« 母の法要 | トップページ | 長野学習センターでの授業 »

2015/08/05

とても社交的な方に、不思議な出会い方をした

Img_0938 明日から始まる長野学習センターでの面接授業に備えて、前日に信州松本へきている。盆地では、標高が高い分だけ、むしろ日差しがキツいと感じる。

Img_0936 物腰はとても柔らかで、大柄な体格にもかかわらず、決して威圧感はなく、むしろ包容感を漂わせていた。松本駅ロータリーの横断歩道手前で、娘と一緒に、信号を変わるのを、強い日差しを避けてビルの陰で待っていた。こちらの顔を覗き込み、もしかしたら知己であるかもしれないという、確かめるような顔をして、話しかけてきた方がいた。

Img_0951 「どちらから、いらっしゃいました」。そのころには、知り合いではないことを確かめたらしく、にこやかな別の顔になって、むしろ新しい出会いを楽しもうという顔になっていた。わたしたちは横浜から来ていて、小学校時代にこちらに住んでいたことを告げると、「どちらの小学校ですか」という。

Img_0944 G小学校の名を告げると、「わたしはF高校の英語教師でした」と、返答があった。そして、すでにわたしより20歳くらい年上であることを知る。わたしは、その若々しさにびっくりして、さらにF高校であるならば、50年ほど前の西穂登山の悲劇はご存知ですよね。わたしの小学校同級生が二人も亡くなりましたというと、「名前を言ってください」というので、TくんとOくんの名前を告げた。「わたしの教え子です。その時、11人が雷で打たれ亡くなりました」、と思いがけない詳細な答えが返ってきた。

Img_0987 「その年の生徒たちは、大学受験でもちょうどT大入試がなく、ほかの大学へ行き、なかには学者になった人も何人かいますので、とくに覚えています」とおっしゃる。47年前の記憶が一気に噴き出して、二人の間を埋めたのを感じた。Img_0967 横断歩道を渡り、バスの待合所の前までの間には、じつに数十年の凝縮された時間が詰まっていたのだった。「またいつか、このようにお会いすることがあるかもしれませんね」とそこでにこやかに別れたのだった。

Img_0980 何ということか、こんな不思議な出会いと言うものが、わたしの人生の中に用意されているとは、まったく予想できなかった。まったく匿名の、出会うはずのない人混みの中の、旅の途中での駅のロータリーの出会いである。時間も空間もこれまで共有することがまったくなかった二人が、ある時出会って、ひとつの悲劇を共通に経験したことをしゃべっている。亡くなった人たちがどこかで糸を引いたのであろうか、そんなことがいったい全体あり得るだろうか。

Img_0943 社交ということの不思議さがあるのだと感じた。知っている人たちが再会する、あるいは友人から新たに紹介されて知り合いになる、ということならば、日常経験していることだ。けれども、社交の範囲はもっともっと広いのだ、と教えられたのだった。と同時に、まったくオープンではなく、出会いの範囲が存在することも理解したのだった。それは、互いの友人の範囲内での出来事であることは間違いないことだったのだ。Img_0941

« 母の法要 | トップページ | 長野学習センターでの授業 »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/173786/62070937

この記事へのトラックバック一覧です: とても社交的な方に、不思議な出会い方をした:

« 母の法要 | トップページ | 長野学習センターでの授業 »

『貨幣・勤労・代理人』(経済文明論)

  • “「貨幣・勤労・代理人」"

社会経営研究配布中

  • 2015study

社会経営ジャーナル配布中

  • 2015journal

開いている講義    「社会的協力論」

  • cooperation

「音を追究する」第13回・第14回

  • art

「多様なキャリアを考える」第2回・第3回・第4回

  • cooperation

「グローバル化と私たちの社会」第11回

  • cooperation
2017年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ

Recommend

プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。