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2015年11月に作成された投稿

2015/11/25

映画「ローマに消えた男」を観る

Img_2313 いつもより早めに起きる。例年この季節には、夜になって自分の仕事が終わるころメールを開くと、学生からの修論の草稿が送られてきている。昨日も、2通ほど届いているのを夜中に見つけ、添削の必要のあるものには赤字を施し、簡単な指示で済むものはメールで返す。毎年、多い人で20数回やり取りをする人もいるのだが、だいたいは4、5回で済むのだ。最初に幻滅、次に落胆、そして絶望、最後に希望の繰り返しだ。そしてさらには、自分のときの苦い思い出が頭をよぎる瞬間があるのだ。

Img_2259 内容についての議論は、10月までのゼミでおおよそは済んでいるのだが、やはり議論の足りなかった人は、メールでも手がかかってしまうことになる。ここが通信制大学の楽しいところでもあり、泣けてくるところでもあるのだ。

Img_2266 今日はメールが途切れそうになったので、雨降りにもかかわらず、散歩に出かける。どうやら、自分の仕事の方が暗礁に乗り上げてしまって、原稿が進まない。このような時には、肩こりと頭こりを柔らかにする必要がある。

Img_2260 午前中に見る映画は、深刻なものでも大丈夫だし、軽快なものでももちろん良いのだ。まだ、心の余裕がある。どちらの系統の映画であるのか、この映画の場合に予想はできなかったが、今週を逃すと、すぐにロードショウが終了してしまいそうなので、映画「ローマに消えた男(原題:Viva la liberta)」を観ることにする。雨が横殴りに吹いてきても、足取りは軽やかだ。

Img_2258 内容は、情熱を失った政治家が失踪し、代わりに双子の兄が狂気の世界から舞い戻って代役を務めるというものだ。イタリア野党の党首たる政治家エンリコと、精神を患う哲学者ジョバンニを演じる、俳優のトニ・セルヴィッロの一人二役演技が見ものだ。政治の世界を表す時に、右目は情熱で、左目は冷静、というようなレトリックを使うが、まさにこの二人をこの俳優は使い分けている。エンリコが失踪する先は、かつての恋人ダニエルのパリにある家庭なのだが、この監督を職業とする夫と、それにこの娘はほんとうに物分りが良いのだ。このような自由で良い関係を作ることが予想できたならば、誰でも失踪したくなってしまうだろう。社会ものだという予想を覆して、意外に爽快さを感ずる映画だった。

Img_2268 使われている言葉が素晴らしい。やはり、政治の世界で大事なのは言葉なのだ。当然、政治の世界では、偽りが横行する。けれども、真実の言葉には重みがあることも知られていて、真実であるという、その「らしさ」というものが重要なのだ。それで、おそらくこの映画の一つの山場となる、ローマの広場での党書記演説で、劇作家ベルトルト・ブレヒトの文章が使われていて、それがこの映画の「パッション」側を表す場面で抑制的に語られるので、かえってピッタリと合っている。この文章があったから、この映画が作られたのでは、と思わせるような詩的な文章だ。

君は言う ひどい世の中だと

闇は深まり 力は萎える

こんなに長く働いても 状況は厳しい

始める前よりも 敵は目の前にいて 

かつてなく手強く 

その力は増す一方で とても勝ち目はない

我々は過ちを犯した それは否定できない

我々は減る一方だ

我々の言葉は 混乱している

言葉の一部は 敵にねじ曲げられた

見る影もないまでに

何が過ちで 何がいつわりなのか

言葉の一部か すべてなのか

誰を頼るのか 

我々は生き延び 流れからはじかれ

取り残されるのか

誰も理解せず 誰にも理解されずに

それとも自分の運を 天に任せるのか

そう君は自分に問う 

君に必要なのは 誰の答えでもない

君自身の答えだ

Img_2274 雨降りの散歩は、パン日和あをやへ向かった。この地域には、工場跡にマンションが建ち、景気の良い企業が進出してきている。ドアを開けると、今回も子連れの先客がいた。「お楽しみプレート」を頼む。Img_2273_2 スコーンが温められていて、それにこの写真にある「クロテットクリーム」+ ジャムをつけて食べるのだ。サンドウィッチのパンも穀類が入っていて、美味しかった。そのあと、雑談に集中していて、写真を撮り忘れてしまったが、ゆず茶と栗あんの美味しいパンも食べた。

Img_2271 先日、O先生と一緒に来た時に、O先生に会いに来る教え子の方たちにある種の傾向があるということがここで話題になった。それはたいへん面白い見方だったので、今回もそれを話題にしたのだった。そのときには、O先生はあまり興味を示さなかったのが不思議なのだが、実際のところ、O先生自身はどのように考えているのか、知りたいところだ。Img_2257 とはいうものの、教え子の方々にとっては、端でこんなことが話題になっているとは、迷惑な話だろうと思うから、ここだけの内緒話にとどめておくことにしよう。まだまだ、今日の雨は止みそうにない。

2015/11/12

若林奮展を観に、葉山へいく

Img_2204 彫刻の「若林奮」展が、葉山の県立近代美術館で開催されているというので、午後2時頃には仕事を閉じて、雨が降り出しそうな中を歩いて、京浜急行電車へ乗る。逗子駅からのバスが、10秒も待たずに来たので、家から30分くらいで葉山海岸の三ヶ丘にある美術館へ着いた。Img_2164 横須賀美術館とこの葉山の美術館は、家からも近いし、さらにちょっと離れたところに来たという感覚を満足させてくれるので、最も多く来ている美術館だ。

Img_2172 若林奮の作品は、2年前に横須賀美術館で開かれていた「父、若林奮」展で知った。このときも娘のために、というよりは、娘との距離を測るために、といった方が適当かもしれないが、ドールハウスや、童話を題材にした親しみやすい作品が並んでいた。けれども、今回の展覧会とは、全く印象が異なった。

Img_2211 今回のテーマは、「飛葉と振動」ということになっていて、人と自然の中間にある「尺」というものを問題にする展覧会となっている。本来の鉄の彫刻を中心として、小さなものから大きなものまで、ざっと4部屋にわたって展開されていた。一つのテーマが設定されると、1、2から数年は同じテーマが追求されるらしい。それで、そのテーマをめぐって、様々な作品群が生み出されていくから、一つのテーマ全体を見るのもたいへんな量の作品を見なければならない。

Img_2183 中心となる「振動尺」シリーズ、社会を考える者には刺激的な「所有・雰囲気・振動」シリーズ、「大気の中の緑色に属するもの」シリーズ、「クロバエ」シリーズ、「100線」シリーズ、庭シリーズ、「緑の森の一角獣」シリーズ、「Daisy」シリーズ、「4個の鉄に囲まれた優雅な樹々」、「多すぎるか、少なすぎるか?」シリーズ、「飛葉と振動」シリーズなどなどが並ぶ。

Img_2180 見なければならない、とは言ったものの、じつは表に現れない事象を実際のテーマにしているから、見えないものの方を見なければならないという展覧会なのだ。入館して、最初に出会うのが、初期に有名になった「泳ぐ犬」である。木片から、顔だけを出した、埋もれた犬が見える。そして、その前には、なぜか窪みが作られている。この作品を見れば、この見えない部分が重要で、なぜ見えないのかを制作者も観覧者の意識してしまうことになる。同じような作品「犬から出る水蒸気」なども、蒸気となったものが、何と鉄で表現されているというイメージの逆転が生じている。制作者と相手との間にある中間のものが、鉄という、表現するには使いにくい素材で表現されているところが面白いのだ。若林にとって、鉄は、目には見えないものを表現出来る、重要な言葉なのだ。

Img_2209 ドローイングも数多く出品されていた。とりわけ、ブルーのぼんやりした、曖昧なもの、それは葉っぱであったり、ドアであったりなどの「Blue Daisy」シリーズは綺麗だった。水などの「ブルー」ということに、特別な感性を示す人なのだと思った。水を使った幾つかの庭などの野外彫刻が意外にシンプルなので、自然に対する作者の考え方が現れていた。自然は対立するものでなく、相手なのだ、というところが興味深かった。

Img_2192 後期の「雰囲気」が印象に残った。「所有・雰囲気・振動」シリーズですでに追求された「自分・相手・鉄」がより内面深く、表現されていた。振動部分が四角い囲いで覆われていて、相手の振動部分には黒い穴が描かれており、理解不能な部分として表わされていた。さらに、「振動する飛葉」が自分と相手を媒介するという、素敵な空間を表現していた。

Img_2182 展覧会を出て、正面玄関の脇にやはり野外彫刻の「地表面の耐久性について」が埋め込まれていた。これも「見えない」シリーズなのだろう。表面に現れているものだけからは、およそ想像できないものが、きっと埋められているのだろう、と想像させられる彫刻だ。

Img_2171 今日の椅子は、美術館のベンチだ。一つはガラスで覆われた部屋に置かれた白いソファーで、観覧者が展覧会をめぐって疲れ、ここですっぽりと包み込まれるように休息するものだ。Img_2184 もう一つは、野外に置かれていて、ここでずっと本でも読んでいたいと思わせるベンチだ。

 

Img_2189 このベンチの前を通って、いつもの小道を抜けると、目の前にもう冬に突入した白い海岸が現れた。マフラーを持ってこなかったことを後悔させるような風を、潮騒が運んできた。Img_2174_2

2015/11/05

秋晴れの爽やかな朝、今日はパン日和だ

Img_2102 秋晴れの爽やかな朝だ。青い空が綺麗で、散歩日和だ。昨日までに、今年度の卒業研究提出が締め切られ、提出できた人も提出できなかった人も、それぞれがここ数か月間充実した努力とちょっとの哀しみを感じてきた日々が、ついに一つの終了を迎えたということだ。

Img_2103 来月には、修士論文の締め切りがあり、まだもう一つの山があって、気の抜けない日々が続く。けれども、最近になって思えるのは、職人の生活と論文作成の日々はちょっと似ているところがあるな、ということだ。定型の部分はさっさと作業できて、不確定のところでは悩みつつ作業を進めるというリズムが似ているし、さらに書き言葉なので、積み重ねや修正が可能で、努力しただけ、それが報われる。喋り言葉のように、その場の雰囲気で安易に理解されてしまうわけではない。これは論文というもののたいへんな利点だと思われる。

Img_2108 先週、田舎にこもって、研究誌の編集作業を、根を詰めて行ったために、目の疲労が激しく、今週首都圏に帰ってきてからも、仕事へ着くのがまだダメなのだ。妻には、なんて柔なのと言われてしまったが。そんな時に、O先生から晩秋の「秋カフェ」のお誘いがあった。良いタイミングである。しかも、先日再来したいと思っていた「パン日和A」へ行こうということになった。Img_2109 朝、仕事場のある千葉から回って、自宅へ戻り、再び「新川崎」から「鹿島田」へ向かう。この近辺には、最近高層ビルが、立ち並ぶようになった。東京と横浜を結ぶちょうど中間点にあり、交通はたいへん便利だ。

Img_2110 O先生から、会議が延びて少し遅れると連絡があったので、彼が来る時間まで、高知産のゆず茶をいただき、コーンマヨネーズ・パンをつなぎに食べ、さらにオーストラリア・ワインもちびりちびりと始める。Img_2111 パンのもちもちした食感を楽しみながら、空腹が満たされていく幸福感に浸る。天然酵母特有の複雑な感触を楽しみつつ、パン屋さん特有の食べ物の話を聞く。その間にも、小さな子ども連れの客が来て、パンを買っていく。

Img_2116 特に興味を持っているのは、前回同様、椅子の話だ。前回はこの部屋でまず椅子から購入し、それに合わせて高さを測って、机を注文したという話を聞いたのだが、なぜ椅子からなのか、ということや、さらに机の後どのようにこの部屋を作っていったのか、と連なる話が面白かった。

Img_2117 この最初に購入したこの椅子は、古道具屋から購入したらしいのだが、ダイニングの椅子ではないし、かといって、正規の事務椅子のようでもない。どうやら、米軍基地で使われていたものらしいのだが、とすると、やはり労働現場で補助的に使われていた椅子ではないかと想像される。Img_2119 基地の格納庫で補助的な椅子として使われていたとか、工場で縫製していたお針子たちが休憩時間に座っていたとか、というのではないか、ちょっと小振りだから女性用の椅子という感じもするのだ。

Img_2120 椅子を喫茶店の最初の出発点にする、という発想は、並ではできないと思う。やはり、喫茶店では建物があり、部屋があり、部屋に合わせて、テーブルと椅子が選ばれていく。それと逆の方向性を持つということ自体、一つの発想だと思う。

Img_2112 O先生が月に1回くらい行く新丸子の古い定食屋があって、先日そこへパン日和のご夫婦が訪れたのだそうだ。そのことは、彼のブログでも書かれていたので、知っていたのだが、なぜO先生がその店を彼女に紹介したのか、という理由があるらしい。そこのご主人と、パン日和のSさんとに共通点があるからだ、と言うのだ。Img_2114 それは、微笑ましい共通点なのだが、ちょっと考えてみると、実はもう一つ共通点があって、「おかしな」人びとを惹きつけている、という立派な理由がある。たとえば、売れない漫画家や売れない芸術家が集まるのだとか。そして、わたしたちもどちらかといえば、奇妙な人びとの部類に十分入ってきているのだが。

Img_2113 O先生との共通のテーマとしている「サードプレイス」ということが成り立つ要件には、ファーストとセカンドからちょっと「離れる」必要があるという条件がある。この点で、パン日和Aは十分な正統性を持っている。「売れない」ということと、「離れている」ということには、立派な相関関係があると思われる。

Img_2124 どうしても椅子の話に戻ってしまうのだが、この最初の椅子自体が家庭からも職場からも離れている印象のあるものだと思われた。ダイニング・チェアや安楽椅子のようなファースト・チェアがあり、シューメーカー・チェアやミルキング・チェアなどのセカンド・チェアがあり、そしてここに、サード・チェアなるものが発見されたということである。この椅子があって、この店があり、そして、これに座ってパンを食べることができ、それでたいへん落ち着くのである。そういう目で見ると、この椅子が俄然大切なものに思えてくるから、不思議だ。

Img_2121 ワインのおつまみには、カウンターにあったパン・ド・カンパーニュとベーコンをこんがり焼いて出してくださった。その後、O先生が現れたので、アボガドとクリームチーズのサンドウイッチ、BLTサンドウイッチをシェアして食べたのだ。この店はパン屋さんなので、ガブっとかぶりつく時の肉厚なパンの味が重要なのだ。Img_2129 デザートに自然酵母風味のチョコクロワッサンとホットチョコレート、最後にスコーンにジャム、さらにコーヒーをいただく。あっという間に、3時間ほどが経っていた。楽しいことは時間を超越する。

Img_2134 O先生は明後日から信州旅行だそうだ。わたしは川崎へ出て、稲毛神社の酉の市を覗きつつ、その先のコーヒー豆屋さんで、ようやく出てきた癖のある豆、エチオピアの「トップ・コチャレ」をいつもより少し多めに買って、家路につく。Img_2139O先生のブログはこちら

2015/11/01

原稿校正と「電子雑誌」発行準備で、町田へ向かう

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http://u-air.net/SGJ/

にて、配布中。






昨日、Kさんから校正稿を届けたいというメールが届いた。早速、午前中に発行作業の仕事を途中で終わらせて、午後の早くに、Kさんの住んでいる町田へ、横浜線で向かう。Kさんは、今日発行する「社会経営ジャーナル」へ「たたら製鉄」という題名のエッセイを書いてくださったのだ。専門用語の鑪(たたら)や鉄滓(のろ)や村下(むらげ)などに小文字のフリガナを振ったのだが、残念ながら、「社会経営ジャーナル」の作成ソフトでは、それらを小文字フリガナで表示する機能がないので、そこで直接会って相談と相成ったのである。

JR町田駅に降り立ってみると、駅の二階からずっと四方八方に連絡歩道橋が伸びていて、かなり以前に来た時のイメージを一新させる風景がそこにあった。以前、駅前には公道が通っていて、それは現在も同じなのだが、首都圏郊外の交通量の多い街道筋にある駅で、殺風景な駅舎だったと覚えている。それで、自動車の街という印象が強かったのだ。今回も1階部分はそうなのだが、街が重層化されていて、車社会と人社会とがさらに交錯する、現代的な街になったな、という感じだ。

Kさんは、わたしの母と同い年で、88歳。昭和一桁生まれである。放送大学を出た後、K大学の修士・博士を出て、現在も毎週K大学のゼミや研究会に通っている。今日も、散歩用の手押し車で出かけてきて、身体にはたくさんの難はあるのだが、まだまだ元気いっぱいだ。ちょっと原稿が足りない時には、声をかけると「いいですよ、書きましょう」とすぐ原稿が出来上がる。今回のエッセイでは、島根県の菅谷たたらでの金屋子神信仰について書いている。わたしも菅谷たたらへは行ったことはあるのだが、この神社には気がつかなかったのだ。以前、岩手の釜石にある鉄の博物館で、金屋子信仰については展示物から知っていたが、その総本山が島根にあるというのは、今回初めて知ったのだ。

午前中には、毎年恒例となった電子雑誌「社会経営研究」と「社会経営ジャーナル」を発行するつもりだったが、作業が間に合わなかったので、町田から帰って、さっそく発行の作業に取り掛かる。妻が横で見ていて、まるで印刷屋さんね、と言われるほどに、集中して最後の設定を行ったのだ。ところが、この後に及んで、なんとファイルを送るためのパスワードがうまく認識されないのだ。パソコンを変えてやってみても、全く入ることはできない。困ったことになったと、悩んだ末に、別の場所を借りてファイルを保存して、そこから電子雑誌を発行することにして、ひとまずの応急処置は出来たのだ。当分、これで行くより他ないだろう。

いよいよ、2015年版「社会経営研究」「社会経営ジャーナル」の発行である。もちろん、電子雑誌の強みである、即時性を活かして、再校および三校までは、発行と同時進行で、次第に雑誌を改定していくという方法を取っている。だから、現在のところ、正確にはβ版の発行ということになるだろう。今回も、放送大学大学院修了生たちの多様な分野の論文を集めることができた。新聞メディア論、反国連論、短時間労働賃金の男女格差論、介護の準市場論、集落営農のソーシャルキャピタル論、スリランカ小農論、MBAカリキュラム論、中小企業リーダーシップ論、地域性論、たたら製鉄論、社会音論など、読者と少しでも興味関心が重なるのがあるならば、ぜひ読んでいただければと、発行人のわたしとしてはおおいに期待しているのだ。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。