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2015年8月に作成された投稿

2015/08/31

言葉にできない「プラスα」のこと

Img_1375 夜中にまた土砂降りの雨が降って、屋根には雨音と、雨が打ち落とすどんぐりの実の音が響く。それで、午前5時には目が覚めてしまった。しかし、出かける頃には、まだ雲は厚く垂れ込んでいたにもかかわらず、雨は上がりそうになって、傘をさして家を出たが、バス停に着く頃には、傘をたたんでしまった。O駅から松本へ出る。朝の大糸線は、通勤客と高校生で、満員状態だ。最初から、こんな風に書いていくと、今日だけでたぶん一ヶ月のブログ分を書くことになるだろうから、サボった分を帳消しすることができるかもしれない。

Img_1387 松本では、セイジ・オザワ記念フェスティバルが始まっていて、ニュースで心配されていた骨折をおして、オザワ氏自身が松本へきているらしい。あちこちに盛り上げようとする街の気運がみなぎっている。このような共通感覚はやはり時間をかけないとなかなか育たないものだと思われる。音楽大学の学生集団のような人びとも駅やホテルにたむろしていた。

Img_1407 早大のO先生と、駅前のホテルロビーで待ち合わせている。O先生は、15分前には現れた。元気そうな姿だった。ブログによると、風邪気味で身体が痛いと書いていたので心配していたが、こちらへの旅行中に治ったそうだ。いつもは、O先生の卒業生と競って、蒲田カフェか神楽坂カフェかを行うのだが、ちょうどO先生の茅野・松本旅行にタイミングがあったので、今日は、松本カフェをやろうということで、計画を立てたのだ。

O先生のブログはこちら→

Img_1389 歩き出すと、薄日が出てきて、汗ばむくらいの陽気になってきた。1日でかなりの行程が予想されているので、雨が晴れただけでも幸先がよい、と日頃の行いの良いことをお互い確認しあったのだ。最初のカフェは、駅から「あがたの森」へ向かう旧電車通りを10分くらい行ったところにある「S」である。コーヒースタンドになっていて、カフェオレを注文する。今日のひとつのテーマは、じつは「椅子」で、今日家の食事台の椅子に坐ってから、バス・電車のシートを含めて、5番目に坐った椅子がこのハイスツールだった。通りからガラス戸を通して、店の名前が書いてある大きなガラス窓の中に二つ並んでいるのが見える。ここに坐ったら、カウンターの中にいるK氏と必ず話すことになるのだ。どのような話にも対応してくれそうな、ブックストア・カフェスタンドのマスターだ。

Img_1391 この店の入り口の左は、コーヒースタンドなのだが、そのまま直進すると写真のような書棚が並んでいて、地方発信の珍しい雑誌や、大きな本屋さんでも置いてないような生活ライフスタイル雑誌・洋雑誌、さらに生活工芸・民芸関連の書籍などが置いてある。Img_1390 これだけを見て回るだけで、1、2時間はかかってしまいそうだが、さらに3階と4階にも展示室を持っていて、ギャラリーとして活用されている。以前にも、来たことがあって、ブログに書いたのだが、Img_1393 ほんの数カ月でもかなり書籍内容・展示内容が変化している。生活の変化の激しさと、変化しないものの大切さがわかる場所だと言って良いと思う。あちこちの情報がここに集まってくる様子をそのまま反映していて、一覧整理されている場所だ。

Img_1398 あるじのK氏は、このブックストアを本拠地としていながら、かずかずのイベントを企てていて、O市の北にある木崎湖での「アルプス・ブック・キャンプ」や「松本と吉祥寺」という企画展などを進めてきている。28歳の活動的な方だ。話にすっかり夢中になってしまっていた。いろいろ興味深かったのだが、やはり皆が不思議に思う点に話は集中した。Img_1401 それは、「なぜ本屋だけを行わずに、それ以外の活動も行うのか」ということだった。説明をそのまま書いていたら、かなり長くなってしまうので、Img_1404 ここでは「言葉にできないプラスα」があるからだ、ということにしておこう。でも、本ということから、付かず離れずしているところが素晴らしいと思う。買った本が重かったので、また夕方寄ることにして、預けて歩き出す。

Img_1417 大通りを右に行くと、O先生が昨日訪問した喫茶店Gへ行くことになるが、二日続けて同じ昼食というのは避けて、左に曲がって、「源智の水源」で水を汲んでいる方と話をして、それからずっと先の女鳥羽川に出て、さらに上土町を通って、郷土料理の「S」へ行く。Img_1426 ところが、ここは12時からという表示がなされていて、まだちょっと時間がある。それで、もうすこしこれから行く場所に近い店、フランス料理の「R」へ入ることにする。じつはここも12時からだったのだが、すでに入り口にはレースのカーテンがひらひらして、Img_1479 作っている夫婦の方もたびたび誘ってくださるので、向かいのベンチで、セキレイを見ながら、しばし休憩する。これで、ベンチと料理店の椅子で、さらにもう二つの椅子に坐ることになった。

Img_1486 昼食は、待っただけのことはあって、ランチにもかかわらず、スープから最後の飲み物まで盛りだくさんの満足する内容だった。肉にかかったタレもすっきりとして、なおかつコクのある味だった。

Img_1503 もちろん、O先生との会話は、もっと面白かった。互いに6月に母を同い年で亡くしているので、淀みなく濃厚に進んだ。共通体験にしても、話してみるとプラスαがあって、なるほど話してみるものだな、と思った次第だ。

Img_1501 そしてさらに進んで、まだ言葉にならないところがあるのではないかとわたしが勝手に思っていていつも質問することがあるのだが、それはブログに現れる彼の卒業生たちとの付き合いだ。この辺になると、かれの中にはなにやらはっきりしているものがありそうなのだが、それを勿体ぶって、なかなか言葉には表現しないようにしているようだった。Img_1506 そうか、まだ楽しんでいるのだな、と今のところは理解しておき、こちらもブログ模様を見ながら、憶測を楽しむことにしたのだった。

Img_1511 予約を入れて、今日に備えていたのが、松本民藝家具の工場・工房見学だ。なぜここかというのは、「椅子」を作っているからなのだ。写真にあるような古い椅子が軒先に掲げられていて、農家の軒先にトウモロコシや大根が吊る下げられているような、不思議な感覚を覚える。Img_1514 けれども、趣のある外見をもっと超える場所が次々に現れたのだった。説明には、この工場のあらゆることに通じていると思しきU氏が担当してくださったので、わたしたちの想像力がさらにハイに掻き立てられたのだった。椅子制作の流れとほぼ同じとおりに、工場を案内していただいた。

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まず素材だ。ミズメザクラが主として使われている。この素材を乾燥させているのだが、ここでは一つの注目している点があった。ここも年単位の仕事が隠されていて、実際に現物を目の前にして、自然乾燥・機械乾燥の具合を聞くと、ここにも一つの仕事の山場があることがわかる。そういえば、先日読んだ池田氏の著作にも、過去にかなり大きな乾燥機を導入して、その資金を巡って苦労したエピソードが書かれていた。

Img_1538 そして、板取作業に入っていく。板の山がひとつずつ並んでいて、ひとつの椅子製品でも10本以上のそれぞれの部品ごとの素材板に、マジックでナンバーが書き入れられている。座面の削り、袖かけの削りなど、それぞれ専門の職人さんのところに流れていく。この中で、もっとも強い印象を持ったのは、鉋や金槌などの道具だ。Img_1568 といってもそれぞれ一丁二丁の話ではなく、数十丁の道具が並んでいるのだ。これらの道具は、とうぜん会社・工場のものだと思っていたのだが、そうではなく、職人個人に帰属しており、もしその職人がここを辞める時には、持ってでていくのだそうだ。技能というのは、道具込みのものなのだ。

Img_1562_2 さらに進むと、それはたぶん親方級の熟練たちの作業部屋になるのだと思う。ここでは、その製品の決定的な部分が制作されている。製品の裏に漢字一文字が入るのだが、それはここで入れられるのではないかと推測した。Img_1559 ちょうど馬足に似た脚タイプのテーブル脚が作られている場面だった。この脚の部分を含む工程を2週間で終えなければならないそうだ。職人の「手間」という文字がもっとも説得力を持つ場面だ。手仕事のなかでも、もっとも微妙な手作業が要求されるところで、この作業を任せられるには、数十年の月日が必要だということだった。

Img_1592 じつは今回特別な関心があって、「椅子の色」ということに注目していたのだった。この点については、先日図書館で調べたのだが、創業者の池田三四郎の著作にはどこを探しても書かれていないのだ。それで、説明についてくださったK氏がたいへん忙しそうで、工場の職員の人々へたびたび指示を出すので説明を中断しなければならなくなって、それを好都合と見て、塗装の職人さんに直接いろいろと質問することができたのだった。興味深い内容だったが、それはまた、これからの取材で話すことがあるかもしれない。Img_1599 椅子の色との関係では、いわゆる「民藝色」と呼ばれていることについて、漆とラッカーとの関係を話してくださったのだ。そして、最後には、曲木の部門へ連れて行ってもらった。松本らしいと感じたのは、自然の湧き水に曲木の素材が浮かべられていて、そのあと蒸されて、曲げられるのだというところだ。どのようなところでも、部屋それ自体の雰囲気に独特のものがあって、この曲木の部屋は、この工場のなかでもその最たるものだと思われる。

Img_1598 明快な説明をしてくださったK氏は、松本市郊外にある有名な「民藝生活館」で寮生たちと一緒に修行した経験を持った方だった。徒弟制度ということの有効性を熱く語ってくださった。もちろん、それは現代において徒弟制度が衰退へ向かっていることと無関係では無い。

Img_1582 木工の技術を覚えることが「なぜ若い時に必要なのか」という、労働経済学の言葉ではよく語られていることだが、しかし現実に、経験者によって語られるとやはりはっとさせられる表現が出てくるのだ。教えられた技術は1日で忘れるのだそうだ。

Img_1615 最初の1日目は出来ても、次の日に同じことをやらせても出来ないのだという。忘れてしまうのだそうだ。だから、繰り返しを基本にする徒弟制度が木工では必要なのだ、というのは、ほんの話の端で語られたことだったが、重みがあった。つまりは、言われるのではなく、自分で学び取った技術は忘れることがないのだ。先日、テレビで「ブラタモリ」という番組を見ていたら、主人公のタモリが職人に変わってタイルを埋め込む作業をこなしていた。さすがにタモリはそつなく、どんな職人仕事でも玄人はだしの腕をその場で見せる。おそらくヤラセではないだろうと思う。Img_1620 このようにちょっと器用な人であれば、一回目はまぐれで、かなりの仕事をする人はいるのだ。でも、それは職人仕事とは言わないのだ。誰でもが職人の親方について最後まで我慢して熟練すれば、全員がある一定のレベルまで到達してしまう、というのが真の徒弟制度なのだ。

Img_1621_2 じつはもっと大切なことが、この工場にはたくさんあって、話を聞いていると、うんうんと頷いてしまうことがたくさんあった。それは到底、全部書いてしまうことができないほどだったのだ。Img_1628 現在のクラフト事情、工芸事情というものの核心的な問題は、この松本民藝家具工場と生産グループ群、そしてここを出て独立していった職人の人たちを見れば、おおかたのことが見えてくるのではないかという印象を持ったのだった。

Img_1642 今日の一番の目的は、じつは木工の店Gで、椅子職人作家のS氏にお話を伺うことだった。S氏は松本民藝家具のグループ生産の工房で働いていた経験を持っていて、その後独立し、現在はB工房を主宰している。Img_1657 以前にも、何回かブログで紹介した方だ。来年度には、S氏を取材して、授業番組を作ろうと企画していて、本来はまだ時間はかなり早すぎるのだが、仕事というよりはわたしの興味関心が先走っていて、早い段階から制作者の視点を取り入れようと考えているのだ。Img_1660 また、きょうはO先生にも加わっていただけたので、わたしとしては願っても無いことだったのだ。個人化などの社会の動きと結びつけて、鋭い質問をなさっていた。たいへん参考になったのだ。

Img_1664_2 話は数時間に及び、ここでもプラスαどころか、プラスβくらいまで、アイディアが湧き、たいへん楽しい時間を過ごすことができたのだった。たとえば、今回坐っていた椅子をよく見ると、椅子の支柱を結ぶ横の柱が三角形に走っているのがわかるだろうか。Img_1668 ふつうの四角四面の椅子と異なるのだ。なぜこのような形をとるようになったのか、というようなことが、話を聞いていてわかってきたのだった。

夕方になってしまった。O先生には、スイーツを食べるという習慣があるので、それをパスすることはできない。Img_1671 縄手通りに戻って、このところ二度お邪魔しているコンフィチュールの店「S」へ入る。ここで旬の果実プラムを主体としたコンフィチュールをかけたアイスクリームを食す。美味なり。すると、O先生が店の隅に置いてある椅子に注目した。ここの店主の父上が制作したものだということだ。Img_1674 よく聞くと、やはりクラフトフェアの創立者の一人で、先ほどのS氏と一緒の頃独立した椅子職人作家のM氏であることがわかった。次から次へと、話が繋がっていくので、これが小都市松本の魅力だと感じたのだった。この店では、Img_1776これからもわたしは田舎生活をもう少し続けるつもりなので、パン用のコンフィチュール、プラム主体のものと、ブルーベリー主体のものと二種類購入した。

Img_1685 さて、O先生は18時半のあずさ号で松本駅を出発しなければならないので、松本カフェの最後は、駅の近くの「L」へいくことにした。途中、かつての六九商店街を通り、いつも入る瀬戸物屋さんで、おろし皿を購入した。残念ながら今年いっぱいで、店を閉めるかもしれない、と言う話を聞いたのだ。Img_1704 5月の地震のときに、倉庫となっていた二階ががさっと落ちてきたのだそうだ。外の壁はほぼ修復不可能なことを物語っていた。Img_1700_2L」では、今日最後のコーヒーとして、わたしの好みにほんとうにぴったりあったコスタリカ、そして、チーズのパンケーキ(枝レーズンのおまけ付き)を頼んだ。今日は、食べ物と飲み物に関して、最後の最後まで、当たりの日だった。Img_1725話をしていたら、  O先生は、ショールームでみた数十万円の椅子がすっかりお気に入りで、Img_1734 現金は今手元にないのだがほんとうに買いたいのだと冷静さを保ちながら言い放ったので、わたしはすっかり驚いてしまい、早大と放送大との給料の差をまざまざと見せつけられる思いだったのだ。

Img_1722 O先生を無事、松本駅までお送りして、午前中に購入した本を預けた「S」へ行く。カウンター内のK氏のところには、松本市役所に詰めているという、東京のある大学の都市工学研究室に所属している女性の修士学生が、取材を兼ねてコーヒーを飲みにきていた。Img_1410 話題はもっぱら、街おこしとK氏の活動であった。わたしは、すでにかなり疲れていたので、コーヒーではなく、カウンターで目に付いた、普段では手に入らない、Kワインの白と赤をいただいた。この味もまた、プラスαを含んでいると思った。それは、一緒に懇談できた二人の方々との話が面白かったからに相違ないだろう。

Img_1777 宿は城のそばの大名町にとっていたので、歩いて数分のところで食事を済ませ、以前にも入ったジャズ喫茶「E」で、きょうの1日を振り返ったのだった。スラブ系のピアノトリオのリフレインが来るたびに、1日の中でも何回か繰り返し見つけた「言葉にできないこと」を何とか言葉に定着させようとしたが、次第に眠気が襲ってきて、当分の間、それはお預けして「プラスα」と一応呼んでおこうと決めたのだった。


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今日の椅子は、S氏の北欧デザイン風椅子と、それからコンフチュールの店でみた、M氏のウンザーチェア調のキャプテンチェアだ。片方は創意に満ちて、さらにモダンで洒落ている。坐りやすい。もう片方は、伝統に従って、伝統を超えている。風格があって、坐る人を選ぶぐらいの偉そうな椅子だ。スピンドルを削るにも機械を使わないのだそうだ。

Img_1678 そんなことは外からはわからないし、言葉に表そうとしてもできない仕事だ。けれども、そのような手仕事にこだわった、手間のかかった椅子だと感じさせるものがある。こんな椅子に坐って、似合う人はどんな人だろうか。

O先生のブログでは、もっと明瞭な写真が多い。

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彼の30日のブログは、こちらから→

2015/08/21

もし田舎でずっと勉強できるなら

Img_1223 O市で研修生活を送っている。研修とは何か、というのは難しい質問で、わたしの生活はすべて、日々研修じゃないかと言われれば、その通りであるし、研修ではなく、遊びだろう、と言われれば、なるほどその通りなのだ。大学の生活のもっとも良いところは、遊びがあるところだといつも思っているくらいだ。

Img_1263 それで、もしO市で暮らし、松本市の図書館へ通うという生活ができるならばと考えないでもなかった。これはいつも、目指したい老後生活のパターンなのだ。今回、少しながらそれが可能になりつつある。来年度の放送教材の取材地に、松本市を選んで、昨年辺りから取材の計画を立てているのだ。もっとも全体で5年間くらいかかりそうな壮大な計画なので、ちょっとずつ進めている。今回も、取材の準備で、松本市の郷土資料が必要になり、1日かけて、O市から出てくることにした。

Img_1260 朝8時のコミュニティバスに乗り、さらに大糸線で南下した。歴史上、アズミ族、遅くなってニシナ家が支配した地域らしく、ビャクヤチョウ、ホタカ、トヨシナ、ヒトイチバ、アズサなど、異郷と見紛う地名が並ぶ。松本駅から北市内西回りバスに乗って、城山公園下につく。道なりに2、3分で旧開智小学校、神父館などが集まり、北には深志高校もある文教住宅地区へ入る。ここに、目的の松本市中央図書館がある。

Img_1228 その昔、わたしが小学校時代には、図書館は現在の松本城門横の市立博物館のところにあって、20インチの小さな自転車で通ったものだ。小学校には、学習用の図書はあったが、それ以上のものになると、やはり市立図書館へ出向かなくてはならなかった。30万人くらいの小都市だったので、市内の隅から隅まで、ほぼ自転車で行くことができ、なんでも調達できた。

Img_1236 今日の図書館では、テーマは木工の松本民藝家具を創業した「池田三四郎」だ。彼の著書20冊くらいが、郷土資料コーナーに固まっている。検索で調べたところ、東京圏では、「池田三四郎」はそれほど公共図書館では知られていない。たとえば、大学図書館検索でみると、あの東大には、1冊しか所蔵されていない。もっとも多く所蔵しているのが、早稲田大学で堂々4冊所蔵なのだ。この郷土資料コーナーの恩恵は明らかだ。

Img_1273 読んでいてとくに面白かったのは、民藝の「経営」部分だった。美しい椅子やテーブルを作ろうとすると、割高くなる。けれども、民藝だから庶民に用いられなければ意味がない。この葛藤が、民藝の本質なのがわかって、たいへん参考になったのだ。

Img_1233 著書を端から読んで、写真を眺め、気がつくと、三時間が経っていた。小腹が空いてきたので、3階にある喫茶店Pの窓側の席を占める。えびピラフを注文する。もちろん、コーヒーは自分のポットに淹れてきたものを飲む。喫茶店「パノラマ」というくらい、景色は素晴らしい。最近は老人性の目になってしまって、すぐに疲れる。遠くをみれば、目に良いという言い伝えを信じて、ピラフを食べながら、遠くをずっと見ていた。

Img_1239 読書していると時間の経つのは早く、あっという間に夕方になってしまった。ここから歩いて、20分ほど登ったところに、城山公園があるのだが、そこに隣接しているギャラリー喫茶店「I」へ向かう。途中、工事している人に、この辺に喫茶店がないか、と聞くと、こんなところに喫茶店はないべ、という答えが返ってきた。Img_1242 城山一帯は、以前からピクニック地帯で、遠足などによく使われた思い出がある。公園から地続きに、喫茶店のアーチが見える。緑いっぱいの喫茶店だ。森の喫茶店が目の前に出現した。

Img_1244 コーヒー茶碗がたっぷりしていて、ケーキ皿も葉っぱ模様が素晴らしい。塩アイスとガトーショコラを堪能し、肩の疲れをほぐしながら、大糸線へ戻る算段をゆったりとしたのだった。Img_1249 帰りは下りで、バスを使わず、30分くらいで松本駅に着いた。

じつは途中、一箇所だけ寄り道をしてしまった。洋菓子店Tを通りかかると、目の端にアップルパイの姿が止まった。Img_1256 ふつうならば、そんな女性のような目の状態ではないのだが(女性がそんな目をしているというのは全くの偏見なのだが、いつも菓子店のショウウインドウを見るたびに、男性の視線と女性の視線は違うことを意識していたのだ)、Img_1257 図書館で20冊あまりの本を読んだ後なので、ちょっと位置がずれていたのだろう。つられて、店へそのまま入ってしまった。さらに悪いことに、アップルパイのはずが、ショウウインドウの中央を占めている「まるごとピーチ」に目がいってしまった。Img_1283 でも、これは当たりだった。中はこのように甘さ控えめのカスタードが入っていて、桃の慎ましさとクリームの優しさが、今日の研修作業を慰めてくれたのだった。

Img_1219_2 今日の椅子は、O駅に設置されていた木製のベンチだ。この特色は、横の荷物置きが箱になっているところだ。通常、このようなアイディアは、肘当てから発達するものだが、明らかにこの荷物置きは、肘当てではない。それにしても、手間がかかっている荷物置きなのだ。たぶん、素材の間伐材をたっぷり使うというところに、このベンチの大きな意味があったのではないかと、ちょっと穿った考えがちらついた。Img_1221 けれども、こうして写真に撮ってみると、それは邪推にすぎないことがわかる。全体のバランスとして、坐るところと荷物をおくところがぴったり合っているのだった。

2015/08/16

田舎でのピザと酒

Img_1172 今年のピザには、フッレッシュ・トマトが乗って旨い。歩いて25分ほどのところにある石窯パンの店Pへ行く。Img_1179 表の看板が新しくなっていて、その下地辺りにミントなどのハーブが群生している。お盆の期間には、注文や来店が集中するのだそうだ。帰りの車で食べながら、東京圏へ帰っていく人びとが、朝早く来るのだそうだ。♫♫森の木陰で、ドンジャラホイ。

Img_1182 田舎にこもって仕事を行うのは、もちろん集中できる点にある。けれども、実際には複数の仕事を同時に行っているので、東京へ出て映画を観る誘惑がなくなったり、テレビがなかったりするだけが利点という気がしないでもない。Img_1166 で、世間から隔絶して過ごすことができるという点が良いのだ。それは、東京圏にいて、映画を観ないと決めれば良いのだし、さらに、家のテレビを点けなければ良いのであって、結局は心掛けの問題ではないかと、妻は言うのだが、それに反論する術もない。

Img_1148 だが、あえて言えば、発想の転換の問題があるのだ。心のあり方が、都市では機能的で、目的がはっきりする活動が主になるのに対して、田舎では、包括的でどのような目的で机に向かっているのかが定かではない。Img_1169 そして、この窓から入ってくるそよ風に恩恵が加わらないわけがない。この解放感が、あえて心の状態を転換させると思いたい。実際は、数日後・数ヶ月後の結果をみればわかることだと強気でいうより仕方ないのだが。

Img_1207 どのように発想が転換するのかといえば、たとえば、夕方近くになって、頭痛がして肩こりが最高潮に達するころに、近くの温泉ホテルを訪れる。Img_1195 きょうは、御盆の最後の日なので、5時を過ぎるころには、団体客や家族ずれがいっぱいになるので、その少し前に、お湯だけもらいに行く。

Img_1159 露天風呂に入っていると、小さな子供を連れた父親が入ってきた。どちらへ行ってきましたか、と尋ねると、黒部ダムを見てきましたと応えられた。子供は小学1年生になったばかりで、お父さんと久しぶりに遠出したらしい。学校で黒部のダム放水の話をするのだと意気込んでいた。

Img_1193 さて、自分自身の小学校1年生のころを考えてみるに、家族で遠出した記憶は、鮮やかで、とりわけこの温泉のある奥地の葛温泉にみんなで行った時のことは、詳細に大人になるまで覚えていた。途中、土砂災害で橋が崩れていて、バスが川の中を揺れながら進んだことも覚えているのだ。たぶん、小学校時代の家族の思い出というのは、親密圏での愛おしさを浸みつかせているのだと思われる。このころの大方の記憶は、マイナーな記憶へ追いやられてしまうものの、何かの拍子に、今日のように、人びとのなかの共通感覚の一つとして思い出されることがあるのだ。

Img_1185 この露天風呂で一緒にいた父親のかたも、社交的なかたで、今日の旅事情を話してくださった。それは他者にとってはどうでも良いことなのだが、もしかしたら、ここでそのことをしゃべることで、共通の話題が開けるかもしれないと思ったらしいのだ。


Img_1189 それは、なぜ今日黒部ダムへ行ったのかといえば、天気予報で明日は崩れそうだから、明日に予定していたダム参観を今日に前倒ししたのだ、ということだった。このところの山の天気が、すぐ崩れ土砂降りに見舞われることを的確に予想した、極めて合理的な判断で、この父親の職業は、消防士あるいは警察官ではないかと思わせるものを持っていた。

Img_1210_2 もうひとつ、今日の収穫は、ワインと日本酒の試飲をできたことだった。試飲という風俗習慣があることは、ワイン畑を歩き回った経験からよく知っていた。けれども、交通規制が厳しくなって、ドライバーにはアルコールが一切ダメになったころから、わざわざ歩いて試飲する人はもともと少ないから、試飲制度という伝統的な酒飲みの習慣が風前の灯火になりつつあった。試飲制度は、現代の車社会と真っ向から対立・矛盾する制度になってしまったからである。

Img_1211_2 それで、試飲制度は、団体客が大型バスで乗り付けて、言葉を交わすことなく、表面を撫でるような制度に堕してしまっていたのだ。タクシーで個別に乗り付けて、じっくりとオーナーと語るなどという、機会は無くなりかけていたと言える。これは、酒文化のマイナス要因であり、酒文化では品評を行いつつも、人びとのコミュニケーションを保つことが必要なのである。

Img_1145 今日経験したのは、ホテル出張の試飲・即売出店だ。ホテルのロビーの一角を借りて、ワイナリーからの出張のかたが、試飲させていた。これはたいへん素晴らしいアイディアであると思う。ホテルの客は、食事をすれば、あとは風呂に入って寝るだけで、車を運転する必要はない。また、時間もたっぷり余裕を持っている。そして、さらにその土地の特産品を求めているのだ。担当者ともコミュニケーションをとりながら、酒を楽しむことができる。そして、客同士の話もそこで可能になるかもしれないのだ。試飲制度が、新たな社交の制度を広げる可能性を持っていると思われる。

都市型の試飲会は、デパートなどで開かれている。けれども、その土地のワインは、やはりその土地のホテルなどで行われるべきだ。出張のワイン・日本酒試飲制度をもっといろいろなところで発達させてほしいと思った次第だ。最後に教えてもらったことがある。Img_1217 じつは、O市でもワイン用のぶどうが栽培されていて、このすぐ近くに生産地があるのだそうだ。それで、コミュニティバスで目を凝らしていたら、遠目に見えた。

2015/08/08

呑み歩き街道を行く

Img_1082 午前中、学習センターでの授業で学生から集めたレポートを宿舎でまとめる。面接授業の中では、それぞれのレポート内容を個々に発表してもらったが、それら全員の傾向をまとめ、何らかの形で伝えたいと考えている。

Photo すこし詳細な話になるのだが、授業ではいつもは、厚生労働省のデータを使って、「集団の中でどれくらいの人びとが経済目的で働いているのか」、という集団の問題として扱うことにしている。Photo_2 けれども、やはりデータとしては、個人が自分の中で、「どのくらいの比重で働く目的を設定しているのか」を知りたいと思うのだ。それで、今回は主観的であるという制約はあるものの、「自分にとって、働く目的はどのような比率で生じているのか」ということについて、年代ごとに答えてもらった。Photo_3 若い人の将来の労働目的については、予想という形で問うたのだった。その結果は、以下のとおりであった。労働の経済目的は若い時には高いが次第に低下する。技能目的も若い時には意欲的だが、次第に低下する。これらに対して、出世や社会貢献などの功績目的は次第に高まり、さらに、生きがい目的は老年層になって、うなぎ登り上昇することがわかった。Photo_4 これは、ほぼ集団の示す年代ごとの結果と同じであり、今回少人数のデータであるが、行ってみてすっきりしたのだった。

Img_1085 さて、3年前まで面接授業が終わる夜には、諏訪に住んでいた伯父さんといつも一緒に、鰻屋Fへ行っていたのだが、伯父さんが亡くなってからは寂しい状態が続いていた。今回は、午後には、横浜から来る娘と落ち合って、この鰻屋へ久しぶりに入ることにした。今日も日差しが強く、肌がじりじりと焼けてくる。鰻屋へ入るまえにちょっと散歩というわけでもないのだが、諏訪湖畔をゆったりと歩く。昨日までの夕暮れの湖畔とは、かなり趣が違っている。

Img_1086 土曜日であることと、夏休みの子供たちが多いことも相まって、鰻屋さんも満員で、わたしたちが入ったすぐあとからは、待つ人が出るほどだった。通常は、1階の大広間でいただくのだが、そんな事情で、今日は二階席となった。そして、奥の座敷へ上がろうとしたら、こちらへお願いしますと言われ、その奥の席には、2歳ぐらいの活発な女の子連れの家族が入った。Img_1088 しばらくすると、走り回る女の子が見え、なぜ奥の部屋へ入ったのかがわかった次第である。ゴチンとテーブルに身体をぶつける音がして、一瞬の沈黙のあと、猛烈な泣き声が聞こえてきたのだった。辛い日々かもしれないが、世間から見れば、夏の風物詩のひとつかもしれない。

Img_1099 お吸い物付きのうな重だ。お葉漬けが小皿についてくるだけの、信州のうな重だ。細かい山椒をちょっと振りかけて、さっそく口に入れる。外は、暑気がうなぎ上りなのだが、これを頬張れば、昨日までの体力の消耗を十分に補うことができる。じつはこのあと、近所で見つけたスイーツの店へ行こうと計画していたのだが、娘によれば、このあと甘い物よりも、すこし辛い物の方がぴったり合うのでないかということになり、急遽予定を変更して、諏訪の街を北東へ進んだ街道沿いにある、酒蔵を目指すことにする。Img_1094 300mくらいの間に、5つくらいの醸造所が並んでいて、それぞれ独特の試飲をさせてくれるのだ。これは、わたしの研究分野に関係ないことはないので、その点でもたいへん興味深いところなのだ。

Img_1098 訪れたのは、わたしの父が生まれたところから、すぐのところにある、M酒造だ。ここには洒落た販売所が設けられていて、たくさんの観光客を静かに、視覚的に呼び込んでいる。それで人びとの喉を刺激して、ひっきりなしに、人びとが訪れる。呑んべえにとっては、ひとつの聖地なのだ。Img_1136 のれんをくぐると受付があって、ここで試飲を申し込む。右側のホールで、説明を受けながらすこしずつ注がれた清酒をいただく。写真のような、厚いガラスでできた素敵なお猪口が用意されている。もちろん、試飲が終われば、このグラスは持ち帰ってよいことになっている。このグラスをもらうだけでも、十分に試飲代を上回る効用がある。

Img_1095 まずは、季節のものだということで、生酒が注がれる。M特有の芳香をもった甘さが際立って、口の中に広がる。なぜ試飲という習慣が定着したのかは、このちょっとした一口に隠されているのだ。一度体験したものは、Img_1097 それの印象が強ければ強いほど、もう一度体験したくなるのが常であり、試飲が試飲だけで終わらないということが、なぜこんなに安価で試飲ができるのかということの、秘密なのだ。

Img_1096 次に注がれたのは、原酒に近いところで出荷するという「あらばしり」だ。11月以降の寒い時期に、諏訪の伯父さんが送ってくださった味だ。濾過されない、いろいろの複雑な味を含んでいる。現在出回るのは、2月以降のものなのだそうだ。いつ頃仕込まれて、いつごろ出荷するのか、このサイクルが工場にはあるらしいことがわかった。その時その時の需要に合わせて、切れ目がないように、常時仕込みを行うようになったのが、近年の醸造の革新なのだそうだ。ここにおいて、大手の醸造会社と中小の醸造会社との生産体制の違いがでてくるところだ。

最後に出てきたのが、大吟醸と、そしてさらに、最近のさっぱりしたドライ系統の清酒だ。このメーカーは甘口で有名なのだが、やはり最近の需要動向は辛口系が求められるために、それらに力がはいるらしい。試飲をしている時にも、もっとも辛口はどれですか、という声が飛んできていて、衒学的にいうならば、このメーカーが甘口を得意とするメーカーであることを知らない人もいることがわかる。しかしながら、わたしはやはり、清酒は甘口が好きなのだ。燗をして、コタツで一杯というところが、清酒のよいところだと勝手に思っているのだ。それには、程よい甘口が合っていると思う。

この専用ショップには、ずらっと清酒のラインアップがされているだけでなく、ショップの左半分には、清酒に関係する酒器・陶器・オツマミ・醸造酢などなど多くの日用品を扱っているコーナーがあって、楽しい。その中で、この清酒Mの酒粕から作ったアイスクリームがあり、清酒のあとのスイーツとして最適だった。ベンチにゆっくりと腰掛け、清酒を見比べながら、食べた。

Img_1102 M酒造をでて、駅までの帰り道、4軒の酒屋さんが並んでいて、ここで一軒も入らないのは失礼に当たると娘も言うので、辛口「T」で有名なH酒造へ入る。チョークで書かれた外の看板には、新発売で「雨上がりの空と」という文字が書かれていて、なにやら新清酒があるらしい。店に入ると、ご主人と奥様の二人がいらっしゃって、ご主人が客の応対をなさっていた。おしゃべりの上手な方で、盛んに、5軒の業態が違うことを強調なさっていて、小さな酒造にはそれ特有の持ち味があって、その時々の多品種少量生産ができるメリットがあるのだと言っていた。清酒が当たるか当たらないかは「バクチ」だと称する。Img_1127 ここの季節の清酒「雨上がりの空と」は、フルーティで爽やかな清酒だった。当たりだとわたしは思う。梅雨のあと、これをちょっとひっかけて、街に出たいと思うような味だ。さらに、一本一本楽しいお話と一緒に、ついには、5種類の清酒を試飲することになってしまった。ゆったりしたところで、街道を下って、夢見心地のままで、あずさ号に乗って、上諏訪をあとにしたのだった。

2015/08/07

面接授業の二日目

Img_1019 長野学習センターの建っている敷地の門衛近くに「あおぞら」という、販売スペースができていて、週のうち何日かがクッキー、アイスクリーム、小物・雑貨などの福祉販売所になっている。看板が素敵で、諏訪湖に向かって、ずっと続く青空を連想させた。それでこの看板目指して、昼休みに、この暑さに対抗するする何かが欲しいと思って、覗いてみた。チョコレートのクッキーとバニラアイスが美味しそうだったので、早速買って帰って、学習センター所長のN先生と賞味することにする。

授業のほうは臨機応変に二つの形式を織り交ぜて行った。社会科学の授業では、通常は講義形式に偏ってしまいがちで、11時間に及ぶ授業では、時として、眠気を誘いがちである。それで、とりわけお昼すぎの2時頃には、かならず受講生のほうで自発的に話せるような時間を取る工夫を行っている。今回は、典型的な職業インタビューを用意して、その職業特性を読み取ってもらい、グループに分かれてもらって、話し合いを行ってもらった。

最後は恒例のとおり、日本人の働き方がこれからどのような方向へ向かうのかを挙手で聞いた。香川学習センターでは、終身雇用制と年功制についての将来像を聞いたので、こちらの学習センターでは、働き方を含めた経済体制のあり方を聞いたのだった。日本人がこれから進むと思われる方向性には、社会民主主義、新自由主義、保守主義、共同体主義などがあるのだが、日本はここ数年新自由主義路線を辿ってきて、現実的には福祉に費用がかかる社会民主主義と、費用を削減しなければならないとする新自由主義とに二股をかけているのが、日本の現実である。

それで、投票結果として、どのようなものになったのかといえば、全体で最後まで残った18名の中で、現状維持の日本型が7名、社会民主主義型がやはり8名、あとは、新自由主義は1名、保守主義は2名だった。この結果から推察するに、今回のクラスは福祉を充実させたいと考えている人びとの多い集団だったと言える。今だから言えることだが、もうすこし新自由主義や社会民主主義以外の働き方について、講義の中で議論を重ね、さらに明らかにしておくべきだったとすこし反省している。これは今後の課題として残しておきたい。

Img_1021 講義が終了したので、1年ぶりの祖母のお墓参りへ繰り出すことにする。陽が落ちて、周りが怒りから覚めて、静けさを取り戻すころ、旧街道をすこし登って、いつものように山門をくぐり、温泉のお湯で手を清めて、水をもらって、先祖の墓に祈る。母が他界したことを報告した。他に二つほど、場所ははっきりしないのだけれど、江戸時代から続く先祖の墓があり、先日従姉妹のMさんから、ずっと川に突き当たる左だ、と教えられていたところへ行ってみると、なるほど、亀甲二つ引きのT家紋章の墓石が並んでいる場所に当たった。中でも、一番古そうな墓に水を差す。

Img_1022 山門に戻ると、旅行案内を片手に「曽良の墓」を目指してきた観光客とすれ違った。この暑さの中では、陽が落ちてから、歩き回るに限るのだ。

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2015/08/06

長野学習センターでの授業

Img_1015 昨年来た時には、長野学習センターは上諏訪駅前にあった公共ビルに入っていたが、ビルの老朽化に伴い、2年半かかる新築工事に入った。それで、学習センターは諏訪市図書館などがある地区へ一時的に移って、ここに仮校舎が設置されている。炎天下でのプレハブ校舎が光っている。

Img_1016 センター所長のN先生と最近の放送大学事情について雑談をしているうちに、面接授業の時間になった。定期試験のすぐあとのウィークデイに、今回の面接授業は設定されているにもかかわらず、思ったより多くの受講生が集まっている。なかには、遠方の宮城や奈良や東京からの参加が目立っており、それから諏訪地区以外の長野県の各地域からの参加も多い。

Img_1017 なぜ奈良からの参加があったのか不思議だった。こんなに遠方で、しかも6月には、奈良でも同じテーマですでに講義を行ったばかりだ。受講生に事情を聞くと、最初に長野に申し込んでしまい、あとで奈良でも講義があることに気づき、変更を申し出たが、認められなかったらしい。この辺がちょっと大学というところの硬直的なところだと思う。横の連絡がすこぶる弱いのだ。それから、宮城からの参加者は、抱えている卒業研究のテーマにちょうど合ったということだった。授業が論文作成の参考になったことを祈りたい。

Img_1032 今回もテーマは、「なぜ働くのか」、あるいは、「職業キャリアとは何か」、ということだったので、さっそく社会人としてのこれまでの働いてきた経験を受講生全員に聞いた。会社員から公務員まで、自営業から団体職員まで、介護・看護からパン屋さんまで、様々の職種の方々が集まったので、今回も途中、関係する業種の方々に意見を交えていただきながら、講義を進めていった。これだけの業種の人々を集めようと思っても、ふつうの大学ではなかなか一堂に集めることはできないが、放送大学が社会人大学であるために、このようなことが苦もなくできてしまうのだ。

今回参加の方々の印象は、とりわけ女性の労働のあり方に多様な様子が窺えた。多くの方々が、若い時期に何らかの事情で、思っていた職業に就くことができずに、その時の事情に合った職業選択を行っていて、その後も人生との相関関係で、働き方がきまってきている方が多い。若いときに考えていたことと、実際の職業選択とのギャップが多くの方々にあり、それをいかに考え、克服できるかが、この授業を取った方々の共通点であるような気がした。「職業キャリア」という人生の発達経路を考えるテーマは、この点でキャリアを積んだ人にとっても、キャリアを積めなかった人についても、共通の認識をもたらすらしい。

昼食は、N先生から教えていただいた、Wという鉄板焼きの店へ行く。関西風の本格的な鉄板がジュウジュウと音を立てていて、そこで焼いた牛肉での「ステーキ丼」定食を食べる。一人で行ったので、カウンターで食べたが、奥の座敷もあって、落ち着いて食べることができる店だった。

午後の授業も、参加型の講義形式を織り込みながら、順調に行われた。午後5時には終了し、教室から外へ出ると、諏訪湖からの西日がまだまだ強烈に照っていて、顔を上げると日差しが目の奥へ差し込んできた。学生の方々はまだまだ元気いっぱいで、早速遠くからきた方々は女子会を組織して、湖畔の料理屋へ繰り出して行った。

Img_1033 昨年諏訪へきた時に、この駅前ビルの再開発で、いつも昼食へ行っていた喫茶店「I」が無くなってしまうのではないか、と心配していたが、まだ現在のところ、古い木の門がそのまま健在であり、電光式の看板も電気は消えていたが、昼間は営業しているようであり、持ちこたえていてほんとうに喜んでいる。陰ながら、さらに頑張って二年後にもそのままでいて欲しいと祈っている。

と、見る見るうちに空が掻き曇り、大粒の雨が落ちてきた。駅前の歩道橋の下へ入って、雨宿りをしていたら、駅方向から、山登りにきたと思われる親子連れ4人が走りこんできて、そしてまたすぐ走り出て行った。それを追うようにして、わたしも目的の食堂へ駆け込んだ。

Img_1036 わたしの夕飯は、久しぶりに駅前のIという郷土料理の店で摂った。定食もののバラエティが豊富なので、複数の人とも、あるいは一人で食べにきても、気の置けない、わさわさとした店で、居心地が良いのだ。昔から続いていて、すべての人びとを受け入れるという気楽さがある。Img_1037 何より、料理が旨い。まずは、H酒造Tのお燗で馬刺を口に入れた。そして、信州に来たら、トマトは欠かせないのだ。

Img_1038 ちょうど座った席の真ん前に、諏訪清陵高校の学生が昭和20年代に描いたという、洒落た色彩の油絵が掲げられていて、そこには上諏訪駅前から見た街道沿いに立ち並ぶ商店街が描かれていた。店の方に聞くと、諏訪市博物館発行の「私たちの諏訪物語」という、写真集を持ってきてくれて、この絵の背景となる写真をその中から示してくださった。Img_1039 この写真集に掲載されている写真の多くは、考古学者藤森栄一が撮ったもので、現在の寂しい諏訪の街とは異なる、わたしの子供時代見たような人通りの多い諏訪がそこにあった。

2015/08/05

とても社交的な方に、不思議な出会い方をした

Img_0938 明日から始まる長野学習センターでの面接授業に備えて、前日に信州松本へきている。盆地では、標高が高い分だけ、むしろ日差しがキツいと感じる。

Img_0936 物腰はとても柔らかで、大柄な体格にもかかわらず、決して威圧感はなく、むしろ包容感を漂わせていた。松本駅ロータリーの横断歩道手前で、娘と一緒に、信号を変わるのを、強い日差しを避けてビルの陰で待っていた。こちらの顔を覗き込み、もしかしたら知己であるかもしれないという、確かめるような顔をして、話しかけてきた方がいた。

Img_0951 「どちらから、いらっしゃいました」。そのころには、知り合いではないことを確かめたらしく、にこやかな別の顔になって、むしろ新しい出会いを楽しもうという顔になっていた。わたしたちは横浜から来ていて、小学校時代にこちらに住んでいたことを告げると、「どちらの小学校ですか」という。

Img_0944 G小学校の名を告げると、「わたしはF高校の英語教師でした」と、返答があった。そして、すでにわたしより20歳くらい年上であることを知る。わたしは、その若々しさにびっくりして、さらにF高校であるならば、50年ほど前の西穂登山の悲劇はご存知ですよね。わたしの小学校同級生が二人も亡くなりましたというと、「名前を言ってください」というので、TくんとOくんの名前を告げた。「わたしの教え子です。その時、11人が雷で打たれ亡くなりました」、と思いがけない詳細な答えが返ってきた。

Img_0987 「その年の生徒たちは、大学受験でもちょうどT大入試がなく、ほかの大学へ行き、なかには学者になった人も何人かいますので、とくに覚えています」とおっしゃる。47年前の記憶が一気に噴き出して、二人の間を埋めたのを感じた。Img_0967 横断歩道を渡り、バスの待合所の前までの間には、じつに数十年の凝縮された時間が詰まっていたのだった。「またいつか、このようにお会いすることがあるかもしれませんね」とそこでにこやかに別れたのだった。

Img_0980 何ということか、こんな不思議な出会いと言うものが、わたしの人生の中に用意されているとは、まったく予想できなかった。まったく匿名の、出会うはずのない人混みの中の、旅の途中での駅のロータリーの出会いである。時間も空間もこれまで共有することがまったくなかった二人が、ある時出会って、ひとつの悲劇を共通に経験したことをしゃべっている。亡くなった人たちがどこかで糸を引いたのであろうか、そんなことがいったい全体あり得るだろうか。

Img_0943 社交ということの不思議さがあるのだと感じた。知っている人たちが再会する、あるいは友人から新たに紹介されて知り合いになる、ということならば、日常経験していることだ。けれども、社交の範囲はもっともっと広いのだ、と教えられたのだった。と同時に、まったくオープンではなく、出会いの範囲が存在することも理解したのだった。それは、互いの友人の範囲内での出来事であることは間違いないことだったのだ。Img_0941

2015/08/04

母の法要

Img_0737 母の七七忌法要のため、O市へ来ている。海抜の高いここでも、日中は30度を超える。それでも、空気はからりとしている。すでに7月に千葉で母の葬儀は行っていたのだが、今回、遠方に住んでいるために納骨をここで行わなければならい。T寺のご住職には、いろいろとご配慮いただいた結果、この季節からすると、どうやら受戒・七七忌・新盆の三つを同時に行うことになるらしい。これも、この地方が旧盆で行うことになっているからだろう。

Img_0882 葬儀の家族葬に準じて、今回の法要についても、ほんとうに近親の方々だけに集まっていただき、お寺で営んだ次第だ。S町のN伯母さん、O市のT叔父さん、S市の従兄弟I兄さん、それに妹夫婦に、わたしの家族だけだ。しばらく待ったのち、古くから磨きこまれている廊下を経て、本堂へ移動した。宗派は曹洞宗なので、「修証儀」に従って、懺悔、受戒、引導などと続いた。すべてわかったわけではないが、理解しやすいところも多く、「習わぬ経を読む」の境地で興味深く、お経をなぞった。そして、主たる部分には、プリントが回ってきて、集まった人びとの唱和となった。

Img_0880 これらの中で、T寺のご住職の講話には、説得的で意味深いお話が多かったと思う。中でも、「ブナの木」の話はたいへん興味深いものだった。ブナの芽吹きは、下草の芽吹きに遅れて生ずるそうである。このため、ブナの木の下には、下草が育ち、葉が邪魔することなく、ブナの木は下草との間で十分に共生できるようになるのだという話だった。ここには自然の調和が働いているのだという仏教の教えが反映しているのだと思われる。先日のブログでも書いたように、生物学の先生に教わったことだが、鳥たちの多様性を保つためには、このような「林」にとって下草というものが大切であり、幾重にも渡る自然の調整がここに生ずるのだ。これによって、初めて多様な共生が起こり、全体の調和が保たれることになるのだ。

Img_0886 今回の法要では、ひとつ問題があった。それは、納骨のときに墓石をずらせて、室にある棚にお骨を収めるのだが、じつは「どのようにしてこの分厚い墓石をずらせるのか」、わたしの中には、まったくこの記憶がないのだ。数十年前に見た、薄暗い墓の地下室のほうは夢に出るほど鮮烈な記憶が今でもあるのだが、この「ずらす」ことの記憶がないのだ。それで、92歳になるT叔父さんにお聞きすると、基本的には、近親者で行うのが当たり前だそうだ。この辺が予想もできないローカル・ルール中のローカル・ルールなのだと思われた。ところが、昔作られたほんとうに分厚い花崗岩の石蓋なので、とてもわたしたちの手に負えるものではない。無理を言って、前もって石材屋さんに、棒を石の下に挟んでもらっておき、あとは自分たちで石を持ち上げることになったのだが、われながら不甲斐ないことに、実際に力を出したのは、その92歳のT叔父さんだったのだ。

姿を現したのは、写真でわかるような、穴倉状の、墓の地下の室であり、この中には、三層の棚があるのだ。ご覧に入れるわけにはいかないが、ご先祖様のお骨が現在でも並んでいる。骨壺に入ったもの、入らないもの、様々な形態で収められており、この中に入ると、冷んやりとして、あの世へ一歩足を踏み入れた感じだった。身体全部を穴倉に沈めたときには、わたしも死んだら、意識はもうないかもしれないが、この冷気のなかで暮らすことになるのだと思って觀念したのだった。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。