« 酒造りもクラフトだと思った | トップページ | 雨の中の散歩 »

2015/09/10

世の中に起こる全てが瑣末なことであったなら

Img_1319 世の中で起こることがすべて「瑣末なこと」で構成されていたならば、その世の中はどのようなことになるだろうか、という映画が来ている。映画「さよなら、人類」だ。原題は、スウェーデン語だったのでわからなかったが、あとでウェブで調べると、原題:En duva satt på en gren och funderade på tillvaron 英題:A Pigeon Sat on a Branch Reflecting on Existenceということで、「枝に止まって、実存を省察する鳩」という題だ。冬のブリューゲル絵画をイメージしているらしい。けれども、映画は、このような哲学的で重い意味があるようにはぜったいに思えない。けれども、重要でないが、瑣末なことが世の中にはたくさんあって、この瑣末なことが重なればどうなるのか、ということは、現代社会の中で重要なことになりつつあると思われる。

Img_1325 映画手法を使ってはいるが、いわば美術館を見て回るような手法の趣を持っている。一枚ずつの絵画をつぎつぎに連ねたような感じだ。全部で39のシーンが撮られているが、1シーンずつがそれぞれ長回しのワンカットで撮られている。ひとつひとつが、いわば動画の美術館ということになる。

Img_1326 たとえば、冒頭の1シーンは、博物館の展示室に夫婦が写っている。男のほうは一つ一つの陳列ケースを丹念に、しかし理解しているとは思えないほど気がなく歩き回っている。これに対して、女のほうは、この陳列室の出口に立っていて、いかにも面白くなさそうに、鑑賞している男を眺めている。Img_1324 けれども、いつまで辛抱強く、待っているのだろうか。それにしても、男の陳列棚を見るときの気のなさはどうしたのだろうか。それは、陳列棚が本当に瑣末にできていて、みる気がしないからだ。それは観ていて、ちょっと心配になってきてしまった。もちろん、瑣末さに対してだ。眠気を最初から振りまいていた。

Img_1322 カンファレンス室のAさんは、先日すでに観てきたようで、「三回、眠りました」と言っていた。これで、アカデミー作品賞の「バードマン」を凌いで、ヴェネチア映画祭で金獅子賞を受賞したらしい。斬新なアイディアがあふれていて、本当に面白いはずの作品だったが、何が眠気を誘うのだろうか。切り取り方には、素敵な要素が含まれていて、良い感じだ。もしこの作品が写真集であったならば、きっと眠らなかっただろう。と言いつつ、じつはわたしも途中、何回か眠ってしまったのだが。

Img_1328 瑣末さはどの程度なのか、ということが思い当たらないほど、すべての話が瑣末さから離れられないのだ。第2話の瑣末さは、さらに堂に入っている。なにしろ、何気なくワインのコルク栓を抜こうとして、それが抜けずに、一生懸命になりすぎて、心臓麻痺を起こしてしまうというエピソードだ。Img_1329 食事がすでに用意されているし、ワインを開ければ、もう楽しい団欒が始まるというのに、ワインが抜けないだけで、食事もワインも団欒も諦めなければならないのだ。なんという、瑣末さなのだろうか。

Img_1331 ただ、1シーンだけは、光輝き、こころ躍る場面が用意されている。それは、酒場でみんなが「リパブリック賛歌」を歌うシーンだ。なぜスウェーデンでリパブリック賛歌が歌われなければならないのか、と不思議な感覚に襲われたが、この酒場の女主人が、酒を振舞っている。ところが、ある貧しそうな兵隊が金のない人には振舞ってくれないのか、と歌の中で問うのだ。その応答が、素晴らしいのだ。ほんとうに、一緒に歌いたくなってしまう気分だ。これこそ、眠気を我慢して、耐えに耐えて、最後に(途中なのだが)到達されるクライマックスといってよいだろう。

Img_1333 もちろん、一応の映画の主人公である、大人のおもちゃを売り歩く二人の行商人は、傑出している。「ヨナタン、ごめんよ」ということで、おさまる二人の行方は瑣末ながらも、前途洋々としている。のかな?当分、この言葉は耳から離れられないだろう。

Img_1336 瑣末さも度を越せば、グローリ、グローリ、ハレルーヤ、グローリ、グローリ、ハレルーヤ、なのだと思うのだ。「バードマン」もそうなのだが、わたしたちは当分、レイモンド・カーヴァー的世界に住むことになるのだろうか。家に帰って、「ささやかだけれど、役に立つこと」を読み返してみたい気分だった。

Img_1345 映画を観たのは、千葉劇場だが、千葉市内をあるいて横切っていくと、ほかの街にないいくつかの特徴ある風景が見られる。上記の映画の部分へ挟ませてもらった。

Img_1339 千葉駅から、なだらかな丘をすこし登ったところに、千葉市の中央図書館がある。広々とした座席が確保されていて、利用しやすい図書館のひとつだ。とりわけ、生活に関係した雑誌が充実しているのだ。Img_1340 このところ2年間、見逃していた生活工芸の読み物をコピーするために訪れたのだ。1冊だけ、貸し出しがあって、見ることができなかったが、その他の雑誌バックナンバーは全てあり、その場で最新号も読むことができ、効率良い読書ができた。Img_1341_2 もっとも、最新号については、読み物の半分はコピーしても良いが、全文のコピーは許されなかった。コピーの権利関係が厳しくなっているのを感じた。

そろそろ秋蕎麦の季節だ。新蕎麦が待ち遠しい。一足先に、てんぷらのほうで、秋を感じようという趣向で、てんぷら蕎麦を食べる。キノコたちが香りを周りに振りまいていた。Img_1343 今日の椅子は、このそば店の前に置かれた木製のベンチだ。昼には、近くの人びとがここに坐って、順番を待つのだろうと思う。注目したのは、椅子の後ろにある赤い板だ。このようなちょっとしたアクセントがあるだけで、この店の趣向が現れるのだ。

« 酒造りもクラフトだと思った | トップページ | 雨の中の散歩 »

映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/173786/62297628

この記事へのトラックバック一覧です: 世の中に起こる全てが瑣末なことであったなら:

« 酒造りもクラフトだと思った | トップページ | 雨の中の散歩 »

社会経営研究配布中

  • 2015study

社会経営ジャーナル配布中

  • 2015journal

開いている講義    「社会的協力論」

  • cooperation

「音を追究する」第13回・第14回

  • art

「多様なキャリアを考える」第2回・第3回・第4回

  • cooperation

「グローバル化と私たちの社会」第11回

  • cooperation
2017年3月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ

Recommend

プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。