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2015/06/25

母から離れること

母から初めて離れたのは、

木曽谷にある幼稚園から帰ったときだ。

本通りから細道を入った民家を借りていた。

ただいまと言ったのに返事がなく、

わっと物陰から、現れた。

母とはいったい誰なのだろう。

異なる者として、このとき認めたが、

母はいつもわたしを同一のものと思っていた。

母から離れる予兆は前にあった。

鮮烈な記憶が残っている。

池袋近くの草茫々のアパートに住んでいた。

友人がわたしを母から連れ出し、

街の中でほっぽりだした。

母から離れる練習を

始めたのだった。

二番目に離れたのは、些細な家出のときだ。

神社に通ずる松本の家は、平屋のゆったりした建物だった。

意識的に悪びれ、すぐ帰ってくるつもりだった。

夜遅く、これから何度も起こる事を反芻した。

教育的な母は探しに出て、留守だった。

三番目に離れたときは、いよいよ世の中へ出て行くと思っていた。

大学受験に落ちて、浪人に甘んじた。

船橋の団地は狭く窒息しそうだった。

働く母を見ていて、日常にいたたまれず、

家を出た。

四番目に離れたときは、大学院進学を巡って

母と意見を違えた。

検見川の家から、渋谷の道元坂を登り切った

古い教会の寮へ移った。

わたしは、母の現実から離れた。

五番目に母から離れたのは、結婚したときだ。

千葉から東京の西の果てまで、遠く離れ住んだ。

他の女性と暮らすので、精神的にも肉体的にも、

離れたと思った。

結婚する頃に、三鷹の玉川上水に面した

一軒家に住んでいた。大家が精神分析家で、

ロールシャハテストを行っていた。

母の影が先天的に、無意識に大きく現れる。

内部から外部へのぐっと来るあの圧力は、

母だったのを知った。

母から離れてきたのは、心底逃れられない宿命を

感じていたからだ。

白衣の人が寄ってきて言うのだ。

逃げるのは、ちょっと食事で目を離したとき

旨いものを口元へ持って行こうとしたとき

歩こうとして、足が効かなくなったとき

ベッドから出て、家に帰ろうとするとき

それも、終わりになった。

もうすこし厄介になってもいいかと言っていたばかりだ。

そんな母から離れていたのは、いつもわたしのほうだった。

夜明けに目をさますと、

目を開いていて、こちらへ顔を向けた。

計測器は脈拍、血圧、酸素量、呼吸数を示していた。

酸素量が90、80、70に下がり、

脈拍が110、90、50、30に低下した。

すべての数値がゼロを示した。

アラームの音だけが病室中に響いた。

母のほうから離れたいという経験は初めてで、

ほんとうのところ、わたしは戸惑っている。

離れたいという核心がなくなることを恐れている。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。