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2016年3月に作成された投稿

2016/03/26

式とパーティとゼミ会と

Img_3834 この道は、毎年1回通る道だ。副都心線の渋谷駅を降り、宇田川町を横切り、山手教会の前からパルコへの坂道を登る。すると、左側にコーヒーショップが何軒か並んでいる。Img_3833 半世紀ほど前には、わたしも中学生で、この道筋にあったジロー渋谷店の前を通って、渋谷公会堂のコンサートへ通ったのだが、ここはその道だ。渋谷公会堂も、おそらく老朽化したのが原因だろうが、大規模な工事に入っていた。 卒業・修了式の前に、この道筋の1軒のコーヒーショップへ寄って、薄い珈琲をたっぷりしたマグカップで飲むことにしている。Img_3835 朝の新聞を読みながら、土曜の朝をゆったりと過ごす男性や女性がいて、みんな一人で珈琲を飲んでいる静かな店だ。

Img_3843 式会場のNHKホールへ到着する。玄関ホールの日当たりの良い場所に、いつも放送大学叢書の販売・展示コーナーが設けられており、今日も叢書編集を担当なさっている左右社のK氏とT氏が営業でいらっしゃっていたので、挨拶をする。Img_3848 そして、もうこのような光景を何回も見ることがないだろうな、とちょっと個人的な感傷に浸って玄関ホール上の階段に佇んでいたら、1985年の神奈川学習センター設立当初時代に話したことがあるという学生、四月から他大学の職員として出向するのだという修士修了生など、何人かの学生の方に話かけられたのだった。

Img_3850 卒業・修了式は滞りなく、スイスイと進行して、最後は校歌を会場全員で斉唱して、演壇は暗転となった。会場を品川プリンスホテルへ移して、懇親会パーティが始まる。移動ばかりしていて、人と人を結ぶような時間があるのか、と思われがちなのだが、至るところで止まる場所と時間が用意されているのだ。Img_3854 じつは会場の移動には貸切バスが使われており、その時の隣にお座りになる方との語らいは楽しい。今年は沖縄学習センターのセンター所長のT先生と話す機会を得た。脳科学と心理学が専門の先生で、参考にしたくなるような新しい知見を教えていただいた。

Img_3865_2 式の前から予想をしていたのだが、今年のゼミの修士修了生は結束が固く、一つのテーブルをゼミで占めてしまった。例年おしゃべりに夢中で、多く食べることができなかったのだが、今年はM氏たちが立食ビュフェのご馳走をたくさん運んできてくださったのだった。Img_3866 それで、お腹の方はすぐに満足されたので、今年復活した日本各県の銘酒コーナーへたびたび出かけて行って、各地の珍しい酒を十分に堪能したのだった。このコーナーは社会人大学らしい特色を持っていると思うのだ。Img_3857 日本全国に学習センターを持つ放送大学の地域特性を、味覚的・視覚的に強調していて、楽しむことができる。お手伝いいただいた弘明寺商店街のK酒店のご主人をはじめとして、神奈川学習センターの所長K先生や学生の方がたに感謝したい。どうやら、数学のK先生とわたしが、とくに多く、このコーナーに来ているらしいのだ。

Img_3856 ここは他の先生方も立ち寄る場所となっているので、日頃話すことができない他コースの先生と懇談できるというメリットがある。N先生やO先生やI先生やK先生やM先生にそれぞれ相談を受けていただいたり、また雑談したりしてインフォーマルの場としても、うまく機能しているのではないかと思われたのだった。また、今年度が最後だという、転勤する放送大学職員の方がたにも、声をかけていただき、一緒に写真に収まったのだ。

Img_3858 懇親会では、退任なさる先生方の紹介が行われた。退職の先生方は、学習センター所長の先生方も入れると、今年は14名いらっしゃる。わたしの所属する「社会と産業」からはM先生とD先生が退任なさる。先日群馬で送別会は済ませたのだが、M先生には改めてお別れを申し上げた。退任の先生方を代表して、日本中世史がご専門のG先生がスピーチを行って、その中で日本全国の各県での面接授業を制覇なさったとのことだった。Img_3871 先日お会いしたI先生もあと1年ぐらいで全国制覇だとおっしゃっており、じつはわたしも再来年辺りにはようやく全国制覇を遂げることになる。考えてみれば、各県ごとに、11時間ほどの講義を多くの先生方が行っている大学というのは珍しいだろう。Img_3877 もっとも、テレビとラジオではすでに「全国制覇」は放送大学の先生方みんなが果たしているのだが。今後、若手の先生方の多くは毎年2箇所のノルマがあるので、わたし以降年齢さえ積めば、おそらく続々と全国制覇する先生方が出てくるものと思われる。

Img_3872 今回は、さらにわたしのゼミのみんなが拠点としていたテーブルからたびたび離れて、他のテーブルでの歓談も大いに楽しむことができた。とりわけ印象に残っている何人かを覚えている。車椅子で参加されていた女性の方は、わたしの担当した授業科目「社会の中の芸術」を取ったとおっしゃっていて、中でもワインの話を憶えていてくださって、そして、その後東京でも甲州ワインの買える店を実際に探したそうだ。思い入れをそれほどしていただけたとは、しゃべった者として有り難い限りだ。

Img_3873 また、先生方が学生のことを観察するのは、論文指導の過程ではどの大学でも普通にあることなのだが、この大学ではむしろ学生の方が先生をじっくりと観察しているから要注意だ。他のプログラムの修士を修了したという女性の方がやってきて、指導に当たった先生方の様子を聞かせてくださって、たいへん興味深かった。ふむふむ、あの先生はそうなのか。

Img_3882 最後に、クロークに預けた荷物を取るために並んでいたら、すぐ後ろの学生の方が、わたしの1990年代に担当していた授業科目「家庭の経済」を受講したとおっしゃったのだ。放送大学に入って最初に受講した科目だったそうだ。それで、内容が少し変わっていたので、印象深かったとのことだ。そういえば、当時もこの科目は、家庭を扱っているのだが、ちょっと異なる印象を受けたと言われたことが多かったのを思い出した。まったくのところ、20数年前の科目を覚えてくださっていて、たいへんありがたかったのだ。

Img_3883 パーティも終わりに近づき、ゼミの面々がこの後ゼミ会を開催したいということで、隣のグースホテルのティールームへ行く。やはり土曜日は満杯で、ちょっと待たされたが、待った甲斐のあるゆったりとした五人掛けのソファーの席に案内してくれたので、ケーキとコーヒーをいだだきながらゆったりとしたのだった。放送大学大学院を修了する感想を全員の方が述べてくださった。Img_3881 でも、やはり話題の中心は、いかにして修士論文を書いたのか、ということだった。Mさんが中心となって、同期の方には、必ず全員の人が修士論文を提出するようにという圧力がかかっていたらしい。その恩恵もあって、今年度は珍しく一人も脱落することなく、最後には全員が2年間で修士論文を提出したのだった。集団というものは、恐ろしいものだ、と良い意味で思ったのだった。

Img_3885 名残惜しかったが、新幹線に乗らなければならない方もいらっしゃるので、品川駅で解散となった。いつもながら、第二論文を書くことを待っています、とみんなに別れの言葉を伝えたのだった。最後になってしまったが、遠隔地に住んでいる、あるいは仕事や転勤で出席できない、ゼミの卒業生・修了生の方がたにも、おめでとうと伝えておきたい。おそらく一年のうちで最も多くの人びとと、社交を楽しんだことになる、特別な一日が終わったのだ。

2016/03/11

真田時代の用水を見る

Img_3717 今日は、昨日の話に出てきた「押野用水」が残っているというので、須川宿の北東に位置する禅寺の泰寧寺へ行くことにする。20分ほど歩くと、寺の前には、立派な用水が通っていて、岩場が見事に作られているのがわかった。Img_3706 水量も豊富なので、江戸時代にこのような治水技術があったのであれば、すごいことだと感心して、さらに歩を進め、寺の山門前へ差し掛かると、写真のような立て札が立っていた。細い水路が通っており、それを辿っていくと、山の奥深くへずっと連なっているのがわかった。Img_3716 こちらが、ほんとうの「押野用水」であった。この細さでは、この数百ヘクタールある河岸段丘上のすべての田畑と、宿場の水を供給するには到底難しかっただろうと推測された。とすれば、あの立派な宿場の一本水路を潤した水は、かなり貴重な水であったのではないかと考えられるのだった。

Img_3714 お昼は昨年もお世話になった、「たくみの里食堂」でジビエ料理だ。昨年はシカ料理中心だったが、今年はイノシシ料理中心のメニューだ。最初に出てきたのは、イノシシの脂身の多い肉が入っている煮物だ。ニンジンやこんにゃくが旨い。Img_3741 酒は場所からいって「谷川岳」の温燗。最初は、おからとごぼうの和え物、ふきのとうの苦みが美味しい揚げ豆腐、山ウドのきんぴらなどで、野菜づくしの料理で身体に良い。Img_3744 そのあと、酒の肴に最適なイノシシのリブ、柔らかいももの焼肉、少し歯ごたえのある肩肉などが続いた。妊娠していない若い雌のイノシシが犠牲になったらしい。成仏するように祈りつつ、みんなで有難く頂いたのだった。Img_3742 途中イノシシのソーセージと一緒に出た芽キャベツも、地元の新鮮なもので美味しかった。Aさんはソーセージが気に入ったらしく、晩御飯のおかずに1打程のソーセージを獲得していた。最後は、昨年と同じ、手打ちそばだ。

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ここの食堂も何人かのオーナーが替わっている。それで、今のオーナーがどのようにして、椅子との調合を企てたのかを聞いた。カウンターと座敷のヘリの木材が残っていたので、部屋の備品は、その木材の様子に合わせて備えられて行ったとのことだった。この写真の椅子とテーブル、さらに本棚(これは奥さんの小学校が廃校になる時に理科室の実験用具入れを頂いたそうだ)、そして壁代わりに使われている桐ダンス。Img_3756 そして、きわめつけは薪ストーブだ。ここにお燗のための昔の弁当箱があって、山小屋風を醸し出している。この暖かさならば、一日中でも本を読んで、座っていたいと思うだろう。先生方の何人かは、食事の後、散歩せずに、実際にここに座って居眠りをしていたそうだ。

Img_3634 わたしはじつは、昨年欲しいと思った鉄のコーヒーメジャーを手に入れるべく、「絵マッチの家」へ向かったのだが、残念ながら、すでにコーヒーメジャーは展示していなかったのだ。Img_3636 ここにも喫茶室があり、三方向が窓の明るいストーブ室となっている。早速、一番古い椅子をストーブの前へ持ってきて、暖をとることにする。ストーブの前に座り、美味しいコーヒーを飲んで、本を読むという、至福の時を過ごしたのだった。

Img_3639 「絵マッチの家」の「部屋と椅子」の関係についても、聞いてみた。この部屋は、母屋から拡張させて出城風に家から出っ張っている。黒い梁と白い壁が特徴であり、この部屋が椅子より先に作られたのだそうだ。そして、テーブルと椅子が入れられたとのことだ。Img_3760 特に、昨年紹介した鉄職人の方が初期の頃に作ったテーブルと椅子が、真ん中で、この部屋の特徴を代表しているのだが、それとは別に、個性的な椅子も並んでいる。Img_3759 椅子の背板に箱が取り付けられているのは、たぶん教会の椅子で、聖書などが入れられるようになっているのだ。西欧ではよく見るタイプの椅子だ。この薪ストーブには窓が付いていて、中で木が燃えているのが見える。Img_3758 炎がメラメラと燃えさかるのに合わせて、自分の中でゆらゆらと時間が経っていくのを楽しんだのだった。

2016/03/10

「社会と産業」コースの合宿

Img_3677 毎年恒例となっている、「社会と産業」コースの先生方の合宿が行われた。群馬のみなかみ町にある、KW先生の親戚が経営なさっている湯宿温泉「湯本館」で、午後から重要な会議、その後、D先生とM先生の送別会、K先生の歓迎会となった。Img_3764 もちろん、会議などは放送大学の仕事なので、当然大学が費用を補助してくれるのだろうと、大方は思うだろうが、一切そのようなことはなく、全部私費参加であり、心置きなく楽しむことができるというシステムだ。D先生とM先生のお別れの言葉も、たいへん楽しいものだった。別れの時こそ、人が懐かしく思える。

Img_3627 また、これも恒例となった三国街道の須川宿資料館での資料見学も、待ち合わせたわけではないのだが、H先生と一緒になって、今年も学芸員の方のお話を伺うことになった。宿場の真ん中に用水が通っていたという江戸期の古地図を何枚も比較して見せていただいた。「なぜこの宿場の街道には、用水が真ん中に一本だけ通っていたのか」という謎に、ここ数年取り組んでいるのだ。

Img_3608 今年新たに加わった知識としては、じつはこの毎年話題にしていた、用水がいまNHKの大河ドラマ「真田丸」で有名になっている、沼田真田家の統治時代に作られたという事実がわかったのだ。江戸時代の初期には、このみなかみ町も沼田城主であった真田家が治めていた。第5代当主の真田伊賀守の時代に、この道の真ん中を通る用水が当時の最新技術で作られたのだそうだ。たとえば、水が山の登り坂を遡る技術が、この台地に入ってくる「押野用水」で使われているらしい。幕府あるいは真田の中に、かなりの治水技術の蓄積が進んでいたのだ。

Img_3629 なぜこのような用水の技術が発達したのかが重要なのだ。沼田藩には、河岸段丘が多くあり、その下を流れる川には豊富な水があるのだが、河岸段丘の上には当然水がないのだ。この段丘の上に灌漑用水を通すなどの治水事業がうまくいけば、農業が盛んになり豊かになるという時代を迎えていた。だから、江戸時代には、この地方にいくつかの有名な用水が作られており、須川宿の用水も、この典型例であったということになる。

Img_3612 今回の資料館の展示物のメインが、じつは当時の「検地帳」であった。学芸員の方の説明の中で、年貢の話が出てきて、ちょうどこの時代に用水ができて、収穫が増加したと考えられるのだが、同時に、年貢の元になる検地が見直され、それまでこの地域の石高は3万石だったのが、一挙に約14万石に変えられたということであり、年貢が4倍以上になったという過酷な状況が生じたことになるとのことだった。いくら用水が開通したからといって、収穫が4倍になるというのは考え難いところだ。Img_3613_2 このころ、百姓一揆や直訴が行われたという資料が数多くあるらしい。隣村である月夜野村での伝説的な「磔茂左衛門」のこともある。その後、真田が改易になった時、約6万石に評価が変更になって、統治が落ち着いたということだ。Img_3701 段丘の農地、用水の整備、生産性向上、年貢の評価などが、一直線上に並んで結びついたという面白さが、今年見られたのだ。これらのことは、KW先生からいただいた「歴史的農業用水」資料で確認されている。

Img_3734 H先生は環境から見る建築学がご専門なので、年貢のことよりも、この用水が宿場でも使われ、さらに農業用水でも使われ、地域環境全体を見る視点を与えてくれることに、興味を示していた。まだまだ、発展の可能性のある須川宿の「用水論」であることがわかったのだ。

Img_3697 ところで、今回KW先生から歴史資料を頂いたので、かえっていろいろな疑問がわいてきてしまったのだ。たとえば、須川宿と、東峯須川村と西峯須川村との間には、なんとなく齟齬があって、最初に1660年代に須川地区が主導権を持って、用水工事を進めようとしていたのだが、途中からそれが中止になって、村側からの「押野用水」が再開されたという事件も不思議なのだ。さらに謎なのは、村側からの技術者が幕府の関係する技術者であったらしい。Img_3692 すでに真田には、沼田の河岸段丘への灌漑用水建設で、1世紀以上前から用水技術が蓄積されていたのであるが、それにもかかわらず、幕府からの技術者が呼ばれている。想像でしかないのだが、真田側と幕府側の駆け引きがかなりあったのではと勘ぐってしまう。Img_3695 さらに、20年後に真田がこの地区の年貢の過酷な取り立てで、改易になることにまで、この出来事は続いているような気がするのだ。一大歴史ロマンを最大に広げてしまったのだったのだ。

2016/03/05

九州の喫茶店を歩く

Img_0670 妻の申し込んだ今回の九州温泉ツアーには、オプションと称する追加旅行がたくさん付いている。それは、参加者の満足と利便性を高めるために付いているのだが、怠け者を自認するわたしのようなものにとっては、このようなオプション旅行が多ければ多いほど、その時間を利用しての自由時間の余裕がそれぞれ1時間ほど増えて、たいへん喜ばしいのだ。Img_3276 大ツアーに応じておいて、小ツアーを避けるというのは、たいへん矛盾しているのだが、今回はそれが良い方へ転回したのだった。自由時間の主たる狙いと定めたのは、喫茶店巡りだ。

三つの喫茶店へ寄ることができた。とりわけ、シリーズとなっている椅子の採集にはたいへん役立ったのだった。Img_3364 初めての土地で、しかも初見で良い喫茶店かどうかを見分けるのは、かなり難しいのだが、今回はハズレがなかったということでも良い旅行に行ってきたと思うのだった。

Img_3431 このところ探っているのが、喫茶店の「部屋を先に作ったのか、それとも、椅子を先に作ったのか」論争であるのだが、いくつかの結論に近いものが出てきそうになりつつある。一つ目の喫茶店では部屋が先だった。二つ目の喫茶店では椅子が先だった。三つ目は以前からのものを受け継いだ喫茶店だった。これらに共通していることは、どのようなことだろうか。

Img_0680 旅行の1日目には、泊まりは別府だったのだが、そこへ行く前に福岡空港から湯布院の街へ回った。この湯布院という観光地にはランドマークとなるような、有名な金鱗湖という湖があって、その周りに喫茶店が集中している。Img_0681_2 みやげ物屋から少し離れてゆったりとした地域なのだろうか。湖水に面した喫茶店で、観光客が吸い込まれるように入っていく「S」という店があって、絵画なども展示していて、見るからにリゾート地の喫茶店風をしていたが、当然のようにして、その前をパスした。このようなところでは、地元客が行くような、目立たなくしかし自信を持ってずっと続いているような店を探すことにしている。「S」を出て、さらに寂しい道を一本入ったところに喫茶店「キャラバン」を見つけた。

Img_0682 二軒が横に並んでいて、どちらかにたくさんの客が入るのであれば、それなりの理由があるのだ。けれども、二軒が前後に並んでいて、前にたくさん入るのは当然で、むしろ後ろにあってずっと店を継続している方に、敬意を持つことにしている。

Img_0686 キャラバンのご主人は、数年前に博多の店をたたんで、湯布院へ移ってきたそうだ。その時に、この店を建具大工ではなく、建築大工屋に任せたそうなのだ。そこで出来上がったのが、そば屋さん風のカウンターであったと嘆いていらっしゃった。その大工さんはそば屋を作ったことがあるのだが、喫茶店を作ったことがなかったのだそうだ。なるほどなるほど、カウンターの板を見ると、縦に細い板が隙間をとって並べられている。一枚板のカウンターという喫茶店の常識から逸脱しているのがわかる。Img_0683 さらに、このカウンターを眺めた目で見ると、その脇の作り付けのテーブルとベンチも、なんとなく居酒屋さん風に見えてくるから不思議だ。木造りが良いと注文したらしいのだが、その木造りが和風であったのを知るのは、できた後だったらしい。

Img_3405 それで、ご主人は急遽テーブルと椅子をカナダから取り寄せたり、コーヒーカップをたくさん並べたりして、現在の喫茶店のインテリアを調整したのだ、とのことだった。最初の和風を消すことに、かなりの労力をつぎ込んだことがわかる作りの喫茶店だった。つまりは、部屋が出来て、それに合わせて普通は椅子とテーブルが選ばれるのだが、そうではなく、部屋の趣向を打ち消すために椅子とテーブルが選ばれたという、たいへん面白い事例だったのだ。

Img_3380 時間がなかったので、コーヒーを淹れながら、お話を聞いたのだが、深煎りのコロンビア・グアテマラ・浅煎りのモカなどのブレンドで、旅行にあっても、時々このような美味しいコーヒーに出会えるならば本当に言うことはない。

Img_3389 二つ目の喫茶店は、「雲仙温泉」へ移動する最中に立ち寄った長崎駅近くの「ROUTE」だ。これもオプション旅行に加わらず、余裕ができたために可能になった喫茶店訪問だ。妻が舟越保武の「二十六聖人殉教碑」を見たいということで、西坂公園に行ったのだ。Img_3394 そこで公園のベンチに座って、ゆったりと碑を眺めたのだった。戦国時代から江戸時代、さらに昭和時代から平成時代へ、と空の青さがつないでいたのだった。

妻が買い物へ行ったので、公園から街を見下ろしていたら、近くのビルに、「ROUTE」の看板が見えた。Img_3403 2年ほど前にできた喫茶店で、さらに近年には3階に宿泊所と1階にレンタル自転車の店が併設されている、複合的喫茶店だ。気安く入りやすい雰囲気が素敵だった。

木の椅子やテーブルやさらに内装が良かったので褒めると、店主がこのビルの内装を請け負った工務店の絵葉書のような、パンフレットを持ってきてくださった。Img_3400 そこには、この店の改装の様子が載っていたのだが、さらに目を惹いたのが、フィンランドの建築家アアルトのサマーハウスの記事だった。建築家が椅子作りの名手である例には、後を絶たないほどたくさんあるのだが、中でも、アアルトの合板作りの椅子は有名で、今回のわたしのテキストでも取り上げさせてもらっていた。Img_3595 このパンフレットのサマーハウスの中にも、それらの椅子を見ることができたのだった。つまりは、家に合わせて、椅子が作られ、椅子に合わせて家が作られたのが、アアルトのサマーハウスなのだ。

 

Img_3408 もちろん、喫茶店「ROUTE」の椅子も素敵で、窓際の二つの個性的な家庭椅子がまずあって、それに合わせるようにして、部屋が作られ、さらにテーブルと他の椅子が加えられて行ったのだとおっしゃった。この居心地の良さは、これらの椅子への気遣いに現れていると思われる。Img_3409 この喫茶店には、いろいろの種類の椅子が配置されていて、カウンターには高いスツール、窓際にはスペイン風の椅子で座面を張り替えられたもの、さらにわたしの座った曲木の椅子、そして奥には大勢座れるソファと大きなテーブルがある。多様な座り方ができ、どのような組み合わせでもできるように配置されていたのだった。

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三つ目の喫茶店は、最終日の佐賀空港へ向かう途中に立ち寄った太宰府の街の喫茶店だった。ツアーなので、太宰府天満宮まではみんなと一緒に行かねばならない。けれども、その後の昼食は各自とることになっていたので、九州国立博物館から公園を降りて、賑やかな山門通りから少し離れた光明禅寺の裏通りに、木工の喫茶店があったのを思い出して行ってみた。出張で一度来たことがあるのだ。けれども、この喫茶店はコーヒーだけだったので、子ども椅子など見学させてもらって、すぐに退散した。そして表へ出ると、すぐに三つ目の喫茶店「GOKAKU」が見えた。

Img_3580 GOKAKUには、太宰府の「合格」祈願の意味と、太宰府にちなんだ梅の花の「五角」の意味とがあるとのことだった。ここの野菜カレーを注文したのだった。カレー・ルーにはたくさんのスパイスが入っていてコクがあった。野菜がそれぞれ姿のわかるように大きく裁断されていて、それをオリーブオイルでさっと揚げてある。Img_3581 野菜の好きな人であれば、きっと来たくなるような喫茶店だ。山門の方は観光客であふれかえっている。とりわけ、近年は中国や韓国からの観光客が多く、道が混雑で歩けないほどだ。それに比べて、こちらの博物館へ通ずる道は静かで穏やかな住宅街を通っていて、散歩コースとしてオススメだ。

Img_3582 この喫茶店の椅子は、カリモク系のシンプルなものだ。けれども、それらは部屋にあっている。部屋自体が白い壁に、明るい木製の床だからだ。奥の大きなテーブルだけは、家から持ってきたとおっしゃっていたが、この辺が全体の調和とはちょっと違っていて、オーナーからの受け継ぎがあって、その後の自分の調整が始まろうとなさっているのかな、ということを感じさせたのだった。

Img_3310 さて、今日の椅子はどれにしようかな。たくさん候補がある中で、阿蘇の温泉場で、客との間で裸の付き合いを長らく行ってきた木製スツールを取り上げることにしよう。真ん中に穴が空いている特徴を持っていて、温泉から上がっても、濡れたままでこの椅子に座ることを想定しており、しっかりした作りを見せている。いままで何人の温泉客が、濡れたお尻でこの椅子に腰掛けたことだろうか。

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2016/03/02

温泉尽くしの旅

Img_3154 数ヶ月前になるが、突然妻が温泉へ行かないと誘った。そういえば、去年もこの時期に行ったなと思い出し、すぐに行くと答えた。その時には現在のような状態になっているとは、誰が予想しただろうか。

Img_3155 肩がバリバリと鳴って、ジーサン状態が夥しいのだ。毎年、ヤワな身体のことで言い訳がましいが、今年はまた格別で、このままの状態が続くと、今後予想される仕事に差し障りが出る。それで、一度ここで身体を回復してから、春休みの原稿後半戦を迎えようと決心した。休みを取るにも決心が必要なのだ。

Img_3157 肩バリバリの原因は明らかで、大学のテキスト制作のために原稿150枚ほどを編集者へ届けたばかりだったのだ。これはこれで肉体労働が含まれていたので、肉体疲労が残っているのだ。今回の原稿書きについては、精神的には結構楽しくて、総合科目「色と形を探究する」と、人間と文化科目「日本語アカデミックライティング」で、(ほんの一部だけの担当だったのだが、)いろいろなことを考えさせられたのだった。だから、頭の方は健康だった。だが、身体の方がダメになったのだ。2月末にすべての仕事を終えて、健康な身体でスタスタと夢の温泉旅行へという趣向だったのだが。

Img_3143 結局、今回の旅は、肩バリバリ治癒の温泉旅行へと趣向変更と相成ったのだ。関西では、少し遠出して、長期の温泉療養に行くというと、それは有馬でもなく、大津でもなく、白浜でもないのだ。やはり瀬戸内海を辿って、行き着くところは別府だったらしい。明治大正の旅絵葉書が残っている。余暇の研究所でアルバイトをしていたことがあるので、定年になったら(もう少し定年には間があるがそろそろ心の準備だけはしておきたい)、ということを常に考えている。まずは温泉だろうなと思っていて、それで別府なのだ。それほど、九州の温泉には憧れが眠っている。行けば、ググッと目覚めることだろう。

Img_3145 今回、いずれ劣らぬ強者揃いの温泉地、温泉尽くしなのだ。一つ目は別府の「観海寺温泉」、二つ目は阿蘇の「米塚温泉」、三つ目は島原の「雲仙温泉」で、これを三日間毎晩、連チャンでこなそうという、考えてみれば、結構過酷な温泉巡りなのだ。Img_3146 肩バリバリが治るか、旅の疲れが出るか、リスクをかなり負っての旅行であることは間違いない。身体のことばかり理由に挙げたが、照れ隠しも少しあって、結婚記念日を前にして、35周年記念ということも理由の一つだ。

Img_3147 別府は二回目の訪問となる。前回は別府八湯の中の狭義の「別府温泉」という市街地温泉と、湯量豊富な「鉄輪温泉」に浸った。この時は面接授業と立命館太平洋大学への出張だったが、別府の広い温泉地をめぐって歩いて、昭和レトロな街の印象がたいへん強かったのだ。

Img_3149 観海寺温泉はその時は訪れなかったので、今回楽しみにしていた。着いてすぐ、まずは風呂だというので、駆けつけた。お湯はあっさり、さらりとして、肩の筋肉をほぐすにはたいへん結構なお湯だった。ぎこちなく、ギチギチした身体を、お湯に預けていると、身も心もすっとする感覚があるのだ。Img_3151 この露天風呂は、建物を出て、坂を下ったところに東屋風の小屋としてあるのだが、簡素な脱衣・着衣室から、床続きで、外の露天風呂場へ直結している。風呂の半分に屋根が掛かっていて、もう半分は露天となっている。風呂端にタオルを置いて、それを枕に上を向いて、星を眺めながらという風呂小屋は良いものだ。Img_3148 ここに机を持ってきて、勉強して疲れたら入り、入ったら勉強するなどという趣向は想像するだけでも、満足するものだった。そして、食事の後にももう一回、朝太陽が昇ってくるのを見ながら、もう一回浴びたのだった。ジーサン趣味満開の時間を過ごした。

Img_3185 朝風呂の効用があって、午前中まではなんとか肩バリバリは治ったかのように思えたのだったが、お昼になる頃には、表面ではなく奥深いところの筋肉が肩バリバリ状態をぶり返したのだった。首を傾げると、バリバリとまたしても音がする。頭の奥にまで、バリバリ状態が浸透していたのを知ったのだ。

Img_3188 二日目の温泉は、阿蘇の草千里を眺めた後、その火山の外輪山に当たるなだらかな斜面に、ゴルフ場と一緒にある「米塚温泉」だ。朝の食事の時に阿蘇のカルデラ全体が見えて、ちょうど霧と湯煙が混ざったような朝霧が盆地状に薄く伸びて、ロマン主義的な感覚を呼び起こすような立地だった。Img_3201 このころになると、三日前に提出した原稿内容もすっかり霧の彼方に消えて、温泉の効能が精神的な奥深いところにまで効いてきたような感覚があった。源泉のお湯には、湯元特有の黒い泥が舞っていて、濃厚な効き目がありそうだった。

Img_3291 相変わらず、ここでも三つある露天風呂につぎつぎと入ったのだった。頭を縁に残して、身体を浮かせると、お尻に負担がかからない。お湯は重力へ対抗する幾つかの方法の一つである。椅子も重力対抗の道具の一種なのだが、いかにお尻への負担を減らすのかを考えた椅子が良い椅子の条件として、よく出品されるのを思い出した。このお尻を使わなくても済む、浮遊感が精神的な開放感につながるのだと思われる。Img_3312 露天の効用は、このように上を向いた視線が、地から天へ突き抜けるところにあり、自分の実在感というものが地と天の中間にあることを実感するのに適しているのだ。ここも三回入ったのだが、男湯と女湯が前の日と後ろの日では変えられる。前の日に女湯だったところに壺湯があるよ、と妻から教えられていたので、朝湯はこの壺湯へ入った。人ひとりがちょうどゆったりと入るようなコロンとした大壺に、湯が竹筒でかけ流されている。Img_3314_2 ここに手足を折って入ると、世界の中で自分がいかに小さな生き物であるのかが実感できる。壺湯で手足を窄め、露天で手足を伸ばすと、世界に対する自分のバランスがわかって、精神的に安定するのを覚える。

三日目のお湯は、香りというのか匂いというのか、さらにとろりとした感触からして、最も重濃度な温泉「雲仙温泉」だ。Img_3447 山奥の温泉場であるにもかかわらず、歴史はかなり古くて、建物も風雨に晒され、さらに温泉の湯煙に当たっていて、新しいものもみな硫黄色が染み付いているのだ。ここの特色は、視覚に訴える、湯煙がもうもうとした「温泉地獄」だ。

Img_3476 宿泊したところがすぐその横であったので、バスが着くとすぐに、外へ出た。もうその道路が湯煙で見えなくなるほどだった。街灯の横には、湯煙を上へ誘導する土管が立っていて、そこからもかなりの湯煙が出ているし、歩道が木製の板でできていて、その隙間からも湯煙だ。Img_3456 左右にふつふつと泡を出して、硫黄を含んだ煙が立っている。温泉の畑のような雰囲気のパイプが縦横に交差した地獄の源泉群を見て歩く。なぜ「地獄」と呼ばれるのか、説明されればされるほど、謎は深まるのだが、理由は呼称とは関係ないという言語学の説が最もその理由になっていると思われる。Img_3490 この風景を「地獄」と形容した人に敬意を表すとともに、この地獄的な煙と、匂いと、熱さとに肩のバリバリを付けて、地獄へ向かって洗い流したいと思ったのだ。ここのお湯は、私たちの嗅覚を溶かしてしまうほどに、すべての現世の悩みも溶かして、洗い流してしまうような温泉だ。

Img_3487 さて、今日の椅子は、地獄に居て、地獄に付き合い、巡ってくる湯治客をもてなし続けるベンチだ。ベンチの脚は、硫黄に溶け始めていて、木製部分が腐食している。それでも、この匂いに耐え、化学変化に従い、今日もわたしたちを座らせてくれている。Img_3488 それは、肩バリバリと同じようなものだと思う。ベンチの日々の使用はベンチを痛めていくだろう。同様にして、日が経てば、肩バリバリもどうしても蓄積されていくのだろう。けれども、そのような状況にあっても、肉体的にも、精神的にも、さらに洗い流されたコリから見ても、肩バリバリから日々の日常への転換はどうしても必要なのだから、今回のバリバリ治癒旅行はそれなりに意味があったのではないかと思っているのだった。つまりは、肩バリバリはわたしだ、ということなのだ。これと末長く付合っていくほかはないのだ。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。