を作っている作家の方々へいつも質問するのは、「大人椅子と子ども椅子とどこが異なるのか」というものだ。もちろん、大きさが違うのだが、単に縦横を同じ尺度で縮小しているわけではないというところが肝心なところだ。それじゃ、具体的にどこが異なるのか、という質問を行って、楽しんでいる。皆さん、それなりの理由がユニークであるところが面白いのだ。Img_3091 特に、手仕事での椅子製作では、気になるのは採算の問題だ。これらは、ほとんど「企業秘密」に属する問題なので、密着取材をしないと得られない情報のひとつであり、興味深々のところがあるのだ。

Img_3148 松本市美術館では、「工芸の五月」に合わせるような企画で、「バーナード・リーチ展」を開催していた。これまで、大山崎の美術館や、新橋汐留の美術館で何回か観ており、とりわけスリップウェア系のものは、英国の伝統と、描かれた動物のダイナミックさが素晴らしいと思っていた。今回は、日本の民芸運動との関係をとりわけ重視しているところが面白かった。柳宗悦のリーチを評する言葉が壁に描かれていた。Img_3198 きっと構えた窯のあるセント・アイブスの英国と、日本などの外国での窯の間を行き来した陶人としてのリーチを捉えたものであると思われる。Img_3126 正確には覚えていないが、ものを作るより、「人を誘うこと」がうまかった、ということが強調されていた。一箇所に止まってしまってしか作陶できない仕事に就いていながら、「人を誘うこと」ができる社交の域に達するには、どのような人となりが必要なのだろうか。

Img_3116 市美術館を離れるころには、すっかり14時を回ってしまい、昼食時を逃していた。それで、中心街にある食べ物屋さんはどこも満員で、特に蕎麦屋の前には行列ができていて、入ることすらできない状態だった。Img_3139 観光客に人気の「しずか」にも待つ人が溢れていたのだ。それで、結局はいつものうなぎ屋さんで肝吸付きのうな丼を食べることにして、ひんやりと落ち着いた雰囲気の中で一息をついたのだった。

Img_3171 今日はたっぷりと椅子を見たので、取りあげる「今日の椅子」は60脚の子ども椅子全部だ。駅への道で、いつものジャムの店「シェモモ」で、三種類のコンフィチュールを購入する。この中で、りんごとライムのものが爽やかな味だった。これからの季節に合いそうだ。ワインは駅前の中島酒店で、並んでいる中で小布施が良いか城戸が良いかと訊くと、逆に日頃何を飲んでいるのか、と問われてしまった。それとの相対的な嗜好で、結局小布施の白ワインを勧められる。

Img_3164 それから、田舎にこもるには、眠気が大敵なので、いつもよりもかなり濃いめの焙煎で、少し甘さを感じるくらいのコーヒー豆ケニアAAを、焙煎豆専門販売店「ローラ」で買う。これに乗れば、山奥へのバスの最終便にやっと間に合うことになる、大糸線にようやく飛び乗ったのだった。

2016/04/23

卒業研究ゼミナールが始まる

Img_4033 今年度の卒業研究ゼミナールが東京文京学習センターで始まった。初対面にもかかわらず、皆さんがかなりのボリュームのあるレジュメを切ってきて、濃密なゼミになる予感を充満させていた。

東京のSさんと名古屋のKさんは昨年度からの継続なので、昨年度の総括をすれば、かなりの時間を取る発表になることは予想されていたのだが、新たに加わってきた岐阜のOさん、東京のKさん、神奈川のSも、このゼミが始まる前から、意欲満面の様相を呈していて、議論が期待できそうな雰囲気がこの第1回目からして作られていた。

Img_4032 もちろん、皆さんともに、不安がないわけでは決してない。卒業研究でもっとも困難さを感じるのは、時間だ。4月から始まって、11月の上旬には提出ということだから、実質7ヶ月で1本を書き上げなければならない。初回の論文なのだ。かなり蓄積を持った人でも、7ヶ月の猶予しかないと言われたら、尻込みしてしまうほどの集中した作業量を要求される。もっとも逆に、7ヶ月しかないと考えれば、それなりの諦めがつくから、どの程度の文献を読み、どの程度の分析を行い、どの程度の結論を導くのかが、最初から計算できるというメリットがあるのではないかと、気安めを述べるしかなかったのも事実だ。

Img_0732 今年度もたいへん興味深いテーマを持ち寄ってくださった。神奈川のSさんは福島の工芸運動についてであり、わたしの現在のテーマと重なるところがかなりありそうだ。東京のKさんは、社会はどこに存在するのか、という根本的な問題で議論が沸騰しそうだし、さらに岐阜のOさんは家庭ゴミ処理という極めて現実的な問題である。とにかく、スタートを切ったということで、気分を新たにして取り掛かっていただきたいと考えている。修士課程のゼミナールとは、かなり雰囲気の異なる、しかしながらもしかすると、少人数のメリットを生かして、大学院ゼミに優るかもしれない議論中心のゼミナールになるかもしれないという可能性を感じさせる、今日のゼミナールだった。Img_0733 帰ってから、キャンパスネットワークに設けた卒研ゼミナールの掲示板を見ると、すでに皆さん2、3回の書き込みを行って、スタートと同時にすでに活発なコミュニケーションを取り合っていたのだった。

Img_0734 ゼミの後、久しぶりに横浜の中華街へ出る。娘と会う約束をしていたのだ。娘の使い古したパソコンを譲り受けて、新たに再生しようという趣旨だったのだが、それは後にして、とりあえず空腹を満たそうと街へ繰り出した。このところ、娘は中華街に凝っていて、本通りを外れた、際どく旨い店を何軒か開拓していた。その中の一軒で、ワンタンの専門店というのがあって、そこへ入った。Img_0736 今日は土曜日だったので、本通りや市場通りなどは、歩くのもままならないのだが、関帝廟通りのこの店あたりにまで来てしまうと、人通りもその半分以下となる。店を知っている人びとしか訪れないという雰囲気が伝わってくる。

ワンタンと言っても、すべてスープのワンタンというわけではなく、餃子のような焼きワンタンや、蒸しワンタンなどがある。Img_0737_2 また、中の具が豚肉であったり海鮮であったりして、それなりにバリエーションがあり、わたしたち日本人の観念を上回る上海料理になっていたのだった。Img_0737 このような専門店には、ワンタン以外にも変わった種類のメニューが用意されていて、その中から、冷菜の「冷茄子」をとった。写真でわかるように、茄子が主体であるが、下に敷いてあるトマトとタレが効いている。そして、ワンタンとの組み合わせが絶妙な料理だった。紹興酒を飲みながら、ワンタンと冷菜というのも、悪くないのだ。

Img_0742 娘は来週始まる連休を利用して、モロッコへ行くそうだ。砂漠の中をバスと借り上げ自動車でドライブするコースを辿るらしい。外人部隊かカスバの写真を撮ってきて、と映画を思い出すようなレトロな物言いをしたら、それはアルジェリアじゃないのかと言い、さらにカスバが何なのかわかったら撮ってくる、と相変わらず高飛車なのか謙譲なのかわからぬ応答が返ってきたのだった。

2016/04/16

茗荷谷で大学院ゼミを行い、その後映画「スポットライト」を観る

Img_0723 ただひたすら足で稼いで、人と会って、事実を確かめる。これだけの繰り返しと積み重ねの映画だ。これだけで映画になるのだ。むしろこれまでの「映画的」なところがないのが、この映画のリアリティを生んでいる。こうなると、映画らしさとはなんだろう、と逆に考えさせられてしまうのだ。けれども、見終わると、まぎれもなくこの映画は本物の「映画的」な映画なのだ。

一人の神父が幼児虐待事件で訴えられ、それをボストン・グローブ新聞の「スポットライト」欄の鬼記者ロビー・チームが取り上げるところから、この映画の物語は始まることになる。そして、この事件には、幾つかの奇妙な現象がつきまとっていた。たとえば、事件の記録が残っていないなどのことだ。そこに、新任の編集局長が親会社のニューヨークタイムズから赴任してきて、この事件を取り上げることになるのだ。おそらく、ここにおいて記者という職業の勘が働くところなのだろう。何が特ダネ記事になり得るのか、という展開が続いていくのだ。それから、想像でしかないが、ボストンのカトリック信者の方がたがこの事件に遭遇して、複雑な思いを信仰に対して抱いたことは否めないだろう。この点については、ボストンという地域の特徴としても、よく描かれていた。

Img_0722 この映画の中でも感心するのは、チームの記者たちが、夥しい量の聞き込みをこなしていくことだ。そして、ひとつひとつ追っていくうちに、これらのひとつひとつの事実が、別々の切り離された事実ではなく、繋がっている何らかのものとして次第に見えてくるのだ。地域新聞の特徴がよく表れている。事実同士が繋がって、事実から真実がようやくにして見えてくる。段階があって、ひとつは一人の神父の問題から、複数の神父の問題へ広がったことだ。もうひとつには、証拠はすべて非公開にされていたのだが、これを公開する手段を見つけたことだ。これらのストーリーがどんどん広がって、結びついていく興奮は忘れられない。この映画を見て、新聞記者になりたいと思う若者が、確実に増えるのではないかと思われるくらいだ。

なんだ、この手法はまさにいつも論文作成で、わたしたちがやっていることじゃないか、と思い当たる。この映画自体は筋に近いところだけのクールな展開に終始するのだが、1シーンだけ若い記者が感情をむき出しになって怒り出すところがある。ここが特ダネを記事にするべきか否かのひとつの山場なのだが、老練な記者ロビーはまだだといい、部下の記者は機会を逃してしまうと焦る。論文作成でも、このような場面は必ずあるところだ。「やった」と思って、結論が書けたと錯覚するのだが、実際にはまだ真実に達してはいないのだ。

この映画でも、核心を掴んでから、さらに数ヶ月をかけて、実際の掲載記事が書かれるのだ。しかし、ここで山場から最後までの、この期間がほんとうに重要なのだ、ということは実際にものを書いたことのある人にしか、わからないだろう。

この展開は、確かに論文作成の過程に似ていると思う。論文の作成過程そのものなのだ。じつは昼間には、大学院ゼミを東京文京学習センターで開いていて、M2の人びとが少人数でじっくりと検討する機会としては、最後のゼミだったのだ。5月からは、大勢入ってきたM1の方々と一緒に、ゼミを開くので、どうしても時間が足りなくなるのだ。

そこで、今日はじっくりと、修士論文の結論へ向かうプロセスを検討したのだった。これは個々に異なるので、ここでどうだということはまったく言うことができないのであるが、総じて言うならば、一年間先行研究を続けてきて、単なる説明に終始する「記述」と、論文で描かれるべき「分析」による因果関係との違いが、わかってきたのではないか、ということではないだろうか。とは言うものの、わたし自身がそれを本当にわかるのか、と問われるならば、口を濁してしまうかもしれない。上記の映画のように、ひとつひとつがすべて繋がっていることを存分に意識していただきたいと思っている。

Img_0717 ゼミが終了してから、大学院学生OBH氏と近所の喫茶店を開拓すべく、茗荷谷から大塚方面へ歩く。お茶の水女子大学の正門前に、「Fuu」という居心地の良さそうなカフェを見つけて、ゼミの後の休憩をする。わたしはエルサルバトルの珈琲を飲み、彼はチョコレートパフェを食べながら、研究雑誌「社会経営研究」と「社会経営ジャーナル」の編集について相談をする。Img_0718 5月初旬に原稿締め切りがあるので、5月中旬から下旬にかけて、編集委員会を開いたらどうか、などと話す。委員の方がた、いかがでしょうか。いずれメールで日程調整を行いたいと考えている。店を出るときに、ランチの時間は混んでいますか、と聞くと、人気店らしく、行列ができてしまうほどに盛っているらしい。のんびりできそうな店なのに、時間に追われてしまうのは、ほんとうに惜しい気がするのだった。

Img_0724 大学のAさんからメールが入っていた。昨日までに何回かの大きな地震(阪神大震災と同じくらいだという報道もある)に見舞われた熊本には、「社会と産業」コースの教員だったH先生がいらっしゃる。数年前に熊本大学へ赴任したのだが、ようやく彼と彼の家族の安否が確認できたそうだ。阿蘇の麓にお住まいだったので、苦労して宮崎に出て、ご家族は東京へ向かったとのことだった。地震の直撃を受けた地域だったので、みんな心配していたのだが、とりあえず安心だ。振り返ってみると、わたしたちもちょうど1ヶ月ほど前に、これらの地震が起こっている大分・阿蘇・熊本とバス旅行をしていたのだ。あの雄大で緩やかな丘陵地帯の地底で、いったい何が起こっているのだろうか。

2016/04/09

映画「ボーダーライン」を観る

Img_3994 映画「ボーダーライン(原題:Sicario殺人者)」を観る。殺人者とは、ボーダーラインを超えてしまう者のことだ。この映画には、三つのボーダーがある。一つ目は、麻薬の密輸が行われる米国とメキシコの「国境」というボーダーであり、二つ目は国防総省、FBI、CIA、地元警察などの「組織」のボーダーであり、三つ目が個人間ボーダーというのか、「人間」のボーダーというのか、人間の中にある物理的、生物的、倫理的ボーダーだ。

Img_3990 女性のFBI員が組織のボーダーを超えて、国防総省のプロジェクトに加わるところから、このサスペンス・アクション映画がスタートする。次から次へ麻薬組織とボスをめぐって、殺人が行われていくので、何が真実なのか、何が倫理に適うことなのかがわからなくなるというサスペンスだ。でも考えてみれば、わたしたちの場合にも、生活のボーダーをちょっとでも外せば、このような危険地帯のボーダーはただちに現れることだろう。

Img_3989 わたしたちはいろいろなボーダーを持って生きているが、一度このボーダーが超えられてしまうと、どのような混乱が待っているのか、という映画だ。ここでは、麻薬カルテルの無法地帯で何が起こるか、というスリリングな展開が行われている。この状況もさることなれど、とりわけハリウッド映画がこのところ開発してきた戦争場面の描き方、その映画技術には残酷さを非情に描き出す場合に素晴らしいものがある。

Img_3993 この映像的なリアリティは、実際に現地で行われてきているという、経験に裏打ちされたリアリティなのだろうか。他方において、ボスを始末して、混乱を招くという手段は、統治の点から見れば最悪のシナリオで、この映画の根本的な不条理が存在するようにも思えた。

じつは、映画は夜観たのだが、今日昼の一日は、修士課程のオリエンテーションと第1回目の大学院ゼミナールだったのだ。自分の生活のボーダーを踏み越えて、修士課程という「無法地帯」へいらっしゃった新入生の方々を、ようこそ、と歓迎したい。

それぞれの抱えている問題意識は、皆さん異なっていて、現在は「無法」ような混沌とした状態であるけれども、いずれ明確な秩序を与えて、面白い修士論文へ仕上げていただきたいと考えている。

Img_3988 オリエンテーションの一言スピーチでは、先日発行された村上春樹氏の『職業としての小説家』を例に出した。村上氏が小説は1本だけなら誰でも面白いものを書くことはできる。けれども、常に良いものを継続して出せなければ、職業小説家ではないと言っている。これを逆手にとってスピーチに入れたのだ。つまり、論文も同じで、職業として論文を書くならば、継続してコンスタントに書かなければならないのだが、しかし修士論文は最初の1本目か、2本目かであるから、放送大学生は職業経験が豊富であり、それを総動員すれば、面白い論文を1本書くのはそう難しいことではないだろう、と励ましのスピーチを行ったのだった。

Img_3986 おそらく、自分の中にあるボーダーを、トンと越えることができた人だけが、面白い論文1本をものにすることができるのではないか、とちらっと思ったのだ。それと、放送大学生の特殊事情も、ぜひ常に考慮していただきたい。家庭と仕事と同時並行でうまくバランスをとらなければならないという、社会人特有の事情を皆さん抱えている。論文を書くには、物理的な時間の余裕がなければならないのだが、それが得られるためには、家族や仕事仲間との信頼関係をこれまで以上に築く必要があるということだ。家族の中のボーダー、職場のボーダーを越えて、あの映画のごとくの「無法」ではなく、ぜひ信頼を引き出してほしいのだ。

Img_3987 今日の椅子は、有楽町での映画時間を待つ間に、東京駅近くの東京ビルの地下で食事をしたのだが、そこでは、周りの場所とはちょっと異なった庶民的な店が並んでいる。それで、行列ができるのであるが、店の外での待合の椅子が乱雑に並んでいる。Img_3984 店の中の椅子と、店の外の椅子との違いがはっきり出ていると思われる。左の写真の曲木の椅子は、ふつう、天然の木の色が出るように作成されるのだが、やはり外で使われる椅子の特徴は、耐久性であり、塗装が厚化粧であるというところにある。同様にして、椅子風に作られた看板たても、塗装が厚く塗られていた。

2016/04/02

博士後期課程のオリエンテーションと「特論」

Img_3924 大学正面と図書館横の桜がきれいだ。新学期になって、オリエンテーションが午前中に終わって、午後から博士後期課程の授業というのか、あるいは共同ゼミというのか、「特論」と呼んでいる演習が始まった。このような形式で、先生方が全員揃って授業を運営する演習は、わたしたちの大学院時代では、到底考えられなかったことだろう。

Img_3920 なぜならば、先生がた十数人一箇所に集まるというのは、教授会や行事や会議ではありえても、授業では「個人商店」だと考えられていて、一堂に会すことはないからだ。しかも、みんな忙しい方々なので、4日間も一日中出席するのは日程調整だけでも大変だからだ。

一人の先生が一つの講義を行う場合と、十人の先生が同時に一つの講義を行う場合とを比べてみれば、その違いがわかるだろう。Img_3919 前者は通常の授業であるのだが、同じ90分しゃべるにしても、後者では、同時に十人分の負担がかかってしまっているのだ。経営として考えれば、これは明らかなのだが、労働生産性が一挙に十分の一になってしまう状態が起こっているということだ。もしこれが効率を優先しなければならない企業であったならば、到底許されるような状態ではないだろう。

Img_3926 けれども、大学は営利企業ではないので、たとえ生産性が十分の一に下がろうとも、同時に十数人の先生がたを投入しようとも、教育を熱心に行うミッションのもとにおいて、ためらうことなく労力を傾注するのだ。教育上の生産性は経済的には測ることができないという真実には揺るぎないものがある。もっとも他方において、確実に先生がたの負担は増えていることも事実なのだが。

Img_3921 博士新入生の方がたは、どのような感想を持ったのか、知りたいところだ。それぞれの担当の先生方が、新書版1冊あるいは単行本1冊くらいのエッセンスとボリュウムある内容の話を語ってくださるので、面白くないわけはないだろうと勝手に思っている。

Img_3922 たとえば、M先生は、戦中世代と戦後世代との違いが現れる統計データを示して、戦争の影響が生活のどのような点に現れるのかを印象的に話してくださった。K先生はなぜブータン研究を行うようになったのかについて、体験・経験を話してくださった。さらに、途中でH先生が天皇・皇后論の深奥を語ってくださった。なぜ時の皇后がその時々政治の舞台に立ち現れて来るのだろうか、といった疑問を提起して解読してくださった。さらに、T先生はオバマ政権は何を行ったのか、というホットな話題をわかりやすく話してくださった。

Img_3927 夢の国に浸ったようにも思えるし、どういう理由かわからないのだが、あたかも楽しい紙芝居が次から次へ展開していくような場面のようでもあるのだ。このようにして、めくるめく大学講義の展開が始まったのだった。さて、これで前半が終了したのであるが、最終的には、博士新入生の方がたがどのような意見や考えをレポートに書きつけて、それを送ってくるのか、たいへん楽しみなのだ。Img_3938

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。