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2015/05/26

M市美術館と「子どもの椅子」展を見て回る

526 M駅を出て、昔の電車通りをまっすぐ、突き当たりにある県の森へ向かって、歩く。市民芸術館(ここの設計も、今日見る展覧会で取り上げられている伊東豊雄の作品だ)の手前左側に、本屋・雑貨・喫茶店をかねたSがある。

526_2 体調を崩してから、コーヒーを控えているが、カフェオレならばよいだろう。残念なことには、まだコーヒーの味覚が戻ってこないのだ。このSの書棚には、全国の自主出版雑誌がずらっと並んでいて壮観である。526_3 ふつうの本屋さんでは手に入らないような、ということはあまり売れないような、しかし気になるような雑誌が置いてあるので拾い読みする。たとえば、吉本ばななが、父の隆明が亡くなったとき、海外にいたらしいのだが、そのときの様子を書いている。これも知らない雑誌だ。ここを出て、市民芸術館を通り過ぎ、少し行くと、元警察署のあったところに市美術館が立っている。草間彌生の「幻の華」が玄関横で迎えてくれる。

526_4 展覧会は見るためにあるのだが、このような当たり前のことを言いたいわけではない。結局は、見せている展示物は全体の中の一部分にすぎないのだから、ひとつのものだけで、全体を想像できるような展覧会こそ、良い展覧会だということになるだろう。とはいうものの、できそうで、できないことを展示できるということが、面白いところなのかも知れない。

526_5 M市美術館で開かれている「戦後日本住宅伝説」は、その一部を見せるだけで、全部がわかってしまうような、良い展覧会だった。それじゃ、住宅に取って「全体」とは何かということだと思われる。家族、そして社会との関係ということだろう。

526_6 住宅の動きをみると、戦後の家族形態がみえてくる。核家族との対比が見られるのだ。第1に、住宅の外形が近代化してくる。コンクリート住宅などに見られる点だ。第2に、住宅内部の近代化への反省が起こる。部分的に、内部での和風が強調されたりする。第3に、住宅内部への近代化の浸透が起こる。社会が住宅へ侵入してくる。さらに第4に、住宅の分離や、幻想化や、抽象化などの超近代化が現れてくる。

丹下健三、磯崎新、清家清、東孝光、増沢洵、白井晟一、伊東豊雄、坂本一成、篠原一男、黒川紀章、菊竹清則、原広司、安藤忠雄、宮脇檀、毛綱毅曠、石山修武などの行ってきた、住宅設計のなかに存在する家族の錚々たる考え方がよく現れていて、もしわたし自身が設計図を読めたならば、もっと時間のたっぷりかかる展覧会だったにちがいない。

このなかでも注目したのは、住宅の新時代が始まった後、都市に対して一度閉じるという、近代化特有の動きが住宅で明らかになるという点である。社会に対して、家族を守るものとして、住宅が現れてくる。一直線に近代化が外へ向かって開放されていくのでなく、住宅が外に対して閉じて、内に向かって開かれる時代が生ずるのをみることができる。この動きは、家族そのものでは指摘されてきているものの、住宅というところで、これほど典型的に現れているとは思わなかった。この意味で、わたしにとって、たいへん重要な展覧会であった。

526_7 共通にみられるように、コンクリート住宅は外に対しては、「打ちっ放し」の素っ気ない様相を示すが、ひとたび内に入ると、様々な意匠が行われているのをみることができる。東孝光の「塔の家(1966)」は、人口密度の高い都市にあって、狭い土地にいかに住空間を確保するのか、を考え、区画をはっきり上にとり、家族の住空間を保護している。

526_8 さらに、印象的なのが、伊東豊雄の「中野本町の家(1976)」で、完全に外に対して密閉されて、なかをまったく窺い知ることができない構造になっている。馬蹄状の外壁で、外と内とは遮断されている。けれども、内では曲線が使われ、光線によって、家族の多彩な動きが増幅されて映し出される工夫がなされている。家族の内の豊かさが、都市との遮断において、社交を断つことで、かえって内の社交を増している。けれども、これは特殊なあり方だったらしく、住んでいた家族が絶えた時点で、この住宅は家族の意思で取り壊されている。このことは様々な想像を掻き立てられるが、その家族の胸の内は窺い知ることはできない。

526_9 Gの木工職人Sさんから、松本クラフト推進協会の「工芸の五月」の一連の展示会で、「子どもの椅子」展のことを聞いていた。「工芸の五月」のなかで、木工作家が製作した子ども椅子が、M市の各地を回るのをみたいと思った。じつは、さきほどの雑誌の喫茶店Sの二階にも、3つの椅子が展示されていた。もちろん、Sさんの山桜を素材とする「コムバックチェア、3スピンドルズ」も展示されていた。526_10 なぜ子どもの椅子なのか、ということは、Sさんへのヒアリングを行うので、楽しみに残しておきたいが、鑑賞者から見るならば、子どもの椅子には「原型」のようなものが存在していて、坐るということの工夫のあり方が典型として現れるのではないかと、考えられる。526_11 それから、大人の椅子のミニチュアであるという利点は、それに付随して存在することは明らかだろう。

526_12 次に訪れたのは、中町通りにある洒落た洋服店C。ここでは、ショーウインドーでの「子どもの椅子」の展示もさることながら、様々の洋服と融合的に展示がなされていて興味深かった。椅子を商品棚あるいは飾りとして使われることはよくみられることだが、このような526_13 子どもの椅子は、モティーフとしても、また実際の棚としても有効なのだろう。526_14 子どもの椅子が、子どもの間を旅するだけでなく、商品の間を旅しているのだ。この効果も、潜在的なところで影響を与えていて、面白い。

526_15 もう一軒は、コンフィチュールの店Cだ。店のなかの厨房には、底が平の大鍋がコンロにかかっており、棚には見事なコンフィチュールが並んでいた。この店のコンフィチュールの特徴は、二種類の果実を融合させた味が特徴だということで、さっそくレモン味とバニラ味のものを、526_16 いただいた。話していると、サラリーマン風の若い男性が自転車をこいで現れ、バナナとイチゴのものを2瓶も買って行った。

526_17 この店の商品棚の下に、子どもの椅子が3脚置かれていた。Sさんの椅子がここにもあって、複数の椅子を製作したことを知る。色の異なる素材を使って、同じ形ながら、異なった雰囲気を出している。526_18 さて、気がつくと、新宿行きのあずさ号へあと10分しかないことがわかった。かつて知ったる場所なので、早足に女鳥羽川沿いの道を取り、どうやら間に合ったのだ。

526_19 課題をいくつも残した、M市訪問だったけれども、周辺から攻める方法が次第に結びつきを与え始めたのを実感した旅であった。また、機会を得て、訪問したいと思った。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。