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2015年5月に作成された投稿

2015/05/31

奈良学習センター面接授業の二日目

531 朝、奈良女子大学正門前を通る。この門をくぐると、何だか想像力が豊かになりそうな気分になってくるから不思議だ。531_2 そして、その向こうには、林に囲まれた記念堂があって、完璧な未知の国を指し示している。と理想化してみると、この道を女子学生たちが滝の水のようにどっと講義室へ向かっている姿が想像できたのだった。

Photo 学習センターでの面接授業は、順調に行われた。途中、労働のイメージを語っていたら、際限のない労働の話のついでに、どういう訳か、小説家のカミュの「シシュポスの神話」の話を出してしまった。なぜこのような話が突然出てきたのかは、明らかで、休憩時間に学習センター所長室を利用させてもらっているのだが、この学習センター所長のM先生は、「カミュ」と「星の王子様」の専門家であり、立派な写真が研究室に飾られていたのだ。それで、頭のなかに潜んでいた話が飛び出したのだった。講義は、いつものように、拍手とともに終了した。

Thumb_img_0159_1024お腹はあまり空いていなかったが、このあと講義終了後にもかかわらず、無謀にも卒業研究指導を、奈良県立文化会館で行う予定なので、ちょっとだけでもお腹を満たしておきたかった。奈良女子大を出て、東大寺方向へ向かうと、ちょうど西大門あたりに出る。門は残っていないが、Thumb_img_0157_1024 この門のあとが、基礎石として残っている。その遺跡の前に、吉野葛の老舗が店を出しているので、うどんと吉野葛を食べる。ぷるんぷるんしていて、生の葛は温かかった。

Thumb_img_0153_1024 卒業研究には、奈良、京都、名古屋の3名の方が参加して、18時から21時まで行われた。転地で行うゼミは、じっくり、そして細心に行われているので、効果が期待できる。Thumb_img_0151_1024 みなさんの帰宅時間になった。奈良から少し距離があるので、喫茶店に入る余裕がないらしい。仕方ないので、手持ち無沙汰を持て余して、三条通りにあるP店へ入る。

Thumb_img_0179_1024 ネットでの評判によると、外見とは異なり、料理はふつうの喫茶店だということだ。雰囲気を求めて入ったが、夜もかなり遅くなり閉店時間間近ということもあって、席は空いていた。建物の異形さと店内の調度はたいへん良い、Thumb_img_0131_1024 もしコーヒーの味が良かったら、とても良い店になるにちがいない。とはいえ、まだまだコーヒーの味覚が戻っていない者に、こんなことを言われたくないだろう。もしかしたら、過去には相当な店だったのかもしれない。Thumb_img_0133_1024 今でも、読書をし、日記を書くには最適の場所だ。ピノキオの可愛い人形が、さっきからこちらを見ている。君はいつからそうしているのかい?

531_3 今日の椅子は、奈良学習センターの所長室にあった、パイプで出来た、折りたたみ椅子だ。シートが肉厚にできていて、折りたたみにもかかわらず、すこぶるお尻へのフィット感は良いのだ。

2015/05/30

奈良学習センターにて、面接授業

Thumb_img_0185_1024 奈良学習センターにて、面接授業が始まる。JR奈良駅近くのホテルに宿泊をしていたので、ゆっくりと三条通を興福寺に向かって歩いて、近鉄奈良駅をとおって、北町へ入り、奈良女子大内にある学習センターへ到達する。まだ、9時になるかならないかで、約45分の開始まで時間があるにもかかわらず、すでに数人の学生の方々が集まっていた。

わたしのパソコンがプロジェクターにうまく合わなかったので、学習センターのパソコンを急遽お借りして、授業を開始する。面接授業での方法は先生方によって異なるが、わたしの場合には、ほぼ必ず自己紹介を含めて、本題に関係した経験や体験を述べてもらうことから始めることにしている。

本日の本題は、なぜ働くのか、ということだったので、社会人学生の放送大学学生にとっては、得意分野だ。まず、手を上げて説明してくださったのは、70歳になるNさんだ。最初は現場の労働者だったが、定年まじかで人材センターの福祉関連の職業に就いたそうだ。このスムーズに転換がうまくいったことが温和な顔に表れていた。

女性の勢いが教室でも止まらない。二番目のAさんは女性上司のいる職場にまずは就職し、子育てと両立できる職業に移り、さらにもう一つの職場を目指しているのだそうだ。それぞれ働く意味が移り変わってきたという経験を話してくださった。次から次へと、手が挙がって、発言する方々が多く、放送大学生の特色が現れた面接授業となった。もちろん、わたしのしゃべる時間も必要なので、それを十分に確保しながら、進めなければならないのだ。

Thumb_img_0137_1024 お昼は、かねてより、奈良女子たちがたむろするような、古民家カフェを選んでおいたので、ちょっと距離はあったが、M店まで足早に行って、カレーをゆったりと食べて戻った。雑貨も置いてある、今風の喫茶店なのだが、風が吹き抜ける「小屋」のような作りがたいへん良い家屋だった。Thumb_img_0138_1024 テーブルには、柳宗悦や芹沢銈介などの書籍や、中村好文などの木工の書物が並んでいて、それを見ながら食べることができた。今日は日差しがたいへん強かったので、行き帰りの道筋はちょっと辛かったが、美味しいカレーとゆったりした小屋に満足する。Thumb_img_0140_1024

Thumb_img_0173_1024 帰りに、「サードプレイス」へ行った。一年ほど前に、卒業研究論文審査で奈良へ来ることがあった。Thumb_img_0176_1024 そのときに、「Third Place」という名前をつけた場所の前を通りかかり、ちょうどみすず書房から出ていたそのタイトルの書物を読んだところだったので、先進的な名前の店だな、と思っていた。そのときは、残念ながら寄る時間がなくて通り過ぎてしまっただけだった。

Thumb_img_0177_1024 今日の奈良学習センターの面接授業を終えて、その後いくつかの場所を巡って、最後に、奈良市の三条通に出るときに、そのことを思い出した。まだ存在するのかな、と思いつつ、記憶を辿って、その場所を見つけ、看板が確かにかかっているのを見つける。

Thumb_img_0178_1024 ところが、なんとタイミングが悪いことか、今日で閉店なのだそうだ。3階にある店へ行ってみると、後片付けの最中だったが、ちょっと手を休めて、雑談に応じてくださった。11年間、「マフィン」の店をここで開いてきたのだそうだ。31歳から42歳までで、10年間のつもりだったのが、ついそれを超過して続けてしまったのだとおっしゃる。サードプレイスという言葉も、10数年前に東京へ行ったときに、友人からもらった言葉だったそうだ。先進的な言葉のつかみ方を行ったらしい。

それで、これからの次の人生では何を行うのかを問うと、医療をやるのだというのだ。それはまた、随分な転回だ。おそらく、家族の介護や医療の必要性に差し迫っているのだということが予想されたのだ。つまり、彼女の言い方を借りるならば、サードプレイスから再びファーストプレイスとセカンドプレイスの中間へ戻ってみるのだということだ。

Thumb_img_0172_1024 でも、そのあとはまた、サードプレイスにもう一度戻ってくるかもしれないとのことだった。10年後に、また訪れてみたいと思ったのだった。さて、今日の椅子は、奈良市内のバスの待合場所に置かれた、杉の丸太をくり抜いたベンチだ。利用者に使い込まれていて、Thumb_img_0170_1024 丸太という丈夫な素材を得て、古くて誰にも注目されない、けれども繁華街の小さな片隅に置かれていて、多くの利用者の役に立っている。利用者は意識していないかもしれないが、十分に市民の資格をもつベンチなのだった。

2015/05/26

M市美術館と「子どもの椅子」展を見て回る

526 M駅を出て、昔の電車通りをまっすぐ、突き当たりにある県の森へ向かって、歩く。市民芸術館(ここの設計も、今日見る展覧会で取り上げられている伊東豊雄の作品だ)の手前左側に、本屋・雑貨・喫茶店をかねたSがある。

526_2 体調を崩してから、コーヒーを控えているが、カフェオレならばよいだろう。残念なことには、まだコーヒーの味覚が戻ってこないのだ。このSの書棚には、全国の自主出版雑誌がずらっと並んでいて壮観である。526_3 ふつうの本屋さんでは手に入らないような、ということはあまり売れないような、しかし気になるような雑誌が置いてあるので拾い読みする。たとえば、吉本ばななが、父の隆明が亡くなったとき、海外にいたらしいのだが、そのときの様子を書いている。これも知らない雑誌だ。ここを出て、市民芸術館を通り過ぎ、少し行くと、元警察署のあったところに市美術館が立っている。草間彌生の「幻の華」が玄関横で迎えてくれる。

526_4 展覧会は見るためにあるのだが、このような当たり前のことを言いたいわけではない。結局は、見せている展示物は全体の中の一部分にすぎないのだから、ひとつのものだけで、全体を想像できるような展覧会こそ、良い展覧会だということになるだろう。とはいうものの、できそうで、できないことを展示できるということが、面白いところなのかも知れない。

526_5 M市美術館で開かれている「戦後日本住宅伝説」は、その一部を見せるだけで、全部がわかってしまうような、良い展覧会だった。それじゃ、住宅に取って「全体」とは何かということだと思われる。家族、そして社会との関係ということだろう。

526_6 住宅の動きをみると、戦後の家族形態がみえてくる。核家族との対比が見られるのだ。第1に、住宅の外形が近代化してくる。コンクリート住宅などに見られる点だ。第2に、住宅内部の近代化への反省が起こる。部分的に、内部での和風が強調されたりする。第3に、住宅内部への近代化の浸透が起こる。社会が住宅へ侵入してくる。さらに第4に、住宅の分離や、幻想化や、抽象化などの超近代化が現れてくる。

丹下健三、磯崎新、清家清、東孝光、増沢洵、白井晟一、伊東豊雄、坂本一成、篠原一男、黒川紀章、菊竹清則、原広司、安藤忠雄、宮脇檀、毛綱毅曠、石山修武などの行ってきた、住宅設計のなかに存在する家族の錚々たる考え方がよく現れていて、もしわたし自身が設計図を読めたならば、もっと時間のたっぷりかかる展覧会だったにちがいない。

このなかでも注目したのは、住宅の新時代が始まった後、都市に対して一度閉じるという、近代化特有の動きが住宅で明らかになるという点である。社会に対して、家族を守るものとして、住宅が現れてくる。一直線に近代化が外へ向かって開放されていくのでなく、住宅が外に対して閉じて、内に向かって開かれる時代が生ずるのをみることができる。この動きは、家族そのものでは指摘されてきているものの、住宅というところで、これほど典型的に現れているとは思わなかった。この意味で、わたしにとって、たいへん重要な展覧会であった。

526_7 共通にみられるように、コンクリート住宅は外に対しては、「打ちっ放し」の素っ気ない様相を示すが、ひとたび内に入ると、様々な意匠が行われているのをみることができる。東孝光の「塔の家(1966)」は、人口密度の高い都市にあって、狭い土地にいかに住空間を確保するのか、を考え、区画をはっきり上にとり、家族の住空間を保護している。

526_8 さらに、印象的なのが、伊東豊雄の「中野本町の家(1976)」で、完全に外に対して密閉されて、なかをまったく窺い知ることができない構造になっている。馬蹄状の外壁で、外と内とは遮断されている。けれども、内では曲線が使われ、光線によって、家族の多彩な動きが増幅されて映し出される工夫がなされている。家族の内の豊かさが、都市との遮断において、社交を断つことで、かえって内の社交を増している。けれども、これは特殊なあり方だったらしく、住んでいた家族が絶えた時点で、この住宅は家族の意思で取り壊されている。このことは様々な想像を掻き立てられるが、その家族の胸の内は窺い知ることはできない。

526_9 Gの木工職人Sさんから、松本クラフト推進協会の「工芸の五月」の一連の展示会で、「子どもの椅子」展のことを聞いていた。「工芸の五月」のなかで、木工作家が製作した子ども椅子が、M市の各地を回るのをみたいと思った。じつは、さきほどの雑誌の喫茶店Sの二階にも、3つの椅子が展示されていた。もちろん、Sさんの山桜を素材とする「コムバックチェア、3スピンドルズ」も展示されていた。526_10 なぜ子どもの椅子なのか、ということは、Sさんへのヒアリングを行うので、楽しみに残しておきたいが、鑑賞者から見るならば、子どもの椅子には「原型」のようなものが存在していて、坐るということの工夫のあり方が典型として現れるのではないかと、考えられる。526_11 それから、大人の椅子のミニチュアであるという利点は、それに付随して存在することは明らかだろう。

526_12 次に訪れたのは、中町通りにある洒落た洋服店C。ここでは、ショーウインドーでの「子どもの椅子」の展示もさることながら、様々の洋服と融合的に展示がなされていて興味深かった。椅子を商品棚あるいは飾りとして使われることはよくみられることだが、このような526_13 子どもの椅子は、モティーフとしても、また実際の棚としても有効なのだろう。526_14 子どもの椅子が、子どもの間を旅するだけでなく、商品の間を旅しているのだ。この効果も、潜在的なところで影響を与えていて、面白い。

526_15 もう一軒は、コンフィチュールの店Cだ。店のなかの厨房には、底が平の大鍋がコンロにかかっており、棚には見事なコンフィチュールが並んでいた。この店のコンフィチュールの特徴は、二種類の果実を融合させた味が特徴だということで、さっそくレモン味とバニラ味のものを、526_16 いただいた。話していると、サラリーマン風の若い男性が自転車をこいで現れ、バナナとイチゴのものを2瓶も買って行った。

526_17 この店の商品棚の下に、子どもの椅子が3脚置かれていた。Sさんの椅子がここにもあって、複数の椅子を製作したことを知る。色の異なる素材を使って、同じ形ながら、異なった雰囲気を出している。526_18 さて、気がつくと、新宿行きのあずさ号へあと10分しかないことがわかった。かつて知ったる場所なので、早足に女鳥羽川沿いの道を取り、どうやら間に合ったのだ。

526_19 課題をいくつも残した、M市訪問だったけれども、周辺から攻める方法が次第に結びつきを与え始めたのを実感した旅であった。また、機会を得て、訪問したいと思った。

2015/05/24

信州のO町に来ている

Photo 朝、空気が凛としていて、深呼吸して入ってくる森林の香りが、肺に浸みる。O町に来ている。テーブルに向かって、書評の仕事と印刷教材の校正仕事を、少しだけ片付け、午前中の爽やかな風を受ける。言葉では伝わらない世界へ、次第に入っていく。

Photo_2 昼をいつものパン屋さんでピザを食べることに決めて、娘は木崎湖までジョギング。6kmくらいだそうだ。わたしは息子と連れ立って、目的のパン屋さんへ向かう。Photo_3 ピザランチだ。20分くらいで歩いていけると思っていたのだが、途中河原などで写真を撮って止まったりしたのが悪かったのか、たっぷりと30分ほどかかってしまった。遅刻だ。

Photo_4 ピザは、石窯で焼いてすぐ食べないと味が落ちるので、パン屋さんは窯から出すタイミングを探っていたらしいのだ。娘が早くに着いて、程なく私たちも着いたのだが、パン屋さんが心配して、道に出て、わたしたちの姿を見てから、窯へ向かったらしい。それで娘の報告によると、細心のピザが焼きあがったのだ。

Photo_5 でも、歩いた効用は確かで、ちょうどお腹の具合が空いてきたのだった。最初にマルゲリータ、ついで、はちみつとチーズのピザが出てきて、さっそく頬張ったのだった。トマトの新鮮な酸味が効いていて、一年に何回かは味わいたいピザなのだ。この生地には、やはり天然酵母のパン生地が使われている。外はパリパリ、中はモチモチで、この生地だけを食べても美味しいのだが、マルガリータのトマトの酸味が効いて、素晴らしい。反復というものに、幸があるとすれば、それはこのようないつ来ても、変わらぬ味を提供してくれる場所をもっていることだろう。これは、途轍もないほどの財産だと思われる。

Photo_6 帰りの河原で、娘がわたしたちに小石を集めてほしい、というので、麦わら帽子にたっぷりと小石を拾って、土手のベンチへ持っていく。すると、娘がとんとんと置いて、小石のメッセージを作った。友人の誕生祝いに写真を送るのだそうだ。実物は、存在感ある、ゴツゴツとしたものなのだが、平面的にみると、そのゴツゴツ感が整えられて、陰影感へと変質するのをみることができる。

Photo_7 ピザのあとのスイーツは、猫の喫茶店で、プリンをひとつ。

2015/05/23

松本へ出かける

Photo_8 今年度の松本クラフトフェア(5月30日、31日)には、残念ながら、奈良学習センターの面接授業が当たってしまっていて、観ることができない。そこで、一週間前に松本を訪れた。だから、目的はそれほど考えてないのだが、それなりに来年の取材のことなど、気になることが多くあって、気持ちのほうがはやって来た次第である。娘が連日付き合ってくれた。というより、お付きとして、娘について回ったと言った方が正確なのかもしれない。

Photo_9 時間の余裕があるときに、一度ゆっくりと来訪したいと考えていたのが、「松本民芸館」だ。この辺りは、松本市の郊外で果樹園などが点在する場所になるのだが、じつはわたしの小学校時代の散歩および冒険地域であって、伯父さんが近くに住んでいたこともあって、自転車で駆け巡っていた場所なのだ。Photo_10 たとえば、地元の産業に菓子業があって、ウェハースや煎餅などの小さな工場がこの辺りにあった。こづかいの5円や10円を持って、ビニール袋いっぱいの菓子を手に入れた。このように楽しい場所に住んでいたのだけれど、ちょうど小学校6年生のときに、祖父の会社が潰れ、手伝っていた父も転職で東京へ出ることになった。その年に、この松本民芸館が開館したということを、来歴を読んで、今日知った。

Photo_11 だから、中町通りにあるT民芸店のM氏が設立して、民芸運動の方々がたびたび来訪する場所であることは、知っていたのだが、今回初めて訪れる。白かべの長屋門をくぐって、趣のある林を抜けて、広い玄関に到達する。そこから、木製の床を辿って、M氏が収集した民芸品を見て回ることになる。

Photo_12 まず目を引くのは、玄関から展示室へ入っていく、その部屋の入口に掲げられた。「美しいものが美しい」という掛け軸だ。ことばや説明が重要なのではなく、直感が大切だという意味のことが書いてある。民芸が人々のなかに定着していった、ひとつの典型をみることができる。Photo_13 民芸の良いところは、この徹底した考え方と姿勢のオープンさなのだ。この民芸館はすべての作品が写真撮影OKであるという珍しい方針をとっているのだ。欧米では、当然なのだが。

Photo_14 収集品のなかで、とくに目をひいたのは、李朝の作品を展示している棚だ。もちろん、李朝の白磁棚には定評ある均整のとれたバランスの素晴らしい陶磁器が並んでいて、甕と瓶にはほんとうに美しいものが展示させられていたのだ。Photo_15 このような典型的なものを注文通りに手に入れるためには、おそらく並大抵以上の詮索が必要であり、金額も気になるが、それ以上にどれほどの時間をかけて探したのかの方を思い描いた。

Photo_16 陶磁器を上回って素晴らしく思えたのは、この写真を載せた朝鮮の箪笥だ。その前面には、竹細工のそれぞれ異なる幾何学模様が各抽斗に施されていて、民芸的なおおらかさと同時に、細工の綿密さが飛び抜けている。

Photo_17 最後に展示されている椅子の部屋は、ショールームとしても観るべきものが多いが、居間としてむしろ使いたい部屋だ。ひとつひとつの椅子が座るのを待っている。Photo_18 中には100年を超えるような、ギシギシと音を立てながらも受け止めてくれる椅子があった。もしここにバーナードリーチや濱田庄司が集っていて、もっとも民芸だから、これらの著名な作家や批評家である必要はないのだが、Photo_19 この椅子に座りながら、冬の凍えた夜に深深と話ができたらと思える場所なのであった。博物館としてとって置くには、ほんとうに惜しい場所であり、人びとが集まるように設計されている部屋だと思う。機会があれば、放送教材で使いたいなと思ったのだ。

Photo_20 松本市内へ戻って、昼食をいつものうなぎ屋さんでとる。松本で娘と会う時には、これまでほぼ、このうなぎ屋さんで食べて歓談することにしている。その後、いつものコースを辿って、中町通りを散策する。ギャラリーCでは、奈良市の以前行ったことのある、「K」の革職人のひとが店を出していた。T店もいつもながらの砥部焼をはじめとする品揃えを見せていたが、今日行った松本民芸館のM氏の親族がここを経営している。Photo_22 そして、向かいのTでは、店主が作家の売り込みに応対していた。ここの木製カトラリーは巧みなもの・高級なものが多く、2千円から3千円のものが多く展示されているのだが、これらにまじって、Photo_23 今日は数百円の手ごろな値段のものが並んでざっくりと売られていた。曲線がきれいで、仕事は確かなものだったので、スプーンと茶匙を購入した。アジア系のものだろうか。

Photo_24 疲れた身体を休憩させるべく、いつもの味を楽しもうと、近くのオープンテラスの古書・喫茶のS堂へ入る。このところの腸炎で、ほとんどコーヒーを自制しているので、信州の100%リンゴジュースとパウンドケーキで我慢する。

Photo_25 この店の古書には、「職人技」の書物棚が用意されているので、その棚を見ながら十分な休憩をとる。このところ集めている職人インタビュー集と、宮本常一の書作集があったので、購入する。他にも、何点か読みたい本を見つけたが、自宅の書棚の容量が過重になってきていることを考え、図書館から借りることを考えることにする。Photo_27 古書店の書棚から、インスピレーションを得ることはままあって、コーヒーを飲みながらそれをじっくりと行うことができる、このような店は得難い。横浜や千葉にも、ぜひ見つけたいものだ。

Photo_26 30日のクラフトフェアには、道いっぱいに参加者たちが、溢れることを想像して、シンプルなデザインのTの前を通って、駅に出る。16時発の電車に乗った。新鮮な空気で、眠気にどっぷりと浸りながら、揺れに身を任せ、帰路に着いたのだ。

2015/05/19

介護で気をつけること

どこまで踏み込んで介護を行うのか、ということをつねに痛切に考えることが、この4ヶ月間に起こっていたことだ。母の入院と介護のことだが。

たとえば、今日起こったことは、その典型例だ。母の入院が4ヶ月になっている。それで本人は、病院での生活が本当に嫌になる。それは、大げさに言えば、あたかも収容所に押し込められた難民以上の、不自由さが付きまとうからである。それで、毎日の日常が疎ましくなる。

今日の母親で、それが見られたのは、薬の投与である。現在、心不全は一応直ったという段階なのだが、整腸剤の漢方薬が食前薬で、それ以外に、リュウマチ関連の3種類の錠剤を飲み続けている。通常は、食事は食べなくても、何とか薬だけはすべて飲ませることができるのだが、今日はいつもと違っていた。食前薬は飲んだが、食事を終わらせて、食後の錠剤をどうしても飲みたくないとのことだった。

それで、数十分なだめすかして見たが、いつも以上に頑なな顔つきをして、唇を前へ突き出して、意地悪そうな顔を示すようになった。そうなると、テコでも動かないので、数10分待つことにして、違う話をして、気を紛らせた。時には、それでうまくいくこともあったが、今日は本当にダメだった。

それで、なぜ最後の薬がダメなのか、嘔吐しそうになるのはなぜか、と聞くと、錠剤を固形のままで飲み込む時にダメなのだそうだ。砕いてくれれば、飲むよという。なら、簡単だといって、鉄のスプーンを親指で押し付けて、砕こうとしたが、カリウムの錠剤はなんとも大きくて固いのだ。潰すどころではないのだ。仕方ないので、スプーンを縦にして、ナイフのように切って砕こうとした。がたーんと大きな音がして、一応二つに割ることができたが、実はそれからが大変だった。小さくなったからといって、硬さが変わるわけではない。むしろ、小さくなった分だけ、余計硬く感じた。

手を真っ赤にして、唸る姿をみて、母はふんふんと無視した顔をしていた。けれども、砕き終わると、素直に白く変色したゼリーと一緒に飲み込んだ。そこで、言ったセリフは忘れられない。「結局、無理矢理飲ませたね」と笑いながら言ったのだった。

他者のふところに入って、無理矢理でも、何かをさせるのは、やはり同等にこちらも無理矢理何かをやらなければ、受け入れてもらえないということだ。それは、たとえ親子関係でも、同じことだと知ったのだった。その後、妹が「技術革新」的なアイディアを出してきたので、錠剤問題はなんとか、済ますことができるようになったのは、仕合わせなことだった。

2015/05/16

体調悪し

昼には、大学院ゼミの方々といつもの定食屋で、焼き魚で食べたから、そんなことになるはずはなかった。また、帰って来てからの夕食もいつものメニューで珍しいものを食べたわけではないから、さらにそんなことを催すことはなかったはずだ。となると、わたしの体調の問題ではないか。

夜、睡眠を取っていたら、午前2時ごろになって、何やら異物が手に触るのだ。すわ、エイリアン、と思えるような、お腹の腫れ具合だ。ちょっと古いギャグだが。これは、歳をとって、お腹が膨れるようなガス症状だと思い、気にせずに寝入ろうとするのだが、なかなか寝付けないほどの膨らみになってきたのだ。

そのうち、痛みも感ずるようになってきた。風船のように膨らんだ腸が、膨張に耐えきれずに、空気を吸い込んだカエルのように、ぷくっとして、今にも弾けそうになって、痛いのだ。これはまずいと思い、トイレに駆け込んだが、痛さと苦しみはいや増すばかりだ。

そのまま座っていることができずに、手を差し伸ばして、何かに掴まろうとする。これは不思議な感覚だった。なぜ痛みが激しいと、自分で立っていることができずに、何かに掴まろうとするのだろうか。藁にもすがる思い、とよく書いてあるが、何か掴めるものはないか、藁でもよいという気分になってくる。現実には、大概のものは、体重に耐えきれずに、折れてしまって、残るのは、ドアのノブのみだ。

それでも、体調は好転しない。そのうち、脂汗が出てきて、すっかり呼吸も苦しくなる。息ができなくて、苦しいという純粋に体力的なダメージは久しぶりのことだった。結局、声を出して、苦しみを発散させるしかない。床に転げ回って、唸り声を出して、苦しみから逃れようとするが、一度掴まれた苦しみからはなかなか逃れることはできなかったのだ。

このような声を出してのたうち回ったことは、人生のなかで初めてだったので、妻も息子も飛び起きてきて、びっくりしたようだった。床にのたうち回ったことが良かったのか、時間が経過したのがよかったのか、下血して事態は収拾を迎え始めた。ようやく、血が出ることで、安定したのだとわかったのだ。

初めての事態にびっくりしたのだった。その日は、それで終わって、後日病院へ行くことにして、就寝する。これからは、このような体調が悪くなることが頻繁に起こるのではないか、と思うのだった。それが、年を取るということなのかも知れない。

2015/05/12

映画「愛して飲んで歌って」を観る

Photo_2 これまでのアラン・レネ監督の映画で印象深いのは、「昨年マリエンバートで」だが、なぜ印象深いのかといえば、同じ場面の繰り返しで、そのたびに眠気に誘われてしまったからである。これほど眠気を誘った映画は、これまでに知らなかったということで、酷評しているのではなく、むしろ完全な褒め言葉なのである。

Photo_3 今回の映画「愛して飲んで歌って」は、英国人が書いた原作をフランス語で演じている作品だ。場所は、英国ヨーク市郊外。映画の中で描かれたイラストの家々が舞台背景として使われていて、たいへん効果的だと思う。想像力がより加算されて、ジュワっと出てくるのだ。

Photo_4 この物語の中心にいるのは、常に教師のジョルジュ・ライリーで、個性的でこの登場人物6人に密接な人生関係を結んできている。 開業医をしているコリンとその妻カトリーヌから映画が始まり、プライベートな情報として、ジョルジュが癌に罹っていて、半年の命であることを知る。カトリーヌは若いころにジョルジュの恋人だった。金持ちのビジネスマンのジャックはジョルジュの幼い頃からの親友で、妻のタマラもジョルジュと特別な関係を持った時期がある。さらに、余命いくばくもないという情報は、ジョルジュの元妻であるモニカにも知らされ、心が乱されるが、今は農夫シメオンと新しい生活を始めていた。

Photo_5 この映画のアラン・レネらしさは、まずは、ジョルジュについては始終語られているのだが、まったく姿を見せないところに現れるのだ。姿のない主人公が主役であって、映画の中心がぽっかりと空いている。もしかしたら、中心の存在しないという、このもどかしさが眠気を誘うのだろうか。

中心のない、もどかしさは実は、この映画だけでなく、現代社会一般の際立った特徴であって、わたしたち自身も、玉ねぎの皮をむいていくと、最後に何もないように、生きることの中心に何があるのかは、わからない。むしろ、真ん中がわからないから、周辺に存在するはずの友達関係や夫婦関係がぐるり回って、より意味を持ってくるのかもしれない。

その構造がわかると、この映画は俄然面白くなってくる。映画前半のわからなさ、もどかしさが突如として、理解やひらめきとなって、視聴者へ降ってくるから不思議だ。アラン・レネは、ジョルジュに託けて、自分というものの多様で、かつ曖昧で、不確実さを見事に描き出した映画だと言えよう。

Photo_6 この映画では、ひとまず「ジョルジュ」という人格を姿は見させないが登場させている。ところが、それはまったくの借物で、じつは現代の不確実さがその中心にあって、わたしたち全員を、さらには社会全体を動かしているのだ。中心は存在するのだけれども、姿は見えないという性質は、現代のあらゆる本質的なメディアの持っている特質だと思われる。この映画の描いているメディアは、メディアの中でも最ももどかしい「愛情」というものであるだけに、訳のわからない部分が突出している。この点で、舞台風に背景をとって、建物と道路のネットワークとして彼らの人間関係が模写されているのは、きわめて映画的だったと思う。だから、もし今回ももどかしさを感じたのであれば、それはアラン・レネに対するもどかしさと言うよりも、むしろ現在の自分と、社会の不確実さに対するもどかしさであり、そこに生まれる眠気であるのかもしれない。

Photo_7 帰りに、映画をみた千葉劇場のそばにあるコーヒーショップで、すこし苦めのモカ珈琲を飲んで、空っぽのもどかしさの中心を一緒に飲み込んだ。

2015/05/07

ピカソの「坐る女」

Photo ピカソのなかで、「坐る」ということがどのように描かれているのか、この点だけに絞って、東京駅のステーションギャラリーで開かれている「ピカソと20世紀絵画展」を見てきた。

坐るというのは、機能的にいえば、人間の「休息」なのだが、西洋では休息できるということは、「見せびらかし」の法則に則れば、権力や権威の象徴であるということで、椅子に坐るということの隠喩は、この点で明白であり続けた。ところが、近代に近づくにしたがって、椅子は休息だけのものではなく、労働の道具として、姿を表すようになった。わたしの好きなシューメーカーチェアは、この典型である。

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つまり、近代になって、坐ることの多様性が明らかになってきたのだ。権力の見せびらかしだけが、椅子の機能ではなくなって、むしろ生活の実用的多様性を増したのだと考えられる。

ピカソの今回の絵のなかには、二種類の坐る像があって、楽しめた。ひとつは古典派時代の典型的な絵画で、灰色の色調をもつ、力強い線画の坐る女像だ。この存在感ある姿をただの線だけで表していて、ゆったりとした「坐る」ということがたっぷりと描かれている。とりわけ、絵の下半分の安定感は女性の日常的な感覚をすくい取っていて、保守的な雰囲気を見事に表している。

これに対して、もうひとつの典型は、キュビズム時代の坐る女像で、絵の下半分は、椅子に支えられていて、普遍的な安定感を表しているが、絵の上半分には上から見たり、右から左から見たりした多視点的な、現代の多様性を反映させている。きわめて、ピカソ的な絵となっている。

それで、ピカソにとって、坐るということがどのように描かれているのかが、この好対照で浮かび上がってくる。下半分は、二つの絵にとって共通に安定を表しているのに対して、上半分は片方の古典的な絵では明確は人格がひとつであることを描いていて、ひとつの椅子に腰掛けて、ひとりの人格は同一であることを描いていて、人物画として申し分ない。ところが、キュビズムの坐る女は、人格が複数化されていて、これが多重性、多面性を表していて、ひとつの椅子に座っていても、複数の他者や不確実な社会の姿を反映して、現代社会の複雑な様相を反映していて、真に迫ってくるのだ。

これら二つの絵画のどちらが良いか悪いかという対照ではなく、むしろ両方の絵画をかき分けて、現代社会のなかにある坐る人が多面的な人格を表す可能性を表していることがわかって、たいへん興味深いのだ。目には見えないかもしれないが、古典時代の同一化した坐る女は、背景にキュビズム時代の坐る女を内包していると考えても良いだろうし、さらに、キュビズム時代の坐る女を統合すると、古典時代の坐る女になるかもしれないのだ。このように、ちょっと視点を変えてやれば、ひとつの絵画がとんでもなく、広く多面的なものを抱え込んでいることを知らしめているのだ、と解釈することも可能なのかもしれないのだ。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。