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2016年2月に作成された投稿

2016/02/18

クロワッサンとサンドウィッチとスコーンと、ちょっとのビール

Img_3017_2 「きょうはマラカスのひ」という絵本を持って、三回目の訪問となるパン日和「あをや」へ行く。早稲田のO先生と冬カフェなのだ。「あをや」さんが4周年を迎えたというので、O先生は植木鉢に入った花と奥様が作った首飾りをプレゼント。Img_3030 4周年というのはじつはわたしは知らなかったのだが、何やら予感があって、この絵本を贈ろうと持ってきていたのだった。それで、O先生に続いて差し出したのだ。いつも子供連れのお客さんがいらっしゃるので、絵本があると、お子さんたちも楽しめるだろうなという発想だったのだが。

パン日和「あをや」のTwitterはこちら

Img_2371 絵本「きょうはマラカスのひ」は、最近になく傑作の絵本だと思う。うちでは、娘と観て盛り上がっていて、ヒット作ではないかということになっている。最初のほうに、その絵が素晴らしいのだが、主人公と二人の仲間が一緒になって、準備運動のために、マラカスで踊りだす場面が出てくる。それで喜びも上げ潮状態に達するのだった。けれども、主人公が練習を重ねた、その肝心なマラカスの踊りを失敗してしまって、ひとり寝室にこもってしまうシーンになると、みんな一緒に泣けてくるのだ。Img_3015 最後に、二人の仲間が慰め、再び踊りに挑戦する頃になると、主人公に感情移入してしまっていて、わたし自身の仕事がうまくいかなくても、元気がざわざわと出てくるのだった。喜びと悲しみがマラカス仲間の社交で描かれているのだ。

Img_3018 この絵本の作家樋勝朋巳さんは、O先生が信州の松本へ行くとほぼ必ず寄る店に、銅版画を出していて、O先生はその銅版画を2枚購入しているそうだ。それでわたしもその店に入った時に名前を知ったのだが、その時は絵本作家であることは知らなかったのだ。「あをや」の奥様は、このように踊るのは自分だとおっしゃって、直ちに絵本を受け入れてくださった。マラカスの踊りというのを一度は見てみたいな。

Img_3019 きょうは、開店時間早々に寄ったので、開店を待つお客さんがまだ整理されずに、外に溢れていた。O先生が予約を入れていなかったら、危ないところだったのかもしれない。パンづくしのまず最初は、焼きたてのクロワッサンで、何もつけずにそのままいただいた。Img_3020 バターの味と香りがふわっと降りてきたのだ。いろいろな豆の入ったチリスープで途中をつないで、そのあとビールといつものサンドウィッチ(アボガドとクリームチーズ)、最後にホットチョコとスコーンというラインナップだった。

Img_3023 冬カフェの話題は、数々あれど、試験の話は面白かったな。けれども、この話題は残念ながら書くことはできない。それから、「あをや」の奥様の話題もすごく面白かったが、口止めを早々にされてしまった。ここが人間のなせるところだと思われるのだが、禁止や口止めされたことほど、記憶に残っていて、もっと重要で書こうかな、と思っていることほど、すぐ忘れてしまうというパラドクスが働くのは困ったものだ。Img_3024 世にスキャンダルがはやる理由がわかる。それで、O先生との会話が始まって、これはメモにでも書き留めておかねば、と思っていた重要なことがあったことだけは忘れていないのだが。たしか、「音」の話題についてだったのだが、すっかり忘却の彼方だ。有名な哲学命題「誰もいない森で、木の倒れた音がするか」について話していて、今回わたしが書いた「音」のテキストに関して素敵な発想がひらめいたことまでは覚えているのだ。しかしながら、 肝心のその中身をすっかり忘れてしまっているのは、悲しい事実だ。


Img_3029 帰りの駅に出るまで、少し遠回りして、冷気を楽しみながら、散歩をしようということになって、「あをや」の奥様に地図を書いてもらう。それで気がついたのだが、この川崎市の幸区というのは、碁盤の目のように道は真っ直ぐに通っているところは多いのだが、幹線道路はどういう理由かわからないが、

Img_3027 くねくねと曲がり、江戸時代そのままの道筋を見せていて、ちょっと迷うと、すぐに目的地からはどんどん離れていくという、つまりは斜めの道がたくさん通っている街を形成しているのだ。

Img_3040 矢向駅へ出る手前の、家が立て込んだ場所に、O先生が二度目の訪問だという「ノチハレ喫茶店」がある。散歩の喉の渇きを、エチオピア、そしておかわりで、モカブレンドを飲んで癒す。O先生は食欲旺盛で、この店でも小倉の厚切りトーストを頼んでいた。外が暗くなるに従って、お客さんたちが家へ帰って行って、Img_3039 わたしたちだけになったので、若いご主人にいつもの質問をしてみたのだった。店を作る時に、椅子が先に決められたのか、それとも部屋が先に決められたのか。それについての回答は、新しい店なので、同時進行で決定されたとのことだった。白い壁と、椅子の塗料のナチュラルな色が良い対比を醸し出していた。

Img_3037 「ノチハレ」という名前は素敵な名称だと思われるが、どこに由来するのか、とO先生が訊いていた。ポスターのコピー文の中にあった文章から採ったらしいのだ。何の「ノチハレ」なのか、雲りなのか雨なのか、とも。Img_3036 答えは雨だったが、たぶんこの店に来ると、精神的に「ノチハレ」になるということかもしれない。

O先生のブログはこちら

2016/02/13

「恩地孝四郎」展へ行く

Img_2873 昨日は昼食の後、大学を早めに退散して、恩地孝四郎展を観に東西線の竹橋へ出た。国立近代美術館は、金曜日には夕方遅くまで開いているので、じっくりと鑑賞できる。Img_2913 わたしの原稿書きの調子からして、下旬になると予定が立て込んでくる予想があるので、これから迎える苦難の前に一条の救いを求めたのだ。

Img_2874 恩地孝四郎の名前は、かなり前から知っていた。記憶を辿ると、たぶん中学校時代にまでさかのぼることになるだろう。当時、池袋を通って、練馬区の大泉まで電車通学していたのだが、この池袋のいつも寄る書店の包み紙が、恩地孝四郎の装丁だった。どのような模様であったのか、見ればわかるだろうが、今ではあまりはっきりとは記憶していない。だが、この名前だけには記憶があるのだ。

Img_2876 展覧会場に入ってすぐに、油絵の自画像があった。途中にも幾つかの自画像が掲げられていた。それらを観て、これらは油彩であるのだが、いかにも版画的な絵画なのだと思った。ここでの版画的とは、色ごとに、刷りが異なり、それらが複合的にレイヤーを構成しているような描き方のことだ。それで他の恩地の絵画を見ていても、どうしても表現が版画的だと思ってしまうのだ。たぶん、これらの絵画をもし単体で見せられたら、きっと興味を示さなかったに相違ない。版画的に描かれているから、きっと表現上意味が出ているのだ、と思ったのだった。ということは、恩地孝四郎は最初から版画家だったのだと思う。

Img_2910 わたしが思うに、木版表現には絵画表現に勝る二つの版画的特徴がある。ひとつは、切り取ってきたような輪郭のはっきりした、エッジの切れた表現だ。浮世絵の多くは、輪郭のはっきりした表現でできている。もうひとつは、ベタ面の表現だ。木の持つ細胞の凸凹が刷られて反映される質感である。表面の示すザラザラ感がなんとも言えない。

Img_2906 恩地の初期の「月映(つくはえ)」時代には、黒と白とで、エッジの切れた木版表現を行っていた。これに対して、関東大震災以降辺りから、木面の豊かさを意識したような版画が多くなる。この時代で、好ましいなと思ったのは、眼鏡がなかったので、細かい字が見えなかったのだが、Img_2914 1922年の「卓上静物」(リンゴが素晴らしい)、1928年の「湖辺」、1930年の「朝」、1939年の「円波」などだ。後者の三つは、水色の使い方が木面を生かしたものになっている。「朝」は、その後何年か、同じモチーフで描かれている。

Img_2917 これらの後、恩地は戦後の「抽象画」時代に入っていくことになる。チケットの挿入画になっている1949年の「孤独」、詩集の表紙となった1950年の「雲は機械である」などに、興味を持った。

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さて、近美の楽しみは、常設展示だ。こちらは写真を撮っても良いことになっている。なぜか、今回はこれまで何度も見てきて、見飽きない逸品が数多く展示されている。上記の恩地孝四郎の企画展では、写真が禁止されているのだが、こちらの常設展での恩地作品は、撮影OKだった。

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Img_2883 企画展の間に挟んだ東京駅がその作品だ。藤田嗣治の2作品は、堂々とした大作だ。作風が正反対であるのだが、この作家の特徴をよく表していると思う。この小林古径のりんごは透き通るようで、見飽きることがない。

Img_2878Img_2894Img_2900 Img_2909 今日の椅子は、近美の実際の椅子を取り上げようととも考えたが、やはり作品の中の椅子を二つ上げておきたい。一つは駒井哲郎の「歪んだ室内」、もう一つは、山口蓬春の描いたウィンザーチェアだ。両方とも、すぐにでも座ってみたい椅子だ。Img_2904

2016/02/12

思い出を処分する

Img_2833_2 昨日から千葉の母の家へ泊まり込んだ。そして、今朝はいよいよ家財道具の処分業者に頼んで、家の中を空にする作業に入った。全てを明け渡すのだ。この家には、1975年に移ってきた。わたしは次の年には、大学院のある渋谷へ引っ越したから、じつはこの家には数ヶ月しか住んでいないのだが、やはり40数年間ずっと実家であったから、夏休みやお正月には必ず帰ってきていた家だ。それなりの記憶が累積されているのは確かで、この場所へ来ればその思い出が必ずよび起こされるという記憶維持の場所で有り続けた。

Img_2862 母が亡くなってから、このところ数ヶ月かかって、重要な記憶のものは、たとえば写真アルバムや昔の文集、成績表などはすでに移してあるのだが、どうしても見つからないものやヒョイっと手に取ると思い出すものが、まだかなり残っている。Img_2863 昨夜も最後の品定めをして、ほんとうに最後の最後に救い出す品物を選んでいたのだった。妻には「私の実家のものはみんな捨てたのよ。思い切りが悪いわね」と言われるし、妹からは「持っていてもいずれ捨てるのよ」と言われ続けてきているのだが、まだ諦めきれないのだ。ものに憑かれるとはこのようなことを言うのだろうか。何かが呼んでいる気がする。

Img_2864 もちろん、今日までこの家で使ってきた肉厚のコーヒー茶碗や、ガラスの使いやすいパン皿、さらには娘が欲しいと言っていた額やデミタス茶碗、ビートルズやシカゴなどのレコード、テレビ・エアコン・ストーブなどの電気機器などは諦めざるを得なかった。タンス類が荷物の中では一番場所を取ったようだが、これらも全て処分する。けれども、幼稚園時代から聴いてきたオイストラフのベートーベンのバイオリン協奏曲などは、毛布に包んで持ち出すことにしたのだった。

Img_2856 朝になって、座っていた近くの戸棚を開けると、昔懐かしい江戸切子のグラスが出てきた。今までずっと探していたのだったが、奥の方に3個だけ隠れていたのだ。今朝の最後に出てきたのだった。包装紙に包んでビニールへ入れている最中に、業者が玄関のベルを鳴らしたのだった。

Img_2851 このグラスには、たくさんの思い出がある。これは、何回も夢の中に出てくる思い出だ。その中でも飛びっきり古いのは、幼稚園時代の思い出だ。クリスマス会を家族で行うことになって、テーブルに料理が並び始めた。父と母は準備で台所へいっていた。それで、テーブルの上にあったこのグラスに、写真にあるデキャンタからワインを注いで、飲み始めてしまったのだ。そのうち、目の前がぐるぐると回りだし、その場へ眠ってしまったらしい。笑い話で済んだが、それは父の血を受け継いだということだったからだ。

Img_2838 と、この話を妻に話したら、母は生前、このグラスはデキャンタのグラスではないと、言っていたよ、ということだった。言われてみれば、確かにエンジ色の濃さが異なるのだ。今となっては確かめる術はないのだが、本当のところ、残っているのは思い出だけだということなのかもしれない。

じつはもう一つ、ヒョイと出てきたものがある。どのような家族でも、その家族の宝と呼ばれている品があると思う。うちのような衰退家族でも、一品だけあるのだ。何か儀式があるときには、父が必ず押入れの奥から出してくるものだ。Img_2865 それは、室町時代に描かれたと言われている「五大尊像」なのだ。もう画像は判読できないくらいつぶれていて、見る影もないものだが、確かに神秘的で家の宝だというに相応しいものだと思われる。これは絶対に「何でも鑑定団」へは出さないことにしようと思っている。家の宝というのものは、家族だけが認めていれば良いもので、一種のアイデンティティの象徴であれば良いのだ。

Img_2846 さて、あれやこれやで荷物をまとめてみると、何やらホームレスの人びとの移動のようになっているのが自分でもわかった。写真に写っているのは、合計4つの大荷物を自転車の前後につけ、さらにリュックとショルダーを肩にかけようとしている図である。ほんとうに見られたものでない、ヨタ旅をしているのではないかと思ってしまったのだった。

今日のランチは大学近くにあるホイトウの日替わり定食だ。「鶏肉とカボチャのスープ」。鶏肉とカボチャが別の料理で出てくるのではなく、カボチャスープの中に鶏肉が入っているのだ。この味は初めてだった。意外に合うのだ。カボチャスープにも味付けがしてあって、鶏肉と合う工夫がされている。

ホイトウは最近店内の改装を行った。それで、今日はちょうどマスターがレジに立ったので、そのことを話題にしてみた。何を中心にして、改装を行ったのか、と。ある程度は予想していたのだが、木のイメージと白いイメージを大切にしたのだとおっしゃっていた。確かに、壁は半分が木で覆われ、半分は白壁になっている。なぜ木のイメージなのかが気になっていたのだ。じつはテーブルと椅子はほぼ以前のままにして、あまり変えずに連続性を維持したのだということだった。前から問題にしている。「椅子が先にあって、部屋が作られるのか。それとも、部屋があって、椅子が導入されるのか」論争の良い事例が見つかったと思った。

さて、今日の椅子は当然、ホイトウの椅子を出さないわけにはいかないだろう。ところが残念なことに、カメラを持っていなかったのだ。今度行った時に、お目にかけようと思う。

2016/02/02

映画「眺めのいい部屋売ります」を観る

Img_0663 映画「ニューヨーク眺めのいい部屋売ります(原題:Heroic Measures)」を観る。原題のHeroic Measuresは、大胆な手段という意味だ。どのような大胆な手段なのか、といえば、結婚以降の人生40年にして、初めてこれまで住んできた「眺めのいい部屋を売り出す」という決断だ。この映画の冒頭で、名老優モーガン・フリーマン演じる画家のアレクッスと、これも名女優のダイアン・キートン演じる元教師のルースが、この決断を行うところから、この物語が始まる。

この映画には見せ場がある。ニューヨークという世界の中心たるところのマンションがどのように売りに出され、どのようなシステムで取引が実際に行われるのかという興味津々なテーマが展開されるところだ。9千万円から1億円くらいの部屋の話だが、仲介にブローカーが入って、入札が行われ、内覧会が開催され、そして値段がつりあがっていく。そこに「普通の人」である主人公アレックスがあたかも「悪魔の碾き臼」へハマったがごとくに日常が失われることになるのだ。

Img_0661 じつを言えば、わたし自身が現在同様な状況にあるので、すっかり思い入れをしてしまったのだ。もっとも、ニューヨークの場合と違って、わたしの受け継いだ母のマンションはずっと価格は低いので、気が狂うほどでないのはなんとも寂しいところであるのだが。

問題は歳をとると、エレベーターのない部屋から移らなければならないために、いつもこのような状況に投げ込まれ、「眺めのいい部屋」という好ましい状況を手放さなければならないことが、ニューヨークでは起こってきてしまうということである。古ければ古いほどなお良いというヨーロッパ的な価値観がなかなか貫けないところがアメリカ的であるというところなのかもしれない。もちろん、ニューヨークだけが特別なのではなく、どこででも起こっていることであって、現在のわたしの状況からも見えてくるのであるのだが。わたしが巻き込まれている街にも、エレベーターのない旧住宅公団の団地があって、かなりの中古であるにもかかわらず、エレベーターのある母のマンションへの引越し願望と需要とが結構あるのだそうだ。

Img_0660 それで考えたのであるが、結局のところ、自分にとって「最後に住みたいと思う街」はどのような街なのか、ということが日常生活では大切なことなのだ。人間は歳をとると保守的になると言われるが、まさに住む場所こそ、保守的な態度の発揮されるところに違いないのだ。少なくとも、この映画はそう主張しているように思えた。ニューヨークの真ん中でも可能ならば、日本のこちらの街でもきっとこの思いは可能だと思われるのだ。ニューヨークはやはり金融中心の資本主義の権化とみなされてしまう街なのだが、この映画に見るように、必ずしもそれが貫徹できるわけではないのだというところで救われる。

2016/02/01

授業科目「音を追究する」のラジオ収録が終わった

Img_2728 紆余曲折があればあるほど、それを乗り越えて、最後に完成へ至る喜びには大きなものがある。今日の収録をもって、今年度のラジオ制作が一応終了した。まだまだ、行わなければならないことが残っているとはいえ、収録という、授業の中心になるものが終わるというのは、わたしたちにとっては象徴的な事件なのだ。

Img_2725 今日は朝から全員が制作棟3階のRAスタジオに集まって、番組「音を追究する」の一番最初の回と一番最後の回の座談会形式の収録が行われたのだ。主任講師で放送大学同僚のコミュニケーション学のO先生と心理学のS先生、それから各章の担当講師を務めた同僚の物理学K先生、聖徳大学で音楽学を教えているT先生、芸大で音響学を専門としているK先生、そして社会科学からは、わたしが参加したのだ。それぞれ2回から3、4回分を担当した。

Img_2731 これに加えて、15回ずっと見守ってくださったディレクターのK氏、録音スタジオ技師のO氏が通称「金魚鉢」の内と外に対峙した授業だ。対峙したとはいえ、いつもの録音風景とは随分と異なって、これは主任講師やディレクターの人柄を反映していると思われるが、絶えず言葉が満ちていて、笑いを誘う面白い状況が連続したのだった。

Img_2732 授業における「双方向性」が大事だ、と通信制の教育現場ではよく言われる。その場合に、通信制の放送大学では(1)先生と学生との間の双方向性(2)教材と学生との間の双方向性(3)学生間の双方向性、が主たるものだとふつうは考えられている。今回のような学際的な科目では、最後に問われるのは、じつは第4番目の双方向性である。(4)先生間の双方向性もあるのだ。今回のような座談会は、まさにこの第4番目の双方向性を試すことになった。

Img_2734 じつは今回、他の分野の「音」についての考え方に触れて、わたしとしても、たいへん得ることが大きかったのだ。そのことで、少し大げさな物言いだが、「社会の音」についての本質的な点がわかった。100メートル走でピストルの合図で走り出す。この時のピストルの音が「社会の音」の典型であると当初は考えていた。一つの音に合わせて、人びとが集団を形成するのを見ることができる。工場で鳴り響くサイレンも同じだ。

Img_2736 ところが、いろいろな社会の音を採集しているうちに、奇妙なことに気づくようになった。その象徴的な例が「鐘の音」だった。鐘の音も、一つの地域でみんなが聞くことで、おおよその時間を知ることができるという機能を持っている。この点ではピストルの音と同じであると考えられた。ところが、鐘の音を物理的・音響的に分析すると、実に多彩な音による合成物であることがわかり、さらにどの段階の「鐘の音」を聴くかによって、全く異なる音を人びとは聞いていることがわかったのだ。

Img_2729 鐘の音には、撞木をついた時に出る「アタリ」、そしてもっとも鐘の音の中心となる「オシ」、さらに「オクリ」などの音の段階があって、それぞれの段階で鳴っている音が異なるのだ。アタリでは、100デシベルを超えるくらいの強い音で、30ヘルツくらいの低い音になっていて、オクリでは、30デシベルくらいの弱い音なのだが、600ヘルツくらいの高い音になっていく。

Img_2738 このように、鐘の音は多様な音の段階を内包していて、決して一つの音ではないのだ。ところがここが素晴らしいところなのだが、このようにたくさんの音を持っているから、多くの人びとの耳に届くのであり、さらにその人びとは鐘の音を一つの音だと認識するという不思議な現象が最後に起こるのだ。多くの音が一つの音だと認識される構造を持っていることが、「鐘の音」の特色なのだと言える。

Img_2727 わたしは個人的にたいへん得るものがあったのだが、他の先生方も同様であったと思う。先生間の双方向性をとりもってくださった主任講師のO先生とS先生に感謝申し上げる次第だ。他にも、たくさんの面白い話が、座談会では飛び出したのだった。ぜひこの番組を聴いていただけたらと思っている。以下、宣伝。「音を追究する」の番組の放送予定は、下記の通り。

Photo 放送授業期間:20164/1285/67/21

放送時間(2016年度)第1学期:(木曜)2045分~2130

4/295/5までは「ゆとりの期間」で、通常の放送時間とは異なる。

Img_2732_2 最後の収録だったので、終了後「海浜幕張」の街へ繰り出して、打ち上げの酒宴を張ったのだった。そこでは最後まで、音の話題が絶えなかった。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。