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2015/05/07

ピカソの「坐る女」

Photo ピカソのなかで、「坐る」ということがどのように描かれているのか、この点だけに絞って、東京駅のステーションギャラリーで開かれている「ピカソと20世紀絵画展」を見てきた。

坐るというのは、機能的にいえば、人間の「休息」なのだが、西洋では休息できるということは、「見せびらかし」の法則に則れば、権力や権威の象徴であるということで、椅子に坐るということの隠喩は、この点で明白であり続けた。ところが、近代に近づくにしたがって、椅子は休息だけのものではなく、労働の道具として、姿を表すようになった。わたしの好きなシューメーカーチェアは、この典型である。

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つまり、近代になって、坐ることの多様性が明らかになってきたのだ。権力の見せびらかしだけが、椅子の機能ではなくなって、むしろ生活の実用的多様性を増したのだと考えられる。

ピカソの今回の絵のなかには、二種類の坐る像があって、楽しめた。ひとつは古典派時代の典型的な絵画で、灰色の色調をもつ、力強い線画の坐る女像だ。この存在感ある姿をただの線だけで表していて、ゆったりとした「坐る」ということがたっぷりと描かれている。とりわけ、絵の下半分の安定感は女性の日常的な感覚をすくい取っていて、保守的な雰囲気を見事に表している。

これに対して、もうひとつの典型は、キュビズム時代の坐る女像で、絵の下半分は、椅子に支えられていて、普遍的な安定感を表しているが、絵の上半分には上から見たり、右から左から見たりした多視点的な、現代の多様性を反映させている。きわめて、ピカソ的な絵となっている。

それで、ピカソにとって、坐るということがどのように描かれているのかが、この好対照で浮かび上がってくる。下半分は、二つの絵にとって共通に安定を表しているのに対して、上半分は片方の古典的な絵では明確は人格がひとつであることを描いていて、ひとつの椅子に腰掛けて、ひとりの人格は同一であることを描いていて、人物画として申し分ない。ところが、キュビズムの坐る女は、人格が複数化されていて、これが多重性、多面性を表していて、ひとつの椅子に座っていても、複数の他者や不確実な社会の姿を反映して、現代社会の複雑な様相を反映していて、真に迫ってくるのだ。

これら二つの絵画のどちらが良いか悪いかという対照ではなく、むしろ両方の絵画をかき分けて、現代社会のなかにある坐る人が多面的な人格を表す可能性を表していることがわかって、たいへん興味深いのだ。目には見えないかもしれないが、古典時代の同一化した坐る女は、背景にキュビズム時代の坐る女を内包していると考えても良いだろうし、さらに、キュビズム時代の坐る女を統合すると、古典時代の坐る女になるかもしれないのだ。このように、ちょっと視点を変えてやれば、ひとつの絵画がとんでもなく、広く多面的なものを抱え込んでいることを知らしめているのだ、と解釈することも可能なのかもしれないのだ。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。