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2015/03/31

同じ職場でともに長く働くということ

Img_9467 同じ職場でともに長く働くということがどのようなことなのか、改めて考えてみた。きょうは、今年度最後の日にあたり、今年度いっぱいで退任なさっていく放送大学の教職員と、たとえ顔を合わせなくても、同じ職場をともにする、最後の日である。これまで、退任なさる同じ所属コースのT先生や、お世話になった職員の方がたとの挨拶は大方済ませていた。

Img_9512 それで、きょうはここ数十年一緒に働いてきたHa先生とHo先生の送別会だ。かつて皆が准教授になる前に、「助教授会」という非公式の集まりがあって、その会の現役の面々が久しぶりに集まったのだ。当時の助教授たちは学習センターに所属していて、1ヶ月に1回本部の教授会に集まってきて、その夕方に助教授会を開いていた。

お二人はすでに放送大学の所属組織などからの公式の送別会は、何回も受けてきている。そのうえに、さらにこのような非公式の送別会を行う意味はどこにあるのだろうか。それは、やはりこの働いてきた期間の「長さ」だ。20年から30年一緒に働くという、この「長さ」は比類ない経験をともにしてきたという、特別の人間関係が暗黙のうちに形成されていることに気づかされるからだ。今日集まった先生方は、放送大学へ就職以来すでに数十年、職場をともにしている旧「助教授会」の方がただ。

Img_9515 お二人の先生と共有する体験を数え上げれば切りがなく、その間にも放送大学的事件が数々起こっており、それらすべてが直ちに整理できるわけではない。ある先生は楽しかった思い出を語ったし、ある先生は懺悔を述べた。わたしの関係に絞るならば、Ho先生とも、Ha先生とも、それぞれ神奈川学習センターで一緒に職場を共有したことが大きかった。Ho先生は現在、放送大学の先生のなかでは、もっとも古く長い、30年という在籍歴を持っている。Ho先生が、お茶の水女子大へ移ったTo先生と、神奈川学習センターの創成期に赴任していて、遅れて1年後に、Ta先生とわたしが就職したのだ。まだ、仮校舎で古い横浜高工時代の建物に事務所があった。なぜか先生方が着ていたオーバーコートが強烈な黄色であったり黒色であったりして、視覚的な記憶が残っているのだ。

Img_9510 職場を長く一緒にするということは、それぞれの家族を知ったり、恋愛事情を知ったりすることなので、その生活としての印象が強くなってしまうが、実際には一緒に仕事をしたのであって、入学式や卒業式ごとに、工夫して学生へスピーチをしたり、学習相談室で学生の相談に乗ったりすることで、同じ体験を共有していった思い出が数多く浮かんでくるのだった。また、当時の所長M先生宅でのバーベキュー大会の模様などは写真に残っているので、Ho先生の娘さんの笑顔や泣き顔が浮かんでくるのだ。30年間同じ職場にいたということは、たとえ果たしていた役割は違っても、共有する体験の特別な蓄積があったということだと思われる。

Img_9457 Ha先生とは、2000年代になってから、二人とも本部から神奈川学習センターへ赴任してきて、Ha先生が所長で、一緒にセンターを盛り立てていくことになった。現在では、他の学習センターでも、採用されている学生ボランティアによる「サポート支援」ということを提唱して、学生の方がたに快く受け入れていただいたことを覚えている。このとき創立されたのが、現在のK-サポートだ。最初に、学生数十人の方がたと一緒に、葉山にある湘南国際村の施設を借り切って、サポート組織の立ち上げ研究会を催した。このときには、古くからのほぼ20数年来おつきあいのある学生の方がたが駆けつけてきてくださって、人間関係の不思議さをみんなで体験したのだった。

Img_9477 今日の送別会の会場は、日比谷・丸の内のお堀端にある明治生命館のレストランCで開かれ、フレンチコース料理のランチパーティ形式だった。出席者全員の話をじっくりと聞くことができた。関東大震災後の1930年代に建てられたもので、大理石が贅沢に使われているギリシア神殿風の建物だ。Img_9481 戦後、米軍に接収されて、陸軍が使っていたらしい。当時地下には駐留軍のPXがあって、その壁にはコカコーラの商標が描かれていたり、商店の名札が描かれたりして、レトロな雰囲気で、落ち着いた空間を保っていた。ここの少人数の部屋を2時間借り切って行ったのだ。このアイディアは、A先生からのものだったが、参加者からはたいへん好評だった。二次会も、ここのラウンジを借りて、談論を楽しんだのだった。

Img_9482 「長く働く」ということは、どういうことなのか。放送大学特有の魅力がいくつかあり、それを次第に認識するようになったということだと思われるが、「なぜ放送大学を長期間にわたって離れなかったのか」という真面目な質問をしてみた。かつては、放送大学も研究費が潤沢にあり、理科系の人びとにとって、実験設備を豊富に揃えることができたというメリットがあったらしい。Img_9483 それから、出席した先生方のなかで、多くの意見を占めたのは、「社会人を教える」というメリットだ。学生の質が全般的に良いということだ。わたしもこの意見には賛成で、経済学や社会学を教える立場からして、社会経験のある人に授業を行うのと、経験のないひとに授業を行うのとでは、授業方法の行方がまったく異なるといえる。

Img_9507 「なぜ放送大学を離れなかった」のかについて、二番目の理由に上がってきたのは、テレビ・ラジオによる授業科目の制作だ。30歳代から40歳代に入ってくると、数多くの授業科目を提案できることになり、科目番組制作が楽しくなっていくのだ。わたしは、この現象を「放送大学の麻薬」と呼んでいる。Img_9455 テキストを書き、テレビ・ラジオ番組作るということは、他の大学ではできない授業形態で、多様な教育方法を駆使できるという意味において、苦労はかなり伴うものの、それ以上の達成感があり、創造性を発揮できるのだ。このために、良い言葉で言えば、一生懸命になり、悪い言葉で言えば、のめりこんでいくことになる。

Img_9520 このことは、すでに60歳の定年を過ぎて、さらに放送大学に再就職してくる大家の先生方にとっては、「麻薬」でも何でもなく、業績の積み上げをここで披瀝することで、危険なことはまったくない。ところが、40歳代に初めて制作に目覚めた先生方は、いわば「放送大学のワナ」に陥る危険性があるのだ。制作に没頭するあまり、専門の研究業績量が以前より下回ってきてしまう、というワナだ。もちろん例外はたくさんあって、教育も研究も素晴らしい先生方はたくさんいるので、安易な一般化はできないのだが、放送大学に数十年勤めていると、一度ならず陥るワナなのだ。

Img_9527 具体的な話は、ここに書くことはできないが、常日頃聞くことができないことが、たくさん出てきて、気のおけない仲間とのインフォーマルな会話の重要性を再認識したのだった。Img_9528 三次会は、女子会が新丸ビルで、男子会が丸ビルでそれぞれ開かれ、夕方になるころには、酒の量も度を越すようになってきて、気分の盛り上がりも最高潮となって、久しぶりに楽しい会となったのだ。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。