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2015年7月に作成された投稿

2015/07/18

今年度の幕張ゼミ合宿

https://youtu.be/orDxrvAIqlk

毎年恒例の大学院ゼミ合宿だ。今日も明日も、気温は35度を超える予想が出ている。そこで、風を感じる動画をひとつ、いかがか。幕張の放送大学への通勤路には、さまざまな経路があって、この動画でご覧にいれるのは、高校生たちが多く通り、さらにランニングや散歩の人びとを多く見かける、Img_0848_3 駅への道とはちょっと異なる通勤経路だ。ここを朝、ささっと歩くと、1日の準備が整ってくるのを感じる。活動と活動をつないでいて、ここで感じる余裕が次の活動への発想を生むのだ。

Img_0845 セミナーハウスで、合宿の議論が始まった。本年のテーマもきわめてバラエティに富んでいて、聴いていて楽しいと同時に、漫然と聞いていると議論についていくのが難しい。それほど、予断を許さないテーマが並ぶ。ざっと挙げていくと、次のとおりきわめて経験的な問題が多いのである。

地域の物価問題、被災都市の地域経済問題、

企業の危機管理問題、途上国の経済特区問題、

社会的企業問題、合併企業の融合問題、

日本製造業の発展問題、製造業の産業集積・立地問題、

成年後見人の役割問題、プロスポーツのセカンドキャリア問題、

安全保障政策問題、自衛隊の人間関係問題、

子供の貧困問題などなど。

Img_0214 ちょっと無機的な書き方になってしまったので、面白さが伝わらないかもしれないが、十分に満腹感のあるテーマ群だった。わたしたちは、すでに、M1については3ヶ月、M2についても15ヶ月以上の議論を積み重ねてきているから、ほぼ対応できるのではあるが、それでもこれらのテーマについては常に新たな議論が湧いてくるので、気を抜くことは決してできない。

Img_0842 合宿当初は、27名の発表者が予定されていたのだが、さすがにこの暑さで体調を崩したり、仕事の忙しさが重なったりして、3名が欠席だった。そして、飛び入りでD1のFさん1名の追加発表があり、発表コマは25を数えたのだった。

Img_0843 昼食は、新しく建て替えられたステーキ屋さんへ行く。昨年度退任なさったT先生と良く通ったところなのだ。今回京都から駆けつけてきてくださったT先生を誘って、学生の方々と一緒に、二階の予約席でゆったりと注文する。もちろん、ステーキと共に、野菜食べ放題、ワッフル付きだ。残念ながら、食べるのに一生懸命で、写真を撮る余裕がなかったくらいだ。北海道から参加しているAさんや、いつもはWeb会議で参加するKさん、そして、TゼミのTさんも、食べ物を追求する欲望には余念がなく、さらにゼミ発表でも、貪欲で野心的な発表を行ってくれた。

Img_0850 1日目は、ほぼ半分を消化して、夜の懇親会へとなだれ込んだ。毎年こちらも恒例となっている、中華料理Hのパーティ・メニューだ。Img_0854 先日、吉祥寺でかなりの量の日本酒を飲んでいたにもめげず、今日は紹興酒と共に、旨い料理をいただいた。昼がステーキだったので、お腹が空いていなかったにもかかわらず、中華料理は中華料理で、身体に十分な栄養補給をもたらしてくれた。

Img_0858 二日目目も重量級のテーマが並んだ。じつはわたしが、会場が変わることをすっかり忘れてしまっていて、会場へ朝着くと、千葉学習センターの囲碁倶楽部の面々が、「違うじゃないか」という怒り顔をしていらっしゃった。慌てて、わたしの不備を詫びて、直ちに会場を研究棟へ移す。Img_0859 その間約20分、さすがにゼミみんなの助けを得ると、協力が強力になるのだ。516号室という、いつもは「社会と産業」コースの先生方がコース会議に使われる部屋を、拡大ゼミ室に作り変えて、今日の議論を早速始める。テーマは以下の通りだった。

誠実の経済思想問題、中国の正統性獲得問題、

公的年金制度改革問題、日本経済のデフレ問題、

地域金融の地域性問題、農村コミュニティの政策問題、

アベノミックス問題、コミュニティバス問題、

公共交通問題、チリの経済発展問題、

消費者行政問題などなど。

Img_0867 今回もこれだけの多様なテーマについて話し会うことができたのは、T先生、N先生、A先生、S先生などの専門が異なる諸先生がたの参加があったからであるし、さらに、Hさん、Yさん、Tさん、AさんたちのOBの参加があったからだ。いつもながら、参加者に代わって、感謝申し上げる次第だ。わたしに関していえば、体力の問題が今回はあって、最後まで持つかどうか心配であったが、何とか最後まで耐久できたのは、ほんとうに幸いなことであった。Img_0868 最後の挨拶で申し上げたことだが、論文を書く方がたは、発言してくれた方の顔を思い出しながら、そのときの議論を思い出し、自分の論文に反映して欲しいと思う。論文のアイディアというものについては、どこから得られるのかは予想できないものだから。

Img_0709 今日の椅子は、日々進化を続けている、JR東日本のホームベンチだ。隣の駅では、この進化を遂げる前のベンチが設置されていたから、それがよくわかる。どこが進化しているのかといえば、座るプラスチックの座面横の金属の荷物置き場に付いている、傘立てだ。意外に小さなアイディアなのだが、シンプルで洒落ている。それから、よく見ないと見落としがちなのが、看板の横についている金属の取っ手だ。Img_0708 ベンチから立ち上がる時の支えになる。まだまだ、ちょっと使いにくいな、という感じは否めないが、まずはこのことに気づくということが大切で、デザインはその後に続いて起こってくるのである。

2015/07/08

ルーシー・リー展が来ている

Img_0704 ルーシー・リー展が千葉美術館に来ている。何年か前にも、ルーシー・リーの展覧会はあったのだが、今回そのときと印象が違っていた。それは、代表作連発時代の色鮮やかに反転するスパイラルな陶磁器が、今回はそのときよりも少なくてちょっと物足りないと感じたからだ。

Img_0700 けれども、今回の展覧会は、それを補ってあまりあるほどの、以前の展覧会とは異なる作品群が来ている。それらは、初期の作品だ。彼女が学校を出て、その後のオーストリア時代の初期作品が来ている。1920年代の赤釉鉢などには、その後の痕跡がわずかに残っていて、面白いのだ。

以前から、不思議に思っていたことがある。ちゃんと調べれば、おそらく評論家の間では、解っていることだと思われるが、このような作品の場合には、他者に聞いてしまうよりは、自分で推理して楽しむことを行っても良いだろうと考え、あえて調べないことにした。

それはルーシー・リーを観れば誰もが感ずることであって、なぜこんなにも器が薄いのかということだ。みんなの感想をざっとウェブサイトを覗いてみても、「緊張感ある薄さ」「透けるほどの薄さ」「女性らしい薄さ」「極限を追求した薄さ」「実用的でない観賞用の薄さ」など独特の薄さを報告していて、この器の薄さが彼女の特色であることは誰もが認めるところだ。

問題は、なぜルーシー・リーの器は薄いのか、という点であって、これがたいへん興味深いと思うのだ。それで今回ひとつの疑問が解けた次第なので、「補ってもあまりある」と上で書いたのだ。つまり、彼女の器は、初期の英国へ渡る前から、一貫して「薄い」のだ。もちろん、デザインはかなり違っていた、英国で見せるようになる構成的な手法は見られないから、シンプルな薄さなのだ。

Img_0870 この薄さのひとつの理由は、技術的な問題かもしれない、と最初は思うかもしれない。たとえば、分かりやすくいえば、陶器で製造すればやや厚くなるし、磁器で作れば強く薄い加工が可能だ。それで類推されるのは、英国に渡って、温度を高くすることのできる磁器用の窯を手に入れたから、「薄さ」を追求できた、ということも考えられる。ところが、今回の初期作品をみると、ウィーン時代の陶器用窯でもこの特徴ある「薄さ」をすでに行っていたことがわかるのだ。また、英国に渡ってからも、磁器だけではなく、陶器でも薄さは追求していることがわかる。したがって、技術的な理由は、ほぼ否定されることになる。

Img_0699 もうひとつの「薄さ」の理由は、デザインの問題だと思われる。最初から、薄さをデザインの基本とした、ということが成り立つのだろうか。当時のウィーンでのデザイン事情との関係で「薄さ」を選んだ可能性は否定できない。初期からの趨勢をみれば、それは事実として存在するのだ。デザイン選択の何らかの理由があって、初期から晩年に至るまで、ずっとこの「薄さ」を採用する理由があったに違いないのだ。そのことは、時代をめぐるいくつかの「薄さ」をめぐる確執に現れている。たとえば、これは推測に過ぎないが、当時英国の陶器作家の第一人者であった、バーナード・リーチが英国に渡ったルーシー・リーの作品を当初は批判した、という事情はいかがだろうか。民藝運動や英国の伝統的な陶器制作の系譜から見れば、明らかに、薄すぎて実用的でないという評価が出てしまうのは想像できるところだ。けれども、ここで強調しておきたいのは、これらの中核からの批判にもめげず、この「薄さ」を続けたところに注目点があって、なぜこれほど「薄さ」のデザインに執着したのかが、かえって興味を引く点なのである。

Img_0702 後期になれば、「薄さ」にこだわった理由は、いくつか上げることができる。ひとつは、デフォルメだ。ろくろで形を整えたのちに、それを様々な方法でスパイラルに広げ曲げていく。このときに、この「薄さ」のために、デフォルメしやすいという利点がある。最後に、ぐにゃと形を崩すときに、全体のバランスが「薄さ」を要求しているのだ。英国に渡って、構成的な方法を獲得して、二つの部分に分けて制作が行われることも、「薄さ」に関係しているに違いない。Img_0218 けれども、初期からなぜこの「薄さ」なのか、もうすこし頭のなかで楽しんでも良いと思っている。

2015/07/07

素材としての木材

Img_0749 母の葬儀について相談があって、O市に来ている。母方の親戚の方々と話をする機会を久しぶりで得ている。母方の祖父Mは、田舎から出てきて、このO市で木材業を営むことになる。木材業では、木材そのものを売ることになるが、これに対して、木材の購入は「山」全体を購入することになる。それで、「山師」ということになるのだ。

Img_0779 そこで、これら全体をみるために、山の売り買いをマネジメントする能力が要求されたのだ。良い素材の木を見極め、伐採し、運搬を指示して、街の製材所で商品にするまでの一貫した工程を管理する。家が潰れる前までは、わたしも幼稚園時代から小学校時代にかけて、祖父や父に連れられて、木曽のヒノキの山や、北アルプスの石灰岩の多い山などを見に行くのに同行することも何回かあった。

Img_0760 T家のM叔父さんは、はじめ祖父を手伝っていたが、その後独立して、長らく製材所を経営してきた。現在、90歳を超える方だ。今回、木製の椅子について考えている、ということを言ったら、「素材としての木材」の様々なエピソードを話してくださった。もちろん、製材にもそれぞれ専門があって、M叔父さんの場合には、建築用材だ。

Img_0772 椅子の色ということに話が及んで、椅子の素材を製材したことはないがと前置きしつつも、木材の色を出すには、やはり広葉樹の心材が良いということで、山桜や栃の木などを挙げていた。椅子の製材で難しいのは、木の「癖」だそうで、通常でも、6、7年は木材を寝かせて、癖を見てから、制作に取り掛かる。ここをパスすると、坐っていて、ガタガタと足の長さが合わなくなったり、座面に割れ目が入ったりするらしい。それで、この6、7年間の木材を寝かせる費用が相当にかかるのだそうだ。

Img_0767 他方、それでは建築材で、色を意識するのはどのような時なのか、と質問をした。叔父さんはしばらく考えて、床の間に使う木材「えんじゅ」や「あららぎ」を教えてくださった。M叔父さんの家に使われている「あららぎ」を実際に見せてくださった。Img_0770_2 写真にあるのは、仏間の長押に使われていたものと、応接間の床柱だ。この白と赤の配合がうまく出るように製材するのが、腕の見せ所なのだ。Img_0771 赤が心材(赤身)で、白が辺材(白太)で、ふつうは、この辺材を切り捨て、心材だけを建築には用いるが、このように床材の色を楽しむ場合には、辺材との対比を重視するのだそうだ。

Img_0790 帰りに、松本で途中下車した。火曜日はじつは市内の商店の多くがお休みの日でいつも寄る喫茶店が軒並み駄目だった。それで、松本市にあらたに最近開店した地方出身の店をいくつか回った。奈良のN店や京都のTなどの陶器屋や雑貨店などが、女鳥羽川沿いに洒落た店を出している。これらの店は、中町通りにある昔からの民芸店を意識して出店されていることはたしかである。

Img_0796 昼食は、その中にある「タイ料理」の店で、グリーンカレーをいただく。その後、以前松本を訪れた時に、時間がなくなって駅まで走ることになってしまった、Img_0828 その店、コンフィチュールの店Mで、あんずとイチゴのジャムを今回はゆったりと購入する。

Img_0805 今日の椅子は、松本の中町通りにある公園のベンチだ。藤棚の下に設置されていて、街歩きに疲れたときに、ちょっと休むには丁度良い。

Img_0806 よく見ると、長年の使用で、木の「癖」が典型的に現れているのをみることができた。節から傷みが走って、板の部分に割れ目が見える。ここまで使われれば本望と考えるのか、Img_0808 それとも、職人風に言って、木の「癖」をきちんと読めば、もっと耐えられたのに、というのか、評価が分かれるところだ。

2015/07/06

精神安定剤としてのコーヒーの効用

Img_0776信州のO市へ来ている。昼食は駅近くにある蕎麦屋Kで、てんぷらおろし蕎麦だ。まだ、客がまばらで、常連の客がひとり啜っていただけだ。Img_0723 特急あずさ号で都市の喧騒を離れて、蕎麦湯でゆったりと今日の計画を練る。

Img_0724

今日は3杯のコーヒーを、同じ一つの焙煎珈琲の喫茶店Uで、時間を違えて、それぞれ味わった。Img_0733_2 飲んだ銘柄は、「エルサルバドル パカマラ」、「ハイチ マールブランシュ」、「ドミニカ アロヨボニート」という、いずれも浅煎りで酸味の強い豆だ。このUでは、南千住の著名な喫茶店CBと同様に、カウンター奥の棚に深煎りから浅煎りに向かって、瓶が10以上並んでいて、味の多様性を確保している。わたしの頼んだのは、棚の右側に並んでいるものだ。

Img_0731 最初の「エルサルバドル」を飲んで向かったのは、一つ目のお寺だ。このお寺には、わたしの祖父がこの街へ移ってきてから、ずっとお世話になってきた歴史がある。このお寺の戦前の写真をみているとわかるのだが、お寺の格式と徳の高さ、そしてそれに付随したその規模の大きさとは、この街に対してたいへん影響力が大きなものだった。戦後、総本山が大火事に見舞われ、その立派だった本堂は焼け落ちてしまっていた。ご住職が現在の若い代に変わったときに、母は千葉に居たので、連絡が悪く関係が薄くなっていた。今回、母が他界した機会に、話し合いを行った次第だ。コーヒーで気分を落ち着けてきた効用が、十分に働いたのだった。

Img_0732 「ハイチ」と「ドミニカ」を飲んで伺ったのは、もう一つのお寺だ。実質的に、現在のお墓がこのお寺の境内に建っていて、毎年墓参りに出かけるお寺だ。四十九日の法要と納骨の相談を受けていただくために、出かけてきたのだ。祖父や父の法要では、ここの本堂をお借りして、大勢の人びとが集まり、親戚の結束をはかり、多くのお坊さんが経を読んで、参加しているものにとっても、見るからに壮大な葬儀が行われたものだった。

Img_0736 今回は、母の家族葬に引き続くものであって、やはりこちらに居住している親戚だけの小規模な納骨をお願いしたのだった。以前のことを重視する地域の慣習から、かなり逸脱することなので、直接お会いして、いろいろの話し合いを行っておきたかったのだ。幸いなことに、一つ目のお寺でも、二つ目のお寺でも、十分に話を聞いてくださり、この地へ来た甲斐があった。

Img_0739 さて、コーヒーについてだが、じつはこの珈琲屋Uには、この街ではかなり大きなお寺のご住職もたびたびいらっしゃるとのことだ。かなりコーヒー好きらしく、この店の豆を大量に買い付けていくそうだ。いらっしゃると、店の豆がなくなるほどだ、という表現をしていたのが、印象に残っている。

ということは、コーヒーというものの、人を落ち着かせる効用には絶大なるものがあると、わたしのような世俗の者だけでなく、お寺のような聖なる人びとも考えていることがわかるのだ。わたしがコーヒーで精神統一してから、お寺へ向かうということも、理由ないことではないと言えるかもしれない。

2015/07/04

映画「ターナー」を観る

Img_0692 中央区にある千葉劇場に、英国19世紀の画家ターナーを描いた伝記映画が来ている。マイク・リー監督作品だ。ポイントは、謎めいた人生を縦につないでいる「旅」だ。けれども、あまりに旅先や旅から帰っての家やアカデミーでの奇異なエピソードが多いので、これがほんとうの事なのかと疑ってしまいそうである。

たとえば、船の帆柱に身体を縛りつけて、船のしけ状態を体験するなどだ。また、この映画が女性から評判が悪いのは、たとえばターナーの行儀が悪いせいだ。人前で早業の絵を描くときに、唾を画面に吐きつけて、それを筆で伸ばして、描いていくのだ。絵画のロマン性がたちどころに消えてしまう場面だ。

「旅」から帰ってくる場面から映画は始まる。ここで持って歩く道具が、素敵だ。生成りの旅行用画材セットが常に旅の友となる。研究者がフィールドワークを行うのと同じような感覚で、旅に出ていたのかもしれない。画家というよりも、博物学者という面をもっていたのかもしれない。

ターナーが英国に生きた時代には、すでに蒸気船や蒸気機関車、さらに写真機が出てくる時代だ。もし写実的な絵画を描きたいと思ったとしても、機械に先を越されていた。ターナーは、ここで英国で並び立つ同時代画家のコンスタブルを上回る、絵画的真実を提示する必要に迫られていた。そこで、風景を描くのだが、具体的な事物を超えた光の情景を描く画法を追求することになる。それは、のちの印象派が完成させることになるのだが、しかし、写真という具象に優れた機械時代の画法というものを意識していたことは確かである。なぜ絵画を描くのか、という問いがターナーには見られる。

光の風景のなかに、特別な靄がかかっているように、周りとの境が不分明な主題が描かれている。ときには歴史的な事件であったり、田園に浮かぶ城郭であったりする。たとえば、光のなかから、ぐぐっと現れる蒸気機関車は印象的だ。この絵画はわたしの大先輩たちがかつて翻訳した旧版のK・ポラニー『大転換』に出てくるので、その表紙に使われたこともあった。

「旅」がポイントになっていると思われるのは、ターナーという個人が根無し草的であったからだ。家にあっては、妻から疎遠になっていたから、父の家での父や召使いとの関係が重要になるし、学生時代に住んでいた街を、名をなしてから旅して、泊まった宿の女主人と出来てしまうのも、そこで自由を感じることができたからだ。つまり、背景や周囲、さらには環境というものとの関連を曖昧で、靄がかかったように描いており、そのなかでトピックとなるものだけを取り上げて、俎上に載せたのだった。この点で、ターナーの人生と絵画とは、奇妙な一致を見せている。多くは謎のままで、ところどころ、鮮明なターナーが活きているのだ。

Img_0696 今日の椅子は、千葉劇場の観客用の椅子だ。他のところと変わらないのだが、やはり通い詰めると愛着が沸くのが、この映画館の椅子だ。右を見ても、左を見ても、観客がいないのは空いているからのこともあるが、わたしが劇場の前のほうに座るからで、両側に客がいないばかりか、こんなに前の列で映画を見る人もいないということだ。それでゆったりとして、周りを気にすることなく、映画を鑑賞できる。

Img_0694 特別なのは、コーヒーだ。千葉劇場では、出来合いのコーヒー自動販売機でこのカップコーヒーが売られているわけでなく、ポットにちゃんと淹れてから提供されていて、コーヒーの新鮮度が違うのだ。それで、ここで映画を見るときには、ほぼ必ず、この美味しく淹れてある劇場コーヒーを飲むことにしている。

2015/07/02

映画「海街diary」と母の葬儀について

Photo 映画「海街diary」を観る。鎌倉に住む三姉妹に、15年前に家族を捨てて出て行った「父の葬儀」の知らせがもたらされる。そこで腹違いの妹「すず」と三人は出会う。そして、長女が鎌倉で暮らさないかと、すずを誘うのだ。ふつうの家族では、夫婦がいて、そこから娘たちが他の家族の元へ嫁いで出て行くのに、今回の物語では、それが逆になっていることが見所だ。娘4人の家族という虚構が成立するか否か、という映画である。

わたしの母が6月下旬に亡くなって、今日葬儀を営んだ。家族がひとり抜けることの重大さに、改めて思っていた。それに比べれば、この映画が描くように、もうひとりの家族が加わるということがうまくいくならば、そこにたとえ父や母がいなくても、比類ない楽しさがつけ加わるであろう。

Img_0209 「家族葬」という形式があって、わたしの母の葬儀もそれで行わせてもらった。花だけは式場に溢れるほど贈られてあったが、ほかは極めてシンプルで、葬儀場では、この日一つしか葬儀がなかったこともあって、静かでしめやかな、喪主のわたし自身が言うのも変だが、たいへん良い会だったと思う。いとこのM兄さんとMさん、そして妹夫婦と、わたしの家族だけだった。葬儀社や納棺師(おくりびと)、霊柩車や斎場の人びとをすべて足すと、そちらの人数のほうが圧倒した。

母の子供時代から、青春時代、そして結婚して、子育てを行い、さらに仕事に連なる時代があって、みんなで回想した。このように少人数で偲べば偲ぶほど、故人の社交性の様子が思い出されてくるのだった。

この映画に返って考えると、一番印象に残っているのは、「母と長女」との関係なのだ。「大竹しのぶ」が演じる母と、「綾瀬はるか」が演じる長女という点でも興味津々なのだが、何やらそれだけで終わらない、普遍性の匂いがするのだ。

ふつう、母が家を守り、家から娘が出ることで、家族が保たれる。つまり、一つの家族が二つの家族を生み出す。けれども、この映画ではちょうど逆に、娘が家を守り、母が家を出て、四姉妹の家と母の家が保たれるのだ。これは、特殊な例かもしれないが、必ずしも特殊だと断定できない点があるのだ。それは、「母と娘」と特定して考えなければ良いのだ。家族というものは、普遍的に、「誰かを家族から外へ出すことで、家族を保っている」という構造主義的な法則性がここでも貫徹している、と考えれば良いのではないか。

Img_0662 ということは、やはり家には、送り出す人が必須であり、最後は家に一人は残らなければならないということだろう。映画では、看護師を勤める長女は長い付き合いの医師と別れて、家に残る決心をするのだ。翻って、わたしの母は、父が逝き、わたしが去り、妹が嫁いで、その後はずっと一人暮らしだった。最後の頃に、ひとりで寂しかったと、ちらっと病床で言ったのを、妹は聞き逃さなかった。けれども、それは普遍性のあることで、母はそれを十分にわかっていたと思う。最後まで送り出す役をずっと演じてきて、今回だけ送り出される側に回ったのだ。

千葉での葬儀が終わって、横浜へ帰った妻から、体調悪く葬儀に参列できなかった「諏訪の伯母様」から手紙が届いていたことを知らされた。その中に、母への詩が詠まれていた。

浄土では 時々 母のふところに

  抱かれて寝るよ 子守歌 聴き

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。