« コーヒーの味覚が戻ってこないのだ | トップページ | 母から離れること »

2015/06/08

日本では珍しい、丸い建物があった

608 今日は、午前中仕事を済ませて、高松市内で見たポスターに誘われて、市内屋島にある四国村で開催されている「中原淳一」展を訪れた。608_2 松本に住んでいた時に、母が雑誌「それいゆ」をよく読んでいて、わたしも小学生ながら興味深く手に取っていた。それで、このモダンガールたちの肖像に懐かしさを感じたのだ。

608_5 安藤忠雄設計となる「四国村ギャラリー」は建物と、庭園を見るだけでも、十分満足のいく、楽しめる建物だった。静かな門をくぐり、コンクリート打ちぱなしの通路を壁に従って、細長くめぐる。この中で展示物がストイックに配列されている。608_4 ところが、その細い通路を抜けて、ひとたび庭園に出ると、斜面を利用した水路群と、階段の配置されたバラ園が広がって、遠景には高松市内が一望できる。光を制限した前半と、後半の光溢れる対比が素晴らしかった。608_6 とりわけ、バラの中でも、大輪のものが多い中で、ビロウドのような黄色い花弁を持つバラの種類が、綺麗だった。

608_7 このギャラリーは奥まったところに存在していて、表には、斜面を利用して、四国各地の古民家などが移築されている。有名な祖谷のかずら橋、小豆島の歌舞伎舞台、燈台や燈台の退息所などの並ぶ中で、河野家、下木家、中石家などの観ていて惚れ惚れするような古民家が保存されている。

608_8 とりわけ注目できるのは、産業遺産や公共遺産、コミュニティ遺産の数々だ。たとえば、添水唐臼小屋は画期的だ。水車を作るには費用がかかるので、生産効率は落ちるが、やはり水の力を利用した唐臼が、村の共同で運営され、608_9 それが残っていたのだ。以前九州の有田で、陶土の製造にも、この唐臼が利用されているのを見たことがあった。民具の中でも、村の共有物という位置付けのものとして、記憶すべきものだと思われる。

608_10 また、三崎の義倉は奈良時代にあった制度だが、飢饉のときのために公共的に食物を蓄えておいた倉で、彼の地で江戸時代に復活されたらしい608_11 。さらに、醤油倉も移築されていて、醤油の香りが漂っているかのようだった。醤油瓶も見事に集められ、壁に利用されていた。

608_12 なぜ日本の家屋には、丸い建物がないのか、曲線の建物がないのか、ずっと疑問を感じていた。おおよそは、素材の違いであって、木造では曲木にする手間がかかるために、石の建造物よりも、曲線の建物を作りにくいのだと思い込んでいた。ところが、この考えをまったく否定する建物が現れた。

608_13 写真の砂糖締め小屋だ。この均整の取れた大きさといい、撫でてみたくなる壁の曲面は日本的でないようで、極めて日本的なのだ。なぜ丸い家屋になったのか、それは説明を聞くまでもなかった。608_14 さとうきびを絞る時に牛が回るのに、円形の空間を必要としていたからだ。けれども、牛を丸く回せば良いのであって、なぜ建物も丸くしなければならなかったのか。疑問は尽きないのだが、みていて惚れ惚れとする建物なのだ。

608_15 もちろん、他の民家が見劣りしたわけではない。河野家住宅の土間と居間の空間は、家の中でも二つの節合を表している。一つは「土間の釜」と、「居間の囲炉裏」などの家の中の火をめぐる対称性があり、もう一つは、608_16 「土間の作業空間」と「居間の休息空間」などの活動をめぐる対称性を浮き彫りにしていて、それらを木製の大きな梁が分断している。黒光りする板や、埃まみれの道具類が年月を感じさせるのだ。

608_17 また、粗谷の納屋・母屋・隠居所の並んだバランスは、家族模様を反映していて、微笑ましかった。隠居所には、土間はない。つまりは、土間は働く場所の象徴であり、現場なのだ。608_18 帰りに、この博物館の外にある、釜揚げうどんで有名なW店で、出汁の味が独特なうどんを食べた。次から次へと客が来て、この写真に写っている陶器の瓶から、暖かいだし汁を注いで、つるつると食べたのだ。

608_19 さらに、この駅が産業遺産に登録されていて、洒落た塗装が印象に残った。歩いて、喉が渇いたので、近くで見つけた、たいへん盛っている街の喫茶店Rで、コーヒーとケーキのセットで一服。608reis 帰りに、レジのすぐ横に、子どもがいるので、ひょいっとみると、なんと人形だった。608_20 女主人が、きっと休んでいるんでしょう、ということだった。街に馴染むには、このようなちょっとしたセンスがないと面白くない。

608_21

今日の椅子は、こと電の屋島駅にあった、誰もが座ったことがある、駅のベンチだ。多くの人びとを分け隔てなく、608_22 乗せてくれた普遍的なベンチだ。傷は無数に受けているが、それが勲章みたいなものである。

608_23

もう一つの今日の椅子は、小豆島の農村歌舞伎舞台を中心に作られた観客のためのベンチだ。こちらのベンチも見事に、舞台への奉仕という役割を与えられて忠実にそれに答えている。この夥しい椅子群がその忠実的な中心性を表している。608

« コーヒーの味覚が戻ってこないのだ | トップページ | 母から離れること »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/173786/61762352

この記事へのトラックバック一覧です: 日本では珍しい、丸い建物があった:

« コーヒーの味覚が戻ってこないのだ | トップページ | 母から離れること »

『貨幣・勤労・代理人』(経済文明論)

  • “「貨幣・勤労・代理人」"

社会経営研究配布中

  • 2015study

社会経営ジャーナル配布中

  • 2015journal

開いている講義    「社会的協力論」

  • cooperation

「音を追究する」第13回・第14回

  • art

「多様なキャリアを考える」第2回・第3回・第4回

  • cooperation

「グローバル化と私たちの社会」第11回

  • cooperation
2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ

Recommend

プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。