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2016/02/12

思い出を処分する

Img_2833_2 昨日から千葉の母の家へ泊まり込んだ。そして、今朝はいよいよ家財道具の処分業者に頼んで、家の中を空にする作業に入った。全てを明け渡すのだ。この家には、1975年に移ってきた。わたしは次の年には、大学院のある渋谷へ引っ越したから、じつはこの家には数ヶ月しか住んでいないのだが、やはり40数年間ずっと実家であったから、夏休みやお正月には必ず帰ってきていた家だ。それなりの記憶が累積されているのは確かで、この場所へ来ればその思い出が必ずよび起こされるという記憶維持の場所で有り続けた。

Img_2862 母が亡くなってから、このところ数ヶ月かかって、重要な記憶のものは、たとえば写真アルバムや昔の文集、成績表などはすでに移してあるのだが、どうしても見つからないものやヒョイっと手に取ると思い出すものが、まだかなり残っている。Img_2863 昨夜も最後の品定めをして、ほんとうに最後の最後に救い出す品物を選んでいたのだった。妻には「私の実家のものはみんな捨てたのよ。思い切りが悪いわね」と言われるし、妹からは「持っていてもいずれ捨てるのよ」と言われ続けてきているのだが、まだ諦めきれないのだ。ものに憑かれるとはこのようなことを言うのだろうか。何かが呼んでいる気がする。

Img_2864 もちろん、今日までこの家で使ってきた肉厚のコーヒー茶碗や、ガラスの使いやすいパン皿、さらには娘が欲しいと言っていた額やデミタス茶碗、ビートルズやシカゴなどのレコード、テレビ・エアコン・ストーブなどの電気機器などは諦めざるを得なかった。タンス類が荷物の中では一番場所を取ったようだが、これらも全て処分する。けれども、幼稚園時代から聴いてきたオイストラフのベートーベンのバイオリン協奏曲などは、毛布に包んで持ち出すことにしたのだった。

Img_2856 朝になって、座っていた近くの戸棚を開けると、昔懐かしい江戸切子のグラスが出てきた。今までずっと探していたのだったが、奥の方に3個だけ隠れていたのだ。今朝の最後に出てきたのだった。包装紙に包んでビニールへ入れている最中に、業者が玄関のベルを鳴らしたのだった。

Img_2851 このグラスには、たくさんの思い出がある。これは、何回も夢の中に出てくる思い出だ。その中でも飛びっきり古いのは、幼稚園時代の思い出だ。クリスマス会を家族で行うことになって、テーブルに料理が並び始めた。父と母は準備で台所へいっていた。それで、テーブルの上にあったこのグラスに、写真にあるデキャンタからワインを注いで、飲み始めてしまったのだ。そのうち、目の前がぐるぐると回りだし、その場へ眠ってしまったらしい。笑い話で済んだが、それは父の血を受け継いだということだったからだ。

Img_2838 と、この話を妻に話したら、母は生前、このグラスはデキャンタのグラスではないと、言っていたよ、ということだった。言われてみれば、確かにエンジ色の濃さが異なるのだ。今となっては確かめる術はないのだが、本当のところ、残っているのは思い出だけだということなのかもしれない。

じつはもう一つ、ヒョイと出てきたものがある。どのような家族でも、その家族の宝と呼ばれている品があると思う。うちのような衰退家族でも、一品だけあるのだ。何か儀式があるときには、父が必ず押入れの奥から出してくるものだ。Img_2865 それは、室町時代に描かれたと言われている「五大尊像」なのだ。もう画像は判読できないくらいつぶれていて、見る影もないものだが、確かに神秘的で家の宝だというに相応しいものだと思われる。これは絶対に「何でも鑑定団」へは出さないことにしようと思っている。家の宝というのものは、家族だけが認めていれば良いもので、一種のアイデンティティの象徴であれば良いのだ。

Img_2846 さて、あれやこれやで荷物をまとめてみると、何やらホームレスの人びとの移動のようになっているのが自分でもわかった。写真に写っているのは、合計4つの大荷物を自転車の前後につけ、さらにリュックとショルダーを肩にかけようとしている図である。ほんとうに見られたものでない、ヨタ旅をしているのではないかと思ってしまったのだった。

今日のランチは大学近くにあるホイトウの日替わり定食だ。「鶏肉とカボチャのスープ」。鶏肉とカボチャが別の料理で出てくるのではなく、カボチャスープの中に鶏肉が入っているのだ。この味は初めてだった。意外に合うのだ。カボチャスープにも味付けがしてあって、鶏肉と合う工夫がされている。

ホイトウは最近店内の改装を行った。それで、今日はちょうどマスターがレジに立ったので、そのことを話題にしてみた。何を中心にして、改装を行ったのか、と。ある程度は予想していたのだが、木のイメージと白いイメージを大切にしたのだとおっしゃっていた。確かに、壁は半分が木で覆われ、半分は白壁になっている。なぜ木のイメージなのかが気になっていたのだ。じつはテーブルと椅子はほぼ以前のままにして、あまり変えずに連続性を維持したのだということだった。前から問題にしている。「椅子が先にあって、部屋が作られるのか。それとも、部屋があって、椅子が導入されるのか」論争の良い事例が見つかったと思った。

さて、今日の椅子は当然、ホイトウの椅子を出さないわけにはいかないだろう。ところが残念なことに、カメラを持っていなかったのだ。今度行った時に、お目にかけようと思う。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。